1.5流から2流くらいの外人レスラースレ
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スパイビー、カンナム、エース、パトリ、キマラ、ジョニースミス、バーバリアン、ミング、マイクイーノス、ウォーロード、バズソイヤー、マニーフェルナンデス、ジョンノード、ジョーディートン、ファンタスティックス、ジョンクローナス、グラジ、タイトンなどなど >>75
ラサルテーズ 覚えてますよ。 紹介写真が物凄くカッコよかった。 あのゴージャスなガウンのヤツです。
パンチが鋭く、ニードロップもよかったですね。 J・コワルスキーとのコンビは、コワルスキーがやや非力だったと思います。
カーペンティアは、一部では「期待はずれ」との評価があるようですが、あのスタイルの選手は未知だったので、
新鮮に感じました。 ただ、サマーソルトキックはガッカリしました。
雑誌ではおかしな紹介のされかたをしていて、「ブルーザーが血ヘドをはいた」などと書いているので期待したのですが・・・。
デスは実力者ですね。 スタン・ザ・ムースとは別人か?と思わせるほど過激な悪党でしたね。 ジム・オズボーン
「可もなし 不可もなし」という印象のレスラーです。
ただ、当時、ロビンソンの専売特許的な技だったスープレックス(人間風車)の使い手でもありました。
もちろん威力はロビンソンには遠く及びませんが、あの技を使うだけで注目していました。
よく、喧嘩っ早い、と書かれていますが、ソース、ユセフ・トルコのネタを書きますと、
初来日の時、後楽園ホールの控え室で、ブル・ラモスに聞こえよがしに人種差別的な発言をし、
ただでも血の気が多いラモスが無言でオズボーンに近付くと、うなだれて沈黙するオズボーン・・・、
仲裁に入ったネルソン・ロイヤルがラモスを静め、オズボーンに向かい「今度言ったら私が許さない」と叱り付けた、ということです。
喧嘩は早いけど、自信は無かったのではないでしょうか? 古臭いレスラーをずっと書き込んでる爺が2人ほどいるけどウザイわ スパイビーはトップ外人から格が下がっていくのが感じられて悲しかったな >>77
ジム・オズボーン
そう!スープレックスを使っていましたね。
あれは、1970年2月のダイナミックシリーズですから、
猪木が公開する(同年11月のJバレンタイン戦)の前です。
しかし、昔のプロレス&ボクシングを見ると、69年の秋に
前座で駒厚秀がやっている写真を見ました。
また、同時期、高千穂がオースイスープレックスをローリング式ではなく
ブリッジ投げでやっているんですよね。これは当時、テレビ放映されました
(ヤングプロレスにて)
さらに71年のダイナミックシリーズ(2月〜3月)で、
ダグ・ギルバードはサマーソルトを公開しています
(まぁ単にコーナーポストからの宙返りですが)
これ、穿った考えですが、国際に来襲したエース選手の得意技を
わざと中堅外人や若手にやらせて「あんな技は誰にでも出来る」
とアピールしたのでは? >>79
デビュー遅かったからなあ
ハンセンと年齢変わらないんだよな
ステの影響で最後は萎んでたし https://i.imgur.com/cxcFfT0.jpg
このキャラクターの元ネタってランディ・サベージ選手が元ネタかな?日本で一流かどうかは知らないけど
聞けるスレがここ位しかなさそうだから聞いてみた。ちなみに出典元はプロレスネタの多いロマンシングサ・ガ。 >>82
トゲトゲ肩パットはロードウォリアーズ、釘バットはデスマッチ系と色々混ざってるな。ランディサベージっぽくない >>77
駒厚秀・・・なつかし〜 ヤングプロレス・・・なつかし〜 小中学生時代に戻った気がします。
随分詳しいのですね。 オセジ抜きで生き字引です。
ダグ・ギルバート・・・彼も懐かしい選手です。 センスの良いレスラーでした。
マスカラスとのコンビで、猪木、吉村のアジア王座に挑戦した試合、今でもハッキリ覚えています。
流血させられ、猪木のコブラツイストで無念のギブアップするシーンは、なぜか「美しい場面」として記憶しています。
ザ・プロフェッショナルとしての来日でもやっていましたね、サマーソルト・・・。 いいレスラーでした。 自分にオセジ抜きで生き字引ですwww
誰にも相手にされないからって恥ずかしすぎるw
今までの古臭いレスラー連投も全部自演かご苦労さんw 「ヤングファイト」覚えてますか?
今、思うと、贅沢な環境でしたね。
プロレス中継が週4本あったのですから。 >>88
1969年秋の時点で
女子プロレスと、1950年代のアメリカ
の試合を流した「プロレスアワー」を含めれば
週6本でしたね。
あと国際プロレスやキックボクシングの
若手の試合を放送した「ヤングファイト」という
深夜番組もありました。 女子プロレスは見ていませんでした。
今となっては理由はわかりませんが・・・。
「プロレスアワー」は、サンマルチノの割と新しいフィルムを放送していた番組と同じだったのでしょうか?
「ヤングファイト」は深夜でしたかね? 何と無く尻切れトンボで終わってしまったように記憶しています。
「ヤングプロレス」ではバトルロイヤルが楽しみでした。 ミスター珍が優勝したこともありましたね。 自称生き字引爺さんの自演を続けるなら最低限sageでやってくれ
独り言での昔語りは本当に薄気味悪いので 生き字引爺さんは自演も下げてないから丸わかりなんだねw
何でプ板の爺ってガイジばかりなんだ >>90
>サンマルチノの割と新しいフィルムを放送
それは1970年の夏からの放送ですね。
第一回の放送は、サンマルチノ対クラッシャーブルベドウの
WWWF世界戦でしたが、むしろセミにザ・モンゴルズが
登場し、ビクターリベラ&トニーマリノ組からWWWF世界タッグ
(正式にはインタータッグ)を奪った試合が印象に残っていました。
それ以降、むしろこの番組の主役はモンゴルズでしたよ。
さて、東京12チャンネルの「プロレスアワー」、そのほぼ同時期の
ニューヨークMSGの中継の前は(68年〜70年)、1950年代、
シカゴ、インターナショナルアンフィーシアターの
試合を16ミリで撮った試合を放送していました。
NWA世界王者ルーテーズ、バーンガニア、バディ・ロジャーズ、
アントニオ・ロッカの黄金の’50年代アメリカンプロレスでしたよ! >>93
サンマルチノVSベドウが1970年でしたか そのあとプロフェッサー田中ともやりましたよね。
モンゴルズ・・・私が最初に見たモンゴルズは、モンスーン、ミラーとの一戦でした。
モンスーン、ミラーが歯が立たないモンゴルズ・・・凄いチームだと思いましたね。
テーズVSロジャース、ロッカVSシュミット、ガニアVSジョナサン・・・胸がときめくカードです。 自演がバレた理由がわからないからしら切ってるのかもな IDは知っててもワッチョイは知らないんだろうな、このマヌケジジイは >>95
はて?私はモンスーン、ミラー組というのが
記憶にありません。
ミラーとはビル・ミラーですか?
ともあれ、モンゴルズのタッグ王座を奪われ
WWWF正規軍は、奪回に懸命になっていましたね。
前王者、ビクターリベラを中心にモンスーン、ストロンボー
マリオ・ミラノろ次次にチームを替え、最後にサンマルチノが
ストロンボーと組んで挑戦したのを覚えています。
まぁ、サンマルチノとモンスーンが組めば最強なんですがね。
それでも、タッグ王座を奪還できず、
逆にモンゴルズ2号がサンマルチノに挑戦し、
リングアウトで勝つんですね。
結局、王座は移動しませんでしたが、
テレビのテロップには「モンゴルズ2号、WWWF王者に」
と出ました。
モンゴルズ2号、その後のニコリ・ボルコフですよ。
この男も1.5流といったところでしょう。 >>99
ミラーとはビル・ミラーです。
一本目はミラーとモンスーンが速攻で取りましたが、2本目はジートの凄まじいストンピングがモンスーンに炸裂し取り、
3本目は、ベーポがミラーをベアハッグで締め上げ、前屈みになり、マットと平行になったミラーののど元に
ジートがロープ最上段からニードロップをかまし勝利しました。
サンマルチノ、ストロンボーの挑戦試合、よく覚えてますよ。
3本目、サンマルチノのカナディアン・バックブリーカーが炸裂しましたが、「ノータッチ」との裁定で無効試合になったと記憶しています。
ニコリ・ボルコフ・・・腕力は桁外れでしたが、試合の組み立てが、やや単調かな? と感じました。
たしかに1・5流というに相応しいですね。 ジョン・コックス
同時に来日したアルバート・ウォールのインパクトが凄かったので損をしていますが、
実力的には遜色ないレスラーでした。
石頭の木村をヘッドバットで圧倒していた雄姿は、今でも鮮明に覚えています。
どういう理由か、来日は一度だけでしたが、もう少し大切に使ってほしかった名選手でした。 TNA・ROH››プロレスの発達していない国になったよね >>105
ラサルテーズが死んだのですか?
90歳 そんなに高齢だったのですか?
過去形のレスラーでしたが、残念です。
ご冥福をお祈りいたします。 ガイ・ミッチェル
この人を「1・5〜2流」というのは失礼かもしれませんが、日本ではコレといった大きな仕事をやっている実績はありません。
それにしても、彼の変名歴は凄いものです。 これ、彼ほどのレスラーがやることではありません。
しかも、チープな覆面を被っての「変身」は失笑モノです。 しかも、毎回マスクオフされています。
でも、素顔でも覆面でも、真面目で真摯なファイトは好感が持てました。
ストロング小林を、エルボードロップ一発で仕留めた一戦など、見事な試合でした。 >>109
>ガイ・ミッチェル
1972年、日プロの新春シリ―ズにモンゴリアンではない、
ただのザ・ストンパーとして来日しましたね。
このシリーズは猪木が追放され、外人選手も他にはマリオ・ミラノ、
デール・ルイス、ジン・アンダーソンといった、それこそ1・5流から
2流の中堅ばかりでした。一応、彼がエース格だったのかな?
本当ならマスカラスの
弟、エル・シコデリコ(当時はサイコデリコと表記)が活躍するはず
だったのに、期待外れでした。
特参としてブラジルも参加したけれど、馬場との対戦はもうマンネリだし。
WWWF王者のペドロ・モラレスも特参を発表(正式発表はなかったかな?)
されて猪木との対戦(UN戦?)を期待されたが、これもキャンセル。
ガイ・ミッチェルは、73年新春にマスクマン、レッド・デビルとして来日。
その後も、来日のたびに違うマスク、リングネームを使ったので
馴染みが薄かったですよ。 >>110
ルイス・ヘルナンデスが亡くなったシリーズだっけ? >>111
そうです。 そのシリーズです。
>>110
たしか、モラレスの相手は坂口を予定していたと思います。
UN王座決定戦だったと記憶しています。
とにかく、ストンパーというネーミングで覚えていましたので、ガイ・ミッチェルというのは、
かなり後になって知りましたね。 >>113
また自分にレスしてるw
早く氏ねってw誰もそんな古臭いレスラー興味無いしw >>111
ルイス・ヘルナンデスは、その時、
メディコ2号として来日しました。
その3年前に、3号と共に第11回ワールドリーグに
参加しましたが、(その時は、どっちが2号か3号か
分かりませんでしたが(苦笑))
ずいぶん、その時に比べ太ったと感じましたよ。
ただでさえ猪木、小鉄、木戸らが離脱したのに
悪いニュースは続くモノです。 >>113
当初、猪木がまだ日プロに在籍していた頃、
つまり、11月下旬発売の「ゴング」だったと思いますが、
「WWWF王者のモラレスが来年新春シリーズに来襲!」
というニュースが踊ったと記憶しています。
同時にブラジルも特参。これは馬場と対戦するでしょうが、
モラレスの相手は猪木だろう?そしてWWWFは賭けなくても、
UN戦になるのでは?という予想がありました。そうなると猪木は
NWA王者のドリー(12月9日の大阪でダブルタイトルマッチ)、
そして翌1月にはWWWF王者と連続対戦することになります。
しかし、12月の初旬で、状況が一転、猪木は追放になりましたね。
で、12月15日発売の「別冊ゴング」で
「モラレス対坂口で、UN王座決定戦か?」という記事が
踊ったと思いますが、これは実現しませんでしたね。 >>116
ねえねえ何のために自演してるの?w
自分に生き字引とか恥ずかしいねえw ワッチョイWW ea09-H6+A
こいつのがヤバイだろw >>115
たしかに、ワールドリーグのときは、脇役でしたが精悍なイメージがありました。
でも、その来日時はハラが出ており、息があがるのが早かったとか・・・。 >>116
なるほど。 猪木追放の前にモラレスの来日がウワサされていたのですか?
当時の一流レスラーは「特別参加」が多かったですからね。
ただ、ブラジルはいささかマンネリ気味でしたね。
「馬場に勝てる」という感じは無くなっていたと記憶しています。 ジョン・トロス
この人は、現在の目でみればB級レスラーと評価されているようです。
フィニッシュはいつもシュミット流バックブリーカーから、ロープ中段からのニードロップのワンパターンも低評価の原因のようです。
ですが、「勝ちパターン」は必須だと思いますし、収束に向けて状況を狭くしていくのは大切なことだと思います。
活動エリアによってベビーフェイスとアウトローを使い分けていたようで、意外に人気は高かったようです。
猪木との試合は、強く印象に残るものでした。 >>122
よく知らんけどFMWにレトロ枠で来てキラーコワルスキーとエキシビジョンやってたな >>120
猪木追放後に
坂口対モラレスのUN王座決定戦を行い、坂口に戴冠させるとしたら、
WWWF王者のモラレスに勝たなければならないので、これはキツイ!
王者猪木対モラレスのUN戦だったら、引き分けでも良いんですがね。
(実際に実現しても引き分けだったでしょう)
それで、結局、UN王座は、カナダのバンクーバーで決定トーナメントが
行われ、キング・クローという無名の選手が新王者になり、
ロスで坂口が挑戦、奪回しました。
この決定トーナメントも実際は行われていなかったそうです。
思えば、キング・クローも、猪木が奪取した相手のジョン・トロス、
その前の王者、レイ・メンドーサはメキシコでは有名ですが、
アメリカ、日本では軽量でパッとしなかった。さらに遡って、
デール・ルイス、パンテラ・ネグラと、アメリカでUN王座を
就いた選手は1.5流から2流くらいですね。
おっと、私がこのレスを書いている間に
>>122でトロスが出ていますね(苦笑)。 >>122
ただ、トロスは、1974年1月、新日参加時、
猪木と対戦し、反則勝ち含みですが2−0の
ストレート勝ちしているんですよ。
猪木が日本のリングで3本勝負を行い、
ストレート負けしたのはこれだけだと思います。
またこの試合、猪木は、ウラカン・ラナを
公開したんですよ!
これも驚きました。 >>123
トロス対コワルスキー
1992年9月横浜スタジアムですね。
生観戦しましたよ。
10分のエキシビジョンだったけれど、
場外乱闘のまま終わったのを覚えている。 トロス VS コワルスキー ・・・
見たかったですね。 たとえ10分一本勝負だったとしても・・・。
見た人、うらやましいです。 >>126
記憶違いならすみません。
猪木はネルソン・ロイヤルにもストレート負けしていたような気がします。
間違っていたらごめんなさい。 >>132
>猪木はネルソン・ロイヤルにもストレート負け
ご指摘どうも!
後で調べて回答します。
私も「これだけだと思います。」で止めておいて
断定はできませんでした。
考えてみると、猪木は、1963年にG・馬場と
3本勝負を行い、ストレート負けしています。
その他にも海外遠征前先輩レスラーや外人に
0−2で負けたこともあろうかと思いますが、
まぁ東京プロレス旗揚げ後ということで。 >>133
猪木は怒り狂っての「反則負け」があるのが問題です。
トロスもロイヤルも、2本目は「反則負け」です。
この反則負けというシチュエーションには「レフリー」という脇役が必須です。
そこで思い浮かぶのはユセフ・トルコです。
猪木や吉村に、どれだけ殴られたことでしょうか?
その殴られっぷり・・・高橋の投げられ、ジョー樋口の失神、阿部のフエと並ぶ名人芸でした。 >>124
自演の意味がわかっていない
バレていないと思っている
煽っている
マイナーレスラーの名前を出して1人で満足している(承認欲求あり。よって自演で自分を褒める)
単なるキチガイ
好きなのを選べw ジプシー・ジョー
この人を、1・5流、というと、かつての国際プロレスファンから抗議が起こりそうですが、
ユーチューブで、鶴田、マスカラス VS ハンセン、ジョーの試合を観ていると、
ほかの3人と比べると、やはりジョーは格下であることは間違いありません。
意外なくらい、「試合が小さい」ことに気付きます。
木村とは手が合うのか、好試合が多かったですけどね。
ノーTVでしたが、木村との、延々続くビンタ合戦の末、両者反則による「無効試合」になった一戦など、
ちょっとした名勝負だったと思います。 >>136
木村じゃなく井上だろ?
77年ワールドシリーズじゃない? >>132
手元の資料で調べたら、
まずネルソン・ロイヤルが猪木在籍の
日本の団体に参戦したのは
1969年春のダイナミックシリーズ
1970年春の第12回ワールド大リーグ戦
1971年、秋の第2回NWAタッグ・リーグ戦
その内、猪木とシングル3本勝負で戦ったのは
69年2月21日後楽園45分3本
N.ロイヤル(2−1)猪木
両者、一本ずつフォールを取った後、猪木が反則負け
70年5月25日、前橋スポーツセンター
猪木(2−0)N.ロイヤル
前年の雪辱を晴らしたともいうべく
体固め、コブラでストレート勝ち
この2試合だけのようですね。
ネルソンは、猪木がいなくなった72年第3回NWAタッグ・リーグ戦
にも参加(4年連続来日)。後には国際でNWAジュニア王者としての
来日を挟んで、全日の常連になりました。
中堅選手として良い仕事をしていましたね。 >>137
井上ではなく、1977年8月7日の後楽園ホールでの試合です。
木村VSジョーの試合は多過ぎて混乱しますね。
今、記録を調べて気がついたのですが、この日はシリーズの最終戦だったのですが、
記録上は、キラー・トーア・カマタも参加しているはずなのですが、試合の記憶がありません。
もしかすると、途中帰国したのでしょうか? >>138
失礼致しました。
私の記憶違いです。
申し訳ありません。 >>140
いや、いいんですよ。(^^:
そういうご指摘は歓迎します。 >>138
ロイヤルといえば第2回NWAタッグリーグで、ポール・ジョーンズとのコンビで、
大木、ヒライと、セメントまがいの試合をしたのが印象深いですね。
第1戦、第2戦とも、かなり緊迫した名勝負でした。
特に、第2戦で、大木の頭突きの連打を仁王立ちで耐え、流血後もダウンせず、
最後は精根尽き果てて3カウントとられたシーンは、負け試合にもかかわらず美しく潔いと感じました。
いいレスラーでした。
ワールドリーグでは ヒライ、高千穂に、それぞれテキサス・ブロンコ・バックブリーカーで勝利したのも見事でした。 >>143
良スレになるかと思ったけど自演爺さんのせいでひどいもんだよな
マジで氏なねえかな ラウル・マタ
マタが死んだそうです。
雑誌では高く評価されていましたが、ワールドリーグ(新日)では、思うような成績は上げられませんでした。
観戦したときは、ケン・マンテルとの対戦でしたが、フライング・ボディ・プレスで敗戦でした。
試合後、会場内をウロウロ歩いて、握手やサインに気軽に応じていました。
「強さ」より「愛想のよさ」が印象に残りました。 90年代前後だと
ビッグ・ボスマン
ハクソー・ジム・ドゥガン
テスト
とかが思い浮かぶ
アルティメット・ウォリアーは
知名度的には超一流だが
レスラーとしてはこの枠なんじゃねえかなあ >>147
ボスマンはわかる
ドゥガンは向こうではメイン級で日本では3流で微妙よなw
テストはわかる
アルティメットさんはけっこう評価が難しいわw
テスト入れるならアルバート、ハードコアホーリー、ヒューモラス、ランスストームもいけそう アルティメットは1流でいいんじゃね?
レスリング出来る選手ではないけど、アメリカのあの時代にアジャストしたのは間違いないでしょ。 >>147
アルティメット・ウォリアーは
90年東京ドームでの初上陸は似合っていた。
新WWF王者という触れ込みもあるし、
相手も試合巧者のテッド・デビアスだし、
観客もアメリカ人が多く乗っていた。
だが、普通に全日、新日のリングに上がっても
浮くだけだろうね。 アルティメットさんはWCWでは全く存在感が無かったなあ
WCWと言えばクロニックの2人は大物感だけはあるけど塩だったな アレンは0.9〜1.2流だろ。
テレビでも地方の田舎でも花束が泣かされていた。
或る程度事前に演出のことは知らされてるのに
実際に両手で髪の毛鷲掴みにされて振り回されたら
俺でもビビッて泣くわ >>142
第2回NWAタッグリーグで特筆されることは、
あのジミー・スヌーカが初来日したことですね。
と言っても、当時、全く無名で、それもインディアンレスラーとして、
でした(苦笑)。パートナーのスニー・ワー・クラウドの方がまだゴングで
紹介されていましたよ。スヌーカも身体だけは立派だと思いましたがね。
あと、8年ぶりに来日した元WWA世界王者のボブ・エリス。
前年の第一回タッグリーグに初来日して良いファイトを見せた
フレンキー・レインとのカウボーイチームは、かなり活きが
良かったんですが、レインが不祥事を起こし、チームも解散。
エリスはその後、国際にも来ましたが、日本ではパッとしませんでしたね。 この辺かな
ジェイミー・ノーブル
ハリケーン
ブギーマン
スティーブ・ブラックマン
アル・スノー
マーティ・ジャネッティ
カリート
ビッグ・タイトン
ヘラクレス・ヘルナンデス
ナスティ・ボーイズ タイトンしょぼいとか新日ファンが言ってたが
そりゃプロレスは下手やったかもしれんが、グラジやタイトンが小橋の相手になるわけが無い。
アンドレ×藤波とまでは行かんがベイダー、ノートンが蝶野と遊んであげてたようなもん。
まあ、逆に言えば相手できる日本人が当時小橋くらいしかいなかった訳だが >>154
ジャネッティは違和感あるな
タイトンはまさにドンピシャでエース、パトリあたりと同じような感じだな
偽レーザーラモンは好きだったけど >>153
フランキー・レインの初来日は、バッド・ラテールという4流レスラーとのコンビで、
イマイチ成績が良くなかったようですね。
エリスは期待していたのですが、ブルドッキング・ヘッドロックには失望しました。
「あれじゃ大磯武のほうが凄いじゃないか!」と思いました。
ただ、受けての吉村道明が絶妙だったせいで、一応必殺技として成立していたと思います。
スヌーカは、クラウドに比べると「小さくまとめる」クセがあるように思いました。
もっとも、その後は大成の度が違いましたけどね。 よく芸スポのプロレススレとかで
ネタとして、大成しなかったレスラー
(キャラチェンジなどで大出世したレスラー)
みたいなコピペがあるけど
ある一瞬だけ抜き取ればこのスレに相応しい奴多いよな
ナッシュのグレートOZとか
スタニング時代のオースチンとか
逆にスタイナーブラザーズみたいに
90年代は超一流だけどその後は……
みたいなパターンもあるし >>158
グレートOZに至っては3流だわなw
スタニングのときは禿げかけてたのも2流感が出てていいなw
スタイナーズはスコットが動けなくなってたからイメチェンは仕方ないし上手くキャラチェンできて良かったと思うわ
タズも原人スタイルからシュートキャラになって大成したな >>154
ヘルナンデスは1.5〜1流じゃね?
ジェラシック・パワーズはヘルナンデスがリードして上手く回った印象。 ステイトポリスだな
2人合わせて1.5流
ただ入場テーマ曲だけは1流 >>161
ハーキュリーズのときは中堅だったっけ?
>>162
片割れはコーチとしては1流
テリーゴディ(1流)→エクスキューショナー(3流)の流れは切ない ヘルナンデスは解説でマサさんが「彼はニューヨークのWWFでトップ中のトップだったんですよ」 >>164
ポールローマとパワーアンドグローリーだよな?
トップか?w >>157
第一回NWAタッグリーグの目玉は、ともにまだ見る強豪の
アーニーラッドとロッキージョンソンの「黒いBI砲」でしたね。
ラッドは、日本ではパッとしませんでしたが、アメリカでは
ギリギリ一流でしょうかね。ジョンソンは1.5流でしょう。
このシリーズ、ニック・ボックウインクルが、6年ぶりに来日。
後年のダーティーチャピオンではなく、むしろ脂が乗った
ケレンミないファイトをしていました。
パートナーのジョニークイーンは写真で見たことがあると思ったら、
ケンタッキーブッチャーの名前でサンマルチノにも挑戦した選手でした。
あと、ラーズ・アンダーソンもちょっとは知られた選手でしたね。
でも、ちょっと期待外れでした。
そのパートナーのボブ・ループ、ポッチャリした体型でしたが、
メキシコ五輪に出たとあってレスリングはしっかりしていました。
後年、身体を引き締め新日で猪木を苦しめるまで成長するとは!
でも、プロとしてはどうかな?と感じました。
期待外れ、期待以上、その後、ブレイクした人、しなかった人、
玉石混合といった感じのシリーズでした。 ラッドとジョンソンには期待しました。 雑誌も盛り上げ方が凄かったですからね。
初戦で馬場、ヒライ組を問題なく倒したのを見たときは、ウワサ通りの強さに驚愕したものです。
ところが、大木、山本にリングアウト負けしたのを見たとき、「あらら?」という感じで、
以後、失点を重ね、ニック、クイン組に逆転されたのは、当時の私にとって、予想外の結果でした。
もっとも、冷静に考えれば、ニック、クインの方が強かったのかも知れませんね。
それぞれが猪木と対戦した試合は、かなり本格的だったと思います。 >>168
>ニック、クインの方が強かった
ニックは、NWA王者候補だったし、
猪木との60分3本勝負では、1本目11秒でフォールを
奪いましたね。2本目は22秒、コブラでギブアップしましたが(苦笑)。
クインも、来日前にケンタッキーブッチャーの名前でサンマルチノのWWWF
に挑戦と、ラッドにはともかくロッキージョンソンには負けてはいないでしょう。
しかし、なんで日本でも知られたケンタッキーブッチャーの名前で
来日しなかったんだろう?
その前のシリーズに来日したアブドラ・ザ・ブッチャーと
紛らわしいというわけでもないでしょうね。
ザ・ブッチャーと言えば、アブドラ以前は、
ドン・ジャーディンのことでしたね。
この男も大型で後にマスクを被り「ザ・スポイラー」とか
「スーパー・デストロイヤー」名義で全日にも来襲しましたが、
1.5流から2流くらいでしたね。 >>169
ドン・ジャーディンは好きな選手でしたね。
ザ・ブッチャーとしての来日のときは、ヒライ、山本をハングマンズ・ホールドで連破したのが記憶に残っています。
その後の来日ではニードロップを主戦武器にしていましたが、イマイチ、インパクトが弱かったと思います。
何と無く、名勝負を残してくれなかったレスラーです。
ケンタッキー・ブッチャー・・・名前だけは覚えています。
雑誌で知ったのでしょうが、サンマルチノと戦ったのですか? 勝負はどうなったのでしょうか?
興味ありますね、サンマルチノ VS クイン >>171
レスラーの晩年といえば、サンダー杉山は糖尿のせいで、両足切断で、最晩年には右手首も切断したとか・・・
「殺人酋長」ことブル・ラモスも糖尿で両足切断、さらに失明していたようです。
いくら悪党のラモスでも、あまりにも可哀想で思わず落涙してしまいました。 >>169
サンマルチノ VS クインはWWWF戦ですから、
サンマルチノの勝ちです。
確か、70年の春頃で、その頃、サンマルチノは腰を痛め
限界説が流れていました。(実際に71年1月にコロフに負け王座を明け渡しますが)、
でもサンマルチノは「ケンタッキーブッチャーを一蹴して王座防衛」
とか報道されていました。
ケンタッキーブッチャーことジョニークイーンも「まだ見ぬ強豪のひとり」
でしたが、強烈な個性も得意技もなく、そう来日が期待されていたことも
ありませんでした。
70年の夏に国際プロレスが「招聘して欲しい選手」をアンケートで
募りましたが、トップ10にも入っていませんでしたよ。 >>174
クインといえば、加減なしで相手を殴る、という印象があります。
サンマルチノはパンチやチョップといった打撃による攻撃をニガ手にしていた印象があります。
ちょっと嫌な挑戦者だったのではないでしょうか?
真偽は定かではありませんが、関係者やスタッフが「今日は試合後、フーゾクに連れてってやるぞ」というと、
早く行きたいため、試合をそこそこに切り上げる、という悪癖があった、とのことです。
それはともかく、やや単調ながらも直線的なファイトは、いかにもプロレスラーらしい選手だったと思います。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています