【平 淳】スーパーストロングマシン2 [無断転載禁止]©2ch.net
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スーパーストロングマシンはスーパーストロング平田にすれば良かった。 スーパーストロングマシン平田淳嗣
甥・平野幸村(本名・平田直幸)の同棲相手はLIGHT BRINGER Fuki(本名・佐藤蕗子)
LIGHT BRINGER
平田淳嗣の甥、平野幸村(平田直幸)とFuki(佐藤蕗子・天外冬黄)の同人サークル
Unlucky Morpheus 最初、若松がキン肉マンを匂わせて連れてきたが、高杉セブンのように、
平田がマシーンを連れて来たら、もっと混乱しただろう。 ストロングマシーンの正体が平田淳二とわかってた人は混乱しただろうな。
でも正体がわからない人には無意味。
ストロングマシーンは顔全体がマスクで覆われていたからわからなかった。
俺は子供だったからわからなかったなあ。
ザコブラや二代目タイガーマスクはすぐにわかったが。
やっぱり顔全体をマスクで覆うのは斬新なアイディアだと思った。
正体がまじわからないから。
少なくともマスク超しからは判別不可能。
体の特徴や動きは別としてね。
※それこそアンドレザジャイアントみたいなのは例外。
まあ平田淳二のインタビューは紙のプロレスで読んだ。
ガチンコで新日本プロレスリングに反発。
キン肉マンがボツになり、ストロングマシーンに。
でも平田淳二自体が『スーパーストロングマシーンで良かった』と言ってる。
1990年4月27日にNKホールでザコブラとのシングルマッチは見たかったなあ。
ジョージ高野は新日本プロレスリングからSWS移籍は失敗だったと思う。
あのまんま新日本プロレスリングに残った方が良かった。
そうしたらザコブラとしてファイト続けたかも。
それか武藤敬司のザグレートムタみたいにたまに変身だったかも。 平田「テストのときは大田区体育館の前を行ったり来たりしていたんですけど、
チケット売り場の人に「山本小鉄さんに呼ばれてきたんですけど」
って声をかけたら小鉄さんのところに連れて行ってもらえて。
そこで小鉄さんに初めてお会いしてお話を聞いたんです。
「俺も新聞配達をしながらジムに通って……」と俺の境遇と同じなんですよね。」
――小鉄さんはシンパシーを感じたんでしょうね。
平田「「じゃあテストをやるぞ」ってことでスクワットをやらされたんですよね。
でも、50回くらいしかやらなかったんですよ。」
――あ、1000回じゃなくて。
平田「腕立て伏せも30回くらい、反復横跳びは1分くらい。
それだけしかやらなくて入門できたのは俺だけだと思うんですよ。
あのとき隅で荒川(真)さんがテストを見ていたんですけど、
小鉄さんが「おい、いいのが入ってきたぞ」で合格ですよ(笑)。」
――拍子抜けしますね(笑)。
平田「というか、ほかのテスト内容は知らないから「こんなものなのか」って思っちゃったんですけど。
小鉄さんは見ればわかるんですよ。
俺も足の運動を何回か見たら「あ、コイツはできるな」ってわかりますよ。」
――1000回やらせなくても技量がわかるんですね。
平田「そうなんですよ。でもまいったのは、テストを見ていた荒川さんが控室に戻って、
ほかの若手たちにとんでもないことを言ったんですよ。この話、知ってます?
――「三浦友和似のとんでもないバケモノが入ってきた」ってやつですよね?(笑)。
平田「そうそう(笑)。まだデビューしていない前田日明やヒロ斎藤に「凄いのが入ってきたぞ!」と。
「ジャンピングスクワットを1000回くらい簡単にやって、
腕立て500回を10分くらいでやって、
しかも顔は三浦友和で腹筋はバリバリに割れているぞぉ!」と(笑)。」
――ハハハハハハ! さすが荒川さん、盛りますね(笑)。 大昔のプロレス大百科の類いで平田淳二のプロフィール。
『どうしてもプロレスラーになりたくて道場前で土下座して入門したエピソードがある』と。
もちろん元全日本プロレスリング練習生っちゅうのは書いてなく。
それを知ったのは何年か前の紙のプロレス誌でのスーパーストロングマシーンのインタビュー記事。
あれは驚いたわ。
でも昔の全日本プロレスリングの映像を見ると平田淳二らしき若手が映っていた。
ジャイアント馬場がジャックブリスコからNWA世界ヘビー級タイトルを奪取した試合。
あれは1974年かな。
平田淳二の話でもその位の時期に全日本プロレスリングにいたみたいだし。
ただ平田淳二が新日本プロレスリングに入門した時にそれを知っていた人間はいなかったのかな?
平田淳二は全日本プロレスリングではデビュー前に怪我で辞めてたからな。
そのお陰で名前が浸透しなくてすんなり??新日本プロレスリングに入門できたのか?
それとも知られていたが、敢えて口外しなかったのか?
平田淳二自身はもちろん、関係者も。
それが報道されたら平田淳二もやり辛かっただろうし。
だからスーパーストロングマシーンとして全日本プロレスリングに上がっても評価低かったのか?
ジャイアント馬場のスーパーストロングマシーンの評価は低かったから。 40代でもきれいなブリッジで魔神風車を鮮やかに決めてたよな
大きな体で肉もついていたが橋本みたいにデブと言う印象は無い
基本がしっかりしてるのとトレーニングの賜物だろう >>160
確認したら確かにリングの向こう側にずっといる >>161
同意。
平田淳二 いやっ 平田淳嗣 いやっスーパーストロングマシーンは本当にブリッジがキレイだった。
体の張りも凄くて。
腕の太さ、胸板の厚さ、肩の盛り上がり具合、あの体であれだけキレイなブリッジ。
橋本真也はそこまではできなかったし。
それに橋本真也は完全なおデブちゃん。
しかしスーパーストロングマシーンはおデブちゃんでも締まっていた。
ガチンコでパワーもあったし。
あの体だからパワーがあって当然。
天山広吉が帰国する時に『ガッシリした体型を目指してきた』と。
天山広吉の中にはスーパーストロングマシーンみたいな体が理想だったみたい。
でも天山広吉は胸板の肉が付きにくいらしい。
本人が当時の雑誌のインタビューで言っていた。
でも腕を太くできたから良かったとも。
でも天山広吉もスーパーストロングマシーン、こん時ゃ平田淳嗣と並ぶと体に差があったが。
>>162
平田淳嗣 いやっ、こん時は平田淳二、リングサイドにいたよね。
ジャイアント馬場がジャックブリスコからNWA世界ヘビー級タイトルを奪取した試合で。
あの映像見て、耳が大きくて間違いなく平田淳二だと思った。 スーパーストロングマシーンはタイガージェットシンと体型が似とると思った。
でもスーパーストロングマシーンは相当な練習をしてきたのだろう。
そしてあの巨体であれだけキレイなブリッジ。
魔神風車固めもガチンコパワーとブリッジができてるからあれだけキレイに決まった。
スコットノートンすら魔神風車固めで投げるガチンコパワー。
スーパーストロングマシーンこそもっともっとそういう部分を評価されるべきだった。
1990年頃は橋本真也 武藤敬司 蝶野正洋の売り出しばかりで肝心な部分を疎かにして。
スーパーストロングマシーンの体こそ正にプロレスラー。
特に1990年以降のスーパーストロングマシーンの体は凄い。
体重も130はあったろう。
それであれだけ動けて。
ブロンドアウトローズが勿体なかった。
スーパーストロングマシーンはもっと上で使うべきだったと思ったもんだ。
越中詩郎よりスーパーストロングマシーンの方がセンスあったとも思うし。
あとはジョージ高野がSWSに移籍しなければザコブラとの抗争も見たかった。
ザコブラVSスーパーストロングマシーンなら名勝負数え歌になったと思う。 センスあんだろ。
お前は節穴だな。
センスっちゅうのは動き等で。
↑でも言われてる様にブリッジのキレイさやら体の張り。
『こんなしょっぱい試合ですいません』
スーパーストロングマシーンこと平田淳二はユーモアもあったのだ。 >>166
センスあったらトップに立ってるわ
センスがないから立てなかったの
節穴はお前の目だ >>168
フルネームおじさんはいつも頑張って長文書いてるけど的外れなんだよ
スルー推奨 スーパーストロングマシーンのガチンコパワーは凄かった。
相手を投げる時にそのガチンコパワーを垣間見た。
あのガチンコパワーは日頃の練習の成果だろう。
ガチンコパワーとあの体の張り。
あれだけの体ならガチンコパワーも当然。
平田淳嗣の時にスコットノートンを魔神風車固めで投げたガチンコパワーは凄い。
スーパーストロングマシーンのガチンコパワーは日本ではトップレベルだったろ。
ベンチプレスでも200挙げてたらしいし。 スーパーストロングマシーンのガチンコパワーは本当に凄かった。
相手を持ち上げて投げる時に発揮された。
スーパーストロングマシーンの全盛期には新日本プロレスリング内でガチンコパワーは1 2を争う状態。
ブロンドアウトローズ、レイジングスタッフは勿体なかった。
後藤逹俊 ヒロ斉藤 保永昇男は別に良かった。
でもスーパーストロングマシーンは彼等とはものが違った。
素顔の平田淳嗣時代にはスコットノートンを魔神風車固めでキレイに投げた。
また蝶野正洋をパワーボム、ライガーボムで抱えた時も高々と。
ガチンコパワーならでは。
そしてスーパーストロングマシーンはセンス抜群だった。
もっと上で使えたのに。
基礎もできていた。
だからあの太い体にも関わらずブリッジが凄くキレイ。
安定感もあり。
スーパーストロングマシーンは体も柔らかかったみたいだし。
全盛期のスーパーストロングマシーンの体は本当に凄い。
太い腕、分厚い胸板、盛り上がった肩口。
そしてガチンコパワー。
1992年SGタッグリーグ戦ではスコットノートンと日米パワーコンビで出場。
実際に二人ともパワフルで凄かった。
橋本真也もパワーファイター扱いだったが。
でも橋本真也はスーパーストロングマシーンとは違う。
むしろ佐々木健介がスーパーストロングマシーンに近かった。
後々にパワーファイターに変貌した天山広吉。
でもスーパーストロングマシーン、こん時は平田淳嗣と比べたら明かにパワーが違った。
平田淳嗣のガチンコパワーの前には天山広吉は無理矢理パワーファイターと呼んでいた感が否めなかった。
橋本真也と組んでいた頃も平田淳嗣のガチンコパワーの方が目立っていた。
橋本真也はキックがあったからなあ。
平田淳嗣にはそういうキック技はないが、ガチンコパワーがあった。
それにあの体の張りは橋本真也とは全然違った。 スーパーストロングマシーンの扱いは歯軋りだった。
全日本プロレスリング時代も。
勿体ない扱いで。
しかし全日本プロレスリング時代のスーパーストロングマシーンはフォール負けは数回。
1986年世界最強タッグ決定リーグ戦でのスタンハンセン テッドデビアスとの公式戦。
テッドデビアスのパワースラムでフォール負け。
あと1986年6月?の日本武道館での天龍源一郎とのUNヘビー級タイトルマッチ。
この時は天龍源一郎に首固めで丸め込まれた。
前田日明が試合前にスーパーストロングマシーンにエール。
俺は新日本プロレスリングで天下を獲るからお前は全日本プロレスリングで天下を獲れ!
この1986年に前田日明は新日本プロレスリングの中心的な立場だった。
しかしスーパーストロングマシーンは全日本プロレスリングでは中心的な立場ではなかった。
むしろ全日本プロレスリングで中心的な立場は長州力。
でもジャイアント馬場がスーパーストロングマシーンをもっと評価しとればなあ。
出戻りだからか?
それともスーパーストロングマシーンの器用貧乏が評価できなかったのか?
まあスーパーストロングマシーンがキラーカーンと組んでのザロードウォリアーズとの試合は良かった。
スーパーストロングマシーンとキラーカーンがタッグチームを組むきっかけに。
むしろキラーカーンはあの頃は試行錯誤していた感じがした。
目の下のペイントとかタイガージェットシンと組んだりとか完全に大ヒールに。
キラーカーンは長州力とは合わなかったんだろう。
ジャパンプロレスリングでも浮いていたし。
あとスーパーストロングマシーンはもっと外国人勢とも対戦させたかった。
世界最強タッグ決定リーグ戦しか外国人勢とは対戦してない。
そう考えるとザロードウォリアーズとの試合は意外。
むしろキラーカーンの長州力裏切り、ジャパンプロレスリングとの決別の為の試合だったな。 >>166
ブリッジのきれいさや体の張りはセンスと何の関係もないしw >>171
延々と同じ事を繰り返す文章でまとまりがない。オチもない。ただの駄文 >>174
駄っ文だぁ〜
だっぷんだぁ〜
このスレの低能諸君よ、採点を求む! 過去はどうであれ、60歳ぐらいになっても新日に在籍できるから
生活には困らないよな。 スーパーストロングマシーンはガチンコパワーだかんな。 今、懺悔します。両国の2階席で最初に独りで平田コール始めたのワタシです。それからは周りも同調してあの通りの。。。。 スーパーストロングマシーンとマスクドスーパースターの本格的なタッグチームを見たかった。
1985年頃に新日本プロレスリングで。
スーパーストロングもこれからって時に新日本プロレスリングを離脱。
しかも全日本プロレスリングに上がったのは翌年1986年4月。
新日本プロレスリングの最後の試合から半年以上もあと。
むしろその間は新日本プロレスリングに上がってれば良かった。
でもそうしたらジャイアントマシーン軍団は誕生したかな?
同じく1985年夏を最後にそれまでのストロングマシーン軍団(2号3号4号)も全員が消えた。
スーパーストロングマシーンが新日本プロレスリングを離脱したのとは別のところで。
やはりジャイアントマシーン軍団登場は既に決まってたんだろうなあ。
それでそれまでのストロングマシーン軍団はお払い箱。
お払い箱というよりここで終わり、と。
力抜山なんかその後はまた素顔でファイトしていたし。 マシンと長州は長州全日移籍前に新日でかぶってる?入れ替わり?
1シリーズくらいは、一緒なのかな? 被っとる。
チンポの皮が被っとるのと同じく。
まあ冗談は上段突きで豆腐グチャッ
1984年ブラディファイトシリーズ開幕戦の後楽園ホール大会。
ここで若松市政とスーパーストロングマシーンが初登場。
突然の乱入。
試合なくて実況席にいたアントニオ猪木を挑発。
こん時ゃまだ『謎の怪覆面』だった。
そしてシリーズ中に毎日乱入。
※巡業にも付いてちゃんと“乱入の仕事”のギャラも出ていた。
このシリーズを最後に長州力は新日本プロレスリングを離脱。
怪覆面は福岡スポーツセンターでアントニオ猪木とのシングルマッチでデビュー戦。
この数日前に『ストロングマシーン』と名前を公開、発表。
確か長州力の試合にも乱入したのが当時の雑誌にも掲載されたはず。
でも長州力とストロングマシーンはこのシリーズは対戦なし。
ストロングマシーンはアントニオ猪木とのデビュー戦の時に更に一人増殖。
そっから1号 2号となった。
でもストロングマシーンはこのシリーズはアントニオ猪木以外には対戦したのかな?
最終戦の東京体育館ではストロングマシーン2号がアントニオ猪木とシングルマッチ。
でもマスクドスーパースターやボブオートン、グレッグバレンタインもいたんだよな。
前半はボブバックランドがいた。
開幕戦では長州力とのシングルマッチ。
ま、長州力とストロングマシーンはこのシリーズでは被っていた。 ミスター高幡の本には詳細が書かれていた。
長州力の新日本プロレスリング離脱は既に知られていた。
それで苦肉の策でストロングマシーン軍団を。
ストロングマシーンと若松市政の登場のタイミングがたまたまあの時になって。
長州力維新軍団とストロングマシーン軍団は形では入れ違い。
ストロングマシーン軍団は翌闘魂シリーズから本格的に始動。
中堅相手が多かったが、そこで強さをアピール。
そして年明け1985年には更に二人増えて四人体制に。
四人にマネージャーの若松市政。
人数的には維新軍団に見劣らない軍団に。
ただ内容的な部分では見劣る 見劣らない 以前の問題でもあったが。
維新軍団とは全く異なったものの、新日本プロレスリングは取り敢えず軍団抗争形式を継続。
ストロングマシーン軍団は謎が取り柄で魅力でもあった。
だからそういう話題性で長州力の抜けた穴埋めを講じたのだろう。
結果的にこれが、それまでの新日本プロレスリングファンの反感を買う結果にはなったが。 >>196
ブラディファイトシリーズと闘魂シリーズがごっちゃになって
ニワカ丸出しだなwww ゴッチャになってもうたわい。
マスクドスーパースターは闘魂シリーズだったな。
で、最終戦の?東京体育館ではアントニオ猪木VSマスクドスーパースターだった。
しかしストロングマシーン2号に変更。
アントニオ猪木のセコンドにストロングマシーンマスクを被った高野俊二が登場には笑えた。
闘魂シリーズからストロングマシーン軍団として試合に出場。
闘魂シリーズからは長州力等維新軍団は完全に居なくなったかんな。
ストロングマシーン軍団を維新軍団の後釜に仕立て。
新日本プロレスリングは本気でそう考えていたらしいし。
まあブルーザーブロディ移籍がどの段階で決まっていたかはわからない。
1985年激烈エキサイティングウォーズでの自分の扱いに嫌になったブルーザーブロディ。
この時期に新日本プロレスリング移籍が決まったはず。
だから1984年闘魂シリーズではまだブルーザーブロディ移籍は決定しておらず。
新日本プロレスリングは当面はストロングマシーン軍団で凌ぐつもりだったのか?
あとはハルクホーガンやアンドレザジャイアント等の大物外国人勢。
でも維新軍団とストロングマシーン軍団ではやっぱり違うわ。
新日本プロレスリング冬の時代っちゅうに言われてもうたのもわかる。
ストロングマシーン軍団の中でも使えたのが1号のスーパーストロングマシーン。
このスーパーストロングマシーンを独立させて熟成した矢先に新日本プロレスリング離脱。
そして長州力等と同じく全日本プロレスリングへ。
新日本プロレスリングに取っては本当に皮肉だな。 平田もそのまま新日にいたらトップレスラーの一角にはいただろうにな。 総合格闘技に、キン肉万太郎がいたな
平田も権利がとれてコスチュームも完成度が高かったら、また違ってただろうに 平田は新日本を離脱した時に発生した
契約違反の違約金を分割に返済。
新日本復帰時は、その違約金の返済が
終わっていなくて、新日のファイトマネーから
天引きされていたんだよ。 スーパーストロングマシーンはブロンドアウトローズとか勿体なかったな。
ブロンドアウトローズ時代のスーパーストロングマシーンは本当に人気なかったもんなあ。
レイジングスタッフに変わってからは更に低迷。
他の三人もマスク被ったりと全くやる事が意味不明で。
後藤達俊が緑のマスクでヒロ斉藤が赤のマスク。
保永昇男は何色か忘れたが。
またこの頃は越中詩郎の平成維震軍にも完全に食われていたし。
それにブロンドアウトローズ、レイジングスタッフはヒロ斉藤はジュニアヘビー級タイトル、保永昇男はベストオブスーパージュニア優勝。
後藤達俊は馳浩をバックドロップで故人にし掛けた。
スーパーストロングマシーンだけ大した実績がなかった。
IWGPタッグタイトルは巻いたが。
でもアントキノイノキ、いやっあん時はIWGPタッグタイトルがアジアタッグタイトルと化した、みたいに言われた。
スーパーストロングマシーン ヒロ斉藤でタイトルの価値が落ちたとか。
スーパーストロングマシーンはむしろ新日本プロレスリング側にいた方が良かったのでは?
ヒール軍団っちゅうてもタイガージェットシン キムドク 栗栖正伸には食われていたし。
他の三人は別としてスーパーストロングマシーンだけは本当に勿体なかった。 全日からUターン後、NEWリーダーの一員だったよね。
長州、藤波、前田、木村、マシン。
前田が離脱しなければな… 結局、平田やジョージの代は新日本のトップにはなれなかったね。
同年代でも、前田はUWF、佐山はタイガーマスクとして一時代を築いたけど、新日本のトップではなかった。
藤波や長州がトップとして陰りが出てきたら、三銃士がモノ凄い勢いで頭角を現してきたからね。 前田 平田 ジョージは色々と不運だったな。
もしこの三人が 残っていたらこの三人が三銃士になってたかも。
前田→武藤
平田→橋本
高野→蝶野
タイプ的にも似とるし。 >>212
俺も見てきた、普通にショックだった・・・
ここ何年もまともに試合してないし名鑑でしか見なかったけど
いなくなると、やはり寂しいな
お疲れさま カナダではステロイド使用してたのかな
タックル一発でピンフォール取る衝撃
だんだん体が丸くなっていった パワーとテクニックと体はあるのかもしれないが、試合が塩っぱい マスクを取るとイケメンなんだよな。昔のプロレス本で若手の頃、「次代
のエース」と書かれていた。 マシンの平淳ももう還暦か。
確かに今年のレスラー名鑑にはマシンはなかった。 この84年の映像、猪木のパートナー(?) のマスクマンは高野弟ですか?
マシン軍団も、外人が混ざっているような(金髪っぽい)
https://www.youtube.com/watch?v=BKUQX-3ctcU >>220
高野俊二だね。
まあこん時は半分はギャグでマスク被っていただけだが。
猪木のセコンドにもう一人のマシーンが登場。
マシーン軍団は二人に増殖したばかりだったから。 マシンと縮めた表記する奴とは分かり合える気がしない
つかいつからマシンってなったんだろ? SSマシンほど日本のトップレスラーとシングルマッチをしたレスラーはいない
全部負けてるけどw >>222
87年の新日マット復帰から
パンフ・ポスター・TVテロップが「マシン」になった >>226
マシーンの反則負け。ただマシーンが勝てそうな雰囲気もなかった。 平淳コールをみんなで贈ろう。
ヒィーラァージュンッ
ヒィーラァージュンッ
ヒィーラァージュンッ
ヒィーラァージュンッ >>223
猪木とは初登場のときの1回だけかな、と思ったが、
猪木がシリーズ通して第一試合のシングルで出場したときに
ノーテレビで1〜2回シングル戦をやったような気がする 昭和60年の新日としては、平田を素顔にして、第2の長州みたいにしたかった
んだろうね。あの頃の平田って反抗期っていうか、会社のストーリー通りに
動くのを凄く拒否してた感じがする。高野俊二と組まされるのを新日の時は
凄く嫌ってたのに、ハリケーンズで仲良くしてるのは凄く?だった。
俺も高校生でよくわかってなかった部分もあったからだけど。
どうせなら、新日に残ってコブラも含めたハリケーンズを結成してほしかった。
選手層の厚い、全日ではハリケーンズは埋もれてたし、当時の選手層だったら
毎週、金曜日8時にセミやメインに出れたであろう新日の方がメリットあったと
思う。で、ŪWFを迎えうってほしかった。
マシン、コブラ、俊二VS前田、高田、山崎とかみたかった。 前田
マシーン
コブラ
87年にはほの三人は揃っていたんだがな。
コブラではなく素顔のジョージだったが。
世代闘争の時にジョージをもっと活用すれば良かったと思うんだが。
この頃のジョージって殆ど印象にないんだよね。 >>231
ジョージは完全にジョバーにされていて、88年になるとマシンもジョバーにされた。
健吾、ジョージ、マシンはもったいなかった。 最近のテレ朝チャンネルの蝶野特集で、蝶野が平田のこと大分しゃべってたね。
怒るとしつこい、怖いってのが印象に残ったw >>231
リアル世代闘争はこうだよな。
・ナウリーダー:猪木、坂口、マサ斎藤、星野、上田
・ニューリーダー:藤波、長州、木村健、藤原、木戸
・ネクスト:前田、マシン、ジョージ、高田、武藤 >>234
武藤はもう一世代下で橋本、蝶野、馳、健介では? >>235
実年齢ということだろ。
これだと馳や蝶野も入るが、87年当時だと蝶野は海外遠征中で、
馳は暮れに新日デビューだからこの中には入らないか。 マシン軍⇒魔界倶楽部
今度は平田が総裁になって復活したらええのにな、村上とかも呼んで
鈴木軍という格好の餌があるうちに、飯塚との絡みも見所やな。 マシンvsコブラを見たいな。
あるいは、烈風隊vs長州、藤波 そろそろ試合しとかないと、次出たときにニワカのファンから
あっ、スーパーササダンゴマシンのパクリだ!って言われるぞw マシーンも還暦か。
コブラも来年還暦。
烈風隊はいいコンビだったのに。 >>242
ジョージは前田と同じ1959年生まれじゃなかったか? >>243
58年生まれ。
前田は早生まれだから、学年では同級生ってことになる。 ジョージもブロンドアウトローズに行ってほしかった。
マシン、ジョージ、ヒロVS三銃士とか見たかったし、何より金髪の
ジョージが見たかった(笑) ジョージは、見た目と身体能力は100点だけど、プロレスセンスがないし技も雑やった。
空中殺法も飛距離はスゴいけど相手のいない所に飛んで行ったりw >>246
ジョージがいつ相手のいない所へ飛んで行った? それはジョージの飛距離が凄過ぎて相手を超えてしまった、という意味では? 烈風隊の頃が二人とも肉体的ピークだったか、動きが一番良かったな。
パワーもスピードも有り余ってる感じ >>249
烈風隊は試合してても余裕を感じられた。
IWGPタッグ取られた長州、飯塚戦も若手の飯塚なんて
ショージのドロップキックで戦意喪失ぐらい効いてた。
飯塚が勝ってベルト巻いたら細身すぎてベルトがダボダボだったw
烈風隊を終わらせたのは長州の嫌がらせ。 烈風隊が橋本の噛ませになっちゃったのは悲しかったけど、橋本みたいに
「俺がトップになるんや」みたいな図々しさが欲しかったな。
マシンもジョージも「俺はこういうプロレスをやりたい」ってのが
ファンに伝わらなかったのがエースになれなかった要因かも。
前田は色々言われてるけど、そういう意志みたいのは感じた。 >>252
マシンは全日に行く前が自己主張もあってよかった。
ジョージはコブラの試合スタイルが良かった。
素顔になってからはあまり飛ばなくなり、スープレックスもやらなくなった。
そうすると2人が組むべき時代は1985年頃で対正規軍の猪木、藤波。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています