医学の進歩で、がんとともに働ける人は増えている。
一方で、仕事を辞めざるを得ないケースが後を絶たない。
急性骨髄性白血病から復帰して福岡県の中堅メーカーで働いていた
女性(28)の場合、2度目の再発がきっかけだった。


最初の発症は大学2年
最初の発症は大学2年、20歳のときだった。5カ月の入院と2年の通院を
経て、がん細胞は確認できなくなった。就職活動では履歴書に
「1年休学」とだけ書き、病名は告げずに入社した。
1年目から新規採用を任され、会社説明会や大学訪問に走り回った。

1年たった2015年3月末、再発。突然の入院にも上司は
「気にせずしっかり治療しておいで」と送り出してくれた。
同僚からは仕事の報告メールが随時届いた。「帰る場所がある」。
力が湧いた。

「無理をしたからだ」と自分を責めた
1年で復職でき、休む前と同じ業務を担当させてもらえた。往復2時間の
マイカー通勤はきつく、昼休みに横になっても疲れは回復せず、
帰宅後は食べる元気もなかった。それでも「せっかく任された仕事。
抗がん剤治療より、きつくない」と踏ん張った。

わずか半年後、2度目の再発。
「働き方と再発リスクに因果関係はない」との定説を聞かされても
「体が悲鳴を上げているのに無理をしたからだ」と自分を責めた。
「どうして産業医に相談しなかったのか」と主治医に問われて初めて
社員の健康管理に当たる産業医の存在を知った。

後悔と遠慮が胸を覆った
「産業医に相談しておけば」「入社3年目なのに迷惑を掛けている」…
後悔と遠慮が胸を覆った。休んだ期間が計1年3カ月に及び、
16年11月、退職を選んだ。

兄からの骨髄移植で持ち直した今も仕事はしていない。
「がんを治療しながら働くのって、やっぱり甘くない」。それが実感だ。