【ヒギンズ】昭和の新日本プロレス3【ジム・ドゥガン】
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>>278
猪木は英語、スペイン語、ポルトガル語がペラペラというのは嘘だったなw
そのくせ30年ぐらい前のバラエティ番組で英語教室をやってた 英語力は相対評価になるから、「英語ができる」とかいっても評価する人によってだいぶ振れ幅があるよ。
猪木だって、スピードラーニングのCMに出ている人たちのレベルではしゃべれるんだろ。
キラーカーンは自分で「俺はある程度英語がしゃべれる」と言っていたけど、谷津によると在米中にカーンに世話になったものの、簡単な英語の看板も読めなかったと馬鹿にしていた。
谷津の話も信憑性があまりないが。 >>293
坂口から蹴り一発千円だっけ?
でも貰えなかったみたいだが。
後藤と橋本が相手で坂口から煽られて。 もともとグスタフはそこいらのデブあんちゃんでしかなかったんだよな
アティサノエと変わらん グスタブって態度悪かったらしいけどブロディとかに教育されなかったのかな? >>298
ブロディとグスタブは揉めたらしいよ。
週プロはグスタブを叩きまくり。
グスタブを『クズタブ』とまで表記して。
巨漢で活かせばいい味出たと思ったが。 グスタフは巨体にやさしい系のいい顔してたからまったり系の中堅レスラーとして使えばウケたと思う グスタブはビガロに顔立ちが似てた。
ビガロを更に優しくした感じで。
あの木こりスタイルのコスもそれなりに良かった。
ただ全くのデカイ素人かキャリア浅い新人か?
サイズ的にはビガロやベイダー以上だった。
全日だと確実に活かせなかったから新日で正解。
と言っても新日でもアレだったが。 グスタブが使える奴だったら東体の猪木の相手はブロディからグスタブに変えたんだろうか? 使えなかったデカい奴と言うとガリー・ガスパーも酷かったな
すぐにクビにされていた
逆にそんなに期待されてなかったのに好評だったのが
全日に初来日した時のワンマン・ギャング
ギャングは後にWWFでも長く活躍してたから基礎ができていたんだろう >>303
後のランド・オブ・ジャイアンツの片割れ >>287
同じダラスでの有望株との対戦となると二年前の馬場とバンディとの対戦も思い出す ビガロ以外のモンスターファクトリー出身者はみんなハズレ物件 グスタブは元々の出自がカーニバル・レスラー
と、いってもレイスが若い頃やってたような
「街々のイベントで腕自慢で素人の挑戦とか受ける喧嘩自慢」
〜『あしたのジョー』でジョーが落ちぶれて素人相手にやってたようなヤツ
(あっちはボクサーだけど)
のような「カーニバルレスラー」ではなくいわゆる本当の「見世物」
〜でかくて野人のような異様な風貌をした力持ちの怪物が力自慢をしてみせる〜
というやつだからね(Gアントニオもコレ)
花園神社の縁日に出る蛇少女とか火吹き男みたいなもの
あまり大ぴらに口にすると良くないけど
こういう生業をやってる人ってのはちょっとオツムに…ってケースも多いし
いわゆるこの板で語られるような「プロレスラー」ってのともちょっと趣が違うから
プロレス興行に出てきた場合も
バス引っ張ったり腹を殴らせて高笑いしてみせたり
若手の2人掛け3人掛けで押し潰したリしてみせるのが彼らのお仕事
場合によってはそうやって傍若無人にふるまう“怪物”を
最終的にその地区のエースが「制裁」して退治するとこまでがセットのあくまで見世物
だからプロパーのレスラー間にある「業界の掟・秩序」なんかには無頓着だし
元々オツムも…な人だから調子コイて往々にしてバックステージでも揉めたりする
巨漢の怪物キャラといっても「プロレスラー」のブロディやアンドレやビガロなんかとは
元々の立ち位置自体が違うから
「こういう風に使ったらもっとレスラーとして〜」なんて議論はあまり意味が無いかと アメリカのレスラーの大半がトラック運転手が副業で地元の小さい興行に上がるとかそんなんだろ。
本気でプロレスで成り上がろうなんて、一握りだよ。
日本に呼ばれる時点でレスラーの中じゃまだエリートともいえる。 >>310
ホーガン「84年にWWFが全米侵攻した時に各地区のテリトリーが潰れて批判された。
ただ、平日にKマートで働いてるデカイ奴が週末にプロレスをやるというのがなくなり、
本物のレスラーだけが残ったのはいこと」 藤波や初代タイガーの防衛戦のフィニッシュ技はジャーマンの場合がかなりある。84年夏に猪木が長州にかけたジャーマンあたりからフィニッシュにならなくなってきたのかな >>285
サムライTV開局間もないころ
「闘いのワンダーランド」で放送されてたね。 >>312
藤波はJr.王者時代でWWFインターヘビーではジャーマンはないのでは?
長州が初めて勝った試合で藤波のジャーマンをカウント2で返した。
ここからタッグはともかく、シングルでのジャーマンがフィニッシュにならなくなった。 第一回IWGPで猪木が前田のジャーマン、ドラゴンを連続クリアは酷いと思った
あと寺西もジャーマンを没落させた一人かなぁ
佐山タイガー戦での固い感じのブリッジや
タッグ戦の中盤で勝たせてもらえる格ではない天龍に仕掛けたのが印象にある >>314
一応正規軍vs維新軍の対小林邦昭戦と、猪木引退試合当日の、佐々木健介戦の2試合がジャーマンフィニッシュだな >>317
長州、藤波、健吾vs三銃士で武藤が健吾をロープへ振ったらロープが切れた。
フィニッシュは藤波か武藤にジャーマンだった。 >>318
タッグならそれもあるね。健吾のロープワーク時だっけ、危うく場外に真っ逆さまに落ちそうになってたな。
武藤も蝶野もロープワーク使おうとして途中で止まってるのを見て、いざロープが切れても自然と身体がロープワーク使おうとするんだなと思った。 あと若松の介入はあったけど、ストロングマシーン1号との両国シングルもドラゴンスープレックス決着か 猪木が83年ブラディファイトSの浜口戦で決めたフィニッシュは、バックドロップ・ホールドだよな。
ゴングでは猪木の原爆2年ぶりに復活!とか書いてあったけど。 モンスターファクトリーつうと主宰のラリーシャープって国際や全日じゃ員数扱いだったが
親日では扱いよかったな。シェイスタジアムで猪木のNWFに挑戦、ブラディFでも北米単複に
挑戦。受けのいい理由でもあったのかw? >>319
ロープがなくなった時、レスラーの実力、地に足のついた投げ技や固め技ができるかどうかが分かった。
ロープが切れて武藤と蝶野がやり辛いようだった。
武藤はムーンサルト、側転エルボーができなくなった。 コンガ・ザ・バーバリアンにジャーマンやった時は
藤波の上顎に相手の背中が乗って骨折したんだよな
しばらくマウスピースして試合やってた 藤波の歯がコンガの背中に刺さった。
若手がコンガの背中から歯を抜いて、藤波と小鉄が「くっつきますか?」と病院に行った。 蝶野もベイダーにジャーマンして口に怪我しなかったっけ >>317
ウェイトの差もあってか小林戦では物凄い角度とスピードだった記憶
その後で藤波が腰を押さえていたのも印象的で >>326
「いいとも」で「唇がとれたかと思った」って言ってたな >>321
あのバックドロップホールドを以降もフィニッシュ技として使い続ければ良かったのにと思うなぁ >>321
81年8月のマスクドスーパースター戦以来ってことだね。 >>320
ジャーマンの話してるのになぜ急にドラゴン まぁ藤波のドラゴンというならIWGPタッグリーグの猪木があるが、アレが最後になるのかな、フィニッシュとしてのドラゴンは >>321
野村克也がレギュラーで出てた『速報!TVスタジアム』という番組に猪木がゲスト出演した時、
観覧席の大学生が「こないだの浜口戦のは岩石落としに見えたんですけど」と言ったら、
「そうね、ちょっと捻ってね…」とか言って猪木も認めてたね。
この日の猪木はブラディファイト・シリーズ最終戦の福生からヘリ移動しての出演で、
一緒に移動した古舘と猪木の名勝負ビデオを紹介する特集だった。 第1回IWGPの頃に地元の書店で闘魂スペシャルを発見したときは喜び爆発したなぁ。でも、それが新日のパンフだと分かって、そりゃ新日だけの内容でマンセーしまくりな訳だなとw でもそれ以前のペラペラパンフも今思えば味わいあるね。本日のカードが斜めにスタンプされてたりw >>335
89年4月の初めてのドームでのIWGPヘビー級王座決定トーナメント第1試合で
蝶野がベイダーをジャーマンで投げたが顔の上に落とすような形になったから怪我したかも。
両国で健吾が猪木をジャーマンで投げたが自分の顔に猪木の背中を落としてのび太。 バックランドのジャーマンはキラーカーンに決めた時とか、かなり速さも角度も説得力あったけど。
新日では一度も見せなかったのは、猪木に遠慮したのかと思うのは考え過ぎか? ジャーマンが初めて跳ね返されるのを見た(雑誌で知った)のは
レイスvsバックランドのダブルタイトル戦だったか
チャボvsドスカラス(タッグだったかな)のどちらかで
ショックだったのを覚えてる >>330
この試合で首悪くしてジャーマンしばらく封印したとかどこかに書いてあった記憶ある。
猪木がジャーマンでフォール勝ちした選手の中で一番体大きかったのはスーパースターかな。 ビリー・ジャックにもジャーマンしてたね
スーパースターとどっちが大きいかな? スーパースターのあのジャーマンの受け方は首に悪そう。 >>317 >>327
84年前半辺りだとそこまで体重差は無いんじゃないのかな
小林邦も普段は100kg超えていただろうし
藤波はジャーマンの使用頻度が減った81年から明らかに腰の状態が悪かったからね
>>337-338
新日初登場の試合(猪木/木戸vsバックランド/トニー・ガレアのタッグだったっけ?)でジャーマンを披露していた筈
>>340
猪木が首を悪くしたのは76年12月のルスカ戦で猪木がロープブレイクしているのにルスカが逆エビを離そうとしなかったせいで
ルスカの体重が必要以上に猪木の上半身に掛けられて首がつんのめる様な形になったのが原因だというのが定説じゃなかったかな ヒギンズは本当に故人なのかな?
生きてたら何か情報ありそうなもんだが。 >>344
かといって亡くなったとかいう情報も、今のところはない >>344-345
ボックも故人説 所謂(いわゆる)死亡説が濃厚だった。
しかし数年前にゴングスピリッツに登場して見事に健在 立派に健在だった。 >>339
75年の猪木vsロビンソンで50分過ぎにロビンソンがジャーマンやってる。
固めたがカウント2で猪木が返したような記憶が・・・。 >>347
あれはホールドしない、今で言う投げっぱなし式じゃなかった? >>345
俺は見た事(死んだって)あるけどね、まあ他人の事は知らん。 86年にビリージャックに決めたジャーマンも失敗気味だったし
86年IWGPの大阪城で藤原に決めた時はまぁまぁだったけど
両国の決勝でマードックに決めたのはブリッジが潰れちゃってた >>326
89闘魂Sでのバックドロップだな
蝶野は24針縫いベイダーも腰を痛めて救急車で運ばれ入院した >>334
テレビで古館が闘魂スペシャルの店頭販売も宣伝してたから、見に行けなかったシリーズ分は欠かさず買いに行った。
でも84ビッグファイト第一弾から三冊セット通販のみになってしまい、このパンフを買うことが出来ず。
限定販売だったから売り切れですよって手紙が入ってた。 >>346
デビッド・シュルツも死亡説あったよね。
でもレスラー引退後バウンティハンターで生計立ててる様子が多分ゴングだったと思うけど取り上げられてた。なんからしくていいなと思ったよ。
銃を手にポーズ決めるシュルツが絵になってたw ホールドしないジャーマンというとシュツットガルトでボックが猪木にやったのもえぐかった。
それ以上にえぐかったのが正座式のパイルドライバー。あれはヒヤッとした。
シュツットガルトのボック対猪木戦をテレビで流したことを、馬場が「ああいうものを流しちゃいかん」とチクリと否定したって話があったけど、本当かね。 >>355
世界丸見え特捜部で特集されてたよ。
俺はプロレスよりこっちが向いてるって言ってた。 バックランドも全日で鶴田相手に危ない落とし方した事あったっけ
ダブルアームスープレックスで投げようしたけど投げ切れず、
垂直落下ダブルアームDDTの体勢のまま崩れ落ちた >>340
猪木のジャーマンは相手より先に自分の頭が付いてしまう場合が多い >>360
あれはまずいと思う。ストロング小林戦もそうだもんな。 後年に雑誌で見た昭和53年か54年のMSGシリーズでの猪木VS藤波戦で、猪木が藤波をフォールしたジャーマン。写真で見るかぎり凄くきれいに投げて固めてた。ノーテレビだったらしいのが残念… >>360
それが正しいジャーマンだと主張する輩が一部に湧いていたよな。
曰く「鶴田がインタータッグ戦でテリーに決めたジャーマンは、テリーの頭が先に落ちているからバックドロップホールドだ。」とケチつけていたw バクドとジャマスの論議かいな。
アノキは相手のケガやダメージを和らげる為だろ。
確かにバクドとジャマスは似とる。
ジャンツのニパトにサカグのニアタ
スタハのラリアにハルホのアクボ 猪木のジャーマンと言えばストロング小林戦のジャーマンはどう見ても失敗だよな
型が崩れている >>362
ゴングだかに頭側からの写真が出てたが、小林戦と同じで頭が先について藤波の体が上の方に残ってた。
>>365
ただ、ジャーマンというと、猪木vs小林戦なんだよね。
変な形だけどインパクトが強くて、ジャーマン=猪木vs小林戦 81年の猪木の流星仮面へのジャーマン、たしかワープロOpで早々にダイジェスト映像流して
ネタばれみたいな事やってた。あれでインパクト半減したなw >>366
それは猪木信者だけだろ
ジャーマンといえば佐山タイガーのキッド戦 >>368
佐山タイガーvsキッド戦はメインじゃないし東スポ、雑誌の1面にも載ってないから、
認知度としては猪木vs小林のが上だろ。
@猪木vs小林
A佐山vsタイガー
以下、5vs5での藤波vs小林邦昭、馬場、鶴田vsファンクスの鶴田のテリーへのジャーマン、 >>367
俺は逆で、あのOP見てテンション上がりまくったよ。
「おお、今夜は猪木のジャーマンが見れるんだ!」「試合のどの辺で出すのかな?」って感じで。 アントニオ猪木のジャーマンスープレックスホールドはイマイチだな。
マスクドスーパースターとビリージャックに決めたか。
アントニオ猪木は体は柔軟だったが。
藤波辰爾は体が固かった。
でもドラゴンスープレックスホールドが決め技だった。
1985年にはアントニオ猪木とスーパーストロングマシーンをフォール。
長州力はさすがにジャーマンスープレックスホールドはやらなかったな。
佐山サトルのタイガーマスクはタイガースープレックスホールド。 猪木のジャーマンは昔は定評があったみたいだね。
ゴングか月プロに書いてあった。
猪木にはシンやハンセンみたいな大型をジャーマンで葬って欲しい。
そんな記事があった。
80年か81年頃の記事かな。 ジャマスはアノキよりカルゴっちゅうイメージだな。
アノキっちゅうたらマンガやアムブ、エンズ、アリキ、ナクパーが定番で。
アリキはドロキはうまくないと言われていたが、エンズは見栄えが良かった。
フジナはドロキは見栄え良くでもエンズはダメ。
チョリキのエンズは見栄えは問題外。 >>362
秋田でやったんだけどこの年から秋田のABSで水曜深夜に
ワールドプロレスリングが見れるようになったんですわ
OPとEDの提供テロップはカットだから秋田の人は
月曜20時の同時中継までOPのテーマを知らなかった インパクトのあったスープレックス系
ジャーマン 猪木vs小林
ドラゴン MSGでの藤波vsエストラーダ、猪木をフォール
タイガー 佐山は何度も使っているからインパクトのあるのは思い出せない。
オースイ 井上vsマジックドラゴン。投げないで後ろに転がったw
前田がオンドーフにやったWアームでフォール
スタイナーズの投げっぱなしフロントとジャーマン
鶴田のベアハッグで止めてからのフロント
ボックのWアーム、ゴッチがアンドレに決めたジャーマン・・ 猪木が小林にやった自分の頭が先に着くジャーマン
鶴田がテリーにやった超低速ジャーマン
高田が両膝ついたままブリッジしたジャーマン 鶴田はハーリー・レイスを真っ逆さまに落として試合後レイスに怒鳴り込まれたらしいな >>379
佐山タイガーデビュー戦のvsキッド戦の間違いだ。スマン チャボゲレロは新日本時代にジャーマンのイメージがあまりないなぁ…… スレタイ見ててだが、ちょうどドゥガンの初来日は猪木ジャーマンが復活した81年サマーシリーズだったな。
殆どTVにも出なかったが割とラフ中心に元気のあるファイトだったと思う。
その後、中南部あたりで一気に名を挙げて再来日を望まれたけど、ちょっとアメリカナイズされすぎて
ダメだったな。。 あとヒギンスというとどうしても「哀愁のカサブランカ」のAOR歌手の
バーティヒギンスが出てくるw >>382
その後のブラディファイトシリーズじゃなかったっけ? >>383
あ、そうだっけ、 記憶が交錯してますたw 年取るとだめね。。 猪木が元気だった頃はワープロのオープニングで逆立ちしてアンドレの首に足をかけてフランケンシュタイナーみたいに投げ飛ばしてたな >>366
小林戦のジャーマンは型としては失敗だが足が浮き上がるくらいのインパクトでフォローした感じ
ちなみに竹内宏介氏は猪木のジャーマンのベストは日プロ時代の同じ蔵前のアジアタッグ戦でストロハイムに決めた一発だと書いている >>363
あの一発で日本における鶴田の日本でのメインエベンターとしての地位が決まったとも言えるが同時にテリーの受身の上手さも大きい
ちなみに同時期の新日本での最強タッグ戦でも一番のインパクトは三本目の猪木のゴッチ初フォールでなく一本目のテーズのバックドロップなんだよな >>375
オースイスープレックスはもともと佐山のようにジャーマン式に投げるんではなく
井上のようにバック取ってローリングして固める技だよ 本家のアル・コステロのオースイスープレックスを
見たことがなかったので探してみた
https://youtu.be/YbGM1YGkkRs?t=12m37s
388さんの言うように投げずにローリングだね 井上はインタージュニアではオースイを多用していたな >>382
ジムデゥが初来日したのは81年ブラファ。
サマファはアブチャ初参戦。
ジムデゥは風貌からスタハ二世とか言われとったな。
あとジムデゥはスティウィとも似とる。
81年ブラファはスタハとアンジャが組んだりウマノスも最後のシンニプロレ参戦。
最終戦デンコでは伝説のスタハとアンジャのシングル。
ラシャキ初登場の例の挨拶。
地味にサカグとコバヤのアイダブ予選リーグ戦も。
タイトの扱いは気の毒だった。
最終戦でアノキとシグマ組まれるもラシャキに話題を奪われ。 >>385
ありゃアンジャのカナディをアノキがリバスで返したシーンだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています