このとき、文春の取材を受けたほうがいいと健介にすすめたのは北斗でした。
逃げるよりも取材を受けたほうが悪く書かれないという判断だったのでしょう。
17年前の事件とは、健介が新日本プロレスの練習生、権瓶広光君(当時22歳)に練習中、
きつい投げ技をかけて死亡させたのではないかという疑惑でした。
健介は事件への関与は否定しました。取材後、これも北斗の判断で健介が
記者を車に乗せて駅まで送ったそうですが、そのときの健介はほとんど放心状態で、
何を話しかけても上の空といった状態だったそうです。