1989年全日本プロレスの後楽園
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新春ジャイアントシリーズのキッドスミス対マレンコ兄弟をきっかけに
確実にカード編成に変化を感じるようになった。 新年開幕戦の実質メインは鶴田、谷津対ブライアンアダムス、マイクミラーだった… 後楽園恒例外国人対決
ブッチャー&キマラvsエース&ターミネーター
ハンセン&ゴディvsファーナス&クロファット
ブルドックスvsカンナムエキスプレス
マレンコ兄弟vsファンタスティックス
ブッチャーvsエース
ハンセン&ディートンvsカンナムエキスプレス
この年は基本的に外国人対決は後楽園中心だったね。
地方会場でも積極的に組まれたのは天龍離脱以降から。 不思議な話といか?な話
89年最強タッグ開幕戦の大阪でシンコールが沸き起こった。
そして翌日(かその翌日)に後楽園ホール大会。
この時もシンコールが爆発した、と雑誌に書いてあった。
しかしその時点では開幕戦の大阪大会の放送はまだされておらず。
実際に東スポに『大阪でシンコールが沸き起こった』とは書いてあった。
しかしそれがどういう感じのコールかは見ないとわからない。
でも後楽園ホールでも大阪と同じ内容のシンコールがあったと。
大阪大会を観戦したファンが後楽園ホールでも観戦。
そのファンがシンコールを起こして波動したのか?
当時から疑問だった。
勿論雑誌もまだ。
翌日や二日後なら雑誌では間に合わない。
知ってる方いますか? >>3
翌日は天龍冬木対ドンムラコブライアンアダムス,,, >>4
89年1月のキッドスミス対マレンコ兄弟の前の試合は
テンタvsスパイビー
後楽園外国人対決2連発やで 3月29日の後楽園を観に行ったな〜
確かこの日の鶴田の入場時に初めて鶴田オーコールがおきた記憶があるけど勘違いかも…
鶴田、谷津対川田、冬木戦だった 2月23日 五輪×天龍川田 マイティ×仲野
2月24日 昭和天皇大葬の礼
2月25日 五輪×義兄弟 マイティ×百田 オー
オリャ
シャー
ブー
会場に来るたびに
こんなアホなこと一生懸命叫んでた連中は何考えて
カネを払ってたんだかw
一般層はこんなノリにはついて行けずに
プロレスのカルト化をさらに進ませてた時期だったな あの頃、百田コールしまくってたフーリガンみたいな奴らも、今や50くらいか レトロレスラーを呼ぶ「オールデー、グッドデー」とか
馬場、天龍の試合前のトークショーも
よく開催された。 >>12
全日の場合、この前後にたのみのNWAも力を無くし内々の会員制クラブにするしかなかった
若手の海外修行もこの時期からなくなる >>18
どっちかが負傷で幻となった田上明対高木功戦、これ目当てでチケ買ったわ >>1
キッド、スミス対マレンコ兄妹は今見ると意外とたいしたことないけど
会場でものすごく興奮した
それぐらい前座もよくてテンション上がってたのかな >>12
では、そのオー オリャ の前に
どれだけ全日は格調高いプロレスを
やっていたんだ?と聞きたいね。
両リン、反則、レフェリー失神、
アホなプロレスに一生懸命観戦した
連中は何考えて カネを払ってたんだかWWW 4月の鶴田対ハンセンが不透明決着で空き缶とか投げられたんだよね >>13
新日(U経由も含む)からファンが流れ込んだ時期だからな。 真面目なファンには申し訳ないけど百田軍団みたいなの大すき >>6
もう30年近く経ってるのに今だにそんなどーでもいいことを気にしてるのがちょっとワロタ 鶴田、高野対スパイビー、スレーターがメインの大会あったな〜 >>28
メインはいまいちだけど、ブルドックスvsフライングハーキュリーズ、カブキ&谷津vsフットルースはなかなかの好勝負だったね。 >>10
たしか鶴田半狂乱で一方的な潰す試合やって冬木が半失神してたな、4月の大阪の三冠戦
の布石だったのかも 33 笹だが、
89年7月はブロディ一周忌興行でイヤウケアが来場したな。 その2年前までガラガラで、時々タダでいいからって呼ばれたもんね ずっと全日本プロレスから現金書留でチケット買ってたんだけどこの頃から「返信用の切手代も
払え」という強気な姿勢に変わった。何年もサービスしてくれたのにちょっと売れ行きが良くなった
だけでさっと態度が変わる、分かりやすい会社だなと思ったよ この時期はタイガーマスクが長期欠場してたけど層が厚かったのか気にならなかったな… >>40
リーダーたるタイガーマスク抜きの決起軍ていうのもすごいよな、存在意義が一ミリ
たりともないという >>6
客が調子に乗っていた時期。
シンシン七拍子や、チョップキックのたびに「シン!」は言いやすいので意味なく凄かっただけだとおもう 後楽園の階段に並んで落書きして、南側の立ち見かバルコニーで騒いで、試合後は水道橋の焼き肉大門でビール飲む。学生だった30年前の良い思い出 >>44
君は、あの「百田軍団」かい?
顔と名前(ニックネーム)は知っているけれど
誰かな? Uが堅苦しくてつまらなくて、新日も世代交代の狭間で今ひとつつまらなかったから。
この頃は全日が面白かった。
ちよっと客がふざけすぎな気もしないではなかったけど、メインで天龍が激しい試合して
くれれば満足だった。 >>48
この頃は小橋が盛り上げまくって天龍が締めるパターンが続いていたんだけど、天龍の試合がコケると途端に会場の空気が殺伐として悪くなり始めるんだよな(笑)
天龍の相手が鶴田じゃなくて田上とか変な外人レスラーで盛り上がりが足りないままあっという間に終わると変な空気が流れ始める
そうすると鶴田がメインで昔の鶴田な試合をやってしまい、一気に会場にフラストレーションが溜まる この年の頭の頃は佐藤昭雄が前座に交じってた気がする。凄くプロレスの上手い人、という
評価があるけど試合の記憶とか印象が全くない 89年3月27日の後楽園
ハンセン、ゴディ対ファーナス、クロファット 鶴田、谷津対高野、高木
天龍対田上
アジアタッグの川田、冬木対馬場、小橋以外はカード弱そう…盛り上がったのかなぁ アジアタッグ、小橋の為のタイトル挑戦とはいえ最後に馬場のベルトを巻く姿、観たかったな。 3月29日の後楽園
天龍対ハンセン二冠戦、鶴田谷津対フットルース、ゴディ対俊二、渕対百田の世界ジュニア
両日とも行ったけどこっちの方が盛り上がってたかも。何より百田のタイトル戦があったのが
大きかった。 >>51
会場にいたが滅茶苦茶酷い興行だった
ノーテレビで暗い後楽園ホール
ノーテレビなので地方みたいな手抜き試合始める前座の皆さん
ピート・ロバーツが受け身をとる度に巻き起こる「アイヤー」コール
馬場小橋対フットルースだけ会場大盛り上がり、大爆発
天龍、田上を呆気なく破り、出番すぐ終わり
オー、オリャコールが初めて起こり、陰惨な雰囲気のまま鶴田谷津が相手をいたぶるが観客はふざけきった態度のまま試合終了
(それでも鶴田は自分を馬鹿にする観客相手に開き直りの「オー!」をやってのけ、最後に拍手を受けていた。谷津は最後までオリャコールを嫌がっていた)
メインの外人レスラーのみのバトルロイヤルは三分少しであっという間に終わり、クロファットがしつこく延々とボディビルポージングを続け、観客がまばらな拍手しながら幕切れといううんこみたいな酷い一日だった
この日は全日の後楽園満員超連続記録の二日目だと思う
大田区の鶴田対ハンセンとかこの日のゴミ興行を境に全日ファンの信者化が徐々に進み、数年後には馴れ合いの気持ち悪い空気が後楽園に蔓延するようになる 確かこのシリーズは開幕が足利だかで、第二戦が後楽園のノーテレビ、その次がまた後楽園のテレビマッチで、第二戦で発生したオリャコールが次の後楽園テレビマッチでは既に定着しており、あっという間にブームになった 当時、3月27日か29日にするか迷い29日を選んでおいて良かったと思った高校生時代です >>46
正直に告白すると自分は百田軍団の準軍団員のような存在。会場で会えば一緒に騒いで観戦してた。観戦後は一緒に飲みに行くこともあった。しかし彼らの名前も学校・職業も知らなかった。ただ全日ファンとして会場で会えば気が合った。なんか不思議な関係だった。 いいな、この頃が一番面白かったが地方だから後楽園なんて行けなかった 後楽園限定のネタじゃないけど
あすなろ杯って平成元年だっけ?
優勝者は後楽園ホールで天龍と一騎打ちみたいな特典があって
確か川田が優勝したはずだが、天龍とのシングルはテレビで放映された記憶がないんだよな…
あとリーグ戦開催中にテレビのダイジェストで小橋の試合が放映されて
ワンカットだけどもの凄いジャーマンのシーンだったはず
翌日に学校で「あの若手、誰々?なんか凄そうじゃん」って小橋の話題で盛り上がったのは覚えてる >>57の続き
あの頃はケータイがないから連絡先なんか交換しなかった。デンジャーとかニックネームで呼んでたけど互いの素性を知らないままだった。
ある時、大門で焼き肉食べてたら試合後の天龍たちがやってきた。川田冬木がいたかどうか記憶が曖昧だが小川とはトイレで会った。そこには三沢もいた。ついさっき天龍とタイガーは戦っていたのに、天龍と三沢は一緒に酒飲むのか、と思った。 >>57
では、越○屋もト●エの名前も知らないのか?
もしかしたら、会ってるかも知れないな。
俺は、7月に彼等と焼肉を食ったら
隣の部屋に天龍がいた。
百田が同席していて、川田、冬木らが
いなかったのがちょっと意外だった。
それよりデンジャーって誰だよ?
あの軍団のリーダーは越○屋だろ? >>54
発表上の連続超満員記録は前年のGシリーズの2回目から始まった。 >>52
馬場が日プロ時代に絡んでた時はまだトロフィーでベルトになってからでは初挑戦だったんだよな
>>53
渕のテーマはこの頃からがデンジャーゾーンだったか >>61
元祖百田コールやってたのがデンジャー。
自分も確かに越後屋とは仲良くしてもらった。
あと、Uと呼ばれてる奴がいた。彼はUWFファンだったからかな。
たぶん、君と会ったことあるかも、30年前に。 >>64補足
「越後屋」が本名かあだ名なのか知らずにしゃべってた、あの頃 >>62
そうか、古すぎて記憶がごっちゃになってるわ(笑) >>64
越後谷の前に「百田コール」をやっていた
デンジャーって知らない。
そういえば、そんな仇名を聞いたことが
あるような気がする。
U君は知っているよ。小柄な青年だったよね。
越後屋とU君と、もう一人長身の男がいたね。
在日韓国人と聞いた。
そういえば、焼肉屋で、辛いカクテギを
平気で食っていた。
もしかしたら君か?(^^:
越後谷は、地方から来ていた浪人生なんだよな。
あとのU君とかは専門学校生と聞いたが、、 百田軍団、1991年1月のSWSのNKホールでも見かけたような。
近くに大仁田とサンボ浅子が偶然観戦してて彼らが「全日が一番好きですが
大仁田さんも好きです」とか言って握手してたな。
ナガサキとカブキのシングルで「馬場さん夢をありがとー、あ違うか」
と野次ってたのは笑えました。 思い出した。
百田軍団って基本は
越後谷とU君と、もう一人長身、
細身の青年はキ●君だ。
だから、名前を聞いた時、在日だと思った。
それは別にどうでもいいことだが。
それに時々、ト●エが加わった。
俺も、会場で彼等のそばにいたり、
帰りに飯を食ったりコーヒーを
飲んだりしたので軍団員だと思われただろうな。
実は、その前に会場仲間がいたのだが、
百田軍団と仲良くしたら、外された(^^: >>67
いや、自分は在日の男ではない。当時、周囲には、茨城から来てると告げていた者です。
百田軍団を不愉快に思ってた人もいたかもしれないが、あの頃は楽しかったな〜懐かしい〜 全くの部外者だけど、百田軍団、特に不快には思わなかった。
聞くに絶えないようなヤジはなかったと思うよ 僕が覚えている百田軍団
越後屋(リーダー)
デンジャー(フォーエバー)
と○え(サブリーダー)
いし○○くん=U (人のことをユーと呼ぶため)
き○さん(長身の韓国人)
とが○(いい人)
ドロボー(いつの間にかいた)
せ○○(今のリーダー)
とにかく楽しかった思いでです 今のリーダーって、まだ百田軍団は存在してるんですか あの頃の後楽園に集っていた人たちの同窓会みたいな流れだな
みんな、あの頃の全日に夢を見てたんだよね 4月の大会にはハーリーレイスも出場してたよね〜
これが現役では最後の来日だったのかな >>77
最後のレイス参戦はブッチャーとの抗争だったね。流血するローデスジュニアを横にブッチャーとにらみ合いしてたのが印象的だった。 この頃マッチメイクしてたという市瀬はすごいと思う。「百田光雄で切符が売れる」という発想
はどうやったって出て来ないと思うわ。団体、ファン、選手、三方すべてが幸せになれた
いい時代だったのだろうな >>79
>この頃マッチメイクしてた
市ノ瀬は、まだそこまで
影響力はないだろ?
25,6歳の、一介の記者だよ。
90年6月の武道館、編集長のターザンが、
三沢に鶴田を勝たせるべきです!と進言して
渋々ながら通ったくらいだよ。
市ノ瀬は、その後、92,3年にチャンカンや
最強タッグの星取りの「たたき台」を作成したという。
それが全部、馬場の承諾を得たというものでもないらしい。 >>80
知らなかったよ、ありがとう。ブルドッグス対マレンコ兄弟、百田タイトル、馬場小橋
とかは目新しかったので外部の人間のアイデアとずっと思ってたわ。 鶴田小橋対天龍小川
も斬新だった、一番強いのと弱いののコンビ同士の対戦。天龍は凄く嫌がってたけどw >>82
この日の川田、冬木対ファーナス、クロファット戦で川田が失神芸を披露してたのは印象的 ジンク、ファーナス、クロファットの揃い踏みはかっこよかった 個人的には百田軍団の連中にはいい印象はない
だが「功」を挙げるとすれば、新日ドームで五輪
VS長州、ジョージ線の前に、彼らがスタンド席を
駆けずり回り「皆でウェーブをやりましょう」と呼び
かけ続けた事だな
終演後、自分のツレがメガネ(彼が越後屋?)に、
「いつもホールにいる百田ファンの?」と訊ねると
「そうそうw」と返していた
田上チャチャチャや輪島チャチャチャもこいつら
が発祥だっけ? 百田軍団(越後谷)
南側立見席に陣取って
第一試合(百田登場)
大百田コール
「皆さん、ご一緒に!」
百田の攻撃に合わせ
「ギャオ!」
バックドロップなんかを出せば
「危険すぎる!」
「百田の時代だ!」
88年の秋に馬場のトークショーがあって
俺は行かなかったが、
馬場に百田のタイトル挑戦を直訴したらしい。
越後谷?「百田へのコールも凄いんです!」
馬場「君がやっているんだろ?」 >>86
間違えた。健吾、木戸だったね。さんく
長州、ジョージは天龍、タイガーの相手だった >>87
百田本人はどう感じてたんだろうか興味あるな。でも軍団の後押しでタイトル挑戦、奪取、
武道館で防衛戦までこぎつけたわけで意外と悪く思ってないかもな >>75
今は大日にはほぼいるよ
よく大日スレに書かれてる
>>89
当時の雑誌のインタビューで
「俺のファイトが、今の熱いファンにマッチしたんだろうね」と言ってて、
それを見た越後○が
「百田勘違いしてるよ、俺はそんなつもりじゃなく、ちゃかしてるだけなのに」と震えていました >>90
百田がそう思ってたんならよかったな、結果として王者経験してカブキばりにギャラを
500円アップ(一試合当たり)してもらったりしたかも 10月の大会でのメイン
鶴田、カブキ対天龍、冬木…普通のカードだ… >>90
>越後○が 「俺はそんなつもりじゃなく、ちゃかしてるだけなのに」
>と震えていました。
冷やかしもあっただろうが、越後●は、百田がジュニア王者に
なった時、本当に喜んでいたよ。 2.25は盛り上がった。いつもはおちゃらけた百田軍団だけの百田コールなのに、この日は客席一体となっての熱狂的大百田コール。マイティにはブーイング。おそらくこの日が日本初の本格的ブーイングが発生した記念日。あの雰囲気は鳥肌もの。 >>87
馬場のトークショーは永田町の星陵会館だっけ!あの辺から全日が変わってきたというか、ター山との蜜月が始まった。 これは後楽園じゃないけど
伝説の6.5武道館で百田の防衛戦、確か寺西戦だったか?
大ベテラン同士で内容は間違いないと思ってたが、意外な凡戦
後に記憶に残る興行になったから、なおさら抜け落ち感が残る試合の印象になってしまった
ここから百田人気というか、ジュニアの百田路線は終息してった気がする
実際に程なくして仲野に王座が移動しちゃったしね まぁ、冷静に考えれば、マイティ百田とか、百田寺西とか、ただの前座カードだよ。でも、それでもシチュエーションしだいで熱くなれるんだからプロレスは面白いよ。 >>96
最終的には大宮でジョーマレンコに首投げみたいな技であっさり負けて王座陥落したんだよね… 中3の時に富山から3/27観に行ったわ
切手貼ったw返信封筒を全日に送ってチケット買って
初めての後楽園、初めての百田コール
たまらなくなって、29日も当日券並んで、立ち見で見た
渕に負けてベルト獲れなくてガッカリした
横断幕が27日が「バトルは百田 ベルトも百田」
29日は「後楽園発世界行き百田2号発車」だったかな
百田軍団とか知らんかったけど、楽しかったよ
ありがとう 南側立ち見のハシゴの階段に群がって騒いでいた百田軍団。あれからおよそ30年。百田軍団も、百田軍団に楽しませてもらった人も、百田軍団を不快に思ってた人も、今や年を重ねていいおじさんなんだろうな。私にとっても青春の熱い思い出。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています