ニック・ボックウィンクルを忘れない。
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>>34
折りたたみ式ですな。
温泉行くとき真似しますわ。 どんな格好良い持ち方かと思えば、単に礼儀正しいオッサンの持ち方 金髪の伊達男で得意技が足4の字固めというのはバディ・ロジャースのフォロワーなんだがリックフレアーを最後にこの系譜も途絶えたのかな ニックは地味に大きかった。
あと体も地味にでき上がっていた。 猪木とNWF戦やって欲しかったな。ロビンソン戦よりも面白かったと思う。 90年12月にハマアでアノキとニクボのエキシが組まれたのに流れた。
楽しみにしちょったのに残念無念何でやねん
アノキとニクボの対決はエキシでもいいから見たかった。
アノキ体調不良が理由だったな。
アノキの代わりにマサイが相手に。 ダーティチャンプのスタイルが日本人に理解されたのは最近になってからだからな >>39
猪木の記念興行に何故か来てたな。
あまり接点がないのに >>46
マサとエキシビションやったぐらいかな?
でも新日ではなく猪木の記念興行だから日プロまでさかのぼれば。 80年代に新日がAWAと提携して王者ローラーが来たりしたが、これがニックなら
と妄想した人間はけっこう多かったんじゃないか?
あのころニックはアメプロのメインストリームからやや外れて、なぜか全女とかかわってたが 新日にも来ようと思えばこれたんじゃないかなあ? 昔、日テレが「ジャンボ鶴田と5人のライバル」って特番作って、
その5人てのが天龍、ハンセン、ブロディ、三沢、そしてニックだった。
前3者は当然、三沢は当時のビジネス的に現在進行形のライバルだから外せないとして、
もう1人がニックってのが、ナイス人選だった。
日本でのニックについて語るなら、鶴田の存在は欠かせないしね。
実際、不透明決着も多かったんだけど、鶴田がAWA世界王座奪取した試合と、
その後のリターンマッチとかは、名勝負だった。
リックフレアーは、日本で鶴田と何回もタイトルマッチやったから、鶴田のことを、
若い頃のライバルと思ってるかもしれないけど、日本のファンも、関係者も、
そしておそらくは鶴田本人も、フレアーを鶴田のライバルとは思っていなかったと思う。 リクフとニクボの対決も見たかった。
金髪同士でもあり。 >>51
藤波の技は痛くないので、対戦相手から評判が良い
評判が悪いのは長州 日本では、いわゆる「痛くない技」は選手にも評価されない時代や状況があったからね。
天龍「リッキー(スティンボード)は何か勘違いしている」
三沢「あいつ(ビリーブラック)の技は何も効かない」
それをできることが「巧い」とされる時代や状況もあったんだけどね。 >>1
「寝ますか。寝る前にお話ひとつ、してあげますよ。ニック・ボック・ウィンクルの話って知ってます?
いい名前でしょニック・ボック・ウィンクル。彼がね、山に狩りに行ったんですよ。山へ狩りに。そこでね、小人プロレスに会ったんです。
何ていう名前の小人プロレスだったかは忘れましたけどねえ。天草海坊主だか、、プリティアトムだか・・・
ずいぶん昔の話だから。 とにかくその小人プロレスに会って、ウィンクルはお酒をごちそうになったんですよ。
そのお酒があまりにもおいしくて、どんどん酔ってしまったんです。そして、夢を見たんです。眠りに落ちて。夢を見たんです。寒いですか?寒いでしょ?
その夢はね、どんなタイトルでも許されるという、素晴らしい夢だったんです。ところがその夢がクライマックスに達した頃、惜しい事に、目が覚めてしまったんですよ。
辺りを見渡すと、小人プロレスはもういなかった。森の様子も少し変わってた。ウィンクルは慌てて妻に会う為に、村へ戻ったんです。
ところが、妻はとっくの昔に死んでたんです。村の様子も、全然変わってましてね。
わかります?つまり、ウィンクルが一眠りしている間に、何十年もの歳月が経っていたんです。おもしろいでしょ?」
「・・・あんたには、はじめっから妻なんかいなかったじゃないか」
「僕の話をしているわけではないでしょう。ニック・ボック・ウィンクルの話をしているんですよ」
「ニック・ボック・ウィンクル・・・ 小人に、何ていうタイトルをもらったんだ。できれば、俺も腰に巻いてでみたいなあ」
「覚えてます。ラム、コァントロ、それにレモンジュースを少々、シェイクするんです。わかりますか?」
「A・・・W・・・A・・・」
「そう、これで終わりってタイトルだ」
バディ・ロジャース著 「金髪野獣死すべし」 より 抜粋 もし競技としてのプロレスというものが存在するとしたらニックは
達人級だと思うわ。鶴田にタイトルこそ譲ったがあの試合も常に
試合をコントロールして鶴田を自由自在に遊ばせてた 敗れた試合が一番優れてるんだよな
とにかくいきなりのフライングボディアタックに一気に掴まれた >>58
開始早々のフライングボディアタックの後は、手を変え品を変えのアームロックで鶴田を蹂躙。
その後は場外戦でアクセントを付けて、最後はロープ際のブレーンバスターを切り返されての
バックドロップホールドでフィニッシュ。
勝敗は違えど、何気に初代タイガーの試合運びに似ている気がする。 >>54
ダイナマイト・キッドはハードヒットで人気が出たけど、アメリカだとデイビーボーイ・スミスの方が関係者の間では評判が良かったって >>59
まさにお膳立てという印象だったよな
3月の蔵前のワンマッチ参戦ではとにかく攻撃主体で逆に鶴田が反則負け防衛 名前がかっこいいな。
クラッシャーバンバンビガロの次にゴロがいいw >>55
7〜8年前の年末年始の夜中に、野獣死すべしを放送してたけど、このセリフの場面では、俺もニックの事思い出した。 長州が対戦したレスラーでニックは3本の指に入るって言ってたな ニック、フレアー、スティーブライト、このあたりは
プロレス界のマスターといって過言ではない 50過ぎても体作って動けるだけではなくトップ戦線に
いたのが凄いな。 >>65
なんでもかんでも持ち上げるの止めようよ(笑) 週プロに出てたが今日はハワイでの鶴田との防衛戦の日
プロレスリングインハワイの出所なのは有名だがハワイマットとしての起死回生でもあったというのが驚いた >>64
だろうなw
当時すでに51歳だったニックが、レスラーとして最盛期だった85年の長州と同じ動きで対抗していたからな。
>>68
すでに引退していた90年12月に新日本の『ザ・グレーテスト18クラブ特別試合』でマサと対戦した時も
あれはどう見ても56歳のレスラーの動きではないなw
あんなベストコンディションの56歳のレスラーは後にも先にも見たことがない。
ニックはまたAWA圏内でのインタビューが秀逸なんだな。
見た目は50年代〜60年代の映画俳優のようで、オバマ大統領に劣らない雄弁さで理路整然とアピールw
あれだけで十分金がとれる。 >>60
キッド・スミスとは最強タッグで二度当たってるんだよな
出来ればカートも交えた85年の試合映像を撮って欲しかった 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
FMEIR >>75
コイツ全部のスレにこれを書くつもりだろ。
キチもいいとこだ。 >>74
90年の浜松アリーナでエキシビションで対戦している。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています