タイガージェットシンの全日時代、ブッチャーの新日時代
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シンは83最強タッグの
クリーンファイトをするふりをして馬場、ドリーを困惑させる試合がいい シン ブッチャーの共通の主な対戦相手
【日本人】
猪木 馬場 坂口 鶴田 藤波 長州 天龍 ラッシャー 輪島 木村 原 上田(意外だが)
谷津 石川 井上 渕 三沢(タイガー時代含む) 川田 小橋 田上
【外人】
ハンセン ブロディ ホーガン アンドレ ファンクス マスカラス ドス
カネック レイス ニック アレン スレーター
まあ二人は最強タッグで組んだからその時の参加チームは共通の対戦相手になるが。 シン ブッチャーが組んだ共通の主な相手
【日本人】
カーン(ブッチャーは海外で組んだことあるらしい)
他にいたっけ?
【外人】
ハンセン アレン カマタ シーク
これも二人は通常シリーズでも組んだ。
そういう時は必然的に同シリーズ参加外人とは組んだことになるが。 >>23
安生
シンとはハッスルで、ブッチャーとは全日マットでマスカラス兄弟と対戦してる。 >>24
そっかラッシャーがいたわ。
あとようつべで見たが、90年頃にアメリカでビガロとブッチャーの対決があった。
ビガロはシンとも新日で対戦しとる。
ウイリアムスやゴディとも双方対戦してんな。
意外にもシンとウイリアムスはIWAジャパンで。
あとスーパースターもシンとブッチャー双方と組んだか。 全日80年代前半のシリーズは、シン、上田が中心のシリーズと
ハンセン、ブロディが中心のシリーズが交互に組まれてるんだよね。
(最強タッグは例外)
だからシンはシリーズのメリハリ付ける結構重要なポストに
据えられていた気がする。
ブッチャーも新日ではパッとしないイメージだが
地方の集客力はズバ抜けていたという。
だからあえて83年のIWGPには出さないで
次のシリーズに温存していたとか。 鶴見って意外に無さそうな気がする。
まああってもおかしくないが。
でも鶴見はずっとシンとは組んでいた。
また血盟軍でもあり。
でもラッシャーが88最強タッグで馬場と本格的に組んでからは血盟軍は事実上消滅。
そっからブッチャーと組んだ可能性はある。
でもシンとブッチャーの仲間割れ以降はシンと組んでブッチャーと対決。
鶴見はシンを『ヒールの手本でもあり、人間的にもやりやすい』と言ってた。
でも鶴見とブッチャーが組んだ事あってもそんな驚きでもないが。 新日本時代にブッチャー絡みの対戦で見たかった相手
アンドレ
カーン
バックランド
スーパースター
ハンセン
ボック
サモアンズ
全日本時代にシン絡みの対戦でで見たかった相手
リッキー
フレアー
ウォリアーズ
ストンパー
デビアス
エリック兄弟
あとシンはマードックや戸口との対戦も見たかった。
ほぼ入れ違いだったが。
後にドクとは組んだけど。 シンが全日で伸び悩んだのは上にもいろいろあるけど、技が少なかったこともあるだろうなーと
殴る蹴ると凶器攻撃とコブラクロー 個人的にコブラクローが不味かった気がする 単なるチョークだもんな
猪木との試合では「あれは反則だ!」「いや合法だ」とか論争になったり
話題をふりまいたりできたが。新日はシン☓猪木一本槍で勝負してたからそれでよかったけど
外人レスラーの多い全日ではシンに話題を注力するわけにいかんもんな
シンは新日以前にコブラクラッチを得意にしてたことがあるが、全日で復活させればよかったのに
国際から全日にきたトーアカマタが国際では使ってなかったジャンピングキック使い出したみたいに
ブッチャーはその点毒針エルボーや山嵐バックフリップ、地獄突きと技が豊富だからなあ >>31
猪木戦ではブレーンバスターとかアルゼンチンバックブリーカーなどの多彩な技で勝ってたのにね。
全日へ移籍したら途端に地味なレスラーに成り下がった。 >>33
それはまずないだろ。
新日時代だって大物外人が揃ってた。
されをシンが萎縮していた様には見えなかった。
単純に全日が合わなかったっちゅうか新日が合っていた。
だから全日が合わなかった様に見えた。
むしろ国際のエースだったスミルノフやジョーこそ萎縮してた感じが。
ただシンには首4の字をもっと使って欲しかった。
何かの記事であったのだが。
新日時代や全日初期はシンは首4の字は完全にロックしていた。
しかし完全にロックすると本当に締まって失神してしまう。
シンはそれを注意された。
それで全日時代中盤あたりからは首4の字でもロックせず。
だからただのヘッドシザースにしか見えなかった。 全日のシンしか知らないんだけど、
3流パートナーと組んで最強タッグに出て
ハンセン&ブロディと闘ったとき
全く臆せずに、サーベルもって相手を襲ってるのみて
これはスゲェと心から思いました
でもその当時から周囲の仲間たちは
新日時代の方がよかったとか言ってたのも事実かな ブッチャーの新日末期は「おわったひと」だったねぇ
全日復帰して、TNTと組んでの最強タッグ
地元の新潟では、入り待ちのファンたちが大歓声でブッチャーを迎えたよ
そしてブロディ&スヌーカ組との対戦はおれの瞼の名勝負のひとつ
ブロディ相手に一歩も引かぬ攻防を見せ、
ハイライトは尻をついたブロディに後ろからスリーパーをしかけ、
さらに脳天にフォークを突きたてて大流血に追い込む凶悪ファイト
最後はTNTが、これまた信じられないほど美しい
スーパー・フライに敗れたけれど本当に素晴らしい試合だった
あれがノーTVだなんて、ほんとうに惜しい。。。みんなに見て欲しかった >>37
後の新間が著書でブッチャーとボックは残念だったと書いているらしい。
当時の新日はプロレスに市民権をと表して、その一貫としてリングドクターを
設置してしまった。もっと両レスラーを美味く使いたかったのだが心臓だったかに
欠陥がありドクターストップが掛かって活躍させる事が出来なかったらしい。
ボックはまだしもブッチャーを健康診断かけちゃったら、そりゃダメだよねww >37
TNTは逸材だった 全日新日両メジャーで高評価された まさかWINGいくとは・・・ >>36
それは84年最強タッグだね。
シンはマイクショーというのと組んだ。
上田と仲間割れ→上田新日Uターンでパートナー不在だった。
まああの試合でシンはハンセンやブロディに全く臆してない。
むしろハンセンがシンに苦手意識あったらしいが。
でも新日時代のシンの方が確かに良かった。
更に良かったと言った方が適切かな。
なんやかんや言ってもシンは引き出し多かったと思う。
だから猪木と8年も抗争を続けられた。
あとは『シンは何をするかわからない』という期待感。
また猪木とシンの抗争は紐解けば新宿襲撃事件や腕折り等で最初に色付けされた。
また猪木を倒してタイトル奪取という箔も。
そういう手の込んだ事があったからこそ8年も続けられた部分もあっただろう。
まさか当初は『8年も続く』『8年続ける』なんちゅうのは全くなかっただろうけど。
新日側も当事者同士の猪木もシンも。 シンは80年代以降はどうも運に恵まれなかった感じ 全日ではどうもうまくいかなかったが、
とどめはハル園田夫妻の事故死だろう
この事故のニュースを見てたら、スーツに身を包んで髭を
たくわえた外国人の紳士が出てきて「残念だ」みたいなことをいってて、どっかで見た人だがだれだろう?
と思ってよく見たらシンだった この事故の件でシン素を人前で出しちゃった
以降は「ウーシン!」とかやってたがさすがにまずいと思ったか新日に戻った でももう時代が違うからか
思うようにはいかなかったな ドームの長州戦くらいか印象にあるのは 武藤を血だるまにしたりしたがアレは
ムタVSシンへの前フリだと思ってたんだけど実現前に出ていってしまって残念だった 見たかったなムタVSシン >>41
シンの方もカブキ、石川に断られて最終的に
行きたくないという園田を南アフリカの遠征に
連れてったという負い目があったのかも。 >>41
シンは薗田アフリカ行きの一件を、ものすごく後悔していたみたいだからな。
最強タッグでブッチャーと組んだのも、そのお詫びの気持ちかららしいし。 シンの首4の字ってコブラシーザースって呼ばれてたな
猪木もアレで失神した事あったけど、猪木曰わく『アレは本当はオレの方が得意なんですよ!』
確かに昔の猪木の動画見ると首4の字で相手顔真っ赤にしてもがきまくってんのよく見るわw
小林も相当苦しんでたな >44
首四の字はもともとサーカスとかでレスラーがクマと戦ったりする見世物マッチから誕生した技で、
これでレスラーがクマを締め上げてるのを見たことがある そういえばシンは駆け出しのころワニと
戦ったりしてたっけ クマとも戦ったかも? >>47
前からよくそれは言われてるね。
ゴングスピリッツでも言ってた。
初来日の全日初参戦でブッチャー、新日初参戦でシン。
これは参考になり、運が良かったと。
特にシンには相当な影響を受けて。
ハンセンが暴れて入場もシンの影響。
これもかなり前に何かで語ってた。
猪木生前葬儀でシンも参列予定だった。
この日にハンセンと再会は楽しみだったがシンは欠席。
残念無念何でやねん いまあらためて考えても、なんで輪島のデビュー戦の相手がシンだったんだ? 元横綱の輪島の相手は、話題性も考えて格のある選手である必要がある。ヒールのシンなら反則裁定で、お互いの格を落とさずにすむ。 >51
ああそうか 反則裁定で決着をうやむやにできるしな
あのころのシンならプロレス知らない人でも名前は知ってるヒト多かったもんな
ゴールデン時代だったからなー
たしかこのころ新日にいったマードックが全日復帰を画策してて、この輪島戦の相手をやりたいて
馬場に売り込んできたらしいね でもマードックだといろいろと弱いか? レスリングシーンのない乱戦につぐ乱戦でボロが出ない。 >>49
まず>>51にある様にシンの知名度。
名前が知れてない相手より知名度ある相手の方が話題性、宣伝効果も。
あと前に宝島に書いてあったのだが。
シンの力量。
ベテランで日本のプロレスをシンは熟知していた。
それで馬場が敢えてシンを相手に選んだ。
そしてシンはヒールだから乱戦主体だが、シンなら輪島にも花を持たせる事ができる。
ブロディやマスカラスと違って。
そこから輪島はまずはシンとの抗争でステップアップと。
馬場はそれを狙ったらしい。
まあそんな馬場の期待に応え(られ)たかは別にして。
輪島とシンの試合の動画を見直すとシンも輪島に見せ場を作ってる。
むしろ試合を作ってるのはシン。
キャリアがない輪島が試合を作れるわけがないし。
むしろシンを褒めたいな。 シンからすると馬場はフレッドアトキンス門下の兄弟子になるから萎縮する部分があったとか聞くね 輪島の日本デビュー戦って、シンが場外で投げたイスが鉄柱に当たって
馬場の顔面を直撃していたよな。あれは本当に痛そうでかわいそうだった。 >>56
その後に控え室でシンが膝まづいて両手合わせて馬場にお詫びの姿が目に浮かぶ。
もう31年も前か。 >>57
そうかな
何しろ馬場だから、ハプニングで笑いが取れて
「してやったり」て感じだったんじゃなかろうか
試合後にシンが謝罪に訪れたであろうことは想像に難くないけど
馬場は「まぁまぁ^^」て笑顔で葉巻を差し出したとか妄想w >>58
でもシンは真面目だからねえ。
逆にあれで馬場が大怪我してたら大変だったな。
欠場並の大怪我。
あの日は最終戦だったけど。 >>56
そうか?
俺はざまぁwww
と、思ったが。 >>48
残念無念何でやねんとか書いてて恥ずかしくないんかなこいつ 75年の新日でシンが猪木を倒してNWF王座奪った試合見たが、この試合でシンが見せた
ブレーンバスタースゴイな エプロンの猪木にロープ越しに決めてたけど、持ち上げてから
ちょっと歩いてそこから思いっきり猪木を投げ捨ててマットに叩きつけてた これ全日では出さなかったな 89年の最強タッグのシン・コールの爆発でやっと全日本のシンもこれからという感じだったのに翌年に新日本に戻ってしまったのが残念だった 89年か・・・翌90年は日本マット史上空前の変動期になっちゃったからなあ あのころすでにメガネが
いろいろ動いてたらしいけど、シンも情報収集はしてただろうし、あのシンコールは自身の全日での
フィナーレだと思ってたかも 惜しまれて去る事こそベストだったかもな
フレアーと共にアンドレ・ウィリアムスとの円満トレードという感じだったか 確かにこの90年を境に色々と外人トレード的な動きがあった。
アンドレ→全日
ウイリアムス→全日
ウォリアーズ→新日
シン→新日
フレアー→新日
馬場⇔坂口ラインだからできた。
ハンセンやビガロも新日⇔全日とハシゴ参戦。
ウイリアムスは年間通して新日⇔全日と。
これに便乗してベイダー、ゴディ、ノートンも新日⇔全日のハシゴ参戦して欲しかった。
せめて92年頃まで続いたら日本人もそうなったかも。 >>66
猪木が佐川会長の委任状を取り付けて実質的に筆頭株主になってしまったからな。 91年ころか、ブッチャーが馬場とのシングルを要求してジャンピングネックブリーカー使い出して
あの体でちゃんと飛んでみせて、生でもみたけど凄かった あのころブッチャーまだ動けてたなー
シンは技のレパートリーをあまり増やさなかったな 新日で猪木相手にアルゼンチン出したりしたけど
以後の全日やFMWで新しい技を出すことはなかったもんな >>68
新間は藤波やタイガーに、定期的に新しい技を公開しろと言うようなことを言ってたらしいし、シンにも新間がその手のこと言ってたのかも >>68
横浜スタジアムでは大仁田相手にラリアット、キャメルクラッチ出してた。
全日時代末期にラリアットを出して。
まああの頃は半分はシャレみたいな感じで。
まあシンは腕が太いからラリアットは説得力あるが。 >>62 その試合YouTubeにある?
探したけど見つかんなくて シンは技が少ないという意見が多い。
でもこれまで長年通して見ると意外に多い。
あと凶器も様々で豊富。 >>71
確かリングの魂の企画で猪木負け試合ベストテンみたいなやつがYouTubeにある >>72
シンが使った技
コブラクロー、ブレーンバスター、首4の字、バックドロップ、トーキック
ストンピング、ソバット、アルゼンチンバックブリーカー、ヘッドバット
ヘッドロック、スリーパー、足4の字、パイルドライバー、地獄突き
インド式スリーパー、インド式足4の字、デスロック、エルボーバット
キチンシンク、マンハッタンドロップ、ラリアット、キャメルクラッチ
チキンウィングフェイスロック、シュミットバックブリーカー、ボディスラム
ダブルアームスープレックス、ニードロップ、キーロック、コブラツイスト
腕ひしぎ、STF気味のグランド(足をロックして首を極める体勢の) >>72
シンが使った凶器
サーベル、ターバン、ビール瓶、イス(三脚)、机、傘、五寸釘、フォーク
スプーン、火炎、ゴング、小槌、バケツ、パウダー、ホウキ、スパナ
カメラ、カメラボックス、フェンス、靴(観客の)、鞄(観客の)、砂
タッチロープ、ブルロープ、雑誌(観客の)、マイク、マイクコード
テレビカメラ、空き缶、ヘルメット(観客の)、自転車、チェーン、
ボールペン、紙テープの残骸、コスチュームの上着、鉄パイプ、ハシゴ
レフェリー(レフェリーを掴んで相手にぶつけた)、ハサミ、電話(会場の?)
灰皿(コンビニに置いてある種類)、鉄柱、コーナーの器具、場外フェンス >>74-75
俺も実際に会場や放送や動画や雑誌の写真。
記憶に残ってるのを書いた。 シンの凶器でチャンピオンベルト、ジュラルミンケースなんてのもあったように思う
あと地方で見たんだがブッチャーが馬場、小鹿に場外で出店のジュースを冷やす為の氷を奪い攻撃していたことがあった >>77
あったねえ。
ベルトで叩いたりと。
ジュラルミンはカメラボックス?
探せばもっとあるかも知れない。
あと大阪でのテリー戦では試合終了後に大きな木の板を持ち出してた。
それでテリーを攻撃しようとした。
テリーはよけたが。 TVで見たけど、山本小鉄のカバンを凶器に使ったことがある。
それで怒った小鉄がシンに殴りかかって、会場が「小鉄コール」。 >>79
それって81年5月の大阪でのMSG公式戦のダンカン戦?
それともシン復帰後の91年2月の千葉での6人タッグの時?
どちらもシンと小鉄は揉めて乱闘になった。
千葉では小鉄がシンにイス攻撃。
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5O8G1 シンと上田は大きな凶器使いが上手くて迫力あった。
ブッチャーとシークは小さな凶器を巧妙に使いこなした。 90年代にアノキとタジェシ、ウマノスの絡みを見たかった。
92年ヨコハアリナでサカグ、コバヤがタジェシ、ウマノスと対戦。
できればアノキ、サカグで見たかった。
あの状態のコバヤでは無理があった。 今日4月3日はシンの74歳の誕生日だな。
猪木が75歳。
生きてれば年を取って最期は消えるのが定めだな。 >>72
’60年代〜70年代に活躍した選手は、
技が少ないと言えば少ないよ。
FVエリックは、クロ―。デストロイヤーが4の字、
ガニアがスリーパー、KKコックスがブレーンバスター、
サンマルチノがベアハッグ、
皆、ひとつの技に磨きをかけていたからね。
たまに、ガニアがバックドロックを見せると
新鮮だった。
その後、誰も彼もが色々な技を使うようになったが
シンはその中間の世代だな。 >>90
確か地方で2〜3回シングル組まれたはず。
それを放送しないのは勿体なさすぎ。
このシリーズはマシーン軍団増殖が目玉。
更に増殖を若松が匂わせたり、実況でその旨を言ったり。
また初来日のバンディも目玉で。
しかし上田とブッチャーの対戦は放送して欲しかった。
そこに戸口を絡めたら興味深いカードになったのに。
あとはマシーン軍団とブッチャーを対戦させたり。
メンバー的には色々なカードが組めた。
前半と後半にはホーガンも参加したし。
まあホーガンは王者としての参加だから絡ませられないか。 >>91
ブッチャーはホーガンがいない期間の参加だったから、最初から絡みようがなかった。 >>92
85年新春黄金って開幕戦にブッチャーいなかった?
ホーガンは開幕戦にいた。
猪木とタッグ対決の途中でマシーン軍団が乱入。
猪木とホーガンが手を組んでマシーン軍団撃退。
そしてホーガンは中開きで後半(終盤)にまた来日。
バンディも途中からの参加だったか。 ハルホとキンバの対決あったな。
アブチャは既にお呼びでない状態。 シンは上田、ブッチャーはアレンと組んでいる時は良かったけど、
シングルではキツかった印象。 >>96
あったよ。
81年のMSGシリーズ公式戦、名古屋だったと思う。
テレビ収録されたらしいがシンの全日転出でお蔵入りという話。 シンは輪島戦で輪島に指示をしながら戦っていたように見えたが 100だが、輪島に試合作るのは無理だからシンが試合を作ってた。 輪島は強かったんだろうけど、動きがぎこちなくて、プロレスの
センスは無かった。
シンが試合相手なら、ボロが出にくいという馬場の配慮だったん
だろうね。 輪島に取ってシンは強敵と言われていた。
でも実際には輪島も楽だったろう。
シンが試合を組み立ててちゃんと輪島の見せ場を作るし。
疲れたらクロー チョークで一休み。
シンが輪島の見せ場を作って最後は逃げる。
これで『輪島強し』のイメージを。
片や天龍はガチでキツかったと思う。
固いのをガチでバンバン入れてくるし。
87年〜88年は輪島に取って『前門の虎、シン』『後門の狼、天龍』と書かれていた。
しかし実際には『前門の神様、シン』『後門の鬼、天龍』だっただろう。 ハンセンも輪島には露骨にセルしてたね。
ブロディは全日に帰ってきた時
「ワジマとの試合も楽しみだ。彼に伝えてくれ。
俺にはシンとハンセンを足して、その上プラスアルファがあるとな」
とコメント。いかにもブロディらしい言い方で印象に残っている。
でも結局シングルマッチは無かったんだっけ。 シンは輪島の足腰の強さが凄いと言ってた。
ブッチャーは輪島はタフだと評価。
ハンセンは輪島は倒れても起き上がる根性があると。 アブドラー•ザ•シン
タイガー•ジェット•シーク
ザ•ブッチャー >>107
アブドラーじゃなくて、アブドーラでしょう? 輪島って結局何で引退したんだっけ?ケガだっけ?借金返済できたからだっけ? >>111
明言はしなかったが借金完済が理由だったように記憶してたけど、
Wikiで確認してみたら
>大相撲時代からの仲良しだった
>プロレスラー石川敬士の退団と同時に1988年12月に引退した。
↑
こう書いてあってワロタw
借金返し終えてモチベーションが下がってたところに
仲良しの退団が重なって、もういいやってなったのかな うろ覚えだが、
発表は輪島の引退の方が
早かったような気がする。
俺は石川が輪島の後を追って
辞めたと思ったよ。 >>114
プロレス転向時に日テレが肩代わりして二年であらかた返済って感じだったのかな? >>114
いまとは規模が違うからね
大メジャーTV局の番組の視聴率が
輪島登場で露骨に跳ね上がったんだ
プロレスとしてはなんかへぼい記憶があって
専門誌がそろって絶賛してるの見て呆れてたけど
そんな専門誌読む層ではなく、
多くの一般人がチャンネルでプロレスを選んだんだよ
それ以外のいろいろなプロレスアングルがどうでもよくなるくらいの
おおきな功績を、あの時代に輪島は残しているのだよ たった2年かぁ〜凄いな当時は。
相撲の親方時代には大問題になるほどの相当な額の借金だったはずがね。 >>112
借金は結局自己破産して処理したんじゃなかったっけ?
それだったら返済とか考えず、
最初からそうしておけばよかったというオチだったような気がする。
まぁ、自分がしでかした借金じゃなく、妹の事業失敗のとばっちりを
受けた形だから同情の余地はあるけどね。 >>118
そうなんだ?でも考えてみたら、
俺が何かで読んだのは、プロレスやめた時点で
すでに借金はなくなっていたという事実だけかも
おれの脳内補正が大きすぎる可能性あるねw 輪島はもっと早く入れば良かった。
実際には輪島が相撲引退してすぐに馬場が誘ったらしい。
でも輪島が断り。
そして時間が経ち、様々な(悪)状況を抱え。
もうプロレスしかない!とやむを得ず。
輪島としてはプロレスは本位ではなかった。
でも仕方なく。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています