1990年の新日本、全日本
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この年から観客動員数が増えてきて冬の時代から脱したと思う >>170
その大会後の週プロのインタビューで北尾は長州さんが助けてくれなかったって
ほざいてたよね
後に対立するのはこの時からすれば当然のことだったんだろう 北尾って今の時代だったら新日のみならず全日や、大日、DDTとか色々な団体掛け持ち
してたのかな。 少しそれるけど、新日本1991年の1月〜3月のTVマッチはCSでもあまり放送されないけど理由があるのかな。
2月札幌中島体育センターぐらいしか放送されていない気が。
1.5後楽園
1.17横浜
2.10駒ヶ根
2.14千葉
3.1諏訪湖
3.6広島
3.9長崎
3.14名古屋 あのときの北尾の不人気も、やり方次第じゃビジネスチャンスだったよなあw
今のレスラーが、いっぱいいっぱいで悪役を演じてる姿を見るとホントそう思う かなり後になってウイリアムスが雑誌でサイズの事を語ってた。
実際に相手と戦ってる時は自分のサイズ(全日では意外に小さいという事)はわからず。
しかし映像で見たら自分の小ささに驚いた、と。
『オールジャパンはテリー(ゴディ)、スタン、ジャンボと確かに大きいのが多かった』
『そう考えたら自分のサイズは彼等より劣るのも納得』
『ニュージャパンは大きな選手はレオン(ベイダー)、ビガロくらいだった』
こんな事を語っていたのを覚えてる。
ゴングか週プロかで。 ヘビー級ギリギリの選手がスーパーヘビーの相手と戦うのが新日の醍醐味だったからな そんな事はいいからまずはスマホに替えろよ
としか言えない 天龍同盟が解散したあたりから小橋が川田より序列が上になるんじゃないかと思ったが
6月のシングル戦で川田が勝って本当に嬉しかった >>184
タイガー、小橋組でアジアを取ってたから、
その流れで三沢、小橋組でいくのかなとは思った。 新日は橋本、蝶野、武藤の序列は状況によってコロコロ異なった。
全日は三沢が一番上で川田、小橋、田上の状況は毎回状況によって変わった。
ただいつ頃からか田上より小橋の方が上になり。 ヒロ斎藤と栗栖正伸のデスマッチ、
結末が何ともお粗末だった・・・ 最後の鶴龍対決の横浜文体
ハンセンの乱入に鶴田はチャンピオンベルトをブン回して威嚇してたw
あれは素晴らしかった!
十数年後、高山がNWFベルトをブン回した時に「ジャンボスタイル」だと思った。 >>188
あの威嚇はジャンボらしくて豪快でよかったよな 天龍が抜けてショックは受けたんだけど
少ししたら「まぁ、鶴田がいるからなんとかなるだろ」
って根拠のない安心感みたいなのが自分の中であったんだよな。
鶴田が強烈なリーダーシップを張るけでも
人気や集客力が抜群な訳でもないし、
大の鶴田ファンって訳でもないのに、あの感覚はなんだったんだろうなぁ。 自分もそう思ってた
長年見続けて鶴田は断トツのエースというのが擦り込まれてたのかな〜 >>190
天龍より鶴田が抜ける方が痛いよな
壁役としては鶴田ほどうってつけの奴はいない 実際2年後に鶴田が肝炎でセミリタイアしてから全日はジワジワと落ちていったからな。 >>186
そりゃ、三銃士は同期入門で
実力も拮抗しているからな。
(そのようにアングルを組まれた。
夏のG1では蝶野無敵とか、、)
かたや四天王は、入門順では三沢が
一番先輩。年齢と入門前の実績では
田上が勝るけれど、、、(^^: >>196
越中がヒロにピンとられたのもビックリした
この頃から長州は越中を干し始めた感じがする >>196
入場テーマの「はげ山の一夜」が妙にハマってる。 >>196
その前年の1989年の秋〜90年の
春に掛けてFMWで栗栖が大ブレイク。
それで新日に電撃カムバックというのが
話題になった。
と言っても、確かにFMWを見ていないファンも
いただろうし
5人タッグがメインというのはなぁ。
俺も見に行ったけれど(苦笑) この年は全日も1月のシリーズで後楽園7回使ってたね
何気に天龍対イワンコロフとかやってたなぁ
後は小橋の7番勝負だね あの時コロフがWWWF王者でいてくれたら世界の天龍になれたのに、
初防衛戦で1ヶ月足らずで転落してるもんな。 当時、しゃらくせえ事ばかり言いやがって〜と思って大嫌いだった辻よしなりだが、
最近プロレスリングマスターズで久々に見たら懐かしさもあって許せるように思えた。
俺も年を取ったのかなーw
相変わらず言う事はしゃらくさかったがw ハンセン戦と北尾戦でファンから認められたベイダー
武藤凱旋で揃った三銃士
藤波の復帰
馳健の台頭
ホーム、ノートンの初来日
と、この年に後の黄金時代の兆しは見えてるよね(ベイダーは後に引き抜かれたけど) 新日 NK大会
4月 M斎藤、橋本vs武藤、蝶野
長州、北尾vsベイダー、ビガロ
越中vsマシン
5月 長州vs武藤
M斎藤、橋本、北尾vsベイダー、ビガロ、ウイリアムス
蝶野vs佐々木
10月 長州、橋本vs武藤、蝶野
M斎藤、佐々木vsベイダー、ビガロ
越中vs青柳
あきらかに10月のカードは落ちてる
意外にも5月は2階席に空席が結構あったな 5月ぐらいまでの勢いが凄かったから
下半期はちょっと落ち着いた感じはある。
馬場と猪木のデビュー記念イベントとか、
SWSの旗揚げとか話題は尽きなかったけども。 >>206
この頃のワープロって秋はゴルフが殆どで10月のカード放送なかったんだよな
武藤が長州から初めてギブアップ取ったから見たかった >>208
以前新日がノーTV用に製作してた闘魂Vスペシャルが
この年からあったら間違いなく収録してたでしょうね
解説が武藤あたりで >>208
結果覚えてないなぁ
ギブアップって、当時はまだ4の字使ってなかったと思うけど決まり手はなんだったの? >>211
さそりを返しての変形の四の字だったと思う
そうとう昔なんで間違ってたらすまぬ
後、四の字はフィニッシャーではなかったけど使ってはいた >>206の10月 長州、橋本vs武藤、蝶野なら
武藤 回転エビ固め 長州 だが >>212
変形4の字は94年のG1だね。
でも、タッグとはいえこの頃に武藤が長州から取ってたとはねぇ。 そして前後の後楽園と武道館で馳が武藤に2回フォール勝ち 闘強導夢、超実力派宣言、夢勝ちます、クラッシュザスーパーヘビー、バトルライン九州、キングオブキングスin浜松アリーナ、闘魂ツアー(闘魂シリーズではない)、、
字面見るだけでウキウキした。ピュアだったな。 新日 両国国技館
6月 長州、越中、星野、小林、佐々木vsA浜口、マシン、後藤、H斎藤、栗栖
武藤、蝶野vsM斎藤、橋本
ビガロvsウイリアムス
8月 ベイダーvs長州
武藤、蝶野vsブルーム、イーノス
ライガーvsペガサス
12月 藤波、木村vs長州、木戸
馳、佐々木vs越中、飯塚
武藤、蝶野vsビガロ、Bブラウン
大阪、NKに比べるとこの年の両国は若干カードが落ちてる感じだな >>217
12月の両国は前月の武道館とその後の浜松の煽りを受けてこの年のビッグマッチで一番微妙なカードだったな >>217
デストラクション・クルーなつい!!
ツープラトンの馬跳びヒップドロップで蝶野が悶絶してたな
期待してたけど結局中堅外人のままで終わった NKホールは、オシャレな新会場として
4月、5月、10月と行ったが、
交通の便は悪い。会場内で飲食ダメ!
会場の外に店がない。
と条件としては良くなかった。
と同時に、カードも低下したしね。
なんだかんだで北尾には興味があったが
10月には、いなくなったし。 >>218
メインは健吾が木戸に翻弄されてヤジが凄かったし藤波もまだ試合勘が戻ってない感じでまったりな試合だったな
>>219
ブルームがSTFをロープエスケープしたときは結構盛り上がった
合体フェースクラッシャーはなかなかの威力があったと思う
>>220
NKは1階席より2階席前列の方が一番リングが近くに感じる特殊な会場だったね
閉館されてからかなりたつけどあの建物どうなるんだろう この年にブロンドアウトローズ対剛軍団の10人タッグなかったっけ?確か両国で見た記憶が。
組み合わせと結果覚えてない >>219
WWFにいってべバリーブラザーズでまあまあ売れたな >>223
あったあった。俺も見た。結果は俺も忘れた。
板倉も出てたよね。スパルタカスとしてだっけ?それも忘れたなあ。
退屈してきた客がオリャよろしく剛の攻撃に「剛!」と遊びだして(ショアがまだない頃)、やっと面白くなりかけた段階で試合が終わったので残念だったのだけ覚えてる。 「プロレスラーの蝶野正洋です。俺は基礎体力をつけようとしている人にこのパワートレーナーを勧めています」 >>226
お待ちし〜ています〜♪
テレテレテン♪ >>223
一本目だか速攻で高杉がマシーンからボディプレスで取った試合かな 鶴田、カブキ組が世界タッグ取ったときは不思議なチームがチャンピオンになったなぁと感じた
武生市体育館だった >>230
カブキはないなあと思った
無理があり過ぎ >>216
俺も同感!
週刊プロレスのシリーズ名と一緒にイラストが描かれてたやつ(レスラーの似顔絵?)、
あれもウキウキしてみてたわ。 >>223
それ1990年8・19の第五試合、60分3本だね。
浜口、マシン、後藤、保永、ヒロ斉藤(2−1)栗栖、剛、板倉、青柳、高杉
浜口が復活して剛が新日に参戦した両国と言ったら、時期的に、
8月しかなかったと思ったら、やはりそうだった。
ちなみにメインはIWGP戦、王者ベイダー対長州で長州が奪還。
セミは同タッグ、武藤&蝶野がブルーム&エノスを退け防衛。
俺は、この日、見に行ったが、この5人タッグは
印象に残っていなかった。 >>233
メインの長州対ベイダー覚えてないわ(笑)
試合後に長州がこの右腕に感謝的な事言った時かね? IWGPヘビーは89年の8月両国で
ベイダーが長州から奪った。
90年2月東京ドームの最初のカード発表では
そのリターンマッチが発表されたが、
そこで長州が奪回する予定だったのかな? 全日 大阪
4月 J鶴田、小橋vsハンセン、スパイビー
ゴディ、ウイリアムスvsクロファット、ファーナス
G馬場、アンドレ、カブキvs渕、高野、仲野
8月 ハンセン、エースvsゴディ、ウイリアムス
J鶴田vs小橋
三沢、川田、菊地vs田上、渕、M井上
11月 G馬場、アンドレvsゴディ、ウイリアムス
J鶴田、田上vsハンセン、スパイビー
三沢、川田vsエース、小橋
やっぱり11月は超満員になって当たり前のカードが揃ったな >>230
シリーズ終わったらすぐにカブキがSWSに移ったんだよな。
そのせいもあってか翌年武生に来たときはリーグ戦を復活させたチャンカーにも関わらずガタッと客入りが落ちた。 >>236
最強タッグでのランニングネックブリーカードロップは子供心に痺れたなぁ。 >>236
分裂前の大阪府立でも、小橋がメインだったってこと?
88年デビューだから、キャリア2年で大会場メインって、やっぱりスター街道だったんかな。
当時見ていた人は、過剰プッシュのように感じていなかったのだろうか。
今でいうノアの清宮みたいなもので。 >>239
前年にあすなろ杯やったけどそのメンバーより上で使って行くんだなと思った
あきらかに過剰プッシュだなと個人的には思った
実際は川田より上に行くことはなかったけどね >>239
過剰プッシュには違和感を覚えて、結局、小橋が引退するまでこの人には感情移入できないまま終わったなぁ。
1年ぐらいでも海外に出されてたら少しは印象が変わったのかもしれないけど。 小橋のプッシュは確かにあったけど、過剰という程だったかな?
けっこう段階を踏んでいたと思うけど…
ただ、あの頃はネットもないし、会場観戦者、プロレス雑誌の詳細情報とテレビ中継の内容とでは差があった
例えば平成に入る前に、馬場と親子タッグを組んだりしてプッシュは始まってたんだけど
いざ小橋がテレビ中継に写るのは、その一年後のあすなろリーグでのダイジェストだと思った
川田にすげえジャーマンやってる若者に「誰だあれ、なんかすげえやつがいるな!」みたいな感じだと思う
そこからテレビに出だして、メイン近くまで登場するようになるまで早かったから過剰に見えたのもあるとは思うけどね
まあ、そもそもデビューして一年前後で馬場とタッグを組んでる事が過剰といえるかもしれないが… 小橋を初めて見たのは
デビューして3、4か月後の88年7月
後楽園ホール。名前もろくに知らなかったが
「スゲエ新人が出て来た!」と一発で
顔と名前を覚えたよ!
デビュー一年未満の
無名の新人に、これだけのインパクトを
感じたのは小橋と井上京子くらいだ。 小橋が武道館クラスの大箱でのシングルマッチだと、対ハンセンでセミファイナルに出たのが平成3年
でもいざ三冠を獲ったのが平成8年なわけだから
長いスパンで見れば過剰はあったとしてもバランスは取れてんじゃないかね? 小橋は一生懸命なプロレスでファンサービスもよかった。スーパーベビーフェイスになる要素が元々あったんだろうなぁ。
三沢、川田も含めて、うまい具合にいい素材が全日に残ったよね。
田上は結果オーライだったけど… スレタイ見るたびに、かつての名スレ『1192年の新日本プロレス』を思い出してしまって笑う >>246
過剰プッシュではなかろう
スタハンとのシングル連戦なんかに期待外れはなかったし 小橋は昭和プロレス、乱闘や凶器や反則込みのプロレスもやりたかったみたいだ。
小橋自身がそういうプロレスを見てきたわけだし。
でも小橋がトップで全盛の頃はそういうプロレスは皆無だった。
いつしか団体の流れ自体が危険な技の応酬のスタイルへ。
まあ昭和のプロレススタイルの方が体には楽だわな。
でも大技出すだけで済む分にはあのスタイルの方が楽。
体にはキツイどころか死に兼ねないが。
実際に三沢が… >>251
ブッチャー・キマラとはやっているけどな。 まさにこのスレ向きな動画が。武藤凱旋の4月NKのワールドプロレスリング。
マジで、セミ・メインと、客がずっと騒ぎっぱなし。いい時代だったな。楽しかったよ。
https://www.youtube.com/watch?v=OSYreRfQ43o この年はJrのリーグ戦なかったね
佐野が抜けたり野上が海外に行ってたりしたから層が薄かったね 1990年 週刊ゴング 表紙リスト
1990/1/4 北尾光司
1990/1/11.18 前田日明、天龍源一郎、長州力
1990/1/25 A猪木&S・チョチョシビリ(撮影=原悦生)
1990/2/1 WWF、全日、新日のオールスター・メンバー
1990/2/8 天龍源一郎
1990/2/15 ハルク・ホーガン
1990/2/22 2・10東京ドーム出場選手
1990/3/1 2・10東京ドーム出場選手
1990/3/8 ジャイアント馬場、アンドレ・ザ・ジャイアント
1990/3/15 長州 力
1990/3/22 船木誠勝
1990/3/29 ハルク・ホーガン
1990/4/5 4・13東京ドーム出場選手
1990/4/12 前田日明、船木誠勝
1990/4/19 U・ウオリアー、ハルク・ホーガン
1990/4/26 4・13東京ドーム出場メンバー
1990/5/3 ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン
1990/5/10 天龍源一郎
1990/5/17 天龍源一郎
1990/5/24 天龍源一郎・ジョージ高野
1990/5/31 ジャンボ鶴田、藤波辰巳
1990/6/7 天龍源一郎、若松市政
1990/6/14 天龍源一郎、ハルク・ホーガン、阿修羅・原
1990/6/21 橋本真也
1990/6/28 三沢光晴、川田利明、小橋健太 1990年 週刊ゴング 表紙リスト
1990/7/5 ベイダーvsハンセン、長州vs浜口、橋本vs武藤、獣神サンダー・ライガー
1990/7/12 船木誠勝・前田日明
1990/7/19 橋本真也・三沢光晴
1990/7/26 天龍源一郎・佐竹雅昭
1990/8/2 SWS契約全選手
1990/8/9 アントニオ猪木、ザ・ロード・ウォリアーズ
1990/8/16 長州力、北尾光司
1990/8/23 大仁田厚&ターザン後藤
1990/8/30 船木誠勝&高田延彦
1990/9/6 長州力、ビッグバン・ベイダー、アントニオ猪木
1990/9/13 SWS契約選手
1990/9/20 ザ・グレート・ムタ
1990/9/27 アントニオ猪木 撮影/原悦生
1990/10/4 天龍源一郎
1990/10/11 T・J・シン
1990/10/18 A猪木&T・J・シン
1990/10/25 前田日明
1990/11/1 闘魂三銃士
1990/11/8 天龍源一郎
1990/11/15 前田日明、UWF神社長
1990/11/22 前田日明
1990/11/29 大仁田厚
1990/12/6 高田延彦、船木誠勝
1990/12/13 天龍源一郎、北尾光司
1990/12/20 UWF全選手
1990/12/27 UWF全選手
1991/1/3 前田日明、船木誠勝 >>255
いや、新春黄金シリーズでIWGPジュニアヘビー級挑戦者決定リーグ戦があったろ。
オーエン・ハート、ブラック・タイガーが参加。ライガーはこのシリーズより、
サンダーライガーに改名した。
ライガーが優勝、佐野に挑戦して王座奪取⇒佐野新日離脱。 新日第二の旗揚げ 4・27東京ベイNKホール
全日第二の旗揚げ 5・14東京体育館
対照的な幕開けだった。 >>254
ナイスジョブ!NKホールの前で放映してたんだね。
全然記憶にねえ。(たぶん中2の頃、見てなかったかも。) >>245
三冠の順番 三沢→川田→田上→小橋と上手く調整したよね 90年6月 新日 福岡
長州vs浜口 橋本vs武藤 ベイダーvsハンセン
ライガーvs青柳 武藤vs蝶野 橋本vs佐々木
91年7月 新日 福岡
武藤、蝶野vs馳、佐々木 橋本vsノートン
藤波、長州vsアックス、カナディアンジャイアント
ライガーvsペガサス 青柳vs松永
91年も決してカードは悪いわけじゃないけど90年があまりにも良すぎた感じだね >>258
新日全日に関係ないが
90年の後半はSWSより
UWFの内紛の方がインパクトあったみたいだな 90年は猪木や藤波がレギュラーで不在にも関わらず新日は大盛況。
猪木はそれが気に入らなかったみたいだが。
でも橋本、蝶野、武藤と役者が揃った感じがした。
88年に三人を『闘魂三銃士』としてユニットにしたのが幸いした。
まさかこの当時は二年後を見据えてなんて事はなかっただろうが。
藤波欠場も猪木の議員当選→それに伴いセミリタイアも88年には想定外のはず。
あの三人を『闘魂三銃士』ではなくバラバラに売り出していたら。
そしたら新日もあれだけの大盛況にはならなかったと思う。
あとはベイダーの大成長、人気急上昇も手伝い。 カナディアン・ジャイアントっていたなぁ
ヒガンテに比べて色々酷かった >>270
この年の4月からシリーズ名を刷新したけど、ビッグファイトシリーズはなぜか92年まで残った。 >>268
90年はアノキやフジナがレギュラーで不在にも関わらずシンニプロレは大盛況。
アノキはそれが気に入らなかったみたいだが。
でもハシモ、チョマサ、ムトケと役者が揃った感じがした。
88年に三人を『トウコサンジュウ』としてユニットにしたのが幸いした。
まさかこの当時は二年後を見据えてなんて事はなかっただろうが。
フジナ欠場もアノキの議員当選→それに伴いセミリタイアも88年には想定外のはず。
あの三人を『トウコサンジュウ』ではなくバラバラに売り出していたら。
そしたらシンニプロレもあれだけの大盛況にはならなかったと思う。
あとはビバベの大成長、人気急上昇も手伝い。 橋本 蝶野 武藤と飯塚 松田って差が凄かったな。
キャリア1年しか違わないのに。
三銃士がトップ扱いで売り出されてたのに飯塚と松田は前座の第一試合常連。
野上は三銃士と同期だが。
でも後々には飯塚や松田(サムライ)と組んで三銃士より格下のユニットに。
NEO闘魂トリオだっけ。
金本達からは『あいつらは怖くないしその上の三銃士を見据えてる』と。
NEO闘魂トリオは踏み台にもならないと舐められて。
金本達はNEO闘魂トリオは全く相手にしてない感じで。
そもそもあの三人は器じゃなかったんだな。
三銃士が必要以上に売り出されたのもあるが。 >>273
野上は船木に、飯塚はみのるにそれぞれすぐに抜かれてたからな。
まあ松田・飯塚の同期ながらクビ切られた大矢や片山よりマシか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています