【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
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寧ろマーケット的には全日のほうが重要視してるだろ。
なんせ東京の次に客入るし、大都市では新日と互角以上に
渡り合えてたし。 田園コロシアムも81年新日と84年全日で13500人と発表してるが
これも誇大すぎるだろww 687ムッ、罠だが、
後楽園ホールは一階会場と勘違いしていた輩が沢山いたぞ。 688ムハハッだが、
後楽園ホールを1階の会場だと誤解しとった人間はいっぱいいたよ。 鶴見五郎は、一回位アジアタッグ巻かせても良かったよな 一時期ジョパー役では無く度々メインに起用されたロッキー羽田は
何故アジアタッグすら巻かせて貰えなかったのだろうか?
もし、飛行機事故に巻き込まれなかったら、薗田はアジアタッグ
卷けたのかな? >>685
「満員で〜人」という観客数は、最初に使った、もしくは満員にした団体の発表数がベースになるんだと思う
猪木vs戸口の時に満員になった時に「13500人」と発表したから、全日が満員にした時にも同じにしたんだろうね。
あと、1981年と1984年の田コロは両団体とも大塚氏が興行を手掛けてたから同じ数というのもあったかも。
ちなみに1984年の5月と8月の田コロは両方とも見に行ったが、目算だと軽く倍以上の入りの差だった。
まあ両極端で、5月は不入りで8月は満員以上の入りだったから仕方ない
鶴田がAWA王座を転落して、若造のケリーに挑戦するカードなんて入るわけないよね… 8月だってそれほどいいカードじゃない
メインだってそれ以前に何度かやってるし >>691
当初の発表通りAWA王者鶴田vsNWA王者フレアーのWタイトル戦だったら
ある程度は動員出来たんだろうね。
まぁ、鶴田vsケリーでも鶴田がAWAを保持してたら・・・ >>692
7月に馬場がハンセンに勝ってるから
もしかしたらという期待があったからチケットが売れたのでは? >>691
そうか?
鶴田の防衛戦よりも、
ケリーだったらNWA取れるかも知れないから、
そっちが楽しみだけどなあ。 >>695
NWAとAWAの統一戦が日本開催で行われ
そのうちのAWA王者が日本人レスラー(鶴田)という事に
付加価値ある! 何回もやってる鶴田vsフレアーに比べると、鶴田vsケリーって新鮮でよかったな。 >>692
8月は鶴龍コンビもブラックウェル・ガービン相手のタッグマッチだったよね。それぞれシングルタイトル持ってたのに組まれなかった。 >>697
でも内容の無くケリーに勝てなかった鶴田にガッカリ感はかなりのモノだった。
馬場が「俺でも鶴田が勝つ!と思ったもんな・・・」と試合後にコメントしていた。 >>691
でも準メインのレイスvsフレアーは教科書みたいなアメプロ全開で良かったわ しかし、なぜ唐突にあの時期に全日としても7年もやってない田コロを使ったのかな?
例年通りの蔵前だったらカード云々よりも「国技館での最終戦」ってやはり高揚感があるし
何となくでも「見に行こうか」ってなるから、動員も安定すると思うんだけど…
いつの頃から申し込むか分からないけど、あの年は2月と3月で連続で使ってるから「5月末じゃ頻度が…」ってなったのかな?
あと蔵前最終年だから年間使用回数に制限もあったのかもしれない、勝手な憶測だけど。
それに野外は季節によるけど、「暑い」「寒い」があるし、季節を問わず「雨」があるし好きじゃない…
新日が何年か前のG1の決勝で西武ドームを使ってて、自分は席が違ったんで回避できたんだけど
バックネット付近のお客さんが、隙間からの雨が風の流れで直撃弾を食らってた…
あれは雨というより台風といっていいレベル、見てて可哀想だったよ。
「いちおうドームなのに、雨どころか嵐を食らうってひでえな」とか周りの人も言っていた、それも決勝戦が始まる前あたりから… >>701
当時の全日本は最終戦が国技館というのは最強タッグ位だったよ。
84年2月の蔵前はシリーズ中盤戦、3月の蔵前はシリーズ2戦目
7月の馬場PWF奪還の蔵前は最終戦の1つ前、
因みに5月の田コロはシリーズ中盤戦、8月の田コロはシリーズ前半戦に組まれてる。
翌年の両国国技館も3月はシリーズ中盤戦、6月の武道館単発興行を経て
8月の両国はシリーズ前半戦、10月の両国はシリーズ中盤戦
そして最強タッグの最終戦で武道館という日程だから >>702
そっか…不勉強で印象論で語ってすまん…
それはそれで、最終戦以外に大会場ってどうなんだろ…
良くみれば、シリーズ通しきってないからレスラーがまだ元気ともいえるし
悪くみれば、大会場後のシリーズ消化がグダグダになりそう
まあ、スポンサーや興行主は個々だから、太客の興行は大会場じゃなくても気合入れるんだろうけど 8月の田コロは元々大塚氏が新日本の大会として押さえていたことが知られているが、5月の大会は全日本の手打ちだったのかな?
8月の大会は新日本興行との業務提携記念と大々的に銘打って粗品を用意するなど力を入れて臨んでいたな。 >>703
やっぱりグダグダ感や寂しさはあるだようね。
7月蔵前の馬場PWF奪還の興行は最終戦の前に行われたけど
2日後の最終戦の山形大会は、蔵前に出場した
AWA王者のリックマーテルは出場せず
そしてカードもセミファイナルにカブキvsカールフォン スタイガーが組まれたからね。 >>697
>>699
ケリーじゃなくてデビッドだったらまた違うんだろうと思うんだけど
デビッドでもきっとその以前に天龍に蔵前で負けているはずだったろうから微妙なのかな。 更に当時の通常興行は大概は9試合組まれたけど
山形大会は8試合だったしな。 >>707
デビッド好きだったけどフリッツやフレアーが想い出補正と親バカで持ち上げすぎなだけでいいとこいってバリー・ウインダムレベルでとても長期政権を築けるような器ではなかったと思う >>706
チャンピオン来日に会場合わせると、大会場が途中になる 85年の激震サンダーウォーズも中盤に大坂城、名古屋があり後半の高松〜古河はテレビ中継すらなかった…
地味にキッド対井上とかのタイトルマッチ入ってた気がするが… そういえば…ブロディが鶴田をピンフォールした試合
88年春のシリーズの武道館も開幕したばかりだったね
でもあのシリーズはブロディの主力との防衛ロードがテーマで
愛知県体育館や大阪府立、中規模でも仙台や川崎市体育館があった
グダグダ感どころか武道館からさらに拍車をかけて、凄く濃厚なシリーズだった気がする
ブロディがエースで1番充実したシリーズだったんじゃない? サンダーウォーズのDシン?って外国人の試合観たかった。
馬場や長州とも6人タッグで当たってるはず。 >>712
鶴田対ブロディと天龍対ハンセンのスタンプが押された武道館大会のパンフレットは永遠の宝物だわ。 >>711
高松のキッドと井上戦は、ジャパンのシリーズじゃなかった? 全日両国国技館こけら落としから花束嬢はリングに上がれるようになったんだな
でも女性団体が花束嬢の問題を言うとは思えないしw全日の自主判断か?
土俵に女性が上がる問題は太田房江大阪府知事が言い出すまで俺は全然意識してなかったしなww そーいや蔵前時代はリング下で花束渡してたんだよね。。
ちなみに77年オープンタッグ優勝戦は子供がリング上でファンクスに渡してるw 蔵前は土俵の上にリングがあったので花束嬢がリングに
上がれなかった。シークやブッチャー、極道が砂撒いてた。
両国は土俵を地下に格納できるから花束嬢がリングに
上がれたし女子プロの興行もあった。 720詰れ、だが、
後楽園ホールって1階の会場と誤認識されとったかんな。 721何ぃ〜だが、
後楽園ホールが1階の会場と思われ続けてきた現実。 >>711
NWAインターJrが高松で井上からキッドに移動。
急遽、古河で小林との防衛戦が組まれ反則で小林が王座獲得したんだよね。
その流れで6月の武道館に繋がる。(三沢タイガーが初黒星を喫する。)
原・石川が王座決定戦でアジアタッグを獲得した試合がダイジェストでTVに流れた事があったが
高松・古河も、そんな形にして欲しかった。 >>772
原 石川組のダイジェストは、
鶴田とブロディがノンタイトルで戦った長崎大会だね。
相手は、ジェリーモロー トーマスアイビーで
トーマスアイビーのテレビ登場は、このダイジェストのみだったかな? プロレス雑誌というものを
ここ何年も、とんと読んでない
10代のころは、プロレス&ボクシングをよく買ったが
あの雑誌のおかげで
あまり興味のないボクシングについても、多少は物知りになった思い出がある
今から思うと、二つの競技を一つの雑誌って、かなり独特だったな 俺は昭和の古いプロレス雑誌(昭和40年代くらい)を古本屋で買って読むのが好きだな
当時のプロレスの群雄割拠の世界観がとても魅力的で幻想が膨らむ 井上と小林の抗争も観てみたかったな。
6対6の時もこのカードが良かった。 サンダーウォーズの名古屋大会での長州対シンはいい試合だったなぁ…
前日の大坂城大会の鶴田対ゴディ戦は静まり返っていた印象だったけど… >>725
あの頃の雑誌は面白かった
ロジャース、キニスキー、サンマルチノ、フリッツらの時代だな
若手のドリーやレイスが台頭しはじめた頃でもある >>727
メインの鶴田対ゴディの前にウォリアーズ戦があって
「セミが終わると、メインを見ずに多くの観客が帰った」とファイトの記事レポートで書かれた試合だよね?
まあ、多くというのがどれぐらいの数なのかは主観によるだろうからね。 >>729
1月15日の大相撲初場所3日目
結び前の稀勢の里の取り組み(結果的に引退試合)が終わったら
結びの1番に横綱鶴竜の取り組みがあるにも関わらず席を立つお客か
チラホラいて、所々に空席が出来てたね。www >>729
86年5月19日新日本の後楽園
第7試合→前田vsケリーフォンエリック
第8試合→高田vs越中(IWGPJr.タイトル戦)
セミ→藤波vsサモアン(IWGP公式リーグ戦)
メイン→猪木 坂口 キムケンvsアンドレ マードック スーパースター
ケロ曰く、越中高田の試合が終わったら帰った客がそこそこ居たらしい。
後日、週プロのコラムでコメントしてた。 その感覚わからんなあ。
一番見たい試合が終わってメインの期待度低くても、金払った以上最後まで見ないと元とった気にならんけどなあ。 >>729
87年8月29日新日の後楽園(UWF主催興行)
セミに組まれた前田vs藤原が終わったら、
これ見よがしに帰るUWFのTシャツを着たグループが居たのを
覚えてる。
因みにメインは長州 藤波vsマードック オーエンハート 732波路だが、
後楽園ホールは一階会場と間違われていたんよ。 >>732
ボクシングだとお目当ての試合が終わると帰る人多いよ。
例えば、メインとセミ両方の試合に日本タイトル戦が組まれた興行なんかだと
セミのタイトルマッチが終わったら、セミのタイトルマッチに出場した
チャンピオンと挑戦者の応援団が帰っちゃって、メインのタイトルマッチが
空席のブロックが目立つ状態で行われる事があるからね。 子供の頃、プロ野球を観に行って、7回裏とかで
帰る父親に「なぜ最後まで見ないのか」と憤慨していた
記憶がある。その反動か、どんなにつまらない興行でも
いまだに最後まで観ていく俺がいる。自分語りすまぬ ゲームの行方が殆ど見えるときとか、天候や気温次第で帰る。 蔵前で猪木vsウイリーウイリアムスがセミ前に組まれメイン(というか最終試合)がヤマハvsオカマコンビ
だったけど、小鉄曰く「自分たちの試合が始まる前からぞろぞろと帰りだす客がいて頭にきた。
だから序盤から場外戦で暴れて帰る客を引き留めるようにした」っていっていた。
やっぱりやる方からすれば自分の試合の前に帰られるってのは屈辱的なのかもしれない。 89年に猪木が第一試合に出場したことがあったが、それだけ観て帰った猪木信者はいたのかな? 昭和プロレスマガジン48号絶賛予約受付中。1月25日完成予定です。豪華3大特集!古希を迎えるM井上ロングインタビュー:クツワダとTの関係、輪島を辞めさせた真犯人は?特集2はマニアックレスラー列伝、特集3はクツワダ新団体の黒幕を推理! >>722
ベテランがタイトル奪われる試合は、
テレビで放送しないことがあるな。
マイティやら極道。
テレビ放送さらると負けイメージ強くなるから、その配慮かねえ? >>741
単純な馬場のJr軽視もあるのでは?
番組の構成上、レギュラーの馬場・鶴田・天龍・長州とゲストの外人勢で枠を占めてた。
Jrはタイガー絡みでしかTV放映してなかった記憶が。
実際、世界Jrの初代王座決定戦のヒロ☓ダイヤモンド戦は放映されたが
次にタイトルマッチが放映されたのは3代王者・渕の初防衛戦だった。 北尾デビューのドーム大会。
セミの北尾の試合が終わったらぞろぞろ帰る客がいた。
メインの猪木の試合を見ないとは罰当たりだと本気で思った。
しかしこういう人達は北尾だけを見に来たのだろう。
別にプロレスファンではなく。 >>741
それ、83年の新日のタッグリーグに出た長州浜口組がそうだった。
猪木組とアンドレ組にフォール負け(2試合共浜口が取られた)した試合は
ノーテレビ。
逆に藤波前田組は猪木組とアンドレ組にフォール負け(2試合共前田が取られた)
した試合は、2試合共テレビ中継されたんだよね。 83年のIWGPでの長州フォール負けの姫路、後楽園もテレビ中継無かった >>747
83年のIWGPに長州は出場してないし
表向きは浜口とシリーズボイコットでテレビには出てなかったと思う
巡業には参加していたの? >>750
シリーズ途中から出なくなったから
姫路でホーガン、後楽園で猪木にフォール負けだったかな、いずれもタッグで >>751
ノーTV後楽園での長州フォール負けって、「猪木&藤波対長州&カーン」だっけ? 長州は84年に地方大会の特設リングでバックランドに負けてるんだよな。 >>742
どの試合を放映するか決めるのはテレビ局じゃないの?
それとヒロの相手はブラッド・アームストロング >>752
猪木、坂口組だったと思う
藤波はその時メキシコだったから 人生はなるようにしかならない。
いや、何が起こるかわからない。
また、何が起こっても不思議ではない
|⌒\| |/⌒|
| | | | |
| \ ( ) / |
| |\___人____/| |
| | ヾ;;;;| | |
,lノl|
人i ブバチュウ!!
ノ:;;,ヒ=-;、
(~´;;;;;;;゙'‐;;;)
,i`(;;;゙'―---‐'ヾ
ヽ;;';ー--―-、'';;;;;゙ ラッシャーがローラン・ボックにフォール負けした試合はノーテレビ? タイガーマスクがメキシコ遠征で三本勝負の一本をピン負けで取られた試合をカットしたのは有名だが
長州ごときの負け試合をノーテレビにするとは…甘やかされてたんだなぁあの長髪ドチビ >>745
猪木組vs長州組はダイジェストで放送してた。
この2年後に同じ愛知県体育館で行われた馬場組VS長州組は放送されなかった。 >>756
詳しくは覚えてないが「帰りの電車が混む」的な
ことは聞いた覚えがある
でも行ってたのはガラガラの川崎球場だったんですけど… >>759
けど、第2回IWGPで長州は猪木とアンドレにだけフォール負けしたけど
2試合共テレビ中継されたよ。 >>759
逆に前田は負け試合2試合共テレビ中継されて、評価落としちゃったんだよな。 馬場は何で長州との対戦をあからさまに避けたのかな?
長州が全日のリングに上がった役2年の間、
最強タッグのリーグ戦で合計2回対戦しただけで
地方の6人タッグでも対戦無しだったからね。 革命後の長州が単体で初めて負けた(ギブ・3カウント・レフェリーストップ)のは
1984年4月の5vs5勝ち抜き戦、vs猪木まで無かったんじゃなかったんだ?
まあ、当時は小学生で毎週のテレビしか情報源がないし
雑誌も月1ぐらいだし、やっと週プロが出てきた頃かな?
それと、当時の印象は猪木戦で負けてからはけっこう長州は負けだしたイメージ
IWGPで猪木とアンドレにピンフォール
あと藤波にもバックドロップでピンフォール
蔵前最後の興行でvs猪木に春から三連敗
それでほどなくして離脱、当時は友だと「長州は新日だと猪木やアンドレに勝てないから逃げた」とか言ってた。 全日の長州効果って、短かったよね。
長州初参加の新春シリーズは、どんなカードでも満員になったから
調子こいたのか?次のシリーズの開幕戦の後楽園で
馬場 鶴田 渕vsブロディ ブルックス バラス、天龍 石川 佐藤vs長州 谷津 浜口という
地方大会並みのカードを組んだらガラガラだったんだよね。
それ以降、後楽園大会に限ってはカードを渋ると客が入らなくなった。 >>764
戦うテーマがないわりに、期待値だけは高いカードだからな。やりにくいわ。 サソリ固め防御する馬場が見たことのない鬼の貌になっていて凄い
長州が馬場の脚力はアンドレ越えて異常な強さだったというのはこの時のことだな
馬場にラリアットは届かないから用意した秘密兵器とはなんだったのか
フレアーも三回サソリを跳ね返して脚力強いんだな >>766
当時の客は目が肥えていたからね
2シリーズ目で早く長州vs鶴龍のシングルやれよ・・って感じじゃない?
オレは3年前まで弱設定の長州が、なんで鶴龍と対等なの!?って許せなかった >>764
>>766
心境は裏事情はともかく、ジャパンが来てからも大会場でメインを張ることあったし
東京体育館 vsシン
日本武道館 vs木村
福岡国際 vsハンセン 等々
長州の全日参戦の大義上は馬場とやらなきゃいけなかったしね
馬場にしても国際血盟やハンセンと戦ってるわけで、やはり長州とやらないのは不自然だったね
テーマというか、馬場が一線を退かない間はそれがテーマそのものだと思うし。 >>770
それでも懲りずに、また次のシリーズの開幕戦の後楽園で
鶴田 石川vsハンセン バス、長州vsブラウン、天龍 大熊vsカーン 谷津、馬場小鹿vs木村 鶴見
こんな感じのカード組んだしな >>770
その3年前だと天龍も微妙じゃない? プッシュされはじめたころではあるけど。 夏ごろに
長州vsシン
テリーvsハンセン
これは逆に後楽園じゃもったいないカードを組んだな
ゴールデンなら視聴率アップ狙いという意味もあるが >>771
馬場が出てきたら鶴龍が霞むからだろ。
度々メインに出ることはあっても基本的には鶴龍にエースの座は譲った形になってたから。 猪木のポジションが鶴田で
藤波のポジションが天龍だから
天龍に食いついたのは納得だった 長州の「必殺ラリアット宣言」と言う本には(長州力・著なのに松浪健四郎・文)、
「それにしても天龍のヤツ、ずいぶんと甘いマスクをしている。
俺は藤波と同じように、より闘志が湧く。
俺の根っからのコンプレックスだ」
と書いてあった。鶴田の顔には触れてなかった。 >>772
翌日のメインが長州、浜口、谷津対ハンセン、バス、ブラウンで1分59秒で両軍リングアウトだった…日本組間違ってたらすいません 86最強タッグ高松大会ファンクスvsハンセン・デビアス
生中継の残り時間が僅かだったので中継時間に収める為3分でテリーのリングアウト負けww
それにしても試合は全然盛り上がってないし、もうファンクスは過去の遺物になったと実感したなw ドリーはともかく、テリーがね…
身長があるから微妙だけど、下手すると100キロ切ってたんじゃないかな?
85年までは良かったんだけどね、むしろ引退前の数年より体格はよく見えたのに
スタローン映画の撮影とかの影響かね?そんなに拘束されるほど重要な役割でもなかったし
レッスルマニア2の頃は体重落ちてなさそうだし、推測するに86年の夏以後から急激に落ちたとしか思えない。 >>764
馬場と長州って、馬場とロビンソンの関係とも似ている。
馬場にとってロビンソンとは、猪木という因果のライバルに対しての言葉は悪いが「生贄」であり、
まず対峙しても勝負はすでに決定済みの間柄なんだよね。75年猪木と名勝負を繰り広げたロビンソン、翌76年の
PWF戦ではっきり星を付けさせて以降、鶴田や天龍らと関わらせ、馬場自身は後年「ああ、そんなやつもいたなあ」と切って捨てた。。。
長州も同じ。馬場にとっては煙たい猪木の息のかかった先鋒のような見方をしていたように思う。 783悩みだが、
馬場と長州の試合は見たいとは思うたわい。
馬場はカーンとは何度も対戦。
しかし長州とは最強タッグ公式戦以外は対戦なし。
確かに不自然だったわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています