1.5流から2流くらいの外人レスラースレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
スパイビー、カンナム、エース、パトリ、キマラ、ジョニースミス、バーバリアン、ミング、マイクイーノス、ウォーロード、バズソイヤー、マニーフェルナンデス、ジョンノード、ジョーディートン、ファンタスティックス、ジョンクローナス、グラジ、タイトンなどなど >>113
また自分にレスしてるw
早く氏ねってw誰もそんな古臭いレスラー興味無いしw >>111
ルイス・ヘルナンデスは、その時、
メディコ2号として来日しました。
その3年前に、3号と共に第11回ワールドリーグに
参加しましたが、(その時は、どっちが2号か3号か
分かりませんでしたが(苦笑))
ずいぶん、その時に比べ太ったと感じましたよ。
ただでさえ猪木、小鉄、木戸らが離脱したのに
悪いニュースは続くモノです。 >>113
当初、猪木がまだ日プロに在籍していた頃、
つまり、11月下旬発売の「ゴング」だったと思いますが、
「WWWF王者のモラレスが来年新春シリーズに来襲!」
というニュースが踊ったと記憶しています。
同時にブラジルも特参。これは馬場と対戦するでしょうが、
モラレスの相手は猪木だろう?そしてWWWFは賭けなくても、
UN戦になるのでは?という予想がありました。そうなると猪木は
NWA王者のドリー(12月9日の大阪でダブルタイトルマッチ)、
そして翌1月にはWWWF王者と連続対戦することになります。
しかし、12月の初旬で、状況が一転、猪木は追放になりましたね。
で、12月15日発売の「別冊ゴング」で
「モラレス対坂口で、UN王座決定戦か?」という記事が
踊ったと思いますが、これは実現しませんでしたね。 >>116
ねえねえ何のために自演してるの?w
自分に生き字引とか恥ずかしいねえw ワッチョイWW ea09-H6+A
こいつのがヤバイだろw >>115
たしかに、ワールドリーグのときは、脇役でしたが精悍なイメージがありました。
でも、その来日時はハラが出ており、息があがるのが早かったとか・・・。 >>116
なるほど。 猪木追放の前にモラレスの来日がウワサされていたのですか?
当時の一流レスラーは「特別参加」が多かったですからね。
ただ、ブラジルはいささかマンネリ気味でしたね。
「馬場に勝てる」という感じは無くなっていたと記憶しています。 ジョン・トロス
この人は、現在の目でみればB級レスラーと評価されているようです。
フィニッシュはいつもシュミット流バックブリーカーから、ロープ中段からのニードロップのワンパターンも低評価の原因のようです。
ですが、「勝ちパターン」は必須だと思いますし、収束に向けて状況を狭くしていくのは大切なことだと思います。
活動エリアによってベビーフェイスとアウトローを使い分けていたようで、意外に人気は高かったようです。
猪木との試合は、強く印象に残るものでした。 >>122
よく知らんけどFMWにレトロ枠で来てキラーコワルスキーとエキシビジョンやってたな >>120
猪木追放後に
坂口対モラレスのUN王座決定戦を行い、坂口に戴冠させるとしたら、
WWWF王者のモラレスに勝たなければならないので、これはキツイ!
王者猪木対モラレスのUN戦だったら、引き分けでも良いんですがね。
(実際に実現しても引き分けだったでしょう)
それで、結局、UN王座は、カナダのバンクーバーで決定トーナメントが
行われ、キング・クローという無名の選手が新王者になり、
ロスで坂口が挑戦、奪回しました。
この決定トーナメントも実際は行われていなかったそうです。
思えば、キング・クローも、猪木が奪取した相手のジョン・トロス、
その前の王者、レイ・メンドーサはメキシコでは有名ですが、
アメリカ、日本では軽量でパッとしなかった。さらに遡って、
デール・ルイス、パンテラ・ネグラと、アメリカでUN王座を
就いた選手は1.5流から2流くらいですね。
おっと、私がこのレスを書いている間に
>>122でトロスが出ていますね(苦笑)。 >>122
ただ、トロスは、1974年1月、新日参加時、
猪木と対戦し、反則勝ち含みですが2−0の
ストレート勝ちしているんですよ。
猪木が日本のリングで3本勝負を行い、
ストレート負けしたのはこれだけだと思います。
またこの試合、猪木は、ウラカン・ラナを
公開したんですよ!
これも驚きました。 >>123
トロス対コワルスキー
1992年9月横浜スタジアムですね。
生観戦しましたよ。
10分のエキシビジョンだったけれど、
場外乱闘のまま終わったのを覚えている。 トロス VS コワルスキー ・・・
見たかったですね。 たとえ10分一本勝負だったとしても・・・。
見た人、うらやましいです。 >>126
記憶違いならすみません。
猪木はネルソン・ロイヤルにもストレート負けしていたような気がします。
間違っていたらごめんなさい。 >>132
>猪木はネルソン・ロイヤルにもストレート負け
ご指摘どうも!
後で調べて回答します。
私も「これだけだと思います。」で止めておいて
断定はできませんでした。
考えてみると、猪木は、1963年にG・馬場と
3本勝負を行い、ストレート負けしています。
その他にも海外遠征前先輩レスラーや外人に
0−2で負けたこともあろうかと思いますが、
まぁ東京プロレス旗揚げ後ということで。 >>133
猪木は怒り狂っての「反則負け」があるのが問題です。
トロスもロイヤルも、2本目は「反則負け」です。
この反則負けというシチュエーションには「レフリー」という脇役が必須です。
そこで思い浮かぶのはユセフ・トルコです。
猪木や吉村に、どれだけ殴られたことでしょうか?
その殴られっぷり・・・高橋の投げられ、ジョー樋口の失神、阿部のフエと並ぶ名人芸でした。 >>124
自演の意味がわかっていない
バレていないと思っている
煽っている
マイナーレスラーの名前を出して1人で満足している(承認欲求あり。よって自演で自分を褒める)
単なるキチガイ
好きなのを選べw ジプシー・ジョー
この人を、1・5流、というと、かつての国際プロレスファンから抗議が起こりそうですが、
ユーチューブで、鶴田、マスカラス VS ハンセン、ジョーの試合を観ていると、
ほかの3人と比べると、やはりジョーは格下であることは間違いありません。
意外なくらい、「試合が小さい」ことに気付きます。
木村とは手が合うのか、好試合が多かったですけどね。
ノーTVでしたが、木村との、延々続くビンタ合戦の末、両者反則による「無効試合」になった一戦など、
ちょっとした名勝負だったと思います。 >>136
木村じゃなく井上だろ?
77年ワールドシリーズじゃない? >>132
手元の資料で調べたら、
まずネルソン・ロイヤルが猪木在籍の
日本の団体に参戦したのは
1969年春のダイナミックシリーズ
1970年春の第12回ワールド大リーグ戦
1971年、秋の第2回NWAタッグ・リーグ戦
その内、猪木とシングル3本勝負で戦ったのは
69年2月21日後楽園45分3本
N.ロイヤル(2−1)猪木
両者、一本ずつフォールを取った後、猪木が反則負け
70年5月25日、前橋スポーツセンター
猪木(2−0)N.ロイヤル
前年の雪辱を晴らしたともいうべく
体固め、コブラでストレート勝ち
この2試合だけのようですね。
ネルソンは、猪木がいなくなった72年第3回NWAタッグ・リーグ戦
にも参加(4年連続来日)。後には国際でNWAジュニア王者としての
来日を挟んで、全日の常連になりました。
中堅選手として良い仕事をしていましたね。 >>137
井上ではなく、1977年8月7日の後楽園ホールでの試合です。
木村VSジョーの試合は多過ぎて混乱しますね。
今、記録を調べて気がついたのですが、この日はシリーズの最終戦だったのですが、
記録上は、キラー・トーア・カマタも参加しているはずなのですが、試合の記憶がありません。
もしかすると、途中帰国したのでしょうか? >>138
失礼致しました。
私の記憶違いです。
申し訳ありません。 >>140
いや、いいんですよ。(^^:
そういうご指摘は歓迎します。 >>138
ロイヤルといえば第2回NWAタッグリーグで、ポール・ジョーンズとのコンビで、
大木、ヒライと、セメントまがいの試合をしたのが印象深いですね。
第1戦、第2戦とも、かなり緊迫した名勝負でした。
特に、第2戦で、大木の頭突きの連打を仁王立ちで耐え、流血後もダウンせず、
最後は精根尽き果てて3カウントとられたシーンは、負け試合にもかかわらず美しく潔いと感じました。
いいレスラーでした。
ワールドリーグでは ヒライ、高千穂に、それぞれテキサス・ブロンコ・バックブリーカーで勝利したのも見事でした。 >>143
良スレになるかと思ったけど自演爺さんのせいでひどいもんだよな
マジで氏なねえかな ラウル・マタ
マタが死んだそうです。
雑誌では高く評価されていましたが、ワールドリーグ(新日)では、思うような成績は上げられませんでした。
観戦したときは、ケン・マンテルとの対戦でしたが、フライング・ボディ・プレスで敗戦でした。
試合後、会場内をウロウロ歩いて、握手やサインに気軽に応じていました。
「強さ」より「愛想のよさ」が印象に残りました。 90年代前後だと
ビッグ・ボスマン
ハクソー・ジム・ドゥガン
テスト
とかが思い浮かぶ
アルティメット・ウォリアーは
知名度的には超一流だが
レスラーとしてはこの枠なんじゃねえかなあ >>147
ボスマンはわかる
ドゥガンは向こうではメイン級で日本では3流で微妙よなw
テストはわかる
アルティメットさんはけっこう評価が難しいわw
テスト入れるならアルバート、ハードコアホーリー、ヒューモラス、ランスストームもいけそう アルティメットは1流でいいんじゃね?
レスリング出来る選手ではないけど、アメリカのあの時代にアジャストしたのは間違いないでしょ。 >>147
アルティメット・ウォリアーは
90年東京ドームでの初上陸は似合っていた。
新WWF王者という触れ込みもあるし、
相手も試合巧者のテッド・デビアスだし、
観客もアメリカ人が多く乗っていた。
だが、普通に全日、新日のリングに上がっても
浮くだけだろうね。 アルティメットさんはWCWでは全く存在感が無かったなあ
WCWと言えばクロニックの2人は大物感だけはあるけど塩だったな アレンは0.9〜1.2流だろ。
テレビでも地方の田舎でも花束が泣かされていた。
或る程度事前に演出のことは知らされてるのに
実際に両手で髪の毛鷲掴みにされて振り回されたら
俺でもビビッて泣くわ >>142
第2回NWAタッグリーグで特筆されることは、
あのジミー・スヌーカが初来日したことですね。
と言っても、当時、全く無名で、それもインディアンレスラーとして、
でした(苦笑)。パートナーのスニー・ワー・クラウドの方がまだゴングで
紹介されていましたよ。スヌーカも身体だけは立派だと思いましたがね。
あと、8年ぶりに来日した元WWA世界王者のボブ・エリス。
前年の第一回タッグリーグに初来日して良いファイトを見せた
フレンキー・レインとのカウボーイチームは、かなり活きが
良かったんですが、レインが不祥事を起こし、チームも解散。
エリスはその後、国際にも来ましたが、日本ではパッとしませんでしたね。 この辺かな
ジェイミー・ノーブル
ハリケーン
ブギーマン
スティーブ・ブラックマン
アル・スノー
マーティ・ジャネッティ
カリート
ビッグ・タイトン
ヘラクレス・ヘルナンデス
ナスティ・ボーイズ タイトンしょぼいとか新日ファンが言ってたが
そりゃプロレスは下手やったかもしれんが、グラジやタイトンが小橋の相手になるわけが無い。
アンドレ×藤波とまでは行かんがベイダー、ノートンが蝶野と遊んであげてたようなもん。
まあ、逆に言えば相手できる日本人が当時小橋くらいしかいなかった訳だが >>154
ジャネッティは違和感あるな
タイトンはまさにドンピシャでエース、パトリあたりと同じような感じだな
偽レーザーラモンは好きだったけど >>153
フランキー・レインの初来日は、バッド・ラテールという4流レスラーとのコンビで、
イマイチ成績が良くなかったようですね。
エリスは期待していたのですが、ブルドッキング・ヘッドロックには失望しました。
「あれじゃ大磯武のほうが凄いじゃないか!」と思いました。
ただ、受けての吉村道明が絶妙だったせいで、一応必殺技として成立していたと思います。
スヌーカは、クラウドに比べると「小さくまとめる」クセがあるように思いました。
もっとも、その後は大成の度が違いましたけどね。 よく芸スポのプロレススレとかで
ネタとして、大成しなかったレスラー
(キャラチェンジなどで大出世したレスラー)
みたいなコピペがあるけど
ある一瞬だけ抜き取ればこのスレに相応しい奴多いよな
ナッシュのグレートOZとか
スタニング時代のオースチンとか
逆にスタイナーブラザーズみたいに
90年代は超一流だけどその後は……
みたいなパターンもあるし >>158
グレートOZに至っては3流だわなw
スタニングのときは禿げかけてたのも2流感が出てていいなw
スタイナーズはスコットが動けなくなってたからイメチェンは仕方ないし上手くキャラチェンできて良かったと思うわ
タズも原人スタイルからシュートキャラになって大成したな >>154
ヘルナンデスは1.5〜1流じゃね?
ジェラシック・パワーズはヘルナンデスがリードして上手く回った印象。 ステイトポリスだな
2人合わせて1.5流
ただ入場テーマ曲だけは1流 >>161
ハーキュリーズのときは中堅だったっけ?
>>162
片割れはコーチとしては1流
テリーゴディ(1流)→エクスキューショナー(3流)の流れは切ない ヘルナンデスは解説でマサさんが「彼はニューヨークのWWFでトップ中のトップだったんですよ」 >>164
ポールローマとパワーアンドグローリーだよな?
トップか?w >>157
第一回NWAタッグリーグの目玉は、ともにまだ見る強豪の
アーニーラッドとロッキージョンソンの「黒いBI砲」でしたね。
ラッドは、日本ではパッとしませんでしたが、アメリカでは
ギリギリ一流でしょうかね。ジョンソンは1.5流でしょう。
このシリーズ、ニック・ボックウインクルが、6年ぶりに来日。
後年のダーティーチャピオンではなく、むしろ脂が乗った
ケレンミないファイトをしていました。
パートナーのジョニークイーンは写真で見たことがあると思ったら、
ケンタッキーブッチャーの名前でサンマルチノにも挑戦した選手でした。
あと、ラーズ・アンダーソンもちょっとは知られた選手でしたね。
でも、ちょっと期待外れでした。
そのパートナーのボブ・ループ、ポッチャリした体型でしたが、
メキシコ五輪に出たとあってレスリングはしっかりしていました。
後年、身体を引き締め新日で猪木を苦しめるまで成長するとは!
でも、プロとしてはどうかな?と感じました。
期待外れ、期待以上、その後、ブレイクした人、しなかった人、
玉石混合といった感じのシリーズでした。 ラッドとジョンソンには期待しました。 雑誌も盛り上げ方が凄かったですからね。
初戦で馬場、ヒライ組を問題なく倒したのを見たときは、ウワサ通りの強さに驚愕したものです。
ところが、大木、山本にリングアウト負けしたのを見たとき、「あらら?」という感じで、
以後、失点を重ね、ニック、クイン組に逆転されたのは、当時の私にとって、予想外の結果でした。
もっとも、冷静に考えれば、ニック、クインの方が強かったのかも知れませんね。
それぞれが猪木と対戦した試合は、かなり本格的だったと思います。 >>168
>ニック、クインの方が強かった
ニックは、NWA王者候補だったし、
猪木との60分3本勝負では、1本目11秒でフォールを
奪いましたね。2本目は22秒、コブラでギブアップしましたが(苦笑)。
クインも、来日前にケンタッキーブッチャーの名前でサンマルチノのWWWF
に挑戦と、ラッドにはともかくロッキージョンソンには負けてはいないでしょう。
しかし、なんで日本でも知られたケンタッキーブッチャーの名前で
来日しなかったんだろう?
その前のシリーズに来日したアブドラ・ザ・ブッチャーと
紛らわしいというわけでもないでしょうね。
ザ・ブッチャーと言えば、アブドラ以前は、
ドン・ジャーディンのことでしたね。
この男も大型で後にマスクを被り「ザ・スポイラー」とか
「スーパー・デストロイヤー」名義で全日にも来襲しましたが、
1.5流から2流くらいでしたね。 >>169
ドン・ジャーディンは好きな選手でしたね。
ザ・ブッチャーとしての来日のときは、ヒライ、山本をハングマンズ・ホールドで連破したのが記憶に残っています。
その後の来日ではニードロップを主戦武器にしていましたが、イマイチ、インパクトが弱かったと思います。
何と無く、名勝負を残してくれなかったレスラーです。
ケンタッキー・ブッチャー・・・名前だけは覚えています。
雑誌で知ったのでしょうが、サンマルチノと戦ったのですか? 勝負はどうなったのでしょうか?
興味ありますね、サンマルチノ VS クイン >>171
レスラーの晩年といえば、サンダー杉山は糖尿のせいで、両足切断で、最晩年には右手首も切断したとか・・・
「殺人酋長」ことブル・ラモスも糖尿で両足切断、さらに失明していたようです。
いくら悪党のラモスでも、あまりにも可哀想で思わず落涙してしまいました。 >>169
サンマルチノ VS クインはWWWF戦ですから、
サンマルチノの勝ちです。
確か、70年の春頃で、その頃、サンマルチノは腰を痛め
限界説が流れていました。(実際に71年1月にコロフに負け王座を明け渡しますが)、
でもサンマルチノは「ケンタッキーブッチャーを一蹴して王座防衛」
とか報道されていました。
ケンタッキーブッチャーことジョニークイーンも「まだ見ぬ強豪のひとり」
でしたが、強烈な個性も得意技もなく、そう来日が期待されていたことも
ありませんでした。
70年の夏に国際プロレスが「招聘して欲しい選手」をアンケートで
募りましたが、トップ10にも入っていませんでしたよ。 >>174
クインといえば、加減なしで相手を殴る、という印象があります。
サンマルチノはパンチやチョップといった打撃による攻撃をニガ手にしていた印象があります。
ちょっと嫌な挑戦者だったのではないでしょうか?
真偽は定かではありませんが、関係者やスタッフが「今日は試合後、フーゾクに連れてってやるぞ」というと、
早く行きたいため、試合をそこそこに切り上げる、という悪癖があった、とのことです。
それはともかく、やや単調ながらも直線的なファイトは、いかにもプロレスラーらしい選手だったと思います。 地元でのジェリーローラーのパンチもちょっときつすぎだよなあ。
プロモーター権限でやってるのが明らか。 クインってレイスのNWAに挑戦した試合が、月刊プロレスに載っていたことがあった
29分ダイビングヘッドバッドでレイスの勝ちだったと思う 映像で見たかったな >>グラジとジョニー・スミスは一流が妥当だと思う。 ウルクホークフィールド(ジムスティール)
ジョニースミス ウルウホークフィールド(ジムスティール)
ジョニースミス ブラック・タイガーは1流だがマーク・ロコは1.5流 ここまでカネック出てないのが意外。
母国メキシコでの『カネック』は超一流だけど
日本での『エル・カネック』はまさにこのスレタイのような扱いだったと思う。 >>187
ペロアグアヨとか、昭和新日のルチャドールはみんなそんな感じね 初代レザーフェイスは皆どう見る?
W☆INGだけならスレタイ通りだけど、FMWでもグラジと並んでエースだったから2流ではないってのが、私の認識なんだけど。ハンターズも同じ。 初代レザーフェイスの中の人のアメリカ時代の試合を見たけど
体型や動きや受身の癖がマイク・ロトンドにそっくりだった ビッグ・ジョン・スタッド
先日亡くなったビッグ・ジョン・クイン
ブラックジャック・マリガン
ブラックジャック・ランザ
ブラックジャック・ダニエルといえば日本ではジート・モンゴルだけど(Black Jack Daniels)
あちらでは60年代に活躍したレスラー(Blackjack Daniels/Jack "The Ripper" Daniels )ぽいな
スタン・コワルスキーとは義理の兄弟らしい >>184
新しい表現だよな
「0.5流」とかいったら、まったく何を意味するのかわからんw あとマスクドスーパースター キラーカールコックスとクラップ ブルーウルフ
ダリルピーターソン
ブラックキャット 全日では四天王ハンセンゴディウイリアムスの下だったが
WWFで一瞬TOP扱いだったパトリオットは1.2流でいいだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています