なんで馳浩と越中詩郎はG1もIWGPヘビーも獲れなかったの?
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むしろSKがG1とIWGPを獲ったことが大きな間違い 仮に二人共、シングル取っ手も1回も防衛させてもらえなかったろうな。 >>4
シングル取っ手も ×
シングル取っても ○ 今だったら普通にネバーやICは巻いてるだろうね
IWGPヘビーは後藤でさえ巻いてないから難しいだろうけど 越中は維新軍の時に一回くらい巻かせてやっても良かったかなとは思う。マシンもRSの時にでも然り
馳は人気も実力もあったのになんでだろうな。政界行くことが早い段階で内定してたとか長州にアレされてたとかそんなんじゃね?
腰やってからの藤波より全然説得力あった >>3
1996年の秋のスペシャルトーナメントみたいな企画で準優勝したことはある 永田と越中の後楽園でのIWGPではエッチューさんに取って欲しかった
取って欲しいというか取らせる台本で良かったのでは?
ケンコバも旬だったし 90年代の新日は長州と藤波を除けば橋本と武藤がトップで、その次のグループに蝶野、馳、健介、越中という感だった
一時期この二番手グループの中で越中の格が1番じゃないかっていう時期は確かにあったな
IWGPとG1の王者になる武藤を唯一シングルで倒したり、タッグで橋本から取ったり、蝶野相手には対戦成績で勝ち越したり 結果、初のIWGP二階級制覇は高田延彦に与えられたと。 >>2
橋本とか言うデブと武藤とか言うハゲは巡業サボりまっくってたし
IWGP巻くのの健介くらいしかいなかったと思うけどね エッチューさんは95年G1で武藤に勝ってベルト初挑戦してトップグループ入りしたまでは良かったが96、97と立て続けで怪我したのが痛かったあれでトップ争いから外れたようなもんよ
しかも反体制トップの地位もnwo真っ盛りの蝶野に奪われたし色々と持ってなかったな 馳なんか議員になったのが95年だから、チャンスなんかほぼなかったよ。
唯一可能性あったのが、WCWのインターナショナルのタイトル獲得した時くらいだろ。
ただあのときが94年だからもう議員になることも決めてたし無理だな。 IWGP王者になれる人
IWGPに挑戦できる人
IWGPに挑戦すらできない人
みたいなランク分けしたら越中はIWGPに挑戦できる人で妥当と思うんだけど まあ妥当だな
実際越中や馳が王者になって団体の顔になれるとは思えんからな
武藤や橋本のように新日ファンが望んでなかったw 蝶野がNWA王座陥落した93年正月〜黒蝶野になる94年秋くらいまでの期間は
馳の方が格上感あったし扱いも良かったね
IWGPのチャンスなら勢いあるこの期間だったんだろうけど
ちょうど橋本のIWGP防衛ロード重なったのと
94年の春〜夏は世代闘争がメインだったのも不運だった
まあその代わりにWCWインターナショナルなんだろうけど >>14
いなかったな
蝶野は満身創痍でシングル戦線無理だったし
中西がまともなら健介すっ飛ばして中西でよかったんだけど
あれじゃさすがに無理。 馳か越中がIWGPヘビー取ったらIWGP三冠取ったことに
なるから格的には難しくなるからじゃないのかな?
健介なんかより人気、説得力はあったのに。 そういう人って必要なのよね
海外でいうマードックとかデビアスとかカートヘニングみたいなね
馳も越中もあれでよかったんだろうな
でもG1を優勝あるいは準優勝する越中も見てみたかったかも 越中はヒップアタックというふざけた感じの技を使ってるのが上に印象悪かったのでは?
馳でいうとジャイアントスイング。明らかに相手にダメージ無い見せ技 でも、ヒップアタックは見てて、割と小気味のいい技で連続で出すと盛り上がってた。
ジャンボのジャンピングニーみたいな感じで。
馳のジャイアントスイングは、なんかやっぱ試合の緊張感に水注す感じで、俺も余り好きでなかった。 >>1
>なんで馳浩と越中詩郎はG1もIWGPヘビーも獲れなかったの?
そう感じるアンタが分からん!
なんで取れると思ったんだよ?www どっちもエースって感じじゃないだろ
今はスタイルが多種多様になったから色んなタイプのレスラーがシングル王座巻くようになったけどさ
どっちも基本はタッグ戦線へ行かせたほうが映えるタイプだよ 93年のG1は、決勝に藤波と馳が残り
藤波の優勝という情報を事前に掴んだ
ターザン山本(当時、週プロ編集長)が
馳に優勝させるべき!と永島(新日専務)に
進言したが、却下された。 >>7
馳が人気あった(笑)
ニワカ知ったかすんなボケwww 馳はしょっぱかったからな
腰クネクネグラインドさせたりもダサかったし所詮色物レスラーだったよ スターの多い時代だったから
二人ともただ運が悪かっただけだな あの頃の猪木とドームでシングルをやるってのが馳への最大の評価なんだと思うんだが。これはベルトよりも大きいと思う 二人共、あのポジションで妥当だったと思う。
馳はトップの一角で間違いないが、エースって感じではなかった。
ただ、一回くらいはG1取らせてよかったかも。
越中はやっぱ、中堅の粋を出てない印象。
それでも、全日に残ってた場合考えたら、はるかに自由に活動出来てたんでは?
全日に残ってたら、四天王の下だった可能性高いし。 >>そういう人って必要なのよね
海外でいうマードックとかデビアスとかカートヘニングみたいなね
ブレット・ハートもこの手の選手かと思ったが、一歩抜け出て長期王者になった。
越中はともかく、馳はチャンスあったと思うが、いろいろタイミングとか巡り合わせとかあるんだろうね。 >>27
確かに馳も越中も獲れなくて妥当なんだけど
なんで>>1のような意見が出てくるかと言うと、それはSKが獲っちゃったから
で、SKが獲ったんなら「馳や越中も〜」って感じるのもこれまた妥当なライン
IWGPとG1の勝ちを下げたSK(というか獲らせたフロント陣)の罪は大きい 越中はWAR両国の天龍戦とかとにかく素晴らしかった。
メインエベンターのプロレスが出来る技量とオーラがあったのにね。
越中自身のせいだけでは無いけど、越中をエースに出発した平成維震軍の失敗がとにかく印象悪かったと想像。
帰ってきた時のポスターの扱いが前座なみの画像の小ささで、こんなに不要と思われてるんだと当時思った。
馳もG1で藤波と決勝した時に優勝させてあげればその後のランクがだいぶ変わったのにね。
あの年のG1は馳がMVPだったし馳が優勝すれば三銃士との格差がだいぶ縮まったが藤波優勝では何も変わらなかった。
2人とも長州一派なのになんで健介とこんなに待遇ちがうのかな? 越中って2007年頃、急に人気が出て後楽園で永田とIWGP戦やったね。 >>37
天龍が新日荒らしまくってた頃だからな
最後の切り札が馳じゃ格が足りないと判断されたんだろう
まあ藤波が最後の砦っていうのもあまりにも
頼りないが
一応格だけはあったしな その時代後の小島、天山あたりの戴冠から見れば、馳、越中、マシン戴冠はあってもおかしくない。
不思議なのは健吾でIWGP奪取はおろか、挑戦したこともない。
健吾の最後のシングル挑戦は1982年12月の藤波のWWFインター。 越中は天龍が50で武藤からIWGP獲ったの見てどう思ったんだろうな笑 >>40
そりゃあ その時代は、第3世代の時代になってたんだから
天山、小島が巻いてもおかしくは無いだろ
西村や吉江あたりなら違和感はあるだろうけど G1決勝くらいには一度は出てきてもらいたかった。
山崎のように。 SAMURAIのテーマ曲は人気あったようだが実際どうなんだ!? いまだにあのテーマかかるとめちゃくちゃ沸くよ
武藤に勝った時とか最高だったな 二人ともわき役で輝くタイプだったからね。
越中は特にG1で大物食いをして盛り上げるのが大きな役割だったし。 >>48
そうなのか
俺は98年1.4ドームでの復帰戦から使い始めたテーマ曲が好きだった 馳はブッカーやってたって話してだからむしろ厚待遇っぷりにビビるわ >>49
田上は休火山キャラのおかげで四天王において最弱のわりにシングルでは爆発する人という認識だっらから
あと新技投入意外性のある行動をよくやるのも大きい ベルトとっても晩年悲惨なレスラーが多いなか
馳が一番の勝ち組 >>58
馳は新日で引退のさせられたような下りから、全日での復帰が不可解すぎる。
リング外で新日を追われる何かがあったのかも。 >>59
新日に相談せず勝手に選挙出て当選したからじゃね? 長州が部下で国会議員だと使いにくいし妬ましいからクビにしたと勝手に思ってた 馳 越中 マシーン
彼らはトップの実績と存在感はあった。
マシーンなんかパワーとテクニックがあり。
せめてこの三人G1優勝あっても良かったと思う。
逆に意外性もあったから盛り上がり。 越中とマシーンは体制に刃向かうのがウリであって、戴冠したら駄目なんじゃないの?
政権やらせたら全く駄目だった民主党みたいなもん。 ひとつには体格だな。
あの二人が、90年代、IWGP王者になって
ベイダー、ビガロ、ノートンら大型外人の
挑戦を真向受けらるか? マシーンが長州やベイダーからベルト奪取してたら、会場はどんな空気になるんだろう?
爆発的に盛り上がるか、やっちゃった感の放送事故的な空気になるか、どっちかだな >>42
別に笑ではないやろ
そもそも天龍と越中は格が違うだろ 越中が出たワープロ 俺の激闘ベスト5は以前動画で見たけど良かったあれは。
蝶野と越中が会話する番組なんてなかなかないし面白かった。 >>69
G1の蝶野やスーパージュニアの保永みたいに大爆発すると思うけど。
でもあれはリーグ戦だからIWGPだとまた少し違ってくるのかなぁ。 三銃士の一枚下がったトリオが健介、馳、越中だけど、本来は健介のところはジョージだった。 越中は健介によく敗れたイメージあり。
本体復帰後にいきなり健介と組んでIWGPタッグ巻いたけど。
あのときもテンション高かった越中。 >>71
芝居だ、と言っても
例えば、演技力のない俳優、
スター性のない俳優を主演に出来ないだろ?
正統な恋愛モノで、主演男性が恋人役の女性より
背が低いようなもんだよ。 >>69
取れば盛り上がるけど、防衛戦はなんかしらけるパターンだと思う 越中って巨漢の外国人とのシングルマッチは印象にない。
ノートンとシングル戦はあるの? 越中さんはケンコバモノマネでブレイクして
勢いあった時にIWGP挑戦まで行って
奪取するかと思っていた。
馳さんってIWGP挑戦あった?? 新日が一番勢いあった時はムタ橋本武藤で回してた
あの頃がIWGPに一番権威があった時代だと思う
健介が巻いたあたりからベルトの価値が下がりだしたな 越中が橋本に勝ったの一回だけ覚えてる
ヒップアタック受けた橋本がロープに頭打ったダメージでパワーボムに沈むってやつ
見たのはガキの頃だったが初めてプロレスを疑った試合だったね >>82
橋本、武藤の時代はいいけど、ムタの時は権威なかったやろ?
マジで当時見てたのか? 俺の使っている最後のスライド式ガラケーは越中詩郎がなぜか予測変換で出る
前使ってたD903でも出たんだよな 武藤蝶野とハセケンは新日屈指の名タッグだったが意外とあっさり自然消滅させた。
橋本と越中はベストパートナーがいなかったな。 橋本は平田とのタッグは良かったよ。
越中は天龍かな >>85
ムタの時はWARとの抗争で客入ってたからIWGPはテキトーな扱いだったね
93年なんか正月に防衛してから6月のvsカブキまで防衛戦なかった気がする
つかカブキが挑戦できたってのも軽い扱いだった感するな 蝶野も1回しか獲ってないんだよな
結局、肝心なところではいつも正規軍のベビーが勝つっていう
つまらない終わりなんだよな 蝶野は仕方ない。
首の怪我でコンディションが安定しない。
G1優勝回数は多いけど。 蝶野はベルト渡さない代わりにG1取りまくった
橋本はむしろ蝶野武藤と違ってベルト持たせなきゃどうしようもなかったってゴマシオが言ってたような 越中と高田のタッグは良かったな
ああいうのをやるのが新日本プロレスだわ 越中はずっと全日本にいたらどのようになっていたと思う?
収入面では新日本に来て間違いはなかっただろう。 >>94
あれタッグリーグ限定だったか?
途中まで優勝戦線絡んでたよな >>97
長州一派離脱後に馬場に呼び戻される
三沢タイガーと共闘か対立
天龍同盟に参加。冬木とタッグを組み以後川田ルート
1990年SWS参加で、どうだろう 99だが、安田は馳に引退試合の相手を頼んだ。
しかし馳は引退した身としてそれを断った。
もし馳が承諾したら安田はデビュー戦と引退試合が馳という同じ相手となった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています