>>798
あなたは理解していたかも知れませんが、じゃあ他に誰がいたでしょうか?
93年にUFCから97年PRIDEまでの4年間タイムラグあるのに
ヒクソンに幻想を持っていたというのは、理解していなかったということになります。
マウントP・ガードPって言葉が独り歩きしていただけ。

さらにヒクソン船木が2000年、ホイス吉田は02年。吉田は形上勝利こそしましたが
グラウンド打撃がないルールはMMAじゃないでしょう。吉田や柔道界からも
対戦前から柔術の寝技軽視の声は上がっていたと思います。

日本はプロレスっていう大衆に認知された格闘エンタメの幻想と
柔道という巨大なアマ格闘技組織、大相撲っていう巨体国技、極真という
世界ネットワークが存在したため、MMAの進出と対応が非常に遅かったと思います。

下手に桜庭がグレーシー狩りしたのも柔術理解の浸透が遅れた原因かもしれません。
振り返って、VTを避けた・後の猪木アリ状態を示した・2回のペールワン戦で
ガードPと下からのアームロックをUFCの20年近い昔の76年に見せている猪木は
やはり凄かったのかなと。

上記した年度は通勤中に調べながら書いてるので、間違ってたらすいませんw