>ひとつうまい例えだなと思ったのは、「栗城史多はプロレスである」という見方。プロレスとレスリングは似て非なるもので、前者の本質はショー、後者は競技であります。
>栗城さんのやっていることも本質はショーであって、登山の価値観で語っても大して意味はないということ。オカダ・カズチカがオリンピックに出たらどれくらいの順位になるのかを語るようなものでしょうか。それは確かに意味がない。

森山編集所 2017年6月9日金曜日更新 栗城史多という不思議2 より引用
https://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html?m=1