1989年全日本プロレスの後楽園
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新春ジャイアントシリーズのキッドスミス対マレンコ兄弟をきっかけに
確実にカード編成に変化を感じるようになった。 夏にあったあすなろ杯リーグ戦で田上対高木が流れてしまったのはすごく残念だった 高木は冬木に勝ったりと良いところまで行きそうだったのにね… エースとターミネーターもいたからアニマル3兄弟揃い踏みだったねえ >>211
ホテルの廊下で出くわしたんじゃなかったっけ?
それで天龍が「今夜のエルボーはとてもシャープだったよ(ニッコリ)」
キッドの自伝しか読んでないから他のソースは知らないけど >>213
確か最初はアジアヘビー級王座決定リーグ戦と報じられていたような
いまさらあすなろでもない面子も多かったし 武道館での力道山追悼式典…というかコーナー
テンカウントゴング中に奇声をあげるバカと、
それに対して怒号をぶつけるバカの地獄絵図
極め付けは「力動っ!」「………ざん」で爆笑する
会場と、それを編集差し替えもせずに放送した
日テレスタッフ。民度って… >>220
自分も会場にいたけどそのノリが続いちゃってブッチャーシン対ゴーディアーウィン戦
でのお名前コールが大発生して更に異様というかヤケクソなノリになった
メインの龍艦対五輪の全勝対決も谷津がアレでケツ見えてたしな ナスティ対カブキ、俊二の試合もグダグダだったが「go away nasty!」と本場
みたいなチャントが飛び交ってたな ゴーディ、アーウィン対ブッチャー、シンは客のノリは神レベルだった。後で中継見たら、福澤と竹内も悪ノリしていた(笑)。
シン!はともかく、それ以外の3人の名前コールは大爆笑もの。 アーウィン!アーウィン!アーウィン!う〜ブッチャー! >>224
あの日一発目の館内爆笑野次は2試合目だったか高木田上対鶴見寺西、というはっきり
言ってどうでもいい消化試合での「5分経過」の仲田のアナウンスへの「ファイブミニッツ
パストも言えよ」というものだった記憶がある。くだらねえ野次だがそれでも沸いたん
だからこの日は最初から出来上がってたんだな、一試合目の百田コールもすごかった シンコールは最強タッグ開幕戦の大阪府立が
発祥だっけ?
シン!シン!と段々とテンポが速くなっていって、
それに合わせてシンがヘドバンしている姿が
可笑しかった
その後のシンシン七拍子。これも百田軍団が あれだけ異様に盛り上がった年内最終戦の武道館だがメインがちょっとグダついて
25分超えるたるい試合になっちゃったんだよな
ハンセンのラリアート予告の瞬間に「やっとこれで帰れる」と正直思った >>228
試合数が多くて盛り上がりすぎるとメインまで持たないことって多いよな。 >>229
90年代は武道館でも7〜8試合なのにこの頃は10〜12試合あって休憩なしだった
ものね、伝説の6.5武道館もやはり谷津対俊二、百田対寺西あたりがだれたな 秋のシリーズに来日したシェーンダグラス
爽やかなイメージが強かったが後のECWで中々貫禄のあるレスラーになったね エースとダグラスでダイナミックデューズだっけか
けっこう絵になるコンビだったなあ >>224
会場に見に行ったけど、最高に面白かった試合だね。
他のカードが通常のシリーズでも組まれるスペシャル感のないカードばかりだった中、昔ながらの最強タッグ外人対決だったもの。一枚落ちるビルアーウィンが妙に張り切っていて、ムチでブッチャーをしばくはシンのサーベルとやり合うは。。ウェスタンブーツで蹴っ飛ばすやら、
そして客のシンコールから全員へのコール。。ストレス発散にはもってこいの試合。当時TV放送がなかったのが悔しい位でした。 しかしウイリアムスを新日からトレードしなかったらゴディのパートナーどうするつもりだったんだろ?春の段階で天龍とハンセンが組んでたけどまさかこの段階でウイリアムスの移籍が決まっていたわけでもあるまいし >>233
あのシリーズのアーウィンの張り切り様は良かったな。
ハンセンとのシバキ合いも凄まじかった。 この年に米国で全日本が興行打った時(カイゲルのテリトリーか?)
天龍対アーウィンのシングルがあったような >>234
スパイビーじゃないかな?
スティングにも勝ったし、期待してたと思う
ゴディとのタッグならトップ級のチームができあがる
ただ、天龍ハンセン組ができた時ってギャラ交渉で馬場を怒らせる前だよね? >>237
なにげにアーウィン兄弟は全日海外遠征シリーズの出席率高いな。 この年の最終戦を最後に全日本からの「安くするから武道館の切符買って下さい」
手紙が来なくなった。まあダンピングしないでも売れる目途がついた年だったのかな
一階5000円が3000円になったからずっと愛用してたんだけど、以降は定価販売での
申込書が送られてくるようになり一年後は「会場前に次回大会をならんで買え」という 鶴田は3月後楽園でフットルースを叩きのめした試合後に、鶴田コールにオー!を加えた、後に鶴田の代名詞となる、「鶴田、オー!」が誕生した。 この当時さ、後楽園7連戦とかやってなかった?
ポスターも天龍だけやたらデカかったのを憶えてる >>243
新春Sに後楽園で7戦やったのと勘違いしてないか? 連戦ではないが90年新春ジャイアントSでは後楽園で7回興行
後楽園物語第一〜七幕と銘打たれた
https://www.toudoukan.com/shop/search/?mid=&keyword=%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92%E7%89%A9%E8%AA%9E&x=54&y=16
全てで小橋の七番勝負が行われた 天龍対高木で後楽園物語って倉持がいってたのこれのことだったのか 天龍対高木で、実況の倉持さんが長州の名前出したんだよな。 ジャパン分裂後は新日本、90年代からは他団体のレスラー
の名前は実況では出さなかった。倉持は82年にハンセンが
来た時実況で猪木の名前を出してた。
その後は若林は川田をまるで誰かのようだとか福沢は
プロレスニュースでピー音入れたり馳にぶん殴ってやる
と言われた時は他団体の選手と言ってた。 >>250
それが、馬場が死んだ途端に日テレが待ってましたと長州などの映像を解禁しはじめたのがワラタwww
やはり馬場に配慮してたんだろうか。
あるいは元子が使うなと日テレに要望してたのかね? 90年の後楽園の7大会は小橋の7番勝負、天龍と高木のシングル、
冬木の不穏な空気、馬場が天龍からフォールを取られる、ジンキニスキー来日
見どころは色々とあったね。 冬木と天竜の間の不穏な空気は雑誌などでも報じられていて、反旗を翻すXデーはいつだ?
という変な期待感があったな >>252
馬場が天龍からフォールだった。
最強タッグで取られたのをすぐに取り換えしてたね。
あとこのシリーズ鶴田と谷津が全く存在感がなかった。 >>256
WARで理不尽大王になったけど、いっそこの頃になればよかったのに
俊二、仲野とか決起軍解散して捻くれてる連中と組んで。 >>259
「若いメンバーで結託して天龍を倒そう」 正規軍に戻った冬木がそんな感じで
高野達と組むならありじゃないかな。
で、その流れから浮いたタイガーマスクが天龍と組むとかね。マスクも脱いだら
なおいい。 >>260
決起軍でダメだったのにまた徒党を組ませるとかありえないな。 冬木、俊二、高木ブー、田上、無理だろうけどこのメンツなら全員が当時
容赦ないブーイングの対象だったので冬木を司令塔にスケールの小さい
ブロンドアウトローズ」くらいには機能したかも、もちろんターゲットは
天龍、三沢、川田、小橋あたり >>262
スケールが小さいって、オリジナルのブロンドはそんなにダイナミックだったか?
ましてや冬木以外の3人は190cmオーバーの巨漢だぞw >>264
いやアウトローズはまあマシーンも含めてみんなプロレス上手いじゃない?
それに対して6〜7掛けくらい、という意味で 冬木、俊二、高木、田上。
ナマクラ四天王だな。でもそれぞれ、自分なりの輝きかたを後に見出だしてる辺りは流石プロとも言えるかな…? >>267
なぜか一番仕事のできる冬木だけが経験してない武道館のメイン >>267
レスラーとしては一番成功しなかったのは
一番素質はありそうだった俊二かw「 俊二はこの頃から野良犬キャラやれば良かった。
ラッシャー以外はやたらとマイクとることは馬場が
許さなかったと思うけど。 >>249
倉持はこれが原因で中継から干されたんだっけか >>268
シングルではないけど
2001最強タッグの決勝が武道館メインじゃなかったかな?
武藤ケアvs天龍冬木 あの時のメインは武藤&ケアと川田&長井
天龍組は準決勝で因縁の川田組に敗退 冬木にしろ、俊二にしろ、少し前だと大仁田もそうだけど、癖のある連中が
普通に試合してなんのアピールもせず帰るんだから、馬場の統率力は凄いな。
谷津なんかは何処にいってもあんまり変わらなかったけど。 >>274大仁田はジュニアの頃からアピールしまくってたけどな
馬場に可愛がられてたのもあるだろうけど、テリーまで大仁田のアピールに使われてたし >>242
その前回の後楽園大会で「オー」「オリャ」が発生して、何気にレスラー人生の岐路に立たされていたからな
谷津みたいに拒否しないでオーを自らやり続けた事で、なんとか自分のスタンスを保てた >>275
今思うとよくあの当時の全日の空気でめっちゃ感情表現やれてたよな
涙を流したりなら、いかに馬場でも許してくれるだろうって計算があったのかも
大仁田には「アイツなら仕方が無い」って人に思わせる能力があったんだろう >>277馬場夫婦は大仁田のこと養子にしようとしたくらい可愛がってた
FMW 旗揚げ後からブレイク後も関係者に
「厚はメシ食えとるのか?」って何度も聞いてたらしいし、大仁田から直接電流爆破で対戦を打診されたときも
「母ちゃん(元子)が良いって言ったら良いよ」って返事して、元子もノリノリだったが三沢が強固に反対して流れた
馬場は基本的に可愛げのある、言い訳をしないバカが好きだったらしい 小さい太鼓を持ってきて谷津のオリャにあわせて
たたいてたいたよな。
オリャ、ポン オリャ、ポンと。 俊二戦な。その前の後楽園辺りから監獄固めに
入ると「オリャオリャオリャオリャ〜」と連呼する
様になっていたが、太鼓もそれに合わせて連打
していたのは腹がよじれそうになった >>251
最初に解禁したのは馬場生前の最強タッグ列伝 >>282
軍団の越後○くんが
「アニマルウオーリアー、ホークウオーリアー、谷津ジャパニーズウオーリアー」と、言ってたのが始まりです >>282
谷津の攻撃するときの声の出し方からです 川田が蹴るときのかけ声が、シャー!って聞こえたから。シャー!がなくなる間際、シャー!とシャーはやめろ!が交錯して険悪な雰囲気だった。 シャーが発生したのが、いつの、どこの会場だったかを、聞いてるんだろ のちにハッスルでハッスルK川田とモンスター°Cとの掛け声マッチなんてのがあったが
最初から意図された掛け声は全然面白くなかったな、武道館のアーウィンコールの足元
にも及ばなかった 決起軍のテーマ曲がタイガー以外ランナーだったけど、他に何か
用意できなかったのか。
田上は大量離脱後もしばらく使っていて思い入れがあったみたいだけど。 >>291
田上が似合わないイングヴェイにチェンジした後も高木はずっと使ってたな
何となくだが新しい曲選んだりするのすら面倒くさがるタイプのように見えた >>291-292
以前あった全日テーマスレでも言われていたが、
選曲者が日テレ梅垣さんから木原に代わってから
一気にセンスが落ちた。全くダメという訳ではなく
当たりハズレの差が激しすぎて
豚貴族は元々川田がファンで、勧められて採用
したとあるが。川田がねえ?
鈴木修のTHRUSTERが合っていた様な気がする 川田と豚貴族、というか川田と洋楽の接点などなさそうな気がするな
修行時代のカルガリーだかケベックで通りを誰も歩いてないから、と
みちのく一人旅を大声で歌ってたような奴だよ
洋楽と出会う高校時代も寮生活でそういう情報に疎そうだがなあ 越中だってド演歌ファイターとか言われてるけど本当はビートルズ大好きなんだから
川田が洋楽聴いてても不思議じゃない。 >>293
木原は余計な効果音いれたりしてからね。
梅垣さんは合体テーマもうまく作ってたし最後は
最強タッグのオリンピアを定着させた。 >>294
正にあなたと同じ違和感を持ったんだよ
飽くまでイメージだけどね
>>295
仰る通り。選手名鑑やインタビューで話さない
限り、レスラーの音楽嗜好なんか中々分から
ない。みのるみたいのもいるけど
>>296
毎週の様にディスコに通い、ソウルミュージックを
始めとする洋楽レコードを集めて、知識も思い
入れも人一倍だった梅垣さんと、深夜にテレビを
点けてMTVやアニメのBGMを直感だけで採用
していた木原では、そりゃ差が着くよね 誰か解らないがノアで三沢のスパルタンXに変なピアノのイントロつけたヤツは万死に値すると思う 小川良成のテーマって大昔のエアロビサイズのBGMみたいだけどあれは
自分で選曲したのかな?それとも勝手に押し付けられたのか >>300
昔全日テーマ曲集のブックレットに
「小川選手は自分の曲が好きではないそうだ」
って書かれてたから、誰かにあてがわれたんじゃない? 当時日テレでやっていた小泉今日子主演ドラマの
主題歌だったからね
日テレからお願いされたか、木原セレクト()か 三沢のイントロ、俺は好きだが。西武の土肥コーチは現役時代、三沢のイントロ付きを登場曲にしていた。 一旦定着した後に付け足すのが駄目だと思うんだよね
もっともどんなイントロか知らんけど 橋本のテーマに前奏付けて良い感じだったから真似したんじゃない?
テーマ曲に前奏付けたの新日時代のブロディが最初かな? >>306
ハンセンとカブキは最初からそういう曲じゃん。
新日時代のブロディは最初はツェッペリンの移民の歌だけで
後から運命のフレーズを頭に付けた記憶。 >>307
ああ、最初に入場してた曲に後から付け足したって事ですね。
失礼しました。
なるほど、ブロディかもね。 ブロディも最初の両国の時から運命の前奏付いてなかったっけ?
記憶違いならすまん 昨日の番組は元子持ち上げだったな、馬場との夫婦愛に殉じた猛女みたいな
ただますますあの姪の方のうさん臭さがくっきり見えてきたというか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています