もしも前田 高田 谷津が新日に残っていたら? [無断転載禁止]©2ch.net
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もしも前田と高田と谷津が離脱せずに新日に残っていたら? そしたら80年代前半〜中盤の新日の勢力図は大幅に変わっていただろう。 高田自体は問題ないけどみんな残ってたとして年功序列の問題もデカいかも 年功序列ばかりなら永源や栗栖が藤波木村の下になるかい 仕掛ける奴こそが新日の頂点にふさわしいなら、 小川こそが新日のトップに立つべし、って事になる 仕掛けられないヤツはストロングスタイルを継げないでしょ 仕掛ける前田を追放したアマレスあがりの言うだけ番長がいたらしい >>488 こんな馬鹿がまだ存在してるんだなw新日ファンは凄いなww 仕掛けるのがストロングスタイルとは思わんが、仕掛けられても対処出来るくらいの技量は欲しい。 前田だけだよ。 猪木の思考を慮ってみ? 馬鹿でもわかる話さ。 説明聞きたいなら、あした五反田に来い。 後継者は前田だったろう ただし俺らが知ってる前田じゃないよ 猪木に従順で蹴りもさほどではないコテプロする魅力いまいちな前田 それはもう前田じゃないな それはただのイケメンの田上だよw 前田はあの荒々しさが最高に魅力だったけど83サマーからしつこく続いた維新相手のつまらない試合で魅力が落ちた。 U構想がなかったら新日は逸材を粗大ごみにしてしまっていただろうな。 >>494 田上だって角界の玉三郎と呼ばれたイケメンだぞ。 (プロレス入りしてからもそのままマット界の玉三郎というキャッチがつけられた。) 前田が残ってたら86年IWGPリーグでは藤波に負け、87年には落選してそう。 それぞれ新日内で軍団のボスになってたかもね。 ・荒くれ者の前田軍団。 ・エリートっぽい高田軍団。 ・長州&藤波連合軍、辺りの三つ巴で抗争してたりして。 高田が新日に残ったままなら蹴りとは無関係なレスラーになる? >>501 しかも相手が前田のガチの蹴りを食らったら吹っ飛びそうな雑魚チビだもんな。 客分扱いだったカーンはまだしも。 アンドレやホーガンと渡り合った前田が浜口ごときに互角の戦いしなきゃならないなんて、 維新の格上げはほんとにイビツな構造になったわ。 >>500 前田すら一度も真一を出なきゃ巡業にミット持ち込んで蹴りこんだりしないだろうから 高田なら奇跡的な出会いでもない限りキックミットもって練習したりジムに通うことはないだろうね >>502 > アンドレやホーガンと渡り合った前田が浜口ごときに互角の戦いしなきゃならないなんて、 その当時の前田は渡り合ったなんていえる試合はまだしてない。 ただ試合をしたことがあるだけだから、浜口と変わらないレベルだろ。 浜口を雑魚呼ばわりできるほどの実績も実力も無かった当時の前田。 その前田に蹴られて痛い痛いと泣きわめいたチョン州w 83年のガチンコ強さ 前田>>>>>谷津>木村健>長州>>>>>藤波>早稲田大学プロレス同好会会長>>>>>浜口 ID:jPKfrHPCはただの前田信者だったか。話しにならないのも道理だなw ま〜前田はそれだけカリスマがあったからね。もちろん83年ではなくUから復帰のあとだが。 対する浜口にはカリスマのカの字もなかったな。 長州と藤波はともかく谷津とキムケンは浜口と同類だった。 もしも前田 高田 谷津が新日に残っていたら 武藤・超野・橋本の出世を遅らせ、彼らの大成は期待できなかったんじゃない? 前田 高田 谷津の衰退後、あっという間に中西・永田・テンコジに陣取られるだろ。 前田が最初に負ける後輩は橋本だろう。 号泣する橋本の手を上げる前田が思い浮かぶよ。 >>511 武藤はすんなり出世して高田とタッグ組んでたかも 蝶野は役回りが第二の木村健吾になりそうだったからその前提だったらそうだったかもね ただ木村健吾とちがってカリスマ性やセルフプロヂュース力があるから どこかでブレークしたかもしれないが >>513 維新になってからはシングルを回避されてるよ >>516 nWoの輸入なんてしたら前田がぶちギレそうw >>514 よく過小評価する人いるけど、 橋本とか川田は両親からもらったツラそのものは そうとう恵まれてるぞw 橋本はデブだから顔面偏差値低く見られるけど目鼻立ちはいいんだよなw デブ服カタログのモデルしてるの見たけどデブの中では顔面最上級だったな 橋本は色々と影響されやすい人だったが、あのマオカラーのジャケットは何に影響されたんだろう。 橋本が中国の少林寺に少林寺拳法の道着着ていくのなんで誰も止めなかったんだろう。 >>524 ジャージよりか何となく修行してるっぽく見えるから? >>525 そうなんだろうけど少林拳と少林寺拳法の違いを教えてやらないとw 橋本がベイダーサイズだったら凄いレスラーになったはず。 ただそれなりに動けたら。 それ誰でもそうやでw 俺やキミだってベイダーサイズで動けたらいいレスラーになれる確率高いわw 第一回G1 A:前田、武藤、藤波、船木、ノートン、ベイダー B:高田、橋本、長州、蝶野、船木、ビガロ こんな感じになってただろう >>529 G1じゃなくてIWGPがまだリーグ戦として続いてる。 蹴ればいいってもんじゃないw UWFの蹴りとは量もおもいっきりも違うだろ 痛めワザにすらなってない 普通の蹴りだけで相手を追い詰めたりとかしてないじゃん まあ後追いだから有名な試合しか知らんがな 橋本は『蹴って蹴って蹴りまくる王者になりたい』と言ってたな。 長州とのIWGPタイトルマッチ前に奪取宣言した上で。 まあこの試合では長州に破れてタイトルを奪取できなかったけど。 橋本は武者修行に出て以降殆どハードな練習してないみたいだな 練習したから勝つとかしてないから負けるとか直接は関係ないけど 示しがつかないし人はついて来なくなるよな どっちに知ろ人材がありあまってたらあまり重用されないかもね 橋本があれだけ大プレイクするとは思わなかったなあ。 スレタイの通りもし前田や高田がいたら橋本はあそこまでならなかったはず。 蝶野も。 橋本も蝶野も闘魂三銃士としての一員に選ばれたのが幸運だったな。 それがなければ橋本も蝶野もあそこまでならなかっただろうし。 武藤は三銃士関係なく売り出されただろう。 三銃士は体格に恵まれたからか先輩の佐野・畑をすぐに差し置いてテレビマッチ抜擢だもんな。 蝶野は少し遅いけど。 佐野と畑は性格が大人しすぎてプロレスに合わなかったのかもしれない。 結局三人とも活躍してたと思うけどな。 そもそも坂口が新人の時から目をかけてた三人だし、人材難で他から反対されようが海外遠征に強引に出したのも坂口。 坂口が作り上げた最高傑作はどういう時代になってようが誕生してたよ。 橋本は当時のヤングライオンの中で早いうちに外人勢との対戦が組まれるなど、 やはり糞度胸と破壊力を買われていたんだよなぁ。 人材不足だった85年、橋本の急な台頭は本当に有難かった。 >>539 畑は地味だけど佐野はかなり期待されてたぞ。 まあ、三銃士より一回り小さいからジュニアって感じだけど・・・ SWSで移籍しなければライガーのポジションにいたんじゃないかな? SWSでも批判される選手が多い中、数少ない好意的に評価されてた選手だし・・・ Uインターでちょっと埋没したのと、ノア移籍が決定的なミス。 >>492 性感マッサージ店の待合室で説明すんのか? >>542 結局 ライガーとベルト争ってた時期が頂点だったと思う 新日vsインターの試合は線香花火の最後の玉みたいなものだ >>542 佐野は84年のうちは山田と互角だったんだよね。 しかし翌年のYL杯で山田が下馬評3位につくが佐野は注目されず、 86年には橋本に抜かれ蝶野と同格だから、すでに三年で大差がついてたよ。 85年・・・本命小杉、対抗後藤、大穴山田 86年・・・本命後藤、対抗山田、大穴橋本 佐野畑蝶野>船木野上 ←ケロ評 山田はデビュー間もないころから人気出たよなぁ。 観戦した時は第一試合で山田登場だったけど、山田がドロップキックやったところでどよめいた。 山田佐野畑は三羽烏みたいに言われていた。 同期だし。 でも畑は早くに引退したものの50越えた山田佐野がいまだにリングに上がってる現実。 佐野は太り過ぎてカッコ悪いわ。北原みたいな見た目になったよな。 山田恵一は獣神ヨンダーライガーになって正解だったな。 もう27年も獣神ヨンダーライガー。 山田恵一の人生の半分以上も。 スーパーストロングマシンは途中下車して空白期間がある。 平田淳嗣が途中下車せずにスーパーストロングマシンを続けてたら30年コース。 こちらも人生の半分にと。 まあスーパーストロングマシンがマスク脱いで数年は平田淳嗣だったのはなかったことに。 何でもいいんだよ。 >>545 山田は出世が早く、ライガー以前からジュニアのトップに食い込んでいたけど、 ライガーから佐野がベルトを獲ったときに追いついた感じだったけどな。 あのまま佐野が残ってライガーと抗争続けてればペガサスとかのポジションになったかもしれない。 ライガー、佐野でヘビーに挑戦とか。 派手な新日の中で佐野が台頭するのは結構厳しかったと思うけどね その後どんどんいいレスラーが入ってくるわけだし >>552 佐野が残っていくのは難しかったとは思うが、期待されてなかったわけでもないだろ。 ジュニアで続けていけば金本くらいのポジションにはなったはず。 ヘビーだと確かに厳しいけどな。 野上や飯塚より上ではあるだろうが。 谷津嘉章はモスクアオリンピックでは金メダル候補だったんだよな。 史上最強のヘビー級と。 今やヘビー級で外国人と渡り合えるアマレスリング選手はいない。 谷津嘉章はそれだけ貴重な存在だった。 もしも日本がモスクアオリンピックに参加していたら谷津嘉章も出場。 金メダル、銀メダル、銅メダルいずれを取っただろう。 メダル云々ではなく、谷津嘉章がモスクアオリンピックに出場したらプロレスリングの世界には入らなかったかも。 それともアントニオ猪木が更にスカウトに力を入れて引き入れたか? 当時はレスリング出身のプロレスラーが沢山いた。 この時代はアマレスリングの次がプロレスリングという流れもあった。 サンダー杉山、マサ斎藤、長州力、ジャンボ鶴田 オリンピック出場経験者はその後はプロレスリングの世界に身を投じた。 谷津嘉章がモスクアオリンピックに出場してもその後はプロレスリングの世界に入ったかな。 仮に谷津嘉章が金メダルを取ってアントニオ猪木がスカウトしたら。 そうなればデビュー戦であれだけボロボロになる試合は組まなかったかも。 もっと大事に育てたかも知れない。 金メダル取ってたらジャイアント馬場もスカウトしたかも。 仮に谷津嘉章が全日本プロレスリングに入っていたらどうだったか? 1980年秋に全日本プロレスリング入り。 デビューは1981年夏頃か? 当時の全日本プロレスリングはジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、タイガー戸口がトップ。 天龍源一郎はまだまだ発展途上の段階。 まあ谷津嘉章が全日本プロレスリングでも、新日本プロレスリング同様で前座は経験しないだろう。 でもグレート小鹿あたりの嫌がらせを受けて。 ちなみにこの頃はアブドラーザブッチャーが新日本プロレスリングに移籍した。 そしてタイガージェットシンを全日本プロレスリングが引き抜いた。 そういう時期に谷津嘉章はデビューか。 まあ最初から全日本プロレスリングならもっと違う形で育てられたわけだが。 ジャンボ鶴田とアマレスリングコンビもあったはず。 実際より何年も早い段階で。 またファンクスに預けられただろう。 そこで1年くらいアメリカにいたかも。 デビュー戦もアメリカで。 形は違うが、新日本プロレスリングと同じく海外デビュー。 ザファンクスに預けられるのは当時の全日本プロレスリングの定番。 まして谷津嘉章みたいな立場ならば。 オリンピック出場しなくても。 谷津はモントリオール五輪出てるよガラケーおとーちゃん >>554 谷津は有力候補の1人って程度、前の年のアジア大会で優勝したけど、その大会に他の有力候補は居なかったという話。 例えるなら前走がシンザン記念に勝って皐月賞に挑むような感じか? フルネーム馬鹿は上っ面の知識とそれに基づく妄想しかできないんだよな。 谷津がジャパン所属&全日参戦中にアマレス復帰して 全日本選手権優勝したけど、新日所属だったら?とは考えてしまう。 間抜けな人なら「アマレス日本一がプロレスでトップになれないから やはりプロレスこそキング・オブ・スポーツ」。 良識ある人なら「そもそも格闘技に限らず、違うスポーツを 比較するのは無理があるということです」。 前田が残る=UWFが存在しないわけだから船木も残ってた可能性があるわけで そうなると90年代前半〜00年代前半までは高田船木武藤が軸だったことは間違いないな 高田の離脱前に決まってたカード (1984年)サマー・ファイト・シリーズ 開幕…コブラ&高田×キッド&スミス 札幌…キッド×高田 ※WWFジュニア (1988年)ファン感 大阪…藤波×高田 ※5分1本 (1988年)スーパー・ファイト・シリーズ 大阪…越中&高田&山崎&山田&星野×馳&小林&ヒロ&保永&佐々木 ※イリミネーション 高田対キッドって谷津戦の焼き直しみたいな 善戦するけど負けって感じになったんだろうか? 前田日明 高田延彦 船木誠勝 この三人が新日本プロレスリングに残れば歴史は変わってたな。 そこに武藤敬司が加わり。 そうなれば闘魂三銃士も誕生しなかっただろう。 そうなれば橋本真也 蝶野正洋 佐々木健介の出番なし? 主軸は前田日明 高田延彦 武藤敬司 船木誠勝だな。 もしその面子が新日本プロレスリングの主軸なら1990年頃にはどうなっていたか? そういう状況ならアントニオ猪木ももっと早くに引退したかもな。 まあ新日本プロレスリングがそうなら全日本プロレスリングも多少は影響は受けただろう。 でも全日本プロレスリングは三沢光晴がマスクを脱ぐ展開は変わらなかったはず。 その試合で谷津嘉章が三沢光晴からボコられるのも。 新日本プロレスリングは普通に闘魂三銃士が次々と帰国。 しかし全日本プロレスリングは三沢光晴がまさかのマスク脱ぎ。 こちらの方が衝撃的で話題性も満載だった。 全日本プロレスリングはそっから三沢光晴時代に。 ジャンボ鶴田が肝炎からセミリタイア。 新日本プロレスリングは長州力と藤波辰爾がいたから闘魂三銃士の真の時代ではなかったからなあ。 ファンクスはアマリロの興行権マードックとかに売ったんじゃないの >>555 谷津が全日入りしていたら、天龍より先にブレイクしていた可能性があるね。 感慨深い 谷津嘉章はスター性なかったなあ。 顔が絞まりない。 マスクマンになればまた違っただろうが。スーパーストロングマシーンもあの素顔じゃあダメだからマスクマンで正解。 あとは獣神ヨンダーライガーもだな。 前田日明や高田延彦は強さは別としてエースとしてのオーラや雰囲気はあった。 見た目ではエースの素質ありと。 高田延彦の場合はUWFインターナショナル以降だな。 新日本プロレスリング時代(外敵UWFとして)は前田日明>高田延彦だった。 しかしお互いに袂を分けた後の1993年頃なら高田延彦>前田日明だった。 強さではなくエースとしての資質は。 1993年頃の高田延彦は本当に光り輝いていた。 武藤敬司や三沢光晴よりも高田延彦が光り輝いていた。 この頃は三沢光晴も全日本プロレスリングのエースという立場になっていた。 武藤敬司は新日本プロレスリングの複数エースの中の一人。 高田延彦や三沢光晴は団体での絶対的エースっちゅう立場。 高田延彦はUWFインターナショナルは自分の団体。 三沢光晴は全日本プロレスリングのエース。 ジャンボ鶴田がセミリタイア状態になって、繰り上げ的な部分はあったが。 武藤敬司はそういう立場ではなかった。 今から思えば武藤敬司の扱いや立場は勿体なすぎた。 高田延彦に戻すが、この時代の高田延彦なら『最強』を掲げても違和感はなかった。 作られた試合(ブック破り)でも北尾光司を豪快にKOしたりと。 それなりに説得力もあった。 数年でボロが出たが。 でも高田延彦や前田日明はエースとしての雰囲気はあったからなあ。 WARvs前田船木とか見てみたかったなあ。 東京ドームで前田vs天竜、船木vs原(……) 猪木の後継者、新日エースとして考えると 藤波はうまいが外人相手だと小さすぎで腰痛後は技がなくなった。 長州は日本人相手だといいが外人相手だとダメ。 健吾は一度見たら忘れない顔だが、やられることで光る3番手。 谷津は顔と体と技など見た目がダサい。 カーンはアメリカならいいが、日本だと反体制派ヒールでエースは無理。 高田は細身でJr時代の藤波に近いので藤波路線では? 前田は体と技があるが受けが下手なのと無表情でイマイチ伝わらない。 ジョージは若手時代は猪木の後継者と言われたがコブラになって脱落。 武藤はのほほんとしていて気の部分で伝わらない。 蝶野は全てが中途半端でキャラだけ。 橋本は体型でアウト。 健介は大雑把で論外。 馳は五輪に出てるからエースにすれば説得力があったが便利屋だった。 越中はバッタばった斬られることで光る。 テレビ朝日としては高田には残って欲しかったのでは 第1次UWFには藤原との繋がりで移籍したのですか? 前田は見映えや派手さいいけどやんちゃさがテレビ向きじゃない 谷津は何で新日本だったのかなわからない あと金銭感覚が二人には欠けてそうからブック呑まない感じする >>573 タイガー無きあとのJRのエースは間違いなく高田だった。谷津とのシングルも絶賛され これから・・というところだったので残念だったよね 当時の高田は爆上げし過ぎていて実力と人気が噛み合ってなく無理があった。 前座で仲野、新倉、小杉に勝ててないんだから。 >>576 最後のシリーズIWGPでは先輩の保永にジャーマンでフォール勝ち リーグ戦に参加したクインとのシングル戦が組まれたり 前座で仲野、新倉、小杉と対戦することさえなかった そうか、IWGPシリーズが最後だったか・・ なんで移籍しちゃったんだろう 1984年 高田のVS仲野・新倉・小杉 全対戦 VS仲野 ○ 4/01 長野 ○高田、新倉(17:08 逆さ押さえ込み)栗栖、仲野● VS新倉 ○ 1/19 佐世 ○高田(10:23 逆十字固め)新倉● ○ 1/25 西脇 ○高田(10:07 逆十字固め)新倉● ○ 2/05 野辺 星野、○高田(13:07 体固め)永源、新倉● ○ 3/03 後楽 ○高田(9:54 体固め)新倉● − 3/04 後楽 ○木戸、新倉(12:47 体固め)高田、小杉● ○ 3/10 蒲郡 星野、○高田(12:56 体固め)永源、新倉● △ 3/15 水俣 星野・高田(20:00 時間切れ引き分け)木戸・新倉 ○ 3/17 奈良 ○高田(14:10 逆十字固め)新倉● ○ 5/28 浜松 ○高田、小杉(15:22 体固め)保永、新倉● VS小杉 ○ 1/03 木更 ○高田(8:00 体固め)小杉● ○ 1/26 大津 ○高田(7:57 逆十字固め)小杉● − 3/08 市原 ○栗栖、小杉(12:01 片エビ固め)高田、新倉● ○ 3/11 海南 ○高田(9:19 逆十字固め)小杉● △ 5/25 富山 高田・後藤(20:00 時間切れ引き分け)保永・小杉 − 6/07 宮城 ○保永、小杉(15:26 エビ固め)高田、後藤● 新日参戦時だって高田のIWGPジュニアV5はやり過ぎだよね。 奪取と陥落の試合含めれば7試合連続だし。 >>572 禿げなければ 武藤が一番後継者に 相応しかった。 プロレスの上手さが ダントツ。 ルックス、体格、 表現力、 どれをとっても後継者で申し分ない。 >>573 高田延彦、いやっ高田伸彦は前田日明との男の約束で1週間参戦。 1週間っちゅうか旗揚げシリーズ。 でも結果的に藤原喜明と共に旧UWFに移籍してもうた。 男の約束ってのが表向きだったのかも。 最初から旧UWFに移籍するつもりで。 1984年5月シリーズってのはIWGPシリーズ。 高田伸彦はこの時に参加してたっけ? 藤原喜明は参加していた。 参加というか普通に新日本プロレスリング所属として。 決勝戦に長州力が疑惑の乱入。 試合後の大暴動時に藤原喜明が『俺が長州力をブチ殺してやる』とマイクでアピールした。 雑誌に書いてあったのを覚えちょる。 高田伸彦も普通にいたかも。 その後に藤原喜明と高田伸彦は旧UWFに移籍。 そして秋には木戸修も旧UWFに移籍した。 前田日明と高田延彦は期待のエース候補扱いだった。 この二人が残ってればエースとしての道は確保されたはず。 期待通りにエースを全うできたかは別として。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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