★1981年の全日本プロレス★ [無断転載禁止]©2ch.net
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創立10周年の記念すべき年に、新日本との外国人レスラー引き抜き戦争勃発とニアミス興業合戦。
観客動員では新日本の後塵を拝することも多かったが、最後の最後で大逆転が!
まさに激動の一年となった1981年の全日本プロレスを語りましょう。 >>269
外人を活かせなかったのは新日も同じこと、というか新日の方がひどい。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 81最強タッグ最終戦は12・13だったっけ?
ハンセンのまさかの登場→乱入の この年は年頭から“新鮮?異色?斬新?な顔合わせ”が多かった。 ジミースヌーカがカッコイイ
背は小さいが貫禄がある
今のチビ選手たちはジミースヌーカを見習え シン 上田
シーク ルーイン
ラシク クラップ
ブロディ スヌーカ
悪のチームが勢ぞろいしたタッグ戦。
開幕戦からワクワクしたな。
入場式での全参加チームの顔合わせ。
これが最強タッグの醍醐味だった。
ブロディがヒール枠だったんだよな。 外人に関して、前年まででブッチャーやファンクス、マスカラスらの商品価値はほぼ潰えるがブロディはまだまだ力不足、
降って湧いた引き抜き合戦で転入してきたシン(上田)だが新鮮味でインパクト不足。で、極めツケでハンセン。あれで全部ひっくり返ったなw
脇を固めたRスティンボートやスヌーカが光った。それ以外は相変わらず良くも悪くも安定した外人勢だったと思う。
日本勢は天龍の急成長かやっぱ。79年の凱旋は酷かったからなw 以下の石川や佐藤、元国際の井上と原らを加え
中堅が充実の気運を高めた。でもまあ、日本人人気ってのは親日とは雲泥の差だったなw >>281
でもゴングにはシン(と上田)は大活躍という評価だった。
ブッチャーの穴埋めの役割を全うした、と。
またブロディに関しても全日のエース外人に相応しくなった、と。
ブロディこそ全日のエース外人を決定させたシリーズだった、とも。
シークはこれで時代が終わり、とあり、それが現実になった。
後々にFMに来日したものの全日は結果的にこれが最後の参戦に。
ハンセンかくとくでもはやシークは必要なくなったのもわかる。
でももう少し参戦してシンとの抗争やハンセンとの異色対決も見たかった。 >>282
ゴング〜竹内〜全日解説・・、まあいいやw 81年のブロディは確かにシリーズごとに成長したと思うけど
ハンセンと比べても当時の時点では名勝負製造機じゃなかったし、集客力でもね。
ブロディの真価は鶴田のライバルになってからだな。 憎しみあってたように見えた馬場と大木が組んでシーク、スタイガー組に勝利 >>280
最強タッグには、何故か「最悪漢賞」なる賞があったな。 >>285
82年は上田・Sデストロイヤーが最悪漢賞だったな。
この年は参加7チームが全部何らかの賞を貰ってた。 37年前中学生の餓鬼が人生で一番熱く燃えた昭和56年だなあ。 81年6月〜12月はブッチャーとハンセンが居ない半年だった。
ポストブッチャーとしてブロディ、シーク、シンが活躍。
ブッチャー無き後にブロディをポストブッチャーにしたて(ようとし)た。
引き抜いたシンを新たなヒールの看板としてファンクスとも対戦させた。
ブッチャーと共にヒールの両横綱のシークもそのまんまの立ち位置で使い。
でもハンセン獲得で現実的にポストブッチャーは必要なくなった。 ルーインは最強タッグで馬場、鶴田とシングルやってるけど、いずれも両リンだったはず。まだ格は保っていたんだよな。テレビにはほとんど出なかったのが残念。 >>291
開幕戦の暴れっぷりは期待されたんだけどな。
フィニッシュのパイルドライバーは絶品だった。 >>290
この時の半年間こそまさに全日本どころか日本プロレス史上最も長い半年間だったかもな
六月の時点で既にハンセン移籍の内諾はあったといえ新日本からの巻き返しの可能性もあったわけで
それを意識してかブロディのインター獲得とか十周年記念興行の開催とかあらゆる布石を打ったわけで
そしてまたこの時期に田園のアンドレ戦でハンセンが更に商品価値を上げたのも重要 >>290 >>293
まあそれでも81年10月の蔵前興行合戦はブッチャーもハンセンもいなかったが馬場の招聘力(シャレかw)で
豪華な外人を揃えた。今でこそハンセン=全日のイメージは確固たるものだが、このときは全くそれ以前の話。
ただね、そんな外人揃えても猪木VS木村のほうが後世、名を残すのよ。。ちなみに10・8の親日の外人の扱いって
ハンセン&ホーガンの相手がブラボーと長州なんだからw 10月にすでにハンセンが全日にいればねえ。。もっと拮抗できたかもね。 まずハンセン抜きであれだけやれたのが重要
とにかくブロディにインターを一度取らせる事でハンセンに対し実績的にある程度対抗させたという意義は大きい メインの馬場 ブルーノ×シン 上田は10周年にしてはインパクト弱いという意見があった。
最初は『は?』だった。
ブルーノやシン上田はネームバリュームでも十分だろと。
でもシンと上田はそれまでの全日の10年の中では確かにインパクト弱い。
シンはまだ移籍間もない。
上田は初期全日に上がってた事実はあるが、金髪ヒールとは全く別人同様。
でも内容は濃くて良かったと思う。
またこの時代は必須アイテムの《両リン》や《反則》《無効試合》があった。
特にシンや上田の試合でまともな決着なんて有り得ない。
相手が中堅格下ならともかく馬場 ブルーノでは。
そういう結果は子供ながらに見えたが。
でも結果云々ではないし。 双方とも混成友情コンビだったんだよな
あと上田としては蔵前のメインで自分を使わせることで八年前の戦力外の屈辱を晴らした印象 >>297
カード決定に際してデラプロでは双方友情コンビ同士の激突と銘打っていた。
友情度合いは双方互角。
しかしタッグのコンビネーションとなれば初タッグの馬場ブルーノよりシン上田が上回ると。
しかし正義は負けられないという責任感で馬場ブルーノは絶対に負けられないとも。 馬場・ブルーノvsブロディ・ホーガンになる可能性があったんだよな。 >>29
春から引っ張ってるブロディとドリーのインター戦は外せない。 この10・9をゴールデンで放送して欲しかったなあ。
でもまだ土曜トップスペシャルはなかったか。
実際にこの蔵前大会ならゴールデンでも視聴率取れたと思うわ。
カードが豪華すぎる。
しかしテリーとレイスが四大マッチから溢れて6人タッグで井上が四大マッチに。
井上も国際から移籍したばかりで晴れ舞台を用意された。
それにしてもテリーとレイスが6人タッグって…
確かその6人タッグはこうだったはず。
テリー、天龍、原VSレイス、スミルノフ、デヌーチ >>303
当日は金曜だから木曜スペシャルじゃあ遅すぎるか。 10・9蔵前大会は三週に分けて放送されたね。
一週目はドリー対ブロディとフレアー対鶴田
二週目が馬場、サンマルチノ対シン、上田と他会場からの試合
三週目がマスカラス対井上と他会場からの試合
せめて二週に纏めて、テリーとレイスの6人タッグマッチも放送してほしかったものだ。 鶴田のNWA戦は、機運高まってただけに最後の結末は本当ガッカリ…。子供ながら、小遣い返せよ的な苛立ちが。 豪華なメンバーが揃いすぎてた。
地方でも凄いカード続出。
テリー マスカラス 鶴田のトリオやテリー マスカラスのコンビ。
レイス スヌーカやブロディ 上田。
試合結果見てると毎日がテレビマッチに相応しいカードばかり。
ハンセン移籍前の全日は客入りが悪いと言われていた。
でもこのシリーズと翌81年最強タッグは別だろう。
何しろ蔵前四大マッチにテリーとレイスが外れてしまうんだから。
むしろテリーとレイスを含めて五大マッチにすれば良かった。
テリー 天龍×レイス スヌーカとか。
いずれにせよテリーとレイスが外れていたのは勿体ない。
これは前日の新日の蔵前にも劣らない。
新日のカードがショボく見えた。
まあ新日は猪木×木村一本の勝負だったが。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
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1H9GT >>306
このカードのピークは翌々年にメインでやった時だろう
あそこで取れなかった時にああこれで鶴田のNWA奪取は終わったと思った >>305
あのメインはシン・上田のお披露目でもあった。
シンはサマーアクションで3試合やったが。
でもあれはプロローグ。
あの蔵前での試合が事実上のシンの全日デビュー戦だと思ってる。
そしてシン・上田のセットでもあり。 レイス参戦は「結局ホーガン来ず」を受けてのリザーバー的なものだったから
特にカードも用意されていなかったし
あのメンバーならどうしても要るものじゃなかった。
今、考えるとサンマルチノ+レイス組なんて見てみたかったねえ。 全日にブッチャーとハンセンが完全にいない期間。
1981年5月〜1981年12月
でもこれだけの超豪華メンバー集結。
ここにもしニック シーク リッキーがいたら完全に全日外人オールキャスト。
彼等がいなくてもじゅうぶん超豪華だったが。
そういえばニックは81年は来日してないか。 ニックは前年末と翌年初だったんだよな
その間にAWAに返り咲いてたし 引き抜き戦争では幻の参加発表も残念であり楽しみでもあったな。
ハルクホーガンは勿論、夏シリーズのエルソリタリオ
新日本だったらテッドデビアス
贅沢な企業戦争時代を共有できて本当によかった。 連投すまん。
年代は違うけど1982か1983の春シリーズになぜかダイナマイトキッドの参加が
発表されて流れていたよなあ。
デラプロかなんかの月刊スケジュールにもキッド記載されていたけど
自然と消えた。 >>311
あの試合が開始するまでの流れは、昭和全日本の隠れた名シーン。
・馬場、サンマルチノに敬意を表して、ノーガウンで入場
・カメラが入場の背後からシンを追いかける臨場感
・シンが通路の客を殴りながら、不意打ちをかけるように升席に雪崩れ込み
・馬場、サンマルチノがサーベル、竹刀を奪い取りリング上で臨戦態勢
ちなみに勝利者賞100万円がかけられていた。 >>311
同時に八年前に戦力外通告された上田にとっての見返しの舞台でもあった
確かこのコンビでの蔵前メインは四年前の黄金コンビとの北米タッグ以来か 蔵前でのブロディのドリー撃破は印象
強かった。デラックスプロレス誌で
「新日全日の蔵前決戦両日で、最も
インパクトを与えた男」として扱われたし、
村松友視もビッグレスラーで「ブロディが
ついに伴侶発揮した試合」と絶賛していた。
この時点でブロディがブレイクしたのは
大きかったね。ハンセン合流前に 81最強タッグ蔵前で客席でハンセンに小突かれた
赤い服着たヤツはまだ生きているんだろうか? ドリーとブロディのインター攻防はいろいろと分かり易くて好きだった
特にドリーのスピニングトーホールドをブロディが思い切り蹴飛ばす定番とか プロレス初観戦が2月11日の流山市民総合体育館でした。観衆3500人。
当時は6列目でも3000円でした。
外人バスから黒い革のコートで降りてきたハーリーレイスのカッコよさは鮮明に記憶に残ってます。
カードは馬場、鶴田対レイス、コックス
戸口対マードック ドスカラス、石川対ツインデビルスでした。
その日から今でもプロレスにハマっております。 >>326
渋いメンバーだ。
“カンザス・ブレーンバスターズ”とでも名付けたくなるw シークもシンと激突したこの年の最強タッグが最後の来日だったか >>329
正確には最後の全日。
その後FMWに上がってるから。 昭和全日スレで81年最強タッグの話題になってるが。
この年はブッチャーとハンセンがいない唯一の最強タッグ。
でもヒール揃いで面白かった。
放送して欲しかったカード。
ブロディ組×シン組
シン組×ラシク組
シーク組×ラシク組
ブロディ組×シーク組
他にも放送して欲しかったカードは幾つもあるが。
ファンクス×シーク組も見たかった。
あとレイス組×シン組も。
この年の最強タッグはシンとブロディの活躍で盛り上げたと雑誌でも書いてあった。
最後のハンセンのサプライズは除いて。
MSGタッグより最強タッグの方が明らかに盛り上がったと思う。
ハンセンのサプライズを除いてシリーズ通して見ても。 ジャンボ鶴田が善戦マンと呼ばれてて、赤と青の星マーク付いたパンツ履いてた頃か、懐かしいな >>333
当時、小学生で悪党レスラーを本だけでしか見てなかった自分には夢のようなシリーズだった。
個人的にはラシク、クラップが好きだったなぁ ラシク&クラップは5年遅かった。
全盛期で考えるなら10年遅かった。 >>336
ラシクもクラップもそんな年ではなかったのにね。
ラシクなんてこんとき41だから今の棚橋と同じか。
こんときの上田も41だからやはり今の棚橋と同じ。
昔の人が老けてたのか棚橋がガキっぽいのか。 >>317
あるいはこの辺りでギャラを巡って新日本と揉めてたわけか ガラケーは来るな
こう言いたいんですね
わかりました この年の最強タッグでチーム組んだシークとルーインなんかデトロイトでの仇敵同士なのによく仲間割れしなかったな >>342
ルーインが最強タッグ初参加って意外だ。
イヤウケアあたりと参加させれば良かったのに。
でも大物達の影に隠れてしもうたな。
シン、上田との対戦でもシンに遠慮?が見えた。
シンとルーインは71年頃にオーストラリアで共にファイトしていた。
ようつべでも幾つか当時の試合が白黒だが、ある。
・ベビー軍
ルーイン
ミラノ
イヤウケア
・ヒール軍
シン
ブッチャー
フジ
貴重な映像だな。
メンバーも凄い。
シンとルーインはまだ来日前だ。 ガラケーは相変わらずスルーされてますね
私が何か悪いことしましたか? >>341
ギミック上の対立関係どころかガチで反乱起こしたブルックスとさえ組んだ
シーク様だぞw
当時のゴングあたりでは優勝賞金目当てのルーインとシンに一泡吹かせたい
シークの思惑が一致したとか書いてたなw この年の最強タッグで仮にシンとシークが予定通りコンビ結成になったとしてもシークはやはりお払い箱になったか シンは前シリーズで既に上田と合体していたから、最強タッグで上田と別れてシークとコンビを組む必然性はないと思った。
シンとシークの対立を煽るためのシナリオだったのではと今は考えている。 最終戦でのシーク・コールの爆発は凄かった
惜しくも次の大ハプニングに消されてしまったが コックス、シーク、ルーイン、ラシク、クラップ...この年が最後の来日 シーク、ルーインは他団体で来てる
全日限定の話ならクラップは最後も何もこの年の最強タッグしか来てない ジノヘルナンデスも最後の来日だった
あと伊藤正男も ザシクとタジェシの抗争ではゼンニプロレファンはザシクを支持。
移籍直後のタジェシはシンニプロレのイメージが強かった。
試合後に乱入したザシクがジャイバやジャンツを助けた形にもなり。
それでタジェシとウマノスを蹴散らして。
この試合前にザシクが乱入してタジェシに返り討ちに遭った。
そのリベンジという図式にもなり。
まあスタハのゼンニプロレ登場でザシクは必要無くなったんだろう。
ザシクとアブチャの抗争ではアブチャがベビフェ的な立場に。
でもザシクとタジェシの抗争ではザシクがベビフェ的な立場になった。
ゼンニプロレ時代では最初で最後のザシクコールだっただろう。 思い出したようにはじめやがって。
一貫性がないからテメエの人間性と一緒で薄っぺらでクソつまんねぇんだよ。
とっとと消えて無くなれ。 札幌のシンxシークは消化不良だったな。キズを付けたくないのは分かるが... >>355
でも結果はシンのリングアウト勝ち。
取り敢えず決着。
普通ならあの手の試合は両リンが妥当だが。
ひょっとしたら全日は既にシークに見切りを付けていたのかも。
様々な面で。
それでシンにリングアウト負けにして。
もう次はないと。
まあ引き抜いてブッチャーの後釜扱いのシンと当時のシークでは仕方ないね。
ファン目線からしたらシンとシークの抗争は続くと思ってたけど。
シークもまだ需要はあったと思う。
シークならシン以外でもジョーやスミルノフとの絡みも見たかった。 >>357
しかし10年後にFMWで復活したのは驚き
FMWは凶器が過激だから、別の意味では全日時代以上に凄みが増したともいえる
それに対戦相手が基本は大仁田だから、その心もとなさもシークを等身大以上に見せていた、これはポーゴも同じだけど
川崎球場でのvsテリー戦なんて両者ともすげえ生き生きしてたしね
インディー乱発には当時から批判もあったけど
リバイバルの功績は大きかったと思うよ、WINGではジプシー・ジョーの冠で興行やったり
IWAでは旧全日系の外人オールスターでトーナメントやったり 81年の10周年記念大会と記念ジャイアントシリーズ。
これって歴代最高のメンバーを集めた超豪華シリーズだったと思う。
それまでの主役のブッチャーとその後の主役のハンセンがいないというのも意外だけど。
しかしブッチャーやハンセンがいないにも関わらずあれだけのメンバーを集結。
当時の常連でいなかったのはシーク、ロビンソン、ニック、スレーター、カマタくらい。
まあこの時点ではシン、上田、ブロディ、スヌーカ、フレアーはまだ全日での歴史は浅かったが。 >>359
ホーガンとカーペンティアが当初の予定通りに来てたら最高だった 10周年記念のときはアブチャとスタハがいなかったか?
でもあれだけのメンバー呼んでゼンニプロレも金掛っただろな。
ジャイバがよく金を惜しまず出したもんだと。
まあゼンニプロレ10周年記念だからか。 全日本のリングならサンマルチノ、レイス、ニック組という三大世界王者トリオもできたのにね。 84年にレイス・ニックが実現したけどちょっと遅かったもんな >>360
ホーガンはともかくカーペンティアは要るかな。
マスカラスとシングル?
それとも井上? >>365
来日発表されたときゴングはデストとの因縁を煽ってたな。 かつてレイ・スチーブンスが全日に参戦したときはデストとの因縁は強調されたんだろうか
スチーブンスに足首折られたことが、長期欠場とその保障をめぐって当時参戦してたAWAで
ガニアと揉め、それが全日に長期滞在する原因のひとつだったくらいだから >>357
ギャラの問題だろうね ブッチャーがいなくなったからといって下げる訳にはいかないし
ドリーだってある日突然切られたし もしハンセンが来なかったら82年の最強タッグは
ブロディ+スヌーカ
シン+上田
ファンクス
レイス+誰か、なんて感じだからなあ。
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