三冠ヘビー級ベルトってどうして一本にしちゃったんだろうな
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初代鶴田から連綿と繋がる超世代軍、四天王、大型外国人の流れを断ち切って一本化した理由が未だに理解できない
新しいノアのベルトの方が権威としても格上になってしまった 傷みの激しいベルトじゃみっともないからに決まってんだろー。
てかボロボロのベルトそのままだったら「伝統だなんだ言うが新調する金がないだけだろ」とか言うくせに! ボロだから新調する←わかる
新調したら三本が一本になった!←? そもそも、“統一”したのに3本のままだったのがおかしい
統一したときに1本に新調しとけよ 統一したときに三本の内の一本のベルトを決めて、他の二本は封印する予定だったから三冠王座の構想はそもそも無かった >>17
王者時代のみのるが振り回してさらにヤバくなった 統一時点で
力道山
馬場
猪木
坂口
鶴田
天龍
日本人レスラーのエース級が巻いてたベルトだから権威あるだろ。 >>28
統一時点(1989年のPWFベルトも
インターベルトも
力道山は巻いていない。 WWEだとタイトル獲ったらその人にベルトあげる。番組用に新しいベルト用意する。なのでいつ見てもピカピカ。日米での価値観の違いが如実に現れてるよな。どっちが悪い、という話ではないけど。 しかし、今のWWEのベルト、
とてもチープだよね!?WWE >>30
ハードコア王座は逆に毎回ボロボロなのが良かった GHCって自分で自分が勝ち続ける台本書く奴が
なぜか引退試合に当時の王者差し置いて
私物化して巻いていたベルトだろ
なんの価値もない自己満足ベルトだな 三冠ヘビー級王座ってなんやねん
ベルト3つあるだけの一冠ヘビー級王座やろ >>38>>39
それが常識的な考えなんだけどね
なぜか約四半世紀近く非常識が罷り通っていた
シングル王座は実質一冠なのにタイトル三つベルト三本のまま放置、
タッグ王座は統一したけどベルトは存在しない旧タイトルのベルトが二本って馬鹿かと タッグ王座の方は「インター」と「PWF」が統一された時点で
「PWFが認定する世界タッグ王座」→すなわち「PWF認定世界タッグ王座」なのだから、
三冠の方も「インター」「PWF」「UN」が統一された時点で
「PWF認定世界ヘビー級王座」と改称すべきであったと思う。 >>41
自己レスだけど
そうすると統一前のPWF王座の名称と被る(ヘビーの方も王座設立当初は「世界」が付いていた)ので
それを避けたという見方もできるだろうけど、
タッグは統一後も実質「PWF認定世界タッグ王座」であっても
表面上は「世界タッグ王座」とアナウンス&表記していたから、
それと同じくヘビーの方も「世界ヘビー級王座」で通せばよかったのにな、と思ったわけでね。 調べたら30年前のブロディ−天龍戦の時は
インターナショナルに1本化するって話だったみたいだね 字面や語意ではない「三冠」というネーミングなんだよ。
ベルトが三本あったりするから誤解するが。
PWFが認定する三冠ヘビー級、って宣言してるじゃないの。
IWGPヘビー級ってのもおかしいだろ >>20
インターナショナル・ヘビー級のCタイプじゃないのかな
インターナショナル・ヘビー級
力道山死後インター封印→馬場帰国後復活・ベルト新造(Cタイプ)
→馬場日プロ退社・インター返上→日プロ崩壊後大木が個人的に所有
→81年大木に返上させ、以後全日の管理に
PWFヘビー級
72年百田家管理の二代目インターナショナル(WWA世界ヘビー級)を馬場に寄贈
→全日が世界ヘビー級選手権を新設、このベルトを使用
→74年PWF認定世界ヘビー級王座に改称・ベルト新造
……でいいんだっけ? >>44
IWGPは新日の造語だからいいが「三冠」は違う
そんな屁理屈が通るか 死んじゃったけど元子は今の三冠(笑)を認めてなかったな
まあ昔の三冠ベルトが手元にあるんだからそりゃそうなんだけどさ >>42
>>>41
あの当時は、一応NWAに加盟してたからシングルタイトルに「世界」は付けられなかった 認定宣言からすればあくまで「インター・UN・PWF」の三本の同時防衛戦という形なんだよな
統一当時はタイソンのボクシング三冠統一が行われていた時期だったのでそれと重なるイメージもあったか 以前、新日でJrの8冠統一とかもあったよな。
しかもG1の時期に。 >>1
なぜ三冠が統一されたか?マジレスすれば
87年に長州らが新日にUターンし、(保持していた
PWFが空位になった)
残った谷津は鶴田とタッグを組んだ。
逆に鶴田と袂を分けた天龍はUNみたいな「二番手王座」はいらん、と。
そして外人も固定化され、つまりタイトルホルダー、挑戦者がいなくなったからだろ?
これ、90年、天龍らが離脱した後の四天王時代で、3個のタイトルがそれぞれあって
インター三沢、PWF川田、UN小橋だなんて言ったら、王者同士でタイトルマッチが
組めないからすごくマンネリになっていたよ!
今、新日は、選手が多いのでヘビー級だけで、IWGP、同インターコンチ、
同US,NEVERとタイトルが増えた。
選手が多ければタイトルが増えるし、減れば少なくなる、それだけ。 >>43
当時の週ゴン『三者三様』だかに「ベルト保持者同士各々のベルトを賭けて戦い、
勝った選手が一本を選んでもう一本を封印していけばいい」という意見があったね。
で「歴史・権威的にもインターのベルトを残すのが一番ふさわしいのではないか」とも。
88年春頃に三冠統一の機運が高まり、鶴田(インター)天龍(UN)ハンセン(PWF)に
ブロディと谷津を加えてのタイトル戦ラッシュが行われたけど、実際に統一されたのは一年後だったっけ。 そういえばあの頃
「NWA・AWA・WWF三つのベルトを溶かして、
一つのリアルワールドチャンピオンベルトにした」という
プロレス漫画があった気がしたんだが何だっけ… 本来、PWF、インター、UNは意味合い、レベルのが違うベルトだったはず。
ボクシングで例えれば、世界王座、太平洋王座。日本王座を統一するうなもので統一すること自体が間違いでは? UNも鶴田とレイスが取り合ったあたりでもはやインターやPWFと遜色ないレベルだったからな
だから鶴田がインターを奪還した後も特に凄いとは思わなかった
長州がPWFを巻いた辺りでベルトの序列があまり意味を持たなくなってきたのもありそう >>18
インターのベルトだけ革が交換不可能な作りなんだよ。
初代のインターのベルトがあっという間に壊れたので、2代目のベルトは力道山の指示で大量のリベットで革に固定されていて、全て外すとベルトのプレート本体が破損する可能性が高く、断念された。
PWFとUNのベルトは交換可能だけど、インターだけボロボロだとバランスが悪いので、3本ともそのままにされた。 >>63
インターのベルトは数本あったんだろ?
大木が持ってたのと全日に返還されたのとは横の宝石の色が違う >>63
三冠に使われてたインターのベルトは力道山死後に作られたものなので力道山は指示しようがない 週プロが最初期の三冠戦(多分天龍初戴冠の武道館)の増刊号で
「三つとも『NWAが認可しPWFが認定する』タイトルなのに一本化できないのか?」と
真っ当な疑問を投げかけていたような記憶がある
あとどの時期だったか忘れたが鶴田が三冠王者時代に
「若手の登竜門としてUN単独の防衛戦というのも有りでは」と発言したことがあった筈
是非はともかく三冠はあくまでインター、PWF、UNの三タイトルの同時保持という意識はあったんだよな 三冠を統一でやるんじゃなくちゃんと別々に扱っていればまたドラマ作れただろうにね
三冠を維持できたレスラーの格がもっと上がるはず 世界タッグはPWFタッグに吸収された形だったんだよな
だから当初はPWFタッグのベルトだけ使っていた >>64
インターベルトが何本かあるというのは違うだろう。
センタープレートは同じものを流用、横だけやり直したんて革を新調したんだと思うが
なんで緑石と赤石を逆にしたりしたんだろうな。 >>63
リベットの話は初耳で、興味深いな。
ここでいう2代目ベルトとは、所謂テーズタイプのことなら、力道山存命時だが。
馬場タイプなら、力道山が指示しようもないな。
あと、馬場インターは数本ある筈。
いぜん、鑑定団で、ドライブインの親父が、馬場から貰ったインターベルトを出品してる。 そのドライブインオヤジのインターベルトってタッグの方だね。
革が緑のビロード地みたいな珍品、右か左かは忘れた。 >>66
第一回のあすなろ杯がその前にアジアヘビーの決定リーグ戦と報じられたのもあったな PWFは世界が付いてた、インターはテーズ、力道山、馬場の歴史があり、どっちが格上かは微妙。
UNは馬場の次の猪木、第3の男天龍など準エースという印象。
再度PWFに世界を付けて鶴田、ハンセンら、インターは三沢、ゴディら、UNは秋山、大森らで
争わせた方がテーマができてよかったと思う。
新日で10本位のジュニア系ベルトを統一してサスケが王者になったが、うまくいかなかった。 新ベルトは白石唯一の功績
過去に何度か一本化計画出たときの仮デザインは全部ダサすぎた 野球で王さんか誰かが三冠王取った時にマネして一つにしたんじゃなかったっけか。 >>53
90年代後半だっけ。そう言えばあの頃の新日は上層部と選手間の間で色々と揉めてた時期だったな。特に橋本。 階級がバラバラだったし
それこそジュニアヘビーからウェルターまで
まあおかげで新日本ではヘビー未満は全部同じだと思ってたのが良く分かったが 武藤が三冠と世界タッグそしてIWGPタッグを着ていた時は
六冠王と呼ばれていた。
ここで言う「冠」とはタイトルと言うより、ベルトの本数って意味かな? だろうな。
大きいことはいいことだ、みたいなもんだろうけど
業界が違うと同じ語が意味合いがずいぶん違うもんね。
テニスのグランドスラムと野球のグランドスラムなんてさあ……。 >>77
あの頃だっけ、三銃士と四天王が密談したのは。 四天王時代の三冠は三沢以外の人が取っても結局三沢に返すみたいな感じがしてたな。 >>45
チョット違う 力道山がテーズから奪ったのがNWA世界選手権
だが以降もテーズが防衛戦やってたのが解りおかしいと騒ぎになり
その説明で力はインター テーズはワールドどちらも同じ世界選手権だと
以降 NWA認定インターナショナル選手権(正式名称 NWA認定世界選手権)
力 一代限りの条件でNWAから認定されてた為 百田家所持
全日設立時寄贈され 新たにPWFが認定し PWF認定世界選手権
NWAからクレームがきて世界を外す 力道山死後 看板タイトルが必要となり日プロが作ったのが
日本コミッショナー認定インターナショナル選手権で
IWGP同様生粋の日本製タイトル 力道山とは関係無い
故に力道山ベルトはPWFと日本選手権 馬場がPWFを虎の子にしてたのも
猪木が日本選手権をかけて馬場に挑戦状出したのも
力道山正統後継者の意味があるから >>85
インターナショナル選手権はWWA認定の時あっただろ >>75
王道トーナメントのトロフィーも白石遺産なんだよな
そしてTV王座やジュニアリーグは武藤遺産
とにかく今の秋山体制は単に馬場時代だけじゃなくてそれ以降もキチンと踏まえている感じなのが良い >>84
君の説明もちょっと違う。
1958年7月、力道山は悲願の世界選手権
(この時点でAWAもWWWFもWWAもないので、
あえてNWA認定とは呼ばなかった。当然だが世界選手権は、
この世で唯一のタイトル)奪取のため渡米。
8月28日、ロスでルーテーズを破り世界選手権を
獲得したと発表したが、この試合はノンタイトルだったとか、
突っ込みが入ったが、そもそもテーズは前年‘57年11月に
ディック・ハットンに破れ世界選手権を奪われていたことが判明。
それで力道山は、テーズはもうひとつ「世界選手権」に
準ずる「インターナショナル選手権」を持っていて、
それに挑戦、奪取した、と説明した。
その名称だが、「インターナショナル選手権」と「世界選手権」が
まちまちだったと聞く。毎日新聞は前者。
テレビ中継では、63年のデストロイヤーとの防衛戦では、
「世界選手権」と出ていたと思う。 そりゃインターナショナル(国際)もワールド(世界)も同じ意味だからインターを世界選手権と翻訳しても間違っちゃいない なら、「国際プロレス」も
「世界プロレス」と言って
間違いないんだな?www >>89=91=ID:KE8WNb+z0
>おまえはなにいってんだ
その言葉は、>>89
の時点で、お前に言いたかったことだwww
まともにレスしても分からん奴だから
ちょっとフザけただけ。 >>82
そういえば初奪取以来で三沢が三冠を全く巻かなかった年は最後の分裂の年だけか >>88
正式名称はNWA認定世界選手権
インターナショナルはマスコミに指摘された時 力道山が
インターもワールドも同じ意味だと言ったから付けた通称
テーズが欧州遠征時 タイトル流出を恐れたNWAは急遽
別の世界選手権を設立 当然遠征後は無用となり封印
どうしても世界選手権が欲しかった力道山はテーズに頼み込み
認定証だけ譲ってもらった
ちなみに国際のテーズ杯争奪で寄贈されたベルトが
実はこれだった説もあるけど本当かどうかはわかんない ジュニア8冠の解体は、たしか安良岡がきっかけだったような。「インタージュニアだけ返してほしい」みたいな。 浜って未だに映像で見たことないんだけどジャイアント・キマラみたいな感じなの?
キマラが三冠とっちゃったの? >>97
安田大サーカスのデブみたいな感じ
同じデブでもサモア・ジョーやベイダー、ジャマールみたいな上手さもないし、アンドレや曙みたいなでかさを活かした風格もない
終始デブがリング上でドタバタしてる、そんな印象 >>94
当時ファンから三沢以外の人が巻くと三沢じゃなきゃ駄目だって声が殺到したんだって。四天王って簡単に言うけど実際、三沢と三人を同列に扱いのはちょっと無理があるかな。 新会社へ負債以外経営譲渡を死人出さずに成功させたのは白石が初?これなければノアはもっと大っぴらに潰れてるし >>101
これマグマ星人が巻いてたコラあったよな むかしパトリオットが全日からWWFに移籍してから数か月して
ゴングのインタビューで
「いつか小橋との三冠と俺のWWF王座でダブルタイトル戦をやろうぜ!」
って凄い夢のあること言ってたな
実現したら一体全体どうなってしまうのか 元子が亡くなって三冠ベルトは今どうなってるんだろうな? >>99
三沢が単独エースなのは誰もが認めていたからな
同時期の新日本ではやはり長州か 格を10点評価すると三沢10川田8田上6小橋5ぐらいの状態が長く続いた四天王時代 >>107
三沢小橋川田の順じゃね?子供の俺にはそう見えた ベルト統一せずに三冠残したのは大正解だったと思う。
インター、PWF、UN 三本を巻いた初代がジャンボ鶴田というのも最高。 三韓統一前に全てのベルトを巻いたことあるのはハンセンのみ >>111
UNは単独で取ってないんだよな
どちらかといえば当時常連のPWFのついでという感じ
ちなみに今日はその奪取三十年 ユナイテッドナショナル(UN)ヘビーだけ
実際にアメリカで使われてたベルトを猪木が
奪取して日本に持ち帰った。
UNは日本教育テレビ(NET)で使われてるタイトルだったが
日本プロレスが崩壊して日本テレビが中継してる全日へ移った。 IWGPの二番煎じにならない
馬場の大英断だった。 >>110
最後の
インターナショナル(第18代)
UN(第28代)
PWF(第15代)
ヘビー級王者でもあるな。 同時に
インタータッグ(第40代)
PWFタッグ(第7代)
の最後の王者でもある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています