1982年に小林邦昭がタイガーに牙を向く前に考えられたプランが
ブラックピューマというマスクマン。
ただメキシコのマスク職人アントニオマルチネスに製作依頼していたマスクが
あまりにもお粗末で小林邦昭のままでいくようになったのはあまりしられていないよね。
後年そのマスクが東京の某マスク屋さんに名前不詳として入荷されていたよ。