「昔はちょっとした商売人の家じゃ、下男や下女を使用人として抱えていたものなのですがね、こと、このあたりじゃ、ちいとばかし事情が違っていまして。
こうした使用人というのは、だいたいが、雇い主一家の性奴隷のような位置づけだったのですよ」

自身が生まれ育った近畿地方のとある地域に、かつて存在していたという、“商家の秘密”についてそう証言するのは、
自身も米問屋を営む大店の次男坊として生まれ、そうした“秘密”を幼い頃より「当たり前のもの」として考えていたという、白鳥耕三さん(仮名・89)。
白鳥さんの話によると、当地における商家の使用人たちは、その大半が、表の商いで必要とされた人材ではなく、あくまで、経営者一族の性のはけ口としてのみ、その役割を果たしていた人々だったのだという。

「だいたい、昔で言ったら、中学を卒業したと同時に、うちみたいな商家に奉公に上がるんですけれどもね、入って早々に行われるのは、“性の手ほどき”なんですよ。
といっても、だいたいがそのくらいの年頃の子たちですからね、最初は“イロのイロハのイの字”も知りやしない。
だからね、いざ、そういうことになると、だいたい1/3ぐらいがそのまま里へと逃げ帰ってしまうし、1/3がしばらく呆けたようになってしまうっていう。
けれども、残りの1/3ぐらいは、そのまま頑張って奉公を続けるんです。そういう子らをね、当時の大人たちは“筋がいい”だなんてうそぶいていたものですよ」

そもそも、働き口を求めて奉公に上がった思春期の少年少女たちに、いきなり虐待でしかない性的行為を強要するという時点で、当世の我々にとっては俄かに信じ難い話だ。
しかも、そうした被害に見舞われた奉公人たちのうち、度重なる辛苦を耐え忍ぶ形で、身を置き続けようとする者たちを、涼しげに“筋がいい”などと言ってのけるというのだから、鬼畜の極みとはまさにこのことだろう。白鳥さんは続ける。

「それでね、残った人間はどうなるか? っていうと、男は女将さんに、女は旦那さんに、弄ばれ続けるんですよ、それからも。要は旦那さんや女将さんが“飽きた”というまで、それが続くんです。
しかも、場合によっちゃ、何人かの奉公人がまとめて相手をさせられることだってある。……ね? 今の人からしたら、信じられない話でしょう?」

それぞれが個別に性の相手をさせられるどころか、時には複数プレイにまで参加させられていたという、当地の奉公人たち。
これは現代社会問題となっている、いわゆる「ブラック企業」のそれを遥かに超えるといっても過言ではない、極めて劣悪な労働環境と言えるだろう。

「まあ、さすがにもうそういう時代ではないですから、今では大昔の昔話でしかないのかもしれないですけれどもね、当時を知る私なんかからすれば、
今の若い人たちにも、“こういうことがあったんだ”、“こういう時代を経て今があるんだ”っていうことを知ってもらいたいですね」

なお、白鳥さんの話によると、こうした極めて理不尽な経験をしつつも、無事に「年季明け」まで勤め上げた奉公人は、それぞれの“功績”を評価する形で、晩年、新たに店を一軒与えられるなど、“それなりのケア”はなされていた模様だが、
果たしてそれが、彼らがその半生を通じて味わい続けた辛苦に見合った対価なのかと言えば、なんとも微妙なところである。

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