【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】
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ラモスはいいな、金網・チェーン・ストラップとデスマッチの実績がある。 レフェリーのルー・テーズが悪役ガイジンの度重なる反則に激高して
レフェリーシャツを脱ぎ捨てファイティングポーズを取り、恐れをなした
ガイジン組が退散する流れ。 ルーイン、イヤウケヤ、ラモスらなら木村と合うだろうが
1978年頃だと全日でも春になると来る使い古しの定期便とか言われてたから
国際登場が実現しても、パワーズやクラップみたいに払い下げみたいな言われ方してたろう ルーイン、イヤウケヤ、ラモスを斡旋してもらったとして、全日のギャラと同額だったら国際にうま味はなかったろうね
その三人にジョーやスミルノフ以上の集客力があるとも思えないしね >>29
全日本時代のガラパンとなるとチャボのインタージュニア初挑戦を思い出す 何で吉原社長は一時期だけとは言え、マイティ井上はエースにしたんだろ?
草津の方が体格もいいし。練習しないのが吉原社長はエースにしなかったのか? >>49
草津はTWWAプロレス中継初回でのテーズに失神KO負けと言う
負のイメージがファンにあったのも影響しているのかも。
それに本人も営業職に尽力したいのもあったのではないかな。 >>49
当時の井上は日本マット、いや世界マットで最高峰のレベルだったと思う。
ああいう空中殺法や返し技は誰もやってなく、投げ技などの大技もあった。
ガニア、マツダがアップアップしていて、井上が負けさせないように苦慮していたのが分かる。
ガニア戦、マツダ戦でも井上が取ると武道館などの客が拍手してる。
当時の猪木の試合でも客は拍手するが、木村の試合じゃ拍手は出ない。
やはりスピーディでスリリングな技の攻防は日本人好みだから、井上エースも有りだったと思う。 やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い 途中で送っちゃった スマン
やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い!ってイメージが弱いとこかな
どうしても馬場や猪木、鶴田坂口とファンは比較しちゃうからね 吉原代表はラッシャー木村をエースにしたかったが
頂上対決で木村を小林に負けさせた後だったので
直後にエースにする事は憚られた
そこで草津と木村の全面バックアップの元、テクニシャンの井上を
暫定エース≠ニして繋ぐ事で、国際の面目を何とか保とうとしたんじゃなかったか
最初から木村に代替えさせる事は吉原の口から井上に知らされていたから
晩年のインタビューでも井上の恨み言は一切聞かない 小林「草津をエースにしようという動きがあったから離脱を考えていた」
木村vs草津の日本人代表決定戦で草津が勝って、ロビンソンにも勝てば丸く収まり、
草津のテーズ戦の失態もロビンソンに勝てば面目回復になるが、
草津<木村<ロビンソン<なぜかデンバーでグラハム<井上が意味不明。 >>54
マイティはチケット販売のノルマとかそういうのは興味なさそうだからな。
自分のやりたいプロレスを気ままにやるのが性に合っているんだろう。 G spitsの国プロ大特集。
なんでラッシャーの息子さん(しかも義理の)のインタビューやねん!?みずてんで買って失敗したわと思って読んでみたら、意外にインサイドな話が多くて面白かった。
それと、高杉のインタビューで剛の糞人間振りが更に露呈・・・ww >>57
木村の義理の息子にまで剛はウチでも妙に偉そうにしていたとか悪く言われていて笑った 息子さんのインタビュー良かった。
ラッシャーの家庭絡みの話しといえば飼い犬がアンチに虐められた事ぐらいだったが、家に居るプロレスラーとしての一面と優しい父親のとしての一面が浮かび上がってきた。 >>59
飼い犬は2匹いて、1匹はアンチの投石が当たって亡くなったんだよ。
大五郎と熊五郎だったかな?本当に可哀想な話だと思う。 >>51
井上を過大評価し過ぎw
王者時代か転落まもない頃、ほぼ予備知識なしで12chで井上の試合を見たが
小さくてころころ太って、あか抜けない長髪の七三分け、正直かっこ悪いと思った
実況でもちょっと太り過ぎたみたいな言われ方していた 俺はTBS時代の国際しか観てなかったから、
井上がエースになったのには驚いた。 >>62
当時の日本マット界で井上のような立体的なプロレスができるん選手はいなかったよ。
鶴田だって飛び技はドロップキックとジャンピングニーの単発の動きで連続性はなかった。
米マットのトップのガニア、マツダがバテてアップアップしてるんだから。 >>64
立ってから言わんで、自分で立てりゃいいのにw >>5
同じく交通事故に遭いながら大剛を献身的に介抱したと言われるムラサキが
「先輩として尊敬できた点はなく・・・仕方なく看病した・・・」と話している。
病室では大剛は荒れまくり手で出されて大変だったと回顧していた。 >>66
建てようとは思ってたけど、週末出かけてた間に糞スレタイで建てられてしまった。 >>65
だったらアニマルをエースにすりゃ良かったんじゃね? >>70
浜口が覚醒したのは崩壊後の新日時代
国際時代は中途半端で水分の抜けた梨みたいな選手だった 国際後期の謎は、なぜ井上に3度も木村のIWAに挑戦させておきながら移動させなかったのか?
それもタイトル戦前後でタッグで前哨戦や軍団抗争もない単発でお終い。
井上に移動させないんなら3度もやる必要はない。
で、なぜか草津、浜口は挑戦してない。 >>72
末期国際の一番の謎、というかセンセ悪いなあと思うのは
原の剛/藤波戦での苦戦→スランプ→再渡米→ヘビー転向というストーリー
そんな悠長なことやってる場合か?
ヘビー転向するならその前に誰かとJrのタイトル防衛戦→勝ったうえで華々しく返上再渡米
とかにすればいいのに、わざわざスランプギミックでイメージ落として
しかもその理由や筋書きを本人にろくに説明してなかったため原自身も腐っていたという…
こういうの聞くと本当に国際の凋落の主原因が草津のマッチメークってのが納得できる 初期にしてもロシモフ、ゴッチ、ロビンソンの優勝争いも凄い
あの時代に日本人レスラーが一人も優勝争いに絡めないって
悪い意味で斬新すぎる これも訳わからん
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/inoue.html >>72
まあ回数はともかく、井上が木村に挑戦してたのは元王者という肩書きもあってだろう。
で仮に井上が返り咲いても、国際後期の外人の顔ぶれは殆どラフファイターで
そこを鑑みてかは知らないがテクニックで試合を作る井上より、木村をその手の外人相手に金網の鬼として
エースに擁立するほうが適切だったんだと思うけどね。。 草津は失神KOでイメージ悪いし木村は華がないし井上はタッパがないからやっぱりエースは小林がよかったかな。逃げられちゃったけど 国際プロレス出身者で、他団体での活躍や芸能人としての活動も含めて
世間一般の知名度がある(あった)のは、
浜口、小林、杉山、木村、井上、寺西
の順だと思う。この序列を踏まえてマッチメイクし、他団体との対抗戦を
やらずに独自の世界観を創り上げる事が出来れば、どうにか存続出来たの
ではないだろうか。 小林って新日の引き抜き?それとも国際に不満あっての離脱? >>81
お米じゃね?ラッシャーが最後まで怒ってたらしいし >>79
浜口が有名になったのはあくまで引退後「京子の変なオヤジ」としてであって
国際時代にアニマル浜口なんて知ってる一般人は皆無
杉山も知名度上がったのは全日に移籍して
脱線ゲームやおはよう子供ショーなどに多く出るようになってからで
結局団体が健在だった頃の知名度は
小林(TBS)>井上/木村(12ch)でしかないから >>81
小林「草津をエースにする話があり、以前から離脱を考えていた」
新間「社長(猪木)、小林が国際で浮いてるらしいですよ」
猪木「よし、引き抜いちゃえ」 浜口と寺西ははぐれ軍団で新日で暴れてた時はあまり有名じゃなかった?
木村だけがやり玉にあげられて、自宅に嫌がらせされてたんなら気の毒にな >>85
有名だよ。
小林邦昭がタイガーマスク戦翌日に渋谷に行ったら一般人に囲まれたんだから、猪木の天敵はもっと上の有名人。
タクシーの乗車拒否は日常茶飯事だった。 >>83
サンダー杉山は国際の頃からバラエティに出てたよ。「本当は強いサンダー杉山」って決めセリフあった >>87
杉山はバラエティに出て電話帳破りを披露する事が多かったね。
見てる方は「またやってるよw」という感じだった。 小林が腰痛で長期欠場にならなければ2回目のMSGタッグリーグは木村小林組でエントリーしてたんだよなそれ見たかったわ >>85
浜口は「全然強くないくせに、粋がってて
鬱陶しいキャラ」でかなり知名度があったと思う。 軍団の頃の浜口って、評価では国際時代同様、元気者のイメージで82年正月の
後楽園ホールでの長州戦は月刊誌で「過激な試合」などと謳われてた。
まあでも、当時の親日の雰囲気は猪木の敵はぶっ頃せ、って感じだったからなw 猪木・坂口・木村の大型三人に囲まれた大阪でのタッグマッチが特に印象深い 崩壊後新日に上がったのがあの3人になったが、国際時代はあの3人の組み合わせ
タッグとか全然印象に残ってないよな。組む機会もほとんどなかっただろうし。 記録を見るに日本リーグ争覇戦の黒石大会で鶴田・小鹿・サクラダを破ってる模様 >>96
トリオって意味じゃなく、国際時代の木村浜口組、木村寺西組、浜口寺西組の印象がない。 浜口・寺西となればIWAタッグトーナメントに出てたな
結局は草津・浜口での戴冠でのプレみたいな感じだが 浜口は小兵だから身体の大きな外人との試合はやっぱ押され気味だったな。
草津と組んでのサモアンズとのIWAタッグ攻防、さらに同じ体格の井上との和製フライヤーズも
マイクジョージ&スイータンとの同王座戦では終始いいところが無かった。。引き分けだったかな。 >>89
木村は国際を裏切った形で出て行った小林を恨んでいたんだよな
「省三の野郎、いつか目ん玉くり抜いてやる」
新間に頼まれても流石に首を振るかもな >>95
> 崩壊後新日に上がったのがあの3人になったが、国際時代はあの3人の組み合わせ
> タッグとか全然印象に残ってないよな。組む機会もほとんどなかっただろうし。
そもそも国際は慢性的な若手・前座要員不足に加え
後期は金欠から参加外国人の人数自体も絞り気味だったため
6人タッグマッチ自体の組まれる機会が
全日新日に比べ少なかったという哀しい事情が… >>101
だからトリオって意味じゃないって書いただろ、ちゃんと読みなよw→>>97 新日本でも国際軍団が初めてトリオでテレビに出たのは猪木との変則マッチの時だったか >>101
それを言うなら木村・鶴見・剛で国際を名乗るって違和感ありまくりだな。 あの頃のメンバーで新日国際の対抗戦争のカード考えてみた
木村-猪木 坂口-小林 藤波-剛 木村健-原 井上-木戸 長州-浜口 藤原-鶴見
ほとんど負けそうだけど >>105
あの頃のメンバーって、小林と阿修羅が一緒にいた時期なんかないだろw 最初の猪木vs木村。
小林が国際のセコンドに付いていて、小林が木村に何やら耳打ち。
目ん玉くり抜かないのか? 1分〜
https://www.youtube.com/watch?v=SuSlP93Ws7E 全日を解雇され、さらにメガネが潰れた後、鶴見はインディー団体を立ち上げたが
IWA格闘支塾から国際プロモーションに改名した時、木村は不機嫌になったとGスピで聞いた
国際末期に愚連隊ユニット立ち上げた鶴見でさえダメなのに
在籍時は若手の前座でしかなかった高杉が国際プロレスを名乗ったら
さぞ木村は怒った事だろう >>105
大将戦は猪木が勝つも、小林鶴見がリングアウト勝。井上原が勝って国際の勝ち越しで面目を保つ。 たとえば日プロ末期の大木のように吉原氏の理念を受け継ぐべく、っつうのパターンだと中堅以下で
それをやると、お前じゃないだろw的な? >>110
???
何で日プロ末期の大木が吉原の理念を受け継ぐんだ? そういえば大木も国際に在籍してたことあったんだよな。すっかり忘れてたわ >>111
あw、日プロ末期の頃の大木が力道山の作り上げた日プロの灯は守っていくというエピソードね。
まああのまま読んだら大木が国際を受け継ぐ云々に解釈するわなw スマン >>105
木村、◯反則勝ち
小林、■両者リングアウト
剛、 ●飛竜原爆固めで負け
原、 ◯雪崩式ブレィンバスターで勝ち
井上、◯オースイスープレックスで勝ち
浜口、●サソリ固めでレフリーストップ
鶴見、●リングアウト負け
寺西、◯回転エビ固め vs星野 じゃあ国際崩壊直後に全日と対抗戦やった場合は?
馬場対木村
鶴田対井上
天龍対阿修羅
大木対浜口
石川対寺西
佐藤対マッハ
大熊or小鹿対鶴見
意外と国際が勝ち越しそうだ。 >>115
最初は新日が全敗にして次に繋げるんだよ。
全日は全勝して終わり。 >>116
大木ってのは何なんだよ、当時の大木はブッチャー軍団だろw あっ、勘違いだった。当時ブッチャーはもう新日に移籍してるのか。 >>118
当時というか、81年の初頭から大木は国際で試合してなかった。テーズ杯にも名前は無い。
そのころの月刊誌で国際のシリーズポスターが広報ページとかで載ってんだが、大木の顔の横に
「怪我のため欠場」という但し書きが添えられてたっけ。。ただのファンなので真意は分らん。 国際崩壊の年の7月だったかな?シンが突如全日に登場、シリーズ参加中だった大木が
迎撃対戦を主張して一度は対戦が発表されるも、シンが「大木なんかはるかに格下、
試合なんかできるか!」と発言して、試合そのものが行われなかったのは覚えてる。 >>116
馬場対木村 馬場反則勝ち
鶴田対井上 鶴田フォール勝ち
天龍対阿修羅 両者リングアウト
大木対浜口 大木リングアウト勝ち
石川対寺西 石川両者リングアウト
佐藤対マッハ 佐藤フォール勝ち
大熊or小鹿対鶴見 鶴見が反則負け 最初はこんな感じで「国際は汚い奴ら」との印象を植え付けてヒールにする。
木村(反則)猪木 ※国際軍の介入に激怒して逆十字を離さず反則負け。
小林(体固め)坂口 ※小林を持ち上げた坂口の足を浜口が引っ張って潰す
剛(エビ固め) 藤波 ※タイツを引っ張ってフォール
浜口(フェンスアウト)長州 ※自分から飛んでいく
原(体固め)健吾 ※レフェリーのブラインドで井上が投げた椅子で一撃
井上(エビ固め)木戸 ※木戸の回転エビを返してロープを掴んでフォール
鶴見(体固め)藤原 ※石頭に苦戦もメリケンサックパンチ
寺西(体固め)ジョージ ※急所をカチあげる >>120
大木は半年契約だったつもりだが、国際はそういう契約じゃなかったとか、
国際DVDのテレビ東京(東京12チャンネル)版の対談コーナーで
門馬さんか菊池さんが話してたような。 >>125
国際が潰れて新日に来たS56年時にはフェンスアウトルールはあった。
2戦目の蔵前が藤波のヘビー転向第1戦で藤波(フェンスアウト)浜口 親日にあの青い場外フェンスが出来たのが80年(昭和55)のブラディファイトからだったな。
フェンスアウトルールていつかだっけ?? >>129
多分、1981年のIWGP予選リーグからでは?
フェンスアウトでの意外な結果
浜口>猪木、坂口
キッド>タイガーマスク
健吾>ブロディ、アンドレ
高田&越中>猪木&藤原 まあそもそも「猪木×木村」はともかく
「藤波×寺西」「剛×浜口」ってカード発表されて時点で
当時は正直「ウーン…。。。」ってかんじだったしなあ
この頃、剛は既に新日でも存在感無くしてたから
いくら元国際の因縁云々言われても一般的には
「なんで対抗戦といいながら坂口や長州や健悟あたりでなく剛が出てくるの?」
ってかんじだったし、
せめて剛が出るにしてもそこは「藤波×浜口」「剛×寺西」だろってかんじで
ああ、1勝1敗で大将戦に引っ張る〜初戦は不透明決着なんだろうなあって思ってたわ >>131
うまい流れだったよ。
10月 まずは元国際で藤波にも勝った剛が迎え撃つも浜口>剛、藤波>寺西、木村>猪木
11月 健吾>寺西、藤波>浜口、猪木>木村、
12月 ●長州&谷津>健吾&●寺西、マードック&◯ローデス>●木村&戸口
健吾と寺西、木村と戸口が組んだから新日vs国際は終了かと思ったら、
82年には更に引っ張って、2月には浜口が猪木の足引っ張って木村のリングアウト勝ち、
8月の猪木糖尿復帰戦→9月の髪切りマッチ→2度の3vs1→短時間KOへと繋がる。
83年春には浜口と寺西は長州、小林らと維新軍結成と軍団がシャッフルされた。 >>99
ちょうど今日はサモアンズからの奪回から四十年
ジョージ・スイータンはその三年後でしたね
和製ハイフライヤーズは確かに極道やヤマハと並ぶ名チームと称されたが同時にそれはそれらと同格というイメージにもなってたような ラッシャー木村がいない82年夏頃のシリーズで、寺西がセミかメインの入場先導してた
ような記憶がある。木村はともかく、浜口と寺西は新日に入りたかったんじゃないかな。 ホントなのか?
控え室が日本組のなら猪木と話した事が1度しかないというのは変だ。 ラッシャーの息子さんのインタビューがおもしろそうだったから久しぶりにgスピ買った。
まだ読み始めたばかりだけど凄くいいわ。それと剛はやっぱりろくでなしだな。
酔っぱらって馬塲の器が小さいって愚痴ってた話がなんとも人間味があっていい >>135
オマエ、そんなこと信じているのかw
話さないでどうやって試合創るんだw
力抜山「日本で一番楽しかったのは、旅館で女風呂が覗けるというので行ったら猪木さんと寺西さんもいた」 ラッシャー木村の義理の息子ってアメリカの優秀な大学卒業して
日本の商社取締役やってる人? マスカラスのエゴは予想してたけど、チャボも自分勝手なレスリングしてたのは意外だった
全日ジュニアが井上から三沢タイガーに代替わりした後、チャボが呼ばれなくなったのは
そんな事情もあったのかもしれない、三沢は外人相手に試合作れないから ラッシャー木村の子息のインタビュー興味深く読んだ。
実子でない事。母親が再婚前から、ラッシャー木村のファンだった事。その母親もプロレスには縁があり、力道山の花束贈呈の経験のある松竹ニューフェイスの女優だった。
まだあるが、最近の記事では個人的に一番面白い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています