1989年全日本プロレスの後楽園
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新春ジャイアントシリーズのキッドスミス対マレンコ兄弟をきっかけに
確実にカード編成に変化を感じるようになった。 >>165
プ
晒してるつもりで意味ないレスしてて笑える
バカだろお前(笑) >>166
つまんない奴が消えたのは省略バカと同一人物だからだろ
読みゃわかるだろそんなもん
本当に理解力ねーなこいつら
バカばっかりだな、そんなに他人に見下されたいのかなこいつら 154イゴ氏だが、
地方のファンには後楽園ホールが1階の会場ってイメージがあったみたいだ。 毎回プロレスに関係ある語呂合わせしてるなら感心するけど、イゴ氏とか私は狂人ですってアピールしてるだけだな >>170
省略で滑ってたから語呂合わせにしたんだろうけどそっちも滑ってるよなw 155イゴゴーだが、
後楽園ホールを1階会場と誤認識のファンは今でも多いぞ。 156イーCOMだが、
後楽園ホールが1階会場と思い込んでいた輩の数の多さ。 この年まで後楽園のリングが赤青の二色カラーだったけど、
青一色にしたのは何でかな?
あとノーテレビの地方マッチってどうだったかな? 157イコナだが、
後楽園ホールは1階の会場という定説が根付いていたかんな。 158イゴハだが、
後楽園ホールが1階会場との勘違いが横行していたんよ。 >>184
この扱いの大きさ 高野俊二 期待されてたんだよな >>185
89年3月の武道館では、鶴田、谷津と組んで
メインに出たもんなぁ。VS天龍&ロード・ウオリアーズ。 >>186
その次の武道館はある意味伝説となった対谷津戦か。ここで一気にストップ安になったか >>187
その6月の武道館では
新鋭、小橋がジョニースミスを破り
初の外人シングル勝利。
ここで二人の評価が逆転した感がある。 >>184
竹内さんがデザインしてたころはカッコ良かったのにな。 一年後の武道館では第一試合で鶴見戦。
終始やられっぱなしで首固めで勝利という情けない試合だった。 >>190
いい時とダメな時、ムラッ気というかブレが凄いタイプだったなあ >>72
東京限定のメンバーの印象強いけど、大阪の森○も合流してた。
サッカー応援の某旭くんもいたはず。
ドロボーは野次飛ばすタイプではないおとなしめの人だったけど、新日本の夢勝ちで蝶野に「週プロとゴングのどっちが好きですか?」ってガチしかけた。 >>85
彼等のもう1つの功。
冬木への「ゴーゴーサムソン!」の延長で、バイソン木村への「ゴーゴーバイソン!」
それでバイソン木村が百田以上にブレイク! 百田軍団はユニバに流れたのかな?
アジャコングやバイソン木村、ケンドー、ブラソスなんか
が声援を集めてた。
女子プロを男子プロ(こう言う表現でいいかな?)ファンに
広めのちの女子プロ対抗戦ブームの下地を作った。 >>194
森○は大阪の越後○ポジション
某旭は軍団では末席にいた
>>93
喜んでたのは知ってるよ
奪取した時大阪で一緒にみてたから
「なんで、後楽園じゃないんだよー」
と残念がってもいた >>197
俺も当時後楽園に通っていたいち全日ファンとして「なんで後楽園じゃないんだろう」
と思ったけど馬場にしてみりゃ「一部の声の大きいファンの希望がすんなり通った」と
思われるのも嫌だろうし「次は寺西」とか飛び火する可能性もあった
そうすると大阪で百田戴冠、というのはいい落とし所だったかもしれん、と今は思う >>198
百田に取らせるために事前に王者を仲野にしておいた。
こういう事情が透けて見える王者交代って、たまにあるよね。
三冠をゴディに譲って、三沢に負けやすくなった鶴田とか。 >>196
多分、浅井は彼等がいなくても人気出てた。
ユニバーサルがルチャを直輸入したのも大きいんだけど、ケンドーチャチャチャとか客が試合に参加する礎を作ったのは彼等だと思う。
俺含めた客も、たくさんのルチャドールも限サスケも彼等に楽しませてもらったと思う。 >>197
あと、大阪には川田少女と言われた可愛い女の子がいた。
彼女は今でもプロレス見てるんだろうか? 詳しくは知らないけど友達は川田女と言っていた。
92年ぐらいまでかな?
あと名古屋には冬木女が…。この人は結構長いこといた。 もういいや…と思ったのは、いつからか武道館の
メイン終了後にフェンスを解放して、アリーナの
観客をリング下に入れて「全日本」コールが発生
した時かな?
後楽園、武道館ともチケットがプラチナ化して、
行きづらくなった上にこのノリだったから 最強タッグは後楽園で2連戦だったかな
天龍、ハンセン対ゴディ、アーウィンと
谷津がヘッドギアしててこれって効果あるのかなと思ってた記憶が… >>204
ヘッドギアは顔面神経麻痺の防具としての着用だね >>206
この時はどのみち4日後の大田区で同じカードが組まれてた(統一王者の初防衛戦)から
最初からグダグダな結末になる予感はあったな
大一番のシングルで両リンはこれが最後か 語呂合わせバカ、アク禁にでもされたか?
大阪での鶴龍対決、鶴田のパワーボムで会場が凍りついた中で1人やったやったはしゃいでる奴いたな >>207
試合後、ブルドッグスの控室に天龍が来たので
殴り込みかと思ってキッドが身構えたら
アゴから血流しながら「ナイスエルボー」と
一言だけ言って帰ったエピソードが好きだ サマーアクションシリーズから小橋とか小川がメインに混ざるカードが組まれ始めた
高木、田上、もそれなりの位置で使われてたはずだけどまだまだ大抜擢はなかったな 夏にあったあすなろ杯リーグ戦で田上対高木が流れてしまったのはすごく残念だった 高木は冬木に勝ったりと良いところまで行きそうだったのにね… エースとターミネーターもいたからアニマル3兄弟揃い踏みだったねえ >>211
ホテルの廊下で出くわしたんじゃなかったっけ?
それで天龍が「今夜のエルボーはとてもシャープだったよ(ニッコリ)」
キッドの自伝しか読んでないから他のソースは知らないけど >>213
確か最初はアジアヘビー級王座決定リーグ戦と報じられていたような
いまさらあすなろでもない面子も多かったし 武道館での力道山追悼式典…というかコーナー
テンカウントゴング中に奇声をあげるバカと、
それに対して怒号をぶつけるバカの地獄絵図
極め付けは「力動っ!」「………ざん」で爆笑する
会場と、それを編集差し替えもせずに放送した
日テレスタッフ。民度って… >>220
自分も会場にいたけどそのノリが続いちゃってブッチャーシン対ゴーディアーウィン戦
でのお名前コールが大発生して更に異様というかヤケクソなノリになった
メインの龍艦対五輪の全勝対決も谷津がアレでケツ見えてたしな ナスティ対カブキ、俊二の試合もグダグダだったが「go away nasty!」と本場
みたいなチャントが飛び交ってたな ゴーディ、アーウィン対ブッチャー、シンは客のノリは神レベルだった。後で中継見たら、福澤と竹内も悪ノリしていた(笑)。
シン!はともかく、それ以外の3人の名前コールは大爆笑もの。 アーウィン!アーウィン!アーウィン!う〜ブッチャー! >>224
あの日一発目の館内爆笑野次は2試合目だったか高木田上対鶴見寺西、というはっきり
言ってどうでもいい消化試合での「5分経過」の仲田のアナウンスへの「ファイブミニッツ
パストも言えよ」というものだった記憶がある。くだらねえ野次だがそれでも沸いたん
だからこの日は最初から出来上がってたんだな、一試合目の百田コールもすごかった シンコールは最強タッグ開幕戦の大阪府立が
発祥だっけ?
シン!シン!と段々とテンポが速くなっていって、
それに合わせてシンがヘドバンしている姿が
可笑しかった
その後のシンシン七拍子。これも百田軍団が あれだけ異様に盛り上がった年内最終戦の武道館だがメインがちょっとグダついて
25分超えるたるい試合になっちゃったんだよな
ハンセンのラリアート予告の瞬間に「やっとこれで帰れる」と正直思った >>228
試合数が多くて盛り上がりすぎるとメインまで持たないことって多いよな。 >>229
90年代は武道館でも7〜8試合なのにこの頃は10〜12試合あって休憩なしだった
ものね、伝説の6.5武道館もやはり谷津対俊二、百田対寺西あたりがだれたな 秋のシリーズに来日したシェーンダグラス
爽やかなイメージが強かったが後のECWで中々貫禄のあるレスラーになったね エースとダグラスでダイナミックデューズだっけか
けっこう絵になるコンビだったなあ >>224
会場に見に行ったけど、最高に面白かった試合だね。
他のカードが通常のシリーズでも組まれるスペシャル感のないカードばかりだった中、昔ながらの最強タッグ外人対決だったもの。一枚落ちるビルアーウィンが妙に張り切っていて、ムチでブッチャーをしばくはシンのサーベルとやり合うは。。ウェスタンブーツで蹴っ飛ばすやら、
そして客のシンコールから全員へのコール。。ストレス発散にはもってこいの試合。当時TV放送がなかったのが悔しい位でした。 しかしウイリアムスを新日からトレードしなかったらゴディのパートナーどうするつもりだったんだろ?春の段階で天龍とハンセンが組んでたけどまさかこの段階でウイリアムスの移籍が決まっていたわけでもあるまいし >>233
あのシリーズのアーウィンの張り切り様は良かったな。
ハンセンとのシバキ合いも凄まじかった。 この年に米国で全日本が興行打った時(カイゲルのテリトリーか?)
天龍対アーウィンのシングルがあったような >>234
スパイビーじゃないかな?
スティングにも勝ったし、期待してたと思う
ゴディとのタッグならトップ級のチームができあがる
ただ、天龍ハンセン組ができた時ってギャラ交渉で馬場を怒らせる前だよね? >>237
なにげにアーウィン兄弟は全日海外遠征シリーズの出席率高いな。 この年の最終戦を最後に全日本からの「安くするから武道館の切符買って下さい」
手紙が来なくなった。まあダンピングしないでも売れる目途がついた年だったのかな
一階5000円が3000円になったからずっと愛用してたんだけど、以降は定価販売での
申込書が送られてくるようになり一年後は「会場前に次回大会をならんで買え」という 鶴田は3月後楽園でフットルースを叩きのめした試合後に、鶴田コールにオー!を加えた、後に鶴田の代名詞となる、「鶴田、オー!」が誕生した。 この当時さ、後楽園7連戦とかやってなかった?
ポスターも天龍だけやたらデカかったのを憶えてる >>243
新春Sに後楽園で7戦やったのと勘違いしてないか? 連戦ではないが90年新春ジャイアントSでは後楽園で7回興行
後楽園物語第一〜七幕と銘打たれた
https://www.toudoukan.com/shop/search/?mid=&keyword=%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92%E7%89%A9%E8%AA%9E&x=54&y=16
全てで小橋の七番勝負が行われた 天龍対高木で後楽園物語って倉持がいってたのこれのことだったのか 天龍対高木で、実況の倉持さんが長州の名前出したんだよな。 ジャパン分裂後は新日本、90年代からは他団体のレスラー
の名前は実況では出さなかった。倉持は82年にハンセンが
来た時実況で猪木の名前を出してた。
その後は若林は川田をまるで誰かのようだとか福沢は
プロレスニュースでピー音入れたり馳にぶん殴ってやる
と言われた時は他団体の選手と言ってた。 >>250
それが、馬場が死んだ途端に日テレが待ってましたと長州などの映像を解禁しはじめたのがワラタwww
やはり馬場に配慮してたんだろうか。
あるいは元子が使うなと日テレに要望してたのかね? 90年の後楽園の7大会は小橋の7番勝負、天龍と高木のシングル、
冬木の不穏な空気、馬場が天龍からフォールを取られる、ジンキニスキー来日
見どころは色々とあったね。 冬木と天竜の間の不穏な空気は雑誌などでも報じられていて、反旗を翻すXデーはいつだ?
という変な期待感があったな >>252
馬場が天龍からフォールだった。
最強タッグで取られたのをすぐに取り換えしてたね。
あとこのシリーズ鶴田と谷津が全く存在感がなかった。 >>256
WARで理不尽大王になったけど、いっそこの頃になればよかったのに
俊二、仲野とか決起軍解散して捻くれてる連中と組んで。 >>259
「若いメンバーで結託して天龍を倒そう」 正規軍に戻った冬木がそんな感じで
高野達と組むならありじゃないかな。
で、その流れから浮いたタイガーマスクが天龍と組むとかね。マスクも脱いだら
なおいい。 >>260
決起軍でダメだったのにまた徒党を組ませるとかありえないな。 冬木、俊二、高木ブー、田上、無理だろうけどこのメンツなら全員が当時
容赦ないブーイングの対象だったので冬木を司令塔にスケールの小さい
ブロンドアウトローズ」くらいには機能したかも、もちろんターゲットは
天龍、三沢、川田、小橋あたり >>262
スケールが小さいって、オリジナルのブロンドはそんなにダイナミックだったか?
ましてや冬木以外の3人は190cmオーバーの巨漢だぞw >>264
いやアウトローズはまあマシーンも含めてみんなプロレス上手いじゃない?
それに対して6〜7掛けくらい、という意味で ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています