【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】
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>>588はともかく
>>590以降はお前の言いがかりにしか見えんが >>597
そういえば忘れたわ
調べるのも面倒臭い
じゃあな トランスワールドレスリングアソシエーションか
トランスの意味がわからん >>597
トランス・ワールド・レスリング・アソシエーション >>599
超世界レスリング協会、みたいな感じなのかな >>601>>602
解釈の違いがあれどだいたいそんな感じですかね
ありがとー TBSの森Pが記者会見で「TWWAのTはTBSのT(笑)」って冗談交じりにコメント
って当時のプロレスかゴングで読んだ >>136
いいよなぁ。
剛は偉そうやったって
目に浮かぶわ。
両手組んでそう。 >>606
確か番組名は最後までTWWAプロレス中継だったとか 略称は難しいね
NがNationalは常識、プロレスなのでWがWrestlingであるのは容易だとしても、Aは色々ある
Association、Agency、Allianceか確認しないとわからない Tなど絶対想像不可 >>609
NはNationsもある。
セッド・ジニアスのUnited Nations Wrestling(国連プロレス) Gスピリッツ。
高杉、木村息子、マッハ。
これらの文献に
剛竜馬の悪評が飛び交う。
息子=偉そう
マッハ=生意気な態度
高杉=バカ、ええカッコしぃ。
確かにユニバーサルの写真
偉そう(笑)
前田との関係が知りたい。
高田はラッパふかされたみたい初めの頃。 山ちゃんは合宿所で剛に靴下が片方無いって
言いがかりを付けられて殴られる >>610
国連プロレスは知りませんでした(笑) ウィキペディアで調べて初めてわかりました。
ナチス・ギミックがいかにも見映えがしそう。 NはNorth Americanもある。
WはWrestling, World, Wide,もある。
IWGPは直訳すると国際レスリング大賞。
IもInternational, Intercontinentalもある。 藤波がグラップラーから取ったPNW王座や原がツルノから取ったWWU王座ってのもあったね。
最初はふたつとも何の頭文字か判らなかった。 国際ってタイトルのハク付けがテキトーすぎる感があったよね
全日のPWFはロード・ブレアースを会長にしてNWA傘下をアピールしたタイトルだったし
新日のNWFはジョニー・パワーズの活動歴があって
一流〜一流半位のレスラーが巻いているタイトルだったが
それに比べると 国際IWA最後の箔はAWA復帰直前のガニアが巻いた事かな ジョーに一度も獲らせなかったのも、箔付けの一環だったのかな。 スミルノフに取らせたのはスミルノフへの箔付けみたいだが PWF巻いたカマタにもIWAは取らせなかったな
逆に言えばPWFをカマタに取らせた馬場は有る意味偉い >>615
WWUってローラン・ボックがシングル王者だったベルトだよな。
国際はボック呼ぼうとは思わなかったのかな? >>621
WWUって興行団体や認定団体自体が実態あったわけじゃないから
先に原戴冠ありきでWWUって名称でベルト作ってツルノを王者認定
新日のブッキングでツルノ来日→原ベルト奪取
その際、じゃあWWUのヘビー級王者って誰なんだ?って話になった時
前年(78年)猪木が欧州遠征して苦戦したボックが実は王者だったってことにした
もちろんこれはその直後の夏にボック自身が新日に初来日する予定だったことの
箔付けと前宣伝兼ねた新日による“仕掛け”
ポイントはボックだけでなく
実はこの時のツルノの国際へのWWUジュニア王者としての来日自体が
前年の欧州遠征時にツルノを見て高評価だった新日によるブッキングだったこと
つまり前年からの提携先を全日から新日に変えた一連の流れの一環であり
WWUという「仮想団体」はその徒花のようなもの
なので当然「“WWUヘビー級王者のボック”を国際が独自にブッキングして国際のリングに登場」
というのは現実にはあり得ない話だった 鶴見五郎が回顧録を書いてくれないかな。
何回かインタビュー的なものは読んだんだけど、なかなか興味深かった。
写真や日記をつけてる記録魔だし、プロレス界の常識人から見た国際プロレスの内情や
新日参戦の内幕、SWSの真相等々、貴重な証言になると思うけどなぁ。 >>616
吉原がプロレスのそういう部分がわからない残念な人だった。 >>624
国プロ初期にIWA世界タッグ王座を設定した時、フランスのプロモーターだった
ロジャー・デラポルトの元で王座決定トーナメントをを行い、豊登・小林組が
初代王者チームになったという設定は、いかにも国際的で斬新だった。
日本とヨーロッパを又にかけてできたスケールの大きいタイトルといった感じでね。
実際はパリで1試合だけやったか、トーナメント試合などなかったという説もあるが。 大日本みたいに独自路線に徹すればもう少し存続できたかも >>626
>実際はパリで1試合だけやったか、トーナメント試合などなかったという説もあるが。
IWGP予選みたいなもんだな。米国も欧州も予選行われたかすら定かじゃないし、
アジアも最終結果が発表されずに、どういう方式だったのか不明のままだった。 当時は、外国での出来事をでっち上げるなんてわけなかったからね。
スレチになるけど、メキシコに観戦ツアーに行った時に、アトランティスが
みちのくで獲った東北ジュニアヘビー級のベルトを巻いて登場したのを
見た時は、少し感動したな。 >>623
Kaminogeの前後編のインタビューでも興味深かった。
浜田より前にメキシコに行ったけど自炊をしたので他のレスラーのように体調を
崩さなかったとかファイトマネーをすぐにドルに換金していたとか全日時代はギャラも
カードも扱いは凄く良くレスラー生活で最高だったが長州一派が来て過剰人員になった
扱いも悪くなったとかそれでSWSに自ら売り込んだので支度金が出なかったとかこれに
関しては「北原でさえ出たのに!」と悔しそうだった。 ザ・マミーを非難した長州対鶴見五郎はあったの
レスリング勝負でかみ合いそう >>630
コイツ褒めたいねんけど
後半カスやん(笑) >>620
当時の国際ファンの反応も気になる
確か同日は武道館でバックランドと猪木のダブル戦だったか たしか木村&草津組って、IWAタッグに挑戦したことなかったよね?
オープンタッグに出場したり、大木&ドクのインタータッグに挑戦も
したコンビだから、一度くらいはIWAタイトルに挑んでほしかったな。
浜口&井上組が王者だった時、マッチメイクのチャンスだったのにね。 >>630
そうそう。五郎ちゃんは引き出しが多いから、話が面白いんだよな。
個人的に好きなエピソードは、五郎ちゃんが練習生の時、電車賃が
無くて困ってたら、ラッシャーさんが2万円呉れたって話だな。
気になるのは、国際プロレス崩壊時の新日参戦なんだよな。定説は対
抗戦の予定だったのが、マイティの新日嫌い等の影響で、三人だけに
なったってことなんだけど、実録・国際プロレスを読むと「新間に
一本釣りされた」「裏切り者がいる」みたいなことが書いてあって、
そのあたりの話が聞きたいなぁ。 >>635
本人がG-スピリッツの誌面で浜口の事だって明かしてたよ
今は浜口との間に何も含む所がないから言えるって >>634
バション&コロフからIWAタッグを奪還したのが草津&木村
木村がシングルを取って、シングルに専念と言う名目でタッグは返上した >>634
木村&草津は73年〜75年にIWA世界タッグ王者として11回も防衛してるよw >>634
オープンタッグの決着戦という感じだったがやはりインタータッグには木村・草津でないとという感じなんだよな 実際の所 一本気なイメージのアニマルと傲慢な年下の長州のコンビネーションってどうだったんだろう? >>636
浜口もインタビューで「何で選手が分かれたのか、その辺の事情は自分自身
分からない」って歯切れが悪いし、まあ何かあったんだろうな。もちろん、
皆、食うため必死だから誰が悪いとかじゃないんだけど、なんか浜口の一本気
そうなイメージと違うなって思う。 >>641
浜口は崩壊前は肝炎で長期欠場してたから現場にいなかったから分からないとも言ってた。
それはあると思う。 >>637
>>638
タッグ王者歴あったんだ。全然知らなくてすみません、ありがとうございます。
その後も組む機会多かったし、タイトル戦あっても良かったような気がしますね。
>>639
当時は全日見ているファンも「木村がいないと」ってイメージだったんだろうね。 >>643
実は馬場は井上を重要視していて鶴田とドローもやらせてる。
オープン選手権は井上は鶴田、デストロイヤー、マツダらと6点で大木、レイス、オコーナーは5点。
力動山13回忌は大木vsブッチャーを差し置いてWメインでマツダのNWA世界Jr.に挑戦。
全日10周年蔵前のメインは馬場&発電所vsシン&上田で3大タイトル戦は
NWAフレアーvs鶴田、インター・ドリーvsブロディ、IWAマスカラスvs井上。 >>644
そうは言っても、オープンタッグの井上の扱いとかヒドかったじゃん。
逆に言えば、あんな形ででも無理に井上を出場させようとしたかもしれないが。 >>645
予定してたチームが参加できなくなって員数あわせの苦肉の策だったとか? >>645
タッグマッチの場合は、急造のチームなので連携が
できなかつたとか、対外的な説明・言い訳ができる
からじゃないかな。 >>645
高千穂が寝る方が多かったはず。
木村、井上組だと井上が寝ざるを得なくなるから草津にした馬場の配慮。 >>648
草津が寝たのは馬場相手とファンクス相手だけだよ?
欧州組には勝ったし、凶悪組とは両リン引き分けだし。
馬場も国際コンビの扱いには気を使っていたと思う。 馬場は、グラハムに勝ってシングルのベルトを巻いたり、ガニアと
引き分けた井上の(国際プロレスでの)実績を考慮したんだろうね。
でも、国際が崩壊して移籍してからは、中堅に位置づけた。むしろ
その方が分相応だったと言える。 >>650
冬木は井上~全日に移ってから国際が潰れてなければ将来お前に
ベルト巻かせる位までは上げてやれたかもしれないけどこれからは
自分の事で精一杯だから面倒見れなくて悪いなって言われたんだって >>651
なんとなく意味は理解できたが、句読点を入れた方が読みやすいと思うぞ。 冬木が邪道外道を可愛がってたのがよく分かるよ・・・ >>628
ちょっと話は外れるがIWGPは最初メキシコのUWAはちゃんと中南米予選やったらしい(カネックとベラ)
ただ第二回だったか"グアテマラの英雄"ホセ・アサリってレスラーが中南米代表になったと
雑誌等に載ったがうやむやで放置、結局未来日のまま終わる >>654
マスカラスやラシクが控室や移動の乗り物の中で物静かに歴史書や哲学書を読みふけって
いたのと同じで、冬木も根は思慮深くて結構インテリだったんだろね。暗いのとはちょっと違うと思うわ。 >>656
冬木は中卒(高卒になってる資料もあるが1ヶ月程しか通ってない)で未成年の頃から雀荘に出入りしていた
特にスポーツはしてないけど、プヲタで無職の雀荘通いの喫煙者だった
インテリとはほど遠い人 >>656
マスカラス、ラシクは歴史書や哲学書を読みふけ、
木村は控室で新弟子の冬木を横に座らせて動物図鑑を読みふける。 国際の年間興行数って、100いくかいかなかったぐらいだったんだよね。
全日本や新日本が170〜180やってた時代だったから、そこでまず負けていた。 井上王者時代のタッグマッチだが、
ラッシャー木村、マイティ井上vsダニーリンチ、ブッチャーリンチと出てるから
IWA王者井上よりも木村がチームリーダーで後にコールされたということか?
https://www.youtube.com/watch?v=1gyjBKxB2_k 吉原社長はアイディアマンだったらしいが、どうして経営についても
アイディアマン的な発想が無かったのだろう?
例えばヨーロッパ路線とAWAの両立が、対日プロの武器だったのに、
何時の間にかAWAだけになってしまった。これは、間違った結論だと思う。 >>661
ガニアがブッキングの独占を望んだのと、
当時欧州から日本への航空運賃が、米国からに較べて3倍近く高かった
ガニアのブッキングが高くても、欧州からの航空運賃の方が高くて二社選択でガニアを選ぶしか無かった
ロビンソンが英国から来日していた時に較べて、AWAから来日した時の方がギャラは上がったが、航空運賃等を合わせると国際の支払いは余り代わらなかった >>661,>>662
提供相手がどうなろうと、自分らが儲かればそれで良しと考え、吉原のケツの毛を平気で
むしり取るガニアと提供せずに、ヨーロッパの選手を数人航空運賃節約するために一時の
ロビンソンみたいに半年近く日本に長期滞在させて巡業に参加させれば良かったと思う。
そうすれば、半年で丁度日本列島を北から南までだいたい3シリーズで一巡して、二巡目に
入る前にヨーロッパ勢を総入れ替えして、マンネリも防げた。 それより国際プロレスの金網デスマッチベスト10を決めようよ
オレは大位山とジプシージョーと、木村がタイトル奪還したスーパーアサシン戦に一票づつ 中継されてない試合多過ぎて碌に知り様無いわ
後追いで資料や記事でみただけなのに幻想抱いてもしょうがないし >>666
普通に国際のベストマッチ10を決めようぜ。
IWA世界戦・木村vs井上の3試合
IWA世界戦・小林vs木村
IWA,AWAダブルタイトル戦・井上vsガニア
IWAワールドシリーズ蔵前の井上(両者KO)ジョー
IWAタッグ戦・草津&浜口vsクイン&ヘス 浜口初戴冠
IWAタッグ戦・井上&浜口vs健吾&永源
ゴッチvsアンドレ
ゴッチvsロビンソン
井上vsアンドレ
テーズvs草津 >>668
日本リーグ争覇戦の準々決勝、鶴田対井上は絶対に外せないベストマッチだと思う。
中継は日テレで会場は蔵前国技館だが、れっきとした国際プロレスのリングだし。 寺西勇対リック・マーテル
小林対ローデス
シャチ横内対草津
は外せない 蔵前のガニアvsロビンソンのセミは井上vsニックのノンタイトル戦だったがタイトルマッチにして
ダブルメインで集客を図ろうとは思わなかったのだろうか。 >>669
中継は日テレと東京12chともにだよ。
日テレが土曜20時枠で生中継で先に放送。
東京12chは翌週月曜日に国際プロレスアワーで録画放送し、
番組内で蔵前国技館の控室に草津、木村らが
井上vs鶴田のモニターを見ながら解説していた。
確かカウント3が早すぎるといちゃもんつけていた。 >>671
井上がニックに勝つってねえ。ほとんどフォール負けのないニックに。 >>673
当時のニックはAWAタッグ王者スティーブンスのパートナーで健吾ポジョンだった。 >>673
後年の渕vs蝶野だって渕に勝たせるわけがないのに無理矢理盛り上げただろ
興行なんだから開き直ったハッタリも必要じゃないかな >>674
健吾ポジはあんまりじゃないか。
ニック、スチーブンス組とは言われていたがその逆はなかったんだし。
北米タッグ王者の坂口小林で坂口の方、くらいで。 ニックはNWAタッグリーグでクインと組んで準優勝なったし、それ程格下ってイメージ無かった ニックは日本プロレス参加時も猪木相手にも反則負けとか、フォール負けの少ない選手だった。タッグで馬場から決勝フォール取ったこともあるし。ノンタイトルで井上に負けるのはちょっと納得いかんかったなあ。 そう言われれば、鶴田以外にフォール取られたっての記憶にないわ。 週プロで鶴田がAWA取った時「ほとんどフォール負けのないニックからのピンフォール勝利だけに価値がある!」と書かれたんだよね。
その時ふと井上の顔が フレアーと同じで綱渡り防衛スタイル。
86年に高野俊二がAWAに遠征してニックに何度も挑戦してフォールしてるが判定が覆えってる。 鶴田との試合は普段と全然違ったよな
ニックがグラウンドで攻め立てて、猪木みたいだったよ >>682
防衛戦での戦い方と、しがらみなく自由に戦える時の違いだな。
フレアーが新日参戦時も防衛戦でないと攻めがあって面白かった。 >>682
いつもの試合が多かったけど、鶴田がAWAとる試合とリターンマッチは鶴田の底を確かめるような試合だったな ニックは70年の猪木戦で、3本勝負の1本目を11秒で取ってる。
鶴田戦はニック本来の攻撃性を存分に発揮した試合なんだろうね いつものように反則防衛をする場合は相手が強く見えるようナマクラにみせる
相手のホームでベルト落とすときは自分から攻め込んで一進一退の良い試合にみせる
どちらも試合作ってるのはニックの側ってことだな 健吾はヘタレのイメージだかJr.時代の藤波戦を見ると攻め中心でバックドロップはルー・テーズそっくり。
みんな、その時、その時で使い分けるんだな。 >>687
ユーチュブで見てきた、なかなかのバックドロップですな
あと、放送席を直撃した藤波のドラゴンロケットで、解説の桜井さんの眼鏡が飛んでたw チャンピオン時代のニックはダーティチャンプで大嫌いだったんだけど、ベルト失ってからは見事なテクニシャン振りを発揮してくれて一気に好きになったなあ。 ニックは80年のロビンソン戦も凄かったよなあ。あのロビンソンが終盤ニックに完全に追い込まれてた。チャンピオンの時には木村にやられ放題だった男がだよ >>678
>日本プロレス参加時も猪木相手にも反則負けとか
10.21仙台で行われた3本勝負、1−1から
Jクイン乱入で反則負け、これテレビ中継があったので
有名だが、そのまえ10.4本渡で行われた30本一本は
猪木(コブラ、14:43)二ックで勝っている。
ちなみに、このNWAタッグリーグで馬場対二ックは
行われていない。
やれば、100%馬場の価値だったろうが。 アメリカの関節技は絶滅したと思ってたから鶴田を攻めるニックにビックリした
80年代のAWAのビデオをネットでいろいろ見たけどレスリングの攻防があって
妙に新日本的なんだよな >692
ニックが王者だった頃のAWAは科学的レスリングと書かれていた。
テーズからのNWAに似た感じのスタイルではあった。 ニックもNWAチャンピオンの候補だったそうだが、当時はドリーという王者に
ピッタリの対抗馬がいてなれなかった。 二ックは、テーズの’63〜’66王者時代の
次期NWA王者候補だった。
その時、争ったのがGキニスキー。
もう晩年のテーズの後は、キ二スキーの
ようにガンガン行くタイプが選ばれたんだろうな。
そしてドリーの後は、ブリスコというのは
もう規定路線だった。 若禿のドリーと金髪のニックで
ドリーにしておけ、となるのは当時のNWAもわからんよなあ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています