幻のビッグプランを語れ
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新日にキン肉マン登場、
東京ドームで前田vs天龍、
全日放送内で鶴田がホーガン戦熱望発言、
天龍離脱後の全日中継に客席にいる藤波登場(参戦予告?)
等、公になってる幻のプラン、発表されてないけど前フリだけで消滅など
幻のプランについて語るスッドレです。 >>627
スバーンもし日本人ならスターになれたのに >>16
IWGP構想を形にしたのがWWEとUFC まだ見ぬ強豪レオン・ホワイト全日来襲
TPGにビッグネームがほしいと猪木が馬場から譲ってもらう >>622
川崎球場で棺桶マッチだかのデスマッチをやる予定
だったけど、直井選手の遺族からやめて欲しいという
ことで中止になったんだよね。 直井懐かしいな。
追悼興行行ったわ。
事故に近い時期のカードならなるほど不謹慎ではある。 >>631
直井の遺族、
ターザンに週プロの表紙にしてくれって言ったり、色々言うんやね。
気持ちはわかるが、あんまり口出ししてほしくない。 ブランコ・シカティックが制したK−1しかK−1と認めない。
シカティックの佇まいがたまらなくカッコいい。
そして荒川静香ばりの華麗な勝ち逃げ。
ミスタークロアチアはミルコ・タイガーではなくシカティック。
時代が20年くらい違えば対コーディ戦が見たかった。
あの、一人その場受け身with掌底がどのくらい通用したのか 越中vs人生
実現していたら、どっちが勝っていたんだろう? 越中もメジャーのプライド強そうだからインディ相手には寝ないだろ
今は知らんけど 越中のこのトップクラスにも、微妙なのにも、勝っても負けても不思議じゃないところが有能だよな >>643
そうだね
トップを食うってのは分かるけど、微妙なのに負けても平気ってのは結構難しい 越中と人生はWJでタッグ組んでたね。
タッグトーナメント優勝したんだけど、その中で合体パワーボムを失敗してすっぽ抜けてしまったのよ。
その失敗をどっちもフォローせず、微妙な空気のまま相手が立つのをじーっと待ってるの。
もう一回やってフォールしたけど、こいつら絶対仲悪いと思ったね ワキガっちゅうたらフジワ。
フジワのワキガは凄かった。
キドオのワキガといい勝負。 新日大量離脱後の小鉄の現役復帰。
猪木、小鉄、健吾でラジオで話してた。
小鉄「僕もそろそろ復帰しますか」
健吾「エッ!?」
猪木「いやいや、まだ大丈夫。切り札は最後に取っとかないと」
健吾「切り札!?www」 >>602
ドラえもんに橋本が出たことあったよ。
ジャイアンが憧れるプロレスラーで、橋田真也という名前だった。 国立競技場でプロレスをやるのは、究極の夢興行だったろうけど実現しなかったね。
残念ながらK-1に先を越されてしまったなあ。観客数9万人だったってさ。凄すぎるね。 >>655
猪木が全面協力、メインが桜庭、ボブ・サップ人気の大会だったけどね
実況も古舘 >>654
スネ夫が憧れるレスラー本村健吾か?
>>655
国立はグッズ販売のマージンを4割だか取られるから大変とか出てた。 武藤平田のIWGP戦で平田が勝ち翌月のドームでメインが平田高田となる。 >>655
9万人は明らかに水増し。
スタンドの円弧部は客入れてなかったし、アリーナもそんなに席を組んでなかった。
90年代の新日東京ドームとそんなに変わらないんじゃないか? 札幌でなぜか異常人気だった木戸修がIWGPヘビー級に挑戦 >>658
その年の武藤の防衛戦の相手は
・天山
・ホーク
・平田
・高田
・越中
と凄く謎な相手が多くて何でこのメンバーだったのか知りたい >>662
取り敢えずそのときどきに旬だった相手では?
天山は凱旋して化けたし。
平田はG1追撃シリーズの主役。
越中は平成維震で脚光を浴びていた。
高田は言わずもがな。
ホークは?だが。
ヘルレイザーズもシングルできる、という意味か?
ノートンの方が適していたが、ノートンは武藤に黒星はなかった。
G1で初めて武藤に黒星。
そこまで温存かも。
G1の時にノートンに初勝利の武藤が『一度も勝ってないノートン』とのコメントを出させる為に?
『一度も勝ってないフレアー』も続けてあったが。
決勝進出決めた時だったかな? とはいえ平田と越中は両方大阪でな、なんで立て続けにこいつらなんだよとムカついた地元生観戦組 >>663
平田はその年のG1出なかったから唐突にプッシュされた感が強すぎた
翌年は長州が休むために初戦で怪我したアングルで欠場したしなぁ... 高田戦はベルト賭けてないだろ。
タイトルマッチは1月じゃね? >>664
平田はともかく、武藤vs越中はいいだろ。
俺は見たかったな。 >>653
すりゃよかったのにな
どんな山本小鉄になったのか 東京ドームのバトルロイヤルでダイビングボディプレスしてたなぁ
あの時で確か60歳越えてたと思う >>660
そこで木戸がIWGP奪取して、ラリアットプロレス全盛期にキドクラッチ、回転エビ固め、逆さ押さえ込みの丸め込みで
三銃士、馳 、健介、天山、小島、長州、ベイダー、ビガロ、ノートンらと10度以上防衛して、
健吾(イナズマ1発)木戸 健吾IWGP戴冠
次期シリーズ開幕戦後楽園・IWGPヘビー級選手権
長州力(1分11秒・リキラリアット〜サソリ固め)木村健吾 >>667
そういえば最初の試合は世界ヘビー級との
ダブルタイトルだったね。ただカードが決まった
時点で既にテーズと切れていてベルトがない状態
だったけど。 98年か99年頃に、馳が仲介役と
なって三銃士と三沢・川田・小橋が
ホテルで密会、新日と全日の交流戦
実現に向けた話し合いがされたが、
ハブられた健介が長州にチクってこの話が
潰されたというのは本当? >>86 レッスル、だろ。マンションの一室。
下には蕎麦屋だかが入ってた明治通り沿いの古いマンション。 86,7年ぐらいに全日本が全米進出するプランがプロレス雑誌に載ってたよね?
AJWUだったっけ? >>676
そこから「何コラ!タココラ!」に繋がったわけだ。 >>640 人生ってインディでは体大きかったが、メジャー出身者と対峙したら小さく見えたな 1993年4月10日 東京ドーム大会
あるプロレス団体がこの日を押さえていたとの情報が(WWFみたいなことが噂されてたが) >>676
そのエピソードよく聞くんだけど本当に会談あったのかな? >>685
ユセフトルコの本と同じく、全てフィクションだろ?
もし本当に水面下で進行していたら、健介が密告したぐらいで破談にならなかった。 馬場と大仁田の電流爆破。
これが実現すればどんな大きな会場でも埋まったと思うし、
プロレスを扱わないようなメディアでも取り上げられたはず。 >>三銃士&四天王会談
佐々木がチクったとか長州が潰したとか関係なく
あの時の両団体は、どうあがいても交流戦は実現できなかったはず
馬場が死んだ後、新日本側が選手に急に全日本に歩み寄る言動を連発させてた
(武藤「天龍を通じて三沢や川田が見えたよ」、金本「小川選手のことは意識してます」
サスケにIWGPジュニアタッグのベルトを持たせて全日本のリングに上げるなど)
しかし全日本側からの明確な反応なし
(大量離脱前の)元子政権下ですらこれだったんだから
馬場存命時だったらまず無理 力道山がアメリカに行った際にナイトクラブに行った時
ガタイのいいバーテンダーの男に目が留まった
力道山がそのガタイのいい男に歩み寄り
それほど熱心にって程ではないらしいが プロレスやってみない?と誘ったらしい
バーテンダーの男は「私は俳優を目指している」と断った
そのバーテンダーの男は後にハリウッドスターになる
その男とは映画「ランボー」で保安官役を演じた
ブライアン・デネヒーだ 映画「48時間」に出てた ニック・ノルティ プロレス入り >>691
ブライアン・デネヒーは1938年7月、
コネチカット州生まれ、ニューヨーク州育ち、つまり東部だな。
力道山がアメリカに行っていたというのはいつだ?
長期的には、1952年2月〜53年2月にプロレス武者修行、
しかしこの時、ブライアン・デネヒーは13〜14歳、
バーテンダーになれるのか?
そして力道山は主にハワイで修行をしてサンスランシスコ
(西海岸)で試合をした。
その後も、力道山は58年ロスでルーテーズのインターに
挑戦するなど渡米したが、ブライアン・デネヒーは
1959年、アメリカ合衆国海兵隊に入隊、5年の軍隊生活を送ったと。
こういう話は昭和にすれば、「へーーそうだったんですか!?」
と感心されるが、今の時代、ちょっとWIKIを調べれば
たちまち突っ込まれるよ。 >>676
健介以外にもう一人、ハブられているような。
気のせいか? 「武藤その他、全日が上場すれば大金持ちになれる、との妄言を信じて移籍」
失礼だけどプロレスラー及び業界関係者の頭の悪さが濃縮されたビッグプランだと思う
ノアタワーとかこれとか、本気だったとかとても信じられない
でも本気だった
糞バカすぎる >>695
武藤と移籍した背広組がな…信じてないが新日居ても潰れるしって感じなら分かるが全日残党の頭ガチガチ過ぎて足並み揃わなかったし 1995年4月 北朝鮮
橋本VSランディ・サベージ
蝶野VSバリー・ウィンダム セッド・ジニアス本「大仁田戦のタッグパートナー選び。大仁田側から前田と馳は不仲のため勘弁してくれ。
藤田和之、船木、タイガー・ジェット・シン、剛竜馬、ミスター高橋に打診。
藤田が可能性があった。剛は服役中で出所できなかった」
ミスター高橋をパートナーに大仁田と試合しようとしたのかw 猪木のUWF移籍
結局テレ朝の引き留めで流れたけど、猪木のためにUWFのはずで
だから前田さんたちは騙されたって思いが強い >>676
そんな大層なもんじゃなくて
タニマチ主催の単なる食事会だった可能性のほうが高いんじゃね 1985年6月21日 武道館
馬場vs木村 金網マッチ ボビールード馬場社長時代の全日本プロレス入団(留学生) 89 格闘衛星 闘強導夢
長州vsドン・中矢・ニールセン >>676
馳は三銃士と仲がよかったのか?
三銃士のことを嫌いな健介と仕事上では組んでいながら、
裏では三銃士とつながりがあるなんて、大物政治家になりそうだ。 木村健悟レッスルマニア1参戦
木村健悟vsサージャント・スローター 87年
新日での世代闘争持にシンを引き抜いてナウ側に入れるシン引き抜き作成。 TPGの暴動で両国が使えなくなったけど、それがなかったとしたら88.2.5に予定されてた大会のカードは何だったんだろう?後楽園でやったそのままだったのかな? >>714
猪木vsベイダー再戦か中途半端に終わった猪木vs長州だろ。 91スターケードin闘強導夢
猪木、DローデスVSスティング、 Gムタ >>716
そんな予定あったの?
猪木は、91年東京ドームに出場する予定もなかったし
現実に出場しなかった。
それにローデスは、もう90年ロートルだよww
もう80年代初頭には、バケの皮が剥がれていたし。 >>717
91年のドームは、猪木対ドリーじゃないか?
都知事選出馬直前でプロレスも選挙も流れたが >>716
聞いたことないな
この時点でムタとスティングが組む訳ないし 1960年代半ば、WWWF王者ブルーノ・サンマルチノがNWA王者ルー・テーズに勝って統一王者もテーズが蹴る。
1966年、ルー・テーズの次のNWA王者にフリッツ・フォン・エリック案もテーズ拒否でジン・キニスキーになった。
1969年、ヒロ・マツダがキニスキーに勝ってNWA世界王者案もJr.ヘビーだったためドリーになった。
1974年、再戦でストロング小林が猪木に勝ってNWF世界王者。
1975年、マイティ井上がバションにIWA王座を渡す見返りで井上がアメリカでAWA世界王者。
1986年、藤波との二枚看板のために健悟がWWFインターコンチネンタル王者
1984年、馬場にAWA世界王者の話が来るも佐藤昭夫の提言で鶴田に譲った
1990年代半ばのWCWでフレアーの提案でアーン・アンダーソンがNWA世界王者 >>721
>1966年、ルー・テーズの次のNWA王者は
キニスキーとN.ボックウインクルが争ったと聞いたが。
>1986年、藤波との二枚看板のために健悟がWWFインターコンチネンタル王者
新日とWWFの提携は85年10月で切れている。
藤波は同年7月Sマシーンとの防衛戦後に返上。
それは別として、健吾が86年の終わりごろから藤波と
抗争はしていたね。87年の新春シリーズで一騎打ち。
凶器レッグラリアットで勝ちを収める。
その後、後楽園のワンマッチ興行で敗れ、抗争も
収まったが。 >>720
ネタだろ。
前も81年夏に猪木・シンVSハンセン・ブッチャーとか書いてた奴いたし。
あれは何年か前の新間のコメントで。
もしもシンが移籍せずに新日に残ってたらそういうカードもあり得た と。
シンのベビー計画とやら。
当時を知らないとそういうカードも信じてしまう人多そう。 三沢のノアワターも、このスレのカテゴリーに入るよね >>723
85年だ。健悟がWWFインタータッグ王者時代にインターコンチ挑戦と発表されたが中止になった。
テーズ「NWA内でキニスキーかエリックとなり、レスリングのできないエリックなど冗談じゃない。
キニスキーはフットボール上がりだが、いつも全力でぶつかってくるからキニスキーにした」 >>722
何だかんだで曙の知名度高くて地方巡業とかでは重宝されたらしいからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています