81年からの親日での国際軍団の扱いについて、同年末タッグリーグや翌82年第5回MSGでまるで
親日とのリーグ星取りにうまく絡ませる事もなく、国際勢はただただ消化試合に甘んじる結果となった。
当時、営業戦略としてはまずアンドレとカーンの因縁に焦点を当て、対抗として猪木&藤波という色合いだった。
思うに、ここは一旦国際勢とのアングルは小休止を選択しても当代、親日の安定した人気は揺るぐことはない、
82年秋以降のヘアベンドマッチ等の抗争で再活動させればいいという目途が立ってたのかも。

まあ確かにあのころの親日は何をどうやっても話題になったんだからすごいね。