新日本プロレスvs誠心会館とは何だったのか
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猪木好みのアングルっぽいが
一切関わってない
よくもあんな残り物ばかり集めて盛り上がったもんだな
プロレスは不思議だ >>14
田尻茂一はのちに舞台役者として地位を確立w 新日対UWFでやってほしかったものがここにはあった 前田劇団員だったら青柳館長の打撃を捌けずKOされていたに違いない テーマ曲なしの入場シーンは異様な殺気と緊張感に満ちていて、ワクワクした。 後楽園の控え室のドアを閉めた閉めていないってやり取りを細かく載せてたのがケロの旅日記だったりしてた。 >>12
当時誠心会館所属の松永が
高橋本に書いてある新日VS誠心会館の記述は全くのデタラメって怒ってたな。
松永の言う通り全部デタラメかどうかまでは分からないけど
確かに、明らかにデタラメだと言える部分はある。 両国の決着戦は高橋のカットシーンがモロに映ってたな
週プロの表紙になったのでメインだと思われがちだが、あの大会はジュニア決勝のライガーvsサムライがメインだった 田尻のデビュー戦は伝説だよな。WARでは髭を生やしてさらにふてぶてしくなったが、ファンサービスは神対応だった。 この流れから平成維震軍ができて
一大ムーブメントになったから大成功だろう 小学生の頃見てて、なんで抗争してるのかよくわからないけど
それでも異様に面白かった記憶がある あのスタイルは真剣勝負並みにキツかったらしい
高橋本に体がもたないから打ち止めと書いてあったな >>35
01/30 大田区体育館
02/08 札幌中島体育センター別館
02/10 名古屋レインボーホール
02/12 大阪府立臨海スポーツセンター
03/09 京都府立体育館
04/30 両国国技館
05/01 千葉ポートアリーナ(メイン)
(すべて92年)
新日VS誠心会館が行われたのはこの7大会だけだったからな。 松井は結局邦明と当たることはないままいなくなったね。 >>36
名古屋や大阪は笑いが止まらないくらいチケットが売れたらしいね 小林に勝った後に何で小原やねんと思ったけど
小原はこれだけでフェードアウトしたな
何やっても絵にならない男だ >>31
高橋本には斎藤がプロレス未経験って書いてあったけど
斎藤は新日上がる前にウィングでプロレスやってる。
っていうかそこで直前まで新日にいて急遽ウィングに移籍した
TNTを倒した斎藤を見て新日がこのアングルにGOサインだしてるはず
あと、高橋本ではこのアングルのきっかけになった小林に殴られた誠心会館の松井は
何も知らなかったと書いてあるけど、松永が言うには松井は松永に「小林に殴られに行く」
と言ってたそうだ。 >>31
高橋本を信じているとか今どきピュアなやつだなw おれはこのあたりからプロレスはひょっとしたら全部
八百長なんじゃないかと思い始めて興味がなくなって
見なくなった
高橋本が出たころは一年に1、2回しか見なくなってたので
呼んでもあまりショックは受けなかった ちょっと前にリングスに佐竹や角田が出るようになって話題になったじゃん
それを新日的な軍団抗争にアレンジしたのがあれじゃないの >>41
>>44
それ松永が怒るほどの違いか?
格闘3兄弟と新日との時系列は俺もあれっとは思ったが あんな地味なメンツで大盛り上がりしたんだから大したもんだろう あれって、直後に小林がガンで休養して健悟にチェンジになったの?
もし小林が元気だったら、越中・小林でWARに殴り込みも有り得たのかな
だとしたら、越中・木村が絶妙だったから、これも運命といえるよね
もし越中・小林だったなら、あそこまで盛り上がってないかもしれない 後々行われたトニー・ホーム対青柳が、意外に手が合って面白かったな トニーホーム戦は抗争前じゃなかったか?
違ってたらごめん >>55
館長がトニーホームとやったのは91年だからちょと前だね
確か2試合組まれて2連敗だけどいい試合だったよ 看板取られちゃって
斉藤「俺悔しいです・・」
青柳「何も言うなぁぁぁー!!!」
ってシーンすっげえ好きだった。動画ないかな。 京都のタッグに出てきた来原圭吾は、普段は普通の会社員だったようだ。気の毒に。 斎藤は後のインタビューで当時の黒帯は館長、自分と松永位で後は色帯だったけど黒帯つけさせて行ったと有ったよ。 >>54
俺は越中、小林の方が好きだったね。移籍と出戻りが最初は「気に要らねえぜ」って
感じで抗争してたのが、この抗争で絆が生まれ、次は新日本隊に喧嘩売るって流れがね。
長州、浜口や天龍、原みたいな感じになって欲しかったから小林の欠場は残念。
健吾と越中は相性は良かったんだろうけど、窓際社員が手を組んだみたいな感じで
なんか違った。けど、越中、健吾だから、反選手会同盟→平成維新軍って流れに
なったから結果としてはよかったのかな 小林は普段はいい人。
ライバルと言われた佐山も三沢も小林の人柄を
認めていた。そして越中も。 真剣勝負ではないけど、小林は青柳、斎藤に試合で「真剣」に向き合ってたよね。
越中とのタッグだったかな。斎藤に無骨な膝蹴りで圧倒したところは凄く格好良かった。
今でも青柳と良い関係なのはそういう人柄だろうね。 田尻とか来原は黒帯持ってなかったけど
少しは体が大きかったのでタッグで出たのかな?
田尻は後に役者になった。 >>63
自分も越中・小林の方が熱いとは思うんだけど、
赤スパッツの木村が思いのほか輝いたから、あれがもし小林だったら全体の流れはどうなってたかなと、また、木村はどうなってたかなとか、たまにふと思う
木村がいずれ越中や小林と組む路線は確定だったとしても、WARとの抗争に越中・木村で行けてなかったら、木村なんてたいして浮上してないかもしれない
サイズやファイトスタイル的にも、小林が少し引いた史実どおりの状態の方が、新日的にも扱いやすかっただろうなとは思う その後維震軍で、越中と青柳が仲悪かったっていうのも面白い(笑) >>67
思いのほか木村が輝いた、とはいっても
プロレスを線の歴史で見ると、天龍と木村がシングルやったじゃん
体格の差もそうだが天龍と木村のオーラの差というか、格の違いが何気にショックだったよ
木村はUWFやジャパンの離脱の恩恵とはいえ、IWGPタッグや猪木組を破りタッグリーグ優勝など
当時の正規軍でいえば全日の鶴田天龍、新日の藤波木村みたいな位置づけ
要は鶴田のパートナー、藤波のパートナーという感じで天龍と木村は同格に見えていた
ところが天龍革命の成功と、藤波への造反の終息あたりから差がつき始めた
新日でシングルやった時は猪木戦へのつなぎ、みたいな差を生んでしまった… >>70
いや、だから“思いのほか”ってことだよね
SWSの前ぐらいならまだ同格感はあったけど
92年の反選手会の前の木村は完全に窓際感満載だったし 小林さんは常に反体制側にいる方が似合ってたな
維震軍解散後程なくして病気で引退となったけど、最高のタイミングだったと思う 反選手会の前までの木村は長州体制で変に扱いが良くなり逆に試合のツマラなさ、動きの硬さが目立ってた。 一人だけ坊主になることを拒否したり
コイツラと一緒にするなって感じのエリート思想あったと思う >>74
丸刈りにはしたけどスキンヘッドにはしなかった
後に維震軍入りしたカブキもスキンヘッドになったのにね >>73
逆だろ
長州体制になってからそれまでのトップグループの一員というポジションから外された
両リンがなくなってそれまで引き分け扱いになっていた相手に必ず負けるようになったし 天龍は、反選手会は越中じゃなくて木村がいるからこそ魅力があるんだと評価してたな。 >>74
小林もスキンヘッドに
ならなかったけどね。 >>77
反選手会から維震軍になって、木村がだんだんと元のポジションに収まっていく(戻らされる)と同時に維震軍も失速していったよね
あとはもう、越中の孤軍奮闘状態だった
会社的になかなか浮上させられないメンバーたちなのはわかるけど、キツイメンバーでよくやったと思う 週プロの表紙が
「プロレスが空手に負けた。小林を血海KO」
って見出しが衝撃だった。 邦昭はレフリーストップにするほど大量流血してる訳でもなかったしね
大田区体育館に生観戦して、会場は殺伐とした雰囲気を味わえたけど、
彰俊のああいう勝ち方で、抗争で引っ張るアングルだってのは
直感した >>82
大田区はTVカメラ入ってないよね?
なぜ初戦がノーTVだったのか 越中はこの頃から先輩レスラーに意識して
呼び捨てにするようになる。特に長州、天龍に。 少なくとも誠心会館時の抗争は、健吾より小林で正解だったな。 >>88
だからこそ、その後WAR に相手が変わったとき、小林が病気じゃなくても木村で行ったんだろうかってのが気になるんだよね
当時の越中・小林では、サイズ感が小さいし
格的なイメージでも、
なんだかんだで越中・木村が最適とも思うし >>55
福岡で観た、青柳トニーホーム戦は
客もめっちゃ盛り上がって面白かったなあ
橋本VSトニーホーム戦なんかより、よっぽど良い試合してた 健介がこの抗争に激怒してて
やる気満々ぽかったのに結局出てこなかったのは残念だった >>89
けど、WARの選手って小林がジャパンプロレス時代の対戦経験のある選手ばかりだし
全く問題なかったような。木村って主流派って感じでなんか反体制は合わなかったな。 健介の怒りが週プロの表紙になったし、ライガーはターザンに放送禁止用語で批判していた。 ライガーはこの抗争を「プロレスは芸術だ。でもこの試合からは芸術性が感じられない。斎藤が表紙の週プロを見てゴミ箱に投げた」とテレビ番組内で激怒してた。 何も言うなー!折原何もねーのかー!とか館長の声が馳より甲高かった >>52
大阪府立臨海スポーツセンターが大きい?千人クラスだよ。
ここ自分地元。誠心会館との対抗戦が組まれてたなんて初耳やわ!
対戦カード、誰か覚えてますか?! 大阪府立臨海スポーツセンターではなく、大阪府立体育館の間違いではないのかな? >>36
あと誠心会館の自主興行
6/9 名古屋国際会議場イベントホール
>>96
越中vs斉藤 臨海スポーツセンターは2年前にも北尾の試合が組まれるなど優遇されていたな。
プヲタからすると決して優遇ではないだろうけど。 >>96
越中VS斎藤で
斎藤が勝った後に青柳が裏切りのハイ(ミドルだったか?)を越中に食らわせて
スト−リーがかなり動いた。 青柳が越中に決別のキック浴びせた直後に上着を脱いだ小林邦昭がカッコ良すぎた。 2月の
名古屋と大阪の間の尾鷲大会で越中&小林vs青柳&星野ってカードはが組まれてたけど、どんなだったのか?
案外地方カードなので思いっきり普通の試合だったりしたのか。 小林邦昭てガチ喧嘩でも弱くはない?
それなりに強そうだよな
星野て誰?誠心会館の若手? 客にヤジられ、客に詰め寄る彰俊が格好良かった(笑) >>74
あれは反選手会同盟の結成の少し前に奥さんが区会議員に初当選して、
奥さんと二人三脚で議員活動の補助をしていたから、悪役イメージの強い
スキンヘッドにできなかったんだよ。 健吾はいつ見ても赤ら顔でどっかで一杯はひっかけてきたか?と思う 91年12月の後楽園、92年6月の名古屋での誠心会館の自主興行があったけど
この2大会に関してはあまり語れることがない。
少なくとも名古屋の小林vs青柳戦はビデオ販売されてたはずなので
見てみたいけどなかなか見つからない。 スレちがいなんだけど、ほかに書くとこないから許してほしいんだけど
小林邦昭のパワーボムって見たことある? あの頃の空手家(正道会館とかも)って、選挙の手伝いの人が着るような蛍光の緑やオレンジのジャンパーを空手着の中に着てたよな。 蛍光色ジャンパーは当時けっこう流行ってて、田舎では普段みんな着てた この戦いで反選手会→平成維新になって越中の入場テーマ曲がかわっちゃうんだよな。
バイオレントサタデー大好きだったんだけどな。 青柳と彰俊は、少なからずプロレスの手垢がついてたので、この二人が組んでも正直そんなに燃えなかったなあ。
突然組み込まれた田尻とか来原の方が外様感あって、面白いように殴られ蹴られ投げられ絞められしてて溜飲が下がったよ。 この抗争前から青柳は新日にいたけど、どういう過程だっけ?
>>80
越中も健吾や小林より、後藤小原を使うようにシフトしたしな。 >>119
ざっくり言ってこんな感じ
90年頃、福岡でライガーと異種格闘技戦
(マスクを破られたライガーぶちギレ)
↓
同時期新日に復帰した栗栖正伸と組む
↓
上のレスにもあるようにトニー・ホームと対戦
↓
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