猪木の引退試合はどんな内容ならベストだったのか
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ドン・フライがダメなレスラーだとは思わないが、猪木の最後の相手に相応しいかと言われれば疑問符が付く >>49
いや あの猪木って誰も味方してくれる人いなかったんじゃなかった? 大会場のイベントは終了前に帰るのがいい
周辺の駅が大混雑するから >>43 >>46-47
あの年は長州引退興行だった1.4もよく入ってたけど間違いなく猪木引退試合の方が人の数が多かったからね
特に所謂招待客の割合が明らかに少なくてカジュアルな姿の普段プロレス興行に来てなさそうな雰囲気の客が多かったのが印象的だった
>>52
水道橋から神保町駅にかけての白山通りなんか人の出入りが多過ぎて警官や警備員の人達が困り顔だったからなあ
>>49-50
新間が舟橋舟橋言うのは単に舟橋と仲が良くて仕事を離れた所でも付き合いがあるけど古舘とはそうじゃないってそれだけの話でしかないよ
第一あの時点でフリーアナとしての活動すらしてなかった舟橋に視聴者を満足させる実況が出来たとは思えないんだけど >>43
立錐の余地もないっていうのは大げさかも知れないけど、立ち見も出た、掛け値無しの超満員だった。最後のイノキコールと、振り返った猪木の笑顔がなんとも感動的だったな。 猪木引退いい興行だったな 伝説の10・9はライブで見れなかったが客入りに大差あったのだろうか >>49
猪木と古舘が、「引退試合の実況は自分がやる」と約束していたからだよ。8.8の実況が古舘だったのも同じ理由。
事情を知らん外野が勝手なことをいっているだけの話。 >>54
最後の振り返った時の猪木のあの爽やかな笑顔ったらないよな。
最後の最後であの笑顔ができるんだからやっぱり猪木は千両役者だ。
猪木は太陽のような人って言ったのがよくわかる笑顔だった 小川が勝ち上がって…て思ってたけどこのスレ読んだらフライボコボコで良かったと思えてきた 発表ではドーム史上1番の入りだなその後K-1なんかが大嘘こいて記録変えてたが
ただ関係者とかでドームで1番入ってたと感じたのは10.9らしいなアレを超える観衆はないとくちを揃える 10.9も猪木引退試合も両方行ったけど10.9の方が入ってた印象がある。
普段入れない外野席も満杯だったもんな。 猪木引退の時はなぜかライトスタンドの一部だけまとめて空席があった
急に来れなくなった団体客でもいたんだろうか Uインターの対抗戦で東京ドームがギッチギチになるんだから
あの頃に全日と対抗戦やってたらマジで国立10万人も余裕だっただろうな 終わり良ければ全て良しって感じで
テレビで見る分には最高の引退試合だった気がする。 >>63
ライブでも良かったよ 朝日新聞の号外もらったり
藤波ってジャーマンの体勢に入るけど出来ないみたいなお約束あったが実際ジャーマン見れたし 猪木のカリスマ感じられたし >>55
引退試合は当初外野を開放していなかった。
試合開催間際に追加販売だった記憶がある。
Uインター対抗戦との差は外野の差であると思う。
>>59
観客発表のとき、場内でブーイングが起ったよねww >>59-61 >>62
>ただ関係者とかでドームで1番入ってたと感じたのは10.9らしいなアレを超える観衆はないとくちを揃える
俺の印象では猪木引退試合の方が上に思えたかな
アリーナ内のパイプ椅子が異様に多かったし開場前の行列や売店に並ぶ人の数も10.9を上回っていた感があった
10.9が上なのは客数以上に純利益(新日の金庫に入った札束の数)の方でしょ
場内演出を必要最小限にしたおかげで普段の興行に掛かる照明や音響効果等の人件費や諸経費を払う必要が無かった上に
アリを始めとする外人ゲストのギャラの事も考えなくてよかったしね
ついでに言うと
「猪木さんの御威光に頼らずともドームを札止めに出来ましたよ」
という当時の新日フロント陣が手柄を自慢したがっていた面も多分にあるんじゃないかと思う 引退試合の利益は猪木の退職金であり
Uインター対抗戦の利益は新日の金ってことじゃないの? >>67
インターのドームの利益は北朝鮮の興行の借金返済に当てられたと当時のファイトで見た記憶 90年のドームと猪木引退のドームを
両方バックネット裏2階の前方で見てたが
90年の時の方が埋まってた印象がある
引退の時は俺の隣の席はずっと空いてた 猪木ってじいさんになってから何か悪い顔になっちゃったよな。
普通、じいさんになったら表情柔らかくなるのに、
若い頃や現役の頃の方がいい笑顔してた。 >>70
猪木の人相が最も悪かったのは
94年頃、スキャンダルに塗れていた時だな。
どことなく「最高ですか!?」とか言って
逮捕された宗教団体の教祖に似ていた。 >>27
遅レスだけど、97年始め頃(引退が決定した頃?)から
フィニッシュはコブラにこだわってたって週ゴンか週プロで見た覚えがある
だからかウイリー戦とかタイガーキング戦もコブラで決着 >>58
時代の流れとしてはUFC王者というのも良かったんだろう ホーガンにアックスボンバー喰らうのが一番ふさわしかったと思う。 ホーガンが出ると、話題を持っていかれそうな気もするな
M高橋の本を見ると大仁田劇場の頃も「大仁田には気を付けろ」と言ってたそうだし ドンフライそこそこプロレス上手いしテーマ曲も好きだわ 藤波との60分で引退してたら伝説だったな 内容も良かったし
まあでも色々事情があるだろうし仕方ない 猪木引退試合で過去の得意技を全部見たかった。
リバース・インディアンデスロック〜鎌固め、コブラ、卍、フライングニードロップ、弓矢固め、
Wアームスープレックス、ブレーンバスター、バックドロップ、ドロップキック、ジャーマン・・・
それだと純プロレスラーでないと受けられないかな。
藤波か健吾かマシンがよかったかな? 猪木のときは山ちゃんが勝って
長州のときは飯塚が勝った
イイ人だから置き土産をしたのか、負けても目立たないからか >>80
そうか?
ドラスクの受けを見てもプロレスを下には見てないしよく理解してると思うけどな。 猪木引退試合のドームは藤波のテーマ曲がドラゴンスープレックスだったのが良かったな。
会場のムードが昭和になった気がしたよ。 猪木って意外と引退したら復帰しなかったよね。
まぁプロレスにコンプレックスを感じいて、プロレスの天才だけど
プロレス自体はそんなに好きじゃなかったって周囲の人間が
言ってるから当然なのかな >>86
借金をチャラにする代わりに復帰しないみたいな契約で引退したはず
といってもエキシビジョンは結構やってるんだよな
猪木 vs タッキー(メモリアル力道山)
猪木 vs ヘンゾ・グレイシー(イノキボンバイエ2000)
猪木&サスケ vs ジャイアント・シルバ&紅白仮面(イノキボンバイエ2002)
猪木 vs 藤波(イノキボンバイエ2003) >>87
へーそうなんだ。そんな話初めて聞いた。猪木の借金新日がかぶったんだね。
でも猪木の復帰興業やった方がもうかりそうな気がするけどな。
というかもう猪木と関わり合いたくなかったのかな >>88
そんな稚拙なデマに騙されるなよ
引退興業でちゃんと返した上に
膨大なギャラも出た
復帰しないみたいな契約者もなし そもそも当日にトーナメントをやる、そして相手は三試合目、
猪木は一試合目というお粗末そのものの企画は誰が推したんだ?
せめて当日までに対戦相手決めとけよ >>90
レスラーが勝利して引退していくのが流行ったけど
本来は負けて去っていくのが王道と思う。
1試合目の猪木と3試合目のフライなら、フライの格も傷つかないって
プロレス的解釈が発動するからいいんではないか?
理にかなうというロジックこそが昭和プロレスだと思うので。 >>94
猪木がありきたりを避けたんじゃないの
小川戦藤波戦とか 見たかったけどね 猪木vs.馬場
時間無制限一本勝負
交互に技を出し合う展開に
最後は延髄斬りと32文ロケット砲の相打ちで両者KO
立ち上がった猪木は両脇を抱えられながらも満面の笑み
割れんばかりの拍手とそれを上回るブーイングの中花道を去って行く
馬場は頭を強く打って死亡 自分は猪木世代じゃないから
トーナメントで決めるのと対戦相手が小川以外しょぼいのを見て
そんな良いカードじゃないというか楽しみじゃないなぁと思ってたら
蓋を開けてみたら七万人だからな
あのカードで七万人だから猪木はやっぱ大したもんだな、と思った。 スタミナに物言わせて相手を翻弄したかった、ほんとはもっと長い試合にしたかったけど
普通の選手がやらない投げ方、押え付けるように投げられて身体を痛めたから早めにフィニッシュした、みたいな話をしてたような 引退試合はテリー・ファンクの1回目が一番だよな
あれを超えた引退試合ってあったかな?
猪木の場合はカウントダウンツアーで引退試合のリハーサルみたいのを何度もしていたから感動もあまりなかった 数日前の愛知県体育館でのK-1角田との公開スパーのが見ごたえあったっていう >>99
あれは猪木の引退試合だったからね。
どんなカード組んでも超満員だったと思うよ。 猪木って「道」を前から知ってたのかな?
それとも側近が「これなんか引退スピーチでどうですかね?」って
提案したのだろうか >>104
詩集を出すくらいだし、ああいうの好きなんだと思うよ >>104
一休の詩という証拠は何も無い。清沢哲夫のものとされている。
そして微妙に言い回しを変えていて、猪木の 「道」 は
「ありがとーっ」 までが込みだからオリジナルですww >>105 >>106
あぁそうなんだ。いや、自分もあれは猪木のオリジナルだと思っていて、
上手い事言うなぁ〜と感心してた。後に一休のやつと聞いて
あっそうだったんだと思ったけど。
ものすごい話はかけ離れるがキン肉マンの最終回の「友情とは成長の遅い植物である」も
ゆでたまごのオリジナルだと思っていて、良い事言うなぁと幼心に感動した覚えがある。
オリジナルじゃなかったみたいだけど。 >>108
室町時代の人物が現代口調の詩を書けるわけが無い。
清沢哲夫も坊さんで昭和26年に著書内で「道」を発表。
ググればすぐわかる。オリジナルと比較しても猪木の言い回しは秀逸だと思う。
まあ猪木が一休と言えば一休として広まってしまうのは彼の知名度ゆえだね。 しかしあの対戦者決定トーナメント、ドンふらいガチ骨折やガチ失神といったアクシデントの連発が万が一 ごめん失敗。
アクシデントが万が一起こって、イゴールメインダートが勝ち上がったらどうするつもりだったのかw >>112
普通に格闘技系のプロレスしただけじゃない あ〜 それもありだな
格闘トーナメントなんだから番狂わせあってもメインの猪木戦だけあればいいんだし その年って確か長州も五人掛けとかいうわけわからん引退試合したし、
猪木の当日決めトーナメントといい、この二人の引退試合、誰が企画したんだろうな。 猪木 VS ほうき
これでよかった
なんなら1マッチ興行でも >>117
それはおそらく猪木だけに
「ほうき相手なだけに試合放棄」なんつーオヤジギャグ付きだな。 飯伏が人形相手に試合してたし
全盛期猪木なら箒相手でも面白そうではある そのあとのUFO興行の柱にフライを置くためだろうけど長年のファンからするともう少しノスタルジーに浸れる相手にして欲しかったわ >>119
かつて馬場も対戦相手の到着が間に合わないという
ことで急遽対戦相手を透明人間という形で
一人プロレスして乗り切ったことがあったね。 123だが、漫画みたいに猪木も最後はボロボロで終わるってのもアリだったかもね。
長州の最初の引退試合みたいにまだまだやれる、ってイメージは引退には相応しくない。
なら引退せずにもっと続けて欲しいと思わせてしまうし。
もう限界なら引退も納得だし。 何しろ引退した時期が遅すぎる。
90年ぐらいに武藤と
試合すればよかった。 そもそもなんで98年の4月に引退しようと思ったんだろ 猪木本人は「俺は議員になった時点で引退したつもり」と常々言っていたが
それでもドームとかのビックマッチ開催には貴重な存在だったから
新日が事業規模が拡大していく中で個人の事情では完全引退は難い状況だった
引退が98年になったのは25周年のドームツアーが終わって区切りがついたから
というところだろう >>8
肖像権の問題で日テレに操を立てたんでしょ、見切り発車でなんでもやっちゃう猪木と違って常識人だから もっと早い時期に引退したかったけど、借金返済のためにリングに上がってたんだよな
自業自得と言っちゃえばそれまでだけど >>128
おそらくだけど、猪木って現役時と引退してからで
年収って変らないか、むしろ稼いでいるんじゃないだろうか?
少なくてもいまだに億は稼いでいるわけだろ? 90年代からたまに会場に顔みせて「1,2,3ダーッ!」やると
「俺らがどんな凄い試合してもそれが一番盛り上がる」って
橋本が憤ってたな >>130
1・2・3ダーは商標登録されていて、テレビで披露すると1回30万だとか
言われていたね。ビンタ10万、道100万とかね。 猪木って長州にはシングルで負けたけど藤波には最後までシングルで
負けなかったよな。やっぱどっちかというと長州の方を評価してたのかね >>132
ファイトスタイルやポジションが、長州は対抗馬・敵、藤波は弟子・同胞だよね。
だから長州相手の方が寝るのは心理的には抵抗薄いだろうと思う。 変な外人にベロ出して
失神させられて終わりでいいんじゃね? >>18
あくまでも馬場をライバルとして立ててるんだろ。
でもそっけなく見えても、
「馬場とやらなくても結果はわかってる」
とは言うけど、勝てるとは絶対に言わないんだよな。
そこは猪木が敬意を表してるんだなといつも思う。 >>49
船橋さんはもう実況なんかできなかったろうよ。
古舘との約束もあったし、
大体新日黄金時代の実況は古舘なんだから、
何も問題ない。
何があったんだろうじゃないわ。 >>73
実はコブラツイストは、総合の試合でも決めることができるらしいな。
格闘技としてのリアリティとプロレスの見栄えの良さを考えて、
コブラツイストだったんだろうな。 >>85
何回もドラゴンスープレックスに戻してるけど、
別に大した曲じゃないよなあ。
少なくともヘビーに転向してからの藤波には似合わない。
マッチョドラゴンか、鈴木が作曲した曲で十分合ってたと思うが。 >>127
テレビに嗾けられて独立した馬場と
やっているうちにテレビがついた猪木の違いだろうね >>121
そういういかにもお膳立てされた引退試合をやりたくなかったんだろうなあと思ったけどな
弟子の小川じゃなくまだUFC王者のイメージが強かった頃のフライを選んだのも
最後まで未知の相手を求める姿を見せたかったんだろうなと >>138
オリジナルアレンジの方が断然良いと思うのに使われなくなったのは何故だろう?
カバー版(もうこれがオリジナルと思われてそう)って元曲と似ても似つかない
田舎のスーパーのBGMみたいなのどかなアレンジで、悪いけど何が良いのかわからなかった >>132
長州には2回も負けているんだよな。
ただ、タッグで負けた方が感動は増すんだよな。
ハンセンと組んで三沢に負けた馬場、
猪木に勝った後、木村と抱き合う藤波 ベタだが猪木対シン、シンがクリーンファイトで戦い最後は猪木の勝ち、
NWF奪回戦のようにシンが猪木の手を挙げるでいいと思うが、
>>143さんのいうタッグであればハンセンを全日から借りて
猪木、藤波対ハンセン、シンでシンの凶器攻撃、コブラクロー、ハンセンの
ラリアットの殺人フルコースで壮絶なフォール負けというのもいいかも 8888藤波戦で引退がプロレスラー猪木としてはベストだったけど、
三銃士も台頭してなかったし会社的には厳しかったんだろうね
そう考えると30th横アリがベストだったんじゃないかと
セレモニーもシンとのタッグも試合内容も良かったし、
試合後のシンとのマイク奪い合い(笑)、1.2.3ダー、退場時の三銃士による肩車、全て感動的だった
会場で泣いて、TVでも興奮して、週プロ特冊の「横浜結晶」を見てまた感動が甦って
いい興業だったよ >>132
Uインターとの対抗戦の時ゲスト解説で、
長州が一番分かってくれてるって言ってたしね >>104
猪木が色紙とかに道を書き始めたのは最初の議員選挙時だったはず >>116
企画したのは長州
その前年かな?前田とプレイボーイ誌で顔面キック以来の対談をして、
前田の引退を知らされて焦って自分と猪木の引退を前田の引退試合より前に組んだらしい
猪木も長州の必死の説得に折れたんだろうね
それだけ当時の長州が新日内で権力を握ってたという事かな 道はどんなに
険しくても
笑ってこの道
歩こうぜ
って「道」をちょっと改良型にしたのって引退してからだっけ?
それをボクサーの徳山昌守が真似して、
「道険笑歩」ってリングコスチュームに刺繍してあったり、引退してから道険笑歩って本も出してたね(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています