【ヒギンズ】昭和の新日本プロレス3【ジム・ドゥガン】
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このスレ初めて見たから、唐突な話題ですまないけど
1987年の年末ぐらいに、当時のジュニア戦士の主力が和気藹々とチャンコ?かなんかで対談収録してなかった?
前田の謹慎中だと思ったけど、UWFの山崎と長州軍のヒロとかが冗談を言い合ってたり
あと正規軍の越中なんかも加わって、要は三軍が垣根をこえて楽しくやってるたいな…
時期的にも軍団構成上は不穏な関係なはずなのに(特にUWFと長州軍)、逆にああいう雰囲気になったのは何かストーリー的に必然があったの?
当時はまだ中学生ぐらいだったから、毎週見てるわけじゃなくて、夏の状況や秋の後楽園や巌流島、両国の藤波vs長州ぐらいは見てたけど、年末にああいう雰囲気になってたから違和感があったんで。 >>247
たぶんそうでしょ
マードックアドニスはマードックスーパースターが四位に落ちたこと考えても上位進出はない
アンドレは第二回を除くと毎年のように決勝にすら出ず
猪木坂口は藤波木村に譲りそう
しかしブロディ組逃亡によって決勝戦に出てくるのが猪木組かアンドレ組かはわからん >>248
Uを吸収合併しようという流れはあったよ。
その一環だろうね。 >>234
マスカラスは引き抜こうとしたけどマスカラスが全日を選んだ
デビアスはキラー・カーンの仲介で来日決まったけど馬場がストップかけたんだっけ? >>234
81、82年あたりだと新間が欲しかった外国人は色々といただろうけどw
猪木自身が本当に欲しかった外国人っているのかなあ?
強いて言えばレイスかフレアー
と、言ってもレイスやフレアー自身ってことじゃなく
要は現役か近々のNWA王者に「一度」勝って
「ほら、今やNWA王者なんていってもこんなもんだよ」って
例の調子でやりたかったくらいじゃあないかな
謂わばロビンソン大木戦の意趣返しみたいなかんじで >>247
その場合は、当初通り猪木・藤波組、坂口・木村組での参戦だな。
猪木はタッグ王座なんて欲しくないから、ブロディ組が優勝。
翌年に、藤波・木村組が奪取するパターンだと思う。 >>255
追記:ブロディ優勝だから、ボイコットはしない。 >>255
> 翌年に、藤波・木村組が奪取するパターンだと思う。
負けブックを嫌々呑んだブロディが当てつけに
藤波からのはずがまさかの健悟の稲妻に寝てみせる掟破り! >>258
賞金マッチね、バラ撒いた金は千円だったけど >>255
IWGPタッグの新設は藤波の猪木フォールを称えるという形だからタッグリーグで王者を決めるという発想は最初は無かったんじゃないかな スタッドは新日に登場したが、移籍とか殆ど話題にならなかった。
新日もスタッドは特に欲しいとも思わんかったはず。
新日でのスタッドの扱いを見ればわかる。
バックランドが84年最強タッグで馬場のミステリアスパートナー候補だった。
でも交渉決裂?でラッシャーに。
バックランドが全日に参戦したらハンセンと同じパターン。
全日→新日→全日と。
でもハンセンみたいに大々的に売り出されるとは思えん。 新日本でのスタッドとなるとやはり絶頂期のIWGPの象徴という印象 >>262
IWGPと闘魂シリーズで猪木とのシングルが2回もテレビマッチになってたもんな。
翌年には全く出なくなってそのままお払い箱になったが。 スタッドvsアンドレなんていつものアンドレと違う感じで
面白かった。米国でやってたようにスタッドの攻撃
受け過ぎでアンドレが弱々しく見えた。 すげー期待したんだけど三分くらいで終わって拍子抜けしたw スタッドはテレビ中継で全敗なんだけど弱い印象はなかったな。
○前田・坂口(スロイダー)スタッド・●ベラ
○猪木(延髄斬り)●スタッド
○アンドレ(ヒップドロップ)●スタッド
○猪木・坂口・木村(延髄)アンドレ・スタッド・●カネック
○猪木・前田(延髄斬り)ホーガン・●スタッド ← こん時ホーガン嫌いになったw 86年、それまでずっと馬場派のプロモーターと思われてたフリッツフォンエリック、
あくまでビジネス優先の姿勢でエリック兄弟を親日マットに送った。エリックランドといえば
ブロディにとっても関係が深い。 アメリカに対する配慮らしい
アンドレと抗争してるスタッドが日本ではタッグ組んでるのを見られたら困る、みたいな。
80年にアンドレハングマンvs猪木バックランド対戦が中継されなかったのもそんな感じ。 >>270
アンドレvsローデスもWWFの2大ベビーフェイス同士の試合がテレビで流れたらマズイとのことでノーテレビだった。
バックランドがWWF王者の頃はアンドレ、ローデスとの絡みはWWFと連絡を取り合わないといけなかった。 >>267
スタッドは技がない以上に動きが遅すぎてウドの大木という印象だったけどな。
コンビクトみたいな怪奇派というわけでもなく、売りになる要素が見当たらなかった。
力道山時代なら、適役のバカでかい外国人というだけで需要はあっただろうけど。
>>268
日本だけでなくアメリカでも上がるリングが無くなりつつあったブロディも
エリックランドだけは使ってもらえたらしいからな >>273
デビットが日本で死んだとき薬捨てたりして隠蔽工作に寄与してるから? >>268
そもそもエリックは修行時代の猪木と絡んでるので馬場より付き合いは古いんだよな
もっともこの時点の提携はブロディが橋渡ししたのか >>274
あれってブロディがデビッドの名誉を守るために棄てた説と、ジョー樋口が
馬場と全日がトラブルに巻き込まれるのを恐れて棄てた説の二種類あるんだよな
当事者全員がこの世にいない今、どっちが真相だったのかは永遠に闇の中だ >>273
>>274
というか1984年のWWF全米侵攻からNWA各テリトリーは崩壊・合併吸収が続いてアメリカのテリトリー制自体が崩壊していった。
そんな中で1985年〜86年のブロディはダラス地区のエリック、そのエリックと提携関係だったヒューストンのポール・ボッシュ、
後はプエルトリコのカルロス・コロン。ここら辺しか上がるリングがなくなっていった。
ブロディはエリックランドの“番頭格”だったし、言うことを聞いた数少ないプロモーターがポール・ボッシュだった。
>>275
おそらくそうだろうね。
ケビンとケリーが新日本に初登場したのが1985年10月。
この時点でブロディはまだボイコットする前で、何らかの形でフリッツと新日本の仲介をしたんじゃないかな。 猪木に外人レスラーの友人が少ないのは英語がまともに喋れないと言うのが根本にある
パット・パターソンは数少ない猪木派だったが
猪木があまりにムスッーとして喋らないので心配してスキ焼きが食える店に
連れて行ってやったと言うのが切っ掛けだし >>277
そしてダラスまで斜陽になった時点で新日本と再度の手切れとなったブロディとしてはもはや全日本へのカムバックしかなかったんだよな
あれはブロディから頼み込む形だったので立場的にも相当弱かったとか ブロディの上がれるリングが少なくなったのは、セントルイスの興行戦争でマティシック派に肩入れしたせいで
レイスやガイゲルに睨まれたことも影響してるんじゃないのかな ブロディが新日の未払いのギャラ回収する為にまた新日に
あがったけど、その金はWCCWとのブッキング料だった
んじゃない。
ネットで読んだ気がする。 >>276
時間になってもロビーに降りて来ないのでジョーが部屋に行ったら死んでて
ブツがあったのでトイレに流したというのが本当っぽい。 ダラスとの提携の最大の意義はやはりスティーブ・ウィリアムスの日本初上陸か >>275
絡んでるといっても格が違いすぎ
日プロ時代でも大人と青年って感じ >>279
全日本の状況も、もはや昔とは全く違っていたからね。
それでプエルトリコのキャピトル・スポーツ・プロモーションズにのめり込んでいったからな。
トニー・アトラスの話だと、キャピトルの株主になっていたというし。
ハンセンのように早々とプエルトリコから手を引けばよかったのだが・・・
>>283
1985/12/25: WCCW Christmas Star Wars Reunion Arena in Dallas, Texas
3. Antonio Inoki vs. Steve Williams
この猪木vsウィリアムスが見てみたいんだが、どうしても映像が見つからないんだよな。
当日はブロディも参加していたんだが、この13日前に'85IWGPタッグリーグ戦・最終戦をボイコットした
ブロディと猪木はバックステージでどんな会話をしたんだろうか。
ボイコット翌日にブロディが「猪木は当日ダラスでオレの目を見れるのか」と話していたけど。 >>276
両方じゃないかな。
一石二鳥で。
まあ一石二鳥ってのは適切ではないか。
でも両方発覚したら最悪な絵図。
自分が棄てれば双方が守られる。
比重は自分等が巻き込まれない為だろうが。
それでブロディ達の名誉も守られると。 >>285
当時の雑誌で見た記憶ある。
ウイリアムスは全く知らなかったけど。
ウイリアムスはバワー満点の新人と書かれていた。
確か猪木が延髄斬りからフォールだったかな?
ちと結果は記憶が曖昧だ。
ウイリアムスは知らなかったし、この時に初めて存在を知った。
でも特に気に留めず。
ただの知らない外人と猪木のシングル程度でしか見てなかったし。
ブロディボイコットの方に神経が向いてたから。 >>285
ワールドプロレスリングアンソロジーDVDに収録 >>289
IWGPタッグリーグ終了後に海外遠征って事でTVで放送した記憶 リュニオンアリーナは全日本と新日本の双方の中継で流れた貴重な海外会場 >>288
あの時代にバス引っ張ってももう客は呼べないわな
ハンディ戦なのに最後は橋本に蹴りまくられる始末 >>278
猪木は英語、スペイン語、ポルトガル語がペラペラというのは嘘だったなw
そのくせ30年ぐらい前のバラエティ番組で英語教室をやってた 英語力は相対評価になるから、「英語ができる」とかいっても評価する人によってだいぶ振れ幅があるよ。
猪木だって、スピードラーニングのCMに出ている人たちのレベルではしゃべれるんだろ。
キラーカーンは自分で「俺はある程度英語がしゃべれる」と言っていたけど、谷津によると在米中にカーンに世話になったものの、簡単な英語の看板も読めなかったと馬鹿にしていた。
谷津の話も信憑性があまりないが。 >>293
坂口から蹴り一発千円だっけ?
でも貰えなかったみたいだが。
後藤と橋本が相手で坂口から煽られて。 もともとグスタフはそこいらのデブあんちゃんでしかなかったんだよな
アティサノエと変わらん グスタブって態度悪かったらしいけどブロディとかに教育されなかったのかな? >>298
ブロディとグスタブは揉めたらしいよ。
週プロはグスタブを叩きまくり。
グスタブを『クズタブ』とまで表記して。
巨漢で活かせばいい味出たと思ったが。 グスタフは巨体にやさしい系のいい顔してたからまったり系の中堅レスラーとして使えばウケたと思う グスタブはビガロに顔立ちが似てた。
ビガロを更に優しくした感じで。
あの木こりスタイルのコスもそれなりに良かった。
ただ全くのデカイ素人かキャリア浅い新人か?
サイズ的にはビガロやベイダー以上だった。
全日だと確実に活かせなかったから新日で正解。
と言っても新日でもアレだったが。 グスタブが使える奴だったら東体の猪木の相手はブロディからグスタブに変えたんだろうか? 使えなかったデカい奴と言うとガリー・ガスパーも酷かったな
すぐにクビにされていた
逆にそんなに期待されてなかったのに好評だったのが
全日に初来日した時のワンマン・ギャング
ギャングは後にWWFでも長く活躍してたから基礎ができていたんだろう >>303
後のランド・オブ・ジャイアンツの片割れ >>287
同じダラスでの有望株との対戦となると二年前の馬場とバンディとの対戦も思い出す ビガロ以外のモンスターファクトリー出身者はみんなハズレ物件 グスタブは元々の出自がカーニバル・レスラー
と、いってもレイスが若い頃やってたような
「街々のイベントで腕自慢で素人の挑戦とか受ける喧嘩自慢」
〜『あしたのジョー』でジョーが落ちぶれて素人相手にやってたようなヤツ
(あっちはボクサーだけど)
のような「カーニバルレスラー」ではなくいわゆる本当の「見世物」
〜でかくて野人のような異様な風貌をした力持ちの怪物が力自慢をしてみせる〜
というやつだからね(Gアントニオもコレ)
花園神社の縁日に出る蛇少女とか火吹き男みたいなもの
あまり大ぴらに口にすると良くないけど
こういう生業をやってる人ってのはちょっとオツムに…ってケースも多いし
いわゆるこの板で語られるような「プロレスラー」ってのともちょっと趣が違うから
プロレス興行に出てきた場合も
バス引っ張ったり腹を殴らせて高笑いしてみせたり
若手の2人掛け3人掛けで押し潰したリしてみせるのが彼らのお仕事
場合によってはそうやって傍若無人にふるまう“怪物”を
最終的にその地区のエースが「制裁」して退治するとこまでがセットのあくまで見世物
だからプロパーのレスラー間にある「業界の掟・秩序」なんかには無頓着だし
元々オツムも…な人だから調子コイて往々にしてバックステージでも揉めたりする
巨漢の怪物キャラといっても「プロレスラー」のブロディやアンドレやビガロなんかとは
元々の立ち位置自体が違うから
「こういう風に使ったらもっとレスラーとして〜」なんて議論はあまり意味が無いかと アメリカのレスラーの大半がトラック運転手が副業で地元の小さい興行に上がるとかそんなんだろ。
本気でプロレスで成り上がろうなんて、一握りだよ。
日本に呼ばれる時点でレスラーの中じゃまだエリートともいえる。 >>310
ホーガン「84年にWWFが全米侵攻した時に各地区のテリトリーが潰れて批判された。
ただ、平日にKマートで働いてるデカイ奴が週末にプロレスをやるというのがなくなり、
本物のレスラーだけが残ったのはいこと」 藤波や初代タイガーの防衛戦のフィニッシュ技はジャーマンの場合がかなりある。84年夏に猪木が長州にかけたジャーマンあたりからフィニッシュにならなくなってきたのかな >>285
サムライTV開局間もないころ
「闘いのワンダーランド」で放送されてたね。 >>312
藤波はJr.王者時代でWWFインターヘビーではジャーマンはないのでは?
長州が初めて勝った試合で藤波のジャーマンをカウント2で返した。
ここからタッグはともかく、シングルでのジャーマンがフィニッシュにならなくなった。 第一回IWGPで猪木が前田のジャーマン、ドラゴンを連続クリアは酷いと思った
あと寺西もジャーマンを没落させた一人かなぁ
佐山タイガー戦での固い感じのブリッジや
タッグ戦の中盤で勝たせてもらえる格ではない天龍に仕掛けたのが印象にある >>314
一応正規軍vs維新軍の対小林邦昭戦と、猪木引退試合当日の、佐々木健介戦の2試合がジャーマンフィニッシュだな >>317
長州、藤波、健吾vs三銃士で武藤が健吾をロープへ振ったらロープが切れた。
フィニッシュは藤波か武藤にジャーマンだった。 >>318
タッグならそれもあるね。健吾のロープワーク時だっけ、危うく場外に真っ逆さまに落ちそうになってたな。
武藤も蝶野もロープワーク使おうとして途中で止まってるのを見て、いざロープが切れても自然と身体がロープワーク使おうとするんだなと思った。 あと若松の介入はあったけど、ストロングマシーン1号との両国シングルもドラゴンスープレックス決着か 猪木が83年ブラディファイトSの浜口戦で決めたフィニッシュは、バックドロップ・ホールドだよな。
ゴングでは猪木の原爆2年ぶりに復活!とか書いてあったけど。 モンスターファクトリーつうと主宰のラリーシャープって国際や全日じゃ員数扱いだったが
親日では扱いよかったな。シェイスタジアムで猪木のNWFに挑戦、ブラディFでも北米単複に
挑戦。受けのいい理由でもあったのかw? >>319
ロープがなくなった時、レスラーの実力、地に足のついた投げ技や固め技ができるかどうかが分かった。
ロープが切れて武藤と蝶野がやり辛いようだった。
武藤はムーンサルト、側転エルボーができなくなった。 コンガ・ザ・バーバリアンにジャーマンやった時は
藤波の上顎に相手の背中が乗って骨折したんだよな
しばらくマウスピースして試合やってた 藤波の歯がコンガの背中に刺さった。
若手がコンガの背中から歯を抜いて、藤波と小鉄が「くっつきますか?」と病院に行った。 蝶野もベイダーにジャーマンして口に怪我しなかったっけ >>317
ウェイトの差もあってか小林戦では物凄い角度とスピードだった記憶
その後で藤波が腰を押さえていたのも印象的で >>326
「いいとも」で「唇がとれたかと思った」って言ってたな >>321
あのバックドロップホールドを以降もフィニッシュ技として使い続ければ良かったのにと思うなぁ >>321
81年8月のマスクドスーパースター戦以来ってことだね。 >>320
ジャーマンの話してるのになぜ急にドラゴン まぁ藤波のドラゴンというならIWGPタッグリーグの猪木があるが、アレが最後になるのかな、フィニッシュとしてのドラゴンは >>321
野村克也がレギュラーで出てた『速報!TVスタジアム』という番組に猪木がゲスト出演した時、
観覧席の大学生が「こないだの浜口戦のは岩石落としに見えたんですけど」と言ったら、
「そうね、ちょっと捻ってね…」とか言って猪木も認めてたね。
この日の猪木はブラディファイト・シリーズ最終戦の福生からヘリ移動しての出演で、
一緒に移動した古舘と猪木の名勝負ビデオを紹介する特集だった。 第1回IWGPの頃に地元の書店で闘魂スペシャルを発見したときは喜び爆発したなぁ。でも、それが新日のパンフだと分かって、そりゃ新日だけの内容でマンセーしまくりな訳だなとw でもそれ以前のペラペラパンフも今思えば味わいあるね。本日のカードが斜めにスタンプされてたりw >>335
89年4月の初めてのドームでのIWGPヘビー級王座決定トーナメント第1試合で
蝶野がベイダーをジャーマンで投げたが顔の上に落とすような形になったから怪我したかも。
両国で健吾が猪木をジャーマンで投げたが自分の顔に猪木の背中を落としてのび太。 バックランドのジャーマンはキラーカーンに決めた時とか、かなり速さも角度も説得力あったけど。
新日では一度も見せなかったのは、猪木に遠慮したのかと思うのは考え過ぎか? ジャーマンが初めて跳ね返されるのを見た(雑誌で知った)のは
レイスvsバックランドのダブルタイトル戦だったか
チャボvsドスカラス(タッグだったかな)のどちらかで
ショックだったのを覚えてる >>330
この試合で首悪くしてジャーマンしばらく封印したとかどこかに書いてあった記憶ある。
猪木がジャーマンでフォール勝ちした選手の中で一番体大きかったのはスーパースターかな。 ビリー・ジャックにもジャーマンしてたね
スーパースターとどっちが大きいかな? スーパースターのあのジャーマンの受け方は首に悪そう。 >>317 >>327
84年前半辺りだとそこまで体重差は無いんじゃないのかな
小林邦も普段は100kg超えていただろうし
藤波はジャーマンの使用頻度が減った81年から明らかに腰の状態が悪かったからね
>>337-338
新日初登場の試合(猪木/木戸vsバックランド/トニー・ガレアのタッグだったっけ?)でジャーマンを披露していた筈
>>340
猪木が首を悪くしたのは76年12月のルスカ戦で猪木がロープブレイクしているのにルスカが逆エビを離そうとしなかったせいで
ルスカの体重が必要以上に猪木の上半身に掛けられて首がつんのめる様な形になったのが原因だというのが定説じゃなかったかな ヒギンズは本当に故人なのかな?
生きてたら何か情報ありそうなもんだが。 >>344
かといって亡くなったとかいう情報も、今のところはない >>344-345
ボックも故人説 所謂(いわゆる)死亡説が濃厚だった。
しかし数年前にゴングスピリッツに登場して見事に健在 立派に健在だった。 >>339
75年の猪木vsロビンソンで50分過ぎにロビンソンがジャーマンやってる。
固めたがカウント2で猪木が返したような記憶が・・・。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています