【ヒギンズ】昭和の新日本プロレス3【ジム・ドゥガン】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
反則決着やノーコンテストになった試合後のリング上で
乱戦を止めに入る若手や中堅にラリアートだのブレンバスターだの地獄突きだの
そのレスラーの売り物の大技を大サービスで連発して
その度に食った若手がエビみたいにピクピクのたうち回ったり吹っ飛んだりしながら
もんどりうちながら邪魔にならないよう場外に掃けていくのが良かったなあ >>867
WWEで健想の天皇ギミックが抗議を恐れてNG喰らったから
もう駄目なんじゃね? >>874
ステップしてから相手の懐に踏み込んで投げるから
投げる方も腰に負担が掛からないんだとか 雪崩式のブレーンバスターって掛けてる方と受けてる方、どちらにダメージあるか解らん技だった。
昔、全日で三沢タイガーとキッドがシングルでやった時
キッドがポスト最上段から出したが、キッドの方からマットに落下してたし。 >>870
マードックが使う相手を持ち上げて、自分の尻→背中をマットに着けてから相手の脳天をマットに叩きつける形が本来のブレーンバスター。
90年代になって相手の脳天をダイレクトに叩きつける形が主流になって、見ていてヒヤヒヤする。 >>884
元祖のタイプはコックスとかマードックみたいにケツがデカくないと
上手く決まらないんだってな 全日時代のマードックは鶴田からUN奪った試合くらいしか記憶がないが、
親日時代はホントに存在感を示したな。仔牛の焼き印とか全日で見た記憶がない(ど忘れかもだが)し
開口一番の「ブレーンバスター」、ブッチャーとの因縁、アドニスというパートナー、ケツ出しw・・。
まあ親日がそれほど外人天国じゃないのでマードックの活躍が目立てたのもあるけどね。 >>879
クラスでデブの子は大抵ブッチャーとあだ名されたよな。 >>807
そのデラプロ見たよ!スーパースターも目の色だけじゃなくて今で言うイケメンだったよ。 高橋によるとシン、スーパースター、バックランドは外人の中でも練習大好きだったと。
三人の体つき見たらわかる。
特にシンやスーパースターは厚みが凄かったし。
太くなる体質もあったと思うが。 トニーセントクレアーが来日してたようだが元気になったのか 893ヤクザだが、上田は器具を使った練習には否定的だった。
だから体つきがショボかった。
あとは上田自身が腕が太くなりにくい体質だと自ら語ってた。 >>887
超デブ(しかも女)には『ダブルブッチャー』と呼んでたよw
ちょっと縮れ髪で浅黒い女には『タイガー・ジェット・○○』とかw
時代だよなあ。 シンはアメリカではデトロイトでのシークとの抗争以外、これといって実績はなかったな。
本人の意向だったのだろうか。主戦場だったカナダは移民に対して昔から寛容な国だし。 >>868
日系人ギミックもいなくなった。
第二次世界大戦は遠くなりにけりだ。 >>891
日本でのタイトルマッチは大宮でのWWFジュニアだけだったか >>896
グレート東郷さんも生きるために必死に憎まれ役を演じていたんだと思うとかわいそうな気がしますね。
日系人に限らず日本人レスラーもアメリカに行けばころされるんじゃないかってくらい憎悪の対象になってただろうし。 >>895
ここ数年の何かのシンの記事では書いてあった。
やはりシン本人の意向でアメリカでファイトしなかったと。
アメリカは人種差別の問題等で。
あとは日本で定着する為に敢えてアメリカでの仕事を自粛したのかも。
ただシンが本腰入れてアメリカでファイトしたらそれなりの地位は築けたと思う。
人種的な差別問題もあるが。
でも昔でも黒人でもそれなりの地位を築けたのは沢山いるし。
プエルトリコ?でのシンの試合が動画に上がってる。
マイティイゴールが相手で。
日本と全く変わらぬファイト。
観客にも受けてる感じで。
日本と違うのはサーベルを持ってないこと。
メキシコでも相当な極悪ファイトだったらしいし。
メキシコでの試合は猪木戦以外は見たことないが。 草創期のアメリカ武者修行は交換制限のあったドル調達の要素も強かったんだよな
現地で稼いだドルを東郷みたいな窓口にプールして帰国時の外人レスラーに支払う
そして修行が終わっての帰国時に円で貰うと シンのWWFやNWAでのファイトも見たかった。
82年2月にシャーロットでシンがドリーのインターに挑戦。
そんな宣伝があった。
雑誌でも中継でも。
実際にそういう予定だったのだろう。
しかし却下というかシンがキャンセル。
あれは残念だったなあ。
また81年頭の週刊ファイトでは『シン、MSG登場』というのが一面にデカデカと。
しかしそれも実現せず。
シンが全日に移籍しなければ実現したのかな?
当時のWWFではハンセンとバックランドが抗争していた。
そこにシンが割って入るのも実に面白い。
MSGでシンがバックランドのWWFに挑戦。
ぜひ見たかった。
狂ったインド人ってアメリカでも受けたと思う。
特にシンのあの狂人キャラなら尚更。
デカイ狂ったインド人が大暴れの絵は新鮮味があったと思う。
またブッチャーのMSG登場も見たかったと思う。
ブッチャーはMSG登場した事ないみたいだし。 >>901
米国の特に檜舞台MSGなんかで悪党人気を得る手段に敵対国ギミックがあげられるが、
今までにイラン人質で一気に脚光を浴びたアイアンシーク、冷戦が続いた超大国ソ連(ロシア)の
イワンコロフや二コリボルコフ、わが同盟国wのナチ党等、こういう手段だとインドは
特別感情を煽るような関係はないし、モラレスやサンマルチノのような移民ヒーローにしても
アメリカ国内のインド(アジア)からの移民は欧州やヒスパニック系なんかと比べても少数だし、
どれも今いちアピールしきれず中途半端なラフファイター的存在に甘んじたかもしれないが。。 >>886
新日の頃のマードックはシングルはともかく誰と組んでもいい試合してたしな 藤原格上げになったアレンとのタッグも今でも忘れえない 83年にやったブッチャーとの試合、言われてるような不穏な感じに見えなかったな。
ちゃんとブッチャーの技も受けてやってたし。
それから、新日晩年の頃のレッドブル軍団との試合。意外にベルコビッチとの試合良かった。 アメリカだといくらでも黒人と試合してるのに、
日本ではなんでか黒人とは試合しないことになってる >>903
藤原の実質ゴールデンデビュー戦で地味な「関節技の鬼」ではなく
まずはちゃーんと鉄柱に頭ぶつけてみせて“ゴーン”と音立てて見せて驚くという
わかりやすい演出につき合ってくれるマードックとアレンのイイ人っぷり マードックの地方の試合での決め方は歌舞伎のような盛り上げ方でファンを沸かせていたっけ。
会場のあちこちから「ブレーンバスター!」って声がかかり、
試合を決める時にファンに向かってアピールして仕留める。
選手とファンとが一体になっていたからマードックは面白かった。 マードックはナチュラルヒーローなんだな。
新日時代ほど全日時代は派手なイメージ無いような気がするけど
80年秋のジャイアントシリーズで福生に来た時
大熊とのシングルでは大熊が気の毒になるくらいマードックコール一色だった
メインがテリー&鶴田VSブッチャー&カマタだったが、声援はマードックの方が上だった ・試合前に国歌吹奏
・コミッショナー代理でテレ朝永里運動部長の認定宣言
・レフェリーレッドシューズ・ドゥーガン プロレスごっこでズーガンのフォールの取り方の真似よくやったなw >>908
マードックは地方で客席からブレーンバスターと声がかかると
「後で」「ちょっと待って」とか客と会話しながら試合するから客受けした。
沖縄では海兵隊がマードックに大ブーイングで、お前らの慰問に来てるんだと会話し、
試合が終わったら客席に入って握手で試合後は路地裏の焼き鳥屋。
ちゃらんぽらんに見えるが。大都市と地方の客層を理解していた頭の良い外人だった。 マードックとゴディって似てるよな。
サイズやトンパチで不摂生なところが。
マードックはそこまで不摂生じゃないか。 マードックのが不摂生なイメージあるが。
練習しない事に関しては、アンドレと双璧と言われてたし、
試合終われば常に飲み食いしてる話よく聞いたし。
ただ、どちらもプロレス上手いのも共通してる。 早熟の天才型で才能はあるのにトップにあがりきれなかったところとかも似ているね ゴディはドラッグに手を出したが、マードックはドラッグはやらない。
そんな違いかな?
ってマードックはドラッグやらなかった?
勝手なイメージで書いたが。
つかハンセンなんかドラッグは絶対にやらない。
マードックもドラッグはやらないイメージがある。 ゴディは身体を壊さなければトップに行けたんでは?
マードックは敢えて、自分からトップになるの避けたと言うか。
マードックはステよりビールを取ったw 85年くらいに地方で見たアレンもすごく客席を沸かせてたよ >>917
現在のレスラーの稼ぎ場所が実質WWE1カ所だったり
WWEとWCWの2カ所しかなかった時代は仕方ないけど
80年代半ばまでの全米各地でそれぞれの市場が成り立ってた時代なら
王者になってハードスケジュールと業界ルールに縛られるより
マードック程度の技量があればどこのテリトリー行っても稼げたんで
トップ上がる気自体無かったってことだろうしな
NWAやAWAの王者になったところで50〜60年代のロジャースやテーズ、
あるいは現在のホーガンやロックやシナのような
トップになることで桁違いのビッグビジネスに結びつくってわけでも無いだろうし >>920
ゴディもWWFに入ったけどツアーが嫌になってすぐ辞めた
日本のバス巡業が一番気にいってた 実は同い年の猪木とアレン
しかし昔のアレンの腹筋は凄かったな黒人特有のあの割れ方 アレンは全てが凄かったと思う。
プロレス上手かったと思うし。
ブッチャーとのシングルで返り討ちにしてからアレン時代到来と思った。
タイプは違えど『第二のシン』になると思った。
いい外人も不在時だった84年はアレンをトップに据えて売り出せば良かった。
あのブッチャー戦で樹は熟した。
あのインパクトならその後はトップ張れたはず。
アレン自体もその力量を感じたし。
また同じ様な時期に『月刊ビッグレスラー』に海外でのアレンの試合が掲載された。
見出しに『オレ様が黒人レスラーの王様さ』と。
アレンは黒人レスラーNo.1になったと言っても過言ではない。
そう書いてあった。
何よりアレンは新日本を熟知してたからね。
それに84年夏のアレン シュルツのコンビも良かったし。 >>918
何かで読んだんだけど、マードックは痛風が酷くペインキラーを常用していて「この痛みが心臓まできたらオレも終わりだな・・・」
と言っていた。そして、本当に心臓麻痺で亡くなってしまった。
>>921
ちょうどその頃地元に来て、リングサイドの客が「ノーヘアー!」と叫んだら、頭押さえて猛烈に怒ってたよ。
場内大盛り上がりだったよw >>925
ただアレンにはブッチャーのエルボードロップやハンセンのラリアットといった代名詞的なフィニッシャーが無かった
コブラクロー風のチョーク攻撃や地獄突きを多用していたのもB級感脇役感を強調させてしまっていた
フィニッシャーとして主に用いてたのがパイルドライバーとオクラホマ・スタンピードだったからメインに据えるとどうしても地味に映ってしまう
アレンを外人勢トップに抜擢しろという意見も専門誌を毎週毎月購読する様なマニア限定に止まっていた印象でしかなかったよ80年代当時は >マードックは痛風が酷く
やはりビールの飲み過ぎか? アレンはスキンヘッドなのはともかく
スタイルいいしガチは強い説あるしベビーフェイスにすれば良かったのに
そう言えば新日参加末期はリングネームをバッファロー・アレンに戻してたな アレンはWWFでは延髄斬りをフィニッシュホールドにしてたよね >>918
マードックは飲みすぎてウンコ漏らすことがあるから、飲みに行く時は替えのパンツもっていくってテリーがバラしてたな。 >>930
でもさすがに新日で延髄斬りフィニッシュは無理だね。
昔もアレンにフィニッシュホールドがないのは指摘されていた。
トップならそういうフィニッシュホールドは必須条件。
パワースラムでも良かったと思うが。
アレンの風貌はいい意味でヒール向きだし。 >>932
そのアレンが猪木の延髄でド派手に一回転してるの見て、
さすがに子供だった俺でも、いくらなんでもと疑念を持ってしまった。 アレンは何気ないパンチやチョップ、ストンピングとかをラフに見せるのが上手かった。
長州は短い両足上げて思いっきりキャンパスにストンピングしてた >>932
せっかくの五輪の柔道メダリストなのに、柔道の技とかほとんど使ってない気もするし… >>929
えっリングネーム戻した、って平成になってからあたり??そんなことあった?? アレンは92年の春くらいまでは新日マットに上がってたっけ
ギロチンドロップが凄く綺麗だったのを覚えてるなぁ
あと相手のタイツを引っ張ってから打つボディへのパンチとか
そして何よりあの刑事ドラマ風テーマ曲「スナイパーフロムダークネス」がよかった アレンは何で新日からUインターへ?
WWFに行ったから新日に戻れなくなった?それとも日本人対決が主流になって呼ばれなくなったところに、Uから声がかかったから?
ハシミコフ、ザンギエフ、テンタ、ベイダー、そのあたりの事情がわからないんだよね。 バックランドやシークも含めて誰がブッキングをやっていたんだろう? >>938
ベイダーに限っては引き抜かれたと見ていいのか?
ベイダーのUインター参戦決まった時、コスチューム(甲冑)の着用禁止と
リングネーム(ビッグバンベイダー)の使用禁止を新日からインターに通達したとかって話あったはず。 Uインターはプロレス最強路線でシュートな外人に目をつけた。
Uの象徴だったゴッチから離れてルー・テーズ、ホッジ、ロビンソン、ニックを立会人的存在にして、
選手はハシミコフ、ザンギエフ、アレン、アイアン・シーク、ベイダー、バックランド(第2次U?)、
他競技のバービック、カズラスキー、来日しなかったがスタイナーズとか。
ウォリアーズ、ノートンにも声をかけたらしい。
ルートは流−テーズ、テネシー在住の笹崎、カズラスキーはフランク井上。 >>943
笹崎って、今何してんの?
テネシー在住だったって事は、嫁はアメリカ人?
ケロの旅日記で、佐野と仲良し過ぎると面白可笑しく書かれてたよね。
笹崎って、いつ頃新日にカンバックしたんだっけ?
長州達が新日に出戻った時は、笹崎は居なかったけど
いつの間にか新日のリングにアマレス風のタイツで上がってたよね。
そして、いつの間にか居なくなってた。
安生がヒクソンの道場に単身殴り込んだ時に安生のセコンドみたいな感じで
側に居たりと、なんか不思議な人だよね。 ビッグ・ジョン・スタッドも上げるつもりあったと聞いたな。 スタッドの方からテーズに売り込んできてテーズに裸の写真を送ったら不合格
上がるために鍛えてる途中で亡くなったとか アレンはUインターで桜庭とシングルをやり、桜庭を子供扱いしたな。 高山ともシングルでやってたな。
新日では見せなかった体落とし→逆十字で決めてた。柔道時代の得意技だったのか。
高山は試合後「見えない所で反則やってきました。
さすがブッチャーと組んでた人ですね。」みたいな事言ってた。 79年くらいかな?
地方のノーTVの大会の猪木のシングル戦の
相手が全部アレンってシリーズがあったでしょ?
そりゃ上達するよね 坂口vsアレンの柔道ジャケットマッチのフィニッシュが好き。肩と肘を極める変型の送り襟絞めみたいになってて格好良かった。アレンが悲鳴あげて。
坂口はたまたまあんな形で極められたと言ってたね。 >>944
長州達が新日に出戻った時に笹崎も居た。
アラバマ、カルガリーで橋本とタッグを組んで、帰国時はアマレスタイツ。
契約更改での待遇の悪さに激怒して退団してテネシーに住み、Uインターのブッカーをやってた。 考えてみれば、、第一回MSGタッグの白星配給係?ウイレムルスカ&BNアレン組って
実力だけなら優勝コンビだよな。。。 アレンの流血見たことある人いる?
流血は似合いそうだけど。
相手を流血させても自分は流血しない。
ブッチャーと組んでた頃はブッチャーが流血してたかんな。
アレンまで流血する必要性がなく。
でもアレンの流血は見たかったな。 >>943
確かトニー・ホームにも橋本に連勝してた頃に声掛けたけど
引き抜きは失敗したね、後にリングスに上がるんだけど >>953
白星配給っつっても9チーム中7位だよ。
ガチンコの強さはそのコンビもさることながら、
翌年のパターソン、アレン組も強いだろうな。 アレンは今でも猪木の事は師匠だと思って尊敬してるって言ってたな
入場の先導役やってた時に車椅子のお客さんがいて、猪木が自分から
近づいていって握手した光景を見てプロのあるべき姿を学んだと言ってた アレンはニューヨーク出身だけどスタンピードレスリングに上がる様になってからは
ずっと死ぬまでカルガリーに居住してたよね?居心地が良かったんだろうか?
晩年はショッピングモールの警備員をやってたみたいだけど ブッチャーの引き抜き〜参入でアレンの立ち位置がちょっと前進したことは事実だな。
ただ、一度でいいからこのブッチャー&アレンで年末タッグは一度でいいから参加させたほうがよかったと
後出しだがつくづく思う。特にキッド&スミスが直前に引き抜かれた84年あたり。
それまではアンドレ、ホーガン、カーンとまさにMSG(WWF)色が濃い大会だったから
ブッチャーはそれ以外の一般シリーズでのエース外人要員の役割はあったし。。 差別がアメリカ国内より強くないカナダの方が居心地が良かったのかな。 アレンはUインターに移籍する時に新日に対して
「自分はこの会社にもう十分尽くしたと思う、請われればイラクにも行ったし、
この辺で新しいキャリアを選択する自由を与えて欲しい」って言ってたな
カルガリーで縁のあるオブライトVSアレンはオブライトが終始萎縮してた内容だった >>959
81年の時はブッチャーの映画出演で流れたんだったか >>952
88年のジャパンカップではザ・タイガーかザ・ジャガーのどっちかだったな。 >>954
アレンの流血ではないけど、77年のルスカ戦でルスカの大流血で柔道着が赤くなったのがいまだに強烈に覚えてる。 >>966
写真で見たことある。
あれもルスカは自分で切ったのかな?
柔道が既にプロレスと化していた。
アレンはブッチャーと組んでMSGタッグには出て欲しかったなあ。
81年82年83年と出る機会はあった。
84年は仲間割れ後だから無理だけど。
ファンのことを考えたら出すべきだった。
そうすればブッチャーも新日ではもっと色々と実績を残せた。
ベストは移籍した年の81年だね。
ギリギリでハンセンもいたし。
あそこにブッチャーがいたら80年MSGタッグに匹敵するシリーズになった。
あの頃のブッチャーはまだ商品価値もあったし。
マードックとの例の事件の直後ではあるけども。 >>961
オブライトは若い頃にアレンから教わったんじゃなかった?
アレンが師匠で。
それで対戦が決まった時は『アレン先生とは怖くて試合できない』とコメント。
煽り、盛り上げだったのかも知れないが。
Uインター時代のアレンは大物扱い。
しかし新日時代にももっと大物扱いにされて然るべきだった。
90年に新日にUターンした時はそれなりに大物扱いでもあったが。
ただ運悪く同時期にシンが新日にUターン。
それでアレンの新日Uターンは霞んでしまった。
シンの影に隠れた形になったのは残念だった。
どうせならそのシンと組ませれば良かったと。
この頃のアレンならシンとも対等に近い立場。
この10年前の80年ならシンの子分みたいな立場だったが。 新日は頑なにブッチャーのロングランの遺恨ストーリーを組まなかったな。
結構いいマッチメイクはあったにしろ全てが単発。
だけど考えてみたら軸が猪木、藤波、タイガーじゃない場合はすべてそんなもんだな。 当時のブッチャー本で坂口とは手が合って、絶賛してたなあ。
けどあの頃の坂口ではストーリーも何も あの当時、日本人でブッチャーの相手をするのは猪木以外では何の意味も無かったしな。 ブッチャー対小林も見たかったけど
ちょうどブッチャー来た頃に腰痛めちゃったからね
正確には春のメキシコ遠征でカネックに挑戦してジャーマンで負けたときに
受身失敗して
自重が腰に係り、それで以前からの慢性的腰痛が一気に悪化して
秋にはとうとう試合できなくなった >>553
超亀だけど
バイオニックエルボーはフィニッシュのエルボードロップじゃなく反撃のときの
脳天へのエルボースタッグね
打つ前にパンチ叩き込んだり、サミングしたり、ローブローしたり、逆に自分の
玉を握ったりwと色々アクセントつける
後年のホーガンの反撃時の「YOU!!」の元ねた フィニッシャーのないアレンはテロ前の藤原みたいな存在かな。
強いと分かるんだけど、プロレスやると上で勝ち名乗りは受けられない。 ブッチャーはマードックから逃げて、
ブラボー、アレンには何もできずに
いいようにやられてほんと酷かった ブラボーには一応パウダー攻撃で目潰ししたじゃないかw
しかしその後ブラボーが特に売り出されなかったので無駄なジョブに
ブッチャーだけでなくその前の蔵前ではハンセン、ホーガンとも互角にやり合って
見せたのにな
オーンドーフも初来日では藤波が寝たのに再来日では前田のかませになるし 新日は外人の扱いがまばらだなあ。
ヒギンズを思い出す。
85年ビッグファイト開幕戦のシングルでは猪木を追い込んだ。
ヒギンズに期待が集まる活躍。
しかし最終戦ではブロディ登場もあり、ファンの目は完全に猪木 対 ブロディに。
開幕戦と同じくヒギンズとのシングルは3分程度で終わり。
奇しくも同じく後楽園ホール。
この時のヒギンズは気の毒だった。
たまたまブロディ登場と重なったのが災いして。
もしブロディが新日に来なければヒギンズはそれなりに売り出されただろう。
短期間で終わった可能性は高いが。 ブロディ移籍に伴い、ヒギンズやジャック、シュルツ、バンディ、バーバリアン
こういういい外人がブロディの影に隠れて埋もれてしもうた。
そのブロディも結果的に短期間でお払い箱。
何とも皮肉だわな。
その後はそういう外人達が大々的に売り出される事もなく。
まあ86年からはUが登場したからU頼みの流れで。
そのUで(というか前田で)2年近く引っ張れたからまだ良かったのかも。
ただいい外人を活かし切れなかったのは勿体なかった。
うまくすれば『第二のシン』『第二のハンセン』『第二のホーガン』が生まれたかも。
そこまでいかなくてもそれなりに成長したかも知れないし。
猪木に相手を引き出す力がなかったから可能性は低いかな?
藤波 長州 前田にはそこまでの力はないし。 >>978
猪木をバックフリップで失神させてしまって、こりゃ使えんってことじゃないの? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。