幻のビッグプランを語れ
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新日にキン肉マン登場、
東京ドームで前田vs天龍、
全日放送内で鶴田がホーガン戦熱望発言、
天龍離脱後の全日中継に客席にいる藤波登場(参戦予告?)
等、公になってる幻のプラン、発表されてないけど前フリだけで消滅など
幻のプランについて語るスッドレです。 >>486
ま、その通りなんだが、
そこは恐らくは古巣のレスリング関係者からの要請に意気に感じた谷津嘉章が花山よろしく、またプロレスラーよろしく傾(かぶ)いてみたのでは、と。
プロレスのキャリアとしては佐山が先輩だが年齢は一個谷津のが上。
谷津にプロレスの洗礼を与えられたの昭和新日道場にはいなかなったという厳然たる事実もまたある。
ましてや当時の佐山は新日を離脱し、プロレスを否定、対抗せんとするシューティングの創立に奔走しているいわば敵(かたき)でもあるのだ。
長州が自分をさん付けで挑発する大仁田を揶揄する件りがあったが、
ここは谷津、プロレス・アマレスの防波堤として佐山サトルをあえて呼び捨てにし、鬼の覚悟を佐山サトルにわかるように(それはある意味優しいが)伝えたものと考える。
ただし、悲しいかな、その後の「三十路の青春」でレスリング全日本選手権にプロレスラーながら出場して制したのが谷津のキャリアハイだったような気がする。 真壁が「ミラノさん」って呼んでるのがオカシすぎ。
真壁が年上、プロデビューもほぼ同時期(かたやどインデー) 引退したからじゃないかなあ(ライガーの「○○選手」の逆) あの藤田は同期なのに「真壁さん」だし、
敬語まで使っているよなw 猪木vsアミン大統領
あれって本当に交渉してたのかな? >>492
ほぼ決まっていて最終的な調整の段階で
クーデター発生です流れた 東京プロレスで石川敬士vsガッツ石松の異種格闘技戦 84年に猪木とラッシャーのタッグ
でもラッシャーが旧UWF移籍で実現せず >>491
真壁より数ヶ月遅れて入門してるから通例ではあってる 北斗が24時間テレビでマラソンをしたとき武道館に来ている
元全女勢がマリンウルフの「颱風前夜」を
マラソンしてる北斗に応援として歌う予定だったが
みなみ鈴香が出ないことでその企画が流れたらしい >>480
色々と調子に乗ってしまって。
今の内に、謝っておけば、
今回は、不問に付すが、いかが? キングダムエルガイツの代々木大会と入江対ヒクソングレイシー >>507
それ、もしかしたら
高田俊二のことか? >>512
小杉俊二
惜しいレスラーだったなあ
佐野とメキシコでは活躍してたが >>516
小杉は海外遠征には出ていない。
佐野と一緒にメキシコに行ったのは佐野と同期の畑。 >>519
畑も2人っきりになるのは怖かったろうな 85年にヤングライオン杯が復活する時。
雑誌には当初はヤングドラゴン杯と書かれていた。
しかし昔からの伝統を残す為にヤングライオン杯に。
ヤングドラゴン杯は言わずと知れた藤波のイメージ。
そのドラゴン杯でも良かったとは思うが。 そういやヤングジェネレーション杯とかあったな。
柳澤が優勝したやつ。
普通にヤングライオン杯でいいのにな。 三沢・川田のタイガーブラザーズ
高野兄弟のコブラブラザーズ 前田大作が休刊となったゴングがターザン山本を編集長として復活させようとしていたこと。
結局金がなくてダメになったけど。
ターザンとしてはかつてのゴングでなくピンク帯の活字プロレスを復活させたかったらしいが、
やったとしても数か月で廃刊になってそう。 96年6月30日の力道山メモリアル
ここで力道山の弟子の馬場と猪木の対決
いやっ冗談。
馬場と猪木を呼んでリングで顔を合わせるというプランがあった。
もちろん互いに私服で。
しかし当日は全日は興行があり、馬場の参加は不可能に。
まあ興行がなくても馬場自身は姿を見せるのは拒絶しただろう。
猪木も猪木で来場できなかった。
もし二人がリングに揃えばそれだけで歴史的な快挙にもなった。 >>521
>85年にヤングライオン杯が復活する時
「ヤングライオン杯」が復活したんじゃなくて
「若手によるリーグ戦」が復活しただよな。
74年から76年に掛けて行われた
そのリーグ戦名は「カールゴッチ杯」
85年には、ゴッチと新日の関係が切れて
その名称は使われなかったわけだ。 天山、年俸1億でWCWに移籍
ゴングのインタビューで言ってた
WCWはグラジに3億払って移籍させたから
嘘ではなさそう 後のリングスオランダ勢 新日参戦
藤田 リングス参戦
馳健 WCW遠征
クリス・ベノワ 新日参戦(WWE移籍後) レッスルマニアTにブロディが乱入する話
ブロディとノードのWWE登場 >>533
確か1試合だけ、小原と対戦して
「何でアメリカまで来てあんなクソ犬と」と言っていた。 デラックス・プロレスが命名した
山崎五紀、立野記代の新コンビ名
「スカイハイ・エキスプレス」 ファミコンカセットによるクラッシュギャルズのゲームソフト化 藤波のリングネームドラゴン藤波[D藤波]へ改名計画。
79年頃に計画されたが新間の一言で中止に。
その10数年後に腰痛から復帰した藤波は藤波辰爾と改名。
画数の問題で漢字のみ改名も難しい字で書けない人ばかり。
俺も爾は書けないし覚えようとも思わない。 平成維震軍の旗揚げ戦に乱入しマイクアピールまでするも、
相手にして貰えなかった剛竜馬。 >>545
あのマイクなんだったんだろうな
「お前ら何かやってることが違うんじゃないか?」みたいなの >>544
馴染みがない漢字だけど、
別に難しくはないだろ。すぐ覚えたわ。 天龍とハンセンとの仲間割れ後の
東京体育館大会での鶴竜復活 >>549
東京体育館では、天龍vsラッシャー木村でどうだ?と馬場から言われたらしいぞ、天龍は。 リキドメモリにジャイバとアノキが登場して握手。
しかし当日はゼンニプロレが興行あって実現せず。
オフでもジャイバが断ったのは目に見えるけども。
ただリキドメモリ決定した時に企画されたらしい。
あくまで企画段階で完全に終わった内容だけどな。
この二人がリングで揃ったのは夢のオルスが最後。 >>544
木村健悟は今「木村けんご」で議員やってる。 北尾vs田上は噂通り田上の勝ちを嫌がって話がなくなったのだとしたら、北尾に最初勝たせてその後三沢なり川田なりに勝たせりゃよかったのにって思う >>558
馬場にその発想はないでしょ
猪木と好試合を展開した連中を普通に初戦で倒しちゃう人だから >>555
つまらん!って、、まさか
554の投稿を読んだのかい? 俺、マジで思うんだけど、あちこちのスレで嫌われてる>>554って、実生活でも
嫌われまくってると思うんだ。
たぶん家族もいないだろうし、もちろん友人なんかいない。へたすりゃ職もないかもしれない。
結局、誰か犠牲になって、この人のリアルでの友達になってあげる人が出てこない限り、ずっと
これだと思うんだよね。
どうだろう?誰か立候補する人いない?
俺はぜったいにイヤだけど。 >>551
離脱前、なぜかラッシャーと天龍が絡んでたのは不可解だったなあ。
あと、マイティも急に硬くいったり >>562
それ俺も積年の疑問。
離脱前夜の唐突のR木村、M井上の天龍へのこれまでにないリアクション。
これは
マンネリからの単なるガラガラポンの端緒だったのか?
マンネリ?まだ俺らがいるぞ!の意地なのか?
天龍離脱?新団体?を嗅覚した
旧国際勢のかつての自分らのオーバーラップした怒りの噴出なのか?
あるいは馬場忠誠を誓ってる彼らの馬場への忖度なのか?(馬場も思わぬ?予想以上の彼らの頑張りにハラハラ?) >>563
疑問だよね。
マイティはアジアやジュニア戦線からも離れてたのに、
90年の新春シリーズから急に天龍に絡み出し、見たことのない熱さをだしてた 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
T0Q7P 第一回GPWA興行に前田日明登場
当時ビッグマウスラウドの顧問か何かやっていたのでリングで挨拶するプランがあったが
仲田龍が試合より話題を持っていかれるという理由で拒否 >>567
有名な話だぞ。
ただし、テリーによれば、ホテルに乗り込んだがホーガンは留守だったと。 >>567
実話 らしい。
ホーガンは全日からの契約書を新間に見せた。
それでギャラアップを要求。
ギャラアップしないなら全日に行きますよ、と示唆。
ホーガンに将来性を感じてた新間はホーガンのギャラをアップ。
ホーガンは見事にギャラアップに成功した。
全日からの契約書をエサに。
それを知ったテリーが大激怒。
ホーガンの宿舎まで殴り込み。
そこで『ホーガンを殴った』『ホーガンには会えなかった』と様々あるが。
いずれにせよこの話を知った馬場はホーガンは『姑息な男』との評価を。
その後、ホーガンがどんだけビッグになっても一切ホーガンには興味を示さなかった。
馬場からしたらあの契約書の件以来ホーガンを一切認めず。
だからホーガンを全日に上げるという考えは毛頭なく。
記事にあったから実話だろう。 >>570
天秤をかるのは普通だろ。
全日からこういうオファーが来てるが、新日がもっと出せるなら残るというのは普通の交渉。
日米レスリーサミットの時、WWFはメインはホーガンvsテンタと言ってきたが、
馬場は「日本でテンタはダメ。ホーガンへの挑戦は鶴田、天龍、長州の誰か」と言ってたから
ホーガンを認めてないということはない。
ホーガンの鶴田になったら、鶴田が負けるしかないわけだから。 >>572
確かにそうだけど記事にはそう書いてあった。
ホーガンがどんだけビッグになっても興味を示さなかったって。
だからホーガンを全日に上げる気持ちはなかったとも。
仮にホーガンが全日に上がるのが可能な状況になっても。
その記事は確か10年くらい前かな?
馬場のその気持ちがいつなのかは書いてなかったが。
でも>ホーガンがどんだけビッグになっても…だとWWF王者になったあとか。
まあいつ頃というよりその一件から馬場はホーガンを『人間として』評価 してなかったのだろう。
その記事は大袈裟に書かれたのかも知れないが。
鶴田がホーガンに挑戦で負けるのも仕方ないのでは?
あれはWWF主催興行だったし。
だから全日の大事な大事な看板のハンセンも負け(させ)た。
鶴田でも同じ理屈だろう。
仕方なく、と。 ハルホって日本でそんなに人気あったか?あの当時はテレビもあったし、
スタハやビグベの方が価値あったと思います >>574
ホーガンは人気はあったよ。
人気が一気に上がったのは82年5月から。
ブッチャーとの抗争から。日本陣営に加わり。
それまでも人気はあったが、そこそこの人気だった。
でも日本陣営に加わってから人気爆発。
新日もホーガンをハンセンの後釜にしようと必死だったみたいだし。
まあ結果的にハンセンの後釜というポストに。
ハンセンとはタイプや立ち位置は違ったが、ハンセンに劣らない人気を得た。
あとは猪木KOでIWGP優勝がホーガンの価値を上げたのも事実。
アクシデント(という設定)ながら猪木を倒してIWGP優勝。
この時代のホーガンはハンセン、ブロディ、アンドレをも越えた存在とも言えたね。 ポピーのスーパープロレスラーシリーズというソフビ人形のラインナップにもホーガンが居た。(81年発売)
他には猪木、マスカラス、ブッチャー、アンドレ、テリー、ドリー、ハンセン、バックランド、レイス。
馬場、ブロディ、シンなどを抑えて入ったのはすごい。 アホーガンなんて漫画が出来ちゃうぐらいだからな
ハンセンもブロディも完全に超えてたよ でもホーガンはWWF王者になってからは頻繁に来日できなくなった。
85年を最後に5年も来日せず。
日本のスーパースターから世界のスーパースターへ。
そういう意味ではハンセンやブロディ、アンドレ、猪木をも越えたと言えよう。
アンドレは別としてハンセン、ブロディ、猪木はあくまで日本国内のスーパースター。
WWF王者になった事でホーガンの存在が世界へ羽ばたいた。
そんな記事があった。
アホーガンはホーガン自身は知ってたのか?
訳したら怒っただろ。
でもそういう漫画のキャラクターになったのは愛しのボッチャーとアホーガンくらいか?
テリーマンとか脇役キャラクターは別にして主役では。
まあ日本でもホーガンの存在はそれだけ認知された。
一番Tシャツも売ってたしね。 アントニオ猪木 vs クリス・ドールマン(ドールマンは新生UWFへ)
長州力&小林邦昭 vs 天龍源一郎&川田利明(小林がジョージ高野、川田が三沢タイガーに変更)
ハルク・ホーガン vs テリー・ゴディ(ゴディがハンセンに変更)
ビッグバン・ベイダー vs キモ(ベイダーがビガロに変更)
橋本真也 vs 冬木弘道(冬木引退試合→試合前に亡くなる)
鈴川真一 vs キンボ・スライス(キンボが来日中止)
ジョシュ・バーネット vs エメリヤーエンコ・ヒョードル(ジョシュが薬物検査で陽性だったため中止) 前田日明映画主演映画→監督が武藤に惚れて武藤主演に ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています