【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】
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友美ですか。
→トモミ→智美→という流れなのかな。 >>742
すべてクエストから出たDVDの違法アップロード
あまり話題にするなよ >>741
マッドドック・バションも
日プロが初来日(昭和43年)
でも、馬場や猪木とは合わなかったんだな。 >>749-750
バションは日本で売り出すには小さ過ぎるからね
特に当時の全日だと下手したら観客の目にはガタイの大きい馬場鶴田の方が悪玉っぽく見えてしまいかねないし >>751
バションはアメリカ・カナダの一般人男性よりも背が低いから、馬場の持論である
「ヘビー級の大男同志の戦い」には向いてないから全日で一回も呼ばなかった。
新日もおそらくそういう考えで呼ばなかったんだろ。そこを国際が拾った感じがする。 体の厚みもあるのかな、でもコロフも呼んでいない(平成になったから来たけど)。
参戦回数は少ないけどブルクラ、スティーブンス、モラレスは別格? >>754
モラレスは馬場の親友だったからね。スチーブンスはこれまた馬場の親友のニックの伝手で
全日に来てた。ブルクラはタッグで名を売ってたからそのネームバリューで得してた感じ。 >>719
それはそうだよ。
木村の人生そのものがすごいドラマチックやん。 >>741
バションは米国ではセミクラスのコックスをエースにした日プロに不満爆発させて、日プロからお呼びがかからなくなったんだよ。 イカ天審査員だったラッシャーのコメントは
頭の回転の速さあった >>757
バションは昭和43年、日プロ、秋のダイヤモンドシリーズに
初来日、AWAやモントリオールでは世界王者になったのだから
馬場のインターにも挑戦してもオカシクないが
緒戦で、ノンタイトルで馬場と戦い、メチャクチャに暴れて
反則負け。日プロの首脳が「こんな奴と馬場をタイトルマッチで
闘わせるわけにはイカナイ」と判断したと聞く。
あと、体格的に見劣りする、そんな小さい選手に馬場が苦戦する
ところも見せられないし。
とにかく、バションはケンカをやらせたら、ブルーザーと同様、
横綱級だったらしいからね。 馬場は自著においてバションについて、小粒だがあきれるほどタフであり、基本がしっかりとしていて文句なく超一流のレスラーだったなどと記している[28]。 ブルクラが国プロ初参加したのは、
AWA経由で参加とはなっているが、
これまで常連の日プロが崩壊寸前で
とても呼べる状態ではなかったので、
国プロとしてはこの機を逃す手はなかった。
実質ブルクラがAWAテリトリーで活動していても、
それまでは日プロに参加していたわけだし。 >>759
体格的に見劣りする、そんな小さい選手に馬場が苦戦する
ところも見せられないし。
馬場は性格的にケンカができないから、小柄でもバションみたいな一線を越えた
ケンカファイトで向かってくる選手はかなり苦手なんだろね。馬場とバションなら
大人と子供のケンカで、そんなバションに馬場がやられっぱなしだったら馬場の
観客動員力が落ちて営業にも響くから、日プロ幹部の判断は正しかったと思うわ。 >>755
馬場にドロップキックを手ほどきしたのはモラレスと言われるね。 >>762
70年以降日プロに行ったAWA圏の主要レスラーはデストロイヤーだけじゃないかな
ガニアから国際行きの指令があったが断って日プロに来た、と男気エピソード的な記事を見た記憶がある レイスの自叙伝に書いてあったけど、レイスもAWAに居た時にガニアから国際へのブッキングの話があったけど断ったと書いてた >>765,>>766
ギャラの面もあったんだろなあ。国際に行ったところで、
日プロや全日を上回るとは思えない。 馬場は小柄なデストロイヤーとは手があったけどね。
バションも小柄な実力者って意味ではデストに似てるが。 >>765
デストロイヤーがドクターXの名で
AWA圏でファイトした(一時AWA王者)のは
68年の一時期では?
その時は、国際はAWAと提携していなかったし。
デストロイヤーは71年に日プロに来襲した時、
ハワイあたりで試合をしていたと思うよ。
まぁ、彼は渡り鳥レスラーだよ。
>70年以降日プロに行ったAWA圏の主要レスラー
主要レスラーかとうどうかは微妙だが
71年夏に、一応元AWA王者のイゴール・ボディックが
来襲しているな。全くの一杯食わせ物だったが。 769だが、確かにデストロイヤーは
70年以降、またAWA圏でファイトしていたな。(^^:
そこで72年頃、ガニアから国際行きの話があっただろうな。
行ったら、S小林のIWA挑戦、草津との4の字対決か!?
もしかしたら木村と金網戦。
むしろ、M井上と良い試合をしたかも知れないが、
でも、やはり選んだのはG・馬場のいるリングということだな。 デストロイヤーはガニアについて「ワガママな奴だった」と良く言ってないね
まあガニアを良く言うレスラーは外人でも少ないが >>771
AWAからWWFに転出して大成功したホーガンにやっかみ、アイアンシークに
試合でホーガンの足を骨折させたら高額報酬払うからと買収工作したくらいの
性根の悪さがガニア。晩年は自己破産してるから罰が当たったんだろ。行った
先の老人ホームではスリーパーで入居者を殺人か殺人未遂にしてる。 >>772
老人ホームの件はスリーパーでなくボディスラムで床に叩き付けて死亡事故だったと思う
まあどっちにしても既にアルツ状態でカッとなってってことらしいけどw
ホーガンの件はその件も酷いけど
その話自体はなんかプロレス的な悪のロマン(虎の穴の報復的)風なモノも少し感じさせるけどw
個人的にそれより酷いなと思うのはホーガンをAWAに縛り付けるため
自分の不細工な娘を無理やり押し付けようとしたって話
イイ歳して自分の娘の友達とやっちゃうようなホーガンが
まだ若い頃に手を出さずにとっととWWFに逃げ出したってどんだけ不細工でイヤだったんだろうってw >>773
結局その娘はラリー・ズビスコに嫁がせ、ズビスコがAWA王者に。 もしホーガンがガニアの娘と結婚したら子供は男だったら将来的にさあ、
父親はもちろん、母方の祖父もだし。何の話かはまあww ガニアの娘の写真、ゴングかプロレスで見た記憶ある
不細工ではないけど垢抜けない田舎娘って感じだった >>775
ホーガンのアレは遺伝なの?ステの副作用で真っ先に言われる事だから懐疑的に見ちゃうな。
大谷はお父さん見た時「ああ、遺伝だ!」と分かったw >>777
ホーレス・ボウダー見ると遺伝というか家系なんだろうなって思う。 ホーガンの結婚式には猪木も出席しててワールドプロレスリングでも流れたな >>780
ボウダーはホーガンの母親がおばあちゃんなんだよな
グラジエーターは従兄弟だけどホーガンの家系とは血の繋がりはないんだよな YouTubeにアンドレのフランス時代の試合が上がってるけど、器用貧乏な感じの試合ぶり
相手に合わせすぎて怪物感が無い 今日は全日本との対抗戦の日
屈辱のアジアタッグとのダブル戦とはいえ草津と井上が蔵前のメインを張れたという意味は大きい
その意味では後の新日本での変則マッチでの浜口と寺西も思い出す ガニアは同じスリーパーホールドの使い手のマークルーインと
ガニアと似たような禿げ具合いのキラーカールコックスはAWAに呼ばなかった ある団体に呼ばれた選手は、
そこのトップレスラーの得意技は
封印するというのが仁義だからな。
猪木が日プロでコブラを切り札にしてから
Wスナイダー、デストロイヤー、Jバレンタインといった
コブラの名手が日本では、使わなくなった。
ブラジルは、日プロで、大木がいるのに
ヘッドバッドを使ったが、そりゃ仕方がない。 アンドレ、フランス時代はハンサムだったんだろうな…
あの顔立ちからしたら悪くはなかったと思う >>776
ゴングがまだ月刊誌の時に、ガニアの家庭訪問でガニア夫婦、娘とグレッグが
4人で居間でトランプやってる写真が載ってたね。娘は美人と言えば美人だった。 >>791
ゴングが週刊になったのは国際プロレスが潰れた後だぞ
このスレに来ている時点で年寄りに決まってるのに何言ってんだ
バカじゃないの >>791
1980年頃の「月刊ゴング」を
12〜3歳の時に見たとすれば
60歳代は確定しないだろ?
俺は790ではないし、
まぁどうでもいいが、 ガニア一家訪問グラビアは、別冊ゴングに出てた気がする
昭和49年頃だろ
もうとっくに捨てたから、うる覚えだが 79年デビリッシュファイトSでガニアが来たときに当時タッグチャンピオンのパートナーだった
バションも一緒に来日していたらグッと豪華なものになっただろうな。ほぼ常連だったバション、
77年Wシリーズ以降、ついに崩壊まで顔を見せなかったのは残念しきり。。 >>795
その頃だったね。丁度NWA、AWA、WWWFが世界3大プロレス組織と謳われ、
王者はブリスコ、ガニア、サンマルチノの時代だったかな。ガニアとしては一番良い
時代だったんだろね。当時はミネソタ州で5本の指に入る大金持ちで、時の大統領の
カーターも一目置いていた。 >>795
いい年して日本語もわからないのか「うろ覚え」だ >>795
そんな年寄りなのに「うる覚え」とか平気で書けるんだ
頭の悪い老人って救いようがなくね? >>801 お前みたいな馬鹿の一つ覚えってのもあるしな >>798
ヤス・フジイは健在だったのか。
田中忠治や全日の伊藤正男のように(モントリオールでトラック運転手してるという
情報もあるが)、生死不明の元レスラーもいるが。
フジイはあのまま国際に残って、タッパはあるからも少し筋肉付けたら草津に匹敵する
看板レスラーになると思ったんだがなあ。 ヤス・フジイが健在なのは嬉しいが、フィリピンでプロレス団体を作った大磯武の消息も知りたい。 「昔俺が担任してた生徒に藤井って奴が居てな。
体はデカいけど気の弱いおとなしい男やった。
そいつが今ヤス・フジイと名乗ってプロレスラーやっとる。
人生ってわからんもんやで」
中学生の時の教師がこんなこと言ってたわ(1980年頃) フジイは上田のパートナーとして来日して、国際のリングはそれっきりだったな。
むしろ新日のリングに上がっていた時期の方が長かった、素顔じゃないが。 フジイはアメリカで活躍後、「国際なんて倒産すればいいんだよ。」と暴言吐いてたからなあ。
この人も新人の時に草津や大剛あたりからかなりいびられた口なんだろ。 同期のマイティ井上にボロクソ言われてたな、その後レスラーとして活動していたから
練習がキツくて辞めたんじゃなくてイジメなのは間違いないんだろうけど
イジメられてない井上にしてみれば知ったこっちゃないか フジイはコウモリ陰口を言うタイプで、「誰それが〇〇さんの事こんな風に言ってました」や「〇〇さんに言われたからやっただけ」等々
一番は口は達者で身体はデカいのに練習に付いていけないかったからでしょ
マティ鈴木も、フジイは産まれてからスポーツを一切やってなかったのでは?って位身体能力が無かったって位だし IWAタッグ挑戦の試合も因縁の井上にギブアップ負けだから、もう呼ぶ気なかったんだろう。 どう見ても揉めて辞めたっぽいが
そんなフジイでも呼ぶほど当時の国際は駒が不足していたんだろうな >>811
そんなフジイも、ロスではチャボ・ゲレロとのシングルメーンで数週間オリンピック
オーデトリアムを満員にしたっていうからなあ。わからんもんだね。 入門した日本の団体で続かなくて、海外でそこそこの実績を残した点は、
ポーゴと被るな。
平田は、マシーンズ時代の藤井を「あまり動かなかったけど、試合運びが
巧くて、色々なアイディアを出してくれた」と評価していた。 国際に逆上陸したシリーズの会場で、吉原社長とスミルノフと藤井の3人が
立ち話をしている写真が雑誌に掲載されていた覚えがある。
そこにわだかまりの様子は感じられながった。藤井が何を語ったのかは
分からないけど、吉原社長の事は悪く言わなかったと予想する。 >>815
・体格が大きいが気が弱い
・小鉄とソリが合わなかった
・藤原が「(ポーゴは)「プロレスが上手いなあ」と思った」と評していた
共通項があるな ストロングスタイルとか、努力の賜物、練習の虫といったものからはまるで正反対のベクトル、
いわば天才肌、センス先行に近い感覚でプロレスやってると小鉄みたいな連中はいぶかしげに思うんだろるな。 フジイの1979年の帰国時はそれなりに前宣伝されたので
上田のような日本人ヒールとして押していくのかと思ったが
テレビ初登場が同期の井上戦であっさりフォール負け
その後もパッとせず、これが最後の国際登場になってしまった
当時まだ30歳だったが、翌年くらいからアメリカでの試合は減っていき
西ドイツなどに遠征していたが、83年頃にはセミリタイア
そこに新日からまさかの形でオファーか >819
小鉄みたいに70キロ未満で力道山から何回も入門断られた小柄なプロ志願者は、
もう身長は伸びないからウエイト・トレでからだにできるだけ厚みを持たせる
しかないから、必然と練習の虫になっちゃうね。
元々がタッパのあるフジイや体重のあったポーゴとは、考え方が全く合わない。 >>797
ガニアの年が圧倒的に上なんだよな
それもまたニックへの禅譲の一因かもだが >>813
外人レスラー呼ぶより、
上田、フジイの日本人を外人サイドで
使った方が経済的だしね。 >>823
でもその二人が参加したシリーズはストンパー・スミルノフ・ジョーにガニアもシリーズ途中に特別
参加で結構なお金掛かってるな。 >>824
ガニアが急遽参加になったせいで、残りのIWAシングル挑戦権が1つになり、
ストンパーとスミルノフが対立するってギミックだったんだよね。
しかもその挑戦権を、6人タッグの勝敗で決めるというわけのわからない展開。
ストンパーが挑戦した試合では、スミルノフが乱入して木村を助けることに。 セミ ジェフ・ポーツ(エアプレンスピン→フォール)井上
メイン IWA世界戦・木村vs初来日のカマタ
試合前に今セミで負けた井上がリングインして勝者に挑戦宣言。
こらぁ草津!! 草津はなんで自分がIWA王者にならなかったんだろか?
引退後のインタビューでは「やる気がなかった」と言ってたが、
やられ役は小林、井上、木村にやらせて、自分は楽したかった気がする。 草津のようなどちらかというと天才肌タイプだと、形にはめられるより伸び伸びと
自分なりのポジションでいたいのかも。マードックなんかと似た感じ。 >>821
江本孟紀が「練習の虫とか言われていた選手は
一軍半レベルの選手ばかりだった」と書いていたが
才能が無いから練習の虫になるってのもあるからね >>829
なるほど。
つまり、金田、王、長嶋、イチローは才能がないから練習の虫なわけだな。 確かにカール・ゴッチは
プロレスラーとしては
1流半レベルだな >>830
一流・・・練習、努力を開花させられる
一流半・・・徒労に終わらせる
この違いは大きい。 >>828
日本ではAWA王座に一回も挑戦しなかったからね。
貧乏団体国際だったから、欲出しても給与が大して上がる訳でも無し、
「適当にやっとけ」てな気持ちになったんだろね。 >>834
>日本ではAWA王座に一回も挑戦しなかった
草津のこと?
昭和45年、ガニア初来日の時
2月9日盛岡で挑戦しているよ。
1本目、○ガニア(スリーパー)
2本目、両リン >>817
頭の悪い老人が頭の悪い老人扱いされ続けられるのは当たり前だろ、馬鹿(笑) >>835
これは知りませんでした。
草津はアメリカでは何回かガニアに挑戦したそうだけど、日本でもでしたか。
しかし草津が一本も取れなかったとは、初来日のガニアに華持たせたのか。 >>827
草津は一応ラクビーの日本代表だったからな。
ガチの世界で頂点を極めた経験があると
プロレスのチャンピオンがどうのこうのなんて
バカバカしいと思うじゃないかな。
坂口なんかもそんな感じがする。
2人とも大企業での社会人経験があったから、団体の2として
営業や渉外の仕事をしている方が面白かったんだろう。
顔だけじゃなくて、そういうところも草津と坂口は似ているな。 >>838
でも草津は坂口と間違えられると激怒するという
昔、週プロで猪木と村松友視のテーブルマッチを温泉でやった時、
宿泊客のおばちゃんに猪木が馬場と間違えられて絶句してた >>836
頼むから国際プロレスの話題振ってみてくれよ >>839
オールスター戦で坂口にドロップキックして欲しかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています