日本でウケなかった外国人選手
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>>419
>猪木との決着戦を先送りする形で
それが分からんのだが?
猪木対ローデスのシングルマッチは
昭和54年秋、新日初来日で11月1日、札幌
NWF選手権、猪木の反則勝ち、
11月8日、小樽で猪木のリングアウト勝ち、
フォール、ギブアップではないが猪木が2戦2勝なのだが?
反則、リングアウト含みでも一勝一敗なら分かるんだが?
で、翌年、55年5月MSG公式戦では栃木、猪木のリングアウト勝ち。
このシリーズで、やはりMSG公式戦でハンセンにリングアウトだが破れた。
「プロレスだ!(真剣勝負ではない!)「ケツ決めはあったはず!」と
反論されようが、実力的(単にスタミナだけを取り上げても)ハンセンの方が
ずっと上だった。これで、もう「ボロを出した」と思うんだよ。
当時、ストロングスタイルを標榜する新日としては、どんなにアメリカで
人気があっても、これは使えないよ!
まぁフォールを取らないだけ温情だな。
図らずも、馬場も「ローデスよりハンセンの方がずっと上。
あんな尻振りダンスが流行るなんてアメリカのマット界はどうなっているんだ?」
とぼやいたとか。
その後、暮れのMSGタッグリーグなんかに特別出場して、賑やかせたが、
猪木とのシングルは無かったと思う。
最後のシングルは昭和59年1月後楽園両リン ローデスって、血ダルマになってる姿は絵になってたよな。
クルクルパンチや尻振りも、個人的には好きだった。 ローデスは日本向きの選手じゃなかったよね
ましてや猪木全盛の新日では…
確かNWAの選手だと思うんだけど何で全日じゃなかったんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています