★1981年の全日本プロレス★ [無断転載禁止]©2ch.net
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創立10周年の記念すべき年に、新日本との外国人レスラー引き抜き戦争勃発とニアミス興業合戦。
観客動員では新日本の後塵を拝することも多かったが、最後の最後で大逆転が!
まさに激動の一年となった1981年の全日本プロレスを語りましょう。 >>213
82年は馬鶴龍の1ヶ月にわたるアメリカ遠征があったから、シリーズの順番が変わったんだよな。 81年 ジャイアントシリーズは歴代最高の超豪華メンバー集結。
十周年記念シリーズっちゅうのもあったから。 >>215
81年エキサイトはコックスが久々のフル参加でマードックとともにエースを
張った最後の来日だったんだよな。
あの時50歳だったのに、馬場にブレーンバスターを見事に決めた安定感は素晴らしい。
馬場vsレイスのように古典芸能のような流れるような安定安心した試合展開。
まるで日プロ時代に戻ったかのようなレトロ感溢れる空間だったよな。
そしてマードックとのKKK&ブレーンバスター師弟コンビ。
さすがにここへブッチャーを絡めるような危険なアングルはありえないだろうが、
コックス&マードックvsブッチャー&シーク、見てみたかったな。
あまりに危険な試合だがw テリーの著書によるとコックスはこの帰国後に全日本は潰れると吹聴したとか 全日本の地方会場って、テレビ中継でも客席が暗くて寒々とした雰囲気だったな。
でもそれが地方らしくてよかった。
開幕戦と最終戦後楽園ホールの明るく満員の会場との落差が好きだった。 >>219
レイスも特参で来日してたんで、欲を言えばレイス&マードック&コックスのトリオなんか見たかったなぁ。 >>222
シリーズ中、レイス対マードックのノンタイトルながらシングル組まれていたから、一応両者は敵対の立場だったみたい。
コックスはレイス、マードックそれぞれとチームを組むニュートラルな立場だった。 レイス&マードックって魅力的なチームだな。
確か二人とも初来日が一緒だったはず。 レイス・マードックともに日本流で言ったら「ファンク一家」なんだよな。
両人ともファンク一家とは交流が深い。
コックスもそう。
コックスのイメージって、若いファンクスの爺やみたいなw
74年頃だったか、スレーターが初来日した時、頻繁にコックスはファンク兄弟と
タッグを組んでた。
ファンクス=ベビー、コックス=極悪ヒールのイメージなんだけど、これが
またタッグを組んでも違和感ないのが不思議w
マードックとなればそれ以上にファンクスと組んだら息ぴったり。
まるで従兄弟同士のような関係だが、そのマードックもマリガンやブルックス
みたいな無頼漢と従兄弟同士で、74年にはその従兄弟と一緒に来日して
タッグ組んでる。
こうしてみると日本においてベビーの究極のファンクスと、ヒールの究極の
コックスが近い関係で、その中間的なラフファイターのレイスとマードックが
いるというのが面白い。 野外会場とブロディの組み合わせって何か新鮮なイメージが。
チャンピオンカーニバル参戦の時かな? 81年はブロディが本格的に売り出された。
でもハンセンの移籍で食われた。 ブッチャーを新日本に引き抜かれてお返しに年末最強タッグの時にハンセン奪う年だっけ。
ジェットシンも82年から全日本参戦かな。シンはもっと前から馬場とつるんでた記憶だっ
たが、伊勢丹、猪木怒りの腕折り····やっぱ新日からスタートしたレスラーか。 >>232
ブッチャー新日移籍
1981年6月
シン全日移籍
1981年7月
ハンセン全日移籍
1982年1月
ブッチャーの直後にシンが全日に移籍した。
ハンセンはその年に12月の最強タッグ最終戦に乱入。
翌年1月に正式に登場した。
色々な本によると裏ではシンより先にハンセンの移籍が決定していた。
でも新日との契約という義理を果たす為にハンセンは82年からと。
新日との契約が残ってるのに全日には上がれないという。
新日との契約が切れてまじめできっちり筋を通した上で全日に登場。
ハンセンは81年いっぱいは新日との契約が残っていたみたいで。
シンに関してはいつまで新日との契約があったのかはわからない。 1981年6月25日 クラマでスタハ、タジェシ、アブチャが控え室で揃うチャンスだった。
後々にゼンニプロレではこの三人はリングで揃ったが。
でもこの時代のシンニプロレでこの三人がリングに揃う絵を見たかったなあ、お前ら。 全日はアニバルも引き抜いたな。
3月に新日本参戦後、8月に全日本に参戦。 >>237
アニバルが全日本の提携先だったEMLL所属だったから全日本に出場しただけでしょ。
たった1回しか新日本に上がってなく、たまたま同じ年に両団体に上がったから引き抜きと思われた。 >>238
1981年当時アニバルはメキシコではUWA所属でしたよ。 >>238
アニバルは当時UWA所属でしたよ。
だから一応引き抜き。
体もそこそこ大きくていいレスラーでしたけどね。
一緒に参加したワグナー父とマスク売りにウツツを
抜かして馬場に嫌われちゃった。 1981年の全日は色々あったな。
戸口、ブッチャー、マードック離脱
ハンセン引き抜き
国際崩壊で井上、原、若手が加入(若手が少なかったので良かった)
天龍が戸口の穴を埋めるべく第3の男として浮上
新NWA王者フレアー来日 この四大マッチは凄かった。
テリー、レイスが四大マッチから外されるというのも凄い。 >>243
4大マッチにマイティがいるという。
力道山13回忌でも大木、ブッチャーらを抑えてWメイン第1試合がヒロ・マツダvsマイティだった。 アニバルが全日に参戦して新間が怒って2度と新日のリングに上げないて怒ってたね アニバルの風車式バックブリーカーは銭とれる技だったよね。
今新日本にメキシコからレスラー来るけど
アニバルやワグナー父のようなタイプはいなくて寂しいな。 アニバルが参加した夏のスーパーアイドルシリーズで、
チャボ・アニバル・ワグナーのトリオが実現したが相手が馬場・鶴田・ドスカラスだった。
メインがマスカラスとリッキーのシングル戦でTV中継もあった ハリレやテリファを差し置いてマティイが四大マッチに入ったってのもなあ…
マティイはミルマ相手だったが。 >>250
多分、時期的にマイティ井上の事だと思う。
自信ないけど イノウだよイノウ。
4大マッチでイノウはミルマとシングル。
ハリレとテリファを差し置いて だぞ。
コクサプロレ崩壊でイノウやアシュハはゼンニプロレに。
しかしイノウ如きで好待遇すぎる。
他にジミスやアレスもいた。
まあこの10周年記念大会は本当に豪華だった。
アブチャとスタハが居ない中間の時期だ。 >>252
この中間期にブロディを強く推した意義は大きい この年は俺のプロレス人生最大の熱き年だったな。
まさか最後にハンセン参戦とは考えもしなかったよ。 スパイクヒューバーとか全日に呼ぶ気なかったのかな?体と顔つきが良く。ちょっと小柄だったかな? 全日本の系譜は20世紀後半、戦後から「9年毎」に地殻変動が起こっていた。
1945年 終戦
1954年 力道山のプロレス初興行
1963年 力道山死去
1972年 馬場、日本プロレス離脱、全日本プロレス設立
1981年 プロレスウォー(引き抜き合戦)
1990年 天龍他大量離脱
1999年 馬場死去 >>257
スパイク・ヒューバーってディック・ザ・ブルーザーの娘婿だっけ? シンが全日移籍時のマネージャー役だったボビー・ヒーナンは、シンが帰国した後も引き続き選手として全日に参戦していたんだ >>262
最初からシリーズ参加メンバーに入ってたと思う。 このサマアシリーズはディクス、ビルロ、トアカ、グレマ、ラリズ
ルファジョ、ボビヒに突如参戦のタジェシ。 今日はw1で興行がある 両国はに出場するはずの関本の名前がある
これで試合開始は早くても19時、移動に疲れて良い試合は無理だろう
そのあとまだ2試合あるから20時30分頃終了か 80年代初頭の全日はそれなりの味があって俺も好きだったわ。
でも外人が揃っていながら上手く活かせなかったんだな。 >>269
外人を活かせなかったのは新日も同じこと、というか新日の方がひどい。 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 81最強タッグ最終戦は12・13だったっけ?
ハンセンのまさかの登場→乱入の この年は年頭から“新鮮?異色?斬新?な顔合わせ”が多かった。 ジミースヌーカがカッコイイ
背は小さいが貫禄がある
今のチビ選手たちはジミースヌーカを見習え シン 上田
シーク ルーイン
ラシク クラップ
ブロディ スヌーカ
悪のチームが勢ぞろいしたタッグ戦。
開幕戦からワクワクしたな。
入場式での全参加チームの顔合わせ。
これが最強タッグの醍醐味だった。
ブロディがヒール枠だったんだよな。 外人に関して、前年まででブッチャーやファンクス、マスカラスらの商品価値はほぼ潰えるがブロディはまだまだ力不足、
降って湧いた引き抜き合戦で転入してきたシン(上田)だが新鮮味でインパクト不足。で、極めツケでハンセン。あれで全部ひっくり返ったなw
脇を固めたRスティンボートやスヌーカが光った。それ以外は相変わらず良くも悪くも安定した外人勢だったと思う。
日本勢は天龍の急成長かやっぱ。79年の凱旋は酷かったからなw 以下の石川や佐藤、元国際の井上と原らを加え
中堅が充実の気運を高めた。でもまあ、日本人人気ってのは親日とは雲泥の差だったなw >>281
でもゴングにはシン(と上田)は大活躍という評価だった。
ブッチャーの穴埋めの役割を全うした、と。
またブロディに関しても全日のエース外人に相応しくなった、と。
ブロディこそ全日のエース外人を決定させたシリーズだった、とも。
シークはこれで時代が終わり、とあり、それが現実になった。
後々にFMに来日したものの全日は結果的にこれが最後の参戦に。
ハンセンかくとくでもはやシークは必要なくなったのもわかる。
でももう少し参戦してシンとの抗争やハンセンとの異色対決も見たかった。 >>282
ゴング〜竹内〜全日解説・・、まあいいやw 81年のブロディは確かにシリーズごとに成長したと思うけど
ハンセンと比べても当時の時点では名勝負製造機じゃなかったし、集客力でもね。
ブロディの真価は鶴田のライバルになってからだな。 憎しみあってたように見えた馬場と大木が組んでシーク、スタイガー組に勝利 >>280
最強タッグには、何故か「最悪漢賞」なる賞があったな。 >>285
82年は上田・Sデストロイヤーが最悪漢賞だったな。
この年は参加7チームが全部何らかの賞を貰ってた。 37年前中学生の餓鬼が人生で一番熱く燃えた昭和56年だなあ。 81年6月〜12月はブッチャーとハンセンが居ない半年だった。
ポストブッチャーとしてブロディ、シーク、シンが活躍。
ブッチャー無き後にブロディをポストブッチャーにしたて(ようとし)た。
引き抜いたシンを新たなヒールの看板としてファンクスとも対戦させた。
ブッチャーと共にヒールの両横綱のシークもそのまんまの立ち位置で使い。
でもハンセン獲得で現実的にポストブッチャーは必要なくなった。 ルーインは最強タッグで馬場、鶴田とシングルやってるけど、いずれも両リンだったはず。まだ格は保っていたんだよな。テレビにはほとんど出なかったのが残念。 >>291
開幕戦の暴れっぷりは期待されたんだけどな。
フィニッシュのパイルドライバーは絶品だった。 >>290
この時の半年間こそまさに全日本どころか日本プロレス史上最も長い半年間だったかもな
六月の時点で既にハンセン移籍の内諾はあったといえ新日本からの巻き返しの可能性もあったわけで
それを意識してかブロディのインター獲得とか十周年記念興行の開催とかあらゆる布石を打ったわけで
そしてまたこの時期に田園のアンドレ戦でハンセンが更に商品価値を上げたのも重要 >>290 >>293
まあそれでも81年10月の蔵前興行合戦はブッチャーもハンセンもいなかったが馬場の招聘力(シャレかw)で
豪華な外人を揃えた。今でこそハンセン=全日のイメージは確固たるものだが、このときは全くそれ以前の話。
ただね、そんな外人揃えても猪木VS木村のほうが後世、名を残すのよ。。ちなみに10・8の親日の外人の扱いって
ハンセン&ホーガンの相手がブラボーと長州なんだからw 10月にすでにハンセンが全日にいればねえ。。もっと拮抗できたかもね。 まずハンセン抜きであれだけやれたのが重要
とにかくブロディにインターを一度取らせる事でハンセンに対し実績的にある程度対抗させたという意義は大きい メインの馬場 ブルーノ×シン 上田は10周年にしてはインパクト弱いという意見があった。
最初は『は?』だった。
ブルーノやシン上田はネームバリュームでも十分だろと。
でもシンと上田はそれまでの全日の10年の中では確かにインパクト弱い。
シンはまだ移籍間もない。
上田は初期全日に上がってた事実はあるが、金髪ヒールとは全く別人同様。
でも内容は濃くて良かったと思う。
またこの時代は必須アイテムの《両リン》や《反則》《無効試合》があった。
特にシンや上田の試合でまともな決着なんて有り得ない。
相手が中堅格下ならともかく馬場 ブルーノでは。
そういう結果は子供ながらに見えたが。
でも結果云々ではないし。 双方とも混成友情コンビだったんだよな
あと上田としては蔵前のメインで自分を使わせることで八年前の戦力外の屈辱を晴らした印象 >>297
カード決定に際してデラプロでは双方友情コンビ同士の激突と銘打っていた。
友情度合いは双方互角。
しかしタッグのコンビネーションとなれば初タッグの馬場ブルーノよりシン上田が上回ると。
しかし正義は負けられないという責任感で馬場ブルーノは絶対に負けられないとも。 馬場・ブルーノvsブロディ・ホーガンになる可能性があったんだよな。 >>29
春から引っ張ってるブロディとドリーのインター戦は外せない。 この10・9をゴールデンで放送して欲しかったなあ。
でもまだ土曜トップスペシャルはなかったか。
実際にこの蔵前大会ならゴールデンでも視聴率取れたと思うわ。
カードが豪華すぎる。
しかしテリーとレイスが四大マッチから溢れて6人タッグで井上が四大マッチに。
井上も国際から移籍したばかりで晴れ舞台を用意された。
それにしてもテリーとレイスが6人タッグって…
確かその6人タッグはこうだったはず。
テリー、天龍、原VSレイス、スミルノフ、デヌーチ >>303
当日は金曜だから木曜スペシャルじゃあ遅すぎるか。 10・9蔵前大会は三週に分けて放送されたね。
一週目はドリー対ブロディとフレアー対鶴田
二週目が馬場、サンマルチノ対シン、上田と他会場からの試合
三週目がマスカラス対井上と他会場からの試合
せめて二週に纏めて、テリーとレイスの6人タッグマッチも放送してほしかったものだ。 鶴田のNWA戦は、機運高まってただけに最後の結末は本当ガッカリ…。子供ながら、小遣い返せよ的な苛立ちが。 豪華なメンバーが揃いすぎてた。
地方でも凄いカード続出。
テリー マスカラス 鶴田のトリオやテリー マスカラスのコンビ。
レイス スヌーカやブロディ 上田。
試合結果見てると毎日がテレビマッチに相応しいカードばかり。
ハンセン移籍前の全日は客入りが悪いと言われていた。
でもこのシリーズと翌81年最強タッグは別だろう。
何しろ蔵前四大マッチにテリーとレイスが外れてしまうんだから。
むしろテリーとレイスを含めて五大マッチにすれば良かった。
テリー 天龍×レイス スヌーカとか。
いずれにせよテリーとレイスが外れていたのは勿体ない。
これは前日の新日の蔵前にも劣らない。
新日のカードがショボく見えた。
まあ新日は猪木×木村一本の勝負だったが。 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
1H9GT >>306
このカードのピークは翌々年にメインでやった時だろう
あそこで取れなかった時にああこれで鶴田のNWA奪取は終わったと思った >>305
あのメインはシン・上田のお披露目でもあった。
シンはサマーアクションで3試合やったが。
でもあれはプロローグ。
あの蔵前での試合が事実上のシンの全日デビュー戦だと思ってる。
そしてシン・上田のセットでもあり。 レイス参戦は「結局ホーガン来ず」を受けてのリザーバー的なものだったから
特にカードも用意されていなかったし
あのメンバーならどうしても要るものじゃなかった。
今、考えるとサンマルチノ+レイス組なんて見てみたかったねえ。 全日にブッチャーとハンセンが完全にいない期間。
1981年5月〜1981年12月
でもこれだけの超豪華メンバー集結。
ここにもしニック シーク リッキーがいたら完全に全日外人オールキャスト。
彼等がいなくてもじゅうぶん超豪華だったが。
そういえばニックは81年は来日してないか。 ニックは前年末と翌年初だったんだよな
その間にAWAに返り咲いてたし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています