なぜアジアタッグはなくならないのか
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キッドとDスミスではアジアタッグ挑戦ないのか
WWFでタッグ王者だったからアジアタッグは失礼ってことかな 89スーパーパワーだったと思うが、ブルドッグスとカンナムの5番勝負があって勝ち越したチームに世界タッグ挑戦権が与えられるっていう企画。
当時はだいぶ格の違いがあってブルドッグスが4勝1敗で五輪コンビに挑戦権獲得し、秋田?で世界タッグ戦が組まれたと思う。カンナムに唯一負けた1敗もリングアウト負けだったかな。 その最終戦である武道館の伝説興行でカンナムが初めてアジアタッグ奪取
またブルドッグスとはその年の最強タッグ最終戦のセミで最後の対戦 >>46
武道館はシリーズ最終戦じゃなかった。
90年代序盤まで全日が最強タッグ以外で都内大会場を使うときは最終戦じゃない場合が多かった。 四年後の同時期では初の四天王対決の二日後の仙台が最終戦だったか
その間の小山で小橋・菊地がアジアタッグから転落だったので武道館の時点では三冠の三沢も含めてまだ全員がタイトル保持者
そして最終戦ではメインの六人タッグで菊地がシリーズ有終の美
ちなみに同日では新アジアタッグ王者の仮面コンビがブッチャー・キマラに勝利
またカンナムと秋山・大森の対戦も >>35
他には高千穂&クツワダが王者
天龍は高千穂と組んで挑戦もあり
越中は三沢と組んで原&井上に挑戦
永源、浅子、志賀はあったかなあ
復活以降そう長くはいなかったが伊藤、肥後、林は無いね ミツヒライは、日プロ時代も含めて挑戦した事が無かったんだろうか?
番頭格のベテランだったけど、小柄だったから自らがタイトル戦線に
絡もうとは思わなかったのかな。 デザインは誰がしたんだ?全然今でも通用するし同時期に作られたベルトの中でも郡抜いたセンス放ってる 風格があるベルトだよね。くすんだ色合いも渋くて良い味出してる。 >>49
浅子は菊地と組んでカンナムに挑戦
それがカンナムとしても最後のアジアタッグ
志賀は分裂前最後の決定リーグに人生と参加 >>53
渋いイメージとしては80年代に王者テーマとして使われたトム・スコットのストリート・ビートの使用も大きい 浜が三冠巻いた時は違和感があったが、
アジアタッグに関してはインディ団体のの雄が巻いても許せる。(説得力がある)
そこが素晴らしい。 曙に浜と組ませてアジアタッグを取らせたセンスには脱帽した ジュニア用にしたり爺さん用にしたり色々便利なんだよな それぞれのタイトルを別個に作る必要もないし
全日本が長く四大タイトルのみでこられたのもアジアタッグがあればこそ 価値なんてとっくの昔からないんだからそのうちカーベルが取りそうw ベルト化されてからのアジアタッグの価値が最も高かったのはやはりUN上陸までのNET中継の看板王座時代か >>42
相手はエース・小橋だったんだよな
初挑戦は元王者でもあるキニスキーが立会いで >>45
正確に言えば、ブルドックスの3勝1敗1分だった模様
>>48
秋山大森が売り出された頃、タイトル戦に限っては結局カンナムは一度も負ける事なくアジア返上したんだよね
(ノンタイトル戦では秋山組にも何回か勝たせてたが)
もう中堅にはシングルでも勝てるくらい格上げされた後の秋山がチャンカンで何故かクロファットにだけ負けるという謎のブックもあったけど、あれは点数調整か何かなのかねえ
カンナムの方は世界タッグに一回だけ挑戦した時がピークでクロファットが持ってたジュニアヘビーも小川のクイック丸め込みであっさり明け渡し、
無冠になったその後はまた秋山らの若手を売り出す為のジョバー役にまわってしまったな(悲)
もうあの時はWWFに行く気を固めてたんだろうけど、結果的に馬場死亡以降のゴタゴタになるまで全日に継続参戦してたらかなり違ってたかもしれない
世界タッグがジョニーエースどころかジョニースミスまで巻くレベルにまで安売りされるなんて思ってなかったわw >>63
エースはアジアタッグ取る時に売り出したギロチンエースクラッシャーをその後あまり使わなかったな、あまりウケなかったのかね
小橋エースはタイトル戦の前にノンタイトル戦でカンナムに連敗(ファーナスのフランケンとクロファットのタイガーで、二試合共にエースがフォール負け)するという前フリ試合をこなした後、
タイトル戦ではギロチンエースクラッシャーを初披露してリベンジ勝利という売り出しアングルまでやってたのに
普通のエースクラッシャーより威力は確実に痛そうなのに見た目が地味なのがまずかったのかな >>64
カンナムとして最後の最強タッグで当時アジアタッグ王者の秋山・大森に負けたんだよな
王者組としてはまさにギリギリの関門突破という感じで >>66
無冠になった95年後期〜95年最強タッグ〜96年の全日離れるまで参戦したシリーズは、若手の成長要員に戻ってたよね
94年最強タッグは四天王組、ハンセン組、ウイリアムス組の4強には負けたがそれ以外には取りこぼしなく全勝で過去ベスト成績で
その辺りからブッチャーキマラやエースパトリオットスパイビー辺りの1.5軍クラスの外人タッグにも勝てるようになり
クロファットは個人でもジュニアヘビーを保持しながら95年中盤に世界タッグ挑戦、ここまでがご褒美
その後は秋山どころかモスマンのようなデビューしたての若手に善戦させる壁役まで96年辺りにはやってたからね
もう一度あそこまでやっちゃったらアジアに戻るのもおかしいし、カンナムとしては全日去るしかなかったわな
でもそのせいでアメリカで交通事故にあって結果的にそれが後々影響して二人とも一線引く事になるとはねえ…
クロファットはノア分裂後の全日がヤバイ時に一時呼ばれたけど足がかなりヤバイ事になっててジョバーしか出来なくなってたから悲惨だった
(それでもドーム大会では第一試合のバトルロイヤルとはいえ優勝したのは最後の花道だったのかな) アジアって結局、なんだかんだで歴史長いし、馬場などの大物も過去には大抵巻いたことがあるとか、団体のトップレスラーですら若手やジュニア選手と組んで気が向けば話題作りに参戦出来るとか、色んな便利ポジにあるからそう簡単に無くならないんだろうね >>69
一番古いのは仲野と高野俊二のコンビ
この時点ではまだ全日本デビュー同士の王者も誕生していない >>71
その前1986年にスーパーストロング・マシンが
阿修羅・原とのコンビで取っているよ。
それ以前は、新日から全日のリングに上がった
選手はいないから、ないと思う。 やっぱり、歴史があるベルトなんだよな。
日本プロレス時代はそうでもなかったけど、全日本時代は
「上を目指す」という理由で返上されるケースが多かったから
軽視される傾向があったけど、90年代にカンナムなどの
外国人チームが王者や挑戦者となり活況を呈したのと、
全日本が分裂してからは他団体の選手や、天龍・大仁田など
全日本OBが王者になったから、脚光を浴びるようになった。
これからも、日本プロレス界の「渋い脇役」として大いに
活用されてほしい。 全日のトップが巻くわけでもなく、他団体に流出してもいいし売り出したい若手やら
テーマがなくなったベテランが巻いてもいいし使い勝手のいいベルト 秋山永田は歴代最強王者
と言い切ってしまおうと思ったけれど
アジアタッグ始まりのほうのレスラーの実力わからないな 単独としては保永だよな
意外にも完全な全日本入門の第一号はその三年後の川田
石川は一応フリーからの入団の形だし こんな豪華カードがアジアタッグ選手権で実現してるんだよな >>75
アジアタッグの時代は大きく3っつに別れる
@日本プロレスの看板タイトル時代
力道山〜1966年秋まで(代表チームは力道山&豊登、G・馬場&吉村)
A日プロにインタータッグが導入されて、二番手タッグ王座になった
1966年秋〜73年春まで(猪木&吉村、坂口&吉村)
B全日で復活して若手、中堅用のタイトル
まぁこれも、2000年夏以降に、ノア勢が大量離脱して
格が落ちたが。
現在の秋山&永田は、@、Aの代表チームはおろか
Bの1989年時点のカンナムや、1999年時の
高山&大森にも勝てないと思うよ。 Aの時期ではNET中継の開始で事実上の看板タイトルにもなっているのも大きい
Cといえるのが武藤以降だが小鹿の弟子である大日本コンビやSMOPといった強豪やアイディアを多く出してる点ではBの時期をも大きく凌ぐ そもそもなくす訳無いし全日が手放したら速攻で新日大日が手挙げるだろ世界タッグより欲しい団体多い メキシカンがアジアタッグ獲っちゃいけないの
武藤全日に来てたダークオズ&クエルボ良かったが
世界タッグだったな 挑戦だけなら五年前にドラゴ&アルヘニスがやってたな >>82
そもそも日プロ崩壊後に復活提唱をしたのは新日本なんだけどな
結局は現在まで続く本家の復活を後押ししただけの意義に 歴代王者チームでもっともショボかったのは誰だろう。
関係ないが「アジアタッグっぽい組合せ」とかいうスレは面白かったな。 極道コンビが本当は強かった事は解るのだが、長らく外人相手に
ジョバーをやっていたから、どうしてもショボく感じてしまう。
余談だが、Gスピの鶴見と高杉の対談の中で、高杉が「最初のうちは
ジュニア戦線でチャンスを貰えたけど、その後は前座要員=
大熊さん・小鹿さんクラスに固定された、みたいな事を言ってた
けど、どう考えても極道コンビ>>>>>高杉だと思う。 ショボイというかガッカリしたという経験は浜口に代わって寺西のパートナーが保永になった時
浜口が駄目ならここは邦昭だろうと思っていただけに
しかもそのチームに対して石川・渕が負けたと聞いた時は更にガックリ
それだけに翌年の同時期に今度はそれぞれインタータッグに挑戦までしたマシンと原が取ったので逆にビックリした >>86
最近の全日を見ていないせいもあるが
野村直矢&青柳優馬組なんて
なんだ?このチームは!
と思ってしまう。
日本プロレス時代なら
最後の小鹿&松岡だろう。 小鹿・松岡は極道コンビのプロトタイプみたいなもんだったな
後楽園での防衛戦もここからだし オーツブラザースとかどうだったんだろ?
俺が知ってるジェリーオーツは、特徴の無い、員数合わせの
外国人だったからな。 ジェリーはジョニー・スミスの最初のアジアタッグ挑戦パートナーでもあったんだよな >>89
どんなに若輩でも生え抜き同士のチームが出てくるとやはり嬉しい >>67
1994最強タッグの三沢・小橋戦
1995新春ジャイアントシリーズの川田・田上戦
この2つは、好勝負だった。(名勝負ではない)
ただ、三沢組との試合で、実況の福沢が『まさかの予感』とか、言っていたが、まさかが起こる予感は全くなかった。
川田組との試合の方が、勝てないまでも、30分引き分けの可能性を感じたんだがな。
残念なのは、その後パトリオット&エース組を破って世界タッグに挑戦したのに、大したインパクトを残せず。
その後に挑戦した、パトリオット&エースに対して、川田が『カンナムよりは強かった』って言って、カンナム株を落としてしまったこと。
馬場が大型の選手が好きだったから、カンナム<パトリオット&エースになったのかな?常々、『(カンナムは)身長、体重が足りない』って言ってたし。
三沢体制下なら、カンナムの扱いはもう少し違ったんじゃないないか?と思ってしまう。
長文すまん。 その意味も合わせて興味深いのが97年の最強タッグ開幕戦でのウルフ・スミスの三沢・秋山とのフルタイム試合
その時の勢いのまま翌年のアジアタッグ挑戦で秋山・大森の長期政権をストップ
その年最後での転落までアジアタッグに絡み続けヘッドハンターズとの注目の防衛戦も たしか、一番初めのチーム紹介では、ラクロス・スミス組だったね。
たしか、ゲームの発売に合わせてキャラ変更したんだっけか?ラクロス→ウルフ その時の最強タッグはセガサターンのロゴが入ってたんだよな
それを破ったのが本田・泉田だったが最強タッグには出場できず もう五十台に突入の現王者の永田
でもベルトになってからでももう少し上なんだよな そういえば分裂後の最初の決定戦にも出てたんだよな永田 百代王者は渕・大仁田
そういうのが出来るのもアジアタッグならでは はじめて、世界タッグとアジアタッグの王者を兼ねたのは、ノーフィアー >>102
チームとしては確かにノーフィアーが初だね、
個人としては秋山がノーフィアーより先に両タッグ王座同時戴冠してた
世界タッグは三沢、アジアは大森がパートナーだった >>102
全日本版世界タッグではないが
日プロ時代、昭和41年11月
アジアタッグ王者チームG・馬場&吉村は
F.V.ゲーリング&M.パドーシスを破って
インタータッグも獲得、2冠王。
その後、馬場がアジアタッグを返上したが。 105だが、自己レス
馬場&吉村のインター、アジアのタッグ2冠王の前に、
昭和41年ゴールデンシリーズ(5〜7月)にNWA世界タッグ王者の
ヒロ・マツダ&デューク・ケオムカが来日。
マツダはKKコックス&Jカロロに奪われていたアジアタッグを
吉村とのコンビで奪回。防衛もしている。
その後、コックス&Eグラハムに奪われ、馬場&吉村が
奪回、元の鞘に戻った。
ヒロ・マツダ&デューク・ケオムカはシリーズ中に
グラハム&サム・スティムボートの挑戦を退け、
NWA世界タッグの防衛もしている。 長州参戦時でいうと、長州・浜口とか天龍・石川レベルにアジアタッグを巻かせていたら、
吉村道明時代に匹敵するのにと思っていた。 天龍・石川が原・井上とフルタイムした時にはアジアタッグを賭けての再戦を期待したんだがな
結局は石川・佐藤で挑戦 >>107
長州はUN挑戦さえ拒否したくらいだから、アジアタッグなんて見向きもしないだろ。 ジャパン軍の初タイトル戦出場は原の失踪で宙に浮いたアジアタッグの決定戦だったんだよな
久しぶりの浜口に初めての寺西のコンビで
浜口の返上が無ければ鶴見・剛とか原・鶴見との防衛戦とか見たかった アジアタッグとジュニアヘビーのチャンピオンを兼任したクロファット。 三冠との兼任は三沢が初
そもそも三冠王者のアジアタッグ挑戦自体が現在でも唯一 >>106
マツダ&ケオムカはコックス&グラハムのアジアタッグにも挑戦
また馬場&吉村はコックス&グラハムからがようやくの初奪取
その前にはスナイダー&モラレスとの決定戦にドローでノンタイトルではテーズ&スカルパにストレート負けしたりしている アジアタッグって伝統あるヘビー級のベルトなんだよな。
菊地がアジアタッグのベルトを取ったあとの試合で解説の百田が、彼はヘビー級のベルトを取りましたからね。とか言っていたから。
あの頃の超世代の小橋・菊地がカンナムエキスプレス、仮面愛国コンビ、ファンタスティックス等中堅の外国人タッグチームとの対決する構図は結構好きだった。
渕・小川の鶴田軍チームもどさくさに紛れて挑戦していたが、あまりタッグチーム感はなくて、超世代軍と鶴田軍の試合になっていた感は否めない。
その後の秋山・大森のV12の頃になると相手がいなかったよな。
防衛戦の相手も半分くらいしか出てこないわ。 全日本のヘビー級ってのは重量級じゃなくて無差別級の意味なんだよな
PWFルールにもそう明記してあるし
長い割に秋山・大森の印象が弱いのは好敵手の不在と共に武道館での防衛戦が無かったからか >>113
三冠王者でアジアタッグに挑戦して取れなかったのが小島
その直後アジアタッグ王者に三冠陥落 >>94
95新春のってこれかな?
そう言われてみると、30分一本勝負で25分くらい戦ってるんだな
しかも展開が割とゆっくり目の試合だから、あと5分ダラダラやって引き分けって流れも可能な雰囲気ではあるな
ttps://youtu.be/TUAxCEjH2VM >>116
その前にカンナムが長くアジア無双で保持したまま返上しちゃったから、その後秋山組を脅かすようなアジアレベルのチームがほとんど存在しなかったんだよねその時期
カンナムを脅かせるチームが存在しない中でカンナムはアジアやめちゃったんだから、それ引き継いだ秋山たちに勝てるようなチームもその時点では成長してないわけで
一回だけ渕とクロファットがジュニアコンビという事で組んで挑戦した事はあったけどチームとしては急造だし、
秋山大森をより格上げする為だけに行ったのが明白なジョバー戦だったからね
強いて言えば、小橋辺りが菊地よりは少し強い選手と組んで秋山の持つアジアに挑戦してれば勝たせてたかもしれんが
小橋はもう最上級しか狙わないようになっちゃってたからなあ 一応は小川と菊地が組んで挑戦してるか
小川の世界ジュニア戴冠前と陥落前に 今日は鶴田のアジアヘビー挑戦日
アジアタッグには挑戦していない鶴田だがアジア王座に全く挑戦していないわけではない >>119
その渕・クロファット戦で全日本での連続防衛記録を更新
ただし当時の秋山は三沢と組んでの世界タッグ&最強タッグ戦線がメインになっていたので注目されず >>122
世界狙いつつ菊地とはアジアやってた頃の小橋パターンだろうな
秋山はもうアジア以上の四天王レベルに格上げしつつ、大森の方もついでに格上げする為にあんなずっとアジア持たせてたんだろうな
で、渕とクロファットはそのちょうど良い感じのカマセ(弱すぎる相手じゃダメだから)として一回防衛戦に駆り出されたんだろう
もうファーナスが来日しなくなってて単独来日してたクロファットもじきに全日離れるの多分決まってた時期かもしれないし
だからクロファットはもうその頃には全日に残るメンバーに対して置き土産のようにジョバーばかりやってた感
(本人の意思というよりは馬場にもうそう指令されてたというべきか) ファーナスと組む前にはジンクと組んで挑戦していたクロファット
小川の世界ジュニア初奪取の相手を務め最強タッグで秋山・大森に敗れた時点で実質的な役割は終わったという感じか 全日参戦の最後の1年間くらい(95年後半〜96年後半)はもう心が全日から離れてただろうなあカンナム
と言ってもその後WWFとかECWとかのどこに比重置いてやっていきたかったのかはよくわからないけど
WWFでは中途半端なポジで結局1〜2年かそこらで解雇されてしまったな
まあそれよりも交通事故にあったのがなによりの悲劇なんだけどね
クロファットは後部席だったのでファーナスよりは怪我が軽かったらしいがそれでもムチ打ちになって、
どっちにしろ二人ともそれで一定期間欠場したので仕事減ってファーナスは結局ほどなくして引退、
クロファットも大量離脱時の全日にヘルパーのようにジョバーとして再び一時的に呼ばれたのを最後に一線を引いてコーチ兼任だし
ただ、最後の来日(年の前半にある新春ジャイアントシリーズだったかエキサイトシリーズだったか)では意外と寝てなくてそこそこ勝率が良かった
最強タッグで散々な役だった(あわや0勝の所を最終戦で垣原組に勝って0ポイント終了こそ免れたが)その反動かな
まあ何にしろ、90年代前半におけるカンナムみたいな色々と都合が良い丁度いいポジのチームがその後のアジア戦線に居なかった(育てられなかった)のも全日の失敗だな
だから秋山があんなずっと持ってしまったり、その後のノーフィアーもしかり フットルース以来の関りのあるファンタスティックスに巻かせるのは軽過ぎるとみなされたのかな >>123
小橋の世界タッグ初挑戦は菊地とのコンビでアジアタッグを巻いた後だったか
そして四天王による初の世界タッグ戦の直後に覆面コンビに陥落。 >>119
その時の秋山は三沢と世界タッグも持ってたんだよな
ただし最終戦の武道館で殺人狼に敗れてそちらは陥落 今日はエース・小橋の戴冠日
日本人同士のチームの参加が無かったところに当時の手薄ぶりが分かる >>125
最後の外人王者の長期を務めたのは秋山&大森を破ったウルフ&スミスだったか
ハンターズとの防衛戦とかは見たかった 力道山〜〇〇まで巻いた。
○○にふさわしいのは誰だろう? >>105
こないだのジータスのPWF特集で見るとカマタに転落した時点ではまだ馬場はアジアヘビーも含めての三冠王と紹介されてたんだよな
どうせなら木村との対戦時に賭けても良かったのに ベテランも若手もジュニアも混成も全くOK
まさに二番手タッグならではの万能王座
しかも一番手より歴史も伝統もあるし あの豪華メンバーでの復活トーナメントから遂に十年! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています