【ヒギンズ】昭和の新日本プロレス3【ジム・ドゥガン】
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81年MSGシリーズにシンが参加したのはアンドレの代替だったよね?
結果的に貴重な参加だったな。 >>662
それは逆で藤波ぐらいしか持ち味を引き出せなかったてこと。 >>666
ボルコフはポスターには載ってたけど来日中止。 >>665
雑誌のプロフィールとかでも身長の誤記?か逆サバは多々あったよね。
マードックー186p、ラシク―187p、コンガ・ザ・バーバリアンー183pとか。
いずれもゆうに190p以上あるのは明らか。 >>667
もしシンがMSGシリーズ参加しなければ。
そうなれば最後の新日はWWFビッグファイトシリーズ第一弾だった。
シンの新日ラストファイトはこのシリーズ最終戦。
そして全日に移籍。
そう考えたらシンのMSGシリーズ参戦は意義があった。
また外人勢との公式戦対決も組まれて。
ラストファイトも猪木との準決勝戦。
ビッグファイトシリーズが最後ならラストファイトは地方の最終戦。
ブッチャーの全日ラストファイトはブルックスと組んだ普通のタッグだった。
MSGシリーズ参戦しなければシンも同じ具合だった。
もし予定通りアンドレが参戦したら三年連続で猪木、アンドレ、ハンセンの三つ巴。
そして81年はホーガンがそこに絡むと。
80年はそこに坂口が絡んだが。
でもシンになったから三つ巴も新鮮味があった。
当時の別冊ゴングにもそれが書いてあった。
シンは異質だったが、新日の顔でもあったし。
そう考えとるシンのMSGシリーズ参戦は大成功で大正解。 >>670
マードック、ラシク、バーバリアンそしてアトラス、ムラコ
このへんは明らかに表記ミス。
みんな190以上はある。
逆にスーパースターも表記ミスだろう。
バックランドは逆サバか?
適当というかいい加減なのが多い。
年齢っちゅうか生年も適当なのがある。
日本人はないが外人。
公称より若いのもいれば公称より前に生まれたというケースも。
体重もアバウト。
ボクシングみたいな公開計量もないからジュニアもいい加減だし。
逆に公開計量なんかしたらジュニアタイトルに挑戦(又は保持)できなくなる。
そういうケースが大半だろう。
藤波もジュニア時代末期には実際に100越えてたらしいから。 >>674
190以上無いのは誰が見てもわかるだろ 実際の身長はわからんが、『どう見ても』って言うほど明確なもんとは思えんが ラシク、マードックは微妙だな。アトラス、ムラコ、コンガは
190cmないだろね。
新日本プロレスで公称身長195cmだったオートンJrが本国では
6ft1inなんだからわかりにくいね。 >>678
6ft1は185だぞ。
マードックはデカいぞ。
スティーブ・ウィリアムスは180ない気がする。 マスクドスーパースターズとして、ビッグジョンスタッドとコンビ組んでた時の写真でも
かなり慎重さがあったな。つか逆にジョンスタッドって普通に公称どおり2メートル越え(203pだっけ)なのか。。? 新日本は公称191cmの猪木が物差しだからな、流星仮面や殺人医師も198cmにせざるを得ない。 猪木は「山口良一のオールナイトニッポン」にゲスト出演した時、本当の身長は
188センチと言ってた。 カナダで藤波がコブラと組みスミス&ハートと対戦した時、一番小さく見えたのは藤波。
目の錯覚だと思っていたがやっぱり藤波は小さかった。 >>670
ウィリアムスは初来日時ファイトに
「大きいと聞いていたがこれじゃあ長州力と変わらないな」
と書かれてたな。 >>685
>猪木は「山口良一のオールナイトニッポン」にゲスト出演した時、本当の身長は
>188センチと言ってた。
×188センチ
〇189センチ
「体重は今104〜106kgぐらいですね。巡業で移動が多いとどうしても増えたり減ったりします。身長はプロフィールでは191cmになってますけどこれは少しサバを読んでいて本当は189cmです。」
こんな感じで喋っていたしその後に発売されたファイトやデラプロ等にも再録されていたよ >>671
>ブッチャーの全日ラストファイトはブルックスと組んだ普通のタッグだった。
たしかブロディも全日ラストファイト(新日移籍前)はキラー・ブルックスとのタッグだったな >>692
ブロディは木村、鶴見の国際血盟軍と組んだ六人タッグ。
『前座は冗談じゃない』と試合中に一人で引き上げた。
これはガチ行為で。
相手は馬場と誰か忘れたが。
あの試合がブロディの全日ラストマッチのはず。
シリーズ最終戦だったと思う。
※後に復帰したのは除いて。
シンのラストマッチは蔵前での猪木戦。
ハンセンのラストマッチはマードックと組んで大阪での猪木、藤波戦。
蔵前でのMSGタッグ準決勝戦。
シンとハンセン、新日ラストマッチは共に蔵前だったんだな。
これを書いてて気付いたわ。
アンドレの新日ラストマッチは両国で若松と組んだ猪木、上田戦?
名古屋?での猪木の腕折りに初ギブアップの方?
後者ならアンドレに取っては後味悪いな。 >>685
千原兄弟が自分よりも小さかったといってたけどさすがにそれは無いよな
あいつら180ちょいだからな
みなおかに出たビガロが石橋と身長負けてたのは不穏 >>693
京都での佐川急便杯トーナメントの優勝が、新日ラストじゃないかな。
猪木にリングアウト勝ちでの優勝で、ギブアップ勝ちの借りを返した!って雑誌でも見出しになってた。
後味悪いどころかちゃんとお返ししての送り出しじゃあないか。 佐川急便杯って、折角のワンデイトーナメントなのに中継も無くタイトルも掛からず、謎だったなあ。 藤波は「料理バンザイ」にゲストで出た時、司会の滝田栄を見上げて「滝田さん、大きいですね」としみじみ言っていた。
滝田は公称184pだけど、明らかに滝田が藤波を見下ろしていたのでレスラーの身長はハッタリかと子どもながら気づいた。。 >>696
IWGP 86' 追撃戦ってサブタイが入ってたよね?確か日曜の昼の興行だった様な? >>688
そう、赤パンの藤波。
藤波はNHKのひるどきにレギュラー出演していたけど、
加齢で縮んだのを差し引いても一般人と変わらなかった。
体力のなさもバレてしまったことがあり衝撃受けた。 >>695
アンドレは上田と84秒
猪木は坂口、マードック、スーパースターの三連戦ではね・・・
>>696
1000万円と優勝カップがあった
>>698
金曜日の夜 >>700
賞金つってもなあ、その形で新日にプレゼントしたんだろうか?
そしてそんなトーナメントで坂口、マードック、スーパースターとのシングル消費しちゃうのもなあ。 佐川急便が新日のタニマチとして大っぴらになったのはこの頃かな。
佐川会長は元々はジャンボ鶴田の後援会長だったそうだが、何故鞍替えしたのだろう? >>693
ブロディ木村鶴見の相手は馬場鶴田天龍のフルメンバー >>704
国際血盟軍がシンやブロディと国際色がない外人と組んでも国際イメージがない。
血盟軍は外人とも組める便利な枠だったが。 猪木の方はともかく、アンドレと上田のシングルは貴重だったのでは >>693
>ハンセンのラストマッチはマードックと組んで大阪での猪木、藤波戦。
蔵前でのMSGタッグ準決勝戦。
この年のMSGタッグの最終戦は大阪だから、これがハンセンのラストマッチだった。 >>709
たとえセミでもブロディからしたらビッグマッチでミゼットより順番が先になったら、
前座扱いされたと受け取ったんだろうな。 試合前からブロディは「今日は俺は十分しか仕事しないからな」って
宣言してたんだよな。その通りに十分で引き上げたという 昭和56年に猪木とパックランドがメキシコでWWF戦を行った記憶があるけど、それじゃあIWGPに向けてNWFのベルトを返上した意味ないよな >>712
猪木自身はその後タイトルに絡まなくなったけど、藤波にWWFヘビーに挑戦させたりWWFインターヘビー王座につかせたりしたしな。 ていうか親日の看板タイトルがNWFからIWGPになったようなもん。
タッグ王座も81年の北米タッグ封印後はしばらく設定はなかったが結局、85年にWWFインタータッグを復活。
だが、WWF提携切れが重なったので直後にIWGPタッグを新設(リーグ戦優勝組が戴冠)とあわただしい時期だった。
2王座とも藤波&木村健だったので記憶が交錯するなw ところでWWFインタータッグって親日初期にやってきたモンゴルズ(ジート&ボロ)も
初代のジート&べポ時代だがかつて保持していた。NY地区のタッグ王座はこれ以外に
USタッグやサモアンズやタナカ&フジらが保持したWWWFタッグ(WWE世界タッグの始祖)等があり
これらもまあ古い70年代の話なので王者変遷の詳細不明だわ。。 >>706
ブロディからしたら注目されるメインの下の試合なら『前座』と。
両国でもメインは鶴龍VSウォリアーズ。
ブロディはこの両国も『自分を前座に扱った』と。
例の長州とのタッグ対決。
移籍後のインタでそう語ってた。
あのシリーズはウォリアーズに注目が集まった。
それに我慢ならなかったブロディ。
こうなると試合順はあまり関係なかったと思う。
更に長州も全日登場したばかりで注目が集まってた。
そうなるとブロディは茅の外。
ブロディはそれが我慢ならず最終的に全日離脱。
ウォリアーズとも直接対決見たかったが、この時期は絶対に無理だろうな。
そんなブロディも新日では注目されたからまだ良かったのかも。 >>712
あったねえ。
でも何故メキシコで猪木VSバックランドのWWF戦?と思ったが。
確かにIWGPの為にNWF返上したのに別のタイトル挑戦は矛盾だ。
でも81年以降の新日は看板タイトルがなかった。
IWGPはまだ正式なタイトルではなかったし。
同時代に馬場はPWF保持していた。
ハンセンに取られたりしたが、まだまだ絡んでいた。
でも猪木は無冠。
ブッチャーもラッシャーもタイトル返上後に新日に登場。
ラッシャーはまだしもブッチャーはそれでタイトルマッチもなく。
もし猪木がNWF保持してたらブッチャーとのタイトルマッチは組まれただろう。
また北米タッグがあればブッチャー、アレンで挑戦と。
そうなればブッチャーの出番ももっとあった。
移籍直前に主要タイトル返上もブッチャーからしたら不運だった。
坂口の北米ヘビーにも挑戦もあっただろうし。
藤波のWWFインターにブッチャーが絡んでも意味ない。
あれは言わば藤波と長州の抗争の為のタイトルだったから。
全日ではシンはPWFやインタータッグには何度も挑戦した。
ブッチャーはとことん不運に尽きる。 >>716
ブロディの新日移籍前のシリーズ見ると半分以上メイン 80~84年はほぼメインだったからなぁ・・・ブロディ >>720
足4の字の状態のまま両者エプロンカウントアウトだったはず。3本勝負だったかな?デラプロで見た しかし今思うと、NWF封印からIWGPタイトル化までの何年もの間、
絶対エースの猪木がタイトル戦をせずによく話題をつないでいたもんだな。
むしろその時期の方が新日全盛期のテレビ視聴率だったし。 >>723
皮肉というか不思議だね。
81年にシンとハンセンの二大エースを引き抜かれた。
82年はその二大エース不在の状態。
逆に引き抜いたブッチャー、マードック、戸口はシン、ハンセンの穴埋めの存在にはならず。
にも関わらず82年は新日ブーム。
82年初頭の新間のコメント。
シンやハンセンが居なくなったのは残念。
でもうちはアントニオ猪木が看板。
それに他にも駒は沢山ある。
だからあの二人が居なくなっても全くダメージはない。
これは新間の強がりではなく現実だった。
まあ新間が強がりを言って、運良くそうなったのかも知れないが。
しかし82年は猪木が頻繁に欠場。
82年前半は長州革命前。
まあ佐山タイガーやホーガン大ブレイク、更に国際はぐれ軍団と駒はあった。
新間の言う新日本プロレスブームもビッグマウスではなかった。
今から考えると本当に新日のパワーを感じる。
猪木の頻繁欠場に引き抜いた三人が穴埋めにならず。
にも関わらずよくブームになった。
あとはIWGPへの幻想や期待感がそれを後押しした部分もあるが。
また更に大物を引き抜くのでは?との期待感も。
それらが同時期に交ぜ合わさって新日ブームとなったのだと思う。 ブッチャーと上田が持ってた
よくわからないローカルなベルト好きだった >>724
金曜ゴールデンで定時放映してたのも大きいな。やっぱあの時代でのテレビメディアの
パブリック効果は半端ない。 TBSの桜中学シリーズが終わって太陽にほえろ!もレギュラー陣が降板して
ワールドプロレスリングも猪木の衰えと共に衰退していく80年代中盤 >>726
やっぱりそうだね。
でも82年は実質佐山タイガーで持ってたもんだし。
まあ猪木の神通力はあったが。
欠場でも猪木の存在は大きかった時代。
あとはホーガンの大ブレイク。
それらの持ち駒で新日の黄金時代を築いた。
80年頃から新日は外人もかなり豪華になった。
そっから視聴率や観客動員数も増えていったみたいで。
しかしやはり佐山タイガーの存在が大きかった。
日本のプロレスで世間に浸透したのは三つ。
力道山
猪木VSアリ
佐山タイガーマスク
この三つだという記事があった。
かなり前の記事だが。
いつの記事か忘れたが、その時点では。
やはり佐山タイガーは世間にも浸透したし。
また佐山が天才的な動きができたのも大きい。
もしこれが三沢やジョージならあそこまでのブームにはならなかったはず。
三沢やジョージには悪いが。
タイガーマスクブームが猪木の存在をも食って。
82年秋からは長州革命。
あの大人しく地味で弱かった(と見られていた)長州の大変貌。
これがまた新日の人気に拍車を掛けた。
結果的に矛先の藤波をも凌ぐ人気と勢いを得て。
シンやハンセンが居なくなったダメージは微塵もなかった。 ドラゴンブームの頃は藤波に女性人気が集中してたけど
82年からUターンで帰ってくる87年位までは長州と小林は女性人気があったんだよな
天龍も革命後は妻帯者なのに女性人気が急上昇したよな
UWFだと前田と高田、若手だと武藤、山田、船木、野上が女性人気があった記憶 >>729
ドラゴンブーム以降の女性人気だと80年前後は健吾とジョージ。
小林、前田、高田は女性に人気あったが、長州、浜口は男に人気があった。
若手はまだ人気と言えるほどのものではなく、中野、安生、宮戸もU三銃士で人気があった。 レスラーのパンツはどちらかと言えばブリーフタイプなのに
なぜトランクスと言うのですか? ドラゴンブームに引っ張られる感じでライバルの木村健も女性人気が高まっていったな。
「健吾さ〜ん」て会場での黄色い声援もよく耳にしていた。 >>725
ブッチャーのベルトってカリビアンベビーだっけ?
81年のチャンカーの時、肩に担いで入場してて
その後、新日移籍のリング上で猪木に放り投げたぬ。
ブッチャーそのものより日テレで見たベルトがテレ朝に!って、そっちかい!って突っ込まれそうな感情があったわ >>736
あの曲、出だしが静かだからプロレスの入場曲には向かないよねw 85年か86年の2月14日に船木と野上がチョコ一番貰ったと週プロにあった。
ジ・アイドルズと。
後方で橋本と蝶野が0の指ポーズ。
0個だったと。
しかし年数が経って船木は離脱で野上よりも橋本や蝶野の方が遥かにビッグになった。 >>739
週プロのバレンタイン企画は面白かったよね
あの頃の蝶野はパンチで髭でケロからラーメンマンって仇名付けられてた
大矢、松田、片山の三人もあまり女性ファンの人気はなかったな
飯塚は多少付いてたみたいだけど >>738
でもブッチャーが使用したピンクなんとかの曲も出だしが地味だし 野上と船木は誕生日も同じなんだよね。
3月13日
野上20歳 船木17歳の誕生日が特集されていた。
『今日から酒が飲めるぜ』野上
『僕はコーラで我慢します』船木
こんなコメントが記載されていた。
しかし野上は大成せず。
船木は新日出て純粋なプロレスからも一線を引いた立場に。
船木は結局はプロレスに戻ってきたが。
二人とも三銃士と同期。
野上は残っててあんなだったけど船木は新日に残ってたらもっと売り出されたと思うね。 野上は一番吸収しなきゃならない時期に橋本にケガさせられたからな
キック多用する癖にレガース履かない橋本はクソ
キックを使わないくせに流行りでレガース履いた事のある
大仁田と石川隆士はマヌケだけど ジョーズのテーマはバンディ、ジョージのテーマはスピンクス 木村健吾
野上
飯塚
西村
このへんはレスラーとしての凄味や怖さを全く感じなかった。
また藤波みたいに怖さがなくても凄味や奥深さを感じる事もなく。
猪木、長州と殺伐としたものもなく。
また彼等は体が特別大きいわけでもなく、過去の肩書きが凄いわけでもなく。
またパワーが凄いわけでもなくて、これといったものがなかった。
もちろん殺伐としたものだけが大事なわけではないが。
にしても弱々しいというイメージが先行していた。
それが特に目立った。
彼等の持ち味は弱々しい姿だと。
一時期飯塚は格闘技色のスタイルになったがイマイチだった。 >>749
俺が言ってるのはそれこそ坂口や鶴田みたいな大きさという意味。
わかりやすく坂口や鶴田を出したが。
それかパワーが長けてるとかテクニックとか何かしら。
上記四人はそういう売りがなかったと。
弱々しいイメージをカバーするものを兼ね添えてなかったと思う。
しかし体が大きいだけでは木偶の坊にもなり兼ねないけど。
あの四人ならもし坂口、鶴田サイズでもただの木偶の坊だったかも知れないが。
そういうレスラーは他にもいたけどね。
全日にも。
よくレスラーになれたな、と子供ながらに思ったレスラーも確かにいた。
レスラー=強い レスラー=凄い 昔はこういうイメージや幻想があったから。 >>743
いや、初来日(昭和62年1月)のビガロは『ジョーズのテーマ』で入場していたよ。
だからあえて昭和スレに書き込んだんだよ。
バンディもそうだったっけ? >>748
中堅レスラーなんだからそんなもんだろう。
健吾もそれなりに屋台骨支えたし、野上や西村で悠々自適に、飯塚は与えられた役割真摯にこなしてる。 >>752
そうだね。
猪木、長州、藤波と並べるから見劣るのは当然か。
確かにそのレベルではないが、各々役割は果たしていた。
メインやトップがいて中堅や前座もいる。
昔は木村健吾も藤波や長州と並ぶ存在になるかと思った。
でも木村健吾はトップと中堅の中間の位置付けだね。
木村健吾、木戸、マシーン、越中、馳、後藤、野上、飯塚
このあたりが90年代の中堅層だった。
木村健吾、マシーン、越中、馳はトップやメインでも使えて。 バンディ、ビガロ以外にもいたよ。ジョーズのテーマは
まあ、似たような巨漢の外人のテーマ >>753
健吾は80年頃は藤波、長州を抑えてNO.2まで上がってた。
1980年9月30日、武道館4大タイトル戦は猪木、バックランド、藤波、健吾が主役で
11.3蔵前は猪木と健吾の2大タイトル戦がメイン。
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1980_kansenki/19800930_shinnihon.html
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/namakansenki/1980_kansenki/19801103_shinnihon.html UWFが戻ってきてから後楽園ホールのバルコニーの客達の
健吾へのヤジがキツイんだよな、長州達が戻って来てからも
調子に乗ってますますエスカレートした >>744
タカシのレガース姿は妖艶で良かった
ああいうのを男の色気っていんだよな 誤:ああいうのを男の色気っていんだよな
正:ああいうのを男の色気っていうんだよな
お詫びして訂正いたします 大量離脱で焼け野原みたいな時にワープロでのケンゴの『稲妻!』は唯一明るく笑えたんだよなw ジュニアでは藤波のライバル、大量離脱後の藤波木村組は名チーム、ベテランになっても平成維震軍の重鎮として控えてた。
エースにはなれなくとも新日本を語る時には欠かせない選手だよ。
あと以外とデカい。 >>743
バンディは新日では違うよ。ビスカヤってバンドの曲。
かなり後年にIWAジャパンに来たときがジョーズだった・・らしい >>759
大都市だと健吾が「稲妻!!」とアピールして放つと目茶苦茶盛り上がるが、地方だとどうだったんだ? 年末の大阪城ホールの唐突な藤波戦から
年明けのシングル連戦とワンマッチ興業で決着
後楽園の鉄棒入りの稲妻で勝ったと思ったら無効試合
木村を焚き付けたのは猪木だって話だけどマジ? 鉄パイプ問題はどう考えても事前に藤波と打ち合わせが行われただろ
あのやり取りが無ければ藤波がケンゴごときにピン負けを許すはずがない
ケンゴが引退試合に藤波を指名したのに無視したぐらいだし 鉄パイプには笑わせてもらったわ
あんなアングル誰が考えたんだよ
リングのスプリングを固定するのはおもしろかったな
パイルドライバーがやけに痛そうだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています