【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
「特に地方の子供たちからの人気は高く、かつて街角で見られた大会の告知ポスターでも、ブッチャーの写真があるとないのとでは、明らかに客入りが違いました」(興行関係者)
これについては、のちにブッチャー自身も『馬場との試合から日本でウケるコツを学んだ』と話しています。新日本プロレスのリングではイマイチ振るわなかったのも、猪木との相性というよりは
、最初からブッチャーの人気頼りだったため、馬場のように積極的にプロデュースする人間がい
なかったことが大きかった。ただ、馬場とブッチャーの闘いの中で割を食ったのがブレイク前の
ジャンボ鶴田で、UNタイトル戦や『チャンピオンカーニバル』決勝戦など、大舞台でたびたび
敗戦を喫しています。鶴田を倒して馬場と勝負という“ブッチャー格上げ”のダシに使われた感は
ありましたね」(同)
https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12151-14501/
なんか、ブッチャーの評価が上がってる記事がniftyに上がってる。
今見直される、ハンセンを上回る外国人エース、ブッチャーってところか。 >>91 そう、マスクを被ってたね
夢の空中戦対決だったのに、あんな悲惨な試合になるとはね >>99
本当だよ 96さんは、世界のプロレス世代後のファンじゃないかな
あとレイスがブラックウェルにピンされ、ミズーリ州王座転落とか、マジ番狂わせあったよ >>96
クラッシャー・ブラックウェルにボコボコにされるブロディとかな
世界のプロレスは日本のプロレス団体からしたらちょっと煙たい存在だったかも知れないな 世界のプロレスの頃って、ウォリアーズが超売れっ子だったイメージがある。
相手はミッドナイトエクスプレスとか、ファビュラスワンズとかの試合を見た。
ミッドナイトとの「足場マッチ」が放送されたんだけど、誰だったか解説者が
「ミッドナイトのデニスコンドリーは高所恐怖症だからツラいですねー」とか
言っていて「そんな試合組むなよw」とかテレビに向かってツッコミ入れていたな。 ブラックウェルといえば、最初で最後の最強タッグ参戦は散々たる成績だったな。
スレーター組と共に白星配給係になってしまった >>102
ロックンロールやなくて、
ファビュラスワンズに負けたんじゃないか?
あと、
スローターがハンセンに勝つのも、
ブラックウェルがレイスに勝つのも、
別に番狂わせじゃないからな。
まあ、言わんとしてることはわかるが。 ブラックウェル あの体格でドロップキック
今思えば良いレスラーだったと思う ブラックウェルは海外(ミズーリやAWA)ではメイン級
全日での待遇が低すぎたな、タイトル取っても良い位だろ ブラックウェルは国際プロレスとのダブルブッキング事件とかあったよな。
結局国際には参加せずに全日に登場。馬場がそれを評価したのかはわからないが、
そのシリーズはレイキャンディやドンムラコを抑えて、鶴田のUNに挑戦したよね。
https://i.imgur.com/ryHo8o6.jpg ブラックウェルをバックドロップで投げ切ったジャンボ鶴田の記憶もあるがね ブラックウェル、シーク・ギミックできて、入場コスチュームをやたら丁寧に畳んでいたのが印象的w
アメリカでは「アラビアのロレンス」キャラのケン・パテラと組んでたよね。
動けるし試合の勘も良く、やられっぷりもいい。出来たレスラーだったよなぁ。
世界のプロレスで特集されて、試合前にハンバーガー20個だか30個食う映像流れてたw >>97
初めて見た。一本目のピンフォール決着に凄い興奮したw >>108
日本じゃやっぱりあの手のキャラは人気出ないだろうけどな
ルックスがね・・・
ブッチャーとかビガロは巨艦レスラーとしてルックスは良かった
どこか愛嬌もあったし 世界のプロレス懐かしい
小倉がHOWマッチ同様高い声でナレやってたな
再放送やってほしいけどテレ東だし保存してなさそうw 80年代のダラスとかワンコインだったかな?で買えるプロレスDVDはコンビニとかで見かけるけどあれは、世界のプロレスで放送していたヤツだと思うんだけどな
何試合か世界のプロレスで見た記憶があるんで >>96
>>106
ウォリアーズは確かジム・ブランゼル&トニーアトラス組にも負けたよ。
どういう組み合わせかは忘れたが、ウオリアーの一人が相手を
後ろから抱きかかえたら、相手がロープを蹴って後ろに転倒。
ジャーマンが崩れたような形になり、ダブルフォールで相手が
寸前で肩を上げウオリアー組の負け。
つまりウオリアーズが初来日して、鶴龍組と対戦、
2本目、鶴田がホークをフォールしたのと同じパターン。 日本では鶴竜コンビでも勝てないウォリアーズなのに
アメリカではレフェリーのブラインドをついての凶器攻撃とはいえ
フリーバーズがピン勝ちできるんだから悔しかろうな
それもこれもマイケル・ヘイズの日本での価値が低いのが悪いんだが >>116の自己レス
9/20/84 Winnipeg, Manitoba, Canada
Non Title
Jim Brunzell & Tony Atlas beat AWA Tag Team Champions Road Warriors >>116
ブランゼル、アトラス組は、知りませんでした
鶴田がホークをフォールしたプロレス初の両国大会は、生観戦しましたよ アトラスって藤波と引き分けた試合覚えている 世界のプロレス 当初はルパン三世がやってたんだよなあ
豪華だ とっつあーん ふぅーじこちゃん
ルパンこと山田康雄が担当してたね
世界のプロレスは、ウォリアーズが頻繁に出て楽しい番組でした >>114
世界のプロレスでベタなアメプロをさんざん見せられたせいで
小倉智昭はいっそうプロレスを馬鹿にするように >>116
じゃあウォリアーズ側の負け方の提案だろうな。
この形でならピンいいですよって感じで。 >>110
ブラックウェルはバンディと同じく重心が低いのでボディスラムでも投げにくい印象
その逆がウォリアーズ >>125
ギャングも重心が高い
だからその二人が戦った武道館でのタッグマッチが記憶に残る 失礼「高いギャング」と「低いブラックウェル」が戦った武道館のタッグマッチでした
しかもドロップキックを放ったのはブラックウェルの方だけに ブッチャーはブラックウェルから山嵐風バックドロップを習ったはずなのに、
プロレスを10倍楽しく見る法では
「試合前に飯を食うブラックウェルはプロ失格」と貶める恩知らず。 プロレスを10倍楽しく見る法はプロレスブーム絶頂期だったから結構、売れたんだよな
ベストセラーベストテンに入ってたし
ゴーストとは言え名目上は著者はブッチャーだからブッチャーは美味しい副収入だったろうな〜
ブッチャー出来上がった本は全く目も通してなさそうだけどw
最近はさすがにこういう露骨なゴースト本は出なくなったな
プロレス本もインタビュー本が大半で、あとはテープ起こしの本人語り本だしね ハンセンは自分に関する記事は訳させていたというから、日本マットでやっていこうという気マンマンだったんだな。 世界のプロレスはAWAからWWFまでやってたもんなあ
UウォリアーとかマグナムTAなんかも貴重だった 「当時の北山崎小学校の勉強の世界の『羽生結弦』」こと「三秋の『折井』、『高田知彦』、『水田礼二』」♪♪♪☆☆☆♪ 「当時の北山崎小学校の勉強の世界の『羽生結弦』」こと「三秋の『折井』、『高田知彦』、『水田礼二』」☆☆☆
羽生結弦=武藤敬司やアントニオ猪木、小橋建太=大谷翔平 ウォリアーズを来日後に初めて見た人と
来日前に見た人じゃ印象変わるんだろうね
でも、そもそもウォリアーズが初来日の時にあれほどフィーバーになったのは、
「世界のプロレス」のおかげだと思うんだが。
あの皮のロングタイツと帽子が未来日の時は番組内でカッコいいと思ってたが、日本では普通のロングタイツで
多分一度も着用しなかったな。
アドニスが実はゲイキャラだったと聞いて驚いたけど、ウォリアーズの皮のロングタイツも実はそこからきてるのか?
だったら逆に日本ではシリアス暴走キャラだった事になるから、超遅れて安堵なんだけど… プロレススターウォーズも盛り上げに一役買ってると思う
異論はあるだろうけど、やっぱり初来日でワクワクしたのウォリアーズまでだったな
スティングもラシアンズもレックスルガーもいざ来日したら、ワクワクはしなかったもんな〜 >>134
アドニスのゲイキャラはちゃんとオカマちゃんの衣装でやってるよ。
黒レザーのジャケットや帽子はアメリカの暴走族ギミック。 アドニスはゲイキャラはあくまで装いだけで、ファイトスタイルは日本でやってたスタイルと大差ないとか聞いたけどな
ミスター高橋はアドニスは結構、買っていて、アドニスはあまり自己主張するタイプではなく自分に求められたものをきっちりこなすタイプなんだそうな
マードックとは名コンビだったけど、プライベートの付き合いは全くと言って良いほどなく、リング上のみの関係だったとか >>137
酔ったマードックに無理やり全日宿舎に連れて行かれて馬場の前で小さくなってたらしいな。 まあフレアーも泥酔しるとこに、馬場から「全日でファイトしてくれ よろしく頼むよ」
みたいに言われたら、即酔い覚めして、直立不動でイエッサーと言った話もあるな
世界のプロレスみたく、日本人にイメージしてるレスラーが海外では真逆だったりするのは
当時はギャップがあったよな
テリーも悪役だったんだもんな >>139
ファンクスはアメリカでは完全ヒールってわけでもなくて、テリトリーによるって聞いた
ドリーとシークがタッグを組んだときも当初、ヒールコンビかと思ってたら相手コンビがヒールでドリー&シークはベビーフェイスだったからな
まあ、シークは反則もするけど日本のときみたいなえげつなさはない
ドリーは日本とまんまのスタイル >>139
馬場がその姿を見てもう自分がNWAに挑戦する時代じゃない、と悟ったらしいな >>141
というか後年NWA王者になったフレアーに対して、その時のイメージがあったから、もう自分が挑戦する時代じゃないと思ったんだったか >>134
アドニスのは云われてるようにハードゲイギミック
日本では同性愛=ゲイで一括りにされがちだけど
向こうでいうところのハードゲイは所謂オネエ、オカマではなく
マッチョ趣味によるSMなどのハードプレイを伴った同性愛嗜好のこと
アドニスの場合はAWA時代なんかの革ジャンコスの頃がこのハードゲイギミックで
後のWWFに髪を染めて上がった時が所謂日本でよく言われるところのゲイ(オカマ)ギミック
あとウォリアーズの革コスはゲイギミックとはあまり関係なくて
暴走族〜といっても現実のヘルズエンジェルスとかでなく
映画『マッド・マックス』からそのまま持ってきている
そういう意味ではホーガンの『超人ハルク』とか
日本でいえばそれこそ『タイガーマスク』とかと同じ文脈で考えるのが適当 >>135
北斗の拳を忘れちゃダメだろ。
ウォリアーズはリアル北斗の拳キャラ
だったからな。 >>144
『北斗の拳』自体が『マッド・マックス』の世界観をそのまま流用してるからね まあ北斗の拳はバイオレンスジャックとマッドマックス2からのパクリだからな
登場人物は80年代からのマッチョレスラー多し なんか映画「マッドマックス」の偉大さを初めて知ったよ
すごい影響をあらゆる世界に与えてるんだね
つーか、やっぱマッドマックスって2の方だよね?
北斗の拳やウォリアーズって2のヒューマンガス軍団の事でしょ?
そういえばラシアンズやトム・マギーが初来日した頃に
新日にまんま「マッド・マックス」ってタッグチームが来てたな、ワカマツに先導されて。 マッドマックスって凄い塩分が高すぎたような…
ウォリアーズの影響受けたのかわからんがウォリアーズみたいな頭して出てきたコンガ・ザ・バーバリアンも…
カブキの影響かケンドーナガサキも…
当時の新日は全日に来たレスラーの劣化コピーが多すぎる
全日は全日。新日は新日それぞれででいいところあるんだから新日が安直にその時の〇〇ブームに乗ろうとしたのは頂けない
特にコンガ・ザ・バーバリアンとスティーブ・ウィリアムスの試合とか遺憾試合だとなんとか手前味噌で盛り上げた割に塩分高すぎ
余力残ってるのに盛り上がりもクソもない馴れ合いバレバレ
チェーン巻いたラリアット遠慮気味すぎw
あんなの金払ってまで見る価値ねぇよ!ってわざわざお金払ってまで観戦した俺が言っていました。 ラシアンズも新日のマッドマックスもどっちも
1シリーズだけの来日でなかったっけ?
どっちも必要性が感じなかったタッグ屋だった。 ラシアンズのバリー・ダーソウは後にスマッシュ・デモリッションやリーポ・マンとして
活躍したけどマッドマックスの2人はその後も全然出世しなかったな
あまりにしょっぱすぎたw 新日はハンセン・ホーガン幻想が強すぎるんだよ。
後に来た体格のいいパワー型外人選手を全員それに当てはめようとした。
結果みな新日では中途半端で、WWEに行ったらブレイクとかね。
全日はスパイビー程度の選手でもそれなりにしてしまう部分はある。 >>135
あれはいろいろタイミングが神憑っていた
漫画に初登場したときはまだポリス帽&サングラスで、日本では専門紙を読むようなファンにしか知られてない時期
作中の他の外人チームはお馴染みの面子なので不気味な存在感が際立つ
連載中に「世界のプロレス」が始まり秒殺試合が連続放映、当時はTVマッチなんてわかってないのでとんでもない強豪チームとして知られるようになり、
当初ラスボスかと思われていた超獣コンビをセミにして堂々のメイン登場
レスラーというより脅威の怪物的な書かれ方をしていた まあ外人の使い方が下手だったよね
引き抜いても持て余したり >>148
異論は認めるがポーゴ、ナガサキ組が出場した年のタッグリーグは全日より面白かったけどな
全日は長州たちがいたときは最強タッグは面白くなかった >>154
あの年の新日の延命力は凄い
救世主ブロディがタッグリーグ限りで離脱してしまうが
結果的に年明けからUWF軍が参戦する事が決まっていたから、ダメージは少なかった
年末の時点でもしUWFがまだ存続していて、ブロディが離脱してたら本当に目も当てられない新年シリーズだったはず
そもそもが1985年からして、初頭あたりはバンディとマシン軍増殖で何とか持たせてたようなもんだったし
まあ春のブロディ参戦、年末のUWF参戦発表と、ギリギリで新日は踏みとどまった。
全日もあらゆる選手を集めて勝負をかけたが、集大成たる年末の最強タッグの決勝戦はかなり空席が目立っていた。
たぶん馬場も年初はともかく、年末あたりではけっこう誤算だったんではないかな?
プロレス界のパワーバランスに対してさ、もっと押し切れると思ってたとはず。 >>147
メル・ギブソン主演の近未来ハードボイルドSF。
自分はバイオレンスはあまり好きじゃなかったが
あのモヒカン刈りや、暴走族スタイルは学校の男子群には大人気だった。 最強タッグにしろMSGタッグ、他昭和のリーグ戦も帳尻合わせの試合はあったはずだが、今のG1みたいにいかにも帳尻合わせですよ、みたいな不自然さがなかったのは何でだろうな。両リンという便利な調整があったからか。 >>157
そういう不自然さや違和感のある内容や結果の試合は大抵ノーTVの興行に回していたからでは?
それとやはり両リン反則決着が許容されていた時代だから
ファンクラブの会長経験者みたいななマニアでもない限りその手の過度な裏読みをする客は少数派だっただろうし >>145
いや、マッドマックスが源流なのは承知しているが、
ウォリアーズが「日本」で盛り上がったのは、
北斗の拳とオーバーラップした所が少なくないということ。 >>158
あー、なるほど。天龍と原がハンセン、ブロディに反則勝ちしたのもノーテレビだったしそれはあるか。
あと反則決着が容認されてたのも大きいわな。今は明らかに格が違うだろうという組み合わせでも番狂わせのフォール決着にしないといけないから余計に不自然になるのか。いつぞやのヨシハシとオメガとかw そう?鶴龍対木村鶴見で鶴龍の反則負けってメチャクチャだけどw
ジャパンプロレス時代は両リンとか不透明過ぎたからそれ以外はそうでもないかもだが 普段は鶴見のフォール負けが決まってるのに…
最強タッグは木村鶴見対外国人が当たるから珍しいけどTV中継はないからなぁ。 >>152
そうそう。あれはよくぞウォリアーズがスターになったよな。ローカルの三流タッグで終わってもおかしくなかったのに。
プロレススターウォーズという漫画にとっては最高の展開になった。 >>154
アンドレとアドニスが参加してたらなあとつくづく思うわ。 マッドマックスは日本名で、原題がロードウォリアーズだからね。 今、G+で馬場・鶴田×ハンセン・ブロディをやっているけど、
客の盛り上がりが凄いな。 アドニスはマードックとのコンビが評価高いが、日本で実現したタッグの中での
ベストコンビは間違いなくボブオートンジュニアだな。たった1シリーズだけ
だったのが本当に残念。新日リングの話だからスレ違いになって申し訳ない。 ハンセン、ブロディか。
肉弾戦だな。全員190センチオーバーだろ。 スヌーカの赤いリングシューズって珍しいよね、当時あまり記憶がないな。 映像だけ見ると、スヌーカの方がテリーより年長なんて信じられんな
テリーは年相応だけど、スヌーカが若すぎ >>165
だね
ちなみにウォリアーズがWWFに入ってリージョンオブドゥームに名称変更したのも
映画とのキャラクター版権の問題から >>158
今のリーグは、ほぼ全員が最終戦の前の段階で4勝4敗、みたいな不自然さがあるからな。白星配給係は必要だよ リングサイドのアポロもターザンも若過ぎて笑ってしまうなw 当時からスワンダイブ使っていたんだ、スヌーカはすごい身体能力だよな。 ハンセンとブロディを組ませるとはいえ、結構無理のある同士討ち→仲間割れだな。一応世界最強タッグの優勝チームなのに かなり無理矢理の仲間割れ。この後スヌーカがWWFに行かずに、
レイスとのコンビで超獣コンビと抗争するのを見たかったなあ。 スヌーカ&レイスで馬場&鶴田に勝ってさあ最強タッグってところで離脱だもんな
あのまま全日残ってたら日本での人気ももっと上がってたかねえ 馬場vsハンセンの二戦目久々に見たら、むしろ馬場も初戦より動けてるくらいだな >>179
いや、オレの主観に過ぎないけど
いくら日本に残ってもレイスと組むんじゃ、ブロディと組んでた頃の手下感から抜けれてないと思う
確かに仲間割れでブロディと対等にもってこうとしたのはわかるんだけど、
レイスと組んだら元の木阿弥、スヌーカが抜け切るには対等のパートナーとか
もしくはスヌーカの方がリーダー的なポジションが必要だったと思う
だからリッキーなんて最高だったと思うんだけど、ジェイとのコンビで一段上にいけそうな予兆があったからね。 そもそもスヌーカの日本での序列があまり高くないから
同格か下のパートナーなんて選んだら、超獣コンビと互角には戦えない
レイスぐらい強力なパートナーでないと 天龍がアメリカ修行中にスヌーカを見て
天龍「凄くいい選手がいますよ。日本に呼んだらどうですか?」
馬場「ふ〜ん」
と全く関心がなかったららしい。
数年後スヌーカが大ブレイクしたら呼んだけど、すでにギャラは急騰していたとか。 馬場から見れば
スヌーカはチビでしかないから
ブレイクは予想外だったんだろう 石川が相撲出身なのにブランチャをするのは
憧れのレスラーがジミー・スヌーカだったから 当時は動画も無いし、
良いレスラーがいるなんて話は、全米中の悪徳プロモーターから馬場に喰わせもんレスラーを
送り込まれてたんだろうから、そりゃ二つ返事ってわけにはいかんだろ。 スヌーカは日プロにも来日してるし半人前の天龍に言われてもって感じだったんだろ >>186
人気投票一位で日本に呼んだスパイロス・アリオンが
外れだったって事例もあったしな 馬場・猪木組ってファン目線ではどういう印象だったんだろ?
深い背景や米マットとか関係なく、見たまんまの体格のバランスとか日本での格の位置付けとか
ブロディ・スヌーカ組みたいな感じだったのかな?
やはり対等な関係じゃなくて、 6:4ぐらいのパワーバランスって感じで。 馬場は当初はマスカラスよりアリオンを評価してたから
インターの挑戦を受けた
だが世間の評価は逆だった スヌーカは将来的にはWWF王座も期待されてた一方で性格に難があるとか言われてなかったか? まあ、レイ・メンドーサとかも期待はずれだったんだっけか?
ハンセンだって初めての全日本ではなあ・・・ >>183
スヌーカは過去に呼んだときの印象が良くなかったから興味を示さなかったんだろうな。 >>190
リアルタイムでは知らないが
猪木がワールドリーグで優勝するまでは
馬場の方が上という感覚だろうね
それでもBI砲は全体の戦績を見てると
馬場はインターのシングルを盛り上げるために負けさせることが多くて
猪木には大物外人相手に一本とったり決勝フォールを取ることで
格上げさせるための舞台にしている感じを受ける 日本プロレスに来ているんだよね>スヌーカ
その当時は印象に残らんレスラーだったらしい
かなり遅咲きの花なんだよ >>197
年齢的には
猪木、モラレス、レイス、テリー、マスカラスと同じくらいだから
遅咲きだね スヌーカは、あのムササビ飛びがなかったら
日本ウケしなかったんじゃあ。
いつからやり始めたんだろね。 でもタッグチームとしては、スヌーカはずっとブロディの親分格だったんだろ?
日本での扱いが格下(先に名前をコールされる方)のレスラーが、
タッグチームのリーダーを務める方がいいタッグになるイメージがあったな。
ブッチャーとシークもそうだったし、シンと上田もそうじゃないのかな? スヌーカは日プロにも初期の全日本にも来てるんだよな
久しぶりの81年ではリッキーの相手として呼ばれたがリッキー以上に評価が高かったので最強タッグまで連続に招かれる事になったとか 1985年12月12日(木) 『85IWGPタッグリーグ戦』最終戦当日
仙台行き東北新幹線 11時発『やまびこ49号』内@東京駅
ブロディ「今夜はサカグチは試合には出ないんだろうな」
Mr.高橋「いや、本人は『出る』と言っている」
ブロディ「あの足の状態じゃ、出られないだろ!出すな!!」
Mr.高橋「出すなと言っても、本人が『出る』と言ってるんだよ!!」
ブロディ「サノバビッチ!!!」
こう言って新幹線を飛び出し、スヌーカも行動を共にしたんだよな。
テリーは自伝の中でブロディ&スヌーカを「プロレス史上最高のチーム」と絶賛している。 >>204
なんで坂口が出場するのに
ブロディが怒るのかよくわからん >>205
そこが新日の後ろめたさ隠しかも。
真相は、ブロディ組に急に負けブック飲ませたんだから本当のこと言えんわ あの時は藤波が猪木をフォールして終わった
あの負けブックをブロディにやらせようとして
ブロディが拒否してボイコットしたのが真相じゃないかって推測があったね
ブロディのインタビューでもその辺の理由ははっきり言っていない
「理由は新日本に聞いてみろ。俺は言いたくない。
口にしたくないほど汚いからだ。」
「売春婦なら金を払えば言う事を聞くだろう。
新日本はレスラーを売春婦なみに扱う。」とか >>202
スヌーカが親分格なんだったら、
ブロディと一緒にボイコットするかね? >>206
急遽藤波に負けろと言われた上、
藤波組が猪木組とのダブルヘッダーだったから
なおさら怒ったのかも。 >>209
レスラーとしての契約は個人個人別々なんだから、親分も子分もないだろ?
あくまでもタッグを組んでの、試合の中だけでの話だよ?
ブロディが新日と揉めたら、スヌーカは自分もお払い箱と思ったんじゃないの? >>208
ハンセンも全日本への移籍の理由を新日本の商品扱いにあったと言ってたな 【決勝】○藤波、木村vs●ブロディ、スヌーカ
【進出戦】藤波、○木村vs猪木、●坂口
これではいくらなんでも怒るだろう・・ >>213
ましてやブロディ組はリーグ戦では独走だったからな。
ところでこの2年4ヶ月後、同じ仙台で鶴田に寝ることになるのだが、88年チャンカーの日程が
決まった時点で馬場は意識してたのかな? >>205
こうだろうな
・ブロディ組決勝進出、猪木組×藤波組は同点2位で決勝戦進出戦
・ブロディ、藤波組への負けブックを飲むも、藤波組2連戦からの負けは拒否
・前日の福生大会・坂口×ブロディで、ブロディが坂口の足を破壊
・坂口欠場で、藤波組×ブロディ組で決勝戦
・猪木、気まぐれで「やっぱり俺たち出るぞ」 スヌーカも、ブロディと日本で意見割れしたらアメリカで仕事しにくく
なりそうだよな。
ブロディは、急すぎるブック変更とかプロモーターと揉めそうだな。 プロモーターに負けろと言われて怒る方がおかしいのに、
何でそんなに真剣に議論してるの?
ブロディはキチガイ。それで済む話。 開幕戦で反則ながら藤波組が勝ってるし、決勝でもとなるとなぁ 昭和プロレスで、プロモーターの意向や
ブックが「絶対」だと信じてる奴って、
むしろ昭和の「プロレスが真剣勝負だと頑なに信じていた」ファンと
同じ脳の構造なんだよな。 >>203
81年のスーパーパワー、サマーアクション、スーパーアイドルシリーズは
昭和全日にとって正念場だった感じ。
スヌーカ、シン、全日ジュニアを開拓するチャボの参戦、
失敗したけどポスト・ブッチャーとしてマーシャルボーグ(笑)を売り出そうとしてみたり
「国際のエース外人は全部ウチが頂く」って感じでジョーを参戦させたり
後々に繋がる種はしっかり撒いてたんだな。 >>215
そういえば坂口の足の怪我って本当のところ
はどうだったんだろうか?
ミスター高橋の最初の著書ではあれは明らかに
プロレスの範囲を逸脱した攻撃で坂口選手の足は
ボロボロになった。
次に出たやつでは坂口選手はあんなことでは
びくともしない頑丈な身体をしている。
確か仙台の試合では足引きずってたけど。 >>217
最初はブロディ優勝で話してたんだろ。
だから開幕戦での藤波組への負けを飲んだ。
なのに直前で反故にされた。
そりゃぶちギレるだろ。 ジミースヌーカの名前を頻繁に見るようになったのは、70年代後半80年(昭和53〜55)頃のゴングの
ページ下部によく載ってたレーティングスだったか。各雑誌のベビーとかヘイト(ヒール)のランクで、いつもスヌーカの名があって
当時、まだどんな容姿なのかも知らない厨房でw、その後リッキーのライバルとしてにわかに脚光を浴びつつある選手として
認識していったよ。。 スヌーカはタイガーとのコンビが期待はずれだったからな〜
もし仮にスヌーカ、タイガーが期待通りの活躍を見せてくれればまた違ってたかも知れない >>225
あの頃のスヌーカってもう45歳位なんだよね
さすがに年齢的にキツかったんだと思う 今は棚橋が40過ぎてるし、見た目も含めて若いヤツが増えたな
プロレスラーの寿命も長くなってきてるし
まあ、長州や藤波が現役でやってるくらいだからな
悪く言えば新陳代謝が生まれ難くなっているとは言えるけど さすがにカブキと大仁田はもう復帰はしないだろうなw 大仁田二度目の引退のきっかけになった天龍戦だけど、試合後に天龍が
引退を思い留まるようにマイクアピールする手筈になってたんだけど、
それがなかったんで引退するしかなくなっちまった、てな話をどこかで
見た記憶があるな。本当なんかな。まぁ結局はすぐ復帰する事になるんだけど。 カブキはノアのリングでニ度目の引退式をやる必要あったのか?
あと、いくらプロレスとは言えそりゃ無いだろう?って思ったのはドリーだな
服着ながら試合するのもアレだし、引退して即、試合するのもちょっとな
せめてエキビジョンにすべきだよ
あと老体晒したくないのはわかるけど、それでもTシャツくらいにすべだろう
マスカラスも前日タイツになってしまったがまだマスカラスは許容範囲 >>227
長州の引退も無かった事になってるし、藤波も引退カウントダウンとかやってたが、これもいつの間にか無かった事にw プロレス界特有の「無かったこと」もなく、全日本プロレス一筋44年の渕は掛け値なしでスゴいわな >>219
オマエ、誰にも相手にされない人生を
送ってきたんだろうな。 >>238
もしかして、馬場全日時代から一回も引退どころか
移籍もせず、全日に残ってる関係者って渕だけか?
京平は、武藤時代に一回クビにされてるし。 飛行機事故で亡くならなければ園田も渕と同じでいられただろうか? >>241
契約が切れてフリーだった時期はあるけど、他団体のオファーは全て断ってたので実質全日本一筋みたいなもんです 今もIWGP戦を裁いてる
海野が元全日のレフリーということは
今のファンは知ってるんだろうか >>244
コスチューム、髪型、立ち位置、リングネーム
その他あらゆるものがデビュー当時から変わってないのもすごい。
タイツは一時青系履いてたけど。 馬場が作った全日と今のオールジャパンの関係はUWFとUインターみたいなもんだろ。 >>243
例え存命でもSWSとかに移るとも考えられんし
あと早く亡くなっちゃったけど大熊元司と同じく団体内政治に関心のある野心家タイプではないので
コーチとか現場で実直にやってる分には問題なかったろう >>243
全日分裂の時に元子と三沢、どっちに付いたんだろうな。
>>244
他団体のオファー断ってたとか、ブログで散々家賃払えないような事ぼやいてたのにw
でも、今の秋山全日は実質フリーみたいなもんか。 >>248
案外、ノアに移っていた気もする
三沢も薗田のことは慕ってたし
まあ、ノアも随分、落ちてしまったけど >>213
一戦だけならともかく二戦目になる相手に負けるというのが嫌だったんだろうな
第2回MSGタッグリーグも二戦目の猪木・藤波が負けたし >>221
ジョーの登場と共にマスカラスのIWA防衛戦が解禁されたのもポイント
まさに国プロの死亡認定という感じで
とにかくブッチャーが去ってからハンセン登場までの時期は重要という感じ
その間にブロディに一度インターを巻かせたりして しかしそんなトラブルメーカーであるにも関わらず、新日復帰したり全日出戻りしたのは凄いよな
やっぱり、それでもブロディは使いたいと思えるような魅力があったのか?
何となくイメージ的には松田優作のイメージが被るけどね 新日本でのブロディの復帰については金曜八時陥落間近のテレビ事情があった模様
あと全日本への出戻りについては他のテリトリーが潰れまくって稼ぎ場を失っていたブロディ側の弱味 >>239
>誰にも相手にされない人生を
>送ってきたんだろうな。
↑そういう人間を思い浮べるのは
自分が、そうだからだろ?www >>244
分裂した時が吉村の引退した年というのが凄い
武道館でのメイン登場とかドームでのライガー戦そして二度のアジアタッグと美味しい余生といったところか >>255
ブロディ単体というより、ブロディが居ることに他のレスラーも存在感を増すという相乗効果もあるからね。
猪木、ハンセン、鶴田、ブッチャーとか対戦しても組んでもやはり試合に重みが増す。
ホーガンなんかは真逆のタイプで単体で光るタイプというか、ホーガンしか光らないというか…
まあそれがスーパースターなんだろうけど。 ブロディって集客力は無いけど、会場人気はハンセンと遜色無いと思うんだよなぁ。
あの入場シーンはプロレスを見に来たなぁって感じになる。 ブロディはNWAのような大きな団体でもそれなりのポジションで活躍出来るとかけど、小さい団体でトップ張っていたほうがプライドが満たされるとか言われていたよな
マスカラスもそういうタイプらしいね
ブロディとマスカラスが合わなかったのは似た者同士だからだろうね 渕って、プロレスゲームのキャラになったことあるっけ? >>255
ブロディと優作はダブルよね。
@デビューが同年(1973年)
A亡くなった時期がほぼ同じ(ブロディ:1988年 優作:1989年)
B亡くなった年齢がほぼ同じ(ブロディ:42歳 優作:40歳)
C他と群れない
Dワイルドなキャラクター
>>256
最後はプエルトリコと全日本だけだったからね。
プエルトリコはそれだけブロディにとって重要性が増していた。
>>263
自分を小さい団体を救う「救世主」と考えていた。
あの風貌はイエス・キリストを意識していたとも言われている。 カリブのプロレスビデオも日本人にとってはブロディやハンセンが参戦して無きゃ意味ねえしな
最後はコロンと組んでのブッチャー スパイビーだったか >>269
そう。
事件前日:ブロディ&コロンvsブッチャー&スパイビー
事件当日:ブロディvsスパイビー
最後がハンセンの90年代ベストパートナー・スパイビーってのも因縁だな。
>>270
『探偵物語』なw
もっと言えば、優作は一時期、馬場と同じ恵比寿のマンションに住んでいて、
馬場びいきでもあった。 >>226
昭和最後の最強タッグか
むしろ天龍のパートナーとなった川田が注目されて武道館のメインにも登場
当時の三沢としては相当に複雑な心境だったかも ブロディの新日移籍
潰れる寸前の新日本にとって救世主
ブロディ自身も米国で潰れそうなインディーに登場して盛り上げるのが好きだったようだしウォリアーズと同額のギャラやメインをジャパンに取られてプライドを傷つけられてた
ブロディの全日出戻り
ゴールデンタイムで新日本を蹂躙したブロディがギャラダウンして鶴田への負けブックまで飲んでくれるんだから全日本としては儲けもの
事業を始めるためにもう少し現役を続けたかったブロディとしては全日本の条件を飲むしかなかった
鶴田への負けブックげあるといってもその前にインターを獲らしてくれるという馬場の絶妙なさじ加減もあるが あの涙のインター奪取が伝説化したんだよな
涙の意味については様々な解釈が今でもあるが >>274
約束を反故にせずインターをくれた全日本に戻ってきてよかったという涙かもな
あの後三冠統一戦やハンセンとのシングルでまた主役に戻れるというプランも聞かされていただろうし あの鶴田の負けっぷりが光ったとも言える。
ドラマチックだった。帰ってきたブロディが返り咲いて泣いていると。 それにしても復帰直後からのブロディの扱いの組み立て方は武道館戦を見ても実に上手いの一事
武道館としても最初となる特参の時は決起軍との六人タッグ
次は最強タッグの最終戦メイン登場
そして三度目はインター奪取
もし生きていれば四度目はハンセンとの超獣対決になったはずであり最強タッグではどうなったかも気になる 渕のいう鶴田とのタッグが本当かどうかわからんがしばらくは鶴田天龍ハンセンブロディの4人が主役だったろうしな そこに谷津あたりがどこまで迫れるかといったところか
まあ輪島の年内撤退は変わらないところだろうが 谷津は新日に入った経緯やら入ってから猪木やら維新やらジャパンやら文句言いまくり
馬場の事を今になって肯定してるくせに、何で退団してメガネなんか移籍したんだ
移籍先に天龍がいれば谷津なんてその下に据えられるくらい当然だろうに
いざメガネに行ってから待遇にガタガタ不満並べるとか頭悪過ぎだろ あの性格では、猪木と馬場の双方から可愛がられるはずも無い。 >>258
>>259
(オッペケ Srbd-BsiM)
7分後に反応は早いな
よほど、友達がいなくてネットに
かじりついているんだな!
お前、他スレも荒しているだろ?
惨めな人間だ。www
生きている資格がない。www >>280
自分がいては三沢と川田が大きくなれないから。
先輩がいなくなって谷津に依存していたことに目が覚めて大成できたからね。 >>282 まぁまぁ、落ち着いて
プオタ同士仲良くやろうや
オレらは天下のプオタ者 >>282
おー、更にムキになってるな。
ほーれ、もっともっとムキになれ。
あー、面白い。 猪木は後に本気になったら谷津が一番強いとは言っていたけどね(勿論、強さってのはレスリングの強さのことだけれども)
なんだかんだ言っても、そのポテンシャルに関しては認めていたんじゃないかな? もしブロディがいきていたら鶴田ハンセン対天龍ブロディとかあった気がする。
あと初代三冠はブロディで決定だったと思う。 初代三冠はやっぱり鶴田で変わりなかったんじゃないかな?
当時の天龍人気をもってしても、天龍は初代にはなれなかったくらいだし
当時の馬場の頭にあったのは人気の天龍、実力の鶴田路線だと思う
ブロディは生きてればいずれは三冠は取れたと思うけど、鶴田を差し置いて初代はなかったと思うな
なんだかんだ言って統一したチャンピオンで後世まで語り継がれるのって初代だし 貢献度を考えたら初代は鶴田
ハンセン→天龍→ブロディという流れじゃないかな でも三冠統一の舞台が大田区体育館だったのは不満だったな〜
武道館か東京体育館あたりで統一して欲しかった 日プロのインターシングルを復活させるためトーナメントした時
初代王者はドリーだった、まぁすぐにブロディに獲られたが
その後もウォリアーズ全盛の時もジャパンに荒らされた時も
ファンクスへの好待遇は変わらなかったのに
ドリー「元NWA王者の俺が何でこんな低い扱いなんだ」
五十過ぎてとっくに体力の衰えた状態でそんな不満を訴えられるとは
馬場も予想していなかったらしい 当時のマスコミはファンクス、マスカラスあたりはマンネリとか批判していた印象はする ファンクスは輪島デビューのあたりまではギリギリトップレスラーとして踏ん張ってた気はするけど、天龍が離脱した年の最強タッグに久々に来た時に完全に過去のレスラーになってたイメージだ。 テリーに関しては長州対テリーのシングルで終わった印象はある
あのガリガリに痩せた身体はショックだった
FMWやらWWEで復調するけど、あまり興味は沸かなかったな〜 ファンクスの最後の見せ場はゴールデンでのウォリアーズ戦だったような
場外でリフトアップされたテリーが自動販売機に投入されるコインみたいにリングの中に投げられるやつ
フリッツにアイアンクローをされたままトップロープ越しにリングの中に引きずりこまれる鶴田以来の衝撃 >>290
東体はまだ改築中だからな。
両国もこの頃なら使おうと思えば使えたんじゃないか? ファンクスの昭和最後の来日は1987年の最強タッグだったかな。
彼らの試合はTV中継されたかも記憶にないな >>291
でも、さすがにファンクスはもうタイトル戦線には絡まなかったし、本人たちからしたら待遇に不満を感じても無理はないかも
まあ、新日だったら露骨な負けブックを与えて呼ばなくなるんだろうけど、馬場はファンクスやマスカラスはメインからは外して、中堅ところに勝たせて華を持たすやり方だったよな
ロビンソンやデストロイヤーもそうだったし
でもマスカラスやらロビンソンに比べたら、ファンクスはまだ重宝されていた印象
最強タッグでも優勝はしなくなったとは言え、一応、優勝戦線には絡ませていたし、ピン負けもほとんどなかったしね
ドリーの言い分に関しては理解出来る反面、些か身の程知らずの感も否めない 全日は最強タッグよりチャンカーみたいなシングルのリーグのほうがいまいちだよな。
晩年のドリーvs鶴田の忖度マッチはひどいもんだった。
よく日テレはあれを放送したよな。
タッグならパートナーf犠牲で逃げれるが、シングルじゃそうもいかんからなあ。 馬場とドリーの最後のシングルが
オープン選手権の時だったのが意外
その後20年以上ドリーは全日に来てるのに >>290
三冠統一した時(鶴田vsハンセン)の大田区体育館はお客さんは入ったのかな?
天龍革命が始まってしばらく経った頃、大田区体育館で鶴田vs原が組まれて
見に行ったんだけど、目算で半分もしくは六割ぐらいしか入ってなかった感じ
そういえば鶴田vsハンセンの時は事前に後楽園で同じカードが組まれてたけど、
あの後楽園に見に行ったファンはひどい思いをしたな。 >>280
川田はそうでもなかったけど、90年5月、6月は三沢&小橋がこれからガーッと上がって行きそうな気配があった。
谷津は
彼らの踏み台にされるのが嫌で逃げたと俺は未だに思っている。 全日は出し惜しみする印象
結局、それで旬を逃してしまう感じ
鶴龍対決で全日は変わったっていうけど、まだ出し惜しみしてる
印象はあったな
本当に変わったのは四天王からかな
四天王以降はシングルもがんがんやるようになった印象 俺の生涯観た中で、そこそこのキャリアの選手が行った試合でワーストワンも、全日での
テリー・ゴディvsデイビーボーイ・スミスだったわ。
あれほどgdgdでやる気もなく、技も失敗しまくりのゴミ試合はない。
まあTVマッチで中継録画準備してるから、やらないといけないんだろうけど、
さすがにあれを放送するのは、全日本プロレスや日テレのプロレス中継のマイナスのほうがでかい。
お蔵入りさせるべきだろ。 >>303
せっかく鶴龍対決を組んでもリングアウト、反則裁定にするもんな。昭和らしいビジネスのやり方だよね。
反則、リングアウトなら選手の商品価値も落ちないもんな。 >>304
それって90年のスーパーパワーシリーズかな?
93年のチャンピオンカーニバルの草加かどっかでやっていると思うけどその時はテレビは入っていなかったし。 テリー・ゴディvsデイビーボーイ・スミスってカード的には悪くなさげなんだけどな
しかしゴディってポテンシャルは高いと言われていたけどシングルだと名勝負って少ないな >>307
ないねえ。あのサイズであれだけ動けるのって凄いのにね。 そこそこのキャリアの選手同士で酷かった試合って97チャンピオンカーニバル後楽園。新日の東京ドームの裏で行われた。
ウイリアムスvsエースの公式戦だけど誰か観た人いないかな?あまりの酷さに客が激怒したらしい。 フリーバース、ハンセンとタッグでは恵まれたから、
タッグ屋になってしまったんだよね、たぶん。
シングルではパワーボムで強引に抑え込むまで、本当に下手糞 外人同士ってやっぱりお互い怪我しちゃたまらんからと示し合わせて手抜きに走っちゃうのかね?
あるいは元々がそのレベルでしかないとかなのかね? >>310
殺人魚雷もそうだよね。意外とタッグ屋だったんだね。
>>311
週プロの記者のコメントだけど四天王に比べて意識が低かったと思う。
同じ日のメインだった川田vs小橋はいつも通りだった。エースなんかアピールばかりで試合内容は常に酷かったしね。 >>303
だけど四天王の時代はマンネリで
どっちもどっち
ガイジン天国時代の全日は入場から試合までが見どころだったw 天龍 ハンセンvs川田 ウイリアムスもグデグデで
なんとかしてくれーってヤジで笑いが起きてた >>314
2000年9月かな?川田以外は歳でもう駄目だろ。 今の新日みたいにAJとかオメガみたいに日本人選手と遜色ないレベルの外人がいればマンネリ化は
解消できたかも知れないけどね
まあ、ウイリアムスもエースも四天王とシングルは悪くなかったんだけどね >>316
おいおい、適当なこと言うなよ。
ハンセンもゴディもウイリアムスも四天王と互角以上の戦いしてたろ。
常に20分超えるハードな試合だったから目立たないだけで、三冠戦は全部好勝負だった。
そうでなければ、日本人対決だけにシフトされてたろうよ。
マンネリになったのは、試合内容云々というより、このスタイルに付き合える選手がそんなにいなかったからだ。顔ぶれが同じならそりゃマンネリになる。
新日だって、棚橋とオカダと中邑しかいないときはマンネリと言われてたじゃないか。 ビッグ・ブーバも四天王プロレスについていけなくてというか
ラクしたくて新日に移ったと言われてる。
ウィリアムスは、俺も仲間に入れてくれと言ってきたし、ハンセンは
小橋を徹底的に痛めつけて屈辱のボストンクラブとかもあった。
もう、アメプロで、あのスタイルをやらなきゃなら全日本はノーサンキューと言われてたのかも。 結局日本側で鶴田天龍+四天王、外国人でハンセン、ゴディ、エース、ウィリアムスが常連で
これに各シリーズで新顔の強豪候補がいて、更に偶にファンクスとかマスカラスとかの
昔のお馴染みさんがいたらそいつらの顔もそれなりに立てなくちゃいけない
もちろん馬場本人はモチロンJr組や極道、後の悪役商会あたりにも出番は必要なわけで
昭和末期〜平成初期の全日ってSWS騒動で天龍達が抜けた後でさえ
単純なレスラーの頭数だけでいえばインフレ起こしていて
結局その中から日本:鶴田、外国人:ハンセン以外の誰がどのくらい重要なのかが
団体側とファンの側でイマイチ一致してなかったんじゃって気がする >>318
ブーバーは当時のWWEとWCW間の移籍契約を巡ってこっち辞めたから来週からそっちとはいかないので
解禁まで冷却期間の限定参戦みたいなもんだろ
全日の立場からすりゃ定着しないのが最初からわかってる奴にそこまでいい顔させる必要はないし
ブーバー本人も向こうじゃ引く手あまただったから別に日本での地位に執着もないところを
当時の全日四天王ageエンタメ風味のアメプロsageの風潮に使われさもケツ割ったように言われただけ エースは三沢相手に色んな種類のエースクラッシャー使い始めた頃はオッと思ったけど一瞬だったな >>316
オメガはちょっと危なっかしいもの感じるけどな
怪我するんじゃないか?みたいな >>303
でも、テリーvsドリーの兄弟対決とか、マスカラスvsブッチャーとか、割と凄いカードをシレッと出して来たりもするよね。
尤もテリーvsドリーはもう一寸早く、テリーがNWAチャンピオンだった頃に、NWAのタイトル賭けて
やって呉れたらな、とも思った。 ノンタイトルでのレイスとフレアー戦なんて良かったよな
最後はレイスのダイビングヘッド
展開もいつものようにのらりくらりせずやってたな >>326
あの試合は確かに良かった
この両者なら見せ場を出し合って両リンかな?
と誰もが思ってたと思うけど、決着がついたのも含めて後年まで良い意味で記憶に残ってる理由かもね。
しかし、あの試合のメインはケリーと鶴田のNWA戦だよね?
これで田園コロシアムはキャパ的に無理があるよなあ…
この直前に鶴田がAWAを外国で落としたとはいえ、「世界を獲った鶴田の試合を見に行こう」
って鶴田の動員力が変わらなかったのも痛いな。 >>324
ファンクスの兄弟対決はもう凶悪組との抗争も終えて、ネタが尽きたからじゃない?
テリーが王者時代(76年前後)で兄弟対決って、ちょっと機も熟してないつうかファンクスのミーハー人気なんて無かったころだし。 >>327
あの流れは三包一両得みたいになってるんだよな。
ケリーは格上の鶴田に引き分けてタイトル防衛したけどフレアーに敗戦。
フレアーは田コロでレイスに完全ピンフォール負けで赤っ恥書いたけどタイトル奪取。
レイスは田コロで勝ったけどタイトルは獲得出来ず。
1番馬鹿を見たのは格下のケリーと引き分けただけで終わった鶴田。 フレアー対マーテルも名勝負だったと思うけど、マスコミはどっか冷ややかだったよな
観客はホントにこういうカードを望んでるのか?みたいな感じだった
当時はマスコミの誘導もあったろうけど日本人対決絶対主義みたいなムードもあった
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数ヶ月に1度しかこない外人よりも日本人同士の方が星を回しやすい。
だから日本人対決が支持を得た。 ブロディ存命だったらコディの三冠初の外人王者にヘソを曲げたかな? >>332
百歩譲ってそうであっても、思うのは勝手だろ >>333
ゴディとはエリック兄弟の助っ人としてフリーバーズと散々やってるしデカくて上手いからブロディも納得だろ >>330
ターザン山本がボロクソ書いていたよね。 >>321
引く手あまたで満足いくギャラなら
日本に行きたいと思わないよ。
MLBみたいにね。
旅費全て負担してくれてギャラがいいから
日本にくるのであって。
オフィスの評判は悪いが、四天王寺全日本スタイルよりラクな
新日を選んだとおもうがね。 >>337
別に全日より新日が楽ってことはないだろ。
全日は体にはハードだが、脳天から落とすスタイルは盛り上げやすいっちゃあ、盛り上げやすい。
新日はそのわかりやすさを排除して盛り上げなきゃいかんから、それはそれで難しいだろ。 スタイル云々の前にボスマンはWCW所属になったんだから、提携団体の新日に上がるのは当たり前の話だろう
全日育ちのハクやテンタが敵対団体のSWSに上がったことは裏切りなのか? 最近の新日はなんか四天王時代下の全日本っぽい気もする
大技乱発、ロングマッチ化とかね
冷やっとする場面も目に付くようになってきたし
昔みたいに今はどこもスタイルの違いはないんだろうな
今は交流戦も多いし、各団体には元新日とか元全日とか色んな選手がいて純粋な生え抜きも少なくなってるからな レイヴェンは四天王時代の川田に蹴られて、あまりの痛さになんでこんな扱い受けなきゃいけないんだと六本木の路上で泣きだしたってね 昨夜のプロレスクラシック再放送で仲田リングアナがア・シークをコールしようと「ア!」って言ったところでシンに襲われてて笑ったw >>338
あくまでも四天王の時期のみに限ってだけど。
盛り上げなくても新日は人気があったからラクしてたよ。
両リンが消えていったのも人気不足で危機感を持った全日が始めた。
ちなみに脳天からはおとさないよ。 80年代のアメリカよりも日本マットのほうが稼ぎが良かったのかね?
全米のオールスター揃えてリーグ戦 防衛戦なんて今じゃ考えられない 今と比べりゃ円も安い頃だから引き抜き合戦の頃は両団体とも大変だったろうなぁ。
というより親会社といっていいテレビ局が
しっかりたんまりお金を出してくれてたってことだろうけど。 >>304
1990年5月14日『'90スーパー・パワー・シリーズ』開幕戦・東京体育館
セミファイナル
デイビーボーイ・スミスvsダスティ・ローデス・ジュニア
これも最悪で観客のヤジが凄かったよw
全日としては大量離脱後、初興行のセミでこの試合。
しかもメインでは馬場がゴディにコーナーに振られた時、背中を強打して立てなくなる始末。
結局、ゴディにピン負け。
一番盛り上げなきゃいけない大会で、このメインとセミはある意味凄い。 >>347
この時点で離脱は天龍だけでしょ
高野俊二がこの大会後に欠場に入りそのまま離脱してしまったが >>348
あっ、そうだったね。
カブキは解説してたし(何してる!?何してる!?)、谷津&冬木vsタイガー&川田もあったし。
何か全体に暗くて活気がなかったから、大量離脱後のイメージだった。 >>343
原軍司も最強タッグでコールの出だしにブッチャーに放り出されてたか >>345
こないだ出た国際のインタビュー集によると80年代前期の鶴見の話で
当時新日が外国人の最低ランクで週1000ドル、全日が週1500ドルだったそうで
そうなるとマーシャルボーグとかW・ファリスでも3〜4週間のシリーズで
日本円換算で100万以上は稼いでたってことらしいよw
しかも日本の場合、本国と違って往復の飛行機代に巡業の移動宿泊や
基本的な分のミール費(食事)まで団体負担だからねえ
あと後期の国際でエース扱いのG・ジョーが最高で週3000だか4000ドルで
それよりも少し高かったスミルノフが更に影で新日に移籍しようとして
吹っ掛けたところ吹っ掛けすぎて新間から吉原さんへ連絡されて
結局話流れた時が7000だか7500ドルだかを要求したってコトだったはず
で、その頃のハンセンが新日と週8000ドルだったかな
但しこの頃のハンセンの場合はレギュラーエース外国人として
年間○週以上招聘っていうことでの多少オトク価格での金額のはず
そこから考えると全日や新日で三大王者とか呼んだら
恐らく週1万ドル以上は掛かってたろうからいくら円高ドル安が進んだとはいえ
80年代に入ってからはスケジュールの問題抜きにしても
大物選手の特別参加が多くなるのもしょうがないかね 採算が取れないの判った上で日テレに外人の高額ギャラ支払わせてた馬場の罪は重いな スミスはシングルの名勝負ないよな、ブルドッグスとしてはたくさんあるのに。
武道館でのハンセン&ゴディ対ブルドッグスは、今でも思い出す好試合だった。 玉袋筋太郎が全日こそS以上に金権プロレスだったって言ってたけど、確かにそうなんだよな
日テレって言う大企業をスポンサーにしていたわけだし >>351
ウォリアーズなんてたった2試合のみ参戦とかあったからな
全日の場合は日本人はワンマッチごとのファイトマネーかもしれんが
外人レスラーは週に七日だろうが五日だろうが週給分なんでしょ?
二試合で週給分をもらえるなら美味しいよなあ >>356
新日本なんかワンマッチ興行をよくやっていたじゃないか。 原リングアナの選手コールが好きだったな。
タッグマッチの時のだんだんトーンが上がっていくコールは、こっちもテンション上がった。
暫く見る機会がなくて、気づいたら仲田アナだけになってたが、いつ頃までコールしてたんだろう? >>297
北海道の地方興行見に行ったけど、メインはファンクスvsブッチャー・TNTだった。
お約束のフォーク攻撃も出たし、10年前のオープンタッグの熱狂が蘇ってきて
個人的には満足したけどね。会場もそれなりに盛り上がってたし。 >>354
新日本時代のキッド戦は良かった。でもそれくらい >>360
コブラを加えての三つ巴戦?あの時のキッド対スミス戦は良かったな。
キッドが2戦目3戦目連勝してチャンピオンになるのは説得力があったよね。 ウォリアーズは後年、バトラーツにも上がったけど、ギャラはどのくらいだったんだろ? でもバトラーツではホークが髪型ちゃんとせんかったのに対し
全日ドームでは、ちゃんとしてきたとこが、両社との関係がはっきりしたわなw >>347
まだ若手でこの試合のセコンドにいた小橋が危機感を持った試合だよね。
大量離脱で馬場さんがメインに出てこなきゃならない状態。
馬場さんに頼らず自分達が全日を支えなきゃ。
でもまだそこまでの力になっていないという焦燥感。 でも当時は鶴龍対決もマンネリ化していたし、遅かれ早かれ若手の引き上げは必要不可欠な状況だったから、三沢、川田、小橋がいれば何とかなるだろう、とは思っていたな
この三人の内、誰か一人でも欠けたら全日はヤバかったかも知れないけど
離脱した連中は集客があったのは天龍くらいで他はむしろリストラ出来て良かったのでは?と思ったし
マスコミが報じていたほど危機感は感じなかったなー
少なくとも自分は
むしろ危機感煽って同情票狙いなのかな?と穿った見方していたくらいだし >>365
出て行ったのは外様ばかりで三沢、川田、小橋、菊地ら生え抜きが残ってくれたから俺も危機感は強くなかった。
猪木じゃないが「大掃除ができてよかった!」と半ば思っていたよ。 馬場派の菊地孝とか竹内は田上推してたんだよな
ターザンが三沢で
そういう話聞くと、やっぱり菊地とか竹内は時代のセンスに付いて行けなかったんだろうな〜と思う
単純に大きいことは良いことだ、って一点で田上エース路線を考えていたわけだからな
この点に関してはやっぱりターザンのが正しかったってことだな すげぇ馬鹿な意見www
三沢にエースの風格があるなんて誰でも分かってたろwww
そこを外してあえて田上に期待したってのが分からないどうしょうもない馬鹿。
どうしてプオタの知能はここまで低いのか? >>369
そういう話はしていない
それは話のすり替え >>369
あともうひとつ言わせてもらうとこんな時間に昭和の全日スレにレスしてる君も充分にキモいヤツだよ >>318
ビッグブーバーみたいに絶賛されている奴が半年で去って、ジョニーエースみたいな使えない奴は12年もいたから皮肉だよな。
エースはルックスと身長だけだもんな。元子さんのお気に入りだったんだっけ? >>365>>366
高野とか高木なんかちゃんと練習すれば強そうなのに結果的には猪木風に言う「大掃除」になったよね。
結果論だけどあれで三沢たちが濃い戦いしてくれて「困った時の両リン」「困った時の反則裁定」も無くなって良かったと思う。
あれだけ抜けたら残った選手のギャラも上がったんじゃないかな。
田上なんかあの大量離脱が無かったら後にCC覇者とか三冠王者になることもなくずっと中堅だった気がする。 高木の身体能力はすごかったけど、残留しても人気は出なかっただろうしな
ロニー・ガービンがNWA就いたのは意外だったな 高木が身体能力が高いってのは違和感がある。
アメリカデビューの馬場とタッグで、確かレックス・ルガーに河津がけでピン取られて。
露骨に痛がってたし。
相撲時代の実績かな。 >>376
高木は身体能力メッチャあるだろ!
あの巨体・巨漢で橋本などよりも高くニールキック出来るし、相撲出身者が苦手がちな反り技・スープレックスも難なく決める。
グランドも何回かのスパー・練習で要領つかんだとか。腹筋や寝技でのバランス感覚もあったんだろう。
前田との試合が見たかったわ!
>アメリカデビューの馬場とタッグで、確かレックス・ルガーに河津がけでピン取られて。
露骨に痛がってたし。
→これはデビュー戦だし、馬場のレスラーは痛みや感情が観客に伝わるようにって指導だろ。 高木はドロップキックと空中で90度旋回するフロッグスプラッシュが良かったけど他はどうかな。 ジャーマンも良かったよ
ただ水色パンツとビジュアルがな・・・
高野にも言えるんだが、スター性が感じられない 高木、高野は身体能力高いだろ!
高木の離脱前の確変はすごかった。 >>380
高木はなんかテリーゴディ的な見た感じの不快感がある。 馬場の32文ロケット砲と、高野俊二(漢字これで合ってたっけ)の人間バズーカ砲の違いは >>380
高野は専門誌に練習嫌いと書かれていた。あと人間性だよね。人間性が悪いからプッシュしてもらえない。
SWSの時にファーストフードで店員に絡んで「文句があるなら会社に言え」と言って会社名を訊かれて「全日本プロレス」と答えた話が週プロに載っていたなw >>376
> アメリカデビューの馬場とタッグで、確かレックス・ルガーに河津がけでピン取られて。
> 露骨に痛がってたし。
負けたんだから痛いふりするのは当たり前だろ
それとも負けた後すぐに起き上がって初代タイガーにハイキック食らったレス・ソントンの真似しろって?w 仲野や北原が残ってたら、渕のジュニア長期はなかった? >>377
高木は、新日でキムケンにピン取られてるんだよな。 高木はブロディ急死直後の後楽園でハンセンとシングル組まれて玉砕したのが印象的。
あと決起軍のときだっけ?天龍の鬼のような拷問コブラで負けたの。
90年の正月シリーズは天龍対高木の抗争があったよな。このシリーズだけで十何回も天龍、高木絡みのカードが組まれたんだよな。 >>379
高野にスター性が無いとか…目が節穴にもほどがある。 アジアタッグ史上最高の試合、ってのは言い過ぎだけど
フットルースvs仲野・高野は2試合ともいい試合だった。
高野やテンタはメインで鶴田と組んでジョバー役を務めるって感じだったな。
技を受けるにしてもこの人たちはデカくて映えるから、相手チームも積極的に攻めて見せ場を作る。
でも高野は腰の悪化に伴って、そういう引き立て役、ジョバーをやりづらくなったんだと思う。
傍から見ればチャンスを棒に振ってるように見えたけど。 >>377
アイタタタタタタ( ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
っていう痛がりかただったぞ。 >>389
確かに良い試合だった。
でもフットルースが奪取するまでの、石川井上との三連戦の方が面白かった。個人的には。
リターンマッチも良かったけどね。 俊二はパッと見ガタイはいいんだけど
上半身が上背のわりに薄くて
肩や胸の筋肉が無いわりに腹だけは貫禄十分という
若いわりに見るからにナマクラなかんじがなあ 田上が決起軍に所属してた事を忘れがち、つい小橋と勘違いしてしまう 俊二は筋肉まったくないノッポってだけだったからな
パワーもまったくなし、打たれ弱かった >>394
ガリガリのヒョロヒョロみたいに言うなよ。
カルガリーの頃は、まあ、筋肉質ではなかったが、良い感じに肉もついてジャンプ力もあって、力強かったぞ。 痛がりと言えば決起軍時代の田上もだな
天龍チョップのパーンて音が聞きたいのに田上のギャーという悲鳴がうるさ過ぎて聞こえなかったりしてた >>379
石ノ森章太郎先生が「仮面ライダーはバッタが元になっていますが、ゴキブリではダメなんですか?」という質問をされて「ゴキブリか・・・ゴキブリにはスター性がないよねぇ」と答えたそうだ。
実に簡潔明瞭なお答え! >>397
質問の意味がわからんよなあ。
バッタだって言ってるのに、
ゴキブリではダメなんだすかの意味がわからん。 >>389
この時期のフットルース戦から平成元年に入ったあたりまでの半年間
高野売り出しのハイライトだよね、武道館の六人タッグでウォリアーズ相手に大立ち回り
間違いなく川田冬木より馬場は高野を上げようとしていた、アジアは通過点でしかなかった
ブロディが亡くなって、和製ブロディとしての期待値もあったからな
トップロープからの二ードロップは迫力あったと思う 世界一を目指してるのに「2位じゃだめなんですか」と言った国会議員もいるからねw >>402
体はでけえが本当に小さい男だなあ、小澤は。いつまでもうじうじと まぁ猪木や坂口や長州に対しては同じ団体で何年も行動を共にしてたし、
色んな思いがあるんだろうけど、鶴田は35〜6年前に雑誌で言った一言でしょ。
それを今になっても言うか?て気はするねw >>404
コンプレックスが半端なさそうだけど、
人を恨む事で精神の安定を保ってる気がするね。
やっぱりプロレス団体って入門時の理不尽なイジメやシゴキが酷いから、
後々後輩を虐めたり、のし上がった人間の悪口を言わないとやってられんのでしょう。 小澤はメキシコでアンドレ戦が消滅したのは浜田が裏から手を回したってずっと思い込んでたが、
雑誌の企画で会わせた浜田に「そんな力あるわけ無いでしょ」って言われしどろもどろになっちゃってたな
鶴田の件も含め思い込みが激しいタイプだろう
まあ浜田は色々と黒いから裏で糸引いてそうだけどw カーンは後輩イジメはしてなかったみたいだけどね
誰か忘れたがカーンは優しかったって言ってたな
でもカーンも坂口本人の前じゃどうせペコペコして何も言えないんだろうけどね
レコードのエピソードも坂口からいらねえよと怒られたときも、何も言い返せないでヘラヘラ
してたんだろうし
カブキは坂口には悪い印象はないみたいだけどね
今でも顔会わせれば、気さくに声かけてくれるって言ってたしね
ただカブキはメディアで取材されるとすぐに鶴田の悪口言うのがね カーンが坂口嫌いなのは移籍金をピンハネしてた事に尽きるし
小鉄を尊敬してるのも、小鉄が裏で新日の金ピンハネしてた事知らないからだし
被害を被った側でしか判断出来ないからね
カブキだって高千穂時代、まったく客呼べなかった自分の愚かさは棚上げだし 本屋に並んだプロレスの書籍は暴露系ばかり・・・もうプロレス終わりだな (´・ω・`) 10年後には、こうして昭和プロレスを語る人はいなくなって消えゆく運命なのは仕方ないだろう
それまで暴露でも何でも楽しめればいいじゃない >>405
日本プロレス時代に小澤は「オバケ」と呼ばれてイジメられてたって
桜田が言ってた 高木は90年の天龍との後楽園でのシングルを最後に逃亡したんだっけか?
あれが彼のベストバウトだと思うが
離脱理由は何だったの? >>409
だからこそ自分はそう言う本はなるべく見ない、読まない様にして
プロレスショップなどで古い、黄金期のプロレス雑誌(昭和30〜55年頃)や
プロレスアルバム、田鶴浜先生が執筆したプロレス本だけを買って読む様にしてる。 暴露系は宝島などの雑誌が多い印象
Gスピ系は暴露とは思わない
プロレス探求誌だと思う >>400
前年の最強タッグでの川田起用の反応が良かったというのもあるかな
とにかく三沢の武道館のメイン初登場がようやく翌年だった事を考えても川田や俊二がそれに先行していた事実は大きい 三沢はタイガーとして、ブロディ復帰の武道館6人タッグがセミじゃなかったけ?
S63年は猛虎七番勝負の天龍戦でグッと評価を上げてメイン登場が増えたと思う。 >>391
それまでのベテラン主体のアジアタッグ戦線が一気に若返った印象が強い
しかも翌年には小橋にカンナムも参入し早くもフットルースも追われる印象に >>415
そっか、川田は最強タッグで天龍パートナーとして大舞台を経験してたんだな
よくSWS騒動で若手がガー!って底上げして出てきた印象や記述が多いけど
川田高野といい、実は昭和末期から平成初期にかけてその兆しはあったんだな
ただし、当時は原と輪島と石川が一気にいなくなって、オレ個人的は「全日はつまんなくなるなー」って思いだったけど。 大量離脱前に既に小橋がアジアタッグを巻いていたし
小橋の場合もし大量離脱が無くとも伸し上がったはず 仲野は良いレスラーだったけど、なんか華がないと言うか線が細いんだよな
万年、中堅ってイメージ
典型的な器用貧乏って感じだな
決起軍でも仲野は頑張ってた印象があるんだがインパクトがなかった まだジャパン健在時代に青緑のタイツも穿いていたと初めて知った >>407
カブキも、まぁ馬場に辛酸舐めさせられたのだろうが、
馬場、鶴田の悪口を言い過ぎる!
あと、自分が指導した三沢や小橋なども
「客に媚びを売っている!」とか、
果ては猪木やゴッチもこき下ろしているね。
だから嫌われるんだよ。
自分の店で酒飲みながら、常連客相手に、
そういうことを言うならまだしも。
常連客も「そうでうよね!そうですよ!
カブキさんの言う通り!」と煽てるから
あいつも勘違いして自分の意見は正しい!
みんな自分の意見に同調してくれると
思って、ムック本なんかに調子にのって
同じ事を言ってドン引きされているんだよwww 大量離脱前に「あすなろ杯」をやってたな
今思うと、あのリーグ戦で多少なりとも若手中心の話題を雑誌やテレビでアピールできた事は、
後を考えると良かったというか、全日の運命を分けたかもしれない
大量離脱後に慌ててリーグ戦をやるのと、多少なりとも土台を固めておくのでは全然違うからね ここ最近G+でクラシックを連日再放送してたから見てるけど、
実況アナ(特に若林)って結構雑だったんだなぁと気づいた。
カウント2で返しても「3つ入りましたがまだ攻撃を止めません!」
とか言ってみたり、バックドロップとジャーマンを間違えたり。 >>413 これぞ本物のオタクだな
いいことだよ
アイドルは糞しないもんな >>424
一連の再放送で倉持さんの「館内ごうごうたる声援」ていうフレーズを何度聞いたことかww 若林ってキックボクシングもやってたからなあ
マンソン・ギブソンとかカーマンの時代 k−1ブームのちょい前から
世界の強豪の中継してるんだよね
こいつにとっては格闘技関連の中継はうれしかったんだろうなw >>422
カブキは天龍派だからな
天龍もカブキと同じこと言ったりするんだよな 天龍も悪口言うときは、馬場鶴田しか言わないよな
谷津とか長州 永島の話はあまり出ない 逆に誰からも悪口をまったく言われないレスラー、
誰からも尊敬されるレスラーっていない気がする。 馬場も鶴田も聖人君子だとは思わないし、そりゃ批判されるべき面は多々あるだろうよ
でもカブキとか天龍の馬場、鶴田観は読後感が悪いと言うか 天龍カブキ小鹿に悪口言わせるほうが取材がラクなんでしょ
カーンが包丁で長州殺そうとしたなんて話も出すべきでなかったと思うね
Gスピ手抜きすんなプロレスマニア増やす紙面づくりしろよ >>434 プロレスマニアが増えるわけねぇだろ(笑)
むしろ希少生物なのを自覚しなさい あとはケーフェイの部分に触れなければOKってところもある
まあ、カーンなんかはかなり対長州の内幕に関してはぶっちゃけてるけど基本的には、そこは曖昧にしてわかるにはわかるって感じ
マニアはブックのこと言ってるんだなってわかる程度の書き方だと思う
選手の悪口やら批判は自己責任の世界で掲載しちゃってるんだろう
マイティ井上なんかも全日やノアの内幕を宝島では結構、ぶっちゃけてるし >>403
「恩知らずのキラーカーン」はガチかな? >>420
仲野はジュニア、ヘビーどっちつかずという印象。
大量離脱の直前の富山か何処かでタイガー、仲野vs殺人魚雷ってあったけど何もできなかった。 仲野はちょっとタイプ的にはカートへニングっぽい印象もあった
ただなんか脇で活きるタイプなんだろうなって印象
あのまま全日に残って四天王たちと共にトップグループでやっているイメージが湧かない
まあ、新倉も同じような印象だけど >>436 いまさらケーフェイ前提の話なんて、ただの妄想だからな
バックヤードで、こんな取り決めをしてたのに、スカシやがったとか、あいつは自分ばかりセールしやがるくせに、受け身取れない投げ方するとか、の話にさっさと進んでもらいたい
あいつはロープワークが下手だから、タイミングを合わせるのが難しいから、こんな工夫をした、とかな
そこにプロレスラーの凄さがあるんだが 包丁なんか使わずモンゴリアン殺法使えよキラーカーン 結局のところ、ほとんどのレスラーが晩年不幸で、文句言ってるんだろ。
プロレスなんて、怪我したり全盛期過ぎたら表舞台から消えていくもんだし、
他のプロスポーツですら食っていくの大変なのに、なんで文句言うかねえ そもそも仲野新倉共になぜ新日時代維新軍団に絡んでいたわけでも無いのに
長州達についていってジャパン入りしたのかが謎
カルガリーで一緒といってもそりゃあくまで海外遠征先での話だろうし
あのまま残ってりゃ大量離脱後の新日では中堅で結構重用された気もするんだがなあ >>444
中野は高田に抜かれたあとだし、新倉は地味で山田、佐野に抜かれるのは時間の問題 >>444
その辺の中堅や若手はアントンハイセルの苦い経験もあるのかもよ
人気絶頂期で金も潤ってるのに給料に反映されない、下手すると倒産するかも知れないって言う時代を経験すると、リング内のポジションより生活の安定を求めるんじゃないかな?
そういう中堅若手がごっそり抜けたってのもわからん話じゃない
逆に永源みたいに離脱して正解だったヤツもいたしね プロレスラーが悪口言う方が正常だろ
もともとが普通じゃない人たちの世界なんだから
ガチやってるわけじゃないんだから、オシの強いアクのある奴がトップ取る世界で、良い人は間抜けと同義語
カーンが言うのは正論だけど、そんな正論が通る世界だと勘違いしてるから辞めざるを得なくなる
プロレスラーが聖人君子だったら面白くもなんともないよ >>444
仲野は永源に誘われてジャパン入り
結婚式の仲人も永源がしてくれて、しかも式には猪木、馬場両巨頭も出席したw >>445
小橋がアカンくなったのはノアの絶対王者に君臨してからだから
過去の昭和レスラー達から悪く言われないのは当然
全日時代に折原をイジメていたのも冤罪だと判明したしな >>446
いや、実際に抜かれたかどうかってより
そもそもがレスラーって自己評価が高目の人多いやん
例えばファン目線では高田やヤングライオン世代でいえば
山田と武藤は前座時代からやっぱり他とちょっと違って
押されてるな期待されてるんだなってわりとわかりやすく感じたけど
それでも若手時代の話なんかみると中にいる当人達は案外と
ハッキリとチャンス貰ったり格上げされるまでは
年齢やほんの少しの入門時期の差とかに拘ってたりするから
わざわざあのタイミングで自分から離脱してジャパンの方に行くって選択も不思議でねえ >>450
永源に誘われたのかw
本当に永源と荒川はいろんな人の運命に影響与えてるなあw >>452
山田は漫画の主人公にもされたし
かなり期待されていた
山田はヤングライオン時代が一番、良かった
和製ダイナマイトキッドみたいな感じで
ライガーになってからは、好きじゃなくなったけど
まあ、中堅勢がごっそり抜けても小杉とか後達は中堅のまんまだったからな
新倉や仲野は残留してもやっぱりセルされなかったと思う >>454
和製ダイナマイト・キッドのキャラクターは菊地毅が戴いた感じだったね。
日の丸タイツで玉砕が定番だったが。 テッド・デビアスは候補と呼ばれてたのに、取れなくて
なんでロニー・ガービンはNWA取れたのか教えて >>449
言えば10倍になって自分の悪口言われるからじゃない? 悪口は言わないが、WJの時に健介に借りた500万円は返さない。
「会社に貸したんだろ?俺は返さないからな!」 >>458
ゴマシオが言うには長州と健介がこじれたのはその500万の話じゃないって話
500万は返済してるらしい
長州とカンの件同様、決裂の理由はリング上のやり取りなんだそう >>445
レスラーには悪口を言われないが、負けブックを呑まないからファンにボロクソに言われるのが小橋。 小橋はイジメはしないがトレーニング中毒で新人もそれに付き合わされるから、それが苦で辞めた練習生も少なからずいたそうだよ
ゴングのコラム記事にも、練習についていけず辞めていくので小橋が「だからと言って緩くするわけにはいかないからなー」 とぼやいていたって記事があったしね
まあ、ちょっとユーモア交じりの記事だったけど人によってはそういう指導方法に異を唱えるやつもいたかも知れないし、中には恨んでるやつもいたかも知れない >>459
カンちゃんが言うには長州らジャパン連中が全日で飽きられてきて仕方がないからカンちゃんが
泥かぶるつもりでブラックKKKになって長州に反旗を翻して全日内で話題作ろうとしたのに自分だけがええかっこしいで続けるのが嫌になったらしい
まぁカンちゃんが引退決意したとどめは金銭的なToLOVEるのアレらしいが >>448
おまえさんの考えだと
プロレスラー = 社会不適合人間
ってことになるぞ。
それはおかしいだろ。
リング降りたら、戻らなきゃ。 >>429
存命の人はいつ会うかわからんから言えないだけだろ カブキの情けなさは「ゴッチはそんなに強くなかった」とか「生意気なサンダー杉山をボコった」とか
死人に口なし状態になってから悪口を言う事だな 天龍もSWS特集のインタビューで賞金マッチのことに触れていて、賞金をどうするか協議にかけたって言ってたな
で、中には勝ったヤツが貰っちゃえって意見もあったそうだけど、そういう訳にはいかないから取りあえず選手会の会費として積み立てることにしたそうだけど、これだってもうブックがあります、と宣言してるようなもんだよね
今さらそんな話は誰も問題にはしないだろうけど、このレベルのぶっちゃけは普通になってるんだよな
まあ、天龍も未だにプロレスと繋がりがあるから、あからさまな言い方はしないだけでね >>463 ミッキロークだったっけ、あれが演じたレスラーを見てみなよ
あれはリアルだけど、特に外人レスラーの私生活を見たら、どんだけ不適合集団かわかるから
それこそミスター高橋すら書かない本当のケーフェイだから
試しに実際、レスラーと付き合ってみなよ 憎まれ口を叩くのは仲が良かったからこそだが、天龍やカブキは単に口が悪いだけだし憎まれ口を
叩くから馬場や鶴田が忘れないようになんて小佐野が言うようなことは考えてるとは思えないな。 >>467
裏の裏はミスター高橋でも書けないよ
だからこそミスター高橋は未だにプロレス業界と繋がりが保ててるわけだが 秋山の話だと、小橋の練習は周りが着いていけなくなって
誰かが悲鳴あげないとやめないって言ってたな。
秋山が若手の頃、小橋と泉田と3人でよく練習してた時
いい加減、小橋のペースに着いていけなくなり、しんどくなってきた頃、秋山が泉田に目配せか何かして
泉田が「しょうがねぇなぁ」って感じで悲鳴あげて終わらせてたとか。 >>467
俺はあれをブルーレイに残してるけど、
リング降りたらみんないい人に描かれてたぞ。
ミッキーロークの演じた役もレジェンドとして若手や悪役からもリスペクトされてた。
あれがアメリカマット界を忠実に描いているとしたら、
日本のほうがずっと陰湿だね。
アメリカマットは各テリトリーをサーキットするそれこそ個人事業主の仲間たち、
かたや日本は相撲からつながるいやらしい村社会的に感じるな。 フレアーの著書にあったけど、ローデス&マードックのいたずらは度を越してるけどな
アメリカは日本のしごきやかわいがりて称したイジメと違ってイタズラと言う名のイジメがある
まあ、フレアーは憧れだったローデス&マードックと一緒にいられることが嬉しかったそうでイタズラも楽しい思い出だそうだが
アメリカのいたずらはちょっと笑えないところはある 結局は上の名前が売れてる人の悪口を言ってるだけなんだよな
カブキにしろ小澤にしろ、それをやれば話題になる使われるって計算
テレビに出て全日系は馬場、新日系は猪木の話をすれば受けると思ってる連中と一緒
自分が下って認めてるようなもんだ 天龍もそんな感じなんかな。最近はもうプロレス媒体から離れてしまってるから
具体的な発言内容とかよく知らないけど。 >>472 申し訳ない
詳しくは言えないが、日本人も外人もレスラーの世界にはファンには伺い知ることが出来ない世界があるということ
それがミスター高橋ですら書かない裏の裏、本当のケーフェイよ
どっちが陰湿かって問われても、それこそ日米というより個人によって千差万別だからな 関係ないけど、新日の悪名高い山田&船木のイジメは山田が言うには船木が主だったって話
山田自体はそこまでイジメはしなかったらしい
ただ、あの頃の新日はコネとかで遊び半分で入団してくるヤツも多かったので、ふるいにかけることはあったって言ってたけどね
まあ、あくまで山田の言い分だけど 特に新日で冷や飯食っていた訳でもない佐野がメガネに行ったのは
自分よりチビで素質もない山田が可愛がられてイイ気になっていたのがムカついたから?
あるいはドン荒川に唆されたか 噂だからホントかどうかわからんけど佐野自身になにか問題があったって話 S裁判で佐野の収入が明かされてたけど、344万は安いわな それって年収?月にすると28万6千円。確かに安いね。
田中社長は天龍の収入を聞いて「想像してたよりずっと安かった」
とも言ってたけど。 >>481
年収ですね
全日本の同世代の冬木が702、仲野が628だから如何に安いか分かる >>439
その両方が渕というところかな
>>440
そういえば今日はちょうどそのカートが長州のPWFに挑戦した日
まさか翌年にAWA王者としてやってくるとは想像も出来なかったが >>440
実際仲野とヘニングってスゴい仲良かったらしい
去年のカミノゲvol68のインタビューでヘニングの悪行の数々を詳しく言ってる 確か仲野が鶴田を怒らせた男として名を挙げたのもこの時の徳山大会だったか >>463
プロレスラーは普通じゃないよ。邪道と外道のどちらかがインタビューで「まともな人間ならプロレスラーにならずにサラリーマンになってる」って言っていたし。
自分のことも自分でできない子供みたいな奴が多いっていうし。なんでもかんでも面倒臭がって新弟子を使うんでしょ? >>477
パンクラスの若手がマンションから落ちて亡くなったのも船木が関係してんだっけ? >>486
確か本宮ひろ志の漫画にも「一足す一が二だと分かってたらヤクザなんかやっとられん」という台詞があったか >>470
要するに小橋は周りのことを考えないバカってことか。
キャプテン翼で翼が中3の時に猛練習を実施して、1年と2年が動かなくなり石崎が休憩を提案したが翼が聞く耳を持たず喧嘩寸前までいった。
自分ができることは他人にもできると思い込んでるバカはこれだから困るな。 逆に言えばその辺りに頭が回る秋山だから社長が務まるわけか
小橋が批判されてるのは常勝ではなくてその常勝が団体としてのノアに長期的なメリットをもたらさなかった事
だから小橋の引退と共に実質ノアも終わったわけだが >>490
でも小橋も絶対王者時代に力皇に落としたけどね
それも完璧なフォールで力負けで
太るだけ太った価値ある小橋を破ったわけで、あれで新王者としてステータスを築けなかったのは小橋のせいじゃないでしょ
力皇のせいなのか、ノアの売出しが悪かったのか知らんが
棚橋を唐突に破ったオカダは大スターになったのにな。 >>490
秋山は言われるほど頭が良いとは思わないけどね >>491
異論はあるだろうけど、自分はあの段階で丸藤を売り出すべきだったと思うよ
丸藤は上背はないけどWWEなんかでもミドル級クラスの選手がヘビーでやってたわけだから別に問題なかったはず >>483
カート・ヘニング相手にPWF防衛した長州が勝利者インタビューで藤波とか新日の話ししたのが、新日Uターンの狼煙だったんだよな。 >>491
オカダが大スターとか臭いこと言うな
あんなの昭和新日じゃザコブラにも劣る >>96
ロックンロールじゃなくてファビラスワンズですね。
確かスタンレーンのパイルドライバーでフィニッシュ。
エンドロールでルパンの声の人があのウォリアーズが負けた!的な事言ってましたね。 >>492
小橋が大技バンバン打ちまくるだけのバカだから秋山がクレバーに見える。 >>486
まあ天龍が言ってた相撲界ってのがもちょおかしい。
プロレスに入って、何にもできない自分に気づいたってね。
まず、手紙を書いたが出すの忘れてたというエピソード。
相撲は付き人が何から何までやるとさ。 まあ、プロ格闘家になるやつは大抵おかしい。
アマチュア競技から入った鶴田や三沢、永田とかまともなのはまれだろう。
まず、動機がめっちゃくちゃ。
RIZINのRENAなんか、2人の姉に馬乗りになって押さえつけられた恨みを晴らす仕返し
するために格闘に進んだって答えてる。 レスラーは言葉が通じない海外武者修行に一人で放り出されて
何もかも自分でやって大きくなって帰ってくるのは感心する 海外修行は新日と違って全日はほんとに放り出すからな 元々ちょっと普通じゃない奴がプロレスラーになるのか、プロレスの世界に
長年いる内にそういう風になってしまうのか。俺もガキの頃はプロレスラーに
なりたいと思ってた時期もあったけど、今は社会人として立派?に生きてるし、
プロレスラーを目指す奴の皆が皆おかしい人とも思えないんだけど。 >>503
なりたいだけではプロレスラーは目指さない。 >>500
誰かに面倒見てもらってるに
決まってるよ。
馬場はアトキンスや東郷。
誰かに預けられてるさ。
なにもかも1人でなんてそれこそ
レスラーの吹聴。
自分
はすげえんだぞと。 小島の部屋を蝉だらけにした橋本とか、自分より弱い奴を虐めたり嫌がらせする奴って人間として最低だわ。
橋本だけでなく他のプロレスラーや他の業界でもいるんだろうけど。
巨人の小林なんておもちゃのゴキブリか何か持ち歩いて他の選手にいたずら仕掛けるらしいけど単なる幼稚なクソガキじゃない。
体育会系って幼稚な馬鹿が多いんだろうな。 天龍も親分肌で面倒見は良いんだろうけど相撲時代はイジメの天龍と呼ばれていたそうな >>402
ほんとみみっちい人間性だなカーン
こういう事大声で言ってハイハイ行ってくれるファンに囲まれていい気になってるんだからほんと情けねー話だな
でも坂口なんか相手にならない一流レスラーだったとは思うよ(笑) >>496
96です ファビラスワンズでしたか
ありがとうございます 間違えてました
レーンのパイルドライバーだったとは
毎週見てましたが、もう殆んど忘れてます しかしウォリアーズが負けたのは印象深かったです そういえば山田康雄が、なんか喋ってましたね プロレスラーも相撲取りもキチガイばっかに決まってんじゃん
こんなスレを立てた1氏もキチガイだし
常駐してるやつもみんなキチガイだよ
俺もお前もお前も俺もみ〜んなケチゲェだ >>504
ワンポイントのリリーフとしては小川のチャンピオンは悪くなかったと思うんだけどね
力皇はルックスがちょっとね 力皇にベルト取らせるにしても、もっと早くにやるべきだったな。
若手の底上げという意味でも。
しかし、チャンピオンの小橋に勝ったというのに、試合の印象も殆どないんだよな。 >>484
ネルソンロイヤルやヒロ斎藤もこの二人のいたずら
で被害にあったみたいだしね。 仲野は新日時代、寝ている練習生の顔にうんこしたくらいだからな
結構、恨んでるヤツも多そう ジョニー・バレンタインの悪戯は度をこしていて
ポップコーンにウ〇コを入れて食わせたりしたそうだ >>507
エッチューもひとりで放り出されたみたいに被害者面してるけど馬場がリスマルクに頼んでる
しかも島流しされたみたいに言ってるけどメヒコにいたのは一年足らず バレンタインのウンコ悪戯は色々酷かったらしいね
リングシューズの中に詰めたりとか、ウンコを小便で溶かしたのをコンドームに入れて、座る瞬間に椅子の上に置いたり等 カブキのアメリカ時代のサンシャインって何者だったの?
ただのマネージャー 普通に考えて「行きの航空券だけ渡されて放り出された」とかいうけど
英語もわからない当座の金も殆ど持ってない人間が
何の根回しも無く現地空港からいきなりプロモーターのオフィスまで辿り着いて
都合よく試合組んでもらったりワーキングビザやアパートや移動の手配、
他のレスラーとのワークの調整なんかできるかちょっと考えればって話だよなあ ジョニーバレンタインは、航空機事故で松葉杖姿で会場に現れたら、恨みのある連中の足引っ掛けられて、こけても、誰も手を貸さなかった話が有名だよな ただ伊東正男やらターザン後藤みたいに帰国のお声がかからず挫折する奴らもいるから、シビアな面もあるんだろうけどな >>522 新日の松田の有名な話があったじゃん
成田で皆に見送られて英国に武者修行に行ったのに、すぐ英国から戻ってきた話よ
なんと入国審査で就業ビザがないのに、オレはレスラーだって堂々と言ってしまうバカっぷり
そこで出発前に英国のプロモーターから届いた手紙を見せたら、入国拒否されたって
手紙には就業ビザは入国してから何とかしてやるから、とりあえず観光ビザで入って来いって書かれてたんだってさ
「レター、レター」って一生懸命説明したのにダメだったと松田の説明聞いて、さすがのビックサカも絶句したらしい
エルサムライの誕生秘話でした 渕だって大仁田が怪我しなかったら帰国のお声はかからなかったかも知れない
鶴田、天龍などのエリートコースを別にすると海外修行=スターへの登竜門だったのは大仁田と三沢くらいじゃないか?
この二人は馬場も最初からそういうつもりで海外へ出した感じだし
薗田とか冬木、川田は取り敢えず戻してみて様子見るかって感じだったな 桜田、高千穂、伊藤正男あたりは余剰人員の海外島流しの刑
高千穂はたまたま売れたので帰ってこれたが
ギャラは極道コンビより低いまま デカいレスラーを重宝した馬場が桜田を冷遇した理由は日プロの残党というだけでなく
坂口派の大城をリンチしてセメントの強さを自慢するような危ない思考の持ち主だったから 桜田が新日に転出した後にケロが
「ナガサキ、ポーゴ組って人気ないなあ。コールしても拍手がまばら」と書いてたが
桜田も何か足らないレスラーだと思う
あんまり試合が面白くなかった ロッキー羽田は日プロ組だけどまだ若かったから馬場も期待するところがあったのかな? >>528
小橋はアメリカのインディーからリクエストがあって
本人も行きたいと言ってたのに馬場がアメリカで
学ぶことがないからと拒否されたのはかわいそうだったね。 >>527
猪木も最初のアメリカ遠征の時は観光ビザで入国してそのまま試合やってたらしいけど、
当時は今ほど審査が厳しくなかったのかね。当の猪木は就業と観光の2種類ある事も
当時は知らなかったらしいけど。 高千穂にしても桜田にしても海外で一匹狼でやってた旧いレスラー達って
「プロレスは受けが出来なきゃいけない」ってのをとにかく強調するでしょ
実際に彼らは相手の攻撃を受けて試合を作れるから
同業者の間では評判いいのかもしれないけど
そういう“受け”を評価できるのって基本的には同業者間の話であって
その選手を観るために金を出そうと思わせようとすると
やっぱりそこからもうひとつ自分の方から何か仕掛けてそれで魅せないと
客商売・興行の商品としてはやっぱり弱い足りないってことじゃないかね
カブキの毒霧やカーンの奇声とモンゴリアンチョップとかはそれにあたるんだろうけど
それ突き詰めると結局最終的には
「俺達の応援するヒーローが必殺技で勝つ!」になるからね
「ベビーよりヒールの方が試合作ってくんで大変」とはよく真理のように言われるけど
結局米や欧州のどの地区いっても常にヒールってのも
やっぱりそれだけじゃ「何か」足りないってことじゃないかと思うね 越中ごときが「馬場」って呼び捨てにするから笑うわな
天龍カブキと一緒になって大物面してるし、全日のムック本で能書き垂れてたのも不快だったわ 越中が馬場を呼び捨てにしたなんて聞いた事無いな
取材したマスコミが歪曲して敬称略したとしか考えられない >>533
本音は、
海外で他団体に引き抜かれたらたまらん!
だったみたいだけどね 全日本で華々しい凱旋帰国したのは鶴田、大仁田、三沢くらいだろうね。
後に何度も行き来することになるが、日本デビューのときの天龍も一応そうではあったかも。
あと帰国と同時にロッキー羽田と改名した羽田も悪くない扱いだったかもしれないがいまいちだったね。
凱旋試合、下痢で体調悪くてダメダメだったんだっけ?
川田もとりあえず戻された感ありありだったね。
帰国したらまた馬場の付き人やらされたらしいし。帰国した当初テレビマッチ出たけど、成長したの発揮するのは天龍同盟入ったあたりだったね。 それも、三沢光晴の凱旋帰国ではなく
「2代目のタイガーマスク登場」だもんな。 川田も著書読むと、戻されたってより戻ってきちゃったみたいだけどね
実際、皆からはなんで戻ってきたんだ?みたいな白い目で見られたそうだし
唯一、石川だけが優しく接してくれたそうな
川田も島流し状況に近かったってことなんだよな
薗田や冬木は一応、凱旋帰国で見せ場も用意されたからまだマシな部類 プロレス団体って上がトラブルでもないと殆ど抜けていかないでしょ
実際、所属レスラーを丸抱えするとしたら
団体として理想の人数ってどのくらいなのかね?
昭和の時代だと一興行で7〜8試合としてメインセミセミ前を
全てタッグマッチにするわけにも興行的にはいかんだろうし
(前座以外で)まだ日本人対決が殆ど無かった時代に
それすると相手の外国人もそれだけ多く呼ばないといけなくなって金も余計にかかる
野球やサッカーと違って余剰人員を補欠で常時何人も抱えておくわけにもいかんし
それでも付き人や雑用係役の若いのもいないと困る
仕事柄、入門希望者だけは多いけどあまり入れても余るし
かといって絞り過ぎてもせっかく見込みあると思って入れたやつが案外すぐ辞めたり
残ってもそいつが客が呼べるようになるかはわからない
そうなると人員調整としては合宿所でのいびりやこういう島流しまがいのマネが
結局一番手っ取り早いということになるのかな 今の新日はかなり人数多いけどこのままずっと変わらず行けるとは思わないし、やっぱりどこかでリストラもあるんだろうな〜とは思う
ノアを巻き込んでの永田や中西などのベテラン中心の二部制みたいな構想も頓挫しちゃったしな 天龍もカブキもアメリカに残りたい気持ちが強かったからなあ
ここまで狭い村社会だとは思わなかったそうだよ >>542
>そうなると人員調整としては合宿所でのいびりや
おまえ、経営者だろ。 人員整理ってより、出る杭は打たれるじゃないけど、ジェラシーや嫉妬で練習生の段階で目立つやつとか自分の出世に障害になりそうなやつは潰すってのもあると思う
新日の山田、船木の道場でのイジメは優秀なヤツも潰してしまったって話
山田は最初からダメなヤツだったから、と言ってが・・・
プロの世界はやっぱりそういう足の引っ張り合いみたいのはあるよ
トップはそういうの目の当たりにしたらイジメをやめさせれば良いではないか?って思うかも知れないが、道場内のいざこざなどはトップに取っちゃ小さな問題でしかないし、そんなのは道場責任者に任すと丸投げするのが実情
だから山田とか船木、橋本なんかはやりたい放題だったんだろうし
逆に当時の山田たちがそれでへそを曲げて辞めるなんて言い出したらそれこそ大変だしね
まあ、新日だけいうのはフェアじゃないから全日もだけど小川弱も似たようなもんだったんだろうけどな >>546 正解
相撲のかわいがりと同じ構造
力道山が相撲の世界のやり方を、そのままプロレスに持ち込んだから、両者は兄弟 小川弱も長い間、後輩も出来ず一人だったから歪んじゃったんだろうな〜
いざ新人が入ってきたらイジメに走ってしまったんだろう
小川も長い期間、極道コンビとか羽田とかうるさ型の先輩に揉まれたろうし "チンケ"さんが無事にデビュー出来てれば小川もそこまで卑屈にならなかったのかも >>546
普通に学校や会社と同じ構造に聞こえるんだが。 >>533
アメリカからのリクエストがいつかは知らないけど小橋に限って言えば格闘技での実績がない割には馬場とのタッグでアジアタッグに挑戦したり、三沢タイガーとのタッグでアジアタッグ戴冠。
大量離脱でチャンスが早く巡ってきたこともあり、海外遠征に行かない方が良かったんじゃないかな。
90年のSWSの時なんか川田が「三沢、小橋が注目されて羨ましかった」的なコメントしていたくらいだし。 全女なんか特にそうでしょ、馬鹿な先輩が新人をいじめる。
若手が育たないと困るのは自分なのにね。熊野がデビューするまでのノアも同じ。 Gスピの菊地と北原の対談で、菊地が合宿所でホモイタズラ仕掛けたら新弟子やめてしまった話してたな。
ただでさえ入門者が少ないのにもったいない。
当時は小川が寮長で、受け身の練習繰り返しやらせてるとき、北原が「チッ」と舌打ちすると練習終了だったらしいw
気が小さいな小川。 >>528
川田も観光ビザ切れて、最強タッグの途中から帰ってきた。 >>555
プロレスに限らずだけど、新陳代謝がないものは滅びる運命 >>556
北原はシュートやってたし、怒らせると怖いからな >>555
女子プロレスもノアも若手がいないことは問題視されていた。
いじめて辞めさせた人間は自分は困らないと思っているかもしれないけど。 北宮とか健介オフィス出身は大丈夫なのかね?
健介譲りのしごきで辞めさせちまわないか? 川田と北原が同学年だが
プロレスキャリアは雲泥で
川田が大先輩。
当然、川田は北原を呼び捨て、
北原は川田をさん付け。
小川は北原より結構(4〜5年)キャリアはあるが、北原全日入門時は実質的な若手指導役。
年齢・学年は北原が小川より3年上。
小川はやりにくかっただろう。
日プロ時代にラッシャー木村、杉山、マサ斎藤らの入門で似たような経験がある高千穂が小川を可愛がっているのはファイトスタイルのみならずこんなとこにも親近感を感じていたのではとも。
個人的にはこういう人間臭さ・面倒くささもさることながら
ややスレチだが、
シュートでほぼほぼ同期で年齢も同学年の北原と平直行のシュートな関係が気になる。
北原は平を「平氏」と呼ぶ。
雑誌などで直接対談しているのは、見逃しかもだが見たことはない。 北原はWAR時代に現ドラゲー社長の岡村が空手家として上がっていたとき、岡村をリング上でも子ども扱いして最後にマイクで「岡村〜、お前はママのおっぱいい吸ってるほうがお似合いだ」みたいなこと言ってバカにしていたからな
そんなマイクアピールが許されるくらいだから北原は怖い先輩だったんだろうな〜 >>555
直接的には
新人いないと、いつまでたっても雑用係だろ。
間接的にも、
スターが生まれたら、客が入って自分の生活も潤うのに。そんな簡単なこともわかってないアホが多い。
>>556
入門は別に少なくないだろ。
残らないだけで。 >>564
その通り。馬鹿なんだよね。今のノアなんて太田と伊藤に逃げられて熊野がデビューする前にも新弟子がいたはずなのにどうせパワハラで辞めさせたんだろ。友寄だってそうだろ。
選手が減って団体がどんどん下降したら困るのは自分たちなのに、それに気づかない思考がガキみたいなのが多い。 俺のいる会社が似たような状況になってるよ。若い奴が入ってきても
大事に育てるならいいけど、イジメのような事があって止めちまうから
人員不足で結局自分らがシンドイ思いをする事になる。「あと何人かいれば
楽なんだけどなぁ」なんて言ってるけど、そりゃお前らの責任だろって。
一応相手が上の立場だから、思うだけで言えない俺も情けないとは思うけど。 ノアは元々労働組合が会社化したような物だからな
だから既存メンバーの地位保全が何よりも重要
その上最初から大所帯だったから鶴田みたいな思い切ったスカウトも出来ない
>>550
それだけに二度目のアジアタッグでは一回りも下の宮原を立てていたのが意外 >>553
90年代だとエースやゴディが上がっていたUWFとかECWとかシリーズの合間に上げるとか出来なかったのかな。
ECWでは三沢vs小橋のリクエストがあったりしてたしやったら小橋のアメリカでの知名度も上がったかもしれないし。 太鼓と青木が癌だったのかね?
でも秋山は今、全日で青木を指導係として重宝してるんだよな
全日は新人は何人かデビューに至ってる >>564
おそらく、スターが総取りするだけだろうから
自分だけスターになればいいという輩だけのような気が。 >>539
ロッキーも日プロ残党だし、阿修羅とか石川が台頭してからは完全に窓際に追いやられたな
全日初期は大型の若手がいなかったから日プロ色にあまり染まっていないロッキーにもチャンスがあったんだろうけど、馬場は羽田を日プロ連中と通じてるかもと思って、どっか信用していなかったのかもね >>575
内臓壊す前から塩だった。
それ以前に飲んだくれちゃあ若手に絡むの繰り返すあの生活態度じゃあ団体内部でも
羽田をプッシュしよう、なんて話は出てこないだろう。 小鹿も新人を大量夜逃げさせて
三沢に八つ当たりしてコンロ投げつけたんだっけか
あと鍋作りの手際が悪いとかで、煮えた白菜手に乗せたり >>577
しかしノアよりも大日本のほうが若手が育っているということは三沢より小鹿の方が若手の育成は有能だったのかな。 >>578
自分が経営者になって初めて人を育てることの大事さがわかっただけだよ。 >>577
カブキだか誰だか「そのうちコイツらに喰わせてもらうことになるんだから止めとけ」って注意したんだか >>578
ノア創設の頃は、入門自体のハードルが高い。
インディーだらけになったら、大量生産されただけ。
ハンセン・ブロディがいたら、皆吹っ飛ばされる。 >>581
確かに三沢時代にデビューした新人が
大田一平や平柳玄蕃、マイバッハ谷口と
いうスキルの高いレスラー達ばかりだし。
マイバッハとブロディがぶつかったらブロディが
ふっ飛ばされちゃうね。 別に大日を否定するわけではないけど、ハードルの関係はあると思う
一時期の全日やノアに新人が育たなかったのは確かに団体側に問題があったんだろうけど、ある程度のハードルの高さは必要
取りあえずデビューさせて経験を積ませて育てるってのもありなんかも知れないけど、身体も出来てない、基本もなっちゃいない段階でデビューさせちゃうのはどうか?と思うけどね この前G+でやってたプロレスクラシック見たけど、鶴田とハンセンの連戦gdgdだな。
特に大阪城ホールの試合はひどい。会場冷めてるし。
鶴田とハンセンのシングルはあまりいい試合にならないイメージあったけど、良くない試合だったね。
天龍と長州のシングルも新鮮味なくなってきたのもあるけど、そんなにいい試合じゃなかったな。
このころすでに長州はモチベーション高くなかったんだろうね。
インタータッグは記憶よりいい試合だったと思うけど。
抱えてる選手多いが全日本は手詰まりになっていた、そんな印象受けた。
それだけに話題性のある輪島をカンフル剤にしたかったんだろうな。 ブロディが復帰して、鶴田からのインター奪取
あれもイマイチな試合だよ >>584
鶴田対ハンセンはよく鶴田が悪く言われがちだが
ハンセンも昔を思い出すのかアマリロよりにスタイルになって
普段のハンセンらしさが薄まってしまうのが良くないのかも知れない
ハンセン対バックランドも似たような感がある
>>585
ベルト移動とブロディが泣いたこと以外は
印象が全くないねw >>586
最もいい試合は84年の大阪のインター戦だと思う。 鶴田vsハンセンでハンセンの後方回転エビ固めが変な形で決まって決着したことがあったような。フィニッシュが汚いと嫌だなあ。 >>588
86年7月の両国だね、セミで長州vsカーン
鶴田は10月の両国でリベンジ、長州はフレアー欠場の代役のテリーに勝ち
お互いに快勝?した事で試合後は鶴田vs長州の再対決のムードが高まったが…直後の輪島デビューで話題ゼロに。
その後のシリーズは最強タッグだし、長州離脱がなければ今度は全日主催で3月の武道館か4月の大阪あたりが候補だったのかな? >>587
テリー引退試合のセミのインター戦もまあまあ良かった
ただし、あれは札止めの観客と決着ありきのムードまんまんで、結末もいまいち
当日に観戦したが、何をやっても観客が沸いたのが印象深い
主役のテリーが引退してしまうので「鶴田あとは頼むぞ」的なムードで館内が一体になった試合
全日にしてはストーリー性というか、今後につながる試合だったので緊張感もあった、それでなんとなく記憶が美化されてるのかも。 それまで田舎でタイトルマッチをやってた
鶴田ーブロディを急に蔵前で
となった時点で鶴田にベルトを取らせるんだな
と何となくわかってしまった
鶴田ニックがAWAとインターのダブルタイトルになった時も
そう思ったw フレアー対鶴田は蔵前で三回やったけど獲れなかったが・・・ >>589
花道に立っていたデビアスが試合終盤、リング下に現れた。実況がそれを言ってしまうのだがあれはハンセンにテレビ中継の残り時間を知らせるために来たとしか思えなかったなあ。 >>590
あの日俺も観戦したが、蔵前は異様なほどの熱気だったよな 確かに結果ありきのムード満々だったが まあ楽しめたから良いけど あとカマタ、レイガンズなんかも出ていたと思う 土曜トップスペシャルで放送予定だっただからな。
ニックの時は、反則、リングアウトで王座移動ルールだったから
取るとは思った。
ブロディインター戦はリングアウト勝ちだったのが、惜しかった。 鶴田対カーンもイマイチだったけど、天龍対カーンも最近、見直したらこんなもんだったのか?って感じ 鶴田がニックからAWA奪取した日、22時50分頃の日テレのスポーツ番組で映像が流れてた たまに当時はプロレスを使っていたな 今じゃ信じられんが 四天王時代までは深夜のスポーツ番組でもちょくちょく速報みたいのはあった印象
比較的、最近だと小橋引退興行もスポーツ番組で特集していたな >>595
リングアウトでも勝ち方があるからね
場外でなにか技を出してというなら良かったが
後ろからパンツを引っ張ってリングアウト勝ちではインパクトが弱い あのブロディがリングアウトとは言え負けを飲んだだけでも凄いんだろうな
日本でシングルで負けたのって
1981年チャンカン:馬場のボディシザースでフォール負け
インター:鶴田にリングアウト負け
復帰後のインター:鶴田にバックドロップでフォール負け
の3つだけか ハンセンは全日本に移籍後、84年に馬場、86年に鶴田、88年に天龍にシングルでフォール負けしたけど、いずれもフィニッシュはスモールパッケージだったんだよね。 >>589
>長州離脱がなければ今度は全日主催で3月の武道館か4月の大阪あたりが候補だったのかな?
確か長州の離脱がなければ、4月に長州と輪島のタッグ戦が予定されてなかったっけ?
ジャンボと長州の再戦は当面、話題にならなかったと思う。 全日も完全決着制に移行しつつあったからブロディも生きていたら、負けも飲まざるを得なかったと思うけどね
ひょっとしたらそれを飲めないと突っぱねてFMWとかウィングあたりに移籍していた可能性も0じゃなかったと思う
外人はインディのリングに上がるのは別に格落ちのイメージはないって話だしね
ブロディも小さな団体でも救世主のような扱ってくれるほうがプライドが満たされるだろうし
FMWも今にして思うと随分、メジャーな外人が来ていてからな >>595
あのリングアウトのフィニッシュは
8/4に藤波が長州からWWFインターを奪回した試合と丸被りだった。 FMWに行ったら大仁田の踏み台にされるの依頼されてトラブルになってそう。
WINGもギャラの支払いや扱いを巡って揉めたんじゃないかね。 鶴田のインター奪取は、それまで4回も挑戦して失敗していたから「もうリングアウトでも何でもいいから勝ってくれ!」という願望に満ちていたからあれでOK! ブロディがインディーにでてたのは
全日新日プエルトリコなんかがオフの時の
単なる単発興行だからね
インディーじゃ満足するギャラ払えないからブロディが契約することはない
外人は日本人みたいな人情とかそういうのはないからね
ギャラの高いほうにいくのがすべて 鶴田のタイトル奪取した試合は途中まで良くても、痙攣でピクピクされると一気に安っぽく感じて、
録画してても子供ながらに保存の価値無しとしてた >>611
全盛期のFMWは景気良かったから満足行くギャラは払えたと思う
あとブロディは奥さんが著書で書いてたが、もっと条件の良いところもあったのにそれを蹴ってプライドが満たされる団体に上がっていたとか言ってたから、ブロディはギャラはあまり関係ないんじゃかいかな?
ブロディはビジネスライクな外人だと珍しいタイプのほうだと思う >>612
小鉄が「意外に思うかもしれないがブロディはギャラはいつも一発サインだった
それ以外の事に文句をつけてくる」と言ってたからな
団体のトップとして扱ってもらえると言う事が重要なんだと思う >>606
ブロディが92,3年頃、生きていて
全日には呼ばれず、FMWで大仁田と
電流爆破マッチをやって負けるなら
参加しないほうがいいし、
本人も来ないだろ? FMWの後はIジャ→K1→武藤全日→ハッスル→DDTかな >>616
だからそこは交渉次第
負けブック飲まないのが基本だから
それでも集客に繋がるなら大仁田側も飲むだろうし、大仁田が勝ちにこだわるならブロディは飲まないだろう
デスマッチはアメリカでもあるだろうしストリートファイトマッチとかチェーンデスマッチは別に拒まないと思う >>607
藤波のは場外バックドロップ→リングインだから鶴田の勝ち方よりマシだと思うよ
それで話がそれるが、当時の藤波と長州は対等のライバルと思ってたが
春に長州が藤波をピンしたのに、藤波は場外リングアウト勝ちって、既に格の差は生じてたんだな
翌年か何かで藤波が勝ったときも、長州が乱入者に気を取られてる隙にバックドロップみたいな勝ち方だもんな。
藤波って「かませ犬」以後は長州にまともに(返し技とかでしか)勝たせてもらってないんじゃない?
ちなみに八月四日は後楽園の「テリーさよならシリーズ」の最終戦の方に行ったぜ
メインのテリーの印象が残ってないな、セミの馬場vsスミルノフ
あと天龍石川vs原井上が爆発的に盛り上がったのは覚えてる 天龍石川対原井上は見たいな〜
バランスが良いマッチメーク 思えば石川隆士のプランチャを見たのはあのタッグマッチが初めてかもしれん ただ阿修羅って日本人相手だと良かったのって天龍なんだよな
タッグだと五輪コンビとかの試合は良かったんだけどシングルはイマイチだったな
最近、新日のDVDマガジンで昔の藤波対阿修羅を見たんだけど藤波とも噛み合ってなかったもんな〜
藤波対剛は今見ても面白かったけど、やっぱり相性ってあるんだよな >>621
あの試合の藤波はあれだけプロレスのうまい藤波にしては
なんかいつもとちょっと違うんだよ
いわゆるカタイってやつ
あの時代にあのタイミングで唐突に三角締めでフィニッシュなんてありえないし
この件で後年インタビューされても
「原にはちょっと悪いことしたかな…」的に
いつもとは違ったこと言外に認めつつ
いくらコンニャク社長にしても妙に歯切れ悪くそれ以上は話さないんだよな
でも藤波vs原って原側視点だとイイ試合だと思うけどなあ 剛の試合の時もそうなんだけど、藤波はやたらグラウンドに持って行くんだよね
剛戦もチキンウィングアームロックとか脇固め、アキレス腱固めとか後のU系の技を多用していたし
対抗戦だとやっぱり自分を優位に見せるために普段使わない技を出して、新日強しをアピールしたのかも知れない >>619
アジアタッグを賭けての再戦が見たかった
>>622
全国中継でのあの敗北はテーズ・草津戦に劣らぬ打撃を国際に与えた感じも 藤波が他団体の次期エースを辱めて貶めようとする意図があったのは明らか
それが新間による指令なのかドラゴンの意思なのかハッキリ言わないのは卑怯だよな 新日がブロディ引き抜いたときのギャラが、アメリカマットでもそんなに貰える額じゃないとか
言われてたな
ブロディ一人じゃ集客力もないってのも有名な話で 好試合になるかと期待された原と長州もダメだったね。うまくかみ合えば
いい試合作れたと思うんだけど、長州のほうにその気がなかったようで。 >>628
原はバックボーンが世界的なアスリートで、現在で例えれば五郎丸がプロレス転向したようなもんじゃん。
長州的には敬意があったとは思うけど、鶴田や天龍とかハンセンで疲れちゃったんじゃない?
原は長州に比べてそこまで大きくないけど、ラガーマンのぶちかましはキツいだろうし
ジャパンが全日参戦の当初ならまだしも、原とシングル等で絡んだのは末期だしな
あの時点で原とまで好勝負を続ける体力と気力が長州に残ってるとは思わんなあ。 >>628
長州が新日でブレイクしたときに全日でかつての自分と同じようなポジションにいた阿修羅について
「俺なら原をダイヤモンドにしてみせる」
と言ったのは何だったんだろうな。 >>630
長州「阿修羅、どうだ?ダイヤモンド原に改名してみては」
原「いえ、結構です」 阿修羅原に長州を襲撃させるなんて、テロリスト藤原の焼き直しをさせたのは誰だったんだ
馬場が考えたのなら、その後のシングル戦で長州が原を立てずに
抑え込むような試合をしたのも納得できるが >>629
原とシングルで絡んだのは、全日に参戦した年の9月か10月だったはずだが? >>636
@85年10・4
A87年1・10
あとWARでも1回やってたんじゃないか。 >>621-625
あの試合は原も動きや攻めがカタい
むしろ開始5分足らずの状況で唐突にツームストンを繰り出したり(しかも故意か誤ってか藤波の頭を両腿で固定せず危険な落とし方をしている)
して試合を不穏な展開に向かわせたのは明らかに阿修羅の方
>剛の試合の時もそうなんだけど、藤波はやたらグラウンドに持って行くんだよね
>対抗戦だとやっぱり自分を優位に見せるために普段使わない技を出して、新日強しをアピールしたのかも知れない
あの当時のタイトル戦特にシングルだと試合前半ではそんな攻防が当たり前なんだけどな
アキレス腱固めなんて誰でも使っていたし
全日だと鶴田がUN戦やNWA王座に挑戦した試合やドリーのシングルマッチなんかがそう
鶴田は関節技こそ多用しなかったけど
レイスやフレアーとの試合ではリフトの体勢から前に落としてバックを取ったり両膝を付いた形で相手を投げるファイヤーマンズキャリーを見せたりと
アマレス式の技や攻め方をよく使っていたよ >>632
NWAの解体進行や新日本とWWFの手切れもあって新日本と組んだ方が条件が良いとエリックが判断した模様 >>637
全日で長州と原、2回はシングルで当たってたんだ。
87年の方は全然覚えてなかった。
1回目は、なんか後味悪い試合だったが、2回目はどうだったんだろう。
長州は全日離脱直前だったし、イメージとして微妙な試合だった感じがする。
WARの頃は、原はもう動きがダメだったしなぁ。 二度目の時はかつて藤原ともやった大阪城ホールだったんだよな
ただしメインは馬場・輪島対シン・アシークで輪島の大阪初御披露目といった感じ
またシリーズ名にも見られるようにほとんど全日本に飲み込まれるところだった印象 >>641
そうか。
シリーズ名も「新春 ジャイアントシリーズ」に戻してたんだった。
そして、ベルトも次のシリーズからインタータッグも世界ジュニアも全日側に移ったし、ジャパン勢(マシーン、ヒロ含む)移籍の伏線があった。
今、思うと。 それに新春のバトルロイヤルも復活していたしジャパンの元日興行も無かったし それなら馬場と長州というより、馬場と大塚氏だろうな
まあ、同じ事だけど
ほんと、インタータッグやジュニアのベルトなどちょうど全日に戻った後だからね
そのベルト推移がたまたまの流れなのか、ジャパン軍の最低限の仁義だったのかだな 連レスすまん
ジャパン離脱前の流れと天龍離脱前って予兆の現れ方が似てるよね
馬場は両方とも「突然の離脱」的な感じの対応やコメントだったけど
天龍遺脱前も
馬場にフォール負け
武道館のタッグでギブ負け
全日中堅軍の天龍包囲網
川田冬木の全日軍復帰
鶴田にシングルでピン負け
たった四ヶ月でこれだけの事象
まあ離脱じゃなくて、鶴龍コンビ復活の複線だった説もあるから一概に同じとはいいきれないけど >>646
思い出したが、長州離脱の前年の秋には週プロでも
「長州離脱は秒読み段階」みたいな事書いてるんだよね(確かゴングでも似たような記事が?)。
マスコミも書き立てるのに、馬場が何も察知してない訳がない。 >>640
あれは元々マシンとのシングルの予定だったが、マシンが病気欠場したんでパートナーの原が急遽抜擢された。
必然性がなかったから淡白な一戦だったよ。 >長州離脱の前年の秋には
1986年10月、猪木は
デビュー25周年記念試合を
両国で行ったが、
その時、長州から花束が届き、
新日復帰が噂されたよ。 ところがそんな阿修羅だがプロレス転向で
腕立て伏せ10回出来なくて団体関係者を唖然とさせたのは
一般には知れ渡っていない衝撃の事実 先週G+でやってた87年札幌のインタータッグを録画してる人は
試合終了直後の長州の動きを確認して欲しい
明らかにこの日がジャパンでの最後の試合と決めている仕草だ >>637
原は85年に天龍と長州に噛み付いてヒットマンに。
鶴田 天龍 長州 原の四つ巴になると思った。
でも原は思ったより活かされず。
勿体なかった。
その後は元国際という経緯から国際血盟軍に。
その流れでシンともよく組んで。
シン、原のコンビも嵌まればいいコンビになったと思う。
でもシンと組んだら原も合わせて最低限は極悪ヒールの片鱗を見せなければならない。
それは原の本意ではなかたはず。
ベビーではないにせよ。
ただシンと組まされてるだけに見えたし。
87年に天龍と組むまではまたもや燻っていたと思う。
天龍同盟から漸く(ようやく)開花した感じで。 マシンは全日いったのは間違いだったな
あの時期のメンツでは一番目立たってなかっただろう
本人もあそこまで冷遇されるとは思ってなかっただろ シンってラッシャーが亡くなった時も阿修羅が亡くなった時も一つもコメントしなかったけど、
当時から仲間意識ってのはなかったのかな。 >>618
フォール負けでタイトル渡してるのに返してもらう時はリングアウト勝ち。
藤波は不満だったみたいで試合後、試合結果に納得できないとして
即王座返上→再度王座決定戦をアピールしてたね。
結局、会社サイドも認めず次の福岡での長州とのタイトル戦は好勝負だったが
その後の長州戦は消化不良の連続だった。 >>652
ドラマ仕立てだよw
末期、しかも日本リーグが不調に終わり土壇場の国際プロレスにおいて
本来阿修羅は即戦力でリングに上げたかったんだ
でも、あまりのレスラーとしての基礎体力不足に遠藤が付っきりになって大改造したんだよ
これね、プロレス雑誌等の記事じゃなくご本人に聞いた話だから >>654
確かにね。
新日の時に『これから』って時期に居なくなったのは勿体なかった。
あのまんま新日にいたら時代を築けただろう。
逆にマスクは脱いだかも。
でも脱ぎそうな流れにして最終的に脱がない、と。
あの流れだとそこまでがピークになるが。
でも全日だとあの時代はメンバーが充実していたから埋もれたね。
全日でのマシン絡みも色んなカード見られたのは良かったが。 >>655
単に報道されなかっただけでは?
馬場が亡くなった時もシンのコメントはなかった様な。
馬場とシンは関連深いのに。
東スポ、週プロ、ゴングとどれにも掲載されてなかったはず。
見落としただけかな? みんなこの時代は団体に入門してキツい練習していじめやしごきにも耐えて
やっとデビューして前座の第一試合第二試合とかを務めてる時も
やっぱり自分こそは馬場猪木、とまではいかなくても
将来は鶴田や藤波長州や天龍、タイガーマスやせめて健悟くらいwのスターになって
全日や新日のマットの主役としてハンセンやブロディ、ブッチャーやファンクスマスカラスのような
(その時代の)大物外国人とスポットライトの中メインエベントで
チャンピオンベルト争う自分の姿を夢見てるんだよね?
新倉や笹崎ハリケーンズの面々や渕や薗田や越中或いは菅原冬木なんかは
新人の頃からいつ頃まで純真無垢にそういうことを思っていたんだろうか? 日本のマスコミがコメント聞かなかっただけだろ
多少縁があったレスラーか死ぬ度に、いちいちシン側からマスコミに連絡しろとでも? 阿修羅はR木村との血盟軍コンビがよかったよ。ジャパン軍とのカードは好試合だったし(馬場解説では珍しく誉め言葉)、鶴龍には黒星なしだったからね(天龍腰痛でリングアウト勝ち&両リン)。
阿修羅vs長州は全日では長州が原の攻撃を全く受けなくてつまんなかったけど、WARでのラリアットマッチは両者ともラリアットを受け合って面白かったな。 阿修羅 マシンも良かった。
マシンの怪我での途中欠場は勿体なかった。
せめてインタータッグ一度は巻かせて(任せて)上げたかった。 でも阿修羅とマシンって10歳差なんだよね。
阿修羅:1947年1月?日
マシン:1956年12月20日
当時はそんな感覚はなかった。
阿修羅が見た目もイメージも若く見えたからね。 近鉄ラグビーの名FWだった原の加入の頃から印象。入団まもなく特訓に次ぐ特訓、そのまま海外遠征し英連邦王座に就いて
帰国後、原進から阿修羅のリングネームを受け、ツルノを降してWWU戴冠、ピンクレディみたいなw?キンキラコスチュームに
大仰な入場テーマ。。30で入団してホント急ごしらえで次期スター候補を育ててる感がガキの俺にも伝わったな。
全日スレでスマンがw 選手飽和状態の上にウォリアーズが全盛を誇っていた全日とはいえ
マシンと阿修羅のコンビがアジア戦線でしか活躍できないとは情けなかった
原の序列が天龍と長州に及ばないうえに、
馬場がマシンを評価してなかったから仕方ないが 浜口は原が入門した時にはまだ軽量だった原を
骨太体質で肉が付きやすいからすぐにレスラーの身体になる。
でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
そんな記事があった。
龍原砲の頃は確かに重量級のスーパーヘビーに。
ハンセンやゴディにも当たり負けしてなかったし。
でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。 阿修羅とマシン
1985年の最強タッグでは阿修羅、1986年はマシンがデビアスにピンフォール負け
鶴田、天龍、長州、谷津はハンセンにもピンフォール負けしなった頃
日本人抗争している時と対外人では序列が異なるんだと思ったなあ
この他、阿修羅は木村と組んで、ウォリアーズに大熊、園田、栗栖並の短時間でやられた試合もあり >>664
マシーンは見た目では年齢が分からんしなww >>650 >>657 >>668
それはラグビー引退後殆ど体を動かしていなかった裏事情もあるだろうけど
ゴッチみたいな事を言ってしまうけど昔流の筋トレやボディビルで体を大きくすると自重トレの方は全く出来なくなってしまった話はよく聞くから
ボディビル以外の競技でも“使える”筋肉を造り上げられる様な応用力や実践性の高い筋トレが日本に普及したのは80年代以降だからね
>でも137キロになった時には《まさかここまでなるとは!》と思った。
むしろそれが膝に過大な負担を掛けて選手寿命を縮めてしまう結果をもたらしてしまったとも言える かなり前に何かの記事で阿修羅、大熊、小鹿、石川が190以上なら凄いレスラーになっていた。
そんな記事があった。
何故か小鹿の名前が。 >>671
身長によって同じ体重でも膝への負担が異なる、と聞いた。
※個人差はあろうが。
190 140
170 140
これだと170の方が膝への負担が大きい。
力士でも同じ様な体重でも身長が違うケースがある。
196 180
174 180
やっぱり身長が低い方が膝への負担が大きいのか。
阿修羅の137はハンセンやゴディと変わらず。
でも身長では阿修羅は彼等より10センチは低い。
だからその分膝への負担も大きいと。
一概には言えないが。 長州と原のシングルは3回か。2回目か3回目の時に、スタートから一切他の技を使わずに
ラリアート合戦やって、最後は長州が勝った試合なかったっけ。長州と他の選手だったかな。 >>673
170cmで 体重140 `
って言ったら、膝に限らず
全身にヤバいだろ!? >>668
>でも勢いがあった88年暮れに解雇は勿体なかった。
あの解雇がなくて、ブロディも生きていたら、87年〜89年までの最強タッグは
鶴田&谷津、天龍&原、ハンセン&ゴディ、ブロディ&スヌーカが3年連続参加だったのかな。 原の体型バランスとしては国際崩壊から全日本入団に掛けてが一番良かった印象
だからハンセンの全日本復帰第一戦も光った 原のでかさで137キロはウェイトオーバーじゃないか
せいぜい120ぐらいが限度な気がする >>676
4強時代が続いただろう。ただ、スヌーカが衰えてブロディ&スパイビーだったのではないか? >>679
そういえばブッチャー&スヌーカーってブッカーは何をしたかったんだろうね。
始めはあまりにも異色で新鮮で良かったのに。
もともと短期間で終わらせる予定だったのか。それとも実際に組ませたが何か理由があって解体したのか。 >>674
WARでやった試合だな。
しあいまう、阿修羅が「今日はラリアット一本で勝負だ!」と言って、長州もそれに付き合った。
途中、ブレーンバスターと頭突きが出たほかはほぼラリアットの打ち合いだった。
試合は長州の勝ちだったが、ラリアットは阿修羅が勝っている印象を受けた。 >>679
スヌーカは厳しかった気はするよね。
確かに、ブロディ&スパイビーはあり得るチーム。
スパイビーも89年の来日時に「ブロディというレスラーをもっと知っておきたかった」と言っていたっけ。 >>681
おぉ、サンキュ。いっその事本当にラリアート一本だけでやってくれたほうが
よかったとも思うけど、流石にそうもいかなかったんかな。
>>683
俺もどう見ても137はないだろうと思うけど、当時そんな公式発表でもあったかな。 >>665
本当かどうかは知らないけど阿修羅は新日と争奪の末国際になったらしいけど
当時すでに国際の給与遅延は始まっていて、剛は離脱してるんだよね。
いくら、草津がラグビーの先輩とは言え不可思議なんだよ。
新日は阿修羅の年齢と訛った身体で積極的でなかったとしか思えない。
>>671
そんなこと言ったら遠藤さん怒るよw
137kgが本当なら、それは過ウェート過ぎでもはや走れないよね。
何のスポーツでも走ることは共通した、トレーニングのスタート。
これをしたかしないかが、概ねの選手の新日と全日の差であり
選手寿命、そして本当の寿命の差に影響してると思うよね。 しかし最初の刷り込みが抜けないせいか、未だにラリアートと言ってしまうんだなぁ。
この技が脚光を浴び始めた頃のプロレス雑誌とかでウェスタン・ラリアートって表記
だったから。今じゃ少数派かもしれんけど。 原 進
って見出しのゴングを古本で見たことがある。 しかもそのWARの長州戦てたしか5分もしないで終わらなかったか
ビデオに収録されてたような気がする
記憶違いかな >>688
東京体育館では、自らロープに走るラリアットを交互に打ち合う展開(小橋×
健介のラリアット版)。マイクで勝負を挑んだはずの原が自らラリアット合戦を
辞めてトーキックするも、リキラリアットであっさり敗北(だったはず)。 >>686
いいんじゃないの?
馬場も死ぬまでラリアートで通してたし でもほとんどラリアートの打ち合いならそれぐらいが限度かなって気もする。
やるほうも見るほうも。プロレスの試合時間としたら短いけど、5分間て結構長いからね。 >>690
まぁラリアートでも別に間違いじゃないと思うしね。
でも向こうの発音だとやっぱりラリアットが正式なんかな。
よく分からんけどw 発音的にはラリアットの方が近いが、別にどっちでも。
表記揺れの範囲だ。 しかし原ほど色んな髪型をやって、その全てが似合うという…羨ましい限りだ
デビュー当初から全日移籍までのブロンソン風
ヒットマン復帰からマシンと組む頃までのランボー並みの長髪
天龍革命の頃のセミロング
タイトル落として禊ぎの坊主頭→角刈り
個人的には体型の変化にあった角刈りのいかつい風貌が一番レスラーらしくて良かったと思う
まあ、でも甲乙つけ難いくらい全部似合ってたよな >>680
マスカラスの出たかなり昔のシリーズで似たネタを子供の頃見たことがあった
昔の使い回しじゃんとその頃思った
全日は結構そういうのが多かった 原って真冬でもTシャツにジーンズ、ブーツって出で立ちだったらしいけど、
「俺のこの肉体がコスチュームだ」というメッセージだと二宮清純氏が週ゴンの
コラムで書いてたね。レスラーのファッションがテーマで、他に大仁田や天龍、
アニマル浜口なんかも取り上げられてたと思う。 オールスター戦も当初の予定では鶴田藤波阿修羅のトリオだったんだよな
次世代のエース候補ってことでそのトリオが企画されたそうだけど、鶴田藤波と阿修羅が同格ってのに
全日新日両サイドが難色を示し、結局マスカラスになったっていう話
まあ、マスカラスで正解だったけどね
未だに鶴田藤波マスカラスは夢のトリオって印象があるし カブキのヒールターンもあの時期だっけ?
ラッシャー、原組、カーン、マシン組、原、マシン組とか
カーン、ゴディ組、ゴディ、カブキ組もあったっけ?
ここらへんはメチャクチャだっからどういう流れだったかまったく記憶にないわ コンバットRECが天龍と飲んだときに聞いたらしいけど、天龍同盟のとき阿修羅が飲み会をセッティングしたら二次会がいきなりディスコだったそうな。
しかも幹事の阿修羅は女の子引っ掛けて途中で消えちゃったらしいw
天龍「国際出身のレスラーは変わってるからね」。
巡業中は飲み食いよくしてたらしいけど、オフのときはほとんど会わなかったそうな。 馬場の体重って本当はどれくらいだろう
140もないよね? >>695
馬場なんて五分刈りしか似合わないからなw
(一時期いわゆる「頭突き対策のネタ話」少し伸ばしてたのがあったといえ) >>703
所謂マッシュルームへア時代だな笑>>髪を伸ばしていた馬場
因みにその頃は猪木も髪をザンバラ状に伸ばしていて、プロレス雑誌の投稿欄に
「馬場も猪木も見苦しい長髪はやめろ!」て苦言が掲載されてた笑 馬場は天然パーマらしいね。カットしてた理髪店のおっちゃんがインタビューで言ってた。 >>703
インター王者以前のちょっと伸ばしたくらいの髪なら似合ってたんだが。
大木戦の頃はこりゃあ似合わない……というくらい酷かったな。
歯も銀歯が目だってじじ臭い。
反面、猪木はその頃のヘアスタイルが一番似合っていた。
猪木は日プロの頃はちょっと猿っぽかったけどこの時期は違うし。
関係薄いだろうが賠償美津子もその頃が一番色気があって最盛期か。
その辺で差がついたところは大いにあるんじゃないかと思う。 馬場が長髪にしてた70年代半ば頃って世間でも男の長髪が流行ってたから、馬場もそれに倣ってと
当時思ってたw その頃は幼稚園に入るかどうかの年齢だったから
自分にとっての馬場は長髪のイメージ、その後の角刈りの方が違和感があった
あとスレ違いになるが、坂口と草津が似てるのは定番だけど
その頃は草津はしらない、坂口は新日テレビ中継でなんとなく知ってた
むしろ坂口は俳優の伊吹吾郎と同一人物だと思ってた >>700
天龍と阿修羅は阿修羅解雇前はちょっと微妙な関係だったもんな
天龍も公の場で阿修羅の欠場について事前に言って貰いたかったと批判していたし
あと引退記念の際に出版された天龍と夫人の語り本で夫人は阿修羅に関しては色々あったみたいなコメントしていたので、マスコミで言われてるほどキレイ事ばかりではななかったんだろうな、って思う
天龍も阿修羅が亡くなったときもコメントしなかったからな
複雑なものはあると思う >>701
ウィルバー・スナイダーにエアプレンスピンでブン回されてる写真が残ってるね。
あの写真見た当時(小学6年頃)は「スナイダーSGEEE!馬場の巨体を振り回してる!」
て思ってたけど、今思うとあれ普通の事なのかな笑
全盛時のアンドレを振り回したらもっと凄かっただろうけど笑 >>701
がりがりの人でも2mあれば100sはいくからね。
全盛期なら140kgはあると思う。 >>708
必殺仕事人のおでん屋の技をものにするとか、そういう遊びが坂口にも欲しかった 病気したり怪我すると身長は縮むから、晩年の馬場はひょっとしたら2メートル切っていた可能性もある
鶴田も病気から復帰してからはなんか小さく感じたもんな 今のプロレスラーの体格って、体育会系大学生や肉体労働者でゴロゴロいる程度で特別感がない。
ステロイドみんな打ってたのかな。暴露本乱発でファンタジーも無くなったせいもあるけど怪物イメージなくなったな。 プロバスケにはデカイのはゴロゴロいるけどね
プロレスは儲からないし、世間体もあまり良くない
昔はプロレスはほとんどメジャーだったから普通に子どもなんかも憧れの存在だったけどね 自分の子供が身長195pあったとして、将来考えたらプロレスや相撲はないな。
バスケやバレーを企業チームでやるのが一番いい。
数十年かけてプロレスや相撲は廃業したら終わりというのが世間にばれてしまった。 プロレスはほかのスポーツに比べて選手寿命が長いので、生涯収入で見れば決して稼げない仕事ではないとか言う意見もあるけどね
ガチではないとは言えプロレスの技は危険だし怪我のリスクは当然あるけど、それでもボクシングとか格闘技に比べたら、そのリスクは低い
あと蝶野のように副業のアクセサリー屋とか芸能の仕事が順調ならば他のスポーツ選手に比べても遜色はない収入も可能だしね 肉体労働やってるからか相撲取りみてもゴツいとかデカいとか思わないもんな
中身はゴツいんだろけどさ 馬場の身長に関しては諸説あるけど、巨人入りした時の計測した写真が残ってる。
体重は100を少し超えたくらいで、身長は203センチだった。もっとも16〜17才の頃だから若干伸びたかもしれんが。 馬場はプエルトリコの人を抜いて、巨人症の長寿世界記録を更新した世界的有名人 でも馬場の享年61より生きた人はいないという意味では? >>725 その通り
当時、馬場の訃報はプエルトリコでも大々的に報じられた 007のジョーズの人が74歳まで生きて今はとっくに更新されてるけどね。 「007 ムーンレイカー』にも出演したアメリカ人俳優
リチャード・キールは、身長2m18cm、
WIKIでは「巨人症の有名人」として紹介されているが、
彼は(1939年9月13日 -2014年9月10日)で
満75歳の目前で亡くなっているのだが。 バリーウィンダムも2メートルあったんだよね
あとバスケはアメリカだと190センチ台でも小さいと言われることあるから2メートル台はむしろ普通
馬場クラスだとアメリカじゃデカイ男くらいの感覚なんだろうな〜 馬場はデカイだけじゃなくて、風貌がいかにも巨人症なんだよな。
日本人の巨人症の見本のような男。 巨人症がレスリングにしろバスケにしろ身体能力を阻む要因に全くならないどころか強みになったのは
神からの慈悲なのかね。。。w >>731
馬場やアンドレ、エルヒガンテなんかは顔の大きさや形、手足のデカさなんか、末端肥大症の症状出てる。
逆にヒカルドモラエスなんかもデカイが、巨人症って感じがしない。 キニスキーとかサンマルチノとかとやってる若い頃の馬場はそれなりに筋肉もあって、何だか顔もちっちゃく見えるんだけど、
馬場さん、とか言われ出したあたりの馬場は肉体や顔のたるみも相まって正に巨人症の典型だったな。 日プロ時代の馬場はカッコ良いと思う
誰か馬場はルックスがどうこうではなく二枚目的なキャラと言ってたけどそれもわかる
あと柔道の篠原とかに比べたら、馬場はルックスは悪くないと思う
あと、猪木は普通にカッコ良いと思う >>720
馬場のプロ野球時代の登録は200cmでしょ。読売ジャイアンツの名鑑で
193cmなのもある。203cmはデマだと思うけど画像ありますか? >>735
https://i.imgur.com/WzDYl8f.jpg
若い頃の馬場はプロレスラーとしてかっこいいと思うよ。鋭い目付きに加えて身体の肉付きもいいし。
股間のモッコリは置いといてw >>729 死んだ時点の記録だからな
馬場の方が早く生まれてる
キールに記録を塗り替えられたんだな >>718
あと40歳どころか50歳すぎてもリングにあがって稼げるなんて
ボクシングやキックボクシングじゃありえないしな
佐山、船木、鈴木みのるあたりはおっさんになってから
プロレスがいかに素晴らしいシステムか痛感しているんじゃないか >>725
存命なら、明日で80歳か(´・ω・`) そういやあ、ハンセンの息子ってメジャーリーガなんだっけ? そっか明日で馬場生誕80周年か。
ちなみに前田が明後日で生誕59年、いやっ存命だから59歳か。
まあもしも馬場が健在なら今ごろは寝た切りだろうな。
って馬場が80まで健在って想像できないわ。 >>739
>あと40歳どころか50歳すぎてもリングにあがって稼げるなんて
ボクシングやキックボクシングじゃありえないしな
馬場の弟子の大仁田がFMWでキックの上田勝次を
43歳になってから使い始めたのも皮肉だな >>743
プロレスのリングだからこそ、上田勝次が稼ぐとかあり得るんだろ?
その年齢で、ボクシングのリングに上がって稼ぐとかはあり得ないんだし。 >>744
実はR・デュランの最後の試合は50歳
しかもマイナータイトルではあるがNBAスーパーミドル級王座の防衛戦で相手はあのH・カマチョ(!)
それも12Rフルでの判定負け
まあこれはマイナー団体が昔のビッグネームの権威利用したものだけどなw ロイ・ジョーンズもまだやってるなあ。MMAのプロモーターしててその余興的に上がってるだけだが >>745
デュランもプロレスのリングに上がっていたよね、しかも試合はTシャツ姿だった。
レオンスピンクスもそうだけど、あんなになってからでもリングに上げてギャラを
払ってしまう、プロレス側にも大きな問題があったのは間違いないと思う。 >>747
実は前記の試合は船木とやった異種格闘技戦の「9年後」なんだ…(苦笑) >>747
あんなになってからって、
スピンクスは別に悪くなかったろ。
デュランは最低だったが。 >>747
レオン・スピンクスは猪木戦の時点でパンチドランカー状態だったらしい
その後はFMWに定期参戦してたし金が無かったんだろう まぁ馬場の公称209cmもサバ読みで
晩年は203cmくらだったかも知れない。
そうすると、10年前まで現役だった相撲の
琴欧州と同じくらいなのだが、
感覚としたら、馬場の方が背が高いなぁ。
痩せているからそう感じるのかな? http://boxrec.com/en/boxer/262
FMWに出た後も結構試合してるのな
対戦相手の戦績も酷いが >>729
リチャード・キールって猪木に挑戦表明した事があるね。
結局は何の進展もなかったけど。 >>749
FMWのレオンスピンクスはヒドかったな。異種格闘技タッグリーグ戦とかいうのに
子分みたいなボクサーと出て、ボクシンググローブ同士でタッチするような試合。
スピンクス組の負けは、すべてスピンクスのパンチがパートナーを誤爆する結末w >>728-729
リチャード・キールといえば007のジョーズ役は当初馬場にオファーしたって話があったな あぁ、あったね。バケモノじみた役柄が気に入らなかったんで断ったとか。
馬場の代役?が猪木に挑戦と、何か因縁めいた話のように当時の雑誌で
書かれてたのを思い出した。 柴田国明からJライト級のタイトルを奪ったアルフレッド・エスカレラは
一時期プロレスラーに転向したんだけど、その頃は120sぐらいあったらしい。
やっぱりプエルトリコを主戦場にしてたんかな。どこかの団体で呼べばよかったのに。 ノアに行った選手、スタッフは馬場さんだから言うことを聞いていたのに馬場さんが亡くなったのに、常に煙たがられていた元子は未だに健在。
憎まれっ子世に憚るw >>755-756
007に出演していたらキャノンボール2でジャッキー・チェンとも共演して世界のアイドルになれたのにな。 >>754
ただレオン・スピンクスとかベリチェフとか凄いっちゃ凄いんだけどねw >>754
>>760
あの時代にはまだブックだのが公然と語られてはいなかったけど
それでもさすがにFMWを本気にしてる従来からのプロレスファンはそんなにいなかったと思う
…ええっと、いなかったよなあ?
大仁田の「実際に爆発したり有刺鉄線で血が出て痛いからホンモノなんじゃー!」とかの
「いや、さすがにそれ仕掛けは置いとくとしてもそもそも論理のすり替えダロw」ってのを
本気にしてた人とかいないよなあ?
俺は未だにあのFMWに熱狂してた人達だけは
それが本気だったのかどうかよくわかんないんだよ 電流爆破とか有刺鉄線とかもし学生プロレスの連中がやりだしたらどうするつもりだったんだろう? 馬場を目の前で見たら2mないなんて言えないだろw
そもそも鶴田の194cmを軽く凌駕して並んでるし。 1990年に馬場の真横に立つ機会があったんだが、
これほど大きな人間がいるのかと、本当に首を上にして見上げてた。
自分は18歳で177pだったんだが。それまでもそれ以降もあれほどの大きな人間に出会ったことはない。
欧米へ旅行したことがないからかもしれないが。。。 以前の会社が、某バスケ強豪企業の本社が入るビルに入居してたんだが
ああいう運動部の人って本社の総務とか福利厚生とかに所属してること多いから
けっこうエレベーターとかで一緒になること多くて、
で、やっぱり190cm越える人間は隣り合って並ぶとちょっと普通じゃない
特にエレベーターとかだと圧迫感とか違和感半端ない
まあ相手もちょっと居心地悪そうにしてたけど 馬場の身長もだが、馬場の顔の大きさに驚いたな。
ギター並とは冗談半分に聞いていたが。
でも実物見ると馬場の顔の大きさは本当にギター並だった。
あと間近で見ると腕も意外に太い。
画像や写真だと細く見えるが。
その日はタッグでシンと対戦だったが、そのシンの腕の太さと言ったら。
意外に太く見えた馬場の腕の倍はありそうな太さだった。
こんな腕でコブラクローやられたら死ぬと本気で思った。
シンは胸板も異常に分厚くて。
馬場といいシンといいこれぞレスラーだと思った。
82年頃だからシンは全盛期で馬場もまだ完全にセミリタイアする前で動けた時代。 >>756
それと一年近い拘束や本業に対する制約やらなんやら契約関係にウンザリしたそうだ。 >>766
実物の馬場を見て思う事は、ただただデカいという事。腕は全体のバランスとして細く見えるだけで、細く無いんだよね。
これはテレビで見ても絶好調分からない事 あのさー太いとか細いってのは絶対的じゃなく
身体のバランスの相対的なもんだろうよ、普通w
180cmで70kgなら普通だけど150cmで70kgならデブなのと一緒。
馬場の往年の腕は病的に細いで間違いないわ。
マジに腕立てなんか1回も出来ないだろうさ。 馬場の足はお世辞でなく強い。
三条でリヤカーで10km往復し、巨人の多摩川で二軍で走り込みさせられたのは
伊達じゃない。
馬場自身、著書で足腰は自信あるといってる。
入門時、力道山にスクワット500回やれと言われて
2セットこなした。 長州も初対決のあと
「いままで対戦した相手で一番足の力が強い」
って馬場を評してたね。
そういや、長州は出もどって以降、ほとん馬場のことは
言わないような。 >>773
>>入門時、力道山にスクワット500回やれと言われて
2セットこなした。
途中二回倒れたとミスター林が暴露していたが・・・ >>774
馬場が言った「シューテイングを超えたものがプロレス」
に長州が「馬場さんいいこと言った、俺もそう思う」
って賛同したのは第一次UWFの頃だっけ?
あとは晩年になって
「馬場さんは本当に深くて凄い人、底辺からや全体をとてつもなく見渡せて考えてた人」
「今になってやっとわかる」
みたいな内容はあちこちの媒体で言ってるよね 何年か前、NHKで長州が地元山口の地方都市を旅しながら、地元の人の吉田松陰愛を確認するという番組があったけど、アナから長州自身が器が大きいと思った人物を聞かれ馬場の名前を挙げてたよ。
同じように、今になって偉大さが分かったと言ってたよ。 長州って、相手のいいところ、かなわないところを
素直に認めるよね、意外と。 馬場は上半身は貧弱に見えるが下半身はガッシリしてた。
猪木も意外に下半身はガッシリしてたんだよね。
やっぱり日プロ時代に徹底的に鍛え(られ)て。
それを後々にも継続したのだろう。
馬場も猪木もレスラーの基本は足腰の強さ と言っていたし。
上半身より下半身が重要だって。 今日は馬場の誕生日か。
ご存命なら80歳か。
亡くなったのも1999年の誕生日の少し後ぐらいだったね。 力道山も存命なら93歳か
自分が生まれるずっと前に亡くなったからピンとこないけど
何年か前に亡くなった森光子さんや
昨年亡くなった日野原医師や
いまだ元気でご存命の瀬戸内寂聴さんより年下なんだよね
あの事件がなくて節制に励めば、いまだ存命でもおかしくなかった 力道山ははったりかまして暴飲暴食するのがプロレスラーだと思ってた節があるから節制は無理だろう。 馬場は何度か生で見て最後になったシリーズもすぐ脇で歩くのを見たけど半端なくデカイと思ったな
背丈だけじゃなく横幅もあるし厚みもあるし各パーツがデカい
シャムロックがパンクラスで売り出した頃に自宅でインタビュー受けたが「馬場はメチャクチャ足の力が強い」とか言ってたな
たしか日本の記者なら誰でも分かる馬場の話を持ち出したんじゃないかって書かれてた >>775
>途中二回倒れたとミスター林が暴露していたが・・・
この話は菊池孝や山田隆にも書かれていたな
>>782
プロレスラーに限らずあの時代は一般人の間でも暴飲暴食するぐらいが元気と活力の証明みたいに言われてたんじゃないの? 節制するレスラーばかりの中、中西のモンスターモーニングは、マサに昭和のレスラー像(´・ω・`) >>784
昭和のレスラーは総じて身体の厚みやあと首から肩にかけてのボリューム感が凄いよな
ラッシャーやマサなんて傍で見ると上背自体はそれほどでもないんだけど
とにかく身体の厚みが凄くて煉瓦みたいだからデカく感じるんだよなあ 馬場と長州、浜松のより名古屋のほうテレビ中継してほしかったな。 あるスポーツ選手の結婚式に出席した時のこと
長州、藤波、坂口が出席してたが、さすがにサカのデカさは目立ってた
でも最後に新郎新婦への挨拶の列に長州と藤波がいたら、他のスポーツ選手の間で埋没してて、並んでた他のスポーツ選手たちが、長州や藤波をバカにしてた >>785
>プロレスラーに限らずあの時代は一般人の間でも暴飲暴食するぐらいが元気と活力の証明みたいに言われてたんじゃないの?
そんなことは知らないし、そうだとしても
先のレスの主題ではない。 昭和のレスラーの中でも上田は貧弱だったな。
特にシンが凄い体だったから上田の貧弱さは際立った。 >>788
ニックウインクルって言ってるw
こういうとこが倉持だわ 昔は「食べるのも仕事!」だったからなあ
毎食、チャンコ丼10杯、丼飯10杯位がノルマで食い上げるまで先輩が監視してたんよな
練習よりも食事の方が苦痛だったていうレスラー多いですよね(´・ω・`) >>778
長州かあ。週プロの佐藤さんだったかな、サイパンか何処かで「お前は絶対に許さないからな」と言って当時は佐藤さんの言い分に同意できたんで、長州にはいい印象なかったけど。
垣原と対戦した時はまるで対抗戦であることを忘れたかように讃えたり、田中稔が98年くらいに参戦した時も「良かったぞ」と声をかけて稔が凄く喜んだらしいけど、長州って見た目は怖いけど意外といいとこあるのかもね。
Uインターに3バカとか「得意の記者会見」とか首吊って死ね、墓にクソぶっかけてやるとかボキャブラリーにたけている一面もある。 長州はマスコミの悪口は言うけど、同業者の悪口は言わない
マスコミは緊張関係あるほうが良いし、別にそこは悪いとは思わない
ただ、ミスターヒトが言ってたけどヒロに仕掛けた橋本を長州とマサがリンチしたのはダメだ、と言ってたな
あれは橋本が悪いかも知れないが、口頭で注意すべきと言ってた
言って聞かせてわからないなら、やむを得ないかも知れないけどそれをせずに暴行した長州、マサのことは厳しく批判していた
これはヒトのほうが正論だと思う TAKAみちのくの宇宙人プランチャに手を叩いて喜んだり、外道を呼びつけて試合が良かったって結構な数の一万円札を無造作に握らせたり。 初の生観戦が生まれ育ったド田舎の全日大会だったけど、馬場が他の選手より
一人だけ遅れて会場入りしてきた。思わず客席から「おぉ〜っ」というどよめきが起きて
その後自然と拍手が沸き起こった。やっぱり田舎の人間にしてみたらあれだけデカイ人間を
生で見る機会なんてそうないからね。俺もその後何度も観戦する内に段々慣れていったけど、
初の生馬場の衝撃は今も覚えてる。 外道と言えば馬場との絡みが面白かった
馬場が外道のバックを取った時、定番の急所蹴りを外道がやろうとしたが
身長差がありすぎて届かず、逆に後ろから馬場に股を蹴られた 馬場は邪外道は上手いと認めていたな
セットで誉めていたけど、恐らく外道のことだと思うけどね 長州の「全日本はぬるま湯だ」とかもリング上を盛り上げる要素ではあったからね。
プロレスという仕事への姿勢で相違があると言いすぎくらい言うが、人格批判はあまりしないよな。 前田が離脱したのが木村に取っては良かったのかも知れないけどね
もし前田がUに行かなければ次世代エース候補は藤波、前田だったかも知れないし
まあ、木村はそれなりのポジションを維持できたのは運が良かったってのもあったと思う
長州軍団離脱で人もいなくなったし、ヘビーだと木村は貴重だったからね >>796
前田は食事は確かにきつかったけど、入団する前は家が裕福ではなかったので
ごはんに塩かけて食ってたくらいだから、それがいきなり具がたっぷりの鍋物やらステーキといった
豪華なものを練習生の身分でたらふく食えるようになったから苦にまではならなかったって言ってたな
前田くらいまでの世代はまだまだそういう暮らししてた人も少なくなかったろうから、食事に関しては文句も言ってられなかったてのも
あるだろうね
今は食事に関してはどうなってるのかはわからんけどね
今は細マッチョみたいな見栄えの良い身体が主流だし、団体側も無理には食わせなくなってるのかも知れない ロッキー羽田は、いくら番付が低いとはいえ部屋のチャンコが劣悪でウンザリしてたら、小鹿からプロレスは新弟子からいい食事食えると聞いてプロレス入りしたらしいね。 そんなしょうもない理由で、自分の今後の人生を決めるものなのだろうかw >>809
でも昔の名力士の入門エピソードなんてそんなのばっかりだぞ
腹一杯食えるとか東京見物とかを盾にほぼ騙し討ちみたいな 小鹿自身も親方にメシたらふく食べさせてもらって感動して相撲入りしたらしいしね。東京向かう途中、青函連絡船で駅弁10個食ったとか言ってたな。
坂口や長州もプロレス入り前豪華な食事ご馳走されたのが印象に残ってるそうな。 >>809
羽田の世代は食いたくても食えない時代をリアルに経験してるからな
前田くらいまでの世代ならご馳走食わせてやるって理由だけでプロレス入りしても不思議じゃない 羽田の体型を見てると腹一杯食べてたように見えないが ソップ型だから
食っても太らない体質もいる
小鹿とか田上も同タイプ
天龍もソップ型だけどね 「そんなに喰いたけりゃプロレスラーにでもなれ!」という母親の一言がなければ、
新幹線の食堂車平らげた話や虎ハンターの異名も、現在の道場に可愛い飾り付けやチャンコにもう一品という女子力満点の小林邦昭は生まれてなかったw 小林邦明の新幹線食堂メニュー制覇はそんなに種類があった訳じゃないみたいだけどね
それにドリンクとかデザート類は抜いて、だし 若手いじめる先輩レスラーの汁物は、タンや唾が入りだからな
坂口は洗濯頼んで釣り銭やらないから、やられまくってたそうだ そういや昔は雑誌とかでプロレス道場のその団体のちゃんこ鍋の特集とか見かけたんだけど最近はとんと見かけないね。
今のプロレス団体は練習生囲って道場でちゃんこ鍋振る舞う余裕なんかないんだろうな…
昔のプロレスラー→嫌でも身体作るため無理やり食わされる
今のプロレスラー→プロレスだけじゃ食っていけない
時代とはいえなんか寂しいなー… 新日の鳥肉のちゃんこは旨そうだったね、あれは食べてみたい、
逆にパンクラスのちゃんこは嫌だな、塩昆布と塩ワカメで味付けした野菜だけのちゃんこ鍋、 >>816
最近の小林邦明を動画で拝見したんだが
永田はおろか中西より背高いんだよな。ちょっとびっくりした。
腕周りも還暦越えた人の腕じゃないんだよね。 新日のちゃんこ真似してみたのはいいけど秘伝のタレ作るとき青海苔がなかったので卵黄に海苔の佃煮のごはんですよ混ぜて代用したら結構美味しかったw
それ以来湯豆腐とかちょっと熱が通ってる卵黄プラスごはんですよであらかた美味しく頂けてますw >>816
>>821
小林邦明じゃなくて小林邦昭だろw >>803
邪道外道って全日で全部負けブックじゃなかったけ?
褒めてもあれじゃ、全日はもう結構ですってなるだろうな 新日の道場では、よくチャンコをご馳走になったが、田中米太郎さんの作るつくね入りのやつが絶品だった 坂口征二もステーキごちそうになって、「ウチに入ればいつでも食べられるよ」
で入団したんだもんな
柔道連は飯代ケチったのか?w >>818
週プロは最近はやってないのかな?
2、3年くらい前までは定番企画で毎年、ちゃんこ特集やってたの覚えてる
ここ最近は新日ばかりの記事になっちゃったから立ち読みもしなくなったけどね パイオニア戦志の特集で
記者が、お世辞にもちゃんこは美味しいとは言えなかった。
、剛「うちはちゃんこも発展途上だから」
と書かれてた記憶がある。 チャンコというと、川田が豚汁チャンコ作ろうと思って材料用意しといたら、ミスター林が勝手にカレー作って自分で食ってた話思い出すw リキプロのちゃんこは長州が鍋は食べ飽きたそうで、鍋の他に必ず一品つけるとか書いてあったな
しかしちゃんこ特集も昔はわりと豪華なイメージあったんだが、最近は時代を反映してか各団体共、
最近はなんかヘルシーとは名ばかりで、ちゃんこに金掛けなくなってるんだなって印象もある
80年代〜90年代の鍋特集は肉がたっぷりだったり、カニなどが入ってる海鮮ちゃんことかゴージャスな
印象だった まあ最近は相撲部屋自体がちゃんことはいっても
昔のように白飯+ちゃんこが全てみたいでなく
ちゃんこは一応メインだけど実際はあくまで具沢山の汁物みたいなかんじで
若い力士は名目上は副菜としてある唐揚げだのハンバーグだのの
普通のおかずメインで食事してるらしいしね ちゃんこって相撲界のスラングで食事そのものを指すんだが >>834
そんなの別にみんな知ってると思うぞ
ここでみんなが書いてるのはちゃんこ鍋のコトだなんてわかるだろ 新日のちゃんこは昔インスタントででてなかった?
買おうと思ったがどこにも売ってなくて、食べられなかった。 インスタントちゃんこって、具材や粉末の汁があって
お湯をかければ出来上がりって感じなんかなw 川田はチャンコ番をやってたときから、創作料理も作ってたそうだね
言われてつくってたのか、自発的なのかわからないけど
元々作るのが好きだったんだろうな >>837
火にかけるか、レンジでチンだろ。
いつの時代だよw >>813
羽田はちゃんこより酒をガブ飲みしていたから。 >>836
あれはキムチちゃんこ風のカップスープだな
おまけでシールが付いてた 羽田といえば東スポのザ・プロレスで山形市の探訪ロケに駆り出されてわんこそばを食べていたのが印象深い。
羽田の試合のグラビアは全然載らないから「これがロッキー羽田か、私服だとスラッとしてカッコいいな」と思ったものだ。 >>842
夢のオールスター戦詳細号(ゴング版)に坂口との試合グラビアが載ってるね 末期のWJのちゃんこはコンビニ弁当にカップ麺だったけど、今だとそれで食事済ます団体もありそう。 >>838
川田のHPを月に一度くらい暇な時に見たりしてるんだが
とにかく新メニューの告知の数に驚く
自分はグルメではないので料理には疎いんだが、
川田の新メニューは既製の料理を次々に出すというより、たぶんオリジナル性があるのばっかり
それを企業努力というのか、趣味の延長が高じてるというのかはわからんけど、
「お客さんを飽きさせない」というポリシーはすごく感じる。 >>844
今は地方巡業でビジネスホテルに宿泊の場合は部屋にこもりコンビニ弁当で済ます選手は多いみたいね
コンビニって言っても今はサラダとかチキンささみとか種類も豊富だし、油っこいものばかりじゃないからね
今は昔みたいに皆でつるんで試合後、夜の街に飲みに行くなんてのも少なくなったようだし(ウマの合う同士で飲みに行くケースはある模様)
地方巡業で皆で囲んで食事したり宴会開いたりは今はないみたいだね
今は昔みたいに興行も多くないし、興行も適度に休日を挟みながら無理のないペースで行われているから泊まり込み自体も少なくなっちゃったからな 昭和の巡業は旅館の飯だろ。部屋で飲み直すためのビールは旅館で買うと高いから酒屋で買って持ち込んでたらしい。
基本持ち込みは禁止だけど、ビールケースに地元新聞からの贈り物と紙を貼っておけば大丈夫だったらしい >>845
料理もプロレスも「客を飽きさせない」という部分は同じですからね 昔のプロレス誌の地方巡業の宴会の記事は好きだったな〜 昭和全日の話題って付きないよねえw
まあ、そこが好きなんだが 自分はプロレスは語りがいがあるのはやっぱり天龍同盟までだな
あと全日は馬場死去後の分裂までかな
それ以降は正直、全日と名乗って欲しくないと思ってる
馬場死去→三沢社長時代までは認める >>851
元子時代は違った意味で全日本っぽくて
面白かったけど。 >>850
話が尽きないというより、自分はリアルタイム時に友人と話し足りなかった…という感じ
自分がファンになったのは年齢的に80年代入ったばかり、当然だけど関東圏ではテレビは土曜夕方
クラスの友人は幸い?にも新日派、全日派というのは特別分かれてなくて、プロレス派で統合されてた感じ
それはいいんだけど、金曜夜に放送されてた新日は翌日に学校で話のネタになりやすい
全日の放送翌日は日曜だからあらゆる娯楽テレビや、あと遊びに行ったりして月曜日には新鮮味がなくなる
それに全日より新日の方が圧倒的に人気ある頃だから、やはり話題は新日ばかりになる
そういう悪循環?というのもあって子供の頃や高校生の頃までは新日の話題はいくらでも思い出あるけど、全日の話は不完全燃焼って感じ
いまみたいに携帯があれば金土とか関係なく放送直後に話せるんだろうけど、当時は日曜は野球ごっこばかりだったしねw >>830
それ、剛がオリプロ追放された時の週プロの記事でなかった?
違ったかな。
確かター山が書いてて「剛には裏切られた」とか、エライ剣幕で怒ってた覚えある。
>>846
しかし、コンビニ弁当とカップラーメンで腹一杯になるんだろうか?
よくレスラーは食うのも仕事みたいに言われてたが、今はそうでもないのか。
以前書いたが、どっかのインディーレスラーが新日に参戦して、試合後長州が「これで何か食ってこい」と金渡した所、そのインディーレスラーはコンビニ弁当で済ましてしまい、後で知った長州が怒ったって話あった。
レスラーも世代によって価値観や考え方も違ってくるんだろうな・・。 天龍は定食屋でラーメンとカレーライス食うレスラーを
普段から人に見られるんだから豪勢なもの食えと批判していた >>855
「地方巡業で見ず知らずの定食屋に入ったら俺は大体カレーを頼む。カレーは当たり外れがないからね。」
とインタビューで言ってた馬場さんの立場はどーなるのよ・・・(´・ω・`) >>855
昔の新日の巡業記事で、カーフェリーで飯食ってた健介のメニューがそれだったんだがw
と言っても、みんな普通に食ってるだろうし。
毎回、豪勢な物ばかりとは・・。 >>856
馬場は定食屋よりファミレスとかファーストフードを食べるのを見られるほうがプロレスラーとして恥ずかしいって考えなんだろうね
自分も今の大戸屋みたいなチェーン店だとちょっと嫌な感じするかも知れないけど、昔ながらの定食屋とか居酒屋でプロレスラーが地方巡業でぶらりと立ち寄り食事するのは味わいがあって良いなーと思う
まあ、飯伏みたいにファーストフードが好物ってレスラーもいるし、そこは世代の違いだから別に否定まではしないけどね >>854
テレビで工事現場で働くガテン系の人たちの食事を映していたけど、コンビニで買うのは肉がたっぷり入ってる弁当とスーパーサイズのカップ麺だったな
弁当もかなりボリュームあるタイプだったし、それにスーパーサイズのカップ麺だから空腹は満たされそう
中にはそれにスイーツ買って食ってた奴もいたし
コンビニでもアレンジ次第では空腹満たすのは可能だと思う >>853
土曜中継の全日本は日曜日挟むから話題の新鮮味薄れるってのは何となくわかるな。
それでも、馬場のNWA奪取、ハンセンの移籍、チャボトロフィー殴打、カブキの凱旋、テリーの引退関連、デビッドの急死、ジャンボのAWA奪取、長州登場、ウォリアーズ初来日とかは、日曜日挟んでも月曜の朝でクラスで話題になってた。
あと、土曜の夕方5時半ってテレ朝でサンライズアニメやってたんだよな。ロボットもの好きな奴は全日本でなくそっち見てたりして、金曜8時の新日本より若干だが見てる数が少なかった。 >>858
鶴田とかカップラーメン大好きでよく食べてたらしいね。
コンビニ弁当といえば橋本の破壊王弁当
カロリー高すぎて本人ですら「あんなのしょっちゅう大好き食べてたら身体に悪いぞ」
とか言わしめた弁当w
でも最近のコンビニの惣菜はいろいろな種類あって体酷使するプロレスラーでも考えながら買い物したらバランスよく摂取できるんじゃないかな? 自分は引っ越し組だけど、前の学校では割と皆、プロレス見ていたけど、引っ越し先は誰も見ていなくて全然、プロレスの話題は出来なかったな
やっぱり皆が皆、プロレスを見ているわけでなく地域差があるのかな?と思った
勿論、80年代黄金期の時代だけどね だいぶ前に日テレの倉持アナがブログで全日本のチャンコの思い出書いてたけどうまそうだった。
丁寧にこしらえたイワシのつみれにたっぷりの野菜の鍋で、さらに牛肉をしゃぶしゃぶにしながら食べるとか。読んでるだけでよだれ出たわ。
平成になってからだけど、年末に全日本の道場でチャンコ鍋つつきながらの年末特番やってね。
角界出身の泉田が作ったとかでうまそうだったわ。 >>860
『土曜トップスペシャル』の日はプレミアム感があったなあ。
夕方5時半〜6時半まで満足して「また1時間後にプロレス見れるのか」って感じで。
今思うと信じられない時代だった。 やっぱり日曜の22時30分からになってからはリアルタイムじゃ見なくなってしまったな
次の日が月曜だから遅くまで起きるわけにいかなかったし、ガキ時分じゃ23時以降は深夜ってイメージだったしね
ビデオで録画して翌日見る感じ
聞いた話だとこの時の時間移動で見ていたお年寄りがプロレスを見なくなったそうな
当時は力道山の流れでプロレス見ていたお年寄りは多かった 当方愛媛の田舎住みだったけど新日本プロレスは広島ホーム。全日本プロレスは広島テレビで見てた。
たまたま住んでるところが瀬戸内海沿いだったからブースターつけてたら広島からの放送なんとか見れたけど松山市内だと見れなかったんじゃないかな?
地元ではフジテレビ系のテレビ愛媛、日本テレビ系とTBS系ごちゃまぜでなぜかプロレスは放送しない南海放送とNHKの教育、総合の4局しかなかったから地元のテレビ局じゃリアルタイムでプロレス放送してなかったのよね…今じゃ考えられないけど悲惨な田舎w(´・ω・`)
新日本プロレスは愛媛朝日開局。全日本プロレスは南海放送ではゴールデンタイム進出までリアルタイムでは見れなかったよw ちなみに地元愛媛では土曜の9時に世界まるごとハウマッチ。10時から水戸黄門とかいう謎プログラム
地元局がプロレス中継に積極的じゃないところはプロレス好きにとってはかなりキツイよね 今のヤングライオンたちが作るちゃんこは旨そうなイメージが湧かない
不味くはないんだろうけどマニュアル通りで味気ないイメージ
あくまでイメージだけど >>851
ベイダー、高山、オブライト、馳、池田の大ちゃん、組長参戦。
馬場時代末期の数年は四天王の鎖国時代から打って変わってすごく賑やかだった。
あの賑やかさ、華やかさが本来の全日なんだろうね。 鶴田の独身時代のは、よくマンションにバイトでそばの出前を届けに行ったのを思い出した あの時期、川田とオブライトがコンビ結成とか噂があったな
組まなくて良かったけど
三沢、小川とか小橋、秋山とか聖鬼軍がそれぞれ上手く新コンビを結成していたから川田と田上も一旦、解散させて新コンビで行きたかったんだろうけどな >>867
プロレスは昔からドリフと並ぶ俗悪番組ダントツ1位で
ドリフ程圧倒的な人気あるわけじゃなかったから
直系列局無い地方だと局としては視聴率のわりに営業的に難しい番組なんだよねえ >>866
この当時はケーブルテレビ通じて他の地域の放送局とか見れなかったのかな? 80年代前半の話だとしたらケーブルテレビなんてのはないか、
あってもほとんど普及してなかったんじゃないかな。
俺は北海道のど田舎だけど、ガキの頃は日本全国これと全く同じものを
見てるんだろうと思ってた。 このスレは延々と自演してて面白い
病的だけどな
捨てたプロレス雑誌に書かれてたことを思い出させてくれる
ほとんど創作記事だけど ここまで延々と自演が続いてるんだとしたら、それはそれである意味凄いなw 親の田舎が新潟なんだけど、全日本も新日本もフジメインのクロスネットの新潟総合テレビでやってた気がする。子供のころ夏休み里帰りすると不思議に感じた。
1980年代に日テレ系もテレ朝系も開局してそれぞれでやるようになった。
今出てるGスピでストロング小林が、「当時のテレビ朝日はネット局が少なかった。かつて私はTBSの国際プロレス中継に出ていたから顔が知れていたので、地方興行の観客動員に貢献できた」とか言っていたね。
昔は確かにテレ朝系は少なかったし、TBS系って昔は民放でネット局の多さが一番だったんだよね。
ラテ兼営の地域の老舗局がTBS系列ってとこも多いよね。 >>877
テレビ局の格のイメージでは
TBS>日テレ>テレ朝>フジ
という感じかな? ストロング小林の知名度の話を見て思い出したけど
何年か前のこのスレか他スレだったか、日プロ末期のテレビ二股放映の話が書いてあったので印象深いのが
馬場がテレ朝に登場してしまう直前までは、馬場は日テレのエースで猪木はテレ朝のエースの時代
でも猪木だけは馬場の制約と違って、日テレにも放送されてたんでしょ?
そりゃネット数の違いはあるけど、中には日テレの時間帯には視聴が不可能で、テレ朝の時間帯だけは見れるという都合の人だって多くいたはず
そういう人たちから見ればプロレス=馬場じゃなくて猪木なわけで。
それだけじゃなく根本的に両局に放映された猪木の知名度ってのは計り知れなかったず。
それが後の新日プロ設立や、もっと長い目でみれば坂口入団時のテレ朝放映などの打診にもつながったはず。
それで今の時代まで新日の隆盛が何だかんだで続いているけれど、実はあの二局放映時の猪木の遺産は歴史を変えたんでは?というのは大げさかな? 日テレや馬場には
NETの電波を使って自分たちの宣伝をしてやろう
くらいの柔軟な発想があればね
別に日テレとNETが同日同時刻に被って放映されてるわけじゃないんだから
目くじら立てる必要もないだろうに 後にフジテレビ一局放送だったk1を後乗り放送する日テレ 昔はTV局が他局の話題を出すこともタブーみたいな空気があった
それを破ったのはザ・ベストテンだと言われている トップテンとかものまね王座決定戦も日テレはパクリでやってなかったっけか 今じゃ話題どころか映像の貸し借りも当たり前だし、
歌手なんかもレコード会社移籍したらベスト盤でも
代表曲がセルフカバーだった時代もあった。 TBSとフジが大晦日に格闘技番組で高視聴率
日テレ「うちもやるぞ!」
猪木祭り5.1% 新日が巨人戦のナイターなら、全日はパ・リーグの地方戦て感じがしたよな
小学生には新日本が面白かったし、NWAやAWAはどうせ移動しないタイトルだと読めてしまったのが
なんともな
全日本の評価は後から高まってきた気がするわ >>777
藤波と極上空間っていう番組に出たときも藤波から馬場の印象聞かれて
同じようなこと言ってたな
鶴田のことも日本人レスラーの中では一番強かったと言ってるし
未だに馬場や鶴田のことをボロクソ言ってるカブキやカーンとは対照的だよ >>779
日プロだけじゃなくアメリカ武者修行時代にも
フレッドアトキンスにも鍛えられてるしそういう鍛錬の賜物だろうな 内心どう思うってようと
亡くなったり引退してその世界自体から疎遠になったビッグネームを
打算とか抜きにサラッと上げたりいい思い出から語ることが出来る人と
ここぞとばかりにいた頃には言えなかった悪口言う人じゃ
どうしてもその人から受ける印象も違ってきちゃうよね
まあ後者の方が野次馬としては面白かったりもするんだけどw >>891
サービスエリアの食事は昔からある
ケロちゃんの旅日記でもサービスエリアの食事ネタはよく出て来てたからな
むしろ今のがサービスエリア利用は少ないかも知れない
昔ほど長旅しなくてなってるし 輪島が在籍してたときは、輪島の相撲時代のタニマチに、他の選手達も御相伴に預かったらしいなw >>887
それは、お前が新日基準で見てるからだろ。
世界と戦ってる全日
猪木無法地帯の新日
と思ってたわ。 >>887
俺は、全日本は和洋中色んな料理が揃ってるしファミリーレストランのイメージ
新日本はハンバーガーやフライドチキンなど若者好みの物を出すファーストフード店のイメージ
国際は常連のおっちゃん達が集う大衆食堂のイメージで見てたな。 でも政党で例えるとやっぱり新日は自民党のイメージあるなー
全日はどうしても野党のイメージがある
意外と叩かれたらもろいところとかね
勿論、野党って言っても全日に共産党のイメージはないけどさ もともとは
ジャイアント馬場の全日本が豪華外人
とジャンボ鶴田で、ブッチャー、ファンクス
でプロレスの代名詞だったろ。
新日が人気逆転したのは初代タイガー以降じゃないか、?長州噛ませ犬も重なって。 まあ、プロレスといったら
日本テレビスポーツテーマに勝るものなしだった、 プロレス村の中だと全日が自民党のイメージなんだけどな。 >>900
全日こそ日プロから受け継いだ保守本流だからね
本来は革新的な新日のほうが野党なんだよね
ただ政党イメージで言うと新日は自民党のイメージなんだよね
ただ元を辿ると自民党は本来は革新政党だと言う話
結果として自民党が保守本流とよばれるようになったに過ぎない
そういう点も含めて新日は自民党っぽい 79年頃から新日もMSG系の豪華外人を集結させて人気逆転と。
79年で既に新日>全日だった、って記事があったな。
81年タイガー登場、82年長州革命が更にそれに拍車を掛けて。
82年は全日もハンセン効果が絶大だったが。
まあこれはいちライターの意見だから一概に決められないが。
観客動員数発表だって
【後楽園ホール:3000人 超満員】
という世界だったし。 後楽園は3500人発表もあったと思う
その後、しばらくは2200人超満員発表が続き、現在は1800前後で超満員になってるよね
恐らく1800人発表も水増しはあるんだろうけど
本当の実数で超満員発表だと1500人くらいになるのかな? 1977年、1978年くらいまでは互角って感じじゃないかな。
ただテレビでは、全日本は裏番組がおばけ番組の全員集合だったのが気の毒だったな。
1979年の全日本のゴールデン撤退で、決定的に差がついた印象があるよ。
馬場はNWA巻いたりはしてたけど衰え隠せなかったし、鶴田は伸び悩んでいたしね。
その頃猪木はまだ元気だったし、藤波が新ジャンルのジュニアヘビーでブレイクしてた新日本に比べると、物足りなさ感じたよ。
1981年ごろに全日本は会社が傾いて、馬場は1982年に経営権を日テレに譲ったけど、その頃新日本でタイガーマスクがデビューしてブレイクし、ヒールとしての国際軍団との抗争が大ヒット。
ハンセン獲得で一矢報いたけど、新日本が優勢なイメージがあったな。 昭和時代は消防法が緩かったせいか、後楽園ホールなんかめちゃくちゃ入れてた
満席+バルコニー立見に入りきれない奴らは通路に座って、それも入れない奴らはロビー(売店がある部分)で歓声だけ聴いてるとかあった タイガー覆面裂かれる 猪木失神
これだけで日本中が大騒ぎだったからな >>894
世界と戦ってる全日というのも感じてたけど
オレはやはりグローバルなNWAという団体(実際は団体ではないが)の一拠点みたいなイメージだったな
一拠点といっても、かなり重要なポジションに位置するのが全日って感じ
NWA王者がアメリカを中心に回る上で、セントルイスのオーデトリアムが後楽園球場なら、全日本は日本武道館ぐらいのステータスの受け皿みたいな。 >>904 >1981年ごろに全日本は会社が傾いて
1981年の春頃はどうなのかわからないけど
チャンピオンカーニバルで馬場が優勝、インター争奪でドリーがチャンピオン
これって今までの全日の風景じゃん、今までがもう飽きられたから会社が傾いたんでしょ?
もっと冒険というか、何か目先を変える事は考えなかったのかね?
せいぜいファンクス対決ぐらいでしょ?
それともブロディが負傷しなければ、もっと革命的に売り出しを図ったのかねえ?
でもそれなら馬場が優勝しないよねえ…
同時期の新日はタイガーマスクがデビューしてんだから… 新日本に明らかに見劣りする全日本の客入りが堪らなく好き >>908
猪木猪木の新日の方がマンネリだろアホ。 >>908
マンネリがいけないんじゃない、論点が違う
マンネリだろうと新日はうまくいってた
全日は経営不振なんだから、何かしら手を打たねば?って意味なんだが? >>900-901
昭和の時代は力道山=日テレ直系のイメージで売っていた全日がやはり保守本流的なイメージ
平成になると猪木が議員に当選したりドーム興行を定着させてスケールの大きさを感じさせる様になった新日が完全に業界の主流の座を確保したという印象
>>908
全日の業績不振が明らかになったのは表向き松根光雄が正式に社長に就任した81年頃になってるけど
実際は79年年辺りからかなりヤバい状況に陥っていたみたい
日テレの幹部が馬場に
「少しは(話題作りに長けた)猪木を見習え」
と叱責したら馬場が逆ギレして取っ組み合い寸前になる所を
松根光雄が両者をとりなして何とか大事にならずに済んだなんて逸話があるくらいだしね
あのオールスター戦にしたって本当は全日と国際を救済するのが目的で開催されたという説が根強く語られているし >>912
馬場と取っ組み合いする幹部を
デビューさせれば良い。 日テレテレ朝両局の画質というか
テレ朝の全体的にやや暗めでにマットな画面画質だと
客席の後ろがそれほど目立たないんだけど
日テレの明るめでコントラストハッキリした画質だと
平面に椅子並べるような地方の小さな体育館からの中継だと
空いた客席後方に体育館の壁が中継中、
カメラと同じ高さ(リング視点)でずっとそのまま丸見えでなぁ
もちろんてまえにいる客の数や興奮して立ち上がる客の有無とかも
関係あるんだろうけど、
とにかく全日中継では体育館の壁常時見えが興醒めで >>907
武道館どころか
実際は串間とか大津なんだけど・・・
蔵前、武道館クラスでNWA戦を常にやれとは言わんけど
もっと札幌中島、愛知県体育館、広島県体育館、福岡スポーツセンターとかを
積極的に活用して欲しかった
大阪府立すら一度もない >>905
オープンタッグの開幕戦なんか大変だったらしいね。
パンフは開場と同時に売り切れ、食べ物も飲み物も完売で、売り子さんもボー然状態笑
後ブッチャーvsシーク!
明らかに客の数が後楽園ホールの収容限界越えてた(nicozonで見た) 後楽園は座席数が1600ちょいで立ち見がバルコニーまで入れて300くらい 1981年頃は馬場自身が「動員数で新日に負けている」と認めてたね
ただ新日は興行や視聴率は最高の時代だったが
アントン・ハイセルの負債のせいで会社が傾いていた
保守的すぎて低迷した馬場全日に
わけのわからん男のロマンに湯水のように金をつぎ込んで
会社が傾いた新日
馬場猪木の個性そのまま
ケロは1982年元旦の猪木VSボック戦の時が
後楽園ホールでもっとも客を入れた興行だと思っているそうだ
ガチで3000人以上入れたと回想していた
しまいにはチケットが無くなって金を貰ったらそれと引き換えに
中に入れていたとか >>918
あれだけのカードを後楽園でやるほうがおかしい
蔵前は元日は借りられないのかな? >>920
初場所あるから無理なんじゃないの?1月、5月、9月の蔵前大会は記憶にないな。 >>921
両国だったら86年の5・1に新日が使ってたな。 >>921
日プロ時代なら1月3日の蔵前大会は2回あるよ >>920
元日に貸したら相撲協会の担当者も出勤しないといけないからね。
猪木VSボックは初の元日興行としてお誂え向きだったが期待外れの結末。
元日興行は以後も新日本、ジャパン提携後の全日本がおこなったが「元日くらい休もう」と途絶えた。
元日興行はある意味プロレス界のイケイケ体質の象徴だった。 元日くらいはレスラーも休ませてあげたほうが良い
家族持ちもいるんだし
今年はやったのかどうか知らんが、ゼロワンなんかが元日興行やってるけど
元日くらい休ませてやれよ、と思ってしまう
最近はカウントダウンのイベントもそろそろ止めても良いのでは?って声も出始めているしね >>915
鶴田がテリーに挑戦した試合から、10周年興行のフレアー対鶴田まで5年以上蔵前でNWA世界戦やってないね。
その5年の間、大阪府立や愛知県体育館や札幌中島はあるにはあるが、東京でのNWA世界戦は後楽園ホールのみ。あと関東は松戸とか千葉とか地方だもん。
王者のスケジュールの都合があるとはいえ、5年間も当時常用会場の中で一番動員できる蔵前でやってないってのはな。
佐藤昭雄がブッカーに就任して以降は蔵前で組むようになったけどさ。 >>927
有名な、
ファンクスはじめブッカーにこちらの興行スケジュールも碌に説明せず
向こうの言うがままに来日スケジュール切られてたってやつだな >>927
馬場もNWAタイトル戦で大会場を満員にするのは難しいとわかってたんでしょう
な
NWAはまだまだ世界最高峰との幻想はプロレスファンの中には生きていたけど、だからといってそれは興行の売りにはならないんだよね
当時の紅白で言えば村田英雄とか三波春夫のトリなら誰も文句言わないけど、見たいのはたのきんだったり、聖子、明菜だったりするのと同じ 80年代以降は
ひとつの大会に目玉カードを複数重ねて興行を打つスタイルが主流になるから
馬場全盛期のインターや猪木全盛期のNWFみたいに
メインイベントのみで客を集められた頃の
タイトルの価値とは天と地ほど違うだろう >ひとつの大会に目玉カードを複数重ねて興行を打つスタイル
鶴田がAWAを獲った蔵前は良く入ったねえ
鶴田vs二ック
天龍vsリッキー(デビッド)
チャボvs井上
これが三大目玉カードに相応しいって事になるのかな?
ハンセン抜きで頑張ったね(アンダーカードでブロディがいたか?)
確か翌月も蔵前を使ってたよね?馬場vsハンセンや鶴田防衛戦で
蔵前を二ヶ月続けて使うなんて、1981年頃じゃ考えられなかったんじゃない? 勿体ないな。
新日ではNWFやWWFは蔵前で頻繁にやっていたのに。
81年の封印までは。
全日もPWFは蔵前でやってたけど。 >>931
この年は大阪府立も3シリーズ連続使用した後、1シリーズ開けて更に4シリーズ連続使用。
だいたいが満員だった。 全日がゴールデンを外れる前の78年頃には3%の視聴率の時もあったって話だよね >>932
もったいないのは新日の興行でもあるでしょう?元旦に後楽園ホールで、
猪木対ボック、藤波対バックランド、タイガー対キッドなんてカードの、
わけのわからない大会やったし。2日3日に後楽園使う全日に対する意地だけで。 ケンドーナガサキが知らないうちに
馬場さんが年金支払ってくれてたからいま貰えてると感謝してたよ
SWS裁判の記録からも馬場が守銭奴だなんてデマだよな
契約に厳しかったってだけでこれは当たり前のこと
阿修羅原も全日時代の年金貰ってたし
ナガサキでさえそうなんだから悪口三昧のカブキ天龍小鹿も同じなんじゃないの >>935
確かテレビでも新春プロレススペシャルの特番だったよね 確か井上とか、国際から移籍してきた選手もそのお蔭で助かったみたいな事を
言ってたんだっけ。あまり詳しいところまでは知らないけど。 >>935
確かにね。
あれは蔵前向けのカードだしね。
結果論として猪木×ボックは外れだったが。
8月にはバックランド×藤波メインで蔵前でやったけど。
猪木欠場で。
でも7月(6月?)の蔵前で猪木×マギーだかんな。
猪木×ボックが後楽園で。
まあ全日に対抗する意地があったのだろう。
『うちは蔵前クラスのカードを後楽園ホールでも組めますよ』という。
逆に全日はインタータッグも後楽園でやってたし。 猪木もボックのコンディションとか分かってて、蔵前の大観衆を満足させるような
試合は無理だから後楽園にした、てのは穿った見方かね。結果論だけど、
後楽園でやって正解だったし。 >>901
組織的にいえば馬場全日本は宮本体制の日本共産党が一番近いかな
特に国際組織から離れての平成期は
当然に不破が三沢で現在の志位は秋山か >>940
例のシュツットガルドのホールはどのくらいの規模だったのかな 新日の元旦興行4年間やったんだよね。82年猪木対ボック、83年猪木対マリガン、84年猪木対ローデス、85年猪木・藤波対ホーガン・サモアンがメインだった。 >>941
自分は全日は旧社会党のイメージ
庶民の味方をスローガンにしていた時の社会党は馬場さんありがとうムードだった
全日のイメージが被る
山が動いた時の社会党の躍進はさしずめ四天王で沸いた頃の全日っぽい
今の社民は秋山全日だな
潰れそうでなかなかしぶといとく生き残ってるとことか
改名って点でいってみ全日も本当は社名はAJPだしね
やっぱりノアは民主党だな 新日が元旦で猪木vsボック等の豪華カードを並べたのは、視聴率のためでしょ
元旦のゴールデンタイムだし、裏番組も強力だろうし
後楽園ってのはただの箱で、極論になるが観客ゼロでも構わない
あの試合は興行的観点よりも対外的に発信されたカード
ずっと後になるが、ボクシングのPVが何百億と稼ぐ時代が来るけど、その収益に比べれば会場収入なんて雀の涙だし
もちろん会場のお客さんが盛り上がらねば映像的にも、視聴率的にも伸びないんだけど >>945
昔は野党ってのは悪い意味ではなかったんだけどなー
もし全日=野党が気にいらないならセリーグとパリーグでもよいよ
どっちにせよ全日は盟主ではなかったと思うよ
それすら悪口に聞こえちゃうのかな〜 蔵前で生観戦した時の観客だけど、テリー引退の時は多分札止め フレアー対カブキ フレアー対マーテルの2試合は、最上部の
空席が目だち全体7割から8割くらいの入りだったと思う
あと57年だか58年あたりで古すぎて忘れてるが、最強タッグ優勝戦は、フレアー2試合よりは入っており?空席は少なかったように思う 全日は客は入ってなかったっていうけど、昔の中継とか今見るとそれでも今に比べたら埋まってるよな
今はリングサイド一列興行なんてのもあるみたいだしそれに比べたら・・・
蔵前で7〜8割なら今なら満員表記だろうね
両国でいえば武藤記念興行とかひどかったし
大日やDDTだって結構なスペース潰してるわけで
天龍は昔は全日は数百人なんてこともあったって言ってたけど、実数で数百人なら別にそこまで
極端に少ないとは言えない
今は数十人だし(某団体興行にいった際は、後に調べたら数百人満員になっていた) >>948
フレアー対カブキは最強タッグで組まれてた。
フレアー対マーテルは両国だろ。
フレアー対マーテルについては客入りについてはその通りだったが。 新日も全日も基本テレビの放送権料で、
なりたってたのは変わらないからな >>949
国際の羅臼の最終興行の写真が残ってるけど、
4、500人は入ってそう。(発表は1000人)
あんなど田舎でそれだけ集めれば立派な
もんだ。 全日はチャンピオンクラスを招聘しても、動員数が新日以下じゃなあ >>950
御指摘ありがとうでした 調べたらフレアー対マーテルは、両国でしたね またフレアー対カブキは、カブキコールが凄かったのを覚えてます
あの時代の会場は、子供のファンが多くスマホ等ないからカメラぶら下げている姿が目だちました 自分もそのひとりでしたが で、結局フレアー対カブキと昭和58年最強タッグ最終戦は同じ大会だから、
>>948は矛盾しているではないかw >>952
逆に日プロ最期の興行は1000〜3000人入ったって書いてあったけど
写真見るとどう見ても100〜300人位にしか見えないんだよな。
所で日プロ全盛から3団体時代でもプロレス興行で使う事が無かった国立競技場だけど
もし使ってたとしたらどんな興行、誰と誰の闘いで使ってたのかな。(何せ武道館
野球場を更に上回る夢の会場だけに、ちょっとやそっとの試合じゃ満員にはならない) 国際から来たジプシー・ジョー
「うむ、いっぱい客が入っているな」
新日から来たチャボ・ゲレロ
「なんだよこの客入りは」
1981年頃の三団体の客入りはそういうこと >>957
今は300人収用の会場でも満員にならないならな
地方も昔は3000人収用できた大会場を全日も新日も使っていたけど、平成になって両団体とも使用しなくなり、その半分の1500人収用の会場を使用するようになり、それも厳しくなって今はミニホールの300人収用の会場だし
今はメジャーもインディもそのミニホールでしか興行はしなくなった
それすら埋まらないのが現実 漫画家ゆでたまごのコメント
かつて国際プロレスが大阪府立でTVマッチやった時の話。
TVマッチにも関わらずリングサイドがガラガラ。
そこで2階席の客達を大量にアリーナのリングサイドに移動させた。
彼らはラッキーだった。
しかしこれに怒ったのが元からリングサイド買っていた客達。
当然リングサイドと2階席は値段も違うし。
かつて国際プロレスではこんなエピソードがあったらしい。
ちなみにゆでたまご(2人か片方)はそんときは2階席だった。
それでアリーナに移動できてラッキーだった、と。 >>957
国立競技場ではないけど
日プロ時代には幹部同士の話の中では
もし馬場猪木戦をやるなら後楽園球場で・・・
みたいな話は出たことはある IWAでは絵作りのためかメインの時に鉄柵撤去して立ち見客解放していた
一度それ見ちゃうと正規料金払ってるのが馬鹿馬鹿しくなって、立ち見で待つようになった >>960
俺は当時北海道民だったから国際の放送は無く、全く知らなかったけど、関東民だった友人に聞いたら、国際のチケットプレゼントに応募すると、必ず当然したらしいw
当日行ってみると、後楽園ホールはガラガラで「前の席に座ってもいいよ」と言われ、いつも2〜3列目で見てたらしい。 桜田年金貰えていて良かったな
天龍は昨年CSテレ朝チャンネル蝶野MCの番組にゲスト出演していて、馬場や当時の全日本の悪口を言いつつ、猪木や新日本を絶賛していたね
全日本出身の誇りはないのかね >>947
悪意がないんだったら、盟主などと言わず、人気がなかったとか
の言葉を使うだろうよ。 >>960
中都市の新日の会場でも
セミファイナル前くらいに二階席の当日券買おうとしたら体育館の
窓口のおばちゃんが、いいからいいからって、リングサイドの券渡してくれたなあ。 >>927
王者のスケジュールの都合で大会場が押さえられず……みたいな言い訳くさい話があるけど、
結局テリー×鶴田のNWA戦が不入りでこんなスカスカの客席ではとても見せられないしやってられない、という判断でしょ。
確か7600人とかの発表だったけど、画面では客が座ってない枡席も目立つ入り。
客が来ないので仕方なく中央大の応援団なんかを呼びつけて賑やかしをする苦肉の策だったし。
自信を失ったんだろうな。ハンセンが来るまで「やれる」という自信を回復できなかったわけだ。 >>964
76年に全日入団して85年に退団し、しかもその間結構な期間を
海外で過ごしたナガサキが年金を貰えるのならば
それは全日のお陰ではないだろうがw >>904
新日本時代だって、裏は太陽にほえろとか金八だから、裏番組はどうというのは理由にならない。単に魅力がなかっただけ >>936
阿修羅も同じ。82年入団して87年退団期間で
どうして全日の払い込んだ年金となるんだってww
全日は厚生年金とかっていう都市伝説あるけど眉唾だよ。
厚生年金なら労使折半で知らずの内に年金払ってたなんてことは起りえない。
疑問に思わないんかね? クツワダもクーデター起こして退団したにも関わらず、その後数年間は全日名義の健康保険証を使えたと言ってたな。
意外とその辺りの温情はあるのかも。 80年代のパリーグの試合は発表で1000人実数は数えて何人の入り位だったみたいだけど、それだとプロレスより入ってないってことになるのかな? 馬場が守銭奴なのは認めるが、
全盛期新日の儲けをハイセルみたいな糞会社に全部つぎ込んでた猪木はキチガイとしか言いようがない。 ゴールデンタイム自体が死後かもしれないが
どの曜日も当時は激戦かも。
そういえば記憶にないんだけふぉ、全日土曜夜は巨人戦で無しの日って
あったっけ?
いつのまにか、地方は金曜夜0030になってた。自分とこは。 >>972
あんた申し訳ないがバカか?w
健康保険料は誰が払う?
クツワダの件は知らないが、どう考えても
昔よくあった健康保険証詐欺だろ。
健康保険証は写真も無いし、偽造も簡単だった。
返還するべき健康保険証を返還せず、保険証に記載された
有効期間まで詐欺使用しただけだろう。 松永がブログに書いてたんだよね
M井上は厚生年金でやっていけているが
ミスター高橋は国民年金だけだって >>976
クツワダの件は元子から直接保険証はそのまま使っていいと言われてるんだよ。
クツワダが亡くなる直前のインタビューで語ってた。
まあ、確かに俺がバカなんだろうな。
当時は保険証に有効期間が記載されているなんて知らなかったよ。
そんな事も知らなかったなんて自分自身情けないよ。 そういえば桜田の自伝が3月に出るな
2,3回発売日伸びてたからまた伸びそうな気もするが プロ野球のシーズン中は深夜送りにされるのに視聴習慣がつくわけない。ワープロは77年頃は
夜9時に繰り下げてまで放送していたぞ。 >>970
自腹で国民年金掛けてても悠々自適に出来る金なんて出ねーじゃねーかマヌケ(笑) 健康保険証なんか、ほんとの初診の時しか出さなくてよかったよ。昔はね。
詐欺でもなんでもない。
医院がそれでやってたんだからずさんなのは国だろう。
バカ呼ばわりする事じゃあない。 別に厚生年金は会社が全額法定福利費として負担しても何も問題ない。
一部のホワイト企業にもそういうところはある。
まあレスラーなんてその分ギャラで上乗せしたって、散財して老後困るだろうから、
ギャラ低く設定してでも年金払っといてやろうということだったんじゃないか? >>935
新間が以前雑誌で話してたけど、テレビ朝日の意向で元日の金曜日があったから生中継の依頼がきた。
テレビ局の意向で豪華カードになった。 >>967
当時の全日本の常用都内大会場は日大講堂で翌年の三月を最後に使えなくなった事情もあるか
その後にチャンカー決勝が行われた武道館での入りも気になる >>945
野党が気に入らないなら幕府型の新日本に対して朝廷型の全日本とでもいうべきか
武道館でのATの時も入場はキャリアで上の棚橋が最後だったがコールは三冠王者の諏訪魔が最後だったし
とにかく戦国期に権力的に衰微してでも野武士たちに守られ続けたわけで 天龍も全日はパリーグと位置付けていたな
あと当時言われたのは新日が肉食動物に対して全日は草食動物ってやつだな
ただほんとはゴリラとかサイ、象とか草食動物のが強いんだけどね 新日本から嫌がらせを受け続けた40年後にもこうやって新日本ファンからの嫌がらせを受けるってのが団体の差だろうね。
受けの全日本と攻めの新日本 >>989
別に誰も嫌がらせなんかしてないだろう? 全日は保守自民
新日は民主党で右や左が混在して希望、立憲などに分裂したって感じでは?
猪木=小沢、坂口=市民運動上がり(柔道上がり)の菅、藤波=鳩山、長州=蓮舫、
前田=枝野(いつの間にか排除された)、武藤=前原(いけると思って動いたらコケタ) 接客業でも政治宗教野球の話はやめた方がいいと言われてるし、そのへんに例えるのはやめといた方がいいんじゃないかね ほんと、どんなスレでも政治に絡める奴がいてうんざりする。
ニュー速+とか東アジア板とかでやればいいのに >>912
少なくとも馬場からすればNETに日プロの放映権を完全に奪われそうになっていたところを
自らは決して本意でなかった独立までして日テレを助けた自分の方が恩人であるという認識であり、
一方で日テレは自分達の側が独立をさせてやったばかりか人気も視聴率も思ったように上がらず
倒産寸前の全日を長年金銭面で丸抱えしてきた恩人側であるにもにも拘らず
馬場の側にはそういう認識が無いコトに大いに失望していたってことだろうな
この辺りは明日にも倒産という窮地を救ってもらったにも拘らず
本放送は12chから条件のいいNETへあっさり乗り換えたり
最も人気があった頃にいくらハイセルの件があったとはいえ
当時もっともノッていたフジと裏交渉していた猪木のビジネスライクな姿勢とは本当に対照的 >>968
ケンドーナガサキが年金事務所行ったら
全日本プロレスから支払いの記録あったと分かったんだよ
馬場さんは温情の人
銭ゲバ守銭奴は猪木 >>968
厚生年金は国民年金の上乗せ部分。
払った分が反映される。
ほとんどのレスラーが国民年金しか払ってなかっただろうし、
今の10年ではなくて当時は25年国民年金を払わないと支給要件を満たさなかった。
9年間の厚生年金支払期間はでかい。
海外に渡航しようが日本国籍である以上、年金は日本に積み立てる。当たり前だろう 昨年出た名勝負ムックに視聴率も掲載されてて興味深い。
土曜夜8時
鶴田対マスカラスの田コロ大会 10.6%
77年オープンタッグ ファンクス対ブッチャー・シーク 13.8%
土曜夕方5時半
馬場対ハンセン初シングル 13.3%
土曜トップスペシャル
テリー引退興行特番 15.8%
土曜夜7時
鶴田対長州 14.0%
最強タッグ ブロディ・スヌーカ対ハンセン・ゴディ 10.3%
土曜夕方5時半の放送で13.3%は大健闘だな。
当時ゴールデンは10%前半ばかりは苦戦してた証拠だね。
ゴールデンに復帰した時、15%を常にとるのが目標って日テレ側が言っていた記憶ある。
輪島のデビュー戦は23%くらいとったと思うけど、それ以外で全日本の中継で20%超えってあったのかな。 小林邦昭は、ことあるごとに、自分とタイガーマスクの試合は平均23%叩き出したことは誇りであり自慢だって言ってるな >>998
ただタイガーマスクのライバルって一にダイナマイト・キッド 二にブラック・タイガーで
小林はその次でしかないんだよね このスレッドは1000を超えました。
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