70年代のアントニオ猪木 22 [無断転載禁止]©2ch.net
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基本的に70年代の猪木について語るスレですが
マジなプロレス話であれば他の年代でもおkです。
前スレ
70年代のアントニオ猪木 21
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/wres/1402771498/ 村松さんの猪木アリ戦に関する本が出ましたね。
力の入った本のようですよ。 >>56
「私 プロレスの味方です」を出した頃は、「反則負けでもいいからアリを倒して欲しかった」
と言ってましたよね、村松さん。
今回の本では そのあたりの見解はどうなんだろう? 79年夢のオルスのときはジャイバとアノキが対決したら70パー以上がアノキの勝利。
または引き分けでもアノキ攻勢でジャイバ劣勢の試合展開に。
そういう予想だったらしい。 79年と言ったら 馬場はデストロイヤーに星を譲ってるね。
レイスからはNWAタイトル獲ったり、微妙な立ち位置だなぁ。 年頭のボブ ループ戦を除けば、一連の格闘技戦や日本人対決,ブリスコ戦、ローデス戦など ほぼ完勝で来たからねぇ、79年。 >>61
そう?
この当時の試合映像はDVDや配信で初めて観た後追い世代だけど
79年は欧州遠征とボック戦で痛めた腰の影響と糖尿病の顕在化で一気に筋肉の張りが無くなってコンディションの悪さが目に付いた年の印象がある
ブリスコ戦ハンセン戦シンとのオイルデスマッチなんかでの相手のキックやボディスラムを受けた際のセルを通り越して素で痛そうにしていた表情なんかを見るとね
逆にこの間もテレ朝チャンネルで放送していたループ戦は明らかに猪木の横綱相撲でしょ?
てか相手の技を受けたがらず自分ばかり攻めたがるクセにマジでショルダーバスター以外の大技は綺麗に決める事が出来ない15分過ぎると勝手にスタミナ切れするループはド塩過ぎ うーん、ループ戦は 猪木がラフ攻撃で流れを変えようとして上手くいかず,ようやく決めたコブラもマレンコの乱入で不発。
猪木の横綱相撲だった とは言いにくいんじゃない? ループ戦はアマレスキャリアのない猪木がよくぞあそこまで張り合えたと思う。
最後にループが仕掛けた受け身が取れないアマレス式後ろそり投げ(ジャーマン?バックドロップ?)なんかも猪木は足を引っかけて見事に崩している。 第12回ワールドリーグの猪木対ジョナサン戦は
映像残ってないのかな?
外人トップだったジョナサンからフォール勝ちしたやつ。 アノキはカルゴ ルーテ レオジョ ディクブ クラリ ボボブ ミスエ(ビルミ)
ジンキ デスト ゴリモ キラコ ジョニバ クリマ
この辺に人達は半端じゃなく強かったと言ってた。
こういう強い強豪達に若い頃はぶっ飛ばされまくったのが貴重な経験とも。 70年代は 上記のような怪物レスラーが徐々に衰え出して,それに代わる世代がドリー,ブリスコら技巧派だった。
当時は俺自身そんな技巧派には今ひとつ魅力薄かったが、彼らがそれまでの怪物レスラーを凌駕し始めると見直さざるを得なかったな。 今のプロレスに眉をしかめて見せる爺さんてイメージだが
ぶっちゃけこの人の現役時代より今のプロレスの方が華麗なだけでなく
肉体的ダメージや疲労度でも大きいと思うよw 今のプロレスは単に無駄が多いだけだから
その部分を取り上げて昔より凄いって言われても
何も響かない 過激に見える安全なプロレスをやるのも技術のうち!
わかる!? >>61
WWF奪取についてはシンの乱入がどうしてもマイナス その乱入の後日ひシンとバックランドのシングルだっけ?
その前だっけ?
その前ならシンとバックランドのタイトルマッチにすれば良かった。
でもそうなると猪木とのタイトルマッチは決定していただらうから。
どうせシンなら反則でタイトルは取れないんだし。
バックランドVSシンの勝者に猪木が挑戦でも良かった。
またその後日ならバックランドVS猪木の勝者なシンが挑戦でも。 若干スレチかも知れないけど
東京プロレスが潰れる事がなかったら、東京プロレスがそのまま新日本みたいになってたんだろうか。
遺恨対決も猪木vsシンでは無く、猪木vsバレンタインで何年も引っ張り
斎藤が坂口的役割を担い、猪木と度々黄金コンビを結成。
デビュー間も無い永源が荒川的コメディファイターになり、バレンタインから穫った
USヘビーがNWFの様なフラッグシップタイトルになると。 >>80
うーん、バレンタインは衰えが猪木より早かったと思うし、斎藤では華がない。
永源は まぁ良しとしても…。
やはり遠回りでも日プロに戻って,馬場や一流外人レスラーの刺激を受けて…というのが猪木にとってもプラスになったのでは⁈ >>81
あの時一旦日プロに復帰した事でBI砲も見れたし、猪木にとってもプラスだったかも知れないね。
何か猪木と言うより猪木が所属してた団体の話になっちゃって申し訳無い。 40代が懐かしいと感じるもの・出来事 Part.30
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/cafe40/1515942004/565
より
565 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/01/30(火) 10:51:15.46
俺も小学校で放送委員やってた
アントニオ猪木の入場の時のテーマを給食時の放送でかけたら、バカうけだったw
俺はその後1時間正座だったがww ブロディに場外でパイルドライバーやって流血させた事無かったか? >>86
あったような気もするけど
おっさんになりすぎて忘れてるわ
ありがと 「猪木が やらない技はない」
なんて昔のプロレス雑誌にはあったけど
フライング ボディアタックは おそらくやった事ないな。 サイドスープレックスも見た覚えがないと思ってたら
バックランド戦で使ってたんだな フロントスープレックスは無いんじゃねーか?
ロープ際で場外に落とすのに似たような感じのはあったかもしれんが…
ドラゴンとタイガーは絶対無いw >>88
ドリー、ホッジ組戦の時間切れ寸前にコーナ最上段からやったことがある
この時の着地に失敗して指を骨折してる 猪木が(あまり、ほとんど)使わない技
アトミックドロップ
パイルドライバー
キャメルクラッチ
エルボードロップ
アトミックドロップは見たことがない
パイルドライバーはモンスターマン戦でのみ
キャメルクラッチは83年頃の雑誌で見た
エルボードロップは猪木、ローデス×シン、ハンセンでシンに出したがよけられた
ダイビングラリアットとかムーンサルトみたいなネタではなく当時のありふれた技で 猪木のベア・ハッグは見たことがあるな
しかも相手がアンドレだったw 片逆エビ固め
逆エビは結構つかってたのに
片エビ固め(フォールの際)
片エビは全日のイメージ、馬場イズム
ラリアットはハンセン戦、木村戦だけかな? ネックブリーカードロップは若手時代に使ってたらしいが、トップクラスになると使用しなくなったね。
なんでも「あの技は相手を騙し討ちするように見えるから使うのをやめろ」と誰かに言われたらしい。 >>90-91 >>94-97
サイドスープレックスは79年のブリスコ戦でやったし詳しい日付は忘れたけどシンハンセンマードック等にも使っている
フロントスープレックスも型こそ崩れていたけど79年12月のバックランド戦で見せている
パイルドライバーは80年の第3回MSGシリーズでの藤波戦で低い角度での所謂痛め技的な使い方だったけど一応繰り出した形にはなっている
アトミックドロップは日プロ時代と新日旗揚げ当時は使っていたらしいけど映像を見た事がない 猪木オリジナルとなると延髄斬りになるのかな?
他に猪木オリジナルの技ってあったっけ。
鎌固めがそう? UWFが新日に上がるようになって
全日、全女も含めて日本プロレス界が
猫も杓子もアキレス腱固めをやり始めた時期に
猪木がヒールホールドをチラリと見せてたのはさすがだと思う >>100
・スピニングバックブリーカー(アルゼンチン式カナディアン式の両方)
・鎌固め
・ブロックバスターホールド
・延髄斬り
これ等は確実に猪木オリジナルと言える
猪木以前に使い手がいたのかそれとも猪木が編み出したか既存の技にアレンジを加えたのかどうか微妙なのは
・カンガルーキック
・ショルダーアームブリーカー
・鬼殺し(胴締め式グラウンドコブラ→ナガタロックV) そういえばゴッチは フライングソバットを使っていたけど猪木は継承してないね。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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MAEZE >>99
藤波やバックランドみたいな自分とあまり変わらない体重の相手ならわかる。
シン、ハンセン、マードックと重量級をよくサイドで投げたな。
バランス崩れなかったのかな? 猪木ってピンチになるとパンチで形勢逆転してたイメージしかない
実況も鉄拳制裁だぁ〜ではなく反則のパンチですって言わなきゃダメじゃん
格闘技戦をはじめてプロレス自体を葬り去ったのも猪木
力道山からは理不尽ないじめを受けた事しか記憶にないって猪木自身が言ってるから潰したかったんだろうね
力道山ぐ作ったプロレスを >>94
>アトミックドロップは見たことがない
1969年の終わり〜70年の春頃に
時々、使っていた。
無論、坂口ほどの迫力はなく
長続きはしなかったがな。
この時、猪木はアルゼンチン式やカナダ式の
背骨折りを決めたままスピンするバックブリーカーも
よく見せたよ。 猪木はエリックやブルーザーも恐れていたみたいだが。
コワルスキーからは逃げたんだっけ? ガチガチボックと技術を凌駕するハンセン幻想だけで伊勢崎市体育館や長岡リージョンプラザや静岡産業館や岡山武道館や八代市体育館がプレミアムチケット化する時代 品川プリンスホテルゴールドホールは、当初ボックとのカードだったが、ボックが事故で来日できなくなり、対戦相手がシンに変更されたんだっけ。
その為、チケットをキャンセルする人も出たとか。 もう1つのペールワン戦が全然プロレスじゃないな。
お互いに汗だくで血相変えてやってる。
マンガでは油のおかげでバカげた引き分けだってなってたが、実際には判定負けだろう。 >>118
終盤,猪木がダウン取られたからね。
ダメージ無いとはいえ。 今、ふと思ったんだけど、本当は心優しい紳士であったタイガー・ジェット・シンを、猪木は当時、どんな風に思っていたんだろうか。 「最高のライバルレスラーは?」と聞かれると
インタビュアーはドリーとかロビンソンとかの回答を期待するが
猪木からは必ず「シン」と言う回答が来るとか シンとのラフファイトに明け暮れていた頃の猪木には,ドリーやブリスコといった正統派とやらせてあげたいなぁ と思っていたけれど、今思うとシンが最高の好敵手だったんだろうなと。 二人の全盛期が時期が重なって相性も良かったのだろう。
状況的にも。
また年齢的にもほぼ同じだし。 もしも少しでも状況が違えばそうはならなかったと思う。
新日が既に大物外国人が沢山呼べる状況だったり。
またシンが既に海外の超大物として日本にも認知されてたりとか。
もしそういう状況なら新日もシンを呼ばなかったかも。
仮に呼んでも重宝せず。
またシンも新日に上がらなかったかも知れない。
様々なタイミングが合ったからこそ生まれた関係だね。 アトミック・ドロップは、リッキー・ハンター戦で使った。
TV中継もされた。猪木ファン歴50年弱の自分も
見たのを記憶しているのはこの時1回だけ。 >>126
猪木のアトミックドロップは記憶ないね。
あと猪木のキャメルクラッチも記憶ないけど83年頃の雑誌で一回だけ見た。
カネックにキャメルクラッチ気味に決めてるのを。
あとは全く記憶ない。
それと猪木のシュミット式バックブリーカーも見たことない。。
所謂(いわゆる)膝の上に相手をグイグイやるやつ。
テクニャンでどんな技でも使うと言われた猪木だが。 >>126
でも日プロ時代を含めたらアトミックドロップみたいにあるのかも。
日プロ時代のを探せば。
エアプレーンスピンとかも使ってたし。 首4の字といえば アート ボンボン マハリックに掛けられて苦しそうにしていた猪木を思い出す。昭和44年頃。日プロ時代。 猪木のアトミックドロップって、UWFがUターンした日のタッグリーグ公式戦・VS藤波&木村で観たような気が
猪木と坂口が藤波木村それぞれにアトミックドロップをして、体を離さずにそのままバックドロップをすると言う流れがあった気がする
猪木のアトミックドロップ、坂口のバックドロップどちらも珍しいから覚えてる >>131
それは正しい記憶だろうね。
普通は猪木のバックドロップに坂口のアトミックドロップ。
それが逆だと。
その試合も見てたけどそこは覚えてないなあ。
公式戦と決勝戦で木村が猪木のナックルで流血してグロッキーだったのは覚えてる。 こだわりがあって使わないんだろうね
現役を続けてたとしても、流行のラリアット、パワーボム、DDT、
パワースラムなんかは使わなかったと思う。
まあ、ラリアットとパワーボムは誰もが使うようになる前に使ったけど、
安易に流行技を使うのとは違った 猪木のニードロップって その威力はともかく
見た目の美しさ,試合の流れの中でのアクセントという意味では絶品だと思う。
ミミ萩原のそれも猪木に似た華麗さがあった。 永田が帰国した時に『ラリアットは使わない』と公言していた。
『自分は猪木さんみたいに小さい男が大きな男を倒す』
『そういうプロレスを目指す』
『自分もサイズ的には大きくないし、ノートンからしたら全然小さい』
確かに永田はラリアットは使わなかった。
中西、小島、天山と同期がラリアットプロレスだったからそれも踏まえてだろうけど。 あと友人でシンがラリアット使ったのはショックと言ってたのがいた。
別の友人は『シンは腕が太いからラリアットは合ってる』と。
見る側の解釈も様々だね。 猪木はドリーといい勝負だったな。
ビルロビンソンには圧倒された。 ロビンソン戦は判定負けだろうなぁ。
ブリスコには分がいいのにね。
全盛期のニック,レイスとの対戦が観たかった。 >>138
>全盛期のニック
ファイターとしては、1970年秋に
来日した時が二ックの働き盛りだった。
若く見えるがこの時36歳。
27歳の猪木とは3度対戦
60分3本勝負はテレビ中継された
1−1からJクイーンの乱入で二ックの反則負け。
1970年代後半〜80年代前半、40代後半、
ダーティー王者時代の二ックを彼の全盛期とは呼びたくない。
まぁ「タレント」としてならそうなのだろうがな。
同じく1980年なら猪木も衰えていた。
70年の対戦が二人の戦いの全てでOK! 最も猪木らしい技は?
俺的にはコブラツイスト。
あばら折り という和名も好き。
馬場や他のレスラーのコブラとは その見映えと共威力が違った。 >>131
坂口のは急角度の投げっぱなしみたいなやつで怖かったな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ 馬場に対する悪役でブッチャーがあって、猪木に対する悪役がシンだった。
ってのはみんな分かっているけど、よく同時期に合わせられたなと思う。
ジョニー・パワーズとかも良かったんだけど、シンと比べたら個人的には今一つだったし、それにシンは(本当は知性的な紳士だったけど)みんなが憎んでいたからね。
悪役でも愛されていたブッチャーとは違って、シンは本当に狂っているんじゃないかって思っていた人も多そうだし、 俺もガキの頃は シンは真性のキチガイと思ってた。
週刊ファイトが79年にシン特集号を出して興味深く読み耽った記憶がある。
シンもこんな穏やかな顔をするんだ、とね。 >>144
村松友視がファイトのシン特集を絶賛してたね 体力的には20代が全盛だったと思うが
インサイドワークというか駆け引きみたいなモノを身につけたという意味では30代前半かなぁ,猪木の全盛期。 75年生まれだが小学生の頃に見た80年代の猪木はすでに下降気味だったわけ?
ホーガンや巌流島のマサとの激闘が全盛期と思ったが違うんだ。
さすがに88年の長州に初フォール負け見たときはもう終わったなと思ったけど。 大木/小林からアリ戦までが全盛
アリ戦以降はワンパターンの客受け狙いばっかりになった
翌年からのハンセンブームとドラゴンフィーバーで猪木の影が薄くなっていた ざっくり言うとスレタイ通り70年代だわな。
ピンポイントでこの一年というと1974年かな。
なお馬場の全盛期は60年代。 >>148
下降気味というのが本音だろうね。
80年代前半は猪木が糖尿で一気に衰えたから。
病気は仕方ない。
あと勢いやら輝きやら。
遡れば遡る程それが如実になるみたい。
猪木の場合は。
アリ戦以降の猪木は勢いや輝きが徐々に失せていったって意見が大半。
こちらもその頃は見てないから何とも言えないが。
でも色んな記者やら元レスラーも何人もそういう証言をしてる。
だからそれは的を得た事だろう。
83年に猪木がホーガンにKOされて猪木は終わったという意見が大半。
あれが自作自演だったとしても。
また自作自演ってのはだいぶ後になってから一般に知れ渡った事。
当時は誰もが猪木のアクシデントでKOと思った。
80年代後半は落日の猪木だろうなあ。 70年代の猪木はドリーっぽくて
80年代の猪木はテリーっぽい 全盛期の始まりは、1969年にワールドリーグ戦に初優勝してから、ではないか。
この後日プロ離脱まで、猪木はシングルでの負けを許していない。
(反則負けを除く) >>154
そうすると日プロ時代、
最後にシングル戦で猪木から
フォール勝ちを取ったのはボボ・ブラジルに
なるんだな(1969年11回ワールドリーグ公式戦)
その前は、68年〜69年3月まで、キニスキー、
Wスナイダー、デストロイヤーと言った
G・馬場のインター挑戦者にことごとく負けていたが。
(決まって、挑戦試合の直前に) 結局、猪木って、日プロを出て自分で新日を作る以外にはエースになる可能性なかったし、
本人もそれを自覚してたの?つまり、60年代からもう新団体設立を意識してたの?
それとも、
いつか馬場が引退したあとでエースになれると期待して、馬場のインター挑戦者に
負ける仕事をこなしてたの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています