70年代のアントニオ猪木 22 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
基本的に70年代の猪木について語るスレですが
マジなプロレス話であれば他の年代でもおkです。
前スレ
70年代のアントニオ猪木 21
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/wres/1402771498/ 【プロレス】<訃報>テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の解説者櫻井康雄氏死去 記者からプロレス名解説者として活躍©2ch.net・
http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1491947008/ このスレ待望の復活!
いつ以来?
てっいうかまだネタあんのか?ww 今年は 新日旗揚げ45周年。
猪木は29歳だった。
自分が29の頃って まだまだヒヨッコだったがなぁ。 Wリーグ戦に19歳で初出場。
ルー・テーズとも対戦。 大相撲などのガチのスポーツと違い、プロレスは強い=スターになれる
わけではないので若くしてトップに立つことは難しい。
猪木の場合、入門も早かったし運も味方して若くしてチャンスを掴んだ。
馬場にしても25歳で力道山とタッグを組んでメイン、翌年にはアメリカで
三大タイトル挑戦と既にトップについてることからこの両者の出世の早さは
格別だな。 強さだけなら大木。
若手時代は馬場も猪木も寄せ付けなかった。 モハメッド アリと闘っただけで凄いよ。
今のレスラーでいないだろ。 やっぱりジョニー・バレンタインとアントニオ猪木はかっこ良すぎ。 80年代になってしまうのかもしれないが、ローランド・ボックの欧州シリーズで、スイスの鉄人ジャック・デ・ラサルテーズと3試合だか5試合当たっているのだが、
何故か⁇まず語られることが無い。 馬場という目の上のたんこぶが居ながら
上下関係絶対のあの時代に日本プロレス内で
よく優勝できたもんだ NETの関係でしょう。
日テレのエース馬場、NETのエース猪木という2枚看板に仕立てるために、
猪木のポジションをあげる必要があった。 さて感性の鋭いフレッド・ブラッシーさんの馬場との付き合い、猪木との付き合いが気になってきた。 リング上なら相手がたとえお袋でも殺す、
確かにブラッシーの感性は素晴らしいね。 あ、やっぱり!私もフレッド・ブラッシーさん=潮健児さんだと思っていました。
若い頃のカール・ゴッチさんのポートレート=若い頃の平田昭彦さんとか。 農奴がブラジルから力道山を吸い馬場を喰いアリを頃し何十億も踏み倒す極悪人 梶原一騎に拉致られたって屁でもねえ 平壌で黒電話とスペシャルマッチ アフリカの大統領とか巨人俳優も喰らうとこだったなw 80年代前半、猪木さんが南の島(パラオか?)で
大勢の子供たちとキャンプをする番組が有りましたが
覚えている人いますか?
日曜の昼過ぎに放送されていたと思います。
単発の番組です。 >>25
肝試しの幽霊(役)をとっ捕まえて
さっきまでガクブルしてた子供達の前に突き出すシーンがあったやつですよね?
あのシーンは子供にとってとてもいい教育になってたと思う。
霊だとか祟りだとか目に見えない恐怖を煽られても、勇気を出して踏み込めば実はこんなもんだと。
実に猪木らしい。 アノキも一般の番組にも色々主演していた。
これもアノキの知名度がそれだけ浸透していたからだろう。
サカグやコバヤではそういうのは無理だった。 >>9
>大相撲などのガチのスポーツと違い
ここは突っ込むところだろ!?ww 危ないところにいくのと冷たい湖に入るのが大好きなアントニオ猪木 ハンセンとカナダでやった時,湖で泳いだんだっけ。あれ⁈違う? >>36
多分正解だったと思う
真冬の湖クロールで泳いでいたよな いまでは氷風呂に入ってる猪木だが しかし湖で泳いだことなど良くお二方覚えてたね 俺は、すっかり忘れてたよ 猪木、帰国! 北朝鮮「核開発は続けます」 なにしに行ったんですかーっ!! [無断転載禁止](c)2ch.net [952522887]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1505109510/ >>37
昭和45年のワールドリーグ前の合宿で
3月の氷の張っている河口湖でも泳いだことがある 第12回ワールドリーグといえば、馬場が前年のリベンジで優勝したんだったな。
代わりに秋のNWAタッグリーグは猪木の優勝。
そうした図式が出来上がりつつあったのかなぁ。 httas.//m.youtube.com.watch >>41
日テレとの関係で馬場を持ち上げ、NET(現テレ朝)との関係で猪木を持ち上げる。
UNタイトルも猪木のシングルタイトル戦がNETには必要だったから。
インタータッグではパートナーが馬場だったからNETで放映できなかったからね。
吉村と組んだアジアタッグだけじゃイマイチだった。 日プロ末期は 馬場人気にも翳りが見えて
猪木も まだまだ爆発的な人気は無かった。
というかプロレスそのものが下降気味だった。
日プロ分裂も必然だったかも。 猪木の馬場への挑戦表明のインタビューの全文を読んでも
団体内の日本人対決や他団体との対抗戦まで言及してるけど
今なら当たり前に実現してることばかりだからなあ 猪木は外国人と対峙しても見劣らない体格を備えた、カッコいいテクニシャンという感じ。
スピードとバネがあり特に強力なブリッジはアピールポイント高かった。
日プロ末期では若いファンや子供のファン層では既に馬場を追い抜いていた感。タッグでも役割がほぼ互角になってきていたしね。
倍賞美津子との派手な結婚は大きかった。あれがワイドショーや雑誌で引っ張りだこになり、一般的知名度も飛躍的に上がった。
新日でも旗揚げ直後あたりは日プロ猪木の延長だったが、次第に「闘魂」を売りにして野性味が押し出されると共に垢抜けて洗練された感じもした。
ストロング小林との試合あたりが心技体が備わった全盛期(完成型)だと思う。 倍賞美津子の演技力に影響されて結婚後に飛躍的に表現力が向上したって話がある
離婚の時に「美津子は自分の最大のライバルでもあった」と言ってたし 今日はビール瓶が大きな話題になってるが
昔の写真を見てたら
クラッシャーリソワスキーがビール瓶が何本も入ったバケツで
猪木の後頭部を思い切り叩きつけてる写真があってビックリ 俺は 昔 新日に来日したバッド バッド ロレイ ブラウンが,試合前のパフォーマンスでビール瓶を頭で割ろうとして失敗し 流血していたのを思い出した。 ワープロクラシックで71年のマードック戦を見た
おもしろかった
体格いい >>52
猪木,マードックに押され気味だったよね。 >>52
あの試合の裏では
会社内のゴタゴタが凄まじかったと思うけど
よくあれだけの試合が出来るもんだ 村松さんの猪木アリ戦に関する本が出ましたね。
力の入った本のようですよ。 >>56
「私 プロレスの味方です」を出した頃は、「反則負けでもいいからアリを倒して欲しかった」
と言ってましたよね、村松さん。
今回の本では そのあたりの見解はどうなんだろう? 79年夢のオルスのときはジャイバとアノキが対決したら70パー以上がアノキの勝利。
または引き分けでもアノキ攻勢でジャイバ劣勢の試合展開に。
そういう予想だったらしい。 79年と言ったら 馬場はデストロイヤーに星を譲ってるね。
レイスからはNWAタイトル獲ったり、微妙な立ち位置だなぁ。 年頭のボブ ループ戦を除けば、一連の格闘技戦や日本人対決,ブリスコ戦、ローデス戦など ほぼ完勝で来たからねぇ、79年。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています