新日暗黒・迷走期
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新日本が暗黒・迷走期だった2000年代前半から2014年位を語るスレです。印象に残ってる事件や試合について。 ・ライガーが「ぬるま湯だ!」って怒りはじめて秒殺試合を繰り広げてたけど、実はあのとき内臓疾患で体がボロボロだったから秒殺路線にせざるを得なかったと最近知った
・田中稔がヒートになって露骨に迷走
・蝶野が君が代かかるなかドームでリムジンで入場して、ファンの悪のりで決まったジョニーローラとシングル
・MUTAがリフトアップスラムで靭帯断裂
・安田がハワイでドンフライにボコボコにされる
・長尾のデビュー戦発表されてリングから降りたら靭帯損傷
・PRIDEでヘンゾにリベンジしたカシンが素顔で登場して秒殺勝利→「石澤いないなら俺もらう」とバックステージでカシン登場 今のノハを見たら全然可愛らしい。
ノハ餃子は常に辛気臭いからな ワールドプロレスリングのあの曲を使わずに
よくわからない曲をOPに使ったり
実況アナが揃いも揃って酷かった。 >>2
でもその年にスーパージュニア全勝したよなライガー
一時的なものだったのかな その頃完全にプロレスから離れてた時期なんで、ここで勉強させてもらいます トライアスロンサバイバーなんて今の新日で復活させてもいいのではと思う アルティメットロワイヤルからの脱水牛で新日本を見限った2005年。 期待されてた棚橋はノア東京ドームで力皇相手に塩試合。
懐かしい。 >>11
目測誤ったトぺで力皇の頭上飛び越えて解説の高山にボロクソな
当時の棚橋は飛び過ぎたり真下に落ちたり危なっかしかった 「俺が 131.5sの 藤田ミノルだぁ〜!」
あの人はいずこへ 棚橋はよくあそこから盛り返したと思う。
棚橋がいなかったら、新日本は崩壊していたかも。 和製ジムガービン目指せって当時いつていたけどほんとになっちゃった カレーマンアメドラタッグとか良かったのに
こんな時期でうん悪かったな 暗黒期って今だろ
ヨカタゴリ押し政権6年目
ドームガラガラ視聴率3年連続1%
AJ中邑脱北
雪崩式狙え
マンネリリマッチ
ハッスル化
ももクロ 今となってはこの頃に鈴木みのるにGPベルトを巻かせてもよかったんじゃないかと思う 藤田・安田・サップ・レスナーが巻けて
みのる・ケニーが巻けないってのもな。 カシン秒殺は実にプロレスらしい試合だと思うけどなあ
あの試合は俺は一番好きなんだけどなぁ レスナーからどうやって取り返すのが正解だったんだろ
あのグダグダが当初の予定なわけねーと思うけどスーパースターのレスナーだしチビの日本人に負けたくないよな
うーんわからん 武蔵vs柴田
ノルキヤvs中邑
PRIDEどころか
K-1まで上げ始めたんだよな 猪木が格闘技を踏み台にしたツケを後輩が払わされた時代 WJの旗揚げドキュメンタリー見てたんだけど、越中も金につられてWJ行かなきゃ、今頃新日で楽できたのにな。 >>14
よく棚橋だけそう言われるんだけど、
永田、中邑、真壁、後藤らも貢献したと思うけどな。 >>12
鉄柵に股間から落ちてたな
あれ数ミリずれてたら命の危険あったんじゃないか >>28
永田さんの貢献も凄いと思う。
棚橋体制までの壁として頑張ってくれた。 >>27
そのあとプチブレイクのキッカケを作って
ヒップアタックという代名詞を定着させてくれた
ケンコバには足向けて寝られないやろな >>33
脱水はガチ
京平はレフェリーとしてしょっぱいね >>25
でも武蔵vs柴田で武蔵プロレスの方が合っていると思ってしまったw 永田の暗黒期での貢献は今でこその結果論じゃないか?
あの人は最後の最後までトップを譲らずに踏み台になってくれと言われたとか
ものすごくみっともない発言も多かったと思うよ
ようやく三銃士からの世代交代で第三世代でも頭ひとつ抜けたから
そこに未練があるのはわかるけど、あんまり評価するのはどうかと思うわ
当時の草間社長の言うように踏み台にすらなれないヤツもいるから
評価の難しいところではあるけどさ
脱猪木と永田エースが同時だったら絶対にこうはなってない >>37
当時は踏み台になりたがらない人みたいな扱いだったしな 棚橋と交互にベルトを巻いてた頃はもう踏み台だったのかね。
2007年の永田さんは何かを悟ったのか、名勝負が多かった。 でもJSpoの新日本プロレスSXWはちゃんと見てたんだよなぁ。
小鉄の最晩年だな。 2014年までが暗黒・迷走期?ずいぶん厳しいなあw
興行会社としての体はともかく、リング上の風景がパァっと明るくなったのは2007年11月両国の棚橋VS後藤からだと思う。
生観戦したけど、客入りはそらもう悲惨なものでね。俺自身も新日にはほとほと愛想が尽きてたし、暇だったから久々に観に行っただけで内容は全く期待してなかった。
メイン開始前、煽りV観ても「さっさと終わっていいよ、10分で終わらして」くらいに冷ややかだったけど、蓋を開ければあの大熱戦。
「あ、もう一度新日追っかけてみてもいいかな」って思えた。今の隆盛はこの日がきっかけだったと信じてる。 暗黒期の象徴ともいえる代表的コント
長州「てめえなにがコノヤロー、調子のいいことぬかしてんじゃねえぞコラ!」
天山「おい!とんみとがー!」
蝶野「おいおいおいおい!」
天山「おい、きむっとぅわんコラ」
長州「コラ コラ。調子のいいことぬかしてんじゃねえぞコラ!」
天山「おいあっち行けやっちゃ…」
長州「何が挑戦だ」
蝶野「この野郎が思い上がりやがって…」
天山「おい!おい!」
長州「ナニコラ」
天山「おい、やったろうやんけえー、おい、やったろうやんけオイ」
長州「ナニコラ」
天山「なーベルト持って来いって、おい」
長州「やるならやってみろコラ」
蝶野「おう、いつでもやってやるよコラ」
天山「好きなようにさせんぞコラタコ!」
長州「この野郎テメエらとっとと死ね!」
天山「ギャー」
天山「なんやとオラ」
長州「タコがコラ!」
天山「おい!ふざけんなよ!オラエー!」
蝶野「挑戦させろコラ!」
長州「(ここで突然左にいた平田に向かって)テメエも死ねコラ!」
平田「どわぁぐ…」
長州「この野郎なぁにがドス・・お前だって今までお前こんな状態にしといてコラ」
平田「なんやコラ」
長州「ざけんなコラァ」
蝶野「だったらリングの上あがった後で…」
平田「やるのかやるらないのくぁはっきりさせろコラ」
長州「じゃぁやらしてみろコラ!やらしてみろコラ!」
平田「おいしんしゃー!おし!」
長州「こんな状況の中でテメエ、なにができるんだコラ!」
蝶野「おまえは中邑・棚橋に気遣ってんだろオラ」
平田「おいやらせるからな、いいか!」
天山「看板じゃないよお前は、アー!」
長州「言っとくけどなあ、テメエらもっとしんどい思いさせてやるからな!」
蝶野「うるせえコノヤロー、オラ」
長州「覚悟しとけコラ!」
蝶野「しんどい思いしてきてんだオレらは!」
長州「タコがコラ。やらしてみろコラ」
平田「おーしわかったー!」
長州「調子こいてんじゃねえぞこの野郎!」 『第三世代は顔がブサイクだから新日本が低迷した』
ブサイクでも長州のように男が惚れる突き抜け感がありゃあ良かったんだよ。 ここまで>>1にツッコミ入れてるのが>>41しかいないのかよ。2014年を暗黒期、迷走期扱いしちゃうとかアホだろw >>41
2008年ぐらいから、少しずつ息を吹き返して行ったよね。 この頃を振り替えって「総合のせいで人気落ちた」って言う人が未だにいるんだけど、単純にリング上のクオリティが低かったんだよな
この時期にノアが盟主になれたのは小橋全盛期ってことも有って試合が面白かったからだし
俺は武藤全日見てたけど >>35
当時は後楽園でIWGP戦やること自体が衝撃だったな
しかも永田対越中とか 思えば2006年の契約更改で大量離脱があったから、残った真壁、矢野らの再評価に繋がったんだよな
永田をチャンピオンにしたり、越中の起用とか
元WJの選手上げたりしたのも長州の方針だったのかな >>45
同意見 俺も2008年から盛り返してきたかなぁと
TNA勢の参戦やZERO-ONE-MAXとの対抗戦、棚橋のCC大活躍など 棚橋、中邑、真壁、後藤が逃げなかったからこそ新日は盛り返した
ってのは矢野が言ってたんだっけ?
確かにそうだとは思うが
思い出すと、俺は当時の棚橋中邑が嫌いで見なくなったんだわ
この二人と真壁後藤の覚醒でまた見るようになったんだけどな 円天は実際渋谷でチケット渡されそうになったからあれは本当に怖かった。
個人情報を執拗に求めてチケット渡そうとしてた >>48
時期的にはそうだよ
いい試合しても評価されなかったことが多い
モチベーションも低くなり試合自体もレベルが下る >>52
当時の中邑棚橋は若手に毛の生えたようなもんで実際塩だったからしょうがないわな
散漫な攻めから唐突に繰り出されるんで不評なシャイニングトライアングル
丸め込みの使い方としておかしい電光石火
迷走期を象徴する二つの技 暗黒期と言われると、どちらかと言えば88年ゴールデン離脱の時期のイメージが強いけどな。あの当時はゴールデン堕ちイコール絶望しかなかった。 >>52
一貫してプッシュされてた棚橋中邑後藤と、見直された真壁矢野を一緒にするのは違うと思うけどな >>41
あの試合を生で観てることはプロレスファンやってる限り誇れると思う G1準決勝の永田vs中邑で永田さん勝ったけど中邑のアクシデントっぽくて決勝の煽りVTRが棚橋はちゃんとしたのだったのに、永田さんのは急いで作った感が溢れてたのもこの時代らしいなと思う 私は25歳まで新日本プロレスという業界最大手の会社でプロレスラーをしていました。ある程度のところまで行ったときに長く続ける仕事ではないと今後のことを考え若くして引退を決めました。
元新日の安沢がブログのプロフィールにこう書いてる。
あの時期はどう見ても長く続ける仕事じゃないと感じても仕方ないし、別に良いんだけど、お前はある程度のところまで行ってないだろって思ってしまった。 >>42
とんみとがーときむっとぅわんコラが実際なんと言ってたのかすげー気になる 中邑と棚橋の叩かれ方は相当酷くて特に棚橋は親の仇の如く叩かれてたなあ・・・ >>41
俺も生観戦してた。
あなたとは旨い酒が飲めそうだ。 >>60
まあデビューまでこぎつけるのが大変と言えば大変だからね 棚橋より中邑がくすぶってた時期長かったな
まさかブレイクするとは 寧ろ棚橋は何であんなにプッシュされてたのか不思議
学プロ出身で事件持ちっつうだけで詰んじゃってるのに
猪木の鶴の一声でクビ免れただけでも奇跡だけど
海外島流しとか冷や飯待遇の腫れ物扱いでもおかしくないのに >>60
安沢はヤングライオン卒業したてくらいの時期だったな
コスチュームを黒パンから赤のスパッツに変えてIWGPジュニアタッグに初挑戦して負けた直後だったから正直、先が楽しみではあった >>62
実力不足なのに無理矢理なプッシュだったからな
プヲタはただでさえ団体側のゴリ押しを嫌うし >>68
残念ではあったけど、長尾みたいにハッスルとか行かなかったから、全然良いわ。 2006年棚橋戦でのレスナーボイコットは今でもレスナーが正しかったと思う
当時の棚橋がレスナーに勝つのは無理ありすぎ
せいぜい勝ったとしても丸め込みでファンを納得させる試合はできなかっただろう
当時の2chでもこの件でレスナー擁護してる書き込みが多く、一番叩かれてたのはサイモンだった >>58
>>63
サンキューなw
あの時の後藤は、今の後藤を片手で殺せるくらい強かったなあ・・・。
試合後、中邑と真壁が挑戦表明したけど、あの試合見ちゃった事で「やべえ!こうしちゃいらんねえ!」っていう焦りが凄い出てたね。 >>71
同意。レスナーからアングルへと渡って、3代目ベルトってその後どうなったっけ??
記憶がおぼろげだけど、本家新日本では仕方なく2代目ベルトを復活させ、棚橋バーナードで決定戦。
現4代目ベルトが完成したことで、2代目ベルトは所有者だった橋本遺族に返還(だったような、違ったらごめん)。
そこで、一応は受け取ったものの、まだ高校生だった大地が「僕がレスラーになって、勝って取り戻したいと思います」とか粋なコメントしてたような・・・。
3代目ベルトのデザインが一番カッコよくて好きだったんで、封印はつくづく残念。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています