★8・26★夢のオールスター戦★日本武道館★
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今日8月26日はあの夢のオールスター戦開催の日。
あれからなんと39年。
この夢のオールスター戦を語りましょう。
皆さんの知ってる知識をどんどん出して下さい。 今思うと鶴田、藤波組が一択で超ドリームマッチに思えるけど、、、当時はブッチャーとシンがタッグを組んで馬場シン、猪木ブッチャーの絡みが実現するなんて夢のまた夢であったわけだよね。
当日生観戦したけどほぼ40年前とは感慨深い >>362
鶴田は坂口や草津と違ってナンバーワンの後継候補としてのナンバーツーだから意味合いが全く違う
どちらかといえば力道山時代の豊登に近いがタイプ的にも年齢差的にもまさに理想的なプリンス型
ただし理想的過ぎて永遠のプリンスで終わったという印象も >>415
確かに坂口(と草津)は後継者としてのナンバー2ではなかった。
当時の新日で猪木の後継者は藤波。
しかしこの時代の藤波はまだナンバー3。
全日では馬場世代が重宝されなかった。
だから鶴田が早い時期からナンバー2に。
全日に坂口みたいな存在がおれば鶴田のナンバー2も時期が遅くなっただろう。
新日での藤波みたいに。
でも全日はそういう存在がいなかった。
馬場は鶴田を後継者と考え猪木は藤波を後継者として考えてなく。 >>414
今から思っても、鶴田藤波一択ってことは無いわ。そりゃブッチャー&シンだろ。 人気投票はブッチャー、シンと
ファンクスがぬきつぬかれつで
てっきりファンクスだと思ってたな。
全日で人気あったのは
ファンクスだったから
鶴田、藤波って投票あったが
かなり差が開いていたと思う。 当時の状況ならブッチャー シン、ファンクス、鶴田、藤波は妥当だろうね。
現実的にも。
まあ当時はシンとブッチャーを組ませるのは非現実的とも言われたらしいが。
無理があるだろ、って。
でもまだハンセン ブロディの台頭前でホーガンは未来日。
アンドレ マスカラスに世界王者の レイス ニック バックランド ガニア。
79年時点のトップ外人はこういう面子で。
マスカラスは6人タッグが決定しており。
アンドレは適したパートナーがいない。
そうなるとファンクスかブッチャー シンは自然だろう。
ブッチャーとシンは全日と新日のトップ外人だし。
ファンクスはブッチャーとは立ち位置が異なった。 当時ファンクスにあんまり興味がなかったのに加えてファンクスじゃあ馬場絡みが全然夢のカードにならないじゃん、せっかくのオールスター戦なのにもったいないって必死にブッチャーシンに決まる事を願ってた(笑) >>422
そんな消去法ではなく、
全日新日それぞれの最強ヒール、
実質両外人エースのタッグがやはり一番ふさわしいだろう。
他のどんな候補も敵わない、誰もが夢見た最高のタッグだ。 そうだね。
82年に第二回が企画された時はBIとハンセン ブロディという案も出た。
これも妥当だろう。
しかしそうなると全日3ー新日1に。
ハンセンは直前は新日だったが。
まあ猪木のフライングマイクアピールがあったせいでBIは無理だろうが。
仮に第二回があっても。
あの猪木のフライングマイクアピールが無ければ第二回は実現した可能性が高かった。
そんな記事を読んだ事ある。
まあ後付けでは何とでも言えるが。 >>427
もしかして面白いと思って書いたんですかー?w バトルロイヤルは、越中が雑用か何かで試合に間に合わずに不参加だったのが残念。
また全日本は来日中のボボ・ブラジルをバトルロイヤルに飛び入り参加させようと
していたらしい。もし実現していたら、新日若手×ブラジルは異次元対決だったね。 >>432
ブラジルの話ホント?
それは見たかったけど、出たら優勝させるしかないからなあ。 >>431
前日まで北海道巡業で、OS戦当日の午前中に空路で帰って来た。これは後にマスカラスや大仁田らが証言している。
そして翌日には秋田で試合と結構ハードな日程だった。 ブラジルが新日の若手をちぎっては投げ…、とか超見たかったなw TJシン「オレが狂っているって? 狂っているのはおまいらだ」
T戸口「特に藤波には頭に来た」
M斎藤「俺たちはキャリア派っていうんだ」 全日はオールスター戦前提でシリーズ日程を組んだのでは?
オールスター戦は事前に決まってたし。
新日はシリーズ中じゃなかった?
シンもブッチャーもその為に夏のシリーズに呼んだって記事はあった。
マスカラスはシリーズ参加してなかったっけ?
この時期は79サマーアクションかスーパーパワーだったはず。
新日はブラディファイトで。
ブラジルも参加して欲しかった。
バトルロイヤルならブラジル優勝しかない。
でも若手中堅のバトルロイヤルにブラジルではブラジルにも失礼か。 全日本はブラックパワーシリーズ
一応ブラジルは極道コンビのアジアタッグにも挑戦してたんだよな
あるいはオールスターに向けての極道コンビの箔付の意味もあったろうが ブラジルとコロンのコンビとか、日本以外では組むわけないから奪取したら困っただろうな。 >>438
ブラックパワーシリーズ中で、大会当日は
ブラジルは武道館に見学に来ていたので、
飛び入り参加の打診をしたとのこと。 新日はシリーズオフ。9月1日から次のシリーズが開始。だからオールスター戦では新日のリングが使われた。 >>440
実際に後にカンナムが奪取したが国外流出とは言われなかったな 444シッシッシッ(苦笑)だが、
小鹿はまだしも大熊は強かった。 当時デラプロだったと思うけどオールスター出場予定メンバーにボボブラジルの名前があった事を鮮明に記憶してるんだけど、同時期来日しているから勝手に書かれただけなのかな ブラジルは扱いに困ったろうな。
キャリア的にはシン、ブッチャー、マスカラスより上。
しかし当時の立場ではもはや彼等より下。
つっても当時のブラジルをシン、ブッチャーの上にはできないし。
83年秋にシンとブラジルがカナダでタッグ組んだ試合がゴングにあった。
意外な接点だと思った。6人タッグでもう一人は何とかマルチネス?とかいう日系人。
相手は何とかデストロイヤーズだったかな? >>444
シッシッシッとか
そういうのいらないから 当時はプロレスにレトロやオールディーズの需要がなかったから
ブラジルが出ても出なくても変わりはなかっただろうな。
でもこんな回顧をしたときにだけど、もしブラジルが出ていたら
8・26の一連の試合にずいぶん深みが出たことは間違いないから惜しいな。
バトルロイヤルで十分だけど、ついでに呼んで大木とタッグとか
どうして出てないの? とも思えるデストロイヤーと組んでたら尚更だろ。 ブラジルの日本マットでの最終試合はこのシリーズ最終戦のインタータッグだったんだよな
パートナーはブッチャーでまさに黒人代表の交代って感じで >>449
レトロやオールディーズの需要はないなんてことはないわ。当時から懐メロなんて言葉はあるんだから。
ただブラジルは現役選手として来日してたんだから、別に特別盛り上がりはしなかったかもな。
デストロイヤーは、すでに日本人扱いではなかったろ。ギャラがバカ高いのにわじわざ呼ぶ意味がわからん。 ルー・テーズ&カール・ゴッチvsシャープ兄弟ならオールドファンが見に来たか? 豊登&吉村道明&遠藤幸吉vs芳の里&マンモス鈴木&ミスター珍
レフェリーはユセフ・トルコ >>454
豊登と芳の里を入れ替えたら、日プロ対国プロになるな >>455
ビートルズ武道館の志村けん
長嶋引退試合の落合博満に通ずる話だな >>457
志村けんはドリフの出演した日に観覧したのかな? >>455
ケロ田中は新日バイトの前年で大学生だった。
あのオールスター戦を生観戦して新日での仕事を決意。
ライガーは当時は中学生。
広島からわざわざ観戦に。
やはりオールスター戦を生観戦してレスラーになる事を決意。
二つとも記事によるものだから真実かわからんが。
ちなみに当時、中学生だった小橋も生観戦したかった。
でも京都だったから生観戦できなかったと。
※荒らしやネタではなく。 >>459
ここではシレッと普通に書き込んでいるんだなw 坂口と鶴田が同じリングに立つのを見たかった。
鶴田は猪木、坂口とは同じリングに立つことはなかった。
欲を言えばBI復活試合は何度もやって欲しかった。
無期とはわかっていても。
しかし79年の時点でBIの対戦公募ベスト30を見た。
にハンセン、ブロディの名前がなかったのが意外。
この1年後なら二人とも名前は入っただろうが。
別冊ゴング80年1月号の表紙に私服のハンセン、ブロディが使われた。
それが元で日本で『ハンセン、ブロディ』が認識され始めたらしいし。
二人が大学の先輩後輩で繋がりがあったと改めて。
これは二人にはプラスの宣伝になったとも思う。
ハンセンは80年で本格的に大ブレイク。
ブロディも80年から定期的に来日する様になり。
しかしもう40年近くも前になるのか。 1979年ったらまだ外人=悪、日本人=正義というステレオタイプな勧善懲悪スタイルが主流だったからな
上田が悪役として外人に加担したり、ファンクスが正義のヒーローとして日本人側についたりとか、
一部においては例外もあったけど基本的には外人側の凶悪度が高まるほど日本人側への声援がより大きくなった
規格外のアンドレもこのカテゴリに収まっていたんじゃないかな
それを一変させたのがハンセンで、NWF王者を経て対アンドレ戦で一気に開花する
それまで見たこともないパワー系スタイルが大受けし、誰であろうと強い者に声援を送るという風潮が生まれた
80年代前半に二度目のオールスターがあったら、ハンセン・ブロディは確実に上位に選ばれていただろう
対戦相手はアンドレ・ホーガン組あたりで同士討ちの仲間割れを発端にドローといったブックが妥当かな 177荒らしじゃないが (ガラプー KKfe-okJb)2018/12/27(木) 21:36:28.45ID:0oZvcvzjK
>>175
アントキノイノキ
いやっあんときは三銃士と健介が長州を救出に。
全員でハンセンとベイダーと浜口を蹴散らした。
ハンセンはリング下に降りてそっから客席へ雪崩れ込み。
だからハンセンと健介はやり合ってないのでは?
ただ救出乱入とはいえ同じリングに数秒は一緒になった。
荒らしじゃなく当時の試合の記憶を辿って書いた。
あの試合は録画して何度も見たし。
蝶野が張り切っていた記憶がある。
186お前名無しだろ (ガラプー KK8b-1KoE)2019/01/03(木) 11:53:16.60ID:8vIjCsYHK>>187
>>184
悪役ブルースも最後の方は同時進行の形になった。
こちらは架空の主人公だったからホラやデマカセという次元では語る事ができないが。
主人公カミカゼの吹雪純也が乱入してタイガーマスクのマスクを焼いたり。
カミカゼが国際はぐれ軍団と合体したり。
合体というよりはぐれ軍団三人に弟子入りみたいな形だったが。 80年からは一気に大転換するんだよな
その意味で七十年代の最後がファンクスと凶悪コンビの決着戦だったのも象徴的か 結局、明けて80年になって感じたのは「あの一戦限り」という空気がやっぱ支配的だった事。
勿論当日テレビ中継も無かったし、馬場の「よしやろう」宣言もその場のリップサービスと普通に取れたし、まさに「真夏の夜の夢」で終結していた。
仮にその後、水面下で話し合いがあったとしても、我々ファンには今ほど情報が拡散できる時代じゃなかった訳で。
年頭以降、親日はWWFやエディグラハムらNWA反主流派と連携し、外人勢の顔ぶれを底上げしてリングを盛り上げ、
乱発気味ともいえるタイトルマッチも敢行して豪華物量作戦、全日はファンク一家やNWA主流派とさらに関係の強化に努める動き。
年末に至っては双方ともタッグリーグで興行合戦。両団体とも歩み寄りとは程遠い、以前にも増して競争と牽制の色合いの強い一年だったと思う。。 469仕向く だが、
オールスター戦は毎年開催して欲しい、との無茶な気持ちがあった。
一回でも大変だったのに毎回なんか絶対に無理な話だが。
しかし子供には裏の事情や多大な苦労はわからんから。
オールスター戦開催でどんだけ〜
まあどんだけの人間が骨を折って漕ぎ着けたか。
大袈裟だが、どんだけの人間に犠牲を払ったか。
多大なリスクもあり。
あとは馬場の気持ちだな。
猪木のフライング発言に信用度0となって。
今から考えたら第二回は実現しなくて当然だった。 8.26プロレス夢のオールスター戦
入場料
【前売指定席】
特別席→20.000円
リングサイドA→10.000円
リングサイドB→7.000円
1階指定席A→5.000円
2階指定席B→4.000円
2階指定席C→3.000円
【当日売自由席券】
2階一般席→2.000円
2階小・中学生→1.000円
※特別席は528席用意された
ちなみに前年に日本武道館で行われた猪木VSバックランド戦の最高入場料も同じく20.000円
当日券を求める一番乗りは8月25日午前8時30分に並び始めた都内の高校生2人組
パンフレットは1部500円で7000冊用意され試合開始前に完売
当時の武道館クラスのビックな大会の場合、1部200円で3000冊が相場だった
ソースは1997年に日本スポーツ出版社から発売された「検証・8.26プロレス夢のオールスター戦」より 471竹刀だが、
上田と大木は異論あってオールスター戦出場拒否のボイコットだった。
実際にそこまで二人の需要があったかは別にして。
ソースは1997年に日本スポーツ出版社から発売された《検証・8/26プロレス夢のオールスター戦》 472支那に、だが、
夢のオルスとか書いていたのは誰だ?
えっ俺?
うるへー 波平 志願兵 >>471
実際需要があったかどうかは〜
と言うようにまったく大木、上田の事なんか誰も気にかけてなかったよ
そもそも三団体集結に何の関係もないんだから >>468
当時のそういう発想が日本の悪しき伝統とでもいうのかな
朝日と新日、NTVと全日との独占契約という大人の事情があることは分かる
だから互いの放送局にとってこれは無かったことにという消極的な解決法がね…
例外的に認められたのが既存のニュース枠で三分以内の報道のみ
プロレス番組内で扱ってはいけないという縛り
おまえそれ誰が得するの?と言いたいよ
俺が当時の責任者なら「8.26に限り、朝日・NTV・テレ東は自由に映像を使える」
ぐらいの特例規定設けるわ
ファンは喜ぶ、テレビ局は間違いなく視聴率を取れる
まさに全員がwin-win
馬場が亡くなった時NTVのみならず朝日も故人を大々的に取り上げ、
それに際してオールスター戦の映像が何度も流されたんだから
1979年当時の協定なんて今となっては実質無効だろ >>474
それは馬場が亡くなるまでの20年で、プロレスというコンテンツの価値が
下がったからだろ?オールスター戦のころはゴールデンタイムに週3回も
放送される人気番組だったのに、20年後はもうその時間帯には放送されない
コンテンツになった。そんな人気番組だった時代と比較しちゃダメだよ。
馬場というコンテンツを確保するために日テレがした努力、猪木というコンテンツ
を確保するために旧NETテレビがした努力、そう簡単には譲れなかっただろう。 >>475
しかしそうは言っても未だに8.26の公式DVDが発売されないという異常事態は、
当時の協定や担当者不在といった過去の負の遺産によるもの
国際プロレスは存在しないしテレ東はプロレス中継をやめてしまった
全日は選手大量離脱後に辛うじて首の皮一枚つながったもののNTVはNOAHを選択
だからこの四者に関しては1979当時の協定は無効と言っても良い
唯一朝日と新日との関係が不変と言える
8.26オースルターのDVD化や放送権は朝日がイニシアチブとって進めてほしいと思ってる その一部の試合がネットの動画で普通に見る事ができる。
そういう意味では凄い時代というか贅沢な時代でもあるね。 ブッチャー引退セレモニーにシンとテリーは参加して欲しかったね。
せめてデストロイヤーみたいに映像だけでも。
あとサブゥーもシークの代理として。 もしも全日本と国際の友好が続いていたら馬場は鶴田・藤波・原のトリオを認めたか否か >>480
いやあ、馬場は格を重んじるからまだ早いだろ。
ファンの気持ち考えてもその案はないわ。 >>480
>>64には馬場・猪木が原を評価してないからボツと書いてあるな。 馬場からすれば藤波を鶴田と組ませただけでも大譲歩だったりして 藤波はその1年ちょっと前なら第4試合の6人タッグに出てる連中と同格だったしな。 鶴田とマサの初対決なんだよな
当時は藤波と戸口の方が注目だったらしいが 戸口は鶴田のライバルだったけど、マサは藤波や長州にも負けてたからね。 高千穂が寝るのを拒否したから、マサがマスカラス相手に寝る役になったんだよな。
セミの6人タッグだけが別の団体間の決着だったから、何か違和感があった。
猪木がシンを、阿修羅が寺西を、星野が木戸を、みたいな決着ばっかりだったし。 >>487
セミはラッシャーVSストロングの歴代国際エース対決だろ。 >>488
シングルのことは書いてないよ。坂口と羽田とか、荒川と奄美で他団体の決着になるのは当然だろ? >>488
試合順は間違えた、うっかりしていてすまなかった。 鶴田藤波くらい華がある人ってなかなかいないからね。当時は。特に国際には。
天龍、長州はブレイク前。前田はまだまだ。 BI砲の対戦チームにマスカラス&ロビンソンがランクインしている。
当時としては一流メインイベンター同士のドリームチームなのだろうけど、レスラーとしては最も対戦たくない自己チューコンビなんだな。
仮にBI砲と対戦してもどちらが寝るか揉めそうだし、寝るならそれなりの見せ場なり見返りを要求しそうでブッチャー&シンより苦労したかもな。
こんな見方をするようになったのも暴露本の蔓延のせいだわいw >>492
プロレス太平洋戦争でアメリカに逆らって日本に助太刀したコンビだな >>493
ゴングのアレかw
アレオチを知らないんだよなぁ
今更だが一冊にまとめて出しといて欲しかったな
出てればヤフオクなりなんなりで手に入れられる可能性があったのに >>492 ロビンソンとか、結構派手に相手の技受けてる印象がある。ドロップキック受けるのがわざとらしい >>487
この年の高千穂は天龍と組んでアジアタッグに挑戦してるんだよな
本人によればそのまま最強タッグに出たかったそうだが >>494
東スポじゃなかった?
これを元に、プロレススターウォーズが創られたんだっけ? >>492
マスカラスとロビンソンのコンビは全日本で実現しなかったのかな?
85年のワールドチャンピオンカーニバルに共に参加していたが。 木村vs小林戦の前後に大木vs上田を入れてもよかった。 >>498
77年のエキサイトシリーズで実現して師弟コンビに勝ってる。 >>498
昭和52年3月8日 宮城県白石市民会館 観衆2200人
タッグマッチ60分3本勝負
ビル・ロビンソン (2-0) ジャイアント馬場
ミル・マスカラス ジャンボ鶴田
@外人組(15分27秒反則勝ち)日本組
マスカラスが鶴田にメキシカン・ストレッチ。馬場が助けに入り、もつれて場外転落。そのまま場外戦となったところへデストロイヤーが乱入しマスカラスを攻撃した為、日本チームの反則負け。
Aロビンソン(2分53秒体固め)鶴田
鶴田へロビンソンがワンハンド・バックブリーカーから羽交い絞めにしたところへ、マスカラスがダイビング・ボディアタックを決め、ロビンソンが押さえ込んでストレート勝ち。 もし馬場vs猪木が実現していたらどういうブックになっていたのか。
“初対決”では格上の馬場の勝ちブックが順当とは言え、馬場は猪木を信用してなかったから。
猪木のブック破りを警戒して最後まで対戦を避けたんだろうね。
それは今だから分かる事だけど、当時は馬場が猪木から逃げてるとしか思えなかった。 そういえばロビンソンとマスカラスは日本で当たったことがないな。 >>500 501
詳細ありがとう
マスカラスとロビンソンのタッグはオールスター戦より前に実現していたんだ!
三本勝負なのに一本も取らせないなんて、やはり2人のプライドが高さが窺えます。 >>501
84年に馬場、鶴田VSロビンソン、デストロイヤーが放送されたことあったな。
ロビンソンがワンハンドバックブリーカーで鶴田をフォールし、デストロイヤーが嬉しそうにピョンピョン跳ねていたっけ。
インター戦では負けるロビンソンへのお返しか・・・ >>503
最強タッグに同時参加していたら夢の対決で対戦していただろうが、結末が難しいな。30分フルタイムか両者リングアウトか・・・ >>506
それかブッチャーかシンあたりに無意味な乱入させて無効試合
80年までならブッチャー
81年以降ならシン
シンがいない最強タッグなら他の誰かが無意味な乱入で試合を壊して >>464
ちょうど今はそのハンセンが本格ブレイク開始の第二回MSGシリーズの時期
まあまだこの時期では凶器使用やマネージャーのブラッシーの介入などまだまだ七十年的な感じであるが 八十二年 第二回開催場合
反戦 風呂出 対 安怒令 砲丸
鶴田 対 藤波
坂口 対 天龍
佛茶 対 芯
不安久酢 対 爆蘭度 労出酢 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています