全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part14
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当時、全日信者以外からは「ゴロ寝休憩が多いw」と批判されていた全日の四天王プロレスだが、
永源の汚ったない唾吐きの方は批判がなかったな。
売り出し中の常盤貴子が放送席ゲストとして福沢朗の隣に座っていて、
永源の汚ったない唾を髪に引っ掛けられても笑顔をキープしていたのは凄いと思った。
そういう意味でも三沢小橋はプロ失格! >>209
おい、前スレ荒らし
お前は本当に全日ヲタ&川田ヲタだったんだな
常盤貴子に永源のツバとか普通知らないか忘れてんぜ
永源&常盤貴子と三沢小橋を結びつける理屈がわからねーがな
もう来んなよハゲ >>209
別に唾は楽しんでる客もいたからいいだろ
あと句読点と改行くらいまともに出来るようになってから書き込んでくれ >>210
同じ意見、似たような意見が出るとすぐに同一人物と決めつけるバカw
障害者かよw 障害があるから、当時の全日がやってた唾吐きゴロ寝休憩の酷いプロレスに入れあげ、
今もそれを懐かしんで「あの頃、最高だったw」と思えるんだろうなあ。 馬場全日はアジアとジュニアの使い方が勿体なかった
それでも客が入る時代だったけど
今の秋山はさすがにアジアを上手く使ってるなぁ 川田さんや大森さんは、三沢みたいに天狗浣腸とか、下半身に緑のタイツ履いて上半身は裸で
垂れた乳房とブヨブヨ肥満腹晒したりなど、破廉恥なことは一切はしなかったのが印象的だったな。 小橋って新人時代に馬場と組んでアジアタッグ挑戦したり、鶴田と組んで天龍ハンセンと試合したけど、叩く上げでも結構会社からは期待されてたのかな? 期待されてたよ
本人はエリートの田上に比べて、自分は雑草感出すけど
身体デカくて、動けて、センスはあるから
チャンス結構貰ってたよね
ウェイトとラリアットに拘り持たなきゃ
もっと良い選手になってたと思う ソバット
ローリングクレイドル
ムーンサルトプレス 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
T1NNC 三沢は受身がうまいのだし
そもそもプロレスはヤラセなのだから
大丈夫だと思って見てました >>214
秋山は選手としてもプロモーターとしてもアジアタッグに愛着と拘りがある感じ
最初に挑戦したベルトも小川と組んでのアジアタッグだったし 秋山の自伝が来月出るらしいね
何を書いてるか楽しみ >>222
全日入門&デビュー
最強タッグ初出場
川田のしごき
バーニング結成
全日退団
永田とのタッグ&G1出場
三沢の死
ノア退団
微妙な立場で迎えた白石騒動
全日社長就任。
公に出ていないネタもあるだろうから、ネタも多そうだね。 Twitterで書いてたね秋山
武藤との対談が巻末スペシャルっぽい
まだ現役だし社長としての目線の本になりそう >>181
ノア時代は分からないけど(小橋がマッチメイカーだったんだっけ)、全日時代ならフィニッシャーを返すかどうかは小橋が決めることじゃないだろう >>181
右腕ならいいじゃないの、別に
右腕のラリアットは別物だから
ハンセンも了承してるでしょ 三沢の相手のエルボー攻撃をすかして
腕をそのまま絡みとり
タイガードライバーに持っていくとこ好き 小橋の膝立ちのラリアットアタックをくるっとかわしながら、タイガースープレックス85の形に持って行った三沢はかっこよすぎた >>228
馬場とかI田は左ラリアットも結構カウント2で返してなかった? >>231
馬場は一度だけぺたって当たったラリアットを返してもう一発で負けてたのを見た。
鶴田が受けて返した記憶はない。
それよりも新日であっさり藤波が返しているのはびっくりしたけどね。 鶴田は最後の三冠戦で返してたな
執拗な左腕攻めの効果みたいな感じだったはず >>233
>>234
失礼しました。そうでした。 小橋のラリアットも秋山のエクスプロイダーも受けて負けたハンセンが、何で三沢のタイガードライバーは一度も受けなかったんだろう? >>236
川田のパワーボムも受けなかったはず
鶴田もタイガードライバー、川田のパワーボムを受けてないと思う(違ってたらゴメン)
さすがにそれは飲めない、無理がある(体格差的に)、と思ったんじゃないかな >>238
分からないな…ジャーマンをしっかり喰らってたのは覚えてるけど >>238
馬場追悼のドームでやってた気がする
上手く回転しなくてベイダーが三沢にぶつかってる写真が載ってたような ベイダーに完璧に決めたタイガードライバーみた記憶があるけど ベイダーはタイガードライバー食らってたよ
ジャーマンも受けてた
彼は器用だから自分から跳んでキレイに受けてくれる マンモス若林実況復帰の試合でベイダーに決めたよ
試合は負けたけど >>244
91気味に落ちてたよな。あれが三沢最後の三冠戦だったか 五大シングルマッチみたいなのでやってなかったかな
武道館で >>242
ベイダーが三沢に繰り出したのはドームだよね
ロックが外れたけど物凄い落差だった ウィリアムスも四天王の技はしっかり受けてたね(川田のパワーボムとか凄い高角度で受けてたし)
ハンセンとの差別化みたいなことを考えてたのかな ナイナイ岡村がゲストに来た三沢vsベイダーの三冠って忘れがちだけど、かなり凄い試合だった
5年ぶりに三冠で外人に負けたしね 三沢が川田欠場で日に二戦やった興行
一戦目は二戦目を考えずに高山の持ち味も
しっかり受けて勝利
ベイダー戦は逆にベイダーが失礼なきように
最初からエンジン全開で三沢フルボッコ状態
マウントエルボーとバックドロップは出したものの
最後はリングでカラダがバウンドするくらいの
説得力ある叩きつけビッグクランチ
リバースのプッシュプレスを返すのが精一杯だったけど
素晴らしい興行だったよ 三沢vs高山が想像以上に激戦だったよね
CC三つ巴決勝を思い出す流れだった
豪華な5大シングルすぎてメインの秋山vs大森に行くまでに疲れちゃったなぁ 5大シングルマッチの武道館は二階立ち見まで発売して、久々に盛況だったな。
それでも元子は「武道館は三冠じゃなきゃダメ」って愚痴言うんだから、三沢がかわいそうだった。 >>251
高山戦も技受け切ってから勝ったけど、
ベイダー戦もよくあれだけ技受けたなと思うね アンチはごちゃごちゃ言うけど
やっぱりいいレスラーだったよ
本当に残念 5大シングルマッチ、ほんとにあの1回だけで
あとはいつものセミ以下は手抜きのタッグマッチに戻ってたね あの5大シングルは1戦1戦が良すぎてお腹一杯な贅沢感がありすぎた
セミ、メインが三冠と世界タッグでも満足すぎる盛り上がりだったし
なかなかバランスが難しいけど5大シングルやるとしたら年に1回が限度かな 三沢対ベイダーの三冠とバーニング対ノーフィアーの世界タッグは同じ日の武道館だったのか
豪華だったんだなあ >>254
ガキじゃないから中立な目で見られるけど元子は頭おかしいよ。
2001年くらいのパンフレットの表紙に馬場さんの写真を載せていたけど異常だろ。
ノアに行った選手&スタッフは馬場さんだから言うことを聞いていただけで、元子のことはかなり煙たがっていたらしいぞ。
武藤は元子を「チャーミング」なんて言っていたが立場的にただそう言っただけとしか思えなかった。 >>258
札幌、大阪クラスでタイトル戦をやって武道館は5大(4大)シングル。それで良いんじゃないかな。
2000年5月に新潟で三冠戦やったのも良かったと思うよ。地方でタイトル戦やるのは良いね。 観客投票での試合順がどこまでガチかはわからないが
ただあの時期に秋山大森のシングルを武道館メインで見れたのは嬉しかったね >>264
絶対ガチの一位じゃないと思う
でも、それでもあのカードが一位で良かった >>265
俺は「絶対」とまでは思わないな。ひょっとしたらあるかな?程度。
それより翌年3月チャンカー愛知で秋山vs大森がセミ、田上vsウイリアムスがメインはおかしいと思った。三沢、川田、小橋が田上またはウイリアムスのどちらかと入れ替わっていればまだわかるけど。
田上vsウイリアムスじゃ客の期待値も低いでしょ。
秋山vs大森を7秒で終わらせるからセミにしたってわかっちゃうよね。 >>266田上対ウィリアムスって凡戦になりやすそうだけど、当たるとでかいど迫力マッチになる印象 >>267
田植のジャンピングハイキックとか固い攻撃あるよね 秋山vs大森と川田vsベイダーは1票差でした、って仲田がアナウンスして武道館が沸いてたよね
あれは良い嘘だった 田上vs外人はあの頃はイマイチに思えてたけど今見直すとゴツゴツした試合で結構面白い >>254
しかし結局はノアもほぼGHCオンリーに >>264
結局はあの二人の唯一の武道館メイン試合なんだよな
未来の三冠戦を期待させたが結局はノアのGHC戦でも実現せず
結局それも含めて三沢全日本時代での大森優遇は元子対策も絡んでの大森の取込策でしかなかった印象 >>262
元子全日時代に馬場の絵が入った入場ゲートまで作ってたよねw
新しいものを作って行かなきゃいけないって時期なのに、さらに馬場色を強めるとはね。 >>273
あそこまでいくと単なる馬鹿だよな。気持ち悪いだけだよ。>元子 >>275
というか本人自身が馬場ブランドの絶対的信者 ジャイアント馬場杯争奪リーグ戦に優勝したのが対極にある長井だったのは皮肉というか何というか
馬場が生きてたら垣原以上の酷評を喰らったはず ノアも三沢教と小橋教の信者しかいないからどのみち未来なんてなかったんだから きたえーるのこけら落としだったかで小橋vsウィリアムスの三冠挑戦決定戦みたいのしなかった?
王者がベイダーだからウィリアムスは絶対ないと思った記憶があるんだよなぁ
ただのシングルだったかな… メインのベイダーvs川田は川田が勝った場合、武道館でベイダーの持つ三冠に川田が挑戦
川田が負けた場合は小橋vsウィリアムスの勝者が挑戦って言う、非常に面倒臭いシステムにしていた様に思う >>277
馬場杯といっても名前だけだし、あのメンツなら長井優勝で良いんじゃないの。他に長井と対等に戦えるのは荒谷と田中将斗くらいでしょ。 >>282>>283
川田が勝ったら武道館でタイトルを賭けて再戦。それは良いんだけど小橋vsウイリアムスに「挑戦者決定戦」って冠を付ける必要が無いよね。 96年10月の武道館で小橋vs川田の三冠戦があり、1週間くらい前の愛知県体育館で特別試合、川田vsオブライトが組まれた。
俺はこういうのが嫌だった。三冠に挑戦する川田が負けるとは思えなかったからただの消化試合。 >>268
田上は斜め飛びのミサイルキックがあの体格の割には上手いと思った。無理やり鶴田のパートナーにされて常にブーブー言われていた頃はほんとかわいそうだったよ。 >>287
最初から左足は添えてるだけで右足しかまともに当たってないような田上のトップロープからのドロップキックだったが
飛べなくなってからは完全に片足だけのトップロープからの大開脚キックに変わる
でも大開脚になってからが田上のオリジナリティーが出て良かったのかもしれない >>286
全日本愛知新日より大分弱かったからテコ入れかな? 全然動員違ってたもんな >>289
その川田vsオブライトを組んだ時も客入りは良くなかったらしい。愛知県に限って言うと新日に客を取られたんじゃないかと思う。
客が入らないなら始めから捨てて違う所で世界タッグ組めば良いのにね。
98年のバーニング始動の10月も世界タッグやってたし、96年のチャンカーは三沢vs小橋、川田vs田上を組んだけど、愛知県体育館でやらないといけない事情でもあったのかね。教えてエロい人。 首都圏ならひけをとらなかったが愛知は明らかに負けてたな >>290
90年代だと愛知県体育館でなく名古屋市体育館
で開催されることがあったけどあのくらいの会場の規模
の方がいいような気がする。 エースバートンがバーニングから世界タッグ取ったのも地方だったよな >>294
99年6月の仙台だね。3日後くらいの武道館でチームリーダーのエースがバーニングの2番手の秋山に星を返したのにはずっこけたw 愛知県体育館でシングルの名勝負があった記憶がない
三冠すらやってないような…? 愛知は三冠は無い変わりに、96チャンピオンカーニバルで三沢vs小橋、川田vs田上の同門対決やった事あったな
翌日が大阪府立で川田が地元凱旋の秋山を1分45秒で終わらせてた方がインパクトあったけど >>294
小橋秋山チームが大嫌いだった(個々は嫌いじゃない)から、あの試合は興奮したわ。 >>298
俺も個人は嫌いじゃないのに、その二人のタッグは嫌いだったな
なんか変な相思相愛間と言うか、良さが全くなかった
強かったけど
今でもハンセン田上の優勝シーンが見たかった 愛知じゃないけど近い豊橋でウィリアムス小橋戦やったんだよね
実況の
でた〜二週連続!の声と
背後に映った雅夫のあちゃーって顔が忘れられない >>298>>299
小橋は大嫌いで秋山はどちらかと言えば好きな方だけど小橋&秋山組は良かったと思う。
じゃあ悪いタッグはどんなチームなんだよ?って思う人もいるだろう。すぐに思いつくのがノアでの小橋&本田。わけがわからなかった。
全日に戻すと、小橋&エースのGETも駄目だったな。90年91年の時も良いとは言えなかったがGETは何のためにやってるのかわからなかった。 >>301
一時期、小橋のパートナーにヨネが成りかけてたんだよね
でも、ヨネの怪我(だっけ?)白紙になった
もし小橋のパートナーで上位戦線でヨネが揉まれてら
今のパッとしない中堅レスラーにはなってなかったかな 晩年の川田田上組がつまらんかった
95年が頂点、97年の最強タッグ優勝でピリオドが良かったわ
98年以降の川田田上組は全く印象なし
ワクワク感も何も無くなってたし、ぬるま湯タッグに成り下がった印象だったな >>293
愛知県体育館で興行出来ない団体はメジャー団体とは呼べないな。 分裂直前に久々に川田田上組が世界タッグ取ったけどどんな感じで進んでいく予定だったんだろう
分裂直前の何某は色々気になることがある >>306
あの時は、もうどうでも良かったんじゃないかな。川田が残るから川田&田上組にした方がまだましっていうだけの理由だと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています