キラーカーンとその時代 第2巻
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
You Tubeでカーンのアメリカでの試合を観てて思うのだが、あれだけの体重で、
あれだけのダイビング・ダブルニードロップを放って、膝は大丈夫なのだろうか?
70歳過ぎて、飲食店の立ち仕事とか、よく膝が保つな、と。 >>398
「馬場が死んだ時、祝杯を上げましたよ…」っていうのが発端だから、馬場の死後かな>ヒト
「でも、猪木は馬場よりさらに嫌い」ってw 猪木が死んだら花火大会でもするのかw >>400
自分の方が猪木よりも先に死んでしまったというヒト ヒトは20年以上前から馬場の悪口言っていた。
ヒトの店で聞いたことがある。丁度逸見さんが亡くなった
時期にヒトは馬場に心を開くと早死にするとか。
猪木の悪口は聞いたことがない。 ヒトは馬場のことを主に仲介した外人の契約の金の面でボロクソ言ってたな
でも、プロレスラーとしては抜群に上手いと絶賛してる
金に汚いのは猪木とか小鹿とかいろいろ言ってたな
あと藤波はズルくて肝っ玉が小さいと酷評 そうそう、ヒトの談話で覚えているのは、
剛竜馬がスターレスラーになれなかったというくだりで、
「人が良すぎたんだ。やっぱりプロレスで成功するのは藤波みたいな俺が俺がって奴じゃないと」
と言うやつ。その後剛はプロレスバカブームで一時的にプチスターになり、
人が良いとは思えない老女相手のひったくりまでやらかしたが。 またヒトの話になるが川田が挨拶にこないと言っていた。
カルガリーに来た時世話してやったのにとこぼしていた。 マサ斉藤は「ステロイドでアルツハイマーになった。」とか馬鹿にしながら、本人の方が先に逝ってしまった同い年のヒト。 ヒトの話は主観が強すぎるのがな
「カール・ゴッチになんか習ったらゴミ箱行きですよ」
「俺が育てた最高傑作はブレット・ハートと馳だ」とか
ブレットはまだしも馳じゃ藤波や佐山にまるで及ばんだろ ヒトが馳のことを褒めるのは、馳の口のうまさに丸め込まれただけのような気がする。 >>409
あと天龍の事もやたらと絶賛するよね
多分気前よく奢ってもらえたからなんじゃなかって気がするw>ヒト FMWが冬木エンターテインメント路線の時、
ヒト「こんなうまいプロレスやる奴らはいないですよ」
まったく賛同できなかった。 冬木がうまいっていうのは相手に負荷をかけないっていう意味じゃないかな
そのラインでベストはヒロか
カーン自伝ではヒトをべた褒めしていたね
ヒトの本ではカーンが鶏を一羽解体してまるごと親子丼にした話があった記憶 結局自分にとっていい奴だったかどうかをレスラーの力量にまですり替えて話してる奴ばっかりだな。 ある意味、世の中の縮図だとも言えるな。
一線も二線も退いた選手というか人の談話が何十年後も
掲載される業界はそうそうないよなあ。 >>406
カリガリーでサーキット中に車が故障して吹雪の中、一晩過ごすハメになって
川田が「俺、何も悪い事してないのに」って泣きだしたって話だよね >>405
ひったくりは冤罪なのまだ知らない奴がいるのか カルガリーで巡業用に自腹でマイクロバス買って
若い奴らの面倒見てたからな >>411
ブリーフブラザーズのことはボロクソに言ってなかったっけ?ヒト PWCでレフェリーやってた頃に牛若丸だった南条と弁慶だった保坂が
塩試合やらかしてキレたヒトがリングに上がって二人を殴った事があったな https://www.youtube.com/watch?v=Ke9ziSrWr4A
ハル薗田がいるってことは、すでにジャパン勢が参戦してた頃。
小鹿やロッキーがいるから、一番人員過多だった頃かな?
これにジャパン勢は出ていないけど、後にお笑いウルトラクイズとかで
活躍(?)するキラーカンが出てたら、ハマってたかも。
それにしても、GIジョー天龍の
「ジャンボはねえ、俺達を大事にしてくれなかったんだよ」は、
セリフではなく、ガチ。そして、それは
「ジャンボの背中は見飽きた」に繋がり、天龍同盟発足へと至る。 >>420
天龍も新春日テレ番組対抗レかくし芸で女装させられるのが嫌で
暫く出てなくて数年振りに出たんだよね
数年後には番組事体が無くなってしまったけど ヒトはPWCでレフェリングやってる試合中に、塩試合してる選手を張り倒していた。
ウルトラマンロビンとか、セッドジニアスとかも。
剛は、若手を働かせてその金を全部ギャンブルでスッたりとか、
レスラー以前に人間として問題がある、どうしょうもない屑だったけど、
新宿駅南口でのひったくりそのものは冤罪だったらしい。
剛の「どもり」と持病による手の震えが、被害者や目撃者に、剛が不審な行動をしていた、
との印象を与えた。
冬木、邪・外、金村など、確かにプロレスは巧いので、ヒトは褒めてたんだろうね。
そんなプロレス巧い奴らに、ブリーフブラザースのようなくだらないことさせるな、
という意味でボロクソに言ってたんだろう。 >>404
なにしろ、その仲介した外国人は、トムマギーだからねえ。
約束通りの金を払いたくない、払えない、という馬場の心情も、これに関してはわかる。
ヒトには、その少し前にキッド&スミスを全日にブッキングした実績があったけど、
トムマギーに関しては、ヒトも素材を判ってて、悪意で全日にブッキングしたんじゃないの?と。
ただ、他の選手の前で、ヒトに小遣いあげたりして、
そうなるとヒトも他の選手連れて飲みに行って、御馳走することになるのだが、
ギャラの支払い時にその小遣い分を差し引いた額しか払わない、という馬場も馬場だが。 長州に関しては、当時、かくし芸で女装なんて、しなかったし、考えられなかったけど、
数年前、年末のガキ使の特番で、ホリケンに顔に落書きされまくってる長州を見て、
時代は変わったな、ってのと、長州も仕事選んでられないほど経済的に…なのかな、
って思った。 馬場が永源を手元に残して重用したのは、その営業力と政治力を買ってのことなんだろうけど。
元々、小鹿のことも、同様の理由で重用していた感があるのだが、途中で小鹿を切って、
永源を残したのには、永源の方が「より使える」と、馬場が判断したからなのだろうか。
小鹿も小鹿で、若い頃(?)には、プロレス記者に「将来、自分が全日本の社長になる」
とか言ってたらしいけど。 >>425
当時のブッカー佐藤昭雄によると松根社長の意向らしい。 小鹿の言によれば、馬場が「松根社長の意向」という口実を作って、
実際には、馬場の意向で切られたらしい。
小鹿は何度も、馬場と松根社長に事情を聞きに行き、
松根社長に「自分にそんな権限はない。お前のボスは馬場だろ?」と言われ、
最終的には、馬場が言い逃れをしていることに気付いた、と。
ただ、小鹿がそのことを言い出したのは、馬場が亡くなってから。
もし馬場が存命だったら、馬場にも小鹿を切ったことについての言い分はあったろう。 >>428
句読点と改行もまともに使えんのかこいつ 馬場も同様だが、小鹿も自分に都合のいい事は大きい声で話す癖に
(天龍起用を進言したお蔭で第三の男になれた)
新弟子を苛め抜いて全日の若手育成が新日に後れを取った事は一切口をつぐんて
カブキに暴露されるまで三沢イジメは世に出なかったからなぁ
永源の台頭で全日に居場所がなくなったのは完全に小鹿の自業自得な気がする テーズが著書でプリモ・カルネラ、アントニオ・ロッカ、バート・アズラティを悪く書いた事について
サンマルチノが「私に対する批判なら反論して自分を守る事ができるから良いが
反論して自分を守る術がない故人に対して批判するのか」と怒ってたが
「死人に口なし」になってから悪口を言い出す連中と比べて
器の大きい男と小さい男の差が出てるな >>415
暖房がない状態で、ヒトは厚着していたが、川田は薄着だったとのこと 川田の自伝によれば佐藤昭雄から「カルガリーに行ってもヒトの世話にはなるなよ」と言われていたが
カルガリーに到着したらヒトの奥さんが迎えに来ていたそうだ >>430
全日は若者に不人気だから入門しないんだとずっと思ってた。 カーンは維新軍からジャパンという流れがあったが
永源は顔の広さ悪い意味でがたいはんが占めるが
それと用心棒的な存在が欲しくてジャパンに引っ張ら
れて移籍したであってるかな? グレート小鹿ってなんか我々の世代からみると極道コンビだ
なんだで前座のイメージでレスリングもしょっぱいイメージ
全日本はダサいの象徴のイメージしかないけど
ちょっと前、それこそ日本プロレスリアルタイム世代からみれば
ね
それこそリーグ戦にも毎年出て
正直、我々世代が思ってるよりはかなりランクは上だよね
上田と同じくらいのランク?
上田、小鹿、山本、高千穂このへんは、
リーグ戦の日本陣営のエントリー組の常連というか
キャリア的もランク的になんというか
BIを別格とするとトップグループというか
小鹿なんかは、世代で過小評価されてるというか
リアルタイムでみてないからあれなんだけど >>435
まあでも、当時の全日本に憧れを持って入門とか、考えにくいのは確かだね 同じ極道コンビでも、大熊と小鹿では、馬場の扱いが違ったね。
大熊は佐藤昭雄らと同様、馬場が全日本設立の時に付いて来た「子分」。
そして、背は低いががっちりした体格でパワフルなタイプは選手としても馬場の好みだった。 一方、小鹿は日プロが崩壊した際、事実上、芳ノ里から馬場に親分を乗り替えて来た。
馬場とは元々日プロで一緒だったから、外様ではないにしろ、大熊に比べれば客分的な子分。
小鹿は馬場にゴマを摺り、運転手をやることで馬場の懐に入ったと、小鹿本人も言っている。
80年代、小鹿はリング上ではジョバーだったが、馬場の側近として全日本を裏から仕切ろうとしていたのだろう。
だから、若手にも幅を利かせて、ゆえに練習生が逃げて新人が育たなかった。
カブキ凱旋の馬場抜きシリーズを事実上仕切ったのも小鹿だったという説がある。
ただ、その目論見がジャパン勢の参戦により崩れたということは言える。
ジャパン勢移籍当初、小鹿が喧嘩腰でジャパン勢との試合に臨んでいたのも解る。 そして、小鹿が望んだポジションは永源に取って代わられた。
日プロ残党組の吸収、国際崩壊後の一部選手の吸収、そしてジャパン残党組の吸収、
どの時においても、基本、馬場は外様に対しては冷遇している。
ロッキー羽田、高野俊二など、馬場好みの巨体選手に対してはチャンスを与えたりもしたが、
諸事情でいずれも大成したとは言い難い。敢えて言うなら、それを成したのは高山くらいか?
ゆえに、馬場が永源を重用したのは異例で目立つ。 永源はレスラーとしてはクソだが、プロモーター的な裏方稼業は一流だった
永源自身もレスラーとしての才能に見切りをつけていたのが日プロとか東プロ所属の時
若手の時すでにタニマチ探しや興行のイロハを学んでいたというから徹底していた
自分と同格で同じ外様の栗栖を馬場を通さないでクビにしたり
全日で自分の居場所を確保する事に余念がなかった
前座で地味にやってるとレスラー的にマズいからって
ツバ吐きまでやり始める始末 ミスター・ヒトは「永源はプロレスが上手い」と言っていた
やっぱりこの人にはちょっと賛同できん >>446
スター性が無かったから上に行けなかっただけで
上手いのは事実だと思うけどな。
全日のファミリー軍団対悪役商会だって永源がいなかったら
成り立たなかったと思う。 プロレスの上手い下手の区別ってなんなんだろうね。
個人的には外人ではレイス、ニックやフレアーは対戦相手の強さを引き出すのが上手いと思った。
でも日本人だと猪木馬場の二大巨頭以外に浮かぶ選手あまりいない。
最近だと内藤はかなり上手いと思う。チラ見だから違うかも知れないけど、内藤は受け身の取り方とかいちいち上手くて天才的なんだけど、
それが逆にあざとく見えて自分の好みではないけど。 強さを別にすれば藤波はうまかったかもしれん。
だが強いからプロレスラーだからね。 佐藤昭雄も自身がデビューした当時(昭和45−46年)、前座で一番試合が上手かったのは高千穂さん、
二番が永源さんで三番が星野さんって言っているね >>365
ゴーストではあるだろうが
取材はしているだろうから
興味ある話だな >>410
ヒトも天龍から30万もらったのかな?
付き人や越中など若いのにくれてやるのに。 >>416
そうなのか…
もっと証明するソースを…
と言いたかったが
ホモビデオは消せないのか…。
偏見は悪いが
やっぱりホモビデオはやめて欲しかった。 >>441
推測を交えて書いてるんで随分事実誤認があるようだ。
馬場抜きシリーズは既に松根社長と佐藤昭雄のラインが出来てたので、もう既に小鹿の仕切る隙はなかった。
タイトルには絡んだが。
あと小鹿はジャパン軍とは対して対戦していない。大熊は多用されて復活したが、小鹿はどちらかといえば対国際血盟軍要員。
マスコミの評価も大熊こそが喧嘩腰ファイトで復活したとされていたが、小鹿の再評価なんてなかった。
後、メインイベンター以外はジョバーと表現するのもどうかね?
小鹿のファイトは面白くもなんともなかったが、メインのタッグで決勝ピン取ることもそこそこあったから、ジョバーなんて言うのは違和感を感じる。 >>439
大熊と小鹿は全然違う
それも我々世代はリアルタイム日本プロレス世代じゃなくて
極道世代だkらなんだよ
小鹿と大熊は日本プロレスの立ち居地は全然、違う。
小鹿は力道山の弟子で
上田や山本、星野とキャリアが被るし 日本プロレスリアルタイム世代はいないのかなあ
しかも坂口入門前の日本プロレス?
その後でもいいけど
小鹿と上田はランク同じなんで
立場が逆転しても
全然違和感なかった
上田が一介の前座レスラーで
小鹿が海外マットからヒールとして逆輸入ね
とにかく小鹿大熊ってセットで語られるが
日本プロレス時代じゃ
考えられなかセットってこと >>457
大熊って小鹿より先輩なんだけどどう立ち位置が違うんだ? 入門の時系列でいうと
林北沢
馬場大木猪木
上田
小鹿山本
高千穂星野
大熊
昭和40年の壁
草津木村坂口斉藤 >>455
ホモビはタニマチの怖い人を怒らせてしまったから出るしか無かった
財布冤罪はおばあさんの落とした財布を拾ってあげたんだがどもりと手の震えで泥棒と勘違いされた
これだけは同情する
これだけだけどな >>452
いや、ハンセン自らタイプライターを打ったということだった
(俺は学士でそこらのバカレスラーとは違うぜ、という本人の言い分)
各々のテーマは決められていたけどね もしかしたらライバルのセレクトも編集者側だったかもしれないけど
いずれにしろ当時(83年)の天龍はチャンスは多く与えられていたけどパッとしなかったからな
どこかの雑誌で一発一発の技の重みは鶴田より上かもしれないけど…
っていうハンセン・ブロディ・レイスあたりの天龍評があったな、その頃 >456
私見の極論かもしれんが、ナンバー4の阿修羅から下はやっぱりジョバーと捉えて良いと思う。
馬場、鶴田、天龍がいて、日本陣営にドリー、テリーがいて、マスカラスも日本陣営に加わることがあった。
対する外国陣営にも、1シリーズに必ず1人は、いわゆるピン負けしないエース格がいて、
シリーズのある期間のみの特別参戦選手とかも加えたら常に1〜2人いた。
以上が「普通には負けない」タレント、すなわちメインイベンター。
飛躍した極論だけど、仮に1シリーズに5人、滅多に負けないメインイベンターがいたとしたら、
その5人を含む6人タッグが組まれた場合、残りの1人は負け役のジョバーとなるよね。
当時は、それを有耶無耶にするために不透明決着も多かったわけだけど。 >456
441だが、事実誤認があるのは認めます。
資料なく、記憶のみで話してるので、間違いの指摘があるのはむしろ有り難い。ただ、
>あと小鹿はジャパン軍とは対して対戦していない。
これに関しては、一応、自分も認識していて、それで441には
「ジャパン勢移籍『当初』、小鹿が喧嘩腰でジャパン勢との試合に臨んでいた」と書いた次第。
確かに、ジャパン勢との抗争で名を上げたのは、小鹿ではなく大熊の方。
阿修羅だったかな? 正規軍の選手がジャパン勢の試合前の襲撃で試合に出られなくなり、
急遽、すでに試合を終えた大熊がトランクス一丁と裸足姿で控室から出て来て、替わりに試合したこともあった。
何気にロングタイツでない大熊の試合姿はレアだったかも。
ただ、テレビで観たか、雑誌で見たかは憶えていないのだが、ジャパン勢の参戦『当初』、
小鹿&大熊&石川がジャパン勢との6人タッグで喧嘩腰で試合に臨んでいたのは記憶にある。
456氏の言う通り、そんなに回数は対戦していないのかもしれないが。 馬場が小鹿を切ったというのは小鹿の勘違い
高杉と鶴見の対談で松根社長が小鹿だけでなく大熊馬場も切ろうとしてたのがわかった >>469
こういう間違った説があったりするから第三者の証言も大事だよね。小鹿も勘違いして認識してたんだな。
キラーカンも長州、坂口、猪木、新間に対しての批判は勘違いではなく的を得てるよね。
特に長州と坂口のレスラーとしての素質と人間性を3流だなんて痛烈批判してるし。 >>471
そんなことは鶴見も高杉も佐藤も言ってない 小鹿が目立つようになったのは軍人のコスプレし出すようになってからでないかな。 >>470
ソースを教えてくれないと言ってた言ってなかったってなるよ。 Gスピこそ、生き残った者が当時のエピソードを自分に都合良く話す、死人に口無し情報の宝庫だよね。
ていうか、書籍ではもう、Gスピ以外にそういう媒体は存在しないか? 馬場
猪木
坂口 大木 (吉村)
星野山本 リーグ戦2勝
上田小鹿 リーグ戦1勝
高千穂 最年少
(ミツヒライ)
大熊
リーグ戦にエントリーされない壁
駒、北沢 コーチ兼任前座
前座固定 林
マンモス鈴木(不明)
以下若手
こんなイメージ? >>474
そんなこともないかな? 小鹿といえば「ロサンゼルスでマスカラスに勝った」だったし。
82年頃、日本ではテレビ中継の試合で極道コンビがそのマスカラス兄弟にあっさり負けてたけど、
小鹿本人が当時からいろんな媒体で何かと「マスカラスに勝った」と口にしていたので、印象は強い。
例えば、82年頃、月刊ビッグレスラーでプロレスラーと女優の卵が毎月対談する企画があって、
極道コンビが出たときも、小鹿が「マスカラスに勝った」と言ってたし、
プロレススーパースター列伝でもマスカラスとの絡みが描かれていたし。 小鹿が一度、引退した(させられた)後、
ネイティブアメリカン役でミュージカル出演したことがあって、
その様子が週刊ファイトに載ってた。
当時、なんで引退した選手の別の活動をプロレス紙が取り上げてるんだ?
と思ったけど、古い記者との付き合い繋がりがあったんだろうな。 >>469
推測だけど、小鹿だけが切られて大熊が残ったのは、永源の暗躍もあるような気がする。
ジャパン参戦時、途中から永源は試合をしなくなり、裏方に徹していた。
永源がよく全日本のバスに出向いては、馬場とマッチメイクの相談をしに来ていたらしい。
その振る舞いは、レフェリーや解説はしないけど、山本小鉄のような役割の印象で、
このままリングには戻らずに引退する(した)のかな?という感じだったが、
この頃から、自身のポジションを用意周到に「地均し」していたんだろうね。
後に小鹿が抜け、ジャパン勢が分裂し、一方が新日本にリターンした後、永源は現役復帰。
大熊と組むことが多くなり、「新極道コンビ」と呼ばれることもあった。
渕が加わり、「悪役照会」になる前のことだ。
ゆえに、「永源が小鹿に取って代わった」との印象を尚更強く覚えてしまう。 >>482
永源は一時出たり出なかったりだったけど、
現役復帰なんて表現は極端すぎる。
馬場と永源がしょっちゅう話してたなんて、この手のスレに出入りしてる住人からすれば当たり前の話では? 小鹿がクビになって大熊が残れたのは
大熊=全日本の旗揚げメンバー
小鹿=馬場が嫌々合併をOKした日プロの残党
ってのが理由でしょ 小鹿が馬場に切られたのはリングネームの「小鹿」が駄目だったんじゃね?
もし馬場と小鹿がタッグ組んだら「馬鹿コンビ」とか呼ばれそうだもん。 >>483
長州一派が離脱する前の一時期、試合に出たり出なかったりではなくて、
まったく試合に出ていなかった時期があるはず。これは記憶違いではないはず。
百田兄なんかも、あるシリーズから突然、興業ポスターにもパンフにも名前がなくて、
「そのこと」をプロレスマスコミが発表することで、事実上の現役引退が報された。
だから、永源もそうなるのかな?と、裏事情を知らない当時のファンは思っていた。
なので、長州一派が離脱した後、永源が戻って来た時は「現役復帰」の印象があった。 >>485
そもそも当時の全日本には名前に動物が入った選手が多かったからねえ。馬、鶴、龍、虎、熊、鹿、羽…。
新日本にも猪、鷲、龍がいたか。名前じゃないのもあるけど。
馬場と小鹿を「馬鹿コンビ」とか呼んでたら、極道コンビなんて、自然の山の中では小さな鹿は大きな熊の食い物だぞ?と。 >>486
当時の熱線符をチェックしてみた。
結論、永源は3試合連続欠場レベルはあるけど、1シリーズ丸々欠場するような事実はなかった。
後は個人がどうとらえるかだ。 >>489
そうでしたか。じゃあ、完全な記憶違いです。
1シリーズ丸々欠場してた時期があったと思ってました。
自分の場合は、当時の熱戦譜を見た記憶なので。
4試合に1回、試合に出ていたことを当時、見落としていたのか。
それとも、長年のうちに記憶が欠場がち→全欠場とすり変わっていたのか。
いずれにせよ、人の記憶はアテにならないもんだなあ。
そして、Gスピで昔のエピソードを話している元プロレスラー達にも、記憶違いとかは少なくないのかな?と。
公式記録が残っているものは、編集部が資料を調査して、補完しているだろうが…。
それにしても当時のほぼ完全版の熱戦譜を保有してるとか、凄すぎるな。
ネットで検索したって、出て来ないだろうに。 記憶間違いで指摘されても譲らなくてしかも謝らずに記憶がアテにならんとかキチガイかよ >>488
FMWを経て新日本に戻ってきたが永源みたいなことをしてた。
唾はとばさなかったけど。
FMWの頃は後のデルフィンや邪道とかを椅子でボコボコにしてた。 復帰した阿修羅に瞬殺されるジョバー役などで結構、中継にも出てたよね>ジャパン栗栖 ジャパンに移る前の新日時代の栗栖はレフェリー姿の印象が強い。
猪木vsラッシャー、浜口、寺西のサブレフェリーとか。
メインレフェリーの山本小鉄は、カット阻止で目立って大声援浴びてたけど、それに比べて、
本来現役プロレスラーのサブレフェリー、栗栖の目立たなさといったら…だった。 山本小鉄が元新日のレスラーに良く言われるのは単に気前が良かっただけなんだよな
そのカネが何処から来るかといえば会社の稼ぎをドンブリ勘定の営業でちょろまかしたカネ
それを咎められて坂口に代えさせれられたら会社を逆恨みしてクーデター起こすなんて >>493
俺はテンタのシングルデビュー戦で卍仕掛けたのが印象深い >>495
鶴見五郎も引退試合の相手をしたらあとでお小遣いを貰えた、いい人だよ、って言っていたなw キラーカンも山本小鉄には大絶賛してるけど、
長州力に対しては痛烈に酷評してるよね。
キラーカンと長州との雪解けはほぼ無いだろうね。あと坂口征二や新間寿とも。 >>498
坂口も長州もカーンなんか眼中にないからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています