1.5流から2流くらいの外人レスラースレ
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スパイビー、カンナム、エース、パトリ、キマラ、ジョニースミス、バーバリアン、ミング、マイクイーノス、ウォーロード、バズソイヤー、マニーフェルナンデス、ジョンノード、ジョーディートン、ファンタスティックス、ジョンクローナス、グラジ、タイトンなどなど レイ・ハンター ディック・ダン サムソン・クツワダ ジョー・ルダック
ビッグ・コマンチ ジルベール・ポワニー(ローム・マスク) トニーチャールス >>18
見たのが全員、小学生時代なので、「強そうに思えた」だけかも知れません。
特に、ハンター、コマンチ、ポワニー、チャールスの国際軍団は、思い出すだけでも口の中が甘酸っぱくなります。 >>15
1968年の第10回ワールドリーグから
見ているんですか!?
御見それしました。(^^:
その時には、もう衰えていましたか!
私は70年の12回大会の時、初めて見ましたが
過去に、アメリカで「手錠事件」とか
日本でインタータッグを取った一流選手という
イメージがあったんですが、もうこの時は
ロートルでしたね。 クラッシャーブラックウェル、ニコリボルコフは米国では完全に1流で
AWAやWWFの世界タッグ王者の常連だし、ボルコフはWWE殿堂入りしてるが
日本ではせいぜいハンセンやブロディのタッグパートナー扱いで負け役なんだよな >>20
フレッド・ブラッシーとのタッグで、馬場、猪木とのインター・タックの試合が初めてでした。
ブラッシー共々、卑怯極まる試合ぶりで、敗戦ではありましたが、インパクト大でした。
第12回は、マルコフとのコンビで、馬場、猪木と一敗一引き分けでしたが、
マルコフとのコンビで、山本、高千穂を、ほぼワンサイドで2−0で撃破した試合は圧巻でした。
本番のワールド・リーグは、馬場、猪木、坂口、吉村に破れミツ・ヒライと引き分け、大熊、山本、高千穂に勝っただけで、
3勝4敗1引き分け、という残念な結果に終わってしまいました。
でも、良い選手だと思います。 「見ている者を興奮させる」ということでは最高ランクのレスラーだと考えます。 ワンマンギャング、レイキャンディ、ジアバランチャらデブ系 ドスカラス シーン・リーガン ドン・ジャーデン ビクター・リベラ
アート・マハリック ラーズ・アンダーソン ブルート・バーナード イワン・ブレストン >>24
デブでトップは少ないよな
ベイダーぐらいか >>26
マンマウンテン・カノン マンマウンテン・マイク
ハッピー・ハンフリー(一試合しか観ていませんが・・・) マットボーンやイタリアンスタリオンなどの日本で勝ってるの殆ど無さそうなレスラー ジミー・レイブ
サンジェイ・ダッド
ロビー・ブルックサイド
エリックス・スキッパー ティンカー・トッド チーフ・ブラック・イーグル イワン・ストロゴフ
ティンカー・トッドは、一見、可もなし不可もなし、という印象がありますが、
大木にフォール勝ちしているのは大殊勲です。
当時の大木は、滅多に負けませんでしたから。
あのクラッシャー・リソワスキーにも・・・。 >>35
>ティンカー・トッドは、大木にフォール勝ち
1969年のサマーシリーズですね。
シングルで勝ったんですか?
大木、その時、アジアヘビー級王者でしょ?! >>36
シングル戦での勝利です。
当時、大木はキーロックから回転し相手をコントロールして締め上げていたのを記憶されていますか?
あの回転の瞬間を、体を固定し「エビ固め」で3カウントを取りました。
ア然としレフリーに抗議する大木でしたが、完全なる3カウントで裁定覆らず、トッドの完勝でした。 >>37
キーロック潰しですね!?
昭和53年、全日のチャンピオンカーニバルで
D.L.ジョナサンが鶴田を、その手で破りました。
まぁ、ジョナサンがウエイトがあったから
押さえ込めたんでしょうが。
しかし、タイトル戦線にも出てこなかった
トッドが大木を破るとは!
地味でも、テクニックはしっかりして
いたんでしょうね。 >>38
昔、ルー・テーズが力道山をフォールしたこともあるようです。
このシリーズで、アート・マハリックとのコンビで、猪木、大木組と戦ったトッドは、
マハリックが組み合わないまま猪木や大木を自コーナーに引き寄せ、マハリックの両足の間から
猪木、大木の足を引っ張ろうとするセコい戦術を披露していたのは、日本プロレス史上に残る失笑シーンでした。
試合の結果は言うまでもなく日本組の勝利でした。 ジョニー・キンケイド マイケル・ネイダー ドン・カーソン
ドン・カーソンの日プロ初見参は、コックスやアサシンズA,Bやグリフィンなど、名選手との来日でした。
山本とのシングル・マッチで、なんと「差し歯」を凶器にする、という奇襲を演じ、何の脈路もなく
ネックブリーカー一発で勝負を着け、あまり「強い」という印象は得られませんでした。
コックスとのコンビで馬場、猪木のインター王座に挑みましたが、コックスの奮戦も空しく、カーソンの「ダメっぷり」のため完敗に終わりました。
恐らくコックスは内心「せめてアサシンズBと組ませてくれよ」と思ったと思われます。
この来日以後、「ゴング」や「プロボク」で、カーソンの名前を見ることは激減した、と記憶しています。 >>40
ドン・カーソンは来日前G小鹿と組んで、
ロスのタッグ王座に就いていたんですね。
しかし、小鹿を裏切ったとかでゴングにヒールとして
プッシュされていました。
この頃、のゴングは ロスでちょっと売り出したくらいの選手を
誌面を割いて紹介していました。でも期待外れが多く、
(よく語り草になるカール・ハイジンガーやレス・ロバーツ)、
カーソンもインタータッグに挑戦するほどの実力はありませんでした。
この‘70年のゴールデンシリーズは、途中、エース格のコックスが
風邪とかで休場、アサシンズとこのカーソン、
あとは無名の3外人だけで地方をサーキットしましたが、
客入りは悪かったでしょうね。 >>41
コックスは休場していたのですか? それは知りませんでした。
TVには毎回出ていたので、フル出場かと思っていました。
アサシンズA、Bを従えて、馬場、猪木、渋谷組と引き分けたり、馬場とのインター戦、
そして渋谷とのシングル戦では一方的に攻め捲り、エルボー・ドロップ一発で粉砕するなど、絶好調だったと勘違いしておりました。
カーソンはブラッシーと抗争しており、「決着を着けられて」の来日なので期待は出来ませんでしたが・・・。
当時のブラッシーはすでにロートルでしたからね。 >>41
カール・ハイジンガー・・・懐かしいですね。
彼の初来日は、アトミックやピューリン、モンティ、ミステリー・オレゴン、ファーゴ、そしてアブドゥーラ・ザ・ブッチャーも初来日でした。
このメンツでは客は呼べないように思うので、ハイジンガーとファーゴをプッシュしたのですが、いずれも大コケでした。
その分、ブッチャーが大活躍し、その後の日本のプロレス界を賑わせたのはご存知のとおりです。
余談ですが、ロートルのアトミックも頑張り、馬場と引き分け、猪木に反則勝ち、坂口、大木にはネックブリーカーで勝利しています。
懐かしいシリーズですね。 あれかなぁ…と
思い浮かべて開いたら
一番最初にスバイビーw デール・ルイス ニック・コザック リッキー・ハンター
ルイスはブラジルとのコンビで、馬場、猪木に挑戦しましたが、ブラジルのスタンド・プレーに翻弄され本領を発揮できませんでした。
コザックは名レスラーでしたが、破壊力がなく、中の上の選手でした。
ハンターは、気が優しいのか、日本ではルスカの執拗なイジメに合い、苦しんでいたとか・・・。
ルスカは異種格闘技戦だけの出場でしたが、以前から確執があったのでしょうか? マーカス・バグウェル
あと故人で申し訳ないけどバイソン・スミスはいい意味でうまく使った2流レスラーだと思う。 スパイビーは1流になりかけたのにダメだったな
エースは3流で終わると思ったら2流くらいまで頑張って今や副社長だもんな スカンドル・アクバ
アクバについての記憶がある人は多くないと思います。
ブラジル、ジェームス、ルイスらとの来日、国際にアウトローズらとの来日が記録されている程度です。
しかし、かなり昔の雑誌に、ダニー・ホッジのインタヴューに「期待している若手は誰か?」という質問があり、
ホッジは「一番期待しているのはジャック・ブリスコだ。だが、強い、ということだけならスケンドー・アクボーだ」と答えています。
スケンドー・アクボー・・・これアクバのことです。 見かけに寄らず「本当は強かったのかな?」とも思いますが、
プロレスは奥が深いです。 キングコングバンディはどんな立ち位置?
個人的にはスレタイに当てはまると思うけど >>42
コックスが休場したのは、数日だと思います。
その間、メインの60分3本勝負で、
BI砲対アサシンズというのが、2大会あります。 >>49
スカンドル・アクバ覚えていますよ。
確か、‘70年の新春シリーズ開幕戦で
小鉄をシュミット式背骨折りでフォール勝ちしたと思います。
同時期に来日し、Bブラジルとタッグを組みインタータッグに挑戦、
2フォール取られて、全く良いところがなかったHジェームスと
比較され、掘り出し物と評価されましたが、
タイトル挑戦まではいきませんでしたね。 >>42
このシリーズでのアサシンズA、Bは、山本、星野組と20分一本勝負で、凶器頭突きで大流血に追い込み、
戦意喪失しているヤマハ・ブラザーズを、時間いっぱいいたぶり続けた試合が印象に残っています。
>>43
アクバのタイトル挑戦は残念ながら難しかったと思います。
インタータッグは、やはりルイスが選ばれるのが順当でしょうし、アジアタッグはアンダーソン兄弟、
シングルはジン・アンダーソン、という布陣は、やむを得ないと思います。 (大流血で大木を追い詰めた名勝負)
スカンドル・アクバ・・・もう少し、長い目で見たかった選手ですね。 >>30
スティングもか。
入場シーンはかっこいいけど。アメすぎる〜 メッサーシュミット
スパイロス・アリオンの代役で国際プロレスに参加した平均的レスラーです。
そんな「当たり前」の選手の熱戦譜を見てみると、当時、IWAのチャンピオンだったサンダー杉山にフォール勝ちしています。
「昭和プロレス」誌にも疑問を呈されているほど意外な記録です。
これは「ウソ」でも「誤植」でもなく、紛れもない事実です。
コーナーにはドクター・デスとブルー・ディモンが張り付いたままゴングが鳴り、普通の試合が始まりましたが、
3本目の途中にメッサーシュミットが杉山に痛烈な急所打ちをカマし、注意をするレフリーの背後でデスが杉山に急所打ち、デスを追うレフリー、
そこでディモンが急所打ち、そしてメッサーシュミットが一発、さらにデスが一発・・・三人掛かりの急所打ちの集中砲火を浴びた杉山は、
口も目も半開きの無様な姿でスリーカウントを聞く、という、屈辱的な敗北を喫したのです。
それだけが印象に残るメッサーシュミット君です。 サージェント・スローターなんか見事に1.5から2流ぐらいだと思うんだけど、WWF時代の全盛期とかを見るに、やっぱり一流のランクに位置されるレスラーなんだろうなあ
サージェント・スローターのくせに >>56
メッサーシュミット は、スパイロス・アリオンの
代役としては、あまりにも力不足でしたね。
というより、スパイロス・アリオンもどうなのかな?
オーストラリアでは王者、(当地が認定する「世界王者」)
ニューヨークでもタッグ王者に就いたとのことですが、
あのまま‘70年の秋に国際に来日しても杉山とは
合わなかったように思います。
彼もまた「ゴング」が異常プッシュしたが、
期待外れに終わった選手の一人ですね。 >>57
WWFでテッドデビアスと決め技が被ってたな。技名が違うけど形は同じ >>58
アリオンは後に日プロに参加したとき、マスカラス人気に押され、イマイチいいところがありませんでした。
シュミット流バックブリーカーとアトミックドロップは凄かったとは思いますが、
馬場とのインター戦、猪木との3本勝負で連敗したのは、やはり「期待はずれ」と断罪しなくてはなりません。
雑誌で紹介されたときは「カッコいい」と思ったのですが・・・ね。 ネームバリューやタイトル歴から言えば
1.5流から2流くらいだが「強い!」と思ったのは
1971年ワールドリーグに参加したゴードン・ネルソン。
猪木との公式戦で、完全に押していた。
まぁ最後は負けたのだが
前年NWA王者ドリーと引き分け、その年の夏に
次期NWA王者候補のJブリスコを破る猪木より
強い印象を持った。
彼は、名うてのシューターだったらしい。 >>57
サージェント・スローターの評価付けは難しいですよね。
ボブ・レムスだのボビー・スローターだの、覆面を被ったり、キャラの固定に苦労したため、
どれも中途半端になってしまった感じですね。
あえてピークを限定するなら、やはり軍人キャラでしょうか?
スタン・ハンセンとのAWA王座戦など、終始攻勢でした。(リングアウト勝ち)
その時期だけなら一流選手、と認めてあげたいですね。 >>63
スローター語るのにフセインの友人時代完全スルーはさすがに笑うわw ジェフ・ポーツ
イアン・キャンベルとのコンビで田中忠治と小林省三(ストロング小林)を2−0で粉砕したのは圧巻でした。
新日でも、山本を逆さ押さえ込みで破っています。 立ち技のイメージがありますが、寝技にも独特のうまみがありました。
エアプレン・スピンはスピード感溢れる必殺技でした。
シリーズのエースは難しいかも知れませんが、脇を固めるには充分な名レスラーだったと思います。 ザ・コンビクト
「期待はずれ」とのレッテルがシッカリと貼られているようですが、本当にそうでしょうか?
「馬場、猪木、坂口に短時間で敗れている」 とのことですが、この3人、このころ無茶苦茶強かったですよ。
まだキャリアの乏しいグリーンボーイが叶う相手ではありません。
エキシビションマッチでの高千穂へのリンチ、本戦では大熊を一分少々で片付けた試合、山本など問題外、
ライターの中には「夢にまで出てきた」と書く人がいるほどインパクトは絶大でした。
猪木との一戦も、「マトモにやれば猪木の負けだな」というのは明白でした。
本戦ではありませんが、吉村にもフォール勝ちしています。
そういう迫力もプロとして評価してやる必要があると思います。 >>69
ガチンコでもないのに強い弱いだの買った負けただの言われても困るわ >>69
>コンビクト
まぁ、彼も所詮、色物だったのに、
「ゴングが異常プッシュしたまだ見る強豪」
の犠牲者の一人でしょうね。ワールドリーグでは
優勝候補の一角に上がっていた記憶があります(苦笑)。
その時の実力からすれば、同じ年の正月に国際に参加した
モンスターロシモフと、どっこいだったと感じます。
まぁ、それからの差が大きく分かれましたがね。
追伸、貴兄とは1970年前後の懐かしい話を
させてもらっています。
他の人の「チャチャ」は気にせず、
この話題を続けましょう。 では、私からも、ひとつネタ振り、
70年、国際のサマーシリーズに参加した
ジャック・デ・ラサルテス、
当時はジャック・デ・ラサルテーズと表記され、
テーズからの連想か、「欧州の鉄人」とも評されましたね。
確かに、欧州では強豪選手で、来日第一戦では、「まだ見ぬ強豪」の
エドワード・カーペンターとエキシビジョンの15分一本を闘いました。
シリーズ中は、T杉山のIWAやジョニー・コワルスキーと
欧州コンビを組んでIWAタッグにも挑戦。
しかし、やはり話題はカーペンター、それどころか初登場の覆面、
ドクターデスにも奪われていましたね。
余談ながら、このシリーズはタイトルマッチ乱発でした。
杉山(IWA)がカーペンター、ラサルテーズ、ドクターデス
の挑戦を受け。
ストロング小林も保持するUSA王座を、ウオルフ、ロザリオ、
ドクターデスと防衛戦を行いました。
小林対カーペンターのシングルをテレビで見ましたが、
あれはタイトル戦ではなかったんだな。 >>75
ラサルテーズ 覚えてますよ。 紹介写真が物凄くカッコよかった。 あのゴージャスなガウンのヤツです。
パンチが鋭く、ニードロップもよかったですね。 J・コワルスキーとのコンビは、コワルスキーがやや非力だったと思います。
カーペンティアは、一部では「期待はずれ」との評価があるようですが、あのスタイルの選手は未知だったので、
新鮮に感じました。 ただ、サマーソルトキックはガッカリしました。
雑誌ではおかしな紹介のされかたをしていて、「ブルーザーが血ヘドをはいた」などと書いているので期待したのですが・・・。
デスは実力者ですね。 スタン・ザ・ムースとは別人か?と思わせるほど過激な悪党でしたね。 ジム・オズボーン
「可もなし 不可もなし」という印象のレスラーです。
ただ、当時、ロビンソンの専売特許的な技だったスープレックス(人間風車)の使い手でもありました。
もちろん威力はロビンソンには遠く及びませんが、あの技を使うだけで注目していました。
よく、喧嘩っ早い、と書かれていますが、ソース、ユセフ・トルコのネタを書きますと、
初来日の時、後楽園ホールの控え室で、ブル・ラモスに聞こえよがしに人種差別的な発言をし、
ただでも血の気が多いラモスが無言でオズボーンに近付くと、うなだれて沈黙するオズボーン・・・、
仲裁に入ったネルソン・ロイヤルがラモスを静め、オズボーンに向かい「今度言ったら私が許さない」と叱り付けた、ということです。
喧嘩は早いけど、自信は無かったのではないでしょうか? 古臭いレスラーをずっと書き込んでる爺が2人ほどいるけどウザイわ スパイビーはトップ外人から格が下がっていくのが感じられて悲しかったな >>77
ジム・オズボーン
そう!スープレックスを使っていましたね。
あれは、1970年2月のダイナミックシリーズですから、
猪木が公開する(同年11月のJバレンタイン戦)の前です。
しかし、昔のプロレス&ボクシングを見ると、69年の秋に
前座で駒厚秀がやっている写真を見ました。
また、同時期、高千穂がオースイスープレックスをローリング式ではなく
ブリッジ投げでやっているんですよね。これは当時、テレビ放映されました
(ヤングプロレスにて)
さらに71年のダイナミックシリーズ(2月〜3月)で、
ダグ・ギルバードはサマーソルトを公開しています
(まぁ単にコーナーポストからの宙返りですが)
これ、穿った考えですが、国際に来襲したエース選手の得意技を
わざと中堅外人や若手にやらせて「あんな技は誰にでも出来る」
とアピールしたのでは? >>79
デビュー遅かったからなあ
ハンセンと年齢変わらないんだよな
ステの影響で最後は萎んでたし https://i.imgur.com/cxcFfT0.jpg
このキャラクターの元ネタってランディ・サベージ選手が元ネタかな?日本で一流かどうかは知らないけど
聞けるスレがここ位しかなさそうだから聞いてみた。ちなみに出典元はプロレスネタの多いロマンシングサ・ガ。 >>82
トゲトゲ肩パットはロードウォリアーズ、釘バットはデスマッチ系と色々混ざってるな。ランディサベージっぽくない >>77
駒厚秀・・・なつかし〜 ヤングプロレス・・・なつかし〜 小中学生時代に戻った気がします。
随分詳しいのですね。 オセジ抜きで生き字引です。
ダグ・ギルバート・・・彼も懐かしい選手です。 センスの良いレスラーでした。
マスカラスとのコンビで、猪木、吉村のアジア王座に挑戦した試合、今でもハッキリ覚えています。
流血させられ、猪木のコブラツイストで無念のギブアップするシーンは、なぜか「美しい場面」として記憶しています。
ザ・プロフェッショナルとしての来日でもやっていましたね、サマーソルト・・・。 いいレスラーでした。 自分にオセジ抜きで生き字引ですwww
誰にも相手にされないからって恥ずかしすぎるw
今までの古臭いレスラー連投も全部自演かご苦労さんw 「ヤングファイト」覚えてますか?
今、思うと、贅沢な環境でしたね。
プロレス中継が週4本あったのですから。 >>88
1969年秋の時点で
女子プロレスと、1950年代のアメリカ
の試合を流した「プロレスアワー」を含めれば
週6本でしたね。
あと国際プロレスやキックボクシングの
若手の試合を放送した「ヤングファイト」という
深夜番組もありました。 女子プロレスは見ていませんでした。
今となっては理由はわかりませんが・・・。
「プロレスアワー」は、サンマルチノの割と新しいフィルムを放送していた番組と同じだったのでしょうか?
「ヤングファイト」は深夜でしたかね? 何と無く尻切れトンボで終わってしまったように記憶しています。
「ヤングプロレス」ではバトルロイヤルが楽しみでした。 ミスター珍が優勝したこともありましたね。 自称生き字引爺さんの自演を続けるなら最低限sageでやってくれ
独り言での昔語りは本当に薄気味悪いので 生き字引爺さんは自演も下げてないから丸わかりなんだねw
何でプ板の爺ってガイジばかりなんだ >>90
>サンマルチノの割と新しいフィルムを放送
それは1970年の夏からの放送ですね。
第一回の放送は、サンマルチノ対クラッシャーブルベドウの
WWWF世界戦でしたが、むしろセミにザ・モンゴルズが
登場し、ビクターリベラ&トニーマリノ組からWWWF世界タッグ
(正式にはインタータッグ)を奪った試合が印象に残っていました。
それ以降、むしろこの番組の主役はモンゴルズでしたよ。
さて、東京12チャンネルの「プロレスアワー」、そのほぼ同時期の
ニューヨークMSGの中継の前は(68年〜70年)、1950年代、
シカゴ、インターナショナルアンフィーシアターの
試合を16ミリで撮った試合を放送していました。
NWA世界王者ルーテーズ、バーンガニア、バディ・ロジャーズ、
アントニオ・ロッカの黄金の’50年代アメリカンプロレスでしたよ! >>93
サンマルチノVSベドウが1970年でしたか そのあとプロフェッサー田中ともやりましたよね。
モンゴルズ・・・私が最初に見たモンゴルズは、モンスーン、ミラーとの一戦でした。
モンスーン、ミラーが歯が立たないモンゴルズ・・・凄いチームだと思いましたね。
テーズVSロジャース、ロッカVSシュミット、ガニアVSジョナサン・・・胸がときめくカードです。 自演がバレた理由がわからないからしら切ってるのかもな IDは知っててもワッチョイは知らないんだろうな、このマヌケジジイは >>95
はて?私はモンスーン、ミラー組というのが
記憶にありません。
ミラーとはビル・ミラーですか?
ともあれ、モンゴルズのタッグ王座を奪われ
WWWF正規軍は、奪回に懸命になっていましたね。
前王者、ビクターリベラを中心にモンスーン、ストロンボー
マリオ・ミラノろ次次にチームを替え、最後にサンマルチノが
ストロンボーと組んで挑戦したのを覚えています。
まぁ、サンマルチノとモンスーンが組めば最強なんですがね。
それでも、タッグ王座を奪還できず、
逆にモンゴルズ2号がサンマルチノに挑戦し、
リングアウトで勝つんですね。
結局、王座は移動しませんでしたが、
テレビのテロップには「モンゴルズ2号、WWWF王者に」
と出ました。
モンゴルズ2号、その後のニコリ・ボルコフですよ。
この男も1.5流といったところでしょう。 >>99
ミラーとはビル・ミラーです。
一本目はミラーとモンスーンが速攻で取りましたが、2本目はジートの凄まじいストンピングがモンスーンに炸裂し取り、
3本目は、ベーポがミラーをベアハッグで締め上げ、前屈みになり、マットと平行になったミラーののど元に
ジートがロープ最上段からニードロップをかまし勝利しました。
サンマルチノ、ストロンボーの挑戦試合、よく覚えてますよ。
3本目、サンマルチノのカナディアン・バックブリーカーが炸裂しましたが、「ノータッチ」との裁定で無効試合になったと記憶しています。
ニコリ・ボルコフ・・・腕力は桁外れでしたが、試合の組み立てが、やや単調かな? と感じました。
たしかに1・5流というに相応しいですね。 ジョン・コックス
同時に来日したアルバート・ウォールのインパクトが凄かったので損をしていますが、
実力的には遜色ないレスラーでした。
石頭の木村をヘッドバットで圧倒していた雄姿は、今でも鮮明に覚えています。
どういう理由か、来日は一度だけでしたが、もう少し大切に使ってほしかった名選手でした。 TNA・ROH››プロレスの発達していない国になったよね >>105
ラサルテーズが死んだのですか?
90歳 そんなに高齢だったのですか?
過去形のレスラーでしたが、残念です。
ご冥福をお祈りいたします。 ガイ・ミッチェル
この人を「1・5〜2流」というのは失礼かもしれませんが、日本ではコレといった大きな仕事をやっている実績はありません。
それにしても、彼の変名歴は凄いものです。 これ、彼ほどのレスラーがやることではありません。
しかも、チープな覆面を被っての「変身」は失笑モノです。 しかも、毎回マスクオフされています。
でも、素顔でも覆面でも、真面目で真摯なファイトは好感が持てました。
ストロング小林を、エルボードロップ一発で仕留めた一戦など、見事な試合でした。 >>109
>ガイ・ミッチェル
1972年、日プロの新春シリ―ズにモンゴリアンではない、
ただのザ・ストンパーとして来日しましたね。
このシリーズは猪木が追放され、外人選手も他にはマリオ・ミラノ、
デール・ルイス、ジン・アンダーソンといった、それこそ1・5流から
2流の中堅ばかりでした。一応、彼がエース格だったのかな?
本当ならマスカラスの
弟、エル・シコデリコ(当時はサイコデリコと表記)が活躍するはず
だったのに、期待外れでした。
特参としてブラジルも参加したけれど、馬場との対戦はもうマンネリだし。
WWWF王者のペドロ・モラレスも特参を発表(正式発表はなかったかな?)
されて猪木との対戦(UN戦?)を期待されたが、これもキャンセル。
ガイ・ミッチェルは、73年新春にマスクマン、レッド・デビルとして来日。
その後も、来日のたびに違うマスク、リングネームを使ったので
馴染みが薄かったですよ。 >>110
ルイス・ヘルナンデスが亡くなったシリーズだっけ? >>111
そうです。 そのシリーズです。
>>110
たしか、モラレスの相手は坂口を予定していたと思います。
UN王座決定戦だったと記憶しています。
とにかく、ストンパーというネーミングで覚えていましたので、ガイ・ミッチェルというのは、
かなり後になって知りましたね。 >>113
また自分にレスしてるw
早く氏ねってw誰もそんな古臭いレスラー興味無いしw >>111
ルイス・ヘルナンデスは、その時、
メディコ2号として来日しました。
その3年前に、3号と共に第11回ワールドリーグに
参加しましたが、(その時は、どっちが2号か3号か
分かりませんでしたが(苦笑))
ずいぶん、その時に比べ太ったと感じましたよ。
ただでさえ猪木、小鉄、木戸らが離脱したのに
悪いニュースは続くモノです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています