【ガラパン】国際プロレスpart13【ワンショルダー】
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ラッシャー木村の次男さんはいい方だね。ラッシャーもいい息子をもったと思う。とても読み応えのあるインタビューでした。
それにしてもジョー大剛は何で突然国際話をしたくないといったのだろう?あれだけ東京プロレス話まで生き生きと語ってるのに。
しかも吉原さんと仕事をしたことは「吉」だといっているにも関わらず・・・ブッカー話を聞きたかった・・。恐らくミスターヒトとは仲が悪かったんだろうなあ。 >>4
初回の電話取材後、Gスピのバックナンバーの
国際関係者のインタビューや記事で
自分が皆に散々に言われてること知ったからだったりしてw
米在住だから普段目にする機会も無いだろうし
リタイア後本当に久々にプロレス関係者からの取材受けたうえ
国際関係者の連載インタビューもあると聞かされて
懐かしくもうれしくなって知りあいかなんかからバックナンバー取り寄せたら…とかだったりして つかいつごろ?
顔ぶれからして昭和52年か53年かな? 菊池孝か竹内宏介が書いてたのは、マスカラスの国際斡旋を中止したのは、国際が新日と接触してる噂が馬場の耳に入ったから
マスカラスの来日が予定されていた、ダイナマイトシリーズの次の日本リーグ争覇戦の蔵前大会に、新日からW小林が実際に参戦
その後国際は新日と提携路線へ
マスカラスの来日が中止になり、興行主から約束が違うと値引き交渉されたらしい >>9
9/15(金)となっているから、
1978(昭和53)年の話だね。
この年の暮れのプレ日本選手権後から国際が新日との提携開始であり、
日本リーグ争覇戦に全日も選手を派遣している点からして、
マスカラスの来日中止は、日テレ側のNGが最大理由じゃないのかな。 マスカラスが金網の上からフライングボディアタックやっただろうな。
ただ木村の金網での負けはないから、2発目をジョーが金網揺すって転落か? >>7
木村のIWAとマスカラスのIWAを懸けた
IWA統一戦みたいなアングルにしたら面白いかも。
ただし、最終的には国プロ定番決着の両者相打ちでキャンバスに倒れ込み
10カウントアウトで引き分けでしょうな。 マスカラスで一つ気になっていた点なのだけど、
入場時のオーバーマスクの客席に投げ入れは、
TVマッチ以外の興行でもやっていたの? 木村とマスカラスの両IWAヘビー級の統一戦にして61分3本勝負にしたいなぁ そうやって期待してたら大金払って全日から借りてきたのに
馬場からももちろん本人からも傷を付けるの厳禁の条件が付いてるんで
木村とのシングル対戦は無しでシングルでは井上と両リン、
あとは連日、寺西鶴見稲妻ムラサキとのシングルに連戦連勝で
シリーズ中唯一のピン負けはタッグマッチでの
草津とお互いに同じ技〜回転エビ固めで仲良く一本ずつ取り合うという
グレートなマッチメークを見せられることになったのであった… もう一人ぐらい強そうなヒールがいれば日本陣営に組み込んでみてもよかっただろう。 マスカラスvsデストロイヤーのように、
リープ・フロッグやったマスカラスの股間が木村の額に当たりマスカラス悶絶で終わりそうな予感。 マスカラスの幻の参加は昭和54年
全日本参加、オールスター戦その後国際にスライド参加予定だったが 昭和54年ってブラックパワーシリーズ?で、マスカラス対ブッチャーが実現した時かな? シオカラスが木村の技受けないで、恒例の塩試合に終わるのがオチ キース・ハートやダニー・バビッチの名前があるから78年のダイナマイトシリーズでしょ やっぱり昭和53年か。キースハートってその後、新日で藤波に挑戦したよね? >>14
二人のIWAベルトは同じ人が作ってたんだよな マスカラスのフライングクロスチョップを
木村がフライングしないクロスチョップでカウンター撃墜・・・
絶対に許されないなw >>26
マスカラスのフライングクロスチョップを井上がフライングショルダーアタックで追撃してマスカラス伸びる。
怒られるなw 元IWAヘビー王者のマイティは、国際崩壊後すぐに全日参戦してマスカラスの
IWAヘビー王座に挑戦した。この蔵前は観戦したが、ガラパンじゃなかったのが残念。
https://gamp.ameblo.jp/ma-kam/entry-10547096119.html マスカラス相手のフィニッシュには
マッハ直伝メキシコ流ジャーべの風車吊り
中腰のまま悶絶失神する仮面貴族! >>20
それだと、>>6に出ている幻のポスターと合致しない。
9/15が金曜日なので時間的には1978(昭和53)年。
更にポスターに大位山が載っていて
大位山は1979年には一時引退しているので、1978年に相違はないよ。
もし、1979(昭和54)年のオールスター後にマスカラス参戦の話があったとすれば、
2度目の幻の参戦話と言うことになる。 リッキー・スティンボートは1976年にAWAでデビューだから呼べなかったのかな。
リック・マーテルは寺西のIWAミッドヘビーに挑戦してる。 >>34
AWAとは前年に提携解消しちゃったからな、残念だ。 マスカラスより、マークルーインを借りれば良かったのに
木村ルーインは面白かっただろう 12チャンネル時代にルーイン、イヤウケヤ、ラモス達と木村の試合が観たかった >>37 その3人こそ欲しかったな
それに木村はオープン選手権の馬場戦でブッチャーと因縁作ったのに、なんでその後、馬場はやらせなかったのかな?
あれは木村の負け損だったんじゃないの? マークルーインって格的に言っても木村のライバルに最も相応しい相手だよね スタンスタージャックやアイアンシークも木村と手が合うんじゃないか ラモスはいいな、金網・チェーン・ストラップとデスマッチの実績がある。 レフェリーのルー・テーズが悪役ガイジンの度重なる反則に激高して
レフェリーシャツを脱ぎ捨てファイティングポーズを取り、恐れをなした
ガイジン組が退散する流れ。 ルーイン、イヤウケヤ、ラモスらなら木村と合うだろうが
1978年頃だと全日でも春になると来る使い古しの定期便とか言われてたから
国際登場が実現しても、パワーズやクラップみたいに払い下げみたいな言われ方してたろう ルーイン、イヤウケヤ、ラモスを斡旋してもらったとして、全日のギャラと同額だったら国際にうま味はなかったろうね
その三人にジョーやスミルノフ以上の集客力があるとも思えないしね >>29
全日本時代のガラパンとなるとチャボのインタージュニア初挑戦を思い出す 何で吉原社長は一時期だけとは言え、マイティ井上はエースにしたんだろ?
草津の方が体格もいいし。練習しないのが吉原社長はエースにしなかったのか? >>49
草津はTWWAプロレス中継初回でのテーズに失神KO負けと言う
負のイメージがファンにあったのも影響しているのかも。
それに本人も営業職に尽力したいのもあったのではないかな。 >>49
当時の井上は日本マット、いや世界マットで最高峰のレベルだったと思う。
ああいう空中殺法や返し技は誰もやってなく、投げ技などの大技もあった。
ガニア、マツダがアップアップしていて、井上が負けさせないように苦慮していたのが分かる。
ガニア戦、マツダ戦でも井上が取ると武道館などの客が拍手してる。
当時の猪木の試合でも客は拍手するが、木村の試合じゃ拍手は出ない。
やはりスピーディでスリリングな技の攻防は日本人好みだから、井上エースも有りだったと思う。 やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い 途中で送っちゃった スマン
やっぱり上背とあとはやっぱり回転エビとか逆さ抑え込みとかに
フライングショルダータックルとかサマーソルトだと
エースとしては一撃必倒の決め技で強い!ってイメージが弱いとこかな
どうしても馬場や猪木、鶴田坂口とファンは比較しちゃうからね 吉原代表はラッシャー木村をエースにしたかったが
頂上対決で木村を小林に負けさせた後だったので
直後にエースにする事は憚られた
そこで草津と木村の全面バックアップの元、テクニシャンの井上を
暫定エース≠ニして繋ぐ事で、国際の面目を何とか保とうとしたんじゃなかったか
最初から木村に代替えさせる事は吉原の口から井上に知らされていたから
晩年のインタビューでも井上の恨み言は一切聞かない 小林「草津をエースにしようという動きがあったから離脱を考えていた」
木村vs草津の日本人代表決定戦で草津が勝って、ロビンソンにも勝てば丸く収まり、
草津のテーズ戦の失態もロビンソンに勝てば面目回復になるが、
草津<木村<ロビンソン<なぜかデンバーでグラハム<井上が意味不明。 >>54
マイティはチケット販売のノルマとかそういうのは興味なさそうだからな。
自分のやりたいプロレスを気ままにやるのが性に合っているんだろう。 G spitsの国プロ大特集。
なんでラッシャーの息子さん(しかも義理の)のインタビューやねん!?みずてんで買って失敗したわと思って読んでみたら、意外にインサイドな話が多くて面白かった。
それと、高杉のインタビューで剛の糞人間振りが更に露呈・・・ww >>57
木村の義理の息子にまで剛はウチでも妙に偉そうにしていたとか悪く言われていて笑った 息子さんのインタビュー良かった。
ラッシャーの家庭絡みの話しといえば飼い犬がアンチに虐められた事ぐらいだったが、家に居るプロレスラーとしての一面と優しい父親のとしての一面が浮かび上がってきた。 >>59
飼い犬は2匹いて、1匹はアンチの投石が当たって亡くなったんだよ。
大五郎と熊五郎だったかな?本当に可哀想な話だと思う。 >>51
井上を過大評価し過ぎw
王者時代か転落まもない頃、ほぼ予備知識なしで12chで井上の試合を見たが
小さくてころころ太って、あか抜けない長髪の七三分け、正直かっこ悪いと思った
実況でもちょっと太り過ぎたみたいな言われ方していた 俺はTBS時代の国際しか観てなかったから、
井上がエースになったのには驚いた。 >>62
当時の日本マット界で井上のような立体的なプロレスができるん選手はいなかったよ。
鶴田だって飛び技はドロップキックとジャンピングニーの単発の動きで連続性はなかった。
米マットのトップのガニア、マツダがバテてアップアップしてるんだから。 >>64
立ってから言わんで、自分で立てりゃいいのにw >>5
同じく交通事故に遭いながら大剛を献身的に介抱したと言われるムラサキが
「先輩として尊敬できた点はなく・・・仕方なく看病した・・・」と話している。
病室では大剛は荒れまくり手で出されて大変だったと回顧していた。 >>66
建てようとは思ってたけど、週末出かけてた間に糞スレタイで建てられてしまった。 >>65
だったらアニマルをエースにすりゃ良かったんじゃね? >>70
浜口が覚醒したのは崩壊後の新日時代
国際時代は中途半端で水分の抜けた梨みたいな選手だった 国際後期の謎は、なぜ井上に3度も木村のIWAに挑戦させておきながら移動させなかったのか?
それもタイトル戦前後でタッグで前哨戦や軍団抗争もない単発でお終い。
井上に移動させないんなら3度もやる必要はない。
で、なぜか草津、浜口は挑戦してない。 >>72
末期国際の一番の謎、というかセンセ悪いなあと思うのは
原の剛/藤波戦での苦戦→スランプ→再渡米→ヘビー転向というストーリー
そんな悠長なことやってる場合か?
ヘビー転向するならその前に誰かとJrのタイトル防衛戦→勝ったうえで華々しく返上再渡米
とかにすればいいのに、わざわざスランプギミックでイメージ落として
しかもその理由や筋書きを本人にろくに説明してなかったため原自身も腐っていたという…
こういうの聞くと本当に国際の凋落の主原因が草津のマッチメークってのが納得できる 初期にしてもロシモフ、ゴッチ、ロビンソンの優勝争いも凄い
あの時代に日本人レスラーが一人も優勝争いに絡めないって
悪い意味で斬新すぎる これも訳わからん
http://www4.point.ne.jp/~kirisame/battle/kiji/inoue.html >>72
まあ回数はともかく、井上が木村に挑戦してたのは元王者という肩書きもあってだろう。
で仮に井上が返り咲いても、国際後期の外人の顔ぶれは殆どラフファイターで
そこを鑑みてかは知らないがテクニックで試合を作る井上より、木村をその手の外人相手に金網の鬼として
エースに擁立するほうが適切だったんだと思うけどね。。 草津は失神KOでイメージ悪いし木村は華がないし井上はタッパがないからやっぱりエースは小林がよかったかな。逃げられちゃったけど 国際プロレス出身者で、他団体での活躍や芸能人としての活動も含めて
世間一般の知名度がある(あった)のは、
浜口、小林、杉山、木村、井上、寺西
の順だと思う。この序列を踏まえてマッチメイクし、他団体との対抗戦を
やらずに独自の世界観を創り上げる事が出来れば、どうにか存続出来たの
ではないだろうか。 小林って新日の引き抜き?それとも国際に不満あっての離脱? >>81
お米じゃね?ラッシャーが最後まで怒ってたらしいし >>79
浜口が有名になったのはあくまで引退後「京子の変なオヤジ」としてであって
国際時代にアニマル浜口なんて知ってる一般人は皆無
杉山も知名度上がったのは全日に移籍して
脱線ゲームやおはよう子供ショーなどに多く出るようになってからで
結局団体が健在だった頃の知名度は
小林(TBS)>井上/木村(12ch)でしかないから >>81
小林「草津をエースにする話があり、以前から離脱を考えていた」
新間「社長(猪木)、小林が国際で浮いてるらしいですよ」
猪木「よし、引き抜いちゃえ」 浜口と寺西ははぐれ軍団で新日で暴れてた時はあまり有名じゃなかった?
木村だけがやり玉にあげられて、自宅に嫌がらせされてたんなら気の毒にな >>85
有名だよ。
小林邦昭がタイガーマスク戦翌日に渋谷に行ったら一般人に囲まれたんだから、猪木の天敵はもっと上の有名人。
タクシーの乗車拒否は日常茶飯事だった。 >>83
サンダー杉山は国際の頃からバラエティに出てたよ。「本当は強いサンダー杉山」って決めセリフあった >>87
杉山はバラエティに出て電話帳破りを披露する事が多かったね。
見てる方は「またやってるよw」という感じだった。 小林が腰痛で長期欠場にならなければ2回目のMSGタッグリーグは木村小林組でエントリーしてたんだよなそれ見たかったわ >>85
浜口は「全然強くないくせに、粋がってて
鬱陶しいキャラ」でかなり知名度があったと思う。 軍団の頃の浜口って、評価では国際時代同様、元気者のイメージで82年正月の
後楽園ホールでの長州戦は月刊誌で「過激な試合」などと謳われてた。
まあでも、当時の親日の雰囲気は猪木の敵はぶっ頃せ、って感じだったからなw 猪木・坂口・木村の大型三人に囲まれた大阪でのタッグマッチが特に印象深い 崩壊後新日に上がったのがあの3人になったが、国際時代はあの3人の組み合わせ
タッグとか全然印象に残ってないよな。組む機会もほとんどなかっただろうし。 記録を見るに日本リーグ争覇戦の黒石大会で鶴田・小鹿・サクラダを破ってる模様 >>96
トリオって意味じゃなく、国際時代の木村浜口組、木村寺西組、浜口寺西組の印象がない。 浜口・寺西となればIWAタッグトーナメントに出てたな
結局は草津・浜口での戴冠でのプレみたいな感じだが 浜口は小兵だから身体の大きな外人との試合はやっぱ押され気味だったな。
草津と組んでのサモアンズとのIWAタッグ攻防、さらに同じ体格の井上との和製フライヤーズも
マイクジョージ&スイータンとの同王座戦では終始いいところが無かった。。引き分けだったかな。 >>89
木村は国際を裏切った形で出て行った小林を恨んでいたんだよな
「省三の野郎、いつか目ん玉くり抜いてやる」
新間に頼まれても流石に首を振るかもな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています