大会場なのにカードがショボかった大会
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1990年12月 両国
メイン
藤波、木村vs長州、木戸
セミ
馳、佐々木vs越中、飯塚
カードが渋すぎた大会を語りましょう >>612
レイス対リッキーでジョーさんの失神もなくクリーンフォールで決着がついてるのはアメリカのファンからしたらかなり凄い事では?
試合が組まれるだけでも凄いと思うんだが。 西武ドームは雨天中止にならないように屋根付けたが、固定資産税削減目的で堤オーナーが吹き抜けにしたはず。
屋根付きの駐車場と同じイメージ。
しかしそれが認められない、堤失脚、西武グループ再編成でそのまま。 92年新日G1 名古屋
メイン マサ齊藤、長州対ノートン、ホーム
セミ 藤波、武藤対ウインダム、テイラー
公式戦も橋本対バーバリアン マシン対ルード
佐々木対ナイドハート
反選手会同盟の試合はおもしろかった 83年夏のテリーさよならシリーズはテリー、ニック、シンくらいで、そこまで顔ぶれが豪華ではなかったけど
札幌、福岡、奥武山、大阪、横浜と地方の主要会場での開催が多かった
鶴田対ニックは何故か千歳市スポーツセンターだったが… >>615
週プロのFAXによるとくそみたいなカード連発だったけど、どれも好試合連発で盛り上がりは凄かったらしい。メインはマサの50歳の誕生日と言うことで 大ハッスルだったとか。 >>617
この時の大阪大会は全日の歴史上最高の客入りだったと思う。 大阪府立でマジで客が全くいなかったのは佐山シューティング 2016年のG1名古屋はメインの柴田内藤以外はあんまりパッとしなかったような。 >>619
すごいな
こんなカードで武道館できたんだもんな >>619
カシンの相手のコンティ二―って記憶にない >>619
せめて天龍と炎武連夢を絡ませればいいのに >>596
97年、99年の武道館は両方見に行ったけど、ガチでメインを忘れてしまった…
ムタが武藤に戻ったのとライガー対AKIRA戦があったのだけ印象に残っている
99年の武道館は翌月ドームがあったのでガラガラだった気がする 98エキサイトシリーズ日本武道館。
三冠戦・三沢vsエース
世界タッグ・川田・田上vsウィリアムス・オブライト
もう1つ小さな箱でやっても違和感ないわ。 新日の秋の大阪府立のカードは酷かったイメージしかない(最近はましになったが) いつだったか武道館で小橋と小川のタイトルマッチがメインの時があった。
ショボすぎ。 >>630
武道館3F X列辺り何列か空席あった 当時は珍しい たしかドーム控えてるのとエースがメインではね。 昭和61年全日本プロレス大阪城ホール
メイン ウォリアーズ 対 マシン高野
セミ 鶴田天龍タイガー 対 長州谷津小林 >>634
メインは奇襲で負傷した高野から突如現れたカーンに変更。
試合もそれなりに盛り上がり。
試合後には長州がカーンの助っ人で登場。
しかしカーンは長州を裏切りマシーンと二人で袋叩き。
これは凄いアイディアだと思った。
全日にしてはこういう演出は珍しい。
またこの試合での倉持の名台詞『恩知らずキラーカーン』がいまだに残ってる。
内容的には腹いっぱいだね。 >>630
それで満員だったんだから当時の全日本・三冠・武道館の三位一体ブランドがどれほど強かったかが分かる >>636
昨日、プロレスクラシックで再放送されてたの見ているけど、実況は倉持じゃなく若林。
レフェリーはパットオコーナーだったんだな。 新日本は大阪に強いと聞いていたけど、
年内最後の大阪府立のメインが中西vsノートンって発表を見た時は強気すぎると思った >>637
とはいえ>>633にあるようにぎっしり超満員というわけじゃない。
両国ならお釣りのくるくらいの入りか? >>615
面白かった反選手会のカードは?
>>634
今となっては、小林邦昭と鶴田が対戦したレアカードかも。
>>639
>>年内最後の大阪府立
新日の場合は1.4東京ドームがあるから難しいんだよね。
そこで便利な選手が越中だった。天龍や武藤とメインでやった。
それで東京ドームでは第一試合でのタッグマッチw
でも、越中が天龍や武藤とやった試合は凄かったよ。
外敵の天龍戦はまだしも、武藤とやった時ですら越中コールだった。
あとは「平田」も。年内最後の大阪で武藤とやって、
次の東京ドームでは山崎隊と第一試合とかだったような? >>634
いつもと異なり凶器で高野を奇襲するウォリアーズに違和感を感じたな。 府立の天龍vs越中の時は、ムタvs馳、ヘルレイザースvsノートン、ホームという裏ドーム的なカード満載でお腹いっぱいだったなあ。 >>638
そうだ、若林だったわ。
レフェリーはパットオコーナー。
ホークがパットオコーナーをリング下に投げ飛ばしたシーンは笑える。
マシーンとウォリアーズの初対決って事で楽しみにはしていた。
高野がフォールされんのは目に見えてたが。
しかしまさかあんな展開になるとは予想外。
カーンが出てきた時にマシーンはカーンをど突いて『帰れ』のジェスチャー。
カーンに何かしら言っていた。
カーンがマシーンに詰め寄りお互いが乱闘寸前という場面。
そこにウォリアーズが二人に襲い掛かり、いつの間にか試合開始。
ただあの雰囲気だとマシーンはカーンと組む気がなかった。
しかし乱戦になってうやむやに。
そこはアングルか、マシーンは本当にカーンと組む気がなかったか?
まあアングルだろうが。 平成の大阪府立の過去最高観客動員は1996年10月のWAR
発表では9110人
昭和は分からない >>646
5千人台で発表してる今の新日と大して変わらないんだろうな。 >>632
それ現場にいた。
今思えば、とんでもないカードだよな
それでも、武道館は満員だったw >>648
見に行ったんだw
俺はカードがしょぼくて遠慮したよ
確か丸藤vsヨネがセミじゃなかったか?
白GHCでヨネが勝つ番狂わせのやつ
あと小橋vs力皇も武道館は苦しいだろ、結果がサプライズだったからインパクトはあっただろうけど
あと力皇が王者の時はセミで豪華カードを持ってきてたよな、北斗セコンドやら天龍が出場したり
それでも力皇vs斉藤で武道館はちょっとな…秋山vs雅夫の方がまだマシだろ 93年の千葉ポートアリーナ
橋本&蝶野vs藤波&木戸
ヘルレイザーズvsライガー&ペガサス
武藤&馳&小島vs越中&後藤&小原
一応メインはIWGPチャンピオンとG1優勝者の激突と銘打っているけど、
大会場にしてはちょっと弱かったかな。
ちなみに前年は長州vsノートン、ベイダー&ビガロvs武藤&馳
橋本vsホームなどでテレビマッチということもあってカードそのものから
会場の明るさまでまるで違い会場にように感じられた。 ノア絶頂期にスポット参戦してた天龍が言うには、客が入ってたのは首都圏だけだとか。
大阪や名古屋は、暗黒時代のドン底期でも新日の方が入ってたらしいな。 >>650
93年はタッグリーグの公式戦だったよね
前年はアリーナ後方にセットバック組んでたけどその年はアリーナの半分くらいしか椅子を並べてなかった
ビジョンも試合中は使用しなかったが、試合前と休憩中に闘魂Vスペシャル流していてちょっと得した気分だった >>648
三沢社長時代のノア、武道館で
一番ショボイメインは08年7月の
王者、森嶋対力皇だな。
実際に、入りは悪かった。
俺は例の招待券ではいったのだが、、
というより04年頃から、ずっと招待券だったよ。
家でY新聞を取っていると、貰えるんだ。
貰えない時もあるが、その時は金券ショップで
売っていた。だいたい1500円。
それも年々、安くなって最後は700〜800円になったよ。 >>653
森嶋vs力皇の武道館て確か金曜じゃなかったっけ?
その頃まではかろうじて武道館だけは毎回行ってたけど、
そのカードは観戦した記憶がなかったから。
森嶋力皇vs丸藤ケンタがセミで30分時間切れとかやってたのもその頃かな? SWS、WARの大阪府立もガラガラ?
谷津vsサベージのランバージャック戦、
天龍石川vs藤波橋本だった気が。
ただ、天龍vsムタはすごい入りだったっていう冬木か武井社長のインタビュー記事は読んだことある。 >>655
森嶋力皇vs丸藤ケンタがセミで30分時間切れ
それ、2006年7月16日
高山善廣復帰戦のセミだね。
https://blog.goo.ne.jp/prowrestle/e/92c055a5e98e30a4f8a9423bb56d6275
これで、丸藤は「ヘビー級の力皇(元GHC王者)、森嶋に負けなかった」
という理由で(^^:、9月にGHC王者秋山に挑戦して、奪取したんだな。 新日の名古屋の興行は中日の選手から花が届いて
会場の入り口に飾ってあった。新日本プロレスさん江
という具合に。よく見たのは山本昌、山ア武司、今中、
前原、そして立浪、星野の名前もたまにあった。 ノワ伝説興行
福岡国際センターのプロレスのキャパ7500人
切符の実売300枚弱、観客実入り数約800人
http://www.noah.co.jp/result.php?tour_id=753 >>650
前月に同じ千葉市の幕張メッセで行われたWARの興行に天龍VS蝶野を譲ったり、
また新日も前シリーズのG1スペシャルで好カードを組みまくったせいで、
このSGタッグでは組むカードがなくなった感じだな。
このシリーズは他にも広島サンプラザや神戸ワールドでもやってたが、同様に大したカードはなかった
(最終戦の両国は決勝のためカード発表はなし)。 >>660
このSGタッグ当時の新日本では珍しく1ヶ月の
長丁場のシリーズだったけど、やたらと怪我人が多くて
半分くらいのチームがリタイアしてたんだよね。
ヘルレイザーズ、越中&小原、マサ&バーバリアン(当初はマサでなくホーム)
アームストロング&ロイヤル、直前で仲間割れした
マシン&後藤といった感じでリーグ戦すら組まれない大会もあったりも。
ちなみに最終戦は普通にリーグ戦が組まれ最高得点チームが
優勝という形になってた。
この時の武藤&馳vs橋本&蝶野はなかなかいい試合だった。 ヘルレイザーズは衝撃受けたな ロードウォーリアーズは世代じゃなかったから ロードウォリアーズはプロレススターウォーズを読んでいたから見るのが楽しみだった >>662
そうだと思う。東京から来た友人は野球ファンでもあってか
嬉しそうにプロレスが好きなんだなぁと言っていた。
会場で見た中日の選手は近鉄から来た金村義明が子供連れて来てたぐらいかな? たしか、秋山の三冠発挑戦も武道館だったな。
メイン
三冠戦
三沢vs秋山
セミ
川田・田上・本多vsウィリアムス・オブライト・高山
セミ前
小橋・志賀vsハヤブサ・人生
セミ前が1番注目されていた感じ。
日テレもこの試合の実況は平川に担当させてたし。 >>649
正直、メイン以外は覚えてないw
武道館でやった小橋のGHC戦は何回か観戦してるだけど、力皇に負けた試合は観てなくて、それ以降は足が遠退いていったなあ。
永田とやった試合なんかは面白かったと思うよ。 >>656
SWSのはガラガラだった。天龍vs佐野とかあったんだけどね。ヤジがよく響く会場だった。
WARのはアンダーも豪華で、マジで後ろの方まで立ち見客でギッシリだったよ。
もっともその煽りを受けたのが3日ほど前の東京プロレス大阪府立大会。高田vsブッチャーとか、インディオールスター並みのラインナップ揃えたのにかつて見たこと無いほどのガラガラッぶりだった >>669
ガラガラなのに新日より多い7千人台の発表だったな。 いつかの大阪府立で棚橋vs裕二郎なんてなかったっけ? 尼崎の体育館、前から観客数も多いけど、横浜文体くらいのイメージなのかな
いまはニュージャパンカップの時期に使われてるよね〜 >>671
あったよIWGP戦で
意外と裕二郎が頑張った。
>>672
ベイコム総合体育館
あそこ行った事ある、もっといろんな団体使って欲しい。
NJC黎明期はそこで優勝戦が多かった。 >>673
ドラゲーすら使ってないんだよな。
90年代だと全日やリングス・パンクラスのU系も使ってたが。 ベイコム見やすいし、客席も手頃だし、大阪駅から一本で行けるし、いい会場だよなあ。
パンクラス見に行った時は駅からの道中パンクラスTシャツ多かったなあ。 パンクラスと言えば、入場花道までエスカレーターで降りてくる会場使ってたよね〜
たしか、大阪か神戸の方だったような W★INGの札幌中島って実際はどのくらい客が入ったんだ?
ポーゴや松永達が抜けて終焉期だったし、主催者発表だと4500人(満員)だけど
こんなカードだとその半分以下だと思うんだが…
邪道&外道対レザー、ブギーマン
キーパー&フレディ対ヘッドハンターズ
クラッシュ&ペレス&中牧対ムーンドッグス&非道 >>164 >>415 >> >>650 >>660
今はすっかり千葉県じゃやらなくなったね。
埼玉や神奈川だと、手頃な会場もあって各団体やっているのにね。
永田さんの地元東金ぐらいか?
千葉の人って、両国や新木場に来ている感じ?
下手したら、新日も両国から日本武道館へシフトするかも。 >>678
大分先の話だが中野サンプラザや区役所の辺りに1万人収容のアリーナができるから、そこにシフトするかも。 千葉市民体育館でやったこともあったね
世界タッグやった気がする 2010年あたりだったかな?
ノアの後楽園
力皇ヨネvs村上臼田のGHCタッグで、開始からすぐに場外乱闘でそのまま無効試合になったやつ
当然だけどお客さんは騒然となったけど、丸藤が機転利かせるつもりでマイクで
「皆さん、この決着は千葉で必ずつけてくれると思います!」
お客さんは「なんだよそれ!千葉じゃなくここでやれ!」って暴動寸前になった
それで再戦の千葉公園体育館はまあ、当時のノアにしては大会場のはずだと思うんだけど
後楽園の対応の悪さでソッポ向かれて、ガラガラになったよね?
実数で100人くらいしか入ってなかったとか? 全日の千葉公園体育館は90年代前半までは妙に豪華カード多かったね >>666
新日のWCWタッグ挑戦チーム決定リーグ戦の愛知大会の時に
リングサイドに山本昌と山崎武が来てて田中ケロが紹介してた。 >>668
ノアでの小橋の防衛戦は永田戦が良かった。
それ以外はイマイチなカードが多かった。 >>290
レッスルマニアの初期はホーガンvsヒーナンの手先でアメリカで売るための話題性重視って感じだな
ローレンステイラーも日本で言うと清原とかがプロレス参戦みたいなもんだからな
それ以外は当時のWWFでは悪くないカードだし、ディーゼルvsマイケルズは最高級のカードだろ >>684
プロモーターが偉くて売り興行だったのかな 松戸辺りでハンセン対田上の三冠戦見た記憶 >>687
WWEは結構話題性だけの試合をメインに持ってきたり冒険をするイメージがあるな。
実現はしなかったがHHH夫妻対カートロンダラウジーをメインにする計画もあったみたいだし。
まあ、その後の試合を見たら、メインでやった方が良かったけど。 >>685
中日一軍が優勝争いをしている最中の
9月の愛知県体育館に
二軍落ちしていた近藤真市(現投手コーチ)が観戦に来てて
一軍が大変なときに何やっとんじゃと野次ったことある >>676
神戸ファッションマート・アトリウムプラザだな。
個人的に良いなと思った会場は、
池袋サンシャインシティの中にある会場。
アクセスは最高だし、周りに飲食できる場所がいくらでもある。
数年前にゼロワンが使った時に見に行ったが、新日本も使ってほしい。 >>91
子供ながらに猪木めーって思った。
猪木対前田だと思うよなー。 >>253
87.5.19だと思うがベースボールマガジン社主催の
後楽園、南通路階段ぎっしり
あと1人として座れないほど詰め込んでた。
おそらくそれが後楽園ホールの記録だと思う。 >>608
長州対大仁田じゃないかな。
チケット発売日に完売。 >>590
その日、全日後楽園で、馬場ブッチャー対ハンセンアンドレがあり
横浜アリーナ終わり次第、後楽園に駆けつけた。
間に合った!
シン、ブッチャー、ハンセン、アンドレを1日で見たことになる。 日本武道館で一番入手困難だったのは、92年10月21日の全日20周年じゃなかったかな?
79年の夢のオールスターとかは子供だったから知らんけど。 >>697
オールスター戦はチケット入手が相当な困難だったと記事にあった。
後にも先にもあれだけの困難はなかった、と。
もしあの直後にBI対決が実現したらそれくらいチケット入手が困難になっただろう、とも。
やっぱりオールスター戦は別格では?
全日勢が参加した時の2/10ドームも困難だったとか。
特に全日勢の参戦が決定してからは一気にチケットが売れて。
それと猪木引退試合の時も。
やっぱり特別な興行だとそうなるのも当然だな。 藤波対ドスカラスの一騎打ち、馳のWCWインター王座のベルト披露など、尼体はたまにレア物があるからな。
それで藤波ドス戦はIWGPタッグでのファン投票マッチだったが、
今思えば歪な日程で、決勝が仙台なのはともかく、両国は決勝の一週前で公式戦の猪木坂口対藤波木村がメイン。
セミがブロディスヌーカ対マードックスーパースター。
2日後の愛知県体は優勝争いの公式戦はなしで、猪木対スヌーカと藤波対ブロディ。
両国と愛知は集客悪かった記憶が。 >>699
本当は両国が最終戦の予定だったが、会場の都合で6日早まった。 あと猪木VSスヌーカは横浜文体で、当時の時点で同所のプロレス興行でのワースト1、2を争うくらいの不入りだった。
藤波VSブロディが行われた愛知県体は発表数が大分下がったが超満員だった。 >>700
最後はドラゴン炸裂で大団円だったが、日程までグダグダだったんだな。
予定通りならアンドレスーパースター、マードックアドニス
でかなり豪華だったしな。
キッドスミスの引き抜きは前年だったかな? >>701
猪木対スヌーカは愛知じゃなかったんだな! >>697
>92年10月21日の全日20周年
は、普通に当日券があっただろう。
全日、武道館で前売りが完売したのは
91年6.1だよ。
まぁメインはハンセン&スパイビー対鶴田&田上の世界タッグ戦
と、そう大したものではなかったが。
セミが三沢対ゴディ、その前がウイリアムス対川田 704だが、
91.6.1は、馬場が復帰するので
前売り券完売になったんだな。
あと、その前の4・18武道館も前売り完売だった。
メインは鶴田対三沢の三冠戦。
セミはハンセン&スパイビー対ウイリアムス&ゴディ世界タッグ戦 >>697
鶴田の復帰戦。
武道館入り口前にダフ屋がたくさんいたのを
思い出す
入手困難だったかも。 >>704
いや、先行販売とKINGSロードの会員予約でほぼ完売状態だったよ。
一般発売日がLLPWの旗揚げ戦当日だったので92年8月29日で朝9時から書泉並んだら、開店前に店員が小中学生券しか入っていませーんと言われ、後楽園に行ったら全部完売。
ぴあ、セゾン全部電話してもどこも完売。
駄目元で池袋のレッスル行ったら、2階席5000円1枚だけなら、ありますとなって結局友達の分買えずに1人で見に行った記憶あったけどなw 92年6月の全日武道館行ったけど、やはり発売初日で2階L列あたりしか残ってなかった…
セミの川田対ハンセンは川田のラリアットの受けっぷりが素敵だった スレタイとは逆の意味になるが
四天王時代の前期は前売りが完売してるのに、追加で好カードをさらに加えたりして
それがさらに「信頼」となって、カード発表前に前売りがどんどん売れていた
あの頃の全日は「試合内容」と「好カード追加」の姿勢が浸透して、本当に凄かったな
ただし、馬場の目線はドーム興行に関してだけは慎重で
「武道館の周りに入れないお客さんが1万人以上いる、というのなら考えるが、現実はそうじゃない」
「有り難い事に武道館は一杯にはなっている、だけどそのラインが現状のウチの限界だから」と言っていた。 90年代で印象的だったのは、94.3月の夢のカードだな。あの時は、当日までメイン以下のカード発表されてなかったんだよ。それでも、武道館は満員になってた。
で、その前日がK1のフグvsシカティック。連続で武道館に足運んだわ。 全日の武道館は、大会中盤に電光掲示板に
満員御礼と出るだけで大歓声だったなー。
あと、馬場さんは、プロレを楽しいと思ってもらいながら見てもらえる
会場の規模は武道館が目一杯と考えていたみたいね。 >>711
確かに。実際、会場にいると何か嬉しくなった。
やっぱり、武道館はいい。
神田に勤めてた頃は、武道館まで歩いて行くのも楽しかった。
北の丸公園側から入ってくの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています