1960年代半ば、WWWF王者ブルーノ・サンマルチノがNWA王者ルー・テーズに勝って統一王者もテーズが蹴る。
1966年、ルー・テーズの次のNWA王者にフリッツ・フォン・エリック案もテーズ拒否でジン・キニスキーになった。
1969年、ヒロ・マツダがキニスキーに勝ってNWA世界王者案もJr.ヘビーだったためドリーになった。
1974年、再戦でストロング小林が猪木に勝ってNWF世界王者。
1975年、マイティ井上がバションにIWA王座を渡す見返りで井上がアメリカでAWA世界王者。
1986年、藤波との二枚看板のために健悟がWWFインターコンチネンタル王者
1984年、馬場にAWA世界王者の話が来るも佐藤昭夫の提言で鶴田に譲った
1990年代半ばのWCWでフレアーの提案でアーン・アンダーソンがNWA世界王者