ボブ・バックランドとは何だったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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初期アルティメットは技術より喧嘩度胸みたいなとこ有ったしどうかなあ >>127
多分タップしてからプリケツでウォウォウごねるだけだったと思うぞ。 初代タイガーの大百科本で
強いと思うレスラー5人に名前をあげていた。
当時でも意外に思ったからいわゆる道場レスリングの実力あった人じゃないのかな 鶴田 ハンセンと同期だっけ? 他の二人に比べ
特徴らしい特徴ないんだよね スペックいいのになーんで新生u uインターに行ったのが疑問
試合見てたら絶対に合わんと思うのに >>114
ストロング姐さんが戦ったとき
姐さん試合中ビンビンだったらしい >>131
ようつべで海外?のシングルみたけどちゃんと受けやってるんだよね WWFと業務提携し、藤波と一緒にMSGブランドを日本のファンにアピールするには適任だったのでは?ビリー・グラハムよりはマシでしょw >>133
新倉がその話をしてたな
敗北後にリング上で恍惚の表情だったんで必死に笑いを堪えたとか バックランドは世界王者枠の扱いだった。
でもベルトを失ってからはただのいち外人に。
元から集客力があったわけでもないし。 ボブバやダスロは会場人気あっても集客力はなかった。
だから82年頃には事実上のリストラ。
日本人対決路線がヒットしたからなあ。
高い銭出してまで集客力ない外人は切るのは当然。
残ったのはホーガンやアンドレという集客力ある外人達。 >>140
お前、俺が日本人抗争を「収益力向上」と書いた他スレ見てさも自分の考えかの
ように得意げに語っているよなw
何が「ボブバ」「ダスロ」だよw
お前ごときに時代や企業戦略を検証する能力などあるわけない。
日本人抗争?お前みたいな阿呆が支持してくれるお陰で、今のプロレスの素敵な
姿があるんだろう。
別に俺は今のプロレスに愛着は全くないから、プロレス自体がなくなっても
構わんがね。可哀相だな、今のレスラーは、とお前とともに哀れみだけは言って
おこう。 日本じゃ同じカテゴリだけど
アメリカではどうだろうな
あっちでもバックランドは
いい子ちゃん過ぎて人気がなかったらしいが >>140
そこは『ハルホ』とか『アザジ』とか呼べよ、もっとこだわれよ! 同意。
ボブバ ダスロ
アンドレ ホーガン
どっちかに共通しろよ。
中途半端だろが。 ジャックブリスコを破りミズーリ州ベビー級王者になった注目のホープって記事とグラビアを月刊プロレスでみてスターになると思った。 >>145
1982年8月5日の蔵前での試合(飛龍十番勝負第6戦=WWFヘビー級選手権)
1984年8月31日の南足柄でのシングルの方を指す人もいるけど
こちらの試合は実況の古舘が盛んに「長過ぎたショートアームシザース」の話をしていた割に藤波がキーロックを仕掛けていた時間は意外に長くない
>>147
試合スタイルや選手としての特徴はむしろファンク道場の同門でもある鶴田の方に似ているような
一つ一つの技は綺麗に決めるけど試合全体の組み立ては下手な所とか
所謂マットレスリングの攻防が好きで寝技に自信を持つ半面サブミッションのスキルはそれ程でもない辺りが特にね 第2次Uで、高田に負けた後の「え、これで終わりなんで」って、表情が凄く印象に
残ってる。演技のできる人とは思えないし、あれは何だったんだろ。
道場でのスパーで高田がバックランドに勝ったから、高田の勝ちブックにしたとかいう
話しがあったけど、実際どうだったんだろ。 あのムチムチした身体と
プリケツはたまらんかったな
よくおかずにしたわ 高田vsバックランド戦は嫌いじゃないがそんなに面白い試合じゃないな シンニプロレはボブバをテリファみたいにしたかったらしい。
でもボブバではテリファほどのセンスがなかった。
むしろダスロの方がテリファに近かった。
特にタジェシやスタハにボロボロにされたりと。 当時のWWFってエスニックやマイノリティ相手の商売だったから
ゲイをターゲットにするためにバックランドをチャンピオンにしたんだっけ 何となくだけど
ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ >>154
そのあたりにボスがビンスシニアからジュニアに代わったからな。 全米侵攻を始める上で「バックランドじゃダメだ」って事で
ホーガンにタイトルをまわしたからね
ホーガンへのつなぎ王者は当初はM・スーパースターの予定だったが
バックランドが「レスリングの下地が無い男にタイトルを渡したくない」と
主張してつなぎ王者はアイアン・シークに変更になったんだそうだ ボブバのこだわりでマスパーはWWF巻けなかったのは気の毒だな。 >ボブ・バックランド以前とハルク・ホーガン以後が歴史の変わり目って感じ
それはないな。
そもそもWWWFはサンマルチノやビリーグラハムといったボディビルダー系力自慢がメインでやってきた団体で
ハルク・ホーガンはその流れ。
きっちりレスリングができる童顔のバックランドがむしろ一人だけ異端だった。
プロレスなのに、毎日数時間もガチなトレーニングして
移動時もカバンに重りを入れて鍛えていたバックランドは、レスラー仲間から変人扱い。 ちなみにプロレスには、ちょくちょく道場破りというか
あちこちの腕自慢が「プロレスラーなんてホントは弱いんだろ?俺と勝負しろや」と殴り込みに来てたそうだが
その時に迎え撃ってガチ勝負して倒す役目(シューターという)だったのがバックランド。 マスクドスーパースターが繋ぎ王者予定だったとは知らなかった ボブ・バックランドは、アマレス出身のストロングスタイルのレスラーと
いうイメージがあったので、パワーレスリングが主流のWWWFでチャンプに
なった時は、その意外性に驚いたし、MSGの客に受けるのかなと思った。
ただ、これで新日に来てくれれば、猪木とのシングルマッチが実現するし、
そうすると、異種格闘技戦やシン・上田とのラフファイトが主流で、ロビ
ンソン戦以降、技の攻防を見せる試合がなかった猪木の、ハイレベルなス
トロングスタイルの試合が久々に見られるなと、結構期待したな。
な ボブバはプロレ脳が足らなかった感じがする。
テリファやダスロの 方がプロレ脳があった。 バックランドもプライドが邪魔していた部分もありそう。 猪木もロビンソン戦までのような技巧派ファイトは出来なくなっていた バックランドはトレーニングの虫の変人って紹介されてたけどプロレスラーがトレーニング好きで何が悪い ボブバは世界王者だから参加は無理だろ。
優勝はできないんだし。
WWF王者が優勝できなければ立場ない。
ゼンニプロレのチャンカーでハリレやニクボが参加しなかったのもそれだろ。 世界王者はそういうリーグ戦は参加しても優勝できないと厳しいな。
ウォリアーズが最強タッグ参加できなかったのもそれが理由だったらしい。
タッグ専門のウォリアーズが優勝できなければ株が落ちる。
かと言ってウォリアーズを優勝させるわけにもいかなかっただろうし。
昔は反則や両リンありきだったから幾らでも何とかなったとは思うけど。 ボブバもハリレも優勝できないだけで評価が下がってもうちゃるかんな。
特にチャンカやエムエシリーズみたいなシングルの大会は。
サイキョタグリやエムエタグリならまだしも。
ボブバはアノキと組んでエムエタグリ優勝したが。
まあこの頃はボブバやりアノキが優勝しなければならん時代。
ハリレはサイキョタグリ4回?参加して優勝はなし。 ホーガン編に登場したバックランドは傲慢な人物像で描かれていたな。 バックランドは傲慢ってよりかなりルーズだった。
プロレスを舐めてたという記事もあった。
プロレスが本当の強さを求める世界ではなかったのが理由らしい。 かと言って本当の強さを求める世界だと通用しそうもないよね
前田みたいなもんか ダイナマイトキッドやブロディからもアホみたいに練習する人って言われてたからどのぐらいしてたんだろうな バックランドとブロディ
バックランドとマードック
これらの試合は見た記憶ないな。
タッグ シングル含めて。 週プロの表紙に
ハッキリした、バッグランドはもはや高田の敵ではない
みたいなこと書かれていたような気がする 仕方ないよ、業界あげてUWFの価値観を作り上げてったんだからさ >>161
NWAがブリスコ、AWAがガニア、ニックとアマレス出身の本格派王者がいたので
パワーファイター王者主体だったWWWFがバックランドに目をつけた。
ただ人気がないので興行メインはアンドレ、世界王者はバックランドという形式にした。
歌で言えば、人気の藤波の「マッチョドラゴン」、実力の健吾の「らしくもないぜ」みたいな感じ。 WARで北原とシングルを見た
バックをとってグランドへ
次の瞬間、関節をとられた >>179
ニックはアメフト出身じゃなかった?
舐められないようにレスリングを猛特訓したって何かで読んだ記憶が 師匠はニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 訂正
ニックの父のウォーレンはルー・テーズの最初の師匠。
ニックは父とルー・テーズからレスリングを教わり、15歳でのデビュー戦の相手がルー・テーズだった。 ルー・テーズの師匠ってエド・ストラングラー・ルイスじゃないの? >>185
最初はウォーレンでその後エド・ルイスと出会う。 >>183-186
ジョージ・トラゴスとアド・サンテルはウォーレンの後にテーズを指導した事になるの? アド・サンテルはデビュー前の10代の頃に教わってる。
16歳でのプロデビュー時のコーチがウォーレン・ボックウインクル。
20歳頃に教わったジョージ・トラゴスは相手の肩を極めて腕を切断に追い込んだ過去があり、
レスリングをそういう残忍なことをする手段として使いたくないと思ったらしい。
1937年に21歳で世界王者になる前にエド・ルイスがコーチ兼マネージャーとなった。 新生UWFに来日した時、高田の全然当たってないソバットに派手なバンプとったの見て
「うわー、困ったな」と思った >>26
昭和53年に物心があって記憶してるのが凄いわw 美人でスタイルもいいがヌケないAV女優みたいな存在だった。 あの弱い船木にもやられまくってたから弱いんだろうなあ。歳はいってたけどさ。 >>192
アマレスのトップクラスも関節ありでやると極められちゃう。
アマレスだと馳>健介だが、関節ありだと健介>馳。
アマレス出身の長州、中西、みのる、川田、三沢、高橋、ライガー、中邑・・・みんな極められてる。 >>194
実際に見たんかおまえ?
ネットとか雑誌で読んだとか言うなよおまえ(笑) >>194
実際に見たんかおまえ?
ネットとか雑誌で読んだとか言うなよおまえ(笑) でも冷静に考えると、年下の先輩である健介を立ててわざと取らせたんじゃないかって気もする 馳と健介が大学のレスリング部に練習に行って健介を転がしてたが、
馳が関節ありでやろうと言い出して、やったら悲鳴を上げまくって赤っ恥かいた。 ボブバはシンニプロレ時代に試合前の練習でボブバ教室を開いていたんだよな。
シンニプロレの当時の若手達に色々と教えて。 バックランドはパフォーマンスがちょっと・・・あの腰を振りながらピョンピョン飛び跳ねたり両ヒザついて
リング内を動き回るのが世界王者の品格を下げてたと思う 上は注意しなかったのかな?
猪木が過去のインタビューでバックランドの四つんばいになるパフォーマンスが嫌いだったといってたが
やっぱり周囲も気にしてたんだろうな バックランドは試合そのものは良かった ジャパニーズレッグロール
やアトミックドロップ、投げっぱなしダブルアームやジャンプして決めるパイルドライバー、90年代に必殺技
にしたチキンウィングフェースロックとか アメリカでは受けがイマイチだったみたいだがキラーカン戦とか
で見せたジャーマンスープレックスは見事だった アメプロ最高の使い手だったと思う ボブバはベビフェでも中途半端だったな。
テリファみたいなスーパーベビフェにはなれず。
むしろダスロがスーパーベビフェだった。
ダスロはシンニプロレのテリファ的な存在で。
でもダスロもテリファ程にはなれず。
タジェシ、スタハ、アブチャ相手にはダスロもスーパーベビフェになれた。
でも相手がヒールでないとダスロの魅力も発揮されず。 ボブバの時代にはいい子ちゃんキャラは通用しなくなってしまった バックランドとフレアーて試合したことあったかな?90年代WWFでいっしょになったよな
あとバックランドとサベージも見たことないなあ? >>202
チキンウィングフェイスロック1981年の暮れ辺りから使い始めたんだっけ?
この手のスタンディングスリーパー系の技は相手が苦しむ様が分かり易いからむしろ日本よりウケるらしいね
逆にジャンピングドライバーはアメリカではパイルドライバー自体がヒールの技というイメージが強いのと怪我のリスクの大きさを指摘されて80年後半ぐらいから使用頻度が減っていたような
>>202-203
その辺りの長所と短所はファンク道場同門の鶴田と被るんだよ
一つ一つの技はキレイだけど試合全体の組み立てや流れの構築は下手
客へのアピールやパフォーマンスも中途半端に大袈裟で何処かセンスがズれているのも一緒
>>205
有名なのは82年7月4日のNWAーWWFダブルタイトルマッチかな バックランドは90年代にWWFに復帰して、最初ベビーだったがヒールのミスターバックランドに
なった そのころWWFはオールアメリカン・レックスルガーの売り出しに躍起になってたが、バック
ランドがルガーと戦って、ルガーの二―リフトに大きくぶっ飛ばされてる姿を見て泣きそうになった
まぁ星条旗コスチュームに筋肉モリモリ金髪のルガーは見るからに派手で強そうで、なんとなく
貧弱になってしまったこのころのバックランドと比べても仕方ないかもしれんが、バックランドだって
ニューヨークの若き帝王とか言われてたころからまだ10年くらいしかたってなかったんだよこのころ
たった10年ほどでハツラツさが全然なくなってルガーふぜいの噛ませ犬やるなんて!試合は誰だったか
が乱入してきてそれに気をとられたルガーの隙を突いたバックランドがチキンウィング決めて勝ったんだけど
天下のバックランドがそんなセコイ勝ち方するようになったんか、と唖然としたわ ビンスシニアとジュニア、両方の時代でWWF世界王者なったのてバックランドだけじゃない? ボブバが王者時代に先代が亡くなったかあらね。
息子の政権になってすぐに王者から引き摺り下ろされた。
そして長い長いハルホの時代へと突入。 >>211
バックランドが王座陥落時にはシニアはまだ生きてたわ。
シニアは翌年のIWGPに来日後の次の訪問先で亡くなった。 あ、そうだったか。
呪われたIWGP
第一回はフラタ死去
第二回に先代ビンマ死去
第三回はヨシワ死去
毎年開催前にシンニプロレ関係者が亡くなってたという
しかもリングでも第一回はアノキがハルホにまさかの失神敗北
第二回はアノキとハルホの決着戦にチョリキが乱入でクラマ大暴動。 ちなみに第三回にはボブバも参加してんだよね。
ワカマと仲間割れしたスパマと好試合をしたり。
アンジャ、ディクマ、アドア、キンバ粒揃いだった。
ボブバはリーグ戦には入らず特別参加だったが。
ディクマとボブバの対決なんて見たかったが。
あとアノキ、ボブバ×ブルブ、ジミスも見たかった。
ブルブとボブバも対戦は記憶にないな。 ボブバとか言ってるニワカに語ってほしくないなぁ
絶対にその言い方は流行らないし聞いたことも無い
バックランドといえば一人しか居ないがボブバとか言われても
ピンとこないどころか解ってないやつに思われるだけ ジミー・バックランドはかつてのFMWの常連外人で
WWAじゃなくてAWA世界ライトヘビーな。 後のジミーデルレイだね。大仁田の女に手を出して逆鱗に触れ、来日が途切れたという。 かなりの変人で、空港で猪木とばったり会った時も
あいさつもせずに奇声を発しながら逃げて行ったって
デラプロに書いてたな ボブバもアマレでそれなりの実績あったからプロレを舐めていた節があったらしい。
先代ビンマに気に入られて長年ベルトは巻かせて貰えたが。
でも現代ビンマになってから負かせて貰ってからベルトとは無縁に。
現代ビンマはボブバよりハルホと。
結果的にハルホを全面的に売り出したのは功を制したが。
ステロ問題等も浮き彫りにはなったけども。 バックランドをグリーンの髪にしてパンク系ヒールにする計画があったな。
息子ビンズの発案で。
しかしバックランドが拒否してWWF離脱に。 >>222
変わり者とか通り越してね?
ドラッグでもやってたんじゃないの
当時のニューヨークだし 別冊ゴング80年6月号にバックランドはコーキー婦人同伴で来日。
かなりの美女で。
記事には美男美女と書かれていた。
このコーキー婦人はバックランドとローデスの試合を観戦。
ローデスの意外なラフ攻撃でバックランド大流血。
それを見てコーキー婦人は泣いていた、と雑誌に書いてあった。
またアンドレの試合では試合後に暴れるアンドレに驚いて控え室まで逃げてしまったとも。 アマレス王者って上手いっちゃ上手いけど(プロレス的にじゃなくレスリング的に)
人気は出ない感じ
カートアングルとかブロックレスナーもそうだし
実力派よりも演技派なのかな?特にアメリカだと。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています