ボブ・バックランドとは何だったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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>>91
初来日の時はアマレスの猛者とは思えない、ひ弱な体型してたよ
ニューヨークじゃマッチョじゃなきゃ受けないからステで鳩胸出っ尻体型にしたんだろ そもそもグレコはまだしも、フリーってスープレックスを使う競技か? >>94
ネックブリーカーの受身(笑)
馬場がキレ気味だな >>94
こんな塩でよくニューヨークの帝王になれたな ビンスシニアの夢
自分の生きている内にこういう正統派の王者を持ちたいという >>94
ほんとにアマレスやってたんか?ってなダブルアームだな。
アントニオドライバーみたいになってんぞ。 84年のブラディファイトシリーズで藤波とシングルやった時のドロップキックは結構凄かった覚えがある。 >>105
長すぎたショートアームシザーズ(キーロック)か 新生U初参戦で高田に負けは俺的に予想外の結末だったわ。
前田はともかく高田になら勝ちは固いだろうと。
猪木とシングルで61分フルタイムドローの頃の幻想は粉々に打ち砕かれたのであった。 みぞおちに当たった写真なのに
何故か急所抑えて悶絶とは。。。 1979年12月にボブバックランドとタイガージェットシンの異色の夢の対決が実現。
別冊ゴング誌にはこの試合の宣伝記事があった。
ボブバックランドとタイガージェットシン、二人はこれまで接点がなかった。
タイプは異なるが、共にアントニオ猪木の強力なライバル。
ただ両者は全ての面で水と油。
そして試合展開予想も書かれていた。
タイガージェットシンが奇襲のターバン攻撃でボブバックランドを締め上げる。
場外に落ちたボブバックランドを鉄柱に叩き付けてイス、ビール瓶で乱打。
ボブバックランドは大流血。
リングに上がって大流血のボブバックランドにチョークで締め上げる。
そしてコブラクロー。
しかしボブバックランドは渾身の力でツーカウントで跳ね返す。
ボブバックランドの反撃が開始。
タイガージェットシンの巨体をアトミックドロップ。
更にはバックドロップ。
ボブバックランドの猛攻でタイガージェットシンも流血。
最後は両者ダウンでダブルノックアウト。
こんな予想展開が書かれていた。
実際にはニコリボルコフがチェーンを持って乱入してボブバックランドの反則勝ち。
また直後に坂口征二が乱入してボブバックランドを救出。
何とも昭和プロレスリングらしい内容と結末だな。 >>103
技巧派とは名ばかりの単調なパワーファイター。 王者時代、あの童顔とそのギャップのある肉体に
ババアやオカマちゃんの絶大な支持があったんだっけ? バックランドにもっとプロレス脳があれば新日のテリーになれたかもしれん。 1985年に全日本参加が発表されながらキャンセルとなったけど
参加してほしかったな。
鶴田との絡みは見たかった。 バックランドは全日に行っても埋没してしまったような気がする。 >>118
1984新日本ブラディファイトシリーズに参加した際に次回は全日本と
宣言したよ。
で、1985エキサイトウォーズに参加発表
週プロとか専門誌でも報道されたよ。
でもなぜかキャンセル。
6月の武道館で対ジャンボ戦内定していたのに
なぜか同時期IWGPに特別参加 >>120
そんな話あったっけ?
バックランドが全日に行ってたら、馬場の得意な、馬場、鶴田、天龍に三連敗で闘わずして勝つ。
馬場、鶴田、天龍>バッランド=猪木>藤波=長州 >>123
バックランドは>Billed height 6 ft 1 in (1.85 m)
以外の数字を見たことないな、新日に来てた頃の公称なら
6 ft 4 inになりそうなもんだが。
http://alchetron.com/Bob-Backlund-150084-W 第1回目のアルティメット大会に無理矢理出してみたいな
意外と強かったりしないのかね? 初期アルティメットは技術より喧嘩度胸みたいなとこ有ったしどうかなあ >>127
多分タップしてからプリケツでウォウォウごねるだけだったと思うぞ。 初代タイガーの大百科本で
強いと思うレスラー5人に名前をあげていた。
当時でも意外に思ったからいわゆる道場レスリングの実力あった人じゃないのかな 鶴田 ハンセンと同期だっけ? 他の二人に比べ
特徴らしい特徴ないんだよね スペックいいのになーんで新生u uインターに行ったのが疑問
試合見てたら絶対に合わんと思うのに >>114
ストロング姐さんが戦ったとき
姐さん試合中ビンビンだったらしい >>131
ようつべで海外?のシングルみたけどちゃんと受けやってるんだよね WWFと業務提携し、藤波と一緒にMSGブランドを日本のファンにアピールするには適任だったのでは?ビリー・グラハムよりはマシでしょw >>133
新倉がその話をしてたな
敗北後にリング上で恍惚の表情だったんで必死に笑いを堪えたとか バックランドは世界王者枠の扱いだった。
でもベルトを失ってからはただのいち外人に。
元から集客力があったわけでもないし。 ボブバやダスロは会場人気あっても集客力はなかった。
だから82年頃には事実上のリストラ。
日本人対決路線がヒットしたからなあ。
高い銭出してまで集客力ない外人は切るのは当然。
残ったのはホーガンやアンドレという集客力ある外人達。 >>140
お前、俺が日本人抗争を「収益力向上」と書いた他スレ見てさも自分の考えかの
ように得意げに語っているよなw
何が「ボブバ」「ダスロ」だよw
お前ごときに時代や企業戦略を検証する能力などあるわけない。
日本人抗争?お前みたいな阿呆が支持してくれるお陰で、今のプロレスの素敵な
姿があるんだろう。
別に俺は今のプロレスに愛着は全くないから、プロレス自体がなくなっても
構わんがね。可哀相だな、今のレスラーは、とお前とともに哀れみだけは言って
おこう。 日本じゃ同じカテゴリだけど
アメリカではどうだろうな
あっちでもバックランドは
いい子ちゃん過ぎて人気がなかったらしいが >>140
そこは『ハルホ』とか『アザジ』とか呼べよ、もっとこだわれよ! 同意。
ボブバ ダスロ
アンドレ ホーガン
どっちかに共通しろよ。
中途半端だろが。 ジャックブリスコを破りミズーリ州ベビー級王者になった注目のホープって記事とグラビアを月刊プロレスでみてスターになると思った。 >>145
1982年8月5日の蔵前での試合(飛龍十番勝負第6戦=WWFヘビー級選手権)
1984年8月31日の南足柄でのシングルの方を指す人もいるけど
こちらの試合は実況の古舘が盛んに「長過ぎたショートアームシザース」の話をしていた割に藤波がキーロックを仕掛けていた時間は意外に長くない
>>147
試合スタイルや選手としての特徴はむしろファンク道場の同門でもある鶴田の方に似ているような
一つ一つの技は綺麗に決めるけど試合全体の組み立ては下手な所とか
所謂マットレスリングの攻防が好きで寝技に自信を持つ半面サブミッションのスキルはそれ程でもない辺りが特にね 第2次Uで、高田に負けた後の「え、これで終わりなんで」って、表情が凄く印象に
残ってる。演技のできる人とは思えないし、あれは何だったんだろ。
道場でのスパーで高田がバックランドに勝ったから、高田の勝ちブックにしたとかいう
話しがあったけど、実際どうだったんだろ。 あのムチムチした身体と
プリケツはたまらんかったな
よくおかずにしたわ 高田vsバックランド戦は嫌いじゃないがそんなに面白い試合じゃないな シンニプロレはボブバをテリファみたいにしたかったらしい。
でもボブバではテリファほどのセンスがなかった。
むしろダスロの方がテリファに近かった。
特にタジェシやスタハにボロボロにされたりと。 当時のWWFってエスニックやマイノリティ相手の商売だったから
ゲイをターゲットにするためにバックランドをチャンピオンにしたんだっけ 何となくだけど
ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ >>154
そのあたりにボスがビンスシニアからジュニアに代わったからな。 全米侵攻を始める上で「バックランドじゃダメだ」って事で
ホーガンにタイトルをまわしたからね
ホーガンへのつなぎ王者は当初はM・スーパースターの予定だったが
バックランドが「レスリングの下地が無い男にタイトルを渡したくない」と
主張してつなぎ王者はアイアン・シークに変更になったんだそうだ ボブバのこだわりでマスパーはWWF巻けなかったのは気の毒だな。 >ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ
それはないな。
そもそもWWWFはサンマルチノやビリーグラハムといったボディビルダー系力自慢がメインでやってきた団体で
ハルク・ホーガンはその流れ。
きっちりレスリングができる童顔のバックランドがむしろ一人だけ異端だった。
プロレスなのに、毎日数時間もガチなトレーニングして
移動時もカバンに重りを入れて鍛えていたバックランドは、レスラー仲間から変人扱い。 ちなみにプロレスには、ちょくちょく道場破りというか
あちこちの腕自慢が「プロレスラーなんてホントは弱いんだろ?俺と勝負しろや」と殴り込みに来てたそうだが
その時に迎え撃ってガチ勝負して倒す役目(シューターという)だったのがバックランド。 マスクドスーパースターが繋ぎ王者予定だったとは知らなかった ボブ・バックランドは、アマレス出身のストロングスタイルのレスラーと
いうイメージがあったので、パワーレスリングが主流のWWWFでチャンプに
なった時は、その意外性に驚いたし、MSGの客に受けるのかなと思った。
ただ、これで新日に来てくれれば、猪木とのシングルマッチが実現するし、
そうすると、異種格闘技戦やシン・上田とのラフファイトが主流で、ロビ
ンソン戦以降、技の攻防を見せる試合がなかった猪木の、ハイレベルなス
トロングスタイルの試合が久々に見られるなと、結構期待したな。
な ボブバはプロレ脳が足らなかった感じがする。
テリファやダスロの 方がプロレ脳があった。 バックランドもプライドが邪魔していた部分もありそう。 猪木もロビンソン戦までのような技巧派ファイトは出来なくなっていた バックランドはトレーニングの虫の変人って紹介されてたけどプロレスラーがトレーニング好きで何が悪い ボブバは世界王者だから参加は無理だろ。
優勝はできないんだし。
WWF王者が優勝できなければ立場ない。
ゼンニプロレのチャンカーでハリレやニクボが参加しなかったのもそれだろ。 世界王者はそういうリーグ戦は参加しても優勝できないと厳しいな。
ウォリアーズが最強タッグ参加できなかったのもそれが理由だったらしい。
タッグ専門のウォリアーズが優勝できなければ株が落ちる。
かと言ってウォリアーズを優勝させるわけにもいかなかっただろうし。
昔は反則や両リンありきだったから幾らでも何とかなったとは思うけど。 ボブバもハリレも優勝できないだけで評価が下がってもうちゃるかんな。
特にチャンカやエムエシリーズみたいなシングルの大会は。
サイキョタグリやエムエタグリならまだしも。
ボブバはアノキと組んでエムエタグリ優勝したが。
まあこの頃はボブバやりアノキが優勝しなければならん時代。
ハリレはサイキョタグリ4回?参加して優勝はなし。 ホーガン編に登場したバックランドは傲慢な人物像で描かれていたな。 バックランドは傲慢ってよりかなりルーズだった。
プロレスを舐めてたという記事もあった。
プロレスが本当の強さを求める世界ではなかったのが理由らしい。 かと言って本当の強さを求める世界だと通用しそうもないよね
前田みたいなもんか ダイナマイトキッドやブロディからもアホみたいに練習する人って言われてたからどのぐらいしてたんだろうな バックランドとブロディ
バックランドとマードック
これらの試合は見た記憶ないな。
タッグ シングル含めて。 週プロの表紙に
ハッキリした、バッグランドはもはや高田の敵ではない
みたいなこと書かれていたような気がする 仕方ないよ、業界あげてUWFの価値観を作り上げてったんだからさ >>161
NWAがブリスコ、AWAがガニア、ニックとアマレス出身の本格派王者がいたので
パワーファイター王者主体だったWWWFがバックランドに目をつけた。
ただ人気がないので興行メインはアンドレ、世界王者はバックランドという形式にした。
歌で言えば、人気の藤波の「マッチョドラゴン」、実力の健吾の「らしくもないぜ」みたいな感じ。 WARで北原とシングルを見た
バックをとってグランドへ
次の瞬間、関節をとられた >>179
ニックはアメフト出身じゃなかった?
舐められないようにレスリングを猛特訓したって何かで読んだ記憶が 師匠はニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 訂正
ニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 ルー・テーズの師匠ってエド・ストラングラー・ルイスじゃないの? >>185
最初はウォーレンでその後エド・ルイスと出会う。 >>183-186
ジョージ・トラゴスとアド・サンテルはウォーレンの後にテーズを指導した事になるの? アド・サンテルはデビュー前の10代の頃に教わってる。
16歳でのプロデビュー時のコーチがウォーレン・ボックウインクル。
20歳頃に教わったジョージ・トラゴスは相手の肩を極めて腕を切断に追い込んだ過去があり、
レスリングをそういう残忍なことをする手段として使いたくないと思ったらしい。
1937年に21歳で世界王者になる前にエド・ルイスがコーチ兼マネージャーとなった。 新生UWFに来日した時、高田の全然当たってないソバットに派手なバンプとったの見て
「うわー、困ったな」と思った >>26
昭和53年に物心があって記憶してるのが凄いわw 美人でスタイルもいいがヌケないAV女優みたいな存在だった。 あの弱い船木にもやられまくってたから弱いんだろうなあ。歳はいってたけどさ。 >>192
アマレスのトップクラスも関節ありでやると極められちゃう。
アマレスだと馳>健介だが、関節ありだと健介>馳。
アマレス出身の長州、中西、みのる、川田、三沢、高橋、ライガー、中邑・・・みんな極められてる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています