もしもインディーが存在しなければ [転載禁止]©2ch.net
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プロレスは素人同然の男達がレスラーになる事はなく
昔みたいに普通にレスラーは選ばれた男ばかりだったか? >>130
ええわい、ところでちみは>>129の俺の意見には同意してくれっかな? >>131
完全同意。かつてはガチガチの昭和新日本ファンだったからw 今はただのオッサンw >>120
河童小僧じゃないの?
IWAジャパンにいた >>134
これ!キラースだ!ようやく解決しました!間違いないと思うけど、ググっても画像がないww さんざん「え?誰だ誰だ?」と記憶をフル回転させて思い出そうとして
結果、答えは知らないレスラーだった、というこの虚無感w 新日も今の所属レスラーの質やレベルは昔のインディーと変わらない。 プロレス自体がインディーに成り下がったし、小規模に縮小して。
それに伴いレスラーのスケールも縮小された。
理由は様々だが、30年前と比べても明らかにそれがわかる。 プロレスにメジャーやインディーって区分けが間違ってる。
昔はいざ知らず今は。
今となっては『劇団プロレチュ』だろ。 ハヤブみたいなインディーの生え抜きであれだけ凄いのもいたんだよな。
インディー=ザコ団体
ハヤブはそんなイメージを払拭した。
メジャーでも全然通用すると。
実際にハヤブの動きは凄かったし。
デスマッチ主体のFでは勿体ないと思ってた。 そもそもFMWができるまでは日本マットで『インディー』という言葉はなかった。
UWFは従来のプロレスと一線を画していたからインディーとは呼ばれず。
UWFはインディーどころか新日や全日を凌駕する存在だった。
FMWができて、そこから枝式に様々な団体ができていってしまった。
古くは国際ですら『インディー』という形容はされてなかったはず。
全ての元凶は大仁田FMW。
これが何とか成功してしまったのが日本マットの不幸の始まり始まり〜。
テレビなしでの成功例は先にUWFが実証済みだが。
FMWこそが現代の困惑する日本マットの元凶。
っちゅうても既に26年以上も前からの話だが。 たまにはで良いんでパイオニア戦志のことも思い出してあげてください パイオは素人の集まりだったな。
一応はキャリア積んだレスラーの集まりだったのに。
ゴウリュウやタカスは駄目だろ。 パイオが新日に上がってた時。
新日のポスターでゴウリュウとタカスの顔が遥か昔のだった。
二人とも若い顔で。
誰が見ても昔の写真ってのがわかった。 つーかハヤブが亡くなったが、あまりハヤブは印象ないな。
凄い空中戦やる選手みたいだったが。
元々インディー=ザコ団体として認めてなかったからなあ。
今やプロレス自体がザコ団体、ザコ競技、ザコ芝居になってもうたが。 ユニバーサルをユニバって略すのはよくみるが
パイオニア戦志をパイオって略してるのは初見だw
当時のこと良く知らんが皆そういう風に呼んでたん?
なんか凄く新鮮w パイオって言うてたよ。
FMWはFMとか。
ラジオFMかコンビニFMみたいで紛らわしいが。
だから新日本=新日、全日本=全日、UWF=U、SWS=Sと。
UWFインターナショナル=Uインターとか。
パイオは後々にはオリエンタルプロレスという名を付けた。
それでオリプロとか。
全日本女子プロレス=全女とかね。 こいつは最近いろんなスレで妙な略し方して
突っ込まれるのを待ってる馬鹿。まあすぐ飽きるだろうけど。 >>154
すまん 単なるレス乞食だったんだな
本人のすぐ上のレス見て察するべきだったわ……
いやでもパイオニア→パイオのセンスだけは
本当に新鮮でやるなって思ったんだけどさw WARもインディーだった。
越中にはあそこは天龍しかいないとか言われていたし。
そんな越中の平成維震軍の独立団体もインディー。
SWSは規模や資金からインディー呼ばわりはされなかった。 三沢達が抜けたあとの全日もインディーと化した。
武藤が加わってもメジャーには戻らず。 武藤一人ではどうしようもなかった。
取り敢えず川田はいたが。 >>148 浜田と大仁田がジャパン女子のリングで試合した事も忘れないでほしい。
それが元凶だったんじゃないの?パイオニアの旗揚げとどっち先だっけ?
新間の格闘技連合構想が実現していたらどうなってたかな? インディペンデントは所詮は小規模で細々なるのが関の山。 インディペンデント団体をバカにしていた長州力と武藤敬司。
だが、後年になって長州力はそのドインディペンデント団体でお笑いの存在に。
武藤敬司も自分の団体がインディペンデントに。
皮肉っちゅうか世の中って本当に何が起こるかわからんわ。
当時の長州力や武藤敬司が後年の自身の姿や現状を見たらどう思うか?
そしてやはりインディペンデント団体を快く思うてなかった藤波辰爾もインディペンデントの長に。 引退後の受け皿が警備会社じゃなく
インディー団体になった訳だな 確かに。
需要がなくなった外人レスラーもインディーに上がっていたし。
日本人レスラーもそうだった。 シン、テリー、シーク彼等も地に落ちたイメージになった。
特にまだ若かったゴディがインディー常連になったのはショックだったな。 真壁と棚橋が 徹子の部屋 に出ていたな。
でも一般からしたら全くわからないだろう。
ドラえもんの映画に二人は声優で参加。
新日とドラえもんが合体したみたいだが。 >>120
インディのお仕事で思いだしたんだがジ・アッチィなるレスラー
は今も現役でいるんだろうか? 猪木が東京プロレスを作ることも猪木がIGF立ち上げることも無かったな ヤンキー二丁拳銃のアジアタッグは凄いと思うけど
その10年以上前に、アジアタッグを巻いたハヤブサ・新崎人生組は凄かったと改めて思う 大仁田が高山や佐山に勝ちブックもらったのは凄いと思うけど
その10年以上前に、タイガージェットシンやテリーファンクからも勝ちブックもらったのは凄かったと改めて思う >>173
全盛期の大仁田は年収1億超まで稼いでたんだから、FMW自体相当な資金力が
あったんだよ。
だからテリーもシンも3万人規模の試合なら相当な見返りを貰ってたと思うよ。 もしインデイーがなかったら誠心会館の選手は
プロレスにかかわってなかったよね 俺的には、今の女子団体は全て『インディー団体』という認識。97年に分裂する前までの全女はメジャーだったと言えるが。 >>41
相撲では前頭4枚目まで行き、プロレスではアジアタッグを5回獲った石川敬士はどちらでもそこそこ成功レベルなのかね。 しかもアマチュア横綱だもんな。プロレスでも相撲でも石川より上となると、天龍や力道山、豊登くらいのもんだ 東富士(横綱)・輪島(横綱)・北尾(横綱)・曙(横綱)・把瑠都(大関)・力道山(関脇)・若翔洋(関脇)・貴闘力(関脇)・安田(小結)
プロレスラーもしくは格闘家に転身した三役以上に昇進した元力士 崩壊直前の国際プロレスも実質インディー。1981年6月でテレビ中継(特番)終了&最終シリーズでは後楽園ホール大会を開催できず >>180
プロレスでも『成功』したと言えるのは力道山・安田・曙 ユニバがなかったら
みちのくも無かったよね
スーパーJカップもなかったのか 誠軍団1号と
宇宙パワーの
なかの人はインディーが無かったとしても
グレイシーと闘ってたのだろうか 元を辿ればジャパン女子がなければFMWもユニバーサルも女子プロレスのオタク化もない ああ、そういえば大仁田とグラン浜田はジャパン女子で闘ったのがきっかけ
で復帰したんだよね 週刊新潮によりますと、その借金のきっかけは2010年1月に大仁田厚が地元・長崎県の県知事選に出馬した際のものだそうです(選挙は落選)
当時大仁田厚は銀行から1,700万円を借り、それには約束手形が付いて、保証人には鳩山邦夫氏の母・安子さんが付いたそうです。
そのことに関して、鳩山邦夫氏のかつての友人は以下のように憤慨しています
「アイツはこれを返済できず、年末、代わりに安子さんの口座から1700万円が引き出され、手形も鳩山家に移った。
安子さんの死後、これを邦夫さんが引継ぎ、手形金請求訴訟に打って出たのですが、大仁田は一度も法廷に出てきませんでした」(引用元:週刊新潮 2016年7月21日号)
確かにネットで調べると、2014年2月5日に「鳩山邦夫元総務大臣が、大仁田厚元参議院議員を提訴」というニュースが報じられています。
そして実際に支払い命令が出ているようです。担当した弁護士は以下のように語っています。
「一昨年から、大仁田さんのあらゆる関係先を差し押さえにかかりました。すると、慌てた彼はすぐに事務所に来て、『やめてくれ、カネがないんだ。月々5万円の返済でどうか』などと持ちかけてきたのです。
金欠を確かめるために『一週間以内に通帳を見せてください』というと『わかった』と答えたのですが、その後、連絡不能になりました」(引用元:週刊新潮 2016年7月21日号)
さらに鳩山邦夫氏のかつての友人の話によると、「弁護士がアイツの周辺に督促をかけると、今度は邦夫さんに直接アプローチ
昨年、『100万円で許してください』と泣きながら土下座して許しを乞いましたが、またプッツリと連絡を絶った」(引用元:週刊新潮 2016年7月21日号)
結局のところ、現在鳩山家側が取り戻せたのは差し押さえが成功した分の40万円弱のみだそうで、利息などを含めるとトータル2,000万円以上に膨らんでいるそうです。
なぜ、ここまでされても大仁田厚は借金を返済しないのでしょうか。 大仁田は弱さや情けなさの象徴。
でもそれが逆にウケた。
大仁田が強キャラならFMWは成功しなかったと思うんだが。 FMW以前から、インディという言葉こそなかったが、事実上のインディはあったしな
大仁田の成功なくとも、遅かれ早かれ誰かがムーブメント起して、結局は
今のような状態にはなってたと思う。今やプロレス自体斜陽産業だし、プロレス業界自体が
エンタメ産業のドインディーだし 日本マットは新日と全日の二団体時代が長かったかんな。
81年で国際が崩壊。
84年に旧Uが誕生。
でも新日と全日が中心だった。
だから日本では“インディー団体”という言葉はなかった。
FMWが誕生してからだな。
そしてそれが分裂して枝派に分かれてから。
逆に今や新日も全日もノアもプロレス自体がインディーと化した。
最早プロレスのインディー化に拍車は掛からない。 大仁田厚がFMWを成功させてしもうた。
そんでインディペンデント団体が乱立する様になった。
FMWがすぐに潰れたらそうはならなかった。
新日本プロレスリング
全日本プロレスリング
UWF
その次にFMWと。
UWFはインディペンデントという立場でもなく、むしろ両団体を凌駕する勢いだった。
両団体っちゅうのぁ新日本プロレスリングと全日本プロレスリングな。 FMWは一応大仁田後藤のメジャー出身者が作って若手の指導もしてたいたしまだマシ
日本人がほぼ素人集団だったW★INGが素人だらけの多団体時代に進んだ一歩だと思ってる
当時週刊誌読んでて面白そうだと思って観に行ったら塩どころのさわぎじゃなくて
正直唖然とした覚えがある プエルトリコ軍は普通に塩レスラーだったけど でもFMWは他はザコばかりだった。
ただ初期からディックマードックやジョールダックが参加。
後々にはザシーク タイガージェットシン テリーファンクまでもが参加。
ギャラも相当だったはずだが、そんだけ儲けていたのだろう。 神:RKO
覇王:AJ Styles
四天王:Omega・Ziggler・Ricochet・Ibushi
社長:HHH インディがなければ、FMWができる前の単身海外デビュー組(1989年以前)が日本デビューすることはなかった。
リッキーフジやポイズン澤田、ロビン、ジライヤなど(浅井除く) 1996年11月の20年前の雑誌を見たが、大仁田は引退していたんだな。
6月には力道山メモリアル大会もあって。 プロレスは総合格闘技に対応できないんだから
インディの多様性は必須だったて事じゃないですかね 結局ショーでもガチでもボクシングが一番面白い
団体系だとラグビーかな もし昭和50年時代に背が小さくても入門できるプロレス団体ができてたらそれ以前に
新日や全日、国際をやめた新人なんかはまたプロレスに復帰したのかな?
橋本小助、原薗、元国際の秋吉とか。プロレス界に未練を残し辞めた選手って
多いだろうね あとは年がいったベテラン外国人もインディーに上がったろう。
昭和50年代にインディーがあればね。 その昔は国際プロレスがインディー扱いだったもんね。 昭和の国際なんか近年のインディーに比べたら遙かにマシ
インディーなんかプロレスっちゅうより学芸会
国際はインディー扱いでも立派なプロレスだったし FMWバトルクリエーションの里の試合とミラクルのFMWビデオの市原の試合はひどい。
でもその後本人たちの努力で立派なレスラーに育ったのはすごい 初期FMWは酷かったかんな。
大仁田の
普通のプロレスでは全日や新日には太刀打ちできない
だからデスマッチ路線に走るしかなかった
これは正論中の正論だど思った。
結果的にそれで大成功を収めたわけだし。
しかもシーク シン テリーという超大物達までリングに上げたり。 三沢たちに裏切られた旧全日や、三沢が興した旧ノアは、
日テレが手を引いた途端、瞬く間に凋落していったよな。
実態はインディ以下だったってことか? 結局、旧全日も旧ノアも日テレのパラサイト団体だったと判断して良いのかな 新日本は最初はインディー扱いだったらしいね。
全日本は最初からメジャーだったみたいだが。 はたしてターザン後藤は日本に帰国できたのだろうか?新日にあがってたのかな?
伊藤正男コースのような気がする >>218
弱小インディ団体として始まった新日本が、90年代以降、業界の盟主をなったのに
日テレ三菱電機NWAをバックにメジャーとして始まった全日本が、
90年代には看板こそメジャーだが、実態はインディになっていたのは皮肉だな。 昭和48年以降(旗揚げから1年経って)、日本のプロレスは、新日本プロレスと、それ以外、今は特に新日本とそれ以外、総合格闘技の団体でも、これ程長く、ある規模で機能している興行団体は無く、今のところ、新日本とそれ以外なんだと考える。 全日は、日テレ三菱電機NWAという日本プロレス三種の神器を揃えて好スタートを切ったけど、
最後は弩深夜打ち切り最終回だもんな
そしてその後は看板だけ残して謎の別会社に転生を繰り返すという。
ノアも同じ道を辿っているのは興味深い。 >>222
同じ三菱でも三菱自動車だろ。
三菱電機はプロレス中継打ち切り後も金曜8時の番組のスボンサーを続けてた。 FMWが繁栄したのは初期の大仁田とポーゴの戦いがあったからだな。 強さでは大仁田より後藤の方がはるかに上だと思った。
大仁田と後藤どちらと喧嘩するなら間違いなく大仁田を選ぶ。
10年位前の後藤って160キロって公式体重だった。 今やプロレス自体がインディー、マイナーなジャンルだかんな。 80年代か90年代に交流があれば凄い夢が広がり
そして数多くの夢の対決が実現した。
でも近年の交流なんか夢も何もない。
またいわゆる旬を過ぎた同士の交流ってのも微妙。
場合によっては「やらない方が良かった」と逆に夢を壊す結果にも。 インディーが存在してなかったら
プロレス好きの有名人の人生も変わってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています