大会場なのにカードがショボかった大会 part2
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92年2月名古屋レインボーホール
武藤、馳対ノートン、アームストロング
マサ斎藤、長州、木村対蝶野、橋本、野上
ライガー対ペガサス
そこまで悪いカードじゃないか… 97ドーム
橋本 長州
パワー ムタ
藤波健吾 蝶野天山 >>502
通好みのカードが多いが、そればっかり並べられても困るな 92年G1愛知県体育館
マサ斎藤、長州対ノートン、ホーム
藤波、武藤対ウインダム、テイラー
橋本対バーバリアン
マシン対ルード
健介対ナイドハート 1996年12月1日(日)名古屋レインボーホール大会 試合結果
観衆1万人=超満員 ※テレビ収録
▼20分1本勝負
@○ブラックキャット(9分44秒 セントーン→片エビ固め)×藤田和之
▼30分1本勝負
A小林邦昭 ○野上彰(13分1秒 ジャーマンスープレックスホールド)ブラッド・アームストロング ×チャボ・ゲレロJr
B後藤達俊 ○小原道由 斎藤彰俊(14分59秒 ノド輪落とし→体固め)木戸修 永田裕志 ×吉江豊
C金本浩二 ○大谷晋二郎(15分15秒 スワンダイブ式ニールキック→片エビ固め)獣神サンダーライガー ×エル・サムライ
※金本浩二、復帰
Dホーク・ウォリアー ○アニマル・ウォリアー(7分58秒 ダブルインパクト→エビ固め)小島聡 ×安田忠夫
E藤波辰爾 ○木村健吾(14分19秒 トライアングルスコーピオン)武藤敬司 ×西村修
▼45分1本勝負
F長州力 ○佐々木健介(11分40秒 ノーザンライトボム→体固め)×橋本真也 平田淳嗣
▼IWGPタッグ選手権試合=60分1本勝負
G蝶野正洋 ○天山広吉<王者組>(16分30秒 ラリアット→片エビ固め)×山崎一夫 飯塚高史<挑戦者組>
※第28代王者組、2度目の防衛に成功
↑これも酷いカードw >>515
サムライさんが相変わらず酷い目に遭ったのだけは分かる 愛知名古屋はホント恵まれてなかったな
良かったのは91年のG1だけか 94年9月愛知県体育館
長州、ライガー対武藤、ペガサス
ライガーがケガしなかったとしても淡泊な試合になりそう…
蝶野対ホーク >>514
名古屋国際展示場(2000人)レベルかよw >>517
第2次暗黒期だった80年代後半のほうが
まだいいカード組んでたな。 90年12月名古屋レインボーホール
藤波、越中、飯塚対長州、木戸、小林
馳、佐々木対マシン、後藤
マサ斎藤対ノートン
武藤対ビガロ
蝶野対ウィリアムス
木村対ブラウン 新日95年10月マリンメッセ福岡大会
(大阪城ホールと同規模。現時点で同所唯一のプロレス興行)
メイン 健介VS安生
高田の負傷欠場がなければもう少しマシなカードになっていたか? 85年12月全日の大阪城ホール
鶴田、天龍対ハンセン、デビアス
馬場、ドリー対ボックウインクル、ヘニング
長州対バー 85、86年は全日ジャパンの大阪城多かったな
長州らが居なくなったら大阪府立体育館すら入らなくなったけど というか長州がいたとき大阪府立体育館は1回しかやってないはず >>525
85年1月全日大阪府立体育会館
鶴田、天龍、石川対長州、谷津、寺西
馬場、カブキ、渕対シン、ジョー、鶴見
このカードでも9200人入ってた… >>527
そりゃあ移籍して間もなくやしな。
そもそもその9200人がどれ程かは分からんけど。 新日が大阪城ホールを初めて使った大会のカードもなかなかのショボさだったけど盛り上がってたのかなぁ…
猪木、坂口対マードック、アドニス
藤波対谷津 長州対藤原
浜口、寺西対ダンカン、レスリー
で11500人発表… >>527
90年代の発表なら7200人あたりか
府立第一で7000人超えた発表したのはWARとUインターと全女 大阪府立体育館は改装前と改装後の客席数はやはり違うのかな… 2007年11月11日両国国技館 新日本・棚橋vs後藤
結果的には今でも語られ続ける名勝負となったが、発表時点ではメインがコレで??だったと思う >>517
1988年の藤波vsベイダー戦(藤波がベイダーから逆さ押さえ込みで日本人初ピンフォール勝ち) 91年9月新日 横浜アリーナ
藤波対ムタ 橋本対ホーム
蝶野対馳 ベイダー対ノートン
AKIRA対スティング
の5大カード
豪華なのか良くわからない… >>535
蝶野対馳って、蝶野が馳に「俺はお前の甲高い声となぁ〜
その黄色いパンツが気に食わねぇんだ―オラー!」のとき? >>537
会場のみんなに万葉集聞かせてやるからな〜
も言ってたね >>529
この大会を担当した大塚は盛り上がりもよく
初めて使用する会場でこれだけ入れられたから
と大入り袋を用意しようとしたら幹部から
所詮大塚ではこれしか入れられないって言われて
これで新日本から離れようという気持ちになった
みたい。
「心と心」というコラムで書かれてた。 >>539
「"参りました"言わせてやるからな」だろあれ 新日 98年横浜アリーナ
メイン
ノートン×永田
セミ
天龍、越中×アダムス、NWOスティング
永田は蝶野の代役だったが 86年6月 大阪府立の メイン ウォーリアーズ対マシン、カーン セミ鶴田、天龍、タイガー対長州、谷津、小林 東京武道館って言う会場で
高山、永田、藤田らが試合後乱闘になった大会ってなかったっけ? >>14
両国七連戦行った俺もエリートだな。
ついでに第1回のG1両国三連戦も行ったぞ。前年の後楽園七連戦は半分しか行けなかったけど。 >>550
あの日は試合後に色々と盛り沢山だったな。
本来はカーンではなく高野俊二だったし。
色々あるのを見越してメインに吸えたのも今ならわかるし。 >>550
86年は大阪府立体育会館はまだ建築中でしょ。大阪城ホールじゃね? >>550
ジャパンの時は改装中だったから大阪城使うしかなかったのか
>>556
でも当時の映像みるとウォリアーズの動員力は、大阪でも愛知でもすごいぞ
来日ってだけで満員間違いないって感じだった
今見るとムチャクチャしょっぱいけど >>557
大阪も名古屋も2回目はガタ落ちだった。 ここ数年の新日はやたらにビッグマッチ連発してたけど、選手が多いために6人タッグ、8人タッグがやたら多く、ベルトも多いために大会場でも微妙なカード多かったな
流石にドームや大阪城ホールは良いカード揃えてきたけど中止になった内藤vsヒロムの大会も酷いカード並んでた 82年8月田園コロシアム
猪木ホーガン対木村スローター
藤波対アダムス
タイガーマスク対ブラックタイガー
夏の真っ昼間の興行だったが10800人入ってたね
猪木ホーガン藤波タイガーが出ればそれくらいは余裕の時代だったのかな >>539
聞き間違いだろうが、万葉集ワロタ
どんだけ上品だったんだよ、良い奴だったころの蝶野 >>565
>>539は若干違う
「今日はなぁ、馳に万葉集を読ませてやるからな!
お前ら、ちゃんと勉強しろよゴラァ!!」だったはず。 新日の大阪城ホール二連戦の初日のカードのショボさは流石だと思った 昨日のラスト横浜文体
いくら文体最後が1番の目玉だからと言ってカードショボすぎ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています